古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

200mバタフライを泳ぐ

2012-09-29 | 水泳
「タイムは最低、メダルは最高」の水泳大会でした。
28日から3日間「レインボーカップマスターズ水泳大会開かれました。28日10時過ぎ、会場の日本ガイシプールにつきました。早速受付けで、デッキシーデイング(当日の出場確認、これによりコース割付を決める)、サブプールで100m×4本泳いでアップを終えました。10時40分にロビーで早めの昼食、弁当を広げました。出場予定時刻が1時46分ですので,早めに腹ごしらえを済ませた。
 女子男子の200m個人メドレーと男女混合フリー400mリレイを観覧席で見てから、更衣室でも一度水着に着替えプールサイドに行く。
女子200m平泳ぎ、プール仲間のJちゃんの泳ぎを見る。3分54秒、まずまず。上がってきた彼女にハイタッチ。
 「おオ、NOZUEさん」と声がかかるの見ると、バタフライのスペッシャリスト、SATOHさん。「NOZUEさん凄いナ、今日は独泳じゃない」
 75歳以上は、出場者は小生のみのことを言う。「いや、最後まで泳げるかが問題です」
「俺、今日はブレストだ」。79歳になって、さすがのSATOHさんもバタはきつくなったらしく、200mは平泳ぎだ。
 平泳ぎの後がバタフライ。1組の1コースが割り当てられた。隣の2,3コースが70歳台。2コースはTASIROさん、顔なじみだ。予定より20分ほど遅れ、2時ごろ飛び込み台に上がる。
 スタートの笛で飛び込む。50m、100m、150mターンと、自分としては順調だった。175mからは、2かき1呼吸に切り替えた。かなりきつくなったが、粘ってフィニッシュ。タイムは?6分12秒だって!こんに遅かったとはびっくり。少なくとも6分は切れると思っていたのに!
 隣の2,3コースの70歳台は4分台で泳いでいたから、概ね私が150mターンのときゴールしたらしい。だから、最後の50mは、(SATOHさんの言葉通り)独泳だった。
 2,3コースが「よく頑張ったなぁ」と褒めてくれた。最後の私の50mを見ていたらしい。普通遅い人は、最後がほとんど腕が上がらない泳ぎをするのだが、私は最後まで腕が下がらなかったから、「頑張った」と見えたようだ。プールから上がると、今度は、東区プールのス女性タッフが飛んで来て「NOZUEさん、よく頑張ったア」と握手してくれた。
 サブプールで、ダウンの泳ぎをしていたら、OHSAKIさんが来て、声をかけてくれた。彼もバタフライの専門家だが、200mはバタでなく、これから泳ぐクロールにしたらしい。私の泳ぎを見ていたらしい。
 プールを上がってからもう帰ることにした。タイムが良くないから友人に顔を合わせるのがきまり悪い。昨年のタイムより37秒も遅かった。
 速報版を観に行くと、小生の記録は、50mラップで、1分17秒38、2分49秒33、4分47秒47、6分12秒47とあった。100~150がめっちゃ遅かったのだ。順位は75歳区分1位だった。
 メダルの引渡し所で金メダルを受け取った。この大会は参加者が約3000人、全国から選手が集まるから、レインボーカップの金メダルは自慢できる。今年まで16年連続出場だが、金メダルは初めて。16年掛りの金メダルでした。
 しかし、何故こんなにタイムが悪かったのか?以下、私の仮説です。
 高齢化すると、体の細胞の中の代謝反応が遅くなるのだ。つまり、細胞の中の時間進行が遅くなる。だから、細胞はいつもと同じスピードで運動しているつもりでも、時計の時間ではいつもより遅くなる。実際、今日のレース、6分もかかるほどゆっくり泳いだつもりは全くなかった!今度の日曜は100m泳ぐが、さてどうなるのか?
 3時50分帰宅しました。

新興衰退国?ニッポン

2012-09-26 | 読書
『新興衰退国ニッポン』(金子勝・児玉龍彦著、2010年6月刊、講談社)というセンセーシヨナルな書名の本を図書館でみつけました。
著者の一人、児玉さんは国会で熱弁をふるったので、ご存知だと思います。
http://www.youtube.com/watch?v=pVCP0wFD_ec&feature=fvst
 このお二人、以前「逆システム学」(岩波新書)を著しています。その折の感想文を探して見ました。6年半ほど前の拙文です。
http://d.hatena.ne.jp/snozue/20060203

この本は、「逆システム学」を、近年の日本の経済と社会に実際に適用して考察した結果を記した本だなと感じました。
 つまり、「現場で起きていることは、理屈が合わないように見えても理屈どおりに起きている。理屈が合わなく思えるのは自分の理屈が間違っている。だから現場を見ることで、自分の理論を検証できる。「見る」というより「看る」。患者に注射をしたら、その注射が効果があったか看る。効果がない場合、患者が間違っているのでなく、注射が間違っている。」という考えで、第1章の「医療」以下、「貧困」、「雇用」、「介護」、「公共事業」、「産業」、「金融」、「知のルール(コンピュータ)」、最終章の「技術開発」を論じています。
 興味ある方は、ご一読ください。
 ここでは、第9章「科学技術立国の黄昏」の一部を紹介します。
【ヒトの遺伝子がすべて読まれたことにより、薬の標的となるたくさんの蛋白質が明らかになった。こうした蛋白質の構造を決めるのは、放射光施設のスプリング8であり、それに作用する薬を設計するのはスパコンである。今日では、インフルエンザの薬のタミフルも、ガンの薬のグリペックも、コンピュータで設計されている。例えば、大きな蛋白質である抗体医薬品の設計には、今のコンピュータでは、1個について数ヶ月かかってしまう。それを数日でできるようにして数種類から数十種類を比べられる計算機が求められている。日本の制薬企業は3年間で2兆円の現金を、海外のベンチャー買収にかけた。その多くは、分子標的薬とよばれるコンピュータ支援をもとにした薬を作っている会社である。】
【日本の科学技術は、老人向けの薬を生み出し、世界に輸出することに成功してきた。・・・こうした新薬の特許が2010年をピークに次々と切れようとしている。
 ところが、日本の製薬企業が、新薬の開発に苦しんでいる。日本の制約企業は、カビや細菌から薬を作る伝統的な製法には長けてきた。しかし、21世紀になりヒトのゲノムが解読され、次の標的になる蛋白質がすべて分ってきたので、分子標的薬という新しいタイプの薬が中心になっている・・・その分子標的薬が作れないというのだ。】
【危機感を持った我が国の制約会社の経営陣は、2007年頃から、雪崩を売って外国の製薬企業ごと薬を買い付けるという強硬手段に出た。・・武田が、バルケードというガンの分子標的悪をもっているアメリカのミレニアム社を、9000億円で買収した。続いて20008年、エーザイはガンの抗体医薬品を作っているMGIファーマを4300億円で買収した。・・・・こうして3年間で、日本の製薬企業は、2兆円を超える現金をかけ外国企業を買い付けている。そのほとんでが、分子標的薬をもっている会社である。】
【薬の開発プロジェクトは、50個のうち1個が成功し、残りの49個は失敗することで知られる。しかし、自分で開発すれば
その50個のノウハウが残る。外国の薬を買ってしまえば、1個の薬が入手できるだけであり、ノウハウは得られない。しかもベンチャー企業の多くは、敵対的買収を受けると、それまでの経営者や主だった研究者は代謝してしまう例も多い。決して技術開発のノウハウまでは手に入らないのだ。】
 こうした話題が多く載る本でした。


時評・野田外交

2012-09-25 | 経済と世相
「閣議決定回避 米国が要求」の記事が22日の中日新聞トップでした。
『「2030年代に原発稼動ゼロ」を目指す戦略の閣議決定の是非をを判断する直前、米政府が閣議決定を見送るよう要求していたことが、政府内部への取材で分った。米高官は日本側による事前説明の場で「法律にしたり、閣議決定して政策をしばり、見直せなくなることを懸念する」と述べ、将来の内閣を含めて日本が原発稼動ゼロの戦略を変える余地を残すよう求めていた。』という内容です。
 米側の要求の根拠として「日本の核技術の衰退は、米国の原子力産業にも悪影響を与える」「再処理施設を続けたまま原発ゼロになるなら、プルトリウムが日本国内に蓄積され、軍事転用が可能な状況を生んでしまう」などと指摘。再三、米側の「国益」に反すると強調したという。

 米国のウェスチングハウスは原子力部門を東芝に売り渡した。GEも原子力は日立の傘下で、日本が原発ゼロになり、東芝・日立も原発をやめれば、米国は、新興国のすべての原発が、ロシヤや中国に頼るのを、傍観することになる。
 米国が日本の原発ゼロに反対したい気持ちは分るが、これは日本の内政問題。野田総理は、そんなことまで米国の許可を得る必要があると思っているのか!

ところで、尖閣問題。何故ここまで紛糾するのか。
尖閣の所属問題は、日中共同宣言(1972年)の交渉で(田中角栄と周恩来との交渉)、「将来の両国民の知恵に待ちましょう」ということになった。
 つまり、「棚上げ」ということ。「棚上げ」とは言葉を変えれば「現状をそのままにして、現状を変更する行動は両国政府ともとらない、ということ。
 ところが民主党政権になってから、尖閣は国内であるから、国内法を適用すると、台湾の漁民の操業を国内法で取り締まった。
 さらに、今回の土地の国有化。国内の土地を政府が買い上げることに問題はない。というのだが、相手にとっては、日本国内と思っていないから、日本政府は「棚上げ、つまり現状維持の約束」を破ったことになる。
 竹島問題でいうなら、竹島に韓国大統領が上陸しても、竹島は韓国領という韓国の立場が正しければ、何も問題ない。しかし、日本はそう思っていないから、大統領の行動が日本人にとっては、日本への挑戦に見えてくる。
 まったく同様に、尖閣は中国の領土と思っている中国人には、日本政府が中国に断りもなく、尖閣の土地を購入するのは、中国への挑戦行動に見えるのだ。
18日の日経ビジネスオンラインでは、
【2012年9月9日、ロシアのウラジオストックで開催されたAPECにおいて、中国の胡錦濤国家主席が野田総理と15分間ほど立ち話をする機会があった。このとき胡主席は、厳しい表情を崩さずに、次のように語っている。
 ここのところ、中日関係は釣魚島問題で厳しい局面を迎えている。釣魚島問題に関して、中国の立場は一貫しており、明確だ。日本がいかなる方法で釣魚島と買おうと、それは不法であり、(購入しても)無効である。中国は(日本が)島を購入することに断固反対する。中国政府の領土主権を守る立場は絶対に揺るがない。日本は事態の重大さを十分に認識し、まちがった決定を絶対にしないようにしなければならない。中国と同じように日中関係の発展を守るという大局に立たねばならない。
 日本が「尖閣は日本固有の領土だ」と確信しているのと同じ程度に、中国も「釣魚島は中国古来の領土だ」ということを、同じ程度に強く確信している。国民レベルで言うならば、中国の方がこの「確信」に対する熱意は熱い。
 しかし、話し合いが終わって、「胡主席と何を話したのか」という記者の問いに対して、野田首相はどう答えたのか。
中国の発展は、わが国や地域社会にはチャンスで、戦略的互恵関係を深化させていきたい。現下の日中関係については大局的観点から対応したいと申し上げた。
としか語ってない。つまり、胡主席が言ったところの最重要なキーワード「日本は事態の重大さを認識し」は、日本側には「認識」されなかったのである。
日本側の抑制的な判断に期待していた胡錦濤
 ところが中国では、当日のニュースで胡主席がどのような主張をしたかに関して広く報道している。それはすなわち、「日本が少しは事態の重大性に気づくだろう」という期待感をにじませたものだった。
 その証拠に、石原東京都知事が今年の4月、アメリカで「東京都による尖閣購入」を宣言して以来、中国で抗議の声は上がっていたものの、一方では都知事の尖閣上陸を日本政府が許可しなかったことが高く評価されていた。日中国交正常化40周年記念である今年、日本政府が実行した唯一の賢明な判断として、中国国内では繰り返し報道されていた。
 裏には「野田首相が抑制的な判断をするだろう」という期待が込められていた。
 その野田総理が、15分間とは言え、胡主席が時間を取って中国側の意思を伝えたというのに、翌日の10日には「尖閣国有化」閣議決定を宣言し、11日に実際に閣議決定してしまった。 】野田総理は、せめて柳条溝事件81周年の9月18日を過ぎるまで待つべきでなかったか。
 「原発ゼロ問題」における米国への対応と、「尖閣問題」における中国への対応との余りにも大きな違い!

アサヒビールで乾杯!

2012-09-22 | 旅行
 21日、住宅のシニアクラブのウオーキングに出かけました。
9時半、エレベータホールに集合は、今回5名(男2、女3)です。
 アサヒビール名古屋工場で試飲のビールを楽しもうという、今回は私の企画でしたが、思ったより参加が少ない。このところの暑さでへばっているのか?でも、今日は、朝方の気温が21度と涼しくなっています。
地下鉄で砂田橋、3番出口のエレベータで外に出る。右に進むと名古屋学院の中学・高校、矢田川にかかる宮前橋、東へ廿軒屋小学校北で北へ向うと、直ぐすいどうみち緑道にでました。ここまで20分、緑道入り口で一服休憩。
この散策道(写真)は、犬山の木曽川取水口から東区の浄水場まで埋めた水道管の上を緑地として整備したものです。30分ぐらいの散歩を楽しんで、大永寺町。西に行くと、アサヒビール名古屋工場が見えてきます。
11時半で見学を申し込んでいたが、11時。ちょっと早いと工場前の公園で、弁当を広げ、早めの昼飯を済ませた。
工場正門に入ると、「案内板にしたがって行ってください」と守衛さんが言う。ゲスト館について受付を済ませた。
「K」という名札をつけた若い女性スタッフが来て案内を始めた。「K」というのは、愛知県体育館でお世話になっている女性コーチと同じ苗字だ。それに、声が女性コーチとよく似ている。聞いてみた。「つかぬ事を聞きますが、愛知県体育館のKさんにお世話になっていますが・・」。すると「エッ・・私の母です」。
こういうのは奇遇というべきか!
20mモノ高さのビールの発酵・熟成タンクが立ち並んでいる。「一人が缶ビール(350ml)1本毎晩飲むとすると、このタンク1本分を飲み干すのに3100年かかります」とKさんが言う。
http://www.asahibeer.co.jp/brewery/nagoya/tour.html
型どおりに製造ラインを案内してもらい、ゲスト館に戻った。
 試飲ビールで乾杯!
「20分間ならビールは3杯まで試飲いただけます」というので、ドライと黒を一杯づつ頂いた。「ここは予約しないとダメなんですか?」と同行のIさんが聞くと、「ええそうです。二人以上から予約できます」。
1時前工場を辞した。
工場の南に、大永寺という曹洞宗の寺がある。
建久元年(1190)の創建というから、820年も昔に、この地の豪族によって建てたものらしい。戦火で消失したが、元和3年(1617)、名古屋城築城の残財を用いて再建されたそうだ。本堂の両脇に樹齢490年、380年と表示した札が立った槙の木があった。
http://www.aruku88.net/tera/102moriyamaku/daieizi-daieizi/index.html
予定では、この後名古屋ドーム前まで歩くつもりだったが、ビールが利いてきたのか歩きが大儀になってきた。
「ゆとりーとライン(ガイドウェイバス)に乗ろうか」、守山市民病院前駅でゆとりーとに乗り、大曽根で地下鉄に乗り換え3時過ぎ帰宅しました。

続・バブルのしくみと日本の先行性

2012-09-21 | 経済と世相
前便の本について、もう一つ(カッコ内は小生の補足です。)。
以前(2011年)、こう書いたことがあります。
「イラク戦争でフセインは処刑されたが、米国が開戦に踏み切った背景には、フセインが石油の決済をドルでなくユーロで行おうとしたことがあると私は考える。世界の金融システムは戦争に訴えても争われる問題なのだ。」
http://d.hatena.ne.jp/snozue/20110210

 資源国と先進国との間の交易条件が、先進国側で悪化しことが、今日の先進国の不況の真因であり、アメリカは、これに対応するため、金融のグローバル化を行って、世界中の資金をアメリカに集めるシステムを構築したと、水野さんは説く。
(私は、製造業でアメリカが稼げなくなったために、金融のグローバル化で稼ごうとしたと、考えていましたが、水野さんはアメリカに限らず、資源価格の高騰から先進国側すべてが稼げなくなって、金融に走ったと考えているようです。)、
萱野 アメリカは、金融の自由化や石油の金融商品化などを通じて、ドル機軸通貨体制に基づいた金融帝国化の道を歩んでいきます。とりわけその動きは、1995年以降顕著になる。2003年のイラク戦争は、そうした金融帝国をささえる国際経済のシステムを防衛するために軍事力が使われた。(アメリカはシステムを守るために軍事力を行使するが、領土を守る、或いは侵攻するために軍事力を使わない)
水野 フセインがユーロで石油代金を受け取ることにしたのは、2000年11月でしたね。アメリカとしては、冷戦後、石油に裏付けられたドル機軸通貨体制の中で金融大国を築いてきたところに、フセインにユーロ建てにされたら、その土台が完全にぐらついてしまうということなんですね。
萱野 アメリカからすればたまったもんじゃない。基軸通貨だからこそ、アメリカの財政赤字や経常赤字がいくら膨らんでも、各国はドルを買い支えてくれるわけだし、そこでのドルの循環によって自分たちは世界中のモノを購入できるわけですからね。
水野 フセインが(石油取引を)ユーロにしてしまったら、おそらくその段階でユーロは機軸通貨になる条件をぜんぶ満たします。アメリカがイラクを攻撃したのは、ここだけは譲れない最後の砦だった・・
萱野 71年にニクソン・ショックがあって、ドルと金の兌換が停止されますよね。それ以降、ドルが機軸通貨としての価値を担保できるのは石油とのつながりでしたから、もしそれがなくなれば、ドルは基軸通貨であることの土台を失ってしまうことになりかねない。そこでフセインがドルの代わりにだしてきたのが、ユーロだったという点も、アメリカを震撼させたのでしょう。
水野 軍事的な面でいうと、サウジアラビヤとアメリカとの間には、アメリカ軍がサウド王家を守る、その代わりにサウジアラビヤはアメリカの国益に貢献する、という「密約」があるといわれています。アメリカの国益に貢献する、とはつまりドル建てで石油代金を受け取るということです。
萱野 アメリカのもっとも特徴的な点は、植民地支配をせずに経済的なヘゲモニーを確立してきたところです。・・・ モンロー主義はさらに、アメリカがヨーロッパとは異なる覇権原理をアメリカ大陸で打ちたてようとしたことの表明であると考えています。――グローバルな経済空間を支配することで、各国の領土主権を無効化する。そうした方法で覇権を確立していったのです。(TPPもその流れ)
 そうしたアメリカによるグローバルな経済空間の支配も、今回の金融危機で曲がり角にきているのかもしれません。

バブルの仕組みと日本の先行性

2012-09-20 | 経済と世相
私と同じ問題意識(「日本の社会と経済は、明治以後、そして終戦以後も、欧米先進国の後を追ってきました。
ところがバブルの崩壊と金融危機は、日本が欧米先進国に先立って体験しました。
日本はこれに関しては、世界の最先端を行きました。いつから、そしてどうして日本は、世界の先頭を走るようになったのか?下記URL参照)を持っている人がいました。
水野和夫さんです。エコノミストの水野さんと、哲学者で「国家論」を研究する萱野稔人さんの対談を纏めた『超マクロ展望 世界経済の真実』(集英社新書、2010年10月刊)なる本を県図書館の棚でみつけました。
 第4章の「バブルの仕組みと日本の先行性」に、こう記されている。
 バブルが引き起こされるためには、余剰資本が蓄積される必要があるとして
萱野 そもそもなぜ日本ではアメリカよりも早くバブルが起こったのでしょうか。
水野 前提条件として、日本には自国の貯蓄で十分バブルを起こせるくらいの資本が蓄積されていたということが挙げられます。日本は近代資本主義のしくみ、すなわち実物経済で安く仕入れて高く売るというしくみでもっとも利潤を獲得することができた国なのです。
――アメリカは自国内にバブルを引き起こせるほどの貯蓄がなかったと。――
水野 そうです。アメリカでは貯蓄率が低いわけですから(金融のグローバル化で)他国の貯蓄から(アメリカの)金融空間にお金をもってこなくてはなりません。
――バブルを引き起こすだけのお金を抱え込むのに、アメリカは時間がかかった。その分遅くなったということですね。――
水野 もうひとつ、谷口智彦氏が、80年代の土地バブルはアメリカの対ソ冷戦の構図のなかで起きたということを述べています。
「日本は自らバブルを創出することによって対米資金還流を積極化し、折から軍拡を続けていた米国を金融面で支えたこと、その意味で日本のバブル経済化とは、冷戦にとどめを刺そうとしていた米国の覇権を裏から支える国際政治的意味合いを持っていた」と。
 レーガン政権はソヴィエトと激しい軍拡競争をしましたよね。それによって拡大する財政赤字を日本の企業がファイナンスしたのです。たとえば日本のセイホ、ザ・セイホといわれて、プラザ合意でドル安になったとき、たしか大手7社で1.7兆円を上回る損を出しています。――
 損をしたので引き上げるとなったら、アメリカは困ってしまう。それで、ザ・セイホがドル債で損しても、それをはるかに上回るような含み益があればいいということで、アメリカの要請のもとで日本でバブルが引き起こされたんだという説明です――
 バブルピークは、ベルリンの壁が崩壊した直後の89年12月末に日経平均株価38000円台を記録したときですが、――外国人投資家主導で売り浴びせがなされるんですね。
 アメリカからすれば、冷戦が終われば、日本のマネーはもう必要ないわけですし、日本のプレゼンスがこれ以上大きくなるのは好ましくない

尚、余剰資本について、水野さんは、本の最後でこう述べている。
【今後の世界経済にとって、余剰資本をどうやってコントロールしていくかということは非常に重要な課題になるのではないでしょう。というのも、2008年の金融危機までのバブルによって莫大な金融資本が蓄積されましたが、それは低成長時代にも残って、放っておくとまたバブルを引き起こしかねませんから。
 ――ふたたびバブルが引き起こされて世界経済が壊滅的にならないためには、蓄積された金融資本を別の仕方で活用できるしくみが必要ですね。――
 私はトービン税のような、国際的な金融取引に課税するしくみがいいと思っています。】

http://blog.goo.ne.jp/snozue/d/20120826


NHKスペッシャル 

2012-09-10 | 経済と世相
 9日夜9時から、「NHKスペッシャル 追跡 東日本大震災復興予算19兆円」という番組が放映されました。
 ご覧になった方も多いと思います。
 これはすばらしい内容の番組でした。
 増税までして調達した19兆円の予算が、肝腎の復興に使われず、
かなりの部分、全然関係のない予算に使われているというルポルタージュでした。
 例えば、沖縄の海岸の道路建設に使われた。
昨年まで「台風対策」で進められた道路建設が今年は「地震対策」に目的を変更して「震災予算」で行われている。
「テロ対策」で警察庁の車を「震災予算」で購入している。
(確かに東北の原発がテロにねらわれたら困りますが、車を購入してもテロ防止に効果があるとは思えません。)
 はては、南極捕鯨の安全操業の予算に使われている。
(この意味が分らない。捕鯨船の船員に東北出身の人が居るとでもいうのか?)
 一方「震災地の商店街復興予算」は、予算が足りなくて却下された。等々です。

今日の日本の政治の実態を余すところなく示しています。
霞が関のお役人は、自分の管轄部門に予算を回すことだけに熱心で、「国民の血税だから、一円でも無駄にしないように」という意識は全くないようです。
そして民主党政権は、その霞ヶ関に、政治を丸投げしているだけ!(自民党政権でも同じだったかも?)
 話は変わりますが、「消費税増税」は「日本の財政状態を改善する」、
つまり「財政赤字を少なくする」ための増税とされていますが、私は「消費税増税」で日本の財政が改善されるとは思いません。
 なぜなら、増税でカネが這入れば、政治家と霞ヶ関で、「待ってました!」と、余分なところに使って赤字を増やしてしまうからです。
 そういうメカニズムがよく分る番組でした。
ご覧になれなかった方、再放送のときは、是非ご覧ください。

植物学者の文明論(2)

2012-09-04 | 読書
 イースター島、ご存知ですね。モアイという巨大石像が有名な島です。
島の東側でラノララクという小さな火山がある。今は噴火していないが、高さ75mぐらい。その火山の火口壁が、モアイの切り出し現場。火口壁は凝灰岩という岩、柔らかい岩石で、モアイはこれから削りだされる。
 筆者の推定によると、ヒョウタンに水を汲み、その水を原料の石にかけながら削った。凝灰岩は上のほうは風化していて水を吸い加工しやすくなる。日本でも石屋さんが墓石を加工するとき水をかけながらやるそうです。
 ではどうやって(海岸まで)運搬したか?アメリカのムロイという考古学者が考えた説が有力で、モアイに添え木を当てて、ロープで立てたり転がしたりして運んだ。ここで筆者の植物学者たる面目を示す仮説を提唱しています。
 ムロイの方法ではモアイが割れてしまう。割れないためにはクッションが要る。火口湖に生えるトトラという草をクッションに使った。さらに運搬のロープや丸太が要る。これらは木から作られた。現在のイースター島には、木は茂っていない。火口湖をボーリングして、そこに残っている花粉を調べたら木が出てきた。
 人口が増え、木をどんどん使ってしまい昔あった森をなくしてしまった。こうしてモアイを運搬できなくなった。現代の社会、地球を象徴するモデルケースだろ筆者は述べています。

 屋久島とブータンの話も面白い。ブータンの林と屋久島の林が似ているという。
 ブータンの植物の状態が、日本に知られるようになったのは、戦後、中尾佐助が1958年に、ブータンに行き、本や論文で紹介してからです。ブータンにすばらしい森林が残っている。それも常緑樹林、針葉樹、またはシャクナゲの林があるということがわかり、中尾は照葉樹林文化というアイデアを得た。
 常緑樹は、ツバキやユズリハやシイもタブもそうですが、葉の表面がちょっとテカテカして、光るので「照葉」といいますが、日本の関東以西には照葉樹林が発達している。ブータンの常緑樹もシイ、カシを中心とする照葉樹林です。ブータン人と日本人は顔つきが非常に似ていて、日本と共通する食べ物があります。
 例えばお茶や納豆、さらに麹を使ってお酒を造るなど、発酵食品文化もある。さらにソバもそうです。ブータン人もソバは大好きです
 照葉樹林のところで暮らすブータンの人々と、日本人の生活が似ていて、しかも照葉樹林がそこに発達している。照葉樹林はブータンと日本の間にあり、中国の南部のほうも、シイ、カシの種類が分布している。そうすると、中国をはさんで、ブータンと日本の両極端に似ている木があって、似ているような食物や習慣がある。これは一つの文化にまとめておいたほうがいいと、中尾は「照葉樹林文化」を提唱した。
 中尾は「照葉樹林文化」を日本で思いつき、ブータンと日本の間の中国南部、雲南省あたりに照葉樹林文化の中心地があるのでは、と述べていた。
しかし、1984年、はじめて雲南省を訪れ「私が最初にヒマラヤではなく、雲南にいっていたら、照葉樹林文化と命名するのをためらったのではないか」と記している。
 雲南省には森らしい森はなかった。中国5000年の歴史は木をきり続けた歴史だった。万里の長城は木の犠牲によって成り立っている。長城を築くレンガは木を燃料として焼いたのだ

 そのほか、日本のモウソウチクは帰化植物であり、近年、マツが全国的にかれてしまったのと対照的にタケがはびこってきた。住民がタケを利用しなくなり竹林の手入れをしなくなったから。といった話も紹介されています。

植物学者の文明論(1)

2012-09-03 | 読書
植物学者の湯浅浩史さんが、面白い本を出したと聞き、大学図書館で借りてきました。
『植物からの警告』(湯浅浩史著、ちくま新書12年7月刊)です。
著者は、1940年生まれ。書名の意味は、
【動物と違い植物は動くことができません。動物よりも、環境と強く結びついている。ひとたび環境が激変すれば、植物は枯れていくしかない。
 たとえば、降雨量がいちじるしく減少した土地では、耐性の強い植物の親はなんとか生きながらえることができますが、子ども(苗や若木)はそうはいかない。親の周りに、その子どもがまったく見られない。植物の「高齢化社会」です。こうした問題が生じている場所が世界中には沢山あって、高齢化の危機に直面している植物は少なくない。
 植物たちは、今起こりつつある環境変動を身をもって体験し、その激烈さを私たち人間に警告している。】
 本川達雄先生は、生物学者の文明論を展開していますが、湯浅先生は、植物学者の文明論をこの書で展開しています。(湯浅先生の主張は、下記で見ることができます。
http://www.athome-academy.jp/archive/biology/0000000117_all.html
私の読書感想文より、このサイトのほうが分りやすいかもしれません。)
 【「地球温暖化」という言葉からは、問題の元凶を気温の上昇だけに集約するような印象を受けます。問題の本質を正確に表してしていない。「気候変動」と言う言葉のほうがより適切です。地球温暖化の危機を強く主張する人は、気温が数度高くなると警告しておりますが、気温上昇が及ぼす影響よりも雨の降り方が変化する影響のほうが、環境に与えるインパクトという点でずっと過酷です。
 乾燥地では、まったく雨が降らないかと思えば、翌年には信じられないくらい大量に降る。温暖化の場合、気候の変化は数度の上昇ですが、降水量の場合はゼロか一かというふうに極端にあらわれている。】
 植物にも「高齢化社会」があるという話。
 筆者は、マダカスカル島の巨木バオバブの研究を40年来行っているそうですが、近年、マダカスカルでは雨の降り方に変化が生じている。バオバブの種子は、水が十分にない環境では芽を出しません。種子の大きさはギンナンより少し小さいくらいで殻がとても堅い。  この堅い殻がたっぷりとした水でふやかされないと、バオバブは発芽しない。たとえ発芽しても、その後に雨が適度に降り続けないと、大きく育つことができない。
マダカスカル西部の観光名所になっているムルンダヴァなどの地域では、バオバブの次の世代が育っていない。若い木がまったく見当たらない。
地球に優しい」って
マダカスカル南部では見渡す限りのアルオウデイアという多肉植物、地球の気候変動で雨の降り方が遅くなり、種子をこぼす時期に雨が降らず発芽が困難になっているのですが、林を切り倒して広大な面積のサイザル麻畑がつくられました。サイザル麻は、昨今のエコ・ブームによって、にわかに需要がたかまった。ナイロンのような石油製品とは異なり、サイザル麻は「地球に優しい」。なぜなら燃やしてもダイオキシンを出したり、環境に過度なダメージを与えない。そうした理由でヨーロッパなどに繊維として輸出されている。
 しかしその結果、アルオウデイアの林に住む、シファという原猿は住む場所を失いつつある。(つづく)

子どもにほめられました

2012-09-01 | 水泳
9月28日のレインボーカップ大会、200mバタフライに出場します。
2バタは、近くではこの大会だけですから、今年もエントリーしました。
100mはそんなにきつくないのですが、200mは覚悟しないと泳げません。
毎年近くの名城公園プール(屋外)が7月20日から8月末まで開業しますので、
11枚つづりの回数券(\1000)を買って、雨降りの日に出かけて2バタを泳ぐのです。
10回ぐらい泳げれば、なんとか大会で泳げる筈と思っているのです。
例年、10回ぐらいは雨が降るので、その日はプール借りきりで泳げるのです。
ところが今年は雨が少なかった!開業日の7月20日は雨が降り、22日も雨で、2バタを泳げました。
ところがその後雨が降らない。一回だけ夕方雷雨があって出かけましたが、30分ほどカミナリがやむまで待たされました。
というわけで、今月下旬になって、回数券が消化できない!
と、今度は連日朝一番(10時)プールに入り、開業から10分ぐらいの時間が勝負!バタの練習をします。
10時半になると、満杯で泳げません。
何とか、31日の最終日で回数券を消化し、今夏11回の2バタを泳ぎました。
 泳ぎ終わって「フーッ」と息をついたら、10歳ぐらいの小学生らしい男の子が、賛嘆のまなざしで「すごいねっ」。
「ゆっくり泳ぐから凄いことないよ」、「ゆっくりでも泳ぎ続けるって凄い!」
子どもにほめられました。
実際、2バタは練習場に苦労するのです。先日、東区プールへ行ったら、たまたま空いていたので、
「そうだ2バタ、やってみよう」と泳ぎだしたら、100m過ぎに新しいお客さんが来て泳ぎだしました。
115mぐらいで手が当たってしまい、「ゴメン」と止まって謝ったら、もう泳げません。
まぁ、なんとか28日の大会は泳げると思います。
完泳さえすれば、マスターズの年鑑で日本のベスト10に入るだろうと、それを楽しみに出場します。

プールの帰り、受付のお姉さんに「来年も生きていたら泳ぎに来ますよ」。