古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

私選第2四半期(4月~6月)10大ニュース

2016-06-30 | サイエンス
順不同ですが、私選第2四半期(4月~6月)10大ニュースです。
思い出すだけで、10件すらすらと3ヶ月間のニュースが出てきます。
1. 升添都知事辞任
政治資金規正法は、資金の入りを規制しているが、使い方「出」は規制していないから『違法ではない』は当然!政治家の劣化もここまで
2. 三菱自動車、日産傘下に 
経営者も劣化?
3. 英国、ECを離脱
グローバル化と国家の関係を改めて考える契機になりました。
4. 志摩賢島サミット
消費税延期の口実作り?とするためサミットを日本にもってきたの?これも公私混同?
テロに狙われなくてよかった!
5. 消費税引き上げ延期
税制も選挙対策に?
6. 熊本大地震
何時原発が地震にやられるかな?
7. オバマ大統領、広島訪問
オバマさん、演説の名手ですね。
8. 日本、潜水艦の豪州売り込みに失敗
フランスが受注に成功したらしい。アベノミクスでは、兵器の増産で成長をはかりたい?
9. パナマ文書、ネットに公開
消費税はやめて、外国にお金を預けたいほど沢山お金をもっている人から税金を頂いたら!
10. 沖縄で、米軍属日本人女性を殺害し遺体遺棄。
外国軍に一番駐留されている国は?日本です。
外国軍に一番貢いでいる国は?日本です。米軍の全外国基地で接受国負担の半分以上は日本です。
外国軍のため自国の首都の上空を自由に使えない国は?日本です。
外国軍の兵器配備について何も言う筋合いはないという首相はどこの国の首相?日本です。
沖縄が怒るのは無理ないですね。
番外 コンビニの番外預金引きおろし機から2時間半に14億円取られたんだって!

沼津御用邸と柿田川湧水公園

2016-06-14 | 旅行
翌朝は、8時半出発。大室山にリフトで山頂に登る。
9:30沼津御用邸に向かう。
 御用邸は、今公園になっており、一般公開されている(入場料400円)。
門前の樹齢400年とかの根上がりの黒松が見事です。
「カメラ撮影は自由です」というので、数枚写真に収めたが、部屋数は多いものの内部は通常の日本家屋で、天皇家の別荘にしては質素なものと感じた。






その後柿田川湧水公園に行く。

柿田川は清水町伏見にある柿田川公園の「わき間」からの湧水に源を発し南へ流下、清水町役場付近で狩野川に合流する。流水はほぼ全量が湧水から成り、これは富士山への雨水や雪どけ水が三島溶岩流に浸透し、その先端部から湧き出でたものである。
かつては豊富な湧水を求めて工場が進出、排水のたれ流しにより水質が悪化し、魚も住めない状態になった。1970年代には護岸のため、部分的に川縁がコンクリートに覆われるなどしたが、1980年代には地元有志によるナショナルトラスト運動が始まり、工場の移転運動や清掃活動が行われ、カワセミ等も生息する環境が残された。現在もトラスト地の買い上げが続けられている
昼食は「桜エビの釜めし」。名古屋の鰻のひつまぶしのように、半分はお茶漬けで賞味くださいとあった。柿田川の清冽な水が駿河湾にはいるので桜エビが採れるのだというボランテイアの説明を思い出しました。
2時、東京の仲間を三島駅に送り後は東名を走り、6時過ぎ黒川で下車、6時35分帰宅しました。


横浜から伊豆へ

2016-06-13 | 旅行
6月10日朝、夜が白む頃5時前目が覚めてしまった。
最近は酒を飲みすぎると、直ぐぐっすり寝込んでしまい、眠りは深いのだが目覚めが早く、一旦目覚めるともう眠りつけない。
横浜メルパルクホテルの一室。昨日からここに来ている。高校の同級会です。卒業時には70名いた同級生も、今回参加できたのは14名、2割です。生存者は49名だが、多いのは足が悪くなって歩けない。自分が元気でも配偶者の介護をしないといけないなどで減ってしまった。
 横浜に来たのは、東京周辺に住むD君、T君が幹事になったから。2年おき位に幹事の地域を交代している。次回は郷里(奥三河)に住む同級生が幹事になる。
というわけで横浜に来たが、今夜は元勤務していたD社のOB会で伊豆に行くことになている。折角横浜にきたからには、じっくり観光したいところだが、あまりゆっくりできない。と言っても、ホテル周辺の観光地ぐらいは歩いてみようと、7時のバイキング朝食の後、ホテルの周りを歩いた。
 ホテルは山下公園の傍らで、目の前の海には氷川丸が浮かんでいる

公園内にはウオーキングや自転車の散策など楽しんでいる人が多い。
綺麗な噴水もある。

そうだ「赤い靴履いてた女の子」の銅像があったはずだ。見て来ようと通りがかりの人に聞いてみた。「ごめんなさい知りません」と言う人が大部分。
地元の人も知らないのかな?何人か聞いているうち、犬を連れた女性が「たしかあちらの方にあったわね」という人がいたので、その方向に歩き出した。しかし、なかなかわからない。一生懸命歩いていたら見つかった。
戻ってくると、先ほどの犬連れの婦人「わかりました?」
「ええそこに」
自転車の男性が「みつかりました?」、「ええありました」と指差すと「良かったよかった」と言ってくれた。
ホテルに戻り出発の支度してロビーに行く。幹事のD君、T君が待っていた。
「同級会も80歳を超すと味がでてくる」など話していると、みな集まった。
「若干お金が余っていますから、中華街まで歩いて昼飯を食べてから解散しましょう」ということになったが、小生はお先に失礼することにした。
元町駅から地下鉄、東横線、JRを乗りついて新横浜駅に10時前に着いた。約束の電車は10:46こだま名古屋行ですので、しばらく待合室で待って、10時半ホームに行く。自由席の列車を待っていると、声をかけられた。「こちらに転居されたの?」と言う。「いや、昨夜こちらに用事があってきたので・・・」確か顔は記憶しているが、名前を思い出せない。
実は、数日前元東京工場長のMさんに電話した。「今回は新横浜から参加しますから」。すると、「すみません。脚が悪くなって今回は欠席します」。それで。OB会幹事のKさんに電話した。
「東京からは誰が参加するの?」。「4~5名参加しますが、みな若い世代ですから、NOZUEさんを知らないんじゃないかな?」。
新横浜から知人と話しながら行けると良いとおもったのだが・・・仕方ないか。もう退職してから20年になる・・・
だからホームで声をかけてもらってうれしかった。後で、班長だったHさんと思い出した。
三島駅に11:24.。改札口を出ると、3~4人の見たことのある顔に囲まれた「NOZUEさん久しぶり」と悪手ぜめ。「なんだみな私をおぼえているんじゃない!」外に出たら、名古屋からの観光バスが来てなくて、昼飯を取るレストランのマイクロバスが停まっていた。
運転手に何人のるの?」、「6人です」。「6人乗ってとるわ。行きましょう」。11時半レストラン伊豆海に着きしばらく待つと皆がきた。添乗員が傍に来て「出発で犬山のバスが渋滞で遅れました」。そうだ。小牧辺りでリフレッシュ工事をやっていたんだ。
昼食後バスに乗り三島スカイウオークを見に行く。
沼津ICから車で15分。正式名称は「箱根西麓・三島大吊橋」

歩行者専用としては日本最長のつり橋と詠っているが、要するに吊り橋です。お天気が良ければ富士山が眺められて良いのだろうが、曇り空で富士山は見えない。これで400mを往復するだけで入場料1000円は高い!富士山の見えない日は料金を安くすべきでは・・
その後、バスで十国峠を越え東海岸に回り、伊東温泉ホテル聚楽には4時頃着いた。(続く)

厄介な病気

2016-06-08 | Weblog・人生・その他
8日10時、自転車を転がして西部医療センターに行きました。先日(5月25日)にCT画像診断をやってもらったので、その結果を聞くためです。
大混雑していました。隣に座った人が12時頃「9時半の予約なのに。3時間またされることになる」とぼやいていました。私は10時半の予約ですから1時頃まで待たされそうです。覚悟していたので、「司馬遼太郎の言葉②」を持参して半分ほど読みました。
 なんためのCTか、というと、前立腺がんが他の臓器に転移するとたいへんなので、最初に前立腺がんが発見された時点でcTで全身を診断したのですが、その時、肺に転移がんが疑われる影が発見された。小さな影なので、がんと断定はできない。若い頃、肺の病をすると、影が残ることもあるそうです。3ヶ月間隔ぐらいでCT画像を観察しようということで、今回までに3回CT撮影をしました。回を重ねるごとに影がちいさくなっています。
3時間待たされて午後1時診察室に入った。
「前回は5mmぐらいでしたが、今回は4mm程度です。」結構な話に思えるのですが、そうでないらしい。「影がちいさくなること自体はよいことですが、小さくなった原因が薬の服用だとすると、薬が効くということは、この細胞はがんだ、すなわち、がんが既に転移していることになります。」
「がん細胞と断定はできるのですか?」
「小さすぎて断定することができません」。「小さすぎて組織を採取して検査することもできません」。
要するに分からないということらしいが、影が小さくなっても問題で、大きくなったら尚問題だということ。
「もし、がんが既に転移しているとしたら、放射線で前立腺のがんを叩いても意味がありません」。
「どうすればいいわけですか。」
「とりあえず現在の治療を継続しましょう。現実に効果が上がって順調ですから。10年、経過が順調なら治癒したことになります」。
『10年・・・』
一般に前立腺がんの治療は投薬、放射線照射、手術の三つがあるが、手術は75歳以上の患者に適用できない。放射線も80歳以上では無理だという。
放射線治療をすべきかどうか考えているうちに80歳を超えそうですから、現状の投薬と注射を続けるしかない。
「1月と4月に腹部に注射をしたのですが、その部分にしこりが出来て触ると硬くなっているのですが問題ないでしょうか」
「問題ありません。そういう注射です。しこりになった部分に薬が溜まっていて時間をかけて体内に回っていきます」。
「予定通り29日に次の注射をやりましょう」で診察を終わりました。
結局、時間ばかりかかったが、状況は以前と同じ。10年治療を続得ないとは、厄介な病気になったもの!
 ここは北スポーツセンターにちかいものですから、再診が終わったら、プールに行き泳ぐつもりで水着の支度をしてきたのですが、結果があまり面白くなく、待たされくたびれて泳ぐ気持ちにならず、昼飯を食べて2時帰宅しました。

大村美術館と山梨県美術館

2016-06-06 | 旅行
6月2日、8時半にホテルを出発しました。今日は山梨県の美術館を見ようと、韮崎大村美術館を目指すことにしました。大村智氏が建設し韮崎市に寄贈した美術館です。
ウィキペヂアによると、大村聡氏。
2015年ノーベル生理学・医学賞受賞。
微生物の生産する有用な天然有機化合物の探索研究を45年以上行い、480種を超える新規化合物を発見し、それらにより感染症などの予防・撲滅、創薬、生命現象の解明に貢献している。
美術に造詣が深く、14年間にわたり女子美術大学理事長を務めた(2015年7月から同大学名誉理事長)。同大学に妻・文子の名を冠した「大村文子基金」を私費で設立[21]。女子美生の留学資金(女子美パリ賞・ミラノ賞)と美術活動費(美術奨励賞)を支援している。また、美術作品の著名な収集家であり、特に女性作家の作品収集に積極的で2007年に私費5億円を投じて故郷の韮崎市に韮崎大村美館を建設し、1800点を超える蒐集作品と共に韮崎市に寄贈し初代館長を務めている。

 昨日は岡谷ICから142号線をきたがもう少し近い高速の入り口がある筈とホテルで聞くと梓川のサービスエリアから長野自動車道に載れるというので、まずは梓川を目指す。
 途中、トンネルを通るとき有料箇所が2か所[510円と100円]あった。
長野県道路公社は、有料化でトンネルの建設を計ったらしい。昨日も有料トンネルが3か所あった。それはともかく、梓川SAの上り線に着いた。SAからも高速に乗れるんだ!韮崎ICで降りてカーナビに美術館の電話番号を入れると「該当電話番号がありません」と言う。「電話番号を写し間違えたかな?」。しかし、電話してみると通じたから間違いではない。カーナビに登録されていないのだ!通じた電話で住所を聞きカーナビを再セット、
10時半到着。「今日は富士山が綺麗だ」とJさん、富士やアルプスの山々が遠望できる地に美術館はあった。
玄関に大村先生の胸像。展示作品は女性作家の作品が多い。さながら女性作家美術館。片岡珠子、小倉遊亀、秋野不矩などもあった。
これは大村先生が東京女子美大の理事長をやっていたことによるもののようだ。
2階の展望カフェからは富士山、八ヶ岳、奥秩父蓮歩など遠望できた。「あれが深田久弥さんがなくなった山」などJさんが解説してくれた。
1時間程見学し、「次に行こう」と駐車場に戻る。仮説トイレが3基ほど並んでいる。
「何故ここに仮設トイレ?」
「館内のトイレで対応しきれない」とHさん。なるほど、小さな美術館に、ノーベル賞で油名になった結果、観光バスが押しよせた。館内のトイレで対応しきれなくて駐車場にトイレとなった。実際、館内のトイレは大勢が並んでいた。
次は甲府の山梨県美術館に向かう。40分ほどで到着。大きな美術館だ。

 「昨日は信州そばの昼食だったから、今日は甲州のほうとうにしよう」
美術館の横に「小作」というほうとうの専門店があったので入る。
昼食しながら、店員に聞くと、ここから甲府駅まで15分ぐらいと言うので、2時に出発し2時37分の特急にSさんを乗せようと、美術館の見学を1時間にすることとにした。
「常設展は65歳以上無料ですが、ミケランジェロ展は1000円です」と言う。
折角だからミケランジェロも見ることにする。
1時間で両方を見ることはかなり忙しかったが、なんとか「ミレーの落穂ひろい」も見られた。失礼ながら山梨県のような小さな県が「何故こんな大きな美術館をつくったの?」と思わせる。
 2時出発。甲府駅にSさんを送り、「また今度会いましょう」と別れた。
次は北杜市の清春芸術村に安藤忠雄作の「光の美術館」を訪れる予定だった。カーナビにセットしてからJさんが「今から光の美術館を見ていると、小牧に帰り着くのはたいへんだ。リフレッシュ工事の渋滞もある。次の機会にしたら」と言う。
 このまま小牧に直行しても7時ちかくになるので、Jさんの提案通り「光の美術館」はあきらめることにして、カーナビを小牧駅に再セット。途中諏訪湖と恵那で小休憩したが、小牧東に6時過ぎ、6時半に小牧駅で解散しました。

上田城跡と鹿教湯温泉

2016-06-05 | 旅行
3時過ぎ、公園に着いた。駐車場に車を置き、本丸方面に向かう。天守閣は?見えない。ここの城は天守閣はなかtった?すぐに隅櫓が見えてきた。
城内に真田神社がある。さ。上田城は二度徳川の大軍に囲まれたが、ついに落城しなかった。「落ちない」ということから、現在受験の神様として信仰を集めているという。神社は天正11年、真田正行が築き、信之が継いだが松代に転じた後仙石氏が3代続いたのち松平氏が7台で明治を迎えた。
 この城は、関ケ原合戦後、破却され、現在隅櫓など残されている遺構は、仙石氏が再興したものだという。城跡を歩き、南櫓、北櫓の並ぶ東櫓門に出る。30分ごとにボランチアの案内説明があり、3時半から本日の最終説明とのことなので、5分ほど待ち、説明を聞いた。
「今年はNHKの大河ドラマの影響で観光客も多く、門の前には、真田⑮大河ドラマ館が解説されていた。3時半になり、女性ボランチアについて、櫓門、真田神社、真田井戸、西櫓、本丸跡を回る。櫓門の前には真田石と称する遺構がある。

何処の城跡に行っても、石垣は昔の面影を残している。真田信之が松代移封の際に、父の形見として持ち去ろうとしたが、動かせなかったとの伝説がある。直径3mの見事な石もある。
上田城の堀は、素掘りで彫り上げた土をその内側に堤上に積み上げ土塁としている。だから堀の石垣はないが、隅櫓の石垣が往時の風情を残していた。

案内が終わると、4時近くなっていたので、今日の日程を終えて宿舎に向かうことにする、
電話番号をカーナビにインプットして宿舎の国民宿舎、鹿月荘に向かう。
鹿教湯(かけゆ)温泉は、傷ついた鹿を追った猟師が見つけたとの伝説があり、この名がある。5時5分前に着いた。
 入浴後6時から30分、恒例の勉強会。今回は小生の担当で「動的平衡論」を紹介した。
『食べることの本質的な意味に、いつ誰が気付いたのか。人間の認識の歴史には、そのようなエポックを明確に示せる一瞬がある。ルドルフ・シェーンハイマーによって1937年、その事実は発見された。
 食物は瞬く間に、分子のレベルまで分解される。一方、生物体も驚くべき速度で常に分子レベルで解体され、食物中の分子と生体中の分子は渾然一体となって入れ替わり続ける。つまり分子のレベル、原子のレベルでは私たちの身体は数日間の間に入れ替わっており、「実体」と呼べるものは何もない。そこにあるのは流れだけである。
シェーンハイマーが明らかにしたことは、生命は流れの中にある。流れこそがいきているということである。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」(鴨長明、方丈記)なのです。
シェーンハイマーの派遣は、鴨長明が持っていた生命観に欧米社会が気付いた瞬間だった。彼の仕事の最も重要な意義は、身体と環境が動的な平衡状態にあり、私たちが食べ続けないと生命が流れないことを、分子レベルで明らかにしたことである。』
『『シェーンハイマーが数十年前見出し、問いいかけているもの、それは「分子は流れ、私たちを通り抜け、とどまることはない」。
繰り返して云おう。炭素でも窒素でも地球上に存在する各元素の和は大まかに言って一定であり、それが一定の速度で流れゆく中で作る緩い“結び目”がそれぞれの生命体である。流れは巡り巡ってまた私たちにもどってくる。
 できるだけ人為的な組み換えや加速を最小限にとどめ、この平衡と流れを乱さないことが、私たち自身の生命、あるいは環境を大切にすることである。』
以上は、福岡伸一ハカセの受け売りですが、身体の中の元素は時々刻々入れ替わっているという考えは、みなさん初めて聞く話であったらしく、6時半からの夕食会でも、この話題をめぐって話題が弾んだ。
 生ビールで乾杯した後、お酒のメニューで、岡崎の地酒を発見、オーダーした。辛口だったがとても飲みやすいお酒で、すっかり酔っぱらってしまった。

無言館

2016-06-04 | 旅行
6月1日9時前、名鉄小牧駅に行きました。駅前のベンチに腰を下ろしていたら、間もなくJさん、「Hさんもう来てるよ」、駐車場の出口からHさんの愛車デミオが出てきました。
半年ごとに行っている4人組の旅行会。今回は長野県と山梨県の美術館を回る旅を計画しました。車に乗り込み、小牧ICに向かいます。インターの入り口から渋滞が始まりました。「今日は高速のリフレッシュ工事が始まったんだ。帰りは小牧東で降りた方がよさそうだ」とJさん。東名に乗り込み、ジャンクシヨンから中央道に入ると渋滞は解消した。飯田の手前で小休憩したが、岡谷ICまで2時間強、11:20高速を降りてJR岡谷駅に向かいました。11時半駅の南口について駐車場に入り、ケイタイでSさんに電話「南口に着きました」。浜松のSさんは、特急あずさで11:38到着の予定です。間もなく「あずさ」の優美な車両がホームに入るのが見えました。
 Sさんが乗り込み、久闊を叙しました。車は上田市に向かいます。
「昼時だからどこかレストランにはいりましょう。」しかし、なかなか恰好なレストランが無い。「上田にはいらないと、ないかも」。12時過ぎ、上田に入ってから恰好な店が見つかりました。
「10割蕎麦の店花ちゃん」の表示が出ていた。「信州蕎麦を味わいましょう」と、10割蕎麦の盛蕎麦600円と野菜のてんぷらかき揚げ150円を頼みました。
新規開店したばかりの店らしい感じの良い店で、「つなぎは何を使っているの?」と聞くと「10割ですから、つなぎは使っていません」とおかみさん(花ちゃんかな?)が答えた・
「値打ちだったネ」と、みなさん満足したようだ。店を出て、カーナビに無言館の電話番号を入れてガイドしてもらう。初めての場所に行くときは、カーナビは全く便利です。
1時半ごろ無言館に着きました。

緑の木立の間にコンクリート造りの無言館が建っていました。入り口に「料金は出口でお支払ください」とあった。
 無言館は、戦没学生の作品を集めて展示していることで有名です。
建物の中に入ると、作品を保護するためでしょう照明を落として薄暗い中、コンクリート打ち抜きの壁に沢山の作品が展示されている。

作者の説明には、何年生まれ、どこの戦場で戦死または戦病死、享年何歳など表示されているが、その作品の多さに圧倒される。かくも多くの画学生が、その未来を戦禍で失ったのだ。
「無言館」は、展示される絵画は何も語らず「無言」ではあるが、見る側に多くを語りかけるという意味で命名したというが、客もまた展示される絵画を見て「無言」になるという意味をも含んでいるという。

戦没画学生の慰霊を掲げて作られた美術館で、美術館「信濃デッサン館」の分館として1997年に開館した。館主は窪島誠一郎氏。自らも出征経験を持つ画家の野見山暁治とともに全国を回って、戦没画学生の遺族を訪問して遺作を蒐集した。第53回(2005年)菊池寛賞受賞。2008年9月21日に無言館第二展示館「傷ついた画布のドーム」がオープンした。
その第二展示館に向かう。

『画家は愛するものしか描けない。相手と戦い相手を憎んでいたら画家は作品を描けない。一枚の絵を守ることは、愛と平和をまもるとうこと」との碑があった。
ここでも、生きていれば、大家となったかもしれない才能の作品を多く見た。
「意外と戦病死が多いね」など語りながら観て回った。
3時前切り上げて、次の目的地上田城跡公園に向かった。(続く)