古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

6月29日は株主総会

2017-06-30 | 経済と世相

6月29日は、昨年と同じく、株主総会の日だった。

9時過ぎ家を出て市バスで大津橋に行き、歩いて会場の銀行協会ホールには9時半着いた。

ぼつぼつ顔なじみの知人が姿を現した。

「今年も質問されるんでしょう」。

「質問しないと、あいつ死んじゃったかな?と誤解されるから」

10時、開会。会長が議長席に就き、「報告事項、決議事項の説明が終わってから質問を受けます」。

報告事項がスライドを使い、アナウンスされた。売り上げは850億円と前期比36億円の増。経常利益20.1億円の減ということだった。配当は期末15円、期中の15円と合せて1株当たり年30円だ。決議事項の余剰金の処理、役員の選任、役員賞与の件が終わると、質疑に入る。私より早く手を挙げた人がいる。私は2番目になった!

「最近テスラなどEV(電気自動車)の話題が報道されているが、Evの普及で、メタルの需要は減少すると思われる。この課題に経営者はどう対応する考えか?」

 社長が立った。「2030年時点で、ハイブリッド・カー含めてEVは30%程度、それもインフラの普及や電池の開発を考えると、エンジン車がなくなるとは思われない。もちろん新技術の対応は準備しなくてはならないが」

2番目に小生が経った。

「所在地別売上・営業損益を見ると、北米は、売り上げが+23.2%の増収にも拘わらず損益はマイナスになっている。説明によると、「自動車用エンジン軸受けの急激な増産に伴う経費増加で利益下ぶれ」とあります。23%も増収なら黒字になると思うのが常識だが、経費増加になって減益という事情を説明してほしい。物流コスト、製造コスト、いずれの影響が大きかったか?

また、4~6月は黒字になっているのか?」

これも社長が立った。「立ち上がりに、注文が殺到し、ラインが混乱し・配送コストも膨らんだ。全社をあげての支援で正常化しつつある。」

なんかよくわからないなぁと思っていたら、Kさんが関連質問に立つ。

「プロジェクトの立ち上がりの管理が甘いのでは?ラインの整備がおわらないうちに注文だけ受けてしまって納期を間に合わせるため航空便で届けていたら配送コストが膨らむのは当然では?」

社長は「貴重なご意見有難うございます」と、否定しなかった。

 なるほど、社長の説明より分かり易い。飛行機で納入していたの。それにしても、K君の情報入手力は凄い!

、「次のご質問は?」と言うので再度手を挙げた。

「日本および英国の子会社で、固定資産減益損失24.4億円を計上している。これはどういう固定資産がどういう状況だったかを説明ください。

経理担当のS専務が答弁するかと思ったら、これも社長。今年はほとんどの質問を社長が裁いていた。

「国内は関連会社のN社の土地の評価が下がっていたことで、減損処理した。また海外は、英国の会社が収益が悪化、収益力の低下を資産評価に反映したものです」。

Kさんがまた関連質問に立った。

「特別損失が多すぎます。この10年で150億円もあります。土地の評価が20億円も下がったということは、最初の株式取得時の評価が高すぎたのでは?これもプロジェクトの立ち上げ時点に問題があったのでは」。

次の質問も小生。

「p7の電気二重層キャパシター用電極シートについて説明ください。製造工程(メタルの製造工程の技術を応用できる工程?)、国内の市場規模、当社のシェア、市場の増加傾向など

また電力・エネルギー関連の発電設備用の特殊軸受けとは具体的にどういう軸受ですか

「「アルミ箔に活性炭の層を薄く貼り付け、コンデンサーに用いる。組み付けた製品(電池の機能が注目されている)としての市場規模は100億円ぐらいである」

「特殊軸受けとは、発電用風車の軸受けなどです」

今年は真面目な質問が多かった。印象に残った質問に触れると、

「役員の選任について。役員が高齢化している。もっと若い人を登用すべきでは」

「報告事項に対する質問と、決議議案に対する質問は一括でなく、別々にすべきでは」

「AI(人工知能)の発展をどう活用するか?」

「製品検査で人に代わってカメラで検査するシステムを検討している」。

最後は、上程議案を拍手で承認した。結局、配当が年30円に増えているので、内容に多少問題があっても承認と言うことか。

12時5分総会は終了しました。


人工知能の核心

2017-06-28 | 読書

中学生棋士の29連勝で将棋の話題がにぎやかです。そこで、将棋に関連する本を読もうと、『人工知能の核心』(羽生善治&NHKスペッシャル取材班著、2017年3月NHK新書)を図書館で借りてきました。読み終えて、羽生善治と言う人は実によく人工知能を勉強していると感服しました。

将棋ソフトの基本的考えは、指し手でする変化盤面の評価関数を計算して指し手を選択するというものですから、膨大な計算量、ビッグデータ処理を可能にするハードウェアの進歩が、必要になります。

次のような記述ぶりに羽生さんの勉強ぶりがわかります。

人工知能には「時間」の概念がない。

人工知能の開発には「時間」の要素を取り入れることが課題になります。

例えば静止画像のデータを扱うのには人工知能は長けている。しかし動画になると、画像データを連続でとらえる処理は計算量が爆発的に増えてうまくいっていない。

 逆に言うと、がんの診断で人工知能が成果を出しているのは、X線写真がそもそも静止画像だからです。

 私は「美意識」には「時間」が大きく関わっているように思うのです。

 たとえば、棋士が将棋ソフトの指し手に覚える違和感、煎じ詰めると一つ一つの手は素晴らしくても、そこに秩序だった流れが感じられないことに由来しているように思います。

 人工知能が「時間」の概念を獲得できるかという問いは、これから大きなテーマになっていく。

 対極の際、棋士はおおまかには三つのプロセスで将棋を考える盤面に向き合った棋士は、相手の指し手を受けて「直観」で大まかな判断をするところから始める

将棋は一つの局面で。平均80通りの指し手があると言われる。そこを、「ここは中心ではない。急所、要点ではない」と思い切って2,3手に絞るのです。それ以外の可能性は考えません。ありうる手をすべて検討していたら膨大な時間がかかってしまいます。

こうして手を絞り込んだ後に、今度は「読み」に入る。これが第二のプロセスです。「直観」によって手を絞り込んでいるにも関わらず10手先をすべて読むことは多くの人が想像する以上にはるかに難しい。

そこで登場するのが、3番目の「大局観」。一手一手を検討することからあえて離れて序盤から終盤までの流れを総括して、先の戦略を考える。

この「大局観」の1番のメリットも、第一のプロセスである「直観」と同じで無駄な考えを省略できることです。

つまり、考えずに済む手を引き算するのが大局観であると言えます。

「直感」と「大局観」では「図形の認識能力」が鍵です。

アルファ碁を開発したヂープマインド社は、大きな目標として「汎用人工知能」をめざしている。囲碁を学習させた時の内容をそのままで他の分野に転用することは出来ないにせよ、学習の仕組みは同じヂープラーニングを用いているからだ。更にいえば、汎用性を持つ人工知能の開発を目指すベンチャー企業は世界中にある。一筋縄ではいかないだろうが、ここ数年の進歩のスピードをみていると、その実現の日はそう遠くはないかもしれない。

そのときかつてのワープロとパソコンのように、パソコンが人工知能にとって代わられている可能性もある。


将軍さまの日本経済論

2017-06-26 | 経済と世相

『なぜ日本経済が21世紀をリードするのか』(徳川家広著、2012年2月NHK新書)という本を大学図書館で見つけ借りてきました。

著者は、世が世なら将軍さまですが、政治経済評論家、翻訳家として活躍されてみえるようです。

徳川さんは、「今から10年経たないうちに、日本が全世界から憧れの目を持ってみられる“唯一の先進国”となり全世界が日本モデルの模倣に躍起となる」しかも「世界における日本の立場が劇的に変化するであろう原因は日本ではなく、今の世界経済の在り方にある」と説きます。

「1980年頃に復活した資本主義経済が、ついに力つきようとしている」

つまり、資本主義が変容することが、日本の社会を世界のリード役に押し出す。従って日本経済の本当の強さを理解するには、資本主義の本質を知らないといけない。全6章のこの本で第1章から第4章までを資本主義経済の解説に費やしています。

資本主義の終焉を、徳川さんは、米国経済の現状から説明する。

アメリカ企業はIT技術による労働力の代替と海外の低賃金国への労働過程の「輸出」という手段で人件費をどんどん圧縮し利潤を増やしている。

産業革命は、エネルギーを労働力の代替としてきた。自由主義的法制の下で、資本家が利潤を増やそうとしてエネルギー使用を増やすことで、労働者は職場から駆逐され、その結果、需要が縮小するというのが資本主義の根にある病理です。

この病理を持つ米国を支えているのが、ドルの基軸通貨制とエネルギー。

米国の「帝国主義」は植民地と言う形をとらない。米国自体が植民地状態から戦争を通じて独立を勝ち取った。植民地支配は国是に反するのです。米国の採用した帝国主義戦略は第二次世界大戦後の米国の経済的優位に基づいた「ドル本位制」。冷戦の中で米国の軍事力を支えなくてはいけないという要請から、いわゆる西側諸国はアメリカが金本位制を離脱した後もドルを基軸通貨として受け入れてきた。米国政府の金の備蓄量と無関係にドル紙幣が発行され、しかもそのドルが世界のどの国でも受け取ってもらえる基軸通貨であるという現実を、米国は徹底して活用しました。輸入をどんどん増やして国民の生活水準を維持し、輸入代金を輸出で稼いだ外貨で支払うのでなく刷り増したドルで支払い、国内経済活性化のために発行する国債を、外国政府にひきうけさせてきたのです。

 その一方、エネルギーは社会の労働力に追加される富の源泉である。平均値を見れば、エネルギー消費の多い社会ほど生活水準が高い。

現在の米国は日本や仏・独に比べ一人当たりエネルギー消費は約2倍です。平均的米国人が本当に日・仏国人の2倍の豊かさを享受しているとも思えないが、彼らがエネルギーを大量に消費する独自の生活様式を打ち立て、それを当然とみなしていることは事実です。米国人の一人当たりGDPは、日・仏国人とあまり変わらない。一人あたりで米国人の生み出す富が日本人やフランス人とさして変わらないのに米国人のエネルギー消費が日本人やフランス人の倍だということは奇妙です。

 一人当たりGDPと一人当たりエネルギー消費(生活水準)の間のこのズレは、なぜか?ドルが基軸通貨であり、石油輸出機構の決済通貨という事実に原因がある。

もしドルが基軸通貨として諸外国に受け取ってもらえなくなったら、米国人は売れるものは何でも売らなくてはならない。そうなったとき米国にとって最も輸出しやすいのは石炭や天然ガス、石油などエネルギー資源であう。また原油輸入を減らさざるを得ない。ドルが基軸通貨でなくなることで、米国人のエネルギー消費は日本人やドイツ人の水準へと降りてきます。

ドルが1基軸通貨でなくなり、米国が覇権国でなくなる日は近いと思われます。

 さてその時日本の命運はどうなるか。

現在の先進国のうちで先進国にふさわしい経済力と生活様式を維持できるのは日本だけになると徳川さんは言う。

 

日本には、移民問題がない。エネルギー消費効率が高い(GDP1ドルを生み出すに必要なエネルギーは世界で一番低い)。技術水準も高い。

米国の覇権が終焉を迎え、日本は思わぬ恩恵を受けることになる。それは「ドリ幻想」から覚醒するからです。

日本は現在1兆ドルを超える外貨準備の非常に大きな部分を米国財務省証券で保有している。外貨準備が膨れ上がるのは、日本が貿易黒字を、特に米国に対して出し続けているから。国民全体の利益を考えれば、米国に対して貿易黒字が出ない水準まで円をきりあげ日本人お購買力を強化すべきでしょう。あるいは輸出企業の競争力が大切だというのなら、国内で大規模な所得再分配を実施して低所得者層の購買力を増やし輸入を増大させる。脳駅黒字を減らし円の上昇圧力を抑えるべきです。


初夏の花を見に行く

2017-06-24 | Weblog・人生・その他

 

 

 6月23日は住宅のシニアクラブのウオーキングでした。

9時半前、集合場所のエレベータホールに行くが誰も来ない。「あれっ、どうしてこないの?」。Yさんが来た。「今日は暑くなるでしょう。32度になるって。私暑いのに弱いの。悪いけど休ませて」という。「そうか、雨の日はダメだけど、お天気が良すぎるのもだめか」。

そのうちにHさん(男性)が来た。「今日は参加者が少ないみたい」。

しかし、9時半ぎりぎりに女性のKさん、Yさんが来た。4人になった。「4人でいくか」と出掛けることにしました。地下鉄で今池。②出口を出ると、「東部医療センターは右の路、二つ目の角を左」と案内が出ていた。今日の目的地千種公園は東部医療センターの隣です。20分ほど歩いて、医療センター。改築中でした。北隣が千種公園です。ゆり園の傍のベンチに座って休憩を取りながら雑談。

 千種公園は、毎年10000株のゆりが5月下旬から6月下旬にかけて花を咲かせ地域の名所になっています。

「ゆりをバックに記念写真とろうよ」

2~3枚カメラに収めたあと、「次へいこうか」

公園の真ん中にサルビアの花が綺麗に咲いていた。

「徳川園まであるこう」と、千種公園バス停を西へ行き都通1丁目を北に、古出来町から西へ行き、新出来から北へ向かうと「徳川園→」の標識がでている。そこを西へ折れると、徳川園裏の小さな公園に出る・ここまで30分、意外に近い。

ここのベンチに腰を下ろしてお握りを食べる」。南に階段がある。「この階段を上がると徳川美術館ですよ」と小生。「この階段から行ったことないな、北口から園に入ったことはあるけど」、とHさん。

「Kさん敬老パスもってる?」と聞くと「持ってますよ。敬老パスは便利ですね」「Kさん、敬老パス持ってるの。そんな年に見えない」とHさん。

「持ってますよ」とKさんが応ずる。

休憩を終えて西へ少し歩くと徳川園の裏口(北口)。敬老パスを見せて100円で入場。花菖蒲の前で記念撮影。ベンチに腰を下ろし雑談。

風が涼しい。

「意外と熱くないね」。

「ここから大曽根までどれくらい?」

「1kmですよ」。

「4月に市役所からここまで歩いたね。市役所までもおんなじくらい?」

「いや、市役所までは2kmあるから、大曽根までの倍あります。

 徳川園の花々を見た後、黒門口(正門)から大曽根まで歩きました。

地下鉄で帰宅、1時に住宅に帰り着きました。

初夏の花々を見たウオーキングでした。

 


お迎えがきます

2017-06-21 | Weblog・人生・その他

毎年6月22日が夏至と思っていましたが、今年は何故か6月21日が夏至でした。

その21日、久しぶりの雨降りです。西部医療センターで、前立せんがんの再診日でした。いつもは自転車を転がして10分ですが、今日はバスに乗りました。城北橋から医療センターまで、乗ってみるとたった2区(帰りは3区)でした。9時少し前に家を出て9時5分ごろに着きました。機械で受付を済ませ、受付票を持って検体採取室へ、尿を採って提出、血液は79番の順番で30~40人ほど待って採ってもらいました。泌尿器科の受付を9時45分にすませ、後は待ち時間。持参した新書を読みながら11時半まで待ち診察室に入りました。名前を告げると「注射をします。そこに寝てください」。ベッドに横たわりお腹にズブリと皮下注射。イタッと思った時には7万円の注射が終わっていました。

「血液検査のPSA値は0.002(ng/ml)で、注射は良く効いています。しかい、前回のCT画像を検討した結果、やはり肺に前立腺がんが転移していると判断しました」。

「どうすればいいですか?」

「今の治療を続けるしかないですね」。「幸い注射の効果は上がっていますので、続けます」。

「効果がなくなることもありますか」。

「あります。その際は薬を変更しますが、その薬も効果がなくなることがあります」。

「そうなったらどうなるのでしょう」。

「お迎えが来るということです」。(いやにはっきり言う医者だと思った)。

PSAが0.002と言うことは抜群に薬の効果があるということだ。

しかし、効果があるということは、前立せんがんを根治するということではない。前立腺がんの働きを弱める。他の臓器への移転を防ぐということである。

生きている限り飲み続ける必要がある。薬が効かなくなることもありうるから、その時は薬を変更するが、それでも効果がなくなれば、その時、癌は他の臓器に転移しお迎えが来るというわけ。

実は、肺へ転移という診断には私自身は納得していない。水泳の練習では、1回練習に行けば1000mを泳いでいる。1000mも泳げるのに肺が悪いということは考えられないと思うのです。

 それでも肺に転移があると言うなら、ものすごく小さながん細胞だということになる。それを見つけ出した医学の進歩は素晴らしいと思う。

そもそも私の前立腺がんは、痛くもかゆくもないのだから、相当初期の小さながんなのだろうと思う。それを簡単にみつけだす。血液検査で簡単に発見するのだから、医学の進歩は素晴らしい。しかし、病気を見つけ出すことと治すことは別で、見つけ出す手段は進歩したが、治療する手段はそれと同じように進歩したわけではない。

 治療できないとなると、手を尽くして延命することしかできない。

 もっとも、いかに医学が進歩しても、ひとを死なないようにすることは出来ない。だから、医学の出来ることは延命効果でしかないということになろう。

 多分私の死ぬときは、前立せんがんが他の臓器に転移してお迎えが来ることになるのだろう。医者の言うとおりである。自分の死因になる病気がわかるということは、奇妙な気分です。

「次回は9月20日、注射をすることにしましょう」と言われて再診を終わった。レストランでランチを摂って、12時20分帰宅しました。


八十路坂同級会

2017-06-13 | 旅行

 

10日、高校の同級会が開かれた。

11時半、家を出て豊橋に向かう。12時40分豊橋着。飯田線の時間にはまだ1間あったので駅2Fの喫茶店で時間をつぶし、13①時半頃乗り場に行く。奈良から来たM君がベンチに腰を下ろしていた。隣に座って、「元気?」、「うんなんとか」話し込む。

13時41分の「天竜峡行」が来た。乗り込むと懐かしい同級生の顔があちこちに。鈍行電車だから、あちこち止りながら山間に入っていく。湯谷温泉を過ぎると、川が線路に近い。「豊川」の上流だが、地元の人が「板敷川」と呼ぶ美しい流れだ。岩の板が敷き詰められたような美しい流れで、確か井上靖の小説で、この辺りの川の美しさを描いた小説があった。小説の題名が思い出せない。私が10代に読んだ小説だから、昭和31年までの井上靖の作品をすべて読んでみて、題名を思い起こしたい、と思っているが、まだ果たせずにいる。3時10分ごろ「東栄駅」に着く。豊橋から1時間半の旅だった。

 駅には同級生が4~5人車で迎えに来ていた。過疎化でバスも採算に乗らず廃止になっているので迎えの車である。「やぁ久しぶり!」。車に乗り込み15分ぐらいで、山間の宿に着く。「「千代姫荘」という町営の宿泊施設である。

入り口にチェーンソーアートのベンチが置いてある。

 受付を済ませた後、割引券を貰って、町営の温泉に行く。割引券を渡し320円の入場料を払い風呂に入る。割引なしにいくらの温泉かな?と掲示を見たらひとり650円と出ていた。

 確か竹下内閣の時だったが、各自治体に1億円ずつ配布したことがあった。バルブ時のバラマキだったが、おかげでできた温泉である。日本は火山国だから、どこでも掘れば温泉は出てくる。

「本当に温泉?それとも沸かしているの?」。聞くと「源泉は32度くらいだから沸かしている」の返事。1時間ほどで宿に戻る。

幹事が作成してくれた名簿を見ると、卒業時70名(男40、女30)だったのが、生存者は46名(男21、女25)で出席者は26名(男11、女15)だった。「八十路坂同級会」と銘打った同級会だが、80を超えると、女の方が元気であることは明らかになる。

 夕食会は地元産の食品に舌鼓。お酒も地元の銘酒「空」を出してくれた。「志多ら和太鼓」の出演が興をそそる。地元の廃校になった小学校を根拠地として全国から集まる若人が腕を磨き各地に公演しているとか、実際4人の出演者の内一人は香川県から来ているという。

 カラオケが始まる。「何か歌え」と言われて「小樽運河」を歌う。

「精進落としの酒を飲み、別の生き方あったねと、

40路半ばの秋が逝きセピア色した雨が降る」というあの歌。「80路半ば」の唄は無いので「40路半ば」をうたうことにしたのだ。

 9時前、宴を終えたが、会場は徹夜でつかえるから2次会で心行くまで語ってほしいとのことだったが、年の所為ですっかり疲れていたので「二人静」という典雅な名の部屋に引き上げ休んだ。

 あくる日は8時に朝食・配膳い来た女性に「NOZUEさんの弟だよ」と私を紹介された。「お兄さんに良く似ていらっしゃる」という。実家の前の家の奥さんとのこと。町営施設で、地元の奥さん方がパートで働いているのだ。

朝食後「次の同級会の幹事を決めよう」となって、私が指名された。80を過ぎると、幹事をやれる元気な人が少なく成るから、元気なものがやるしかない、と引き受けた。

9時15分JRの駅に送ってもらい同級会を終えました。

 


八十路坂同級会

2017-06-13 | 旅行

10日、高校の同級会が開かれた。

11時半、家を出て豊橋に向かう。12時40分豊橋着。飯田線の時間にはまだ1間あったので駅2Fの喫茶店で時間をつぶし、13①時半頃乗り場に行く。奈良から来たM君がベンチに腰を下ろしていた。隣に座って、「元気?」、「うんなんとか」話し込む。

13時41分の「天竜峡行」が来た。乗り込むと懐かしい同級生の顔があちこちに。鈍行電車だから、あちこち止りながら山間に入っていく。湯谷温泉を過ぎると、川が線路に近い。「豊川」の上流だが、地元の人が「板敷川」と呼ぶ美しい流れだ。岩の板が敷き詰められたような美しい流れで、確か井上靖の小説で、この辺りの川の美しさを描いた小説があった。小説の題名が思い出せない。私が10代に読んだ小説だから、昭和31年までの井上靖の作品をすべて読んでみて、題名を思い起こしたい、と思っているが、まだ果たせずにいる。3時10分ごろ「東栄駅」に着く。豊橋から1時間半の旅だった。

 駅には同級生が4~5人車で迎えに来ていた。過疎化でバスも採算に乗らず廃止になっているので迎えの車である。「やぁ久しぶり!」。車に乗り込み15分ぐらいで、山間の宿に着く。「「千代姫荘」という町営の宿泊施設である。

入り口にチェーンソーアートのベンチが置いてある。

 受付を済ませた後、割引券を貰って、町営の温泉に行く。割引券を渡し320円の入場料を払い風呂に入る。割引なしにいくらの温泉かな?と掲示を見たらひとり650円と出ていた。

 確か竹下内閣の時だったが、各自治体に1億円ずつ配布したことがあった。バルブ時のバラマキだったが、おかげでできた温泉である。日本は火山国だから、どこでも掘れば温泉は出てくる。

「本当に温泉?それとも沸かしているの?」。聞くと「源泉は32度くらいだから沸かしている」の返事。1時間ほどで宿に戻る。

幹事が作成してくれた名簿を見ると、卒業時70名(男40、女30)だったのが、生存者は46名(男21、女25)で出席者は26名(男11、女15)だった。「八十路坂同級会」と銘打った同級会だが、80を超えると、女の方が元気であることは明らかになる。

 夕食会は地元産の食品に舌鼓。お酒も地元の銘酒「空」を出してくれた。「志多ら和太鼓」の出演が興をそそる。地元の廃校になった小学校を根拠地として全国から集まる若人が腕を磨き各地に公演しているとか、実際4人の出演者の内一人は香川県から来ているという。

 カラオケが始まる。「何か歌え」と言われて「小樽運河」を歌う。

「精進落としの酒を飲み、別の生き方あったねと、

40路半ばの秋が逝きセピア色した雨が降る」というあの歌。「80路半ば」の唄は無いので「40路半ば」をうたうことにしたのだ。

 9時前、宴を終えたが、会場は徹夜でつかえるから2次会で心行くまで語ってほしいとのことだったが、年の所為ですっかり疲れていたので「二人静」という典雅な名の部屋に引き上げ休んだ。

 あくる日は8時に朝食・配膳い来た女性に「NOZUEさんの弟だよ」と私を紹介された。「お兄さんに良く似ていらっしゃる」という。実家の前の家の奥さんとのこと。町営施設で、地元の奥さん方がパートで働いているのだ。

朝食後「次の同級会の幹事を決めよう」となって、私が指名された。80を過ぎると、幹事をやれる元気な人が少なく成るから、元気なものがやるしかない、と引き受けた。

9時15分JRの駅に送ってもらい同級会を終えました。

 


八十路坂同級会

2017-06-13 | 旅行

10日、高校の同級会が開かれた。

11時半、家を出て豊橋に向かう。12時40分豊橋着。飯田線の時間にはまだ1間あったので駅2Fの喫茶店で時間をつぶし、13①時半頃乗り場に行く。奈良から来たM君がベンチに腰を下ろしていた。隣に座って、「元気?」、「うんなんとか」話し込む。

13時41分の「天竜峡行」が来た。乗り込むと懐かしい同級生の顔があちこちに。鈍行電車だから、あちこち止りながら山間に入っていく。湯谷温泉を過ぎると、川が線路に近い。「豊川」の上流だが、地元の人が「板敷川」と呼ぶ美しい流れだ。岩の板が敷き詰められたような美しい流れで、確か井上靖の小説で、この辺りの川の美しさを描いた小説があった。小説の題名が思い出せない。私が10代に読んだ小説だから、昭和31年までの井上靖の作品をすべて読んでみて、題名を思い起こしたい、と思っているが、まだ果たせずにいる。3時10分ごろ「東栄駅」に着く。豊橋から1時間半の旅だった。

 駅には同級生が4~5人車で迎えに来ていた。過疎化でバスも採算に乗らず廃止になっているので迎えの車である。「やぁ久しぶり!」。車に乗り込み15分ぐらいで、山間の宿に着く。「「千代姫荘」という町営の宿泊施設である。

入り口にチェーンソーアートのベンチが置いてある。

 受付を済ませた後、割引券を貰って、町営の温泉に行く。割引券を渡し320円の入場料を払い風呂に入る。割引なしにいくらの温泉かな?と掲示を見たらひとり650円と出ていた。

 確か竹下内閣の時だったが、各自治体に1億円ずつ配布したことがあった。バルブ時のバラマキだったが、おかげでできた温泉である。日本は火山国だから、どこでも掘れば温泉は出てくる。

「本当に温泉?それとも沸かしているの?」。聞くと「源泉は32度くらいだから沸かしている」の返事。1時間ほどで宿に戻る。

幹事が作成してくれた名簿を見ると、卒業時70名(男40、女30)だったのが、生存者は46名(男21、女25)で出席者は26名(男11、女15)だった。「八十路坂同級会」と銘打った同級会だが、80を超えると、女の方が元気であることは明らかになる。

 夕食会は地元産の食品に舌鼓。お酒も地元の銘酒「空」を出してくれた。「志多ら和太鼓」の出演が興をそそる。地元の廃校になった小学校を根拠地として全国から集まる若人が腕を磨き各地に公演しているとか、実際4人の出演者の内一人は香川県から来ているという。

 カラオケが始まる。「何か歌え」と言われて「小樽運河」を歌う。

「精進落としの酒を飲み、別の生き方あったねと、

40路半ばの秋が逝きセピア色した雨が降る」というあの歌。「80路半ば」の唄は無いので「40路半ば」をうたうことにしたのだ。

 9時前、宴を終えたが、会場は徹夜でつかえるから2次会で心行くまで語ってほしいとのことだったが、年の所為ですっかり疲れていたので「二人静」という典雅な名の部屋に引き上げ休んだ。

 あくる日は8時に朝食・配膳い来た女性に「NOZUEさんの弟だよ」と私を紹介された。「お兄さんに良く似ていらっしゃる」という。実家の前の家の奥さんとのこと。町営施設で、地元の奥さん方がパートで働いているのだ。

朝食後「次の同級会の幹事を決めよう」となって、私が指名された。80を過ぎると、幹事をやれる元気な人が少なく成るから、元気なものがやるしかない、と引き受けた。

9時15分JRの駅に送ってもらい同級会を終えました。

 


藤前干潟から金城埠頭へ

2017-06-10 | 旅行

6月9日は、住宅のシニアクラブのウオーキングで、藤前干潟と金城ふ頭に出掛けました。

いつも、第4金曜日に行うのですが、5月の第4金曜の26日が雨だったので、この日に延期しました。梅雨の晴れ間と称すべき日で、暑くなりそうです。9時半、エレベータホールに行くと女性が3名。小生含め4枚のみです。2~3年前。「藤前干潟」は行ったことがあったために少ない?それとも騨12期尿は皆さんほかに予定があるのか?いずれにしても4名のみで出掛けることにしました。地下鉄の駅まで歩き、久屋大通で桜通線に乗り換え名古屋駅へ。10時15分のあおなみ線の電車に乗りました。終点の金城ふ頭駅の一つ手前の「野跡駅」で下り、駅前の道を南へ。最初の信号(汐止町)を右に回ると稲永公園にあたる。ここに野鳥観測館があります。

中に入ると「間もなく小学生の団体が入りますがそれまでは自由に見てください」とスタッフが言う。望遠鏡が10数台並んでいるので覗くと、カワウとサギが見られた。小学生が入ってきたので、隣の稲永公園ビジターセンターに入った、ここでは「藤前干潟」の解説が展示されていて「ラムサール条約」の解説もあった。日本にはラムサール条約に登録してある湿地がここを含めて50か所あるとか。 

藤前干潟は、庄内川・新川・日光川の3河川が合流する河口部に位置し、潮が最も引いたときには238ヘクタール(東京ドーム50個分)の干潟が現れます。年間を通じて100種類を超える水鳥が飛来し国指定鳥獣保護区・ラムサール条約湿地に登録されています。

 建物前の道を南に、埠頭まで歩くことにする。およそ3.5㎞の行程です。

前回来た時はこまでを歩いたので今日はこの先を埠頭まで歩くことにした。5月20日の駅ちかウオーキングで一度歩いているが、その時は車の多い道を歩いたのだが、海沿いを歩いたほうが見晴らしが良いと聞いたので、今日は海沿いに歩くことにしました。

日差しは真夏ですが、空気は割と乾いていてさわやかです。しかし、歩いていると汗がにじむ。咽喉が乾く。「NOZUEさん、お茶飲んだの?」と聞かれる。

「野鳥観測館で飲んできたよ」と答えた。

11時から歩き始めて12時に金城ふ頭の「メーカーズ。ピアに着いた。ここで腹ごしらえをすることにした。

メーカーズ・ピアは今年オープンした商業施設でカフェ、レストランがあります。

皆さんが「洋食館」に入ると言うので付き合って「オムレツ」を食べることに。この後の予定はjRリニア館に入ることでしたが、女性方、鐡道に興味はないのでもう良いと言われる。入場料1000円を払ってみるまでもないようです。金城ふ頭駅の駅前で、新幹線や在来線のjR車両が展示され、入場者は抽選で新幹線運転のシミュレーシヨンを経験できる施設ですが、カットすることにしました、(写真は下見の時の写真です)

 

 

皆さんメーカーズ・ピアで購入したかっぱえびせんの袋を抱えて帰途に就くことに。

13時29分の電車で名古屋駅に戻り3時前帰宅できました。

 

 

 


奈良の旅(2)

2017-06-05 | 旅行

2日目は6時には目覚めた。窓の雨戸を少し開くと、さんさんとした陽光が部屋に流れ込む。今日もお天気は良い。7時に朝食。8時に出掛けることにした。午前は桜井市の長谷寺を参拝することにした。電話番号案内で「桜井市の長谷寺の電話を教えてください」と聞いてカーナビにインプット。カーナビのガイドで9時頃長谷寺に着いた。桜井市は天理市の南に位置し、多くの神社がある。一番人気は長谷寺、西国33か所の8番目の霊場です。大神神社もある。大神と書いて「おおみわ」と読み、その御神体は「三輪山」で、日本最古の神社だとか。

談山神社(中大兄皇子と藤原鎌足が曽我入鹿を討伐するために会合をこの地で開いたところから談山神社と言われる。)もある。

「長谷寺は何を見るの?」Hさんが言う。

「“花の寺”と言われるほど春秋に花が咲くが、ことに牡丹が有名。しかし、牡丹の時期は過ぎているので見られないと思うが、ご本尊の十一面観音が公開されている筈。それを拝顔しましょう」と小生。

参道の所々に民営の駐車場がある。いずれも1回500円のようだ。一番上まで上がってから駐車した方が歩くのは楽だが、上の駐車場が空いているかどうかわからないので、適当なところで駐車場に車を停めた。ここは神社までの階段が長い。段差は小さいが、階段の数が多い。

入場料は神社の拝観は500円だが、十一面観音の足に触って願いをするには1300円だと言う。1300円を払い神社に上がってご本尊に拝顔した。

 ご本尊は、近江高島の楠の霊木を用いて3日で作り上げられたそうで、御身の太3丈3尺(10m余)。天文7年(1538)の作と伝えられる。

中に入り膝まづいてみ脚にタッチしてお願いをする。10m余の高さは見上げるほど。何をお祈りしたらよいか。結局「死ぬまで元気でいられるように」とお祈りした。

 

庭には芭蕉の句碑が建っている。

五重塔には入らず写真だけ撮った。10時過ぎ戻ることにして、今度もカーナヒに「県美術館」の電話番号を入れて奈良公園に戻ってきた。

ここも駐車場探しに苦労し、結局県庁南の駐車場に車を入れて公園の中を奈良県美術館に歩いた。「奈良公園の鹿は、宮島の鹿とくらべると小さい」とJさんが言う。

「榊獏山と紫舟のシンフォニー」という企画展をやっていた。「65歳以上は無料です」と言われたので、保険証を見せて入館した。

「奈良にゆかりの深い書家二人の独創的な世界を紹介します」とあったが、これほど多様な文字を表現したのかと驚くほど多くの獏山の作品が展示されていた。三重県美術館所蔵作品の展示が多かった。榊獏山は伊賀の生まれだから、三重県美術館に多くの作品があることに不思議はない。1時間余見て出ることにした。Jさんがスタッフの女性に聞いていた。

「この美術館は自館所蔵の作品はあまりなくて、こうした企画展で客をあつめている」とJさん。この場所での所蔵作品を見たかったらしい。

1時近くになったので、5時までには名古屋に着きたいと皆さんの希望で、奈良は切り上げることにした。私にとっては中学3年生の修学旅行以来65年ぶりの奈良の旅でした。

昨日名阪が渋滞したので、今日は名神で帰ろうと、木津ICから高速に乗る。京滋道経由で名神に乗り、3時前多賀sAで軽い昼食。岐阜羽島のICには3時半。西岐阜駅に4時前着いた。Hさんの車を降りて、JRで名古屋駅に4時。ここで浜松に行くSさんに別れた。地下鉄で5時ごろ帰宅しました。帰宅後メールをチェックしたら、中日新聞から「ドラゴンズ荒木2000本安打」と、メールが入っていた。

荒木選手の中日入団は私が会社を定年退職した齢で、初安打は、私の定年退職の翌年である。