古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

時代小説

2016-02-26 | 読書
昨年2月26日に若くして亡くなった火坂雅志を読んでいます。このところ時代小説に読みふけっています。火坂雅志は2009年NHK大河ドラマ原作となった上杉景勝と直江兼続を描いた『「天地人」(2007中山義秀文学賞)の作者ですから、ご記憶の方も多いと思います。時代小説の書き手として、前回紹介した和田龍と並んで、平成の才筆です。その火坂雅志、「天地人」を読み直し、引き続き『墨染めの鎧』を読みました。
「天地人」で、直江兼続生涯のハイライトは、いわゆる直江状。すなわち上杉景勝に謀反の疑いありとし「上洛し釈明せよ」との家康にこれを拒否し、逆に家康の理不尽さを難詰した(これがきっかけで関ケ原合戦が始まる)のですが、この作品の面白さは、その後、西軍関ヶ原の敗戦後、徳川との外交交渉の面白さ。結果として会津120万石から米沢30万石に減俸されるのだが、上杉藩の存続に成功した。そのへんの物語の詳細が面白い。
もう一つの見どころは、千利休切腹の背景に石田三成らの「中央集権」派と秀吉をウ後ろ盾にした「地方分権」派との対立があるという作者の仮説。「中央政権」体制に魅力を感じていた秀吉の存念を利休が見誤った結果という作者の仮説です。仮説が歴史小説の面白さですね。
「墨染の鎧」の主人公は安国寺恵瓊です。毛利家の使僧として外交交渉に才能を発揮します。
本能寺の変で、恵瓊の果たした役割(この辺りは筆者の仮説?)、その後の豊臣政権で石田三成と天下の仕置きを画策、秀吉没後は関ケ原疫に至るまでの恵瓊の動きを描いています。
関ヶ原では、一軍を率いて南宮山に陣を敷きながら、吉川広家の内通によって動けず、戦いに加われないまま敗北します
 小説とはいえ、「天地人」でもそうでしたが、資料を丹念に調査し、納得いく説明で安国寺恵瓊を描いています。

前立腺がんの再診

2016-02-25 | Weblog・人生・その他
2月24日、9時半過ぎ自転車を転がして西部医療センターに行きました。前立腺がんの再診です。病院に着きロビー中央に店開きしている受付で、保険証を確認してもらい、診察券を出すと、看護師が自動受付機に診察券を入れ、予定表がでてきた。「⑬の受付で検体検査をしてください」とある。死具⑬へ行くと、ここにも自動受付機があって、診察券を通すと、採尿コップと採血順番票が出てきた。もちろんコップには氏名が印刷されている。ただちにトイレに行き、尿を採って窓口に提出。採血待合室に行き順番を待つ。採血時、予定表のファイルの中の順番票を見て、氏名を聞く。氏名を確認する。採血後、予定表ファイルを返してくれたので、次を見ると、「泌尿器科窓口⑫へ行ってくれとあるので、10時、⑫窓口に行くと、「泌尿器科②診察室近くで待ってください」と言う。
 ここまでは機械化されているので早かったが、ここから待たされる時間が長かった。診察室に入れたのは、11時半、1時間半ほど待たされた。
 前回と同じ先生で、私が席に座るとすぐコンピュータから先ほどの検査結果がオウトプット、渡してくれた。
 見てみると、PSA値は0.279です。前回3.421でしたから。びっくりするくらい良くなっている。
「PSA値がすごく良いのですが、薬の効果ですか?」、「そうでしょうね」
「薬は女性ホルモンですか」
「いや、男性ホルモンの機能を弱くする薬です。男性ホルモンを少なくすると、もともと体内で作られる女性ホルモンが結果として増えます。」
 先日読んだ福岡伸一さんの本にこんな記述があったことを思いだした。。
『近年、明らかになってきた免疫系の注目すべき知見のひとつに性ホルモンと免疫システムの密接な関係がある。主要な男性ホルモンであるテストステロンは、免疫システムに抑制的に働く。』
「来月も検査の結果、PSA値が低ければ、半年後予定の放射線治療は必要なくなりますか」
「薬と放射線とを組み合わせると効果が大きい。薬だけだと治療期間が長くなり、少なくとも3年はのみ続けることになります。治療法は、手術と放射線と薬(注射も含む)ですが、一般に75歳以上は手術しません。80歳以上は放射線治療も行いません、あなたの場合、80歳前で、ぎりぎり放射線治療が可能ということになります。放射線といえども体を痛めるわけですから、あまり高齢の人には出来ないのです。ですから。あなたが希望されれば、薬のみの治療にしてもよいのですが、その前にCTスキャンで病状を確認したいと考えます。今日CTを撮っていってください。結果は1日にお知らせしますので、3月1日午後、再診に来てください」。その後画像診断室にいきCTを撮影して12時半終わりました。

出来損ないの男たち

2016-02-23 | 読書
「出来損ないの男たち」(光文社新書)という本を読みました。
福岡伸一さんの2008年の力作、「分子生物学者の男性・女性論」です。以下、その紹介。
長生きするための最も簡単な方法がある。それは、女性で生まれること。現在、日本人男性の平均寿命(つまり誕生時の平均余命)は79.19歳。女性は85.99歳、ゼロ歳時で既に約7年の差がある。80歳を超えると、男性の数は女性の半分、100歳を超えると6分の1になる。
日本だけでなく、人口調査が行われている世界中の国で男の方が短命なのです。歴史的、社会的にでなく。生物学的に男の方が弱いのです。「弱きものなんじの名は男」です。
どうして女性の方が長生きできるか。
近年、明らかになってきた免疫系の注目すべき知見のひとつに性ホルモンと免疫システムの密接な関係がある。主要な男性ホルモンであるテストステロンは、免疫システムに抑制的に働く。
 聖書によると、イブはアダムから作られた。しかし、今日の生物学は逆であることを証明している。受精卵は受精後6週目に、Y染色体上のSRY遺伝子のスイッチがオンになれば男性になる。オンにならなければ、そのまま細胞分裂を繰り返し女性になるのだ。テストストロンはSRY遺伝子の忠実な僕で以後、受精24週目まで胎児はテストストロンのシャワーを浴び続けて男になるのだ。
 人間の体は、消化管の内部も子宮の内部も生物学的に言うと、身体にとっては外部です。このような見方をトポロジー(位相幾何学)的という。トポロジー的には、消化管はチクワの穴のようなもので、口、食堂、胃、小腸、大腸、肛門は身体を突き抜ける中空の穴です。食べ物は口から入り胃や腸に達するがこの時点では、食物は身体の「内部」に入ったわけではない。外部である消化管のなかで消化され、低分子化されて消化器壁を透過して血液中に入った時、食べ物は身体の内部に入ったことになる。
 子宮も同様に体の外部である。子宮は皮膚の一部が内側に陥入しできた袋ととらえることが出来る。その袋に種が迷い込み、袋の奥深くに安置されていたもう一つの種と融合して受精卵が出来る。
実は人間の身体に空いている孔はすべて一種の袋小路である。耳の穴も、汗腺も涙腺も穴の底は閉じている。尿道もそうだ。消化管以外の穴はすべて表面に爪楊枝を刺して作ったくぼみでしかない。
 これは驚くにあたらない。私たちの遠い祖先は現在のミミズみたいな存在だった。ミミズは消化管に沿って分布する神経回路網によって精密にコントロールされている。現在、優れた「脳」、つまり中枢神経系を持った私たちも、消化管にそって緻密な末梢神経系を持っている。脳で情報伝達にかかわっている神経ペプチドと呼ばれるホルモンはほとんど同じものが消化管の神経細胞でも使われている。英語で第六感をガット(GUT)フィーリングという。意思のことをガッツ(GUTS)という。ガットとは腸のことである。私たちはもっぱら思惟は脳にありと思っているが、実証されていない。消化管神経回路をリトル・ブレインと呼ぶ研究者もいる。もしかすると、人間は考える葦でなく、考える管かもしれない。
さて、子宮の中で受精卵が胎児になる過程を考えてみよう。
すべての胎児は、染色体の型(男女)に関係なく、受精後約7週目までは同じ道をゆく。
この時点で太ももの間に同じ割れ目が見えるようになる。基本仕様のプログラム進行に何ら干渉がなければ、この後割れ目は女性の生殖器になる。生命の基本仕様は女です。割れ目から細い陥入路が奥へ延びる(ミュラー博士の発見になることからミュラー管と呼ばれる)。ミュラー管は、この後細胞分化によって入り口が膣に、奥に行くに従い広がりつつ子宮、そして卵管を作る。一番奥は卵巣である。
 SRY遺伝子の作用により、胎児が男になるには、まずしなければならない変更は?
 それは何はともあれ、割れ目を閉じ合せることである。男なら皆、自分の身体の微妙な場所で、それが実際に起こったことだということを知っている。睾丸を含む陰嚢を持ち上げてみると、肛門から上に向かって一筋の縫い跡がある。それは陰嚢の袋の真ん中を通過してペニスの付け根に帆を張り、ペニスの裏側までまっすぐに続いている。俗に「蟻の門渡り(とわたり」と呼ばれる細い筋である。この筋こそ、生命の基本仕様(女)に介入してカストマイズされ男になった痕跡である。
 以上で、私が「分子生物学者の男性・女性論」と述べた理由がお分かり頂けると思います。
更に詳細をお知りになりたい方は、本に直接あたってください。

のぼうの城

2016-02-20 | 読書
 『のぼうの城』という小説を読みました。和田龍著、著者はWikipedeaによると、大阪で生まれ、生後3ヶ月から広島市安佐南区川内で育つ]。広島市立川内小学校を経て広島市立城南中学校2年の時に東京に引越。早大政治経済学部を卒業後、番組制作会社泉放送制作に就職。
「竜」という名前は、坂本竜馬が好きだった母が付けた。歴史に興味を持ったのは大学時代、「自分の名前の元ネタの人の小説でも読むか」と司馬遼太郎の『竜馬がゆく』を手にしたのが切っ掛け。 
当初は脚本家を志し、2003年(平成15年)12月、オリジナル脚本『忍ぶの城』で第29回城戸賞を受賞する。
2007年(平成19年)11月、『忍ぶの城』を自ら小説化、『のぼうの城』として出版。明瞭で痛快にテンポよく進む時代物で、従来とはテイストが異なる"ニューウェーブ時代小説"の旗手として脚光を浴びる。同作は、翌2008年7月、第139回直木賞候補作に選ばれた。
2009年(平成21年)、『忍びの国』で第30回吉川英治文学新人賞候補。
2012年(平成24年)和田自ら脚本を担当した『のぼうの城』が映画化され公開。
2014年(平成26年)、小学生のころ家族で訪れた因島で知った村上水軍を題材にした『村上海賊の娘』で第35回吉川英治文学新人賞と2014年本屋大賞、題名の「のぼう」とは主人公が「でくのぼう」を略して「のぼう様」と呼ばれたことからくる。
秀吉の小田原征伐、豊臣側に抵抗するべく、北条氏政は関東各地の支城の城主に籠城に参加するよう通達した。支城の一つであった忍(おし)城(現在の埼玉県行田市)も城主の成田氏長は、豊臣に内応を決めながら、主力を引き連れ小田原城に入る。この主力の抜けた忍城を石田三成の大軍が攻める。この攻防戦の物語です。攻めあぐねた三成はついに水攻めをするが、これも城方は跳ね返す。このストーリー展開が実に面白い。読了して、新しい才能だな、と感心しました。とにかく面白い!面白さの追及ではまさに平成の才筆です。
難しいことは無しにして、面白いストーリーを読みたい方にはおすすめの本です。



数学する身体

2016-02-10 | 読書
 『数学する身体』(守田真生著、新潮社)の書評を中日(2月7日)で見て読んでみることにした。
著者は、東大数学科を卒業、現在は「独立研究者」を名乗り、特定の組織に属することなく数学の研究に没頭している。
 『数えるという行為から始まった数学の歴史をたどりながら、20世紀の同時代を生きた数学者、岡潔(1901~78)とアラン・チューリング(1912~54)の二人に多くのページを割く。性格も研究も思想も異なる彼らだが、数学を通して「心」を解明しようとした点は共通している。
「数学は情緒だ」と繰り返した岡、彼の著書「日本のこころ」に出会ったことが、筆者の数学の道へ転じる(東大には最初文系で入学した)きっかけになった。
「数学者の基底にあるのは、『なんとなくわかる』という実感、心の働きだ」と岡の意を説明する。たとえば350年間難問であり続けた「フェルマーの最終定理」も「ほとんどの人は、なんとなく正しいとわかっていた。
しかしそうした実感だけでは数学にならない。わかったことを知的に表現するのに必要なのが数式」。
「美しい風景を見た時、自分以外の誰かと分かち合いたいと人間は思う。感動を共有するために、美術家は美術を、音楽家は音楽を、そして数学者は数学を用いるのです」。』
以上の中日の記述にチューリングに関する以下の記述を加えれば、この本の完璧な紹介になるでしょう。
 チューリングは、人間の心を「玉ねぎの皮」に例えて、こんなふうに語っている。
 人間の心、あるいは脳の機能の少なくとも一部は、機械的なプロセスとして理解できるはずである。ただし機械の振る舞いとして説明できるのは「本当の心」のごく表層に過ぎない。それは、隠された「芯」に辿り着くために剥きとられなければならない、表面の皮のようなものである。1枚1枚、皮を剥きとりながら芯に近づいていこうとするように、機械で説明できる心の機能を一つづつ「剥いて」いけば、私たちは次第に「本当の心」に近づいていくことだろう。
 しかし、目指すべき「芯」が、端から存在しないとしたらどうだろうか。皮を剥いていった果てに、最後にあるのが、中身のない皮であったら。その時人は、心ははじめから機械であったと知る。このようにチューリングは論ずる。
1936年彼は、およそ「計算」と呼びうるあらゆる手続きが、単純な機械的動作の組み合わせによって表現できることを示した。計算の機械化―――それは彼が剥いた際初の皮だ。
 むろん、計算が心のすべてではない。本当の心は、その奥に隠されている。チューリングはそれを承知していた。彼が次に関心を寄せたのは、ひらめきや洞察という人間の心の働きである。ひらめきや洞察のような能力こそが、機械と人間の心を隔てる分水嶺だと考える人もいる。それでも、チューリングは歩みを止めない。
 第二次世界大戦中、彼はボムという機械を作って解読不能といわれた暗号エニグマを解読、暗号解読という極めて創造的な作業を、機械的な「検索」の力を借りて、成し遂げたのだ。一見、知的なひらめきや洞察に見えることでも、ある種の効率的な「検索」によって実現できてしまう場合がる。彼はそれを暗合解読の過程で学んだ。チューリング・ボムも彼が剥いた皮である。
 次第に、彼は「間違う可能性」が、機械と人を分かつ重大な能力であることに気づく。

観光立国論

2016-02-08 | 読書
『新・観光立国論』(デービッド・アトキンソン著、東洋経済新報2015年6月刊)を県図書館で見つけ、借りてきました。
 昨年の山本七平賞受賞の本で、筆者は小西美術工芸社社長、1965年イギリス生まれ、オックスフォード大学「日本学」専攻1992年ゴールドマン・サックス入社日本の不良債権の実態を暴くレポ-トを発表し注目される。1999年裏千家入門、2009年国宝・重要文化財の補修を手がける小西美術工芸社に入社、2010年同社会長、2011年会長兼社長に就任。というユニークな経歴の方です。
 筆者の主張を簡単に要約すると、
 経済成長とはGDPを成長させることだ。ところがGDPを決める最大の要因は人口である。データ面から見てみよう。
先進国の人口とGDP
国名 人口(2015IMF) GDP(100万ドル)2014IMF 一人当たりGDP(ドル)
アメリカ 320,698,000 17,418,925 54,316
日本 126,910,000 4,616,335 36,375
ドイツ 80,959,000 3,859,547 47,693
イギリス 64,800,000 2,945,146 45,450
フランス 66,109,000 2,846,889 43,064
イタリヤ 60,738,845 2,147,952 35,335
合計 720,230,845 33,834,794 46,978
日本のすごい点は1億人の人口を有しているのに、先進国になっている点です。1億以上の人口で先進国は日本とアメリカだけです。

2013年の日本の人口は1億2700万人。GDPは約6000億ドル、1人当たり36375ドルで、人口5000万人を上回る先進国の一人当たりGDPの平均は46978ドルでした。
 日本社会の効率性が上がって、一人当たりGDPがこの46978ドルになったとすれば、人口が9913万人(2048年内閣府予想)に減った場合、GDPは約4兆7000億ドル。人口が減っても意外にGDPは減らず横ばいです。生産性向上はGDPの維持には効果がある。ただ問題は効率性向上は人口減少を吸収する力はあってもGDPを成長させる力はない。
 人口5000万を超える国家の場合、どんなに効率を上げても、一人当たりGDPは国際平均に収斂されていくからです。
このため少子化の進む日本は極めて「成長しづらい国」になっている。では人口を増やす移民策をとれば経済成長はしやすいのではないか?ところが移民策には負の側面がある。そこで負の側面を持たない短期移民策を取ったらどうかというのが筆者の提言である。
「短期移民」とは観光客の意味である。
既に観光客は充分来ている。2013年には年間1300万人、昨年は2000万人に近づいている。日本は観光面でも大国ではないかと思われるかもしれない。それが根本的に間違っている。「観光大国」と言えるためには、GDPのなかに占める観光収入の比率が世界の国の中で平均並み以上でなければならない。2014年の報告では、世界の観光産業は全世界のGDPの9%を占めています。観光輸出額は全世界のGDPの6%です。従って、この数値を上回ることが、観光大国たる最低条件です。日本の2013年のデータでは、観光収入はGDPの0.4%に過ぎない。
 ところが日本のこの比率は実に0.4%で日本は「観光後進国」です。
GDPと観光収入
国名 観光収入(100万ドル) GDP(100万ドル) 比率(%)
アメリカ 214、772 17,418,925 1.2
スペイン 67、606 1,406855 4.8
フランス 66,064 2.846,889 2.3
イギリス 49,404 2,945,146 1.7
イタリヤ 46.190 2,147,952 2.2
オーストラリヤ 33,376 437,123 1.7
オランダ 22,667 866,354 2.6
合計 522,699 29,513,433 1.8
日本 16,865 46,163,354 0.4
 日本は「観光大国」になりうる潜在能力は十分あります。 何故なら、「観光立国」ができる4条件は、「気候」、「自然」、「文化」、「食事」です。この4条件をいずれも満たす稀有の国が日本だからです。
 以下各章で、「観光資源として何を発信するか」、「観光立国に相手のニーズとビジネスの始点を」、「観光立国のためのマーケッチングとロジスチックス」と「観光立国」を進める方策を展開しています。
 人口がGDPを決めるというのは、人口が需要額、すなわちお金の消費額を決めるから。
となれば、外国人であっても日本で消費する人口が増えれば、観光立国で経済成長をはかるべきうだという筆者の主張は充分頷けます。