古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

粛々と

2015-04-29 | 経済と世相
「粛々と」という政治家の言葉が、沖縄基地問題を巡って話題になりました。
書斎の本棚に「風塵抄(2)」(司馬遼太郎著、中央公論社1996年4月刊)という本を見つけてパラパラ繰っていたら、「日本語の最近」と題する章に、この「粛粛」について書かれていました。以下、引用します。

政治家の口癖といえば、竹下登元首相の場合は、
「粛々と」
という古風な言葉を復活させた。あるいは頼山陽の詩からきているのかもしれない。上杉謙信の大軍が夜陰千曲川を渡る。全軍無言で、一糸乱れず、ただ鞭の音のみが粛粛と聞こえる。実行と言うことの重みが、粛粛という擬声語(?)にこめられているのである。
 ついでながれ粛粛は単に擬声語」でなく、うやうやしくかしこむ、という意味も入っている。
 竹下さん、この言葉を、世上の雑音にわずらわされずに必要なことを声高でなくひたすらにやるという意味に使った。
他の政治家も時に使う。
英語を日常語としている国連の明石康さんまでが、カンボジヤで、国連管理の選挙をやったとき、“粛粛とやります”という風に感染していたのが、なにやら面白かった。
これも、政治の世界では、重宝な方言なのかもしれない。
(1994年11月7日)

「粛々」は「鞭声粛粛夜川を渡る」からきているのですね。それにしても、「うやうやしくかしこむ」のは誰に対してでしょう。
「米国政府に「うやうやしくかしこむ」のでしょうか。

デンパークと帰途のハプニング

2015-04-25 | 旅行
デンパークへ行きました。24日、住宅のシニアクラブウオーキングです。
7名(男3、女4)うち揃って9時半出発。名鉄金山駅に10時、新安城から西尾線に入るので、「吉良吉田行」に乗れば乗り換えなしですが、吉良吉田は出たばかりでしたので、豊川稲荷行で新安城で乗り換えました。桜井駅に10時50分下車。駅前の広い道を左手に次の信号を右に進みます。安城南高校の前を過ぎると、明治用水にかかる橋を越えます。石井町の交差点までくると、「デンパーク→1.5km」の表示がありました。デパーク東まで来て皆が追いつくまで待ちました。5分ほど待って全員見えたのを確認し西へ。すぐデンパーク入り口の茶色の横断橋がありました。
横断橋の上で、Sさんが上り終えるのを待ちました。いつも、脚の強くないSさんが歩き終えると、「今回のコースは無理のないコースだった」と一安心するのです。
「入場券は確か¥600ですが、各自買ってください」
「シニア割引があるんじゃない?」
「きいてみまっしょう」
聞くと¥480だという。
中に入って昼食後、1時57分のあいくるバスで帰ることにしてそれまで自由参観とした。
正式名称は「安城産業文化公園」で、愛称が「デンパーク」です。
http://www.denpark.jp/
愛知県のほぼ中央にある安城市は、かつて「日本のデンマーク」と呼ばれ、全国の農業経営のモデルとなった。稲作、畑作、果樹、畜産などの多角形農業をすすめた安城市は、世界の農業先進国であるデンマークにたとえられた。その歴史をもとに、自然と親しみ花のある暮らしを提案する公園として1997年4月29日にオープンした花と緑の公園。
「デンパーク」の名は、日本デンマークの「デン」、田園の「デン」、伝統の「デン」と公園の「パーク」を組み合わせた造語である。
公園の広さは13.1ha、園内1周約1.5km
花の大温室フローラルプレイス(3600m²のアトリウム)のほかレストラン、体験施設も揃う。入場者は年50万人の人気施設です。
写真を撮ろうかとデジカメをとりだしたら、「メモリーカードが満杯です」の表示が出た。残念!そこで写真は下見の時のものにします。こうしたミスの再発防止はどうすべきか。予備のメモリーカードを持って歩くことにするか。
お天気に恵まれ、絶好のお出かけ日和でした。

1時半になったので。公園を出て入り口隣の「デンパーク道の駅」に行くと、もうみなさん揃って買い物などしていた。5~6分遅れてきたバスにのるが。あんくるバスに乗る。「安城からくる」から「あんくるバス」か。一乗車¥100である。この路線は桜井駅と南桜井駅を往復する路線で、時刻により桜井駅が終点の場合と南桜井駅が終点の場合がある。バスは南桜井駅が終点だった。ここでハプニングが起きた。
 切符を買った後、ホームへ行くとくだり(西尾方面)のホームだった。「名古屋方面乗り場」にいかなくちゃ、だけど反対側ホームに行く地下道も歩道橋もない。一旦外に出て、駅舎横の一般道の踏切を渡って向こう側の駅舎の入り口から入り直さないといけない。まさか、線路に飛び降りて反対側のホームによじ登るわけにもいかないのだ。
「こんな駅ははじめて!」もちろん無人駅である。
仕方がないから一旦外に出て踏切を渡る。反対側のホームに出ようと、切符を入れたら、パシャとシャッターが閉まった「この切符は使えません」。
「おいおい、切符を買い直せというのか!それはない」もどってきた切符を持って、シャッターが上がった時、脱兎のごとく自動入り口を駆け抜けた。なにやらアナウンスされていたが、知ったことでない。
ホームのベンチで座っていた先ほどのバスで一緒だったカップルが笑っていた。
「「踏切を渡ってください」と表示がありましたよ」と言う。
こんな危険な駅の設計になぜ建築許可がおりたのか。歩道橋も地下道も作らなければコスト安で建築できるのはわかるが・・・見るとまだ新しい建物だ。そんなに古い駅ではない。古い時代だったら。こんな発想の駅は作らないだろう。名鉄の良識を疑う、とブツブツ。家には4時過ぎ帰着しました。



心臓の悲鳴

2015-04-19 | サイエンス
「心臓の悲鳴」という話題です。
土曜日、向かいの若先生に診断を受けました。ひと月前に血液・尿の検査をお願いしたので、その結果を聞きに行ったのです。
「内科的にはまったく問題ありません。今回は新たにNT-probBNPの検査を行いました。
これは「心臓の悲鳴のようなもので、この数字は大きいと心臓の悲鳴が大きい。それが81です。ふつう70歳を超すと300ぐらいですから、若い人なみで、心臓にまだまだ余力があることになります。」
と、聞かされてもピンと来ないので、帰宅後、インターンネットで、NT-probBNPを検索しました。
BNPもprobBNPも心臓で生成されるホルモンで、心臓の活動が活発になるほど沢山生成される。probBNPの方がBNPよりも半減期が長い。そこでprobBNPの量を測定すれば心臓の酷使度がわかるわけです。上のような図がありました。
結論として81なら、心不全の可能性は極めて低い。
pgはmgの10のマイナス9乗だそうです。
色々なデータが、町医者でも利用できるようになったのですね。

PC故障?大慌て

2015-04-18 | Weblog・人生・その他
 水曜夜、寝る前にPCの作業をしていて「終わりにするか」と、シャtットダウンをクリックした。
「電源を切らないでください」と、Windousのダウンロード「更新プログラム インストール何個中何個」のメッセージが出ている。「ほかっておけばそのうち終わるだろう」とそのままにして寝てしまった。
 翌朝起きてpCの傍へ行くと、まだ「20個中5個」となっている。そこからメッセージの数字は変わらない。PCの計算が無限ループに入ってしまったらしい。「電源を切るな」と言われても「これは切るしかない」と、一旦電源を落として再起動を掛けた。
 ところが、PCは立ち上がらない。「「更新プログラム インストール何個中何個」のメッセージが出ている。
「PCが動かない!」とあわてた。
PCがないと、まずTK2とのメールが出来ない!古いPC(XP)を使うかと、XPを立ち上げてメールが見られるか確認!これはOK!しかし、XPは現在使用中のBrotherのプリンターのドライバーが入れてない。インターネットからドライバーをダウンロードしないといけない。印刷ができないと手紙類は出せない。手書きすればいいが、最近は字が下手なこともあって、手書きで手紙は出していない!それに、水泳やランニングの距離をPCに入れている(今年は昨日まで72㎞泳いだかな?)まぁ、そんなことは記録しなくてもいいと言えばそうだが・・・預金残高もPCに入っている。もちろん通帳を見ればよいのだが、PCで総額がすぐわかるようになっていた。考えてみると、自分の生活はPC漬けになっている。
故障したpCを直さないと。どうする?システムが立ち上がれば何とかなるのだろうが・・画面は「電源を落とさないでください」だけでは何ともならない。購入した電気店に持っていこうか?まだ買ってから5年は経っていないから無料修理は効くが、デスクトップだから重い!タクシーを呼んでいこうか。本体とキーボード・マウスと電源コードを持っていけばいいかな?
 ここまで思案していて、急に思いついた。
「インターネットから更新プログラムをダウンロード中におかしくなったのだから、インターネットと切り離して電器店に持って行っても、電器店では異常は見つからない?
 では、ここでもインターネットを切り離して動かせば、PCは立ち上がるだろう。
 PC裏面のLANケーブルを抜き取ってPCの電源を入れ直してみました。Windowsの画面が立ち上がりました。そこでLANケーブルをもう一度差し込んで。インターネット画面にアクセスしてみました。OKです。次にメールを読んでみました。これもOKです。
なんともありません。いつものように、PCは使えるようになりました。
年甲斐もなく大慌てして、恥ずかしい限りでした。

福島第一原発事故7つの謎

2015-04-11 | 読書
『福島第一原発事故7つの謎』(NHK[メルトダウン]取材班著、2015年1月刊)
 フクシマ原発事故の真相は明らかにされていないことが多い。本書の各章の見出しを下記するが、多くの人は「そんなことあったの?」と思われるだろう。
第1章1号機の冷却機能喪失はなぜ見逃されたのか?事故当日、1号機の非常用冷却装置が津波直後から動いていなかった、吉田所長らはなぜ気づかなかったか。
第2章ベント実施はなぜかくも遅れたのか
 管首相がヘリコプターで駆けつけ、実施を迫ったベント。何故遅れたか?
吉田のベント指示が12日0時、紆余曲折の結果、実施されたのは14時30分である。
運転人は以前化らベントの訓練は受けていた。しかし、その訓練は非常用電源から電気が供給されている前提だった。電源があれば中央操作室の制御盤の操作だけで容易にベントはできる。電源がないと、原子炉建屋に入って手動でいくつかの弁を動かさないといけない。その時立ちはだかったのは、高い放射能の壁である。
第3章ベントは本当に成功したのか?
「吉田所長は3月12日午後2時半ごろベントによる放射性物質の放出がなされたと判断」と事故調査報告書に記載されている。しかし、吉田は後日「ベントができたかどうかの自信はありません」と語る。
 排気筒口の線量計が機能しないため、放射性物質の計測が不可能で『成功した』とされているのは、格納容器の圧力低下や放射線量増加などの状況証拠からの推測であるという。
第4章爆発しなかった2号機で放射能大量放出が起きたのはなぜか?
 2号機の運転員がRCIC(非常用冷却装置)のレバーを往査して装置を起動させたのが11日午後3時39分。津波の浸水で中央制御室の1号機側の操作パネルのランプが次々消えていった兆区後、RCIC起動直後2号機の中央制御質も停電。RCIC起動が跡数十秒遅れたら2号機は冷却機能を失われ1号機同様早々にメルトダウしていたかもしれない。
2号機のベントを妨げたのは、放射性物質。その放射性物質の漏えいが疑われているのは、奇跡的に津波の被害を免れて2号機を3日間にわたって冷却してきたRCICのタービンの軸部分だった。
第5章消防車が送り込んだ400トンの水はどこに消えたか?
 3号機に消防車で注入した水は、シミュエーシヨンによると、45%が原子炉に流れ込んだが55%は復水器に漏水してしまっていた。消防ちゅうすいのうち75%が原子炉に入っていればメルトダウンはふせげたという解析結果も出ている。
第6章緊急時の減圧装置が働かなかったのはなぜか?
第7章「格納容器」が壊れたのはなぜか?
日本の原発で応力腐食割れが盛んに起こった場所は、高温に加え放射性物質にさらされた場所だった。ヨウ素、フッ素、塩素など原子炉の中で核分裂反応が起きることで発生する物質は腐食割れを加速する。
それに特別編東電原発トップが語る事故の「真実」
 この章の記述で興味深いのは、ヘリコプターによる放水は、優先順を間違えたという記述です。この時最優先で行うべきは、電源復旧工事で、ヘリコプター放水の間は電源工事が出来ず、放水した水も有効に原子炉を冷やしていなかったという記述です。
 全体を通読して、感ずるのは、現場従業員は必死で事故の収束に努力していたということ。
 そして、全電源喪失を「想定外」というが、原発のような事故の際の被害の重大な装置では「想定外」はあってはならない。「措定外」を防げないのなら、そういうシステムは実施すべきでない。と言うのが私の結論です。

自分史

2015-04-03 | 読書
『自分史の書き方』(立花隆著、講談社、2013年12月刊)を読みました。
2008年立教大学の『立教セカンドステージ大学』で著者が開講した「現代史の中の自分史」なる授業の実践記録です。
 自分史の現代史における意味と作成手法を述べたあと、セミナーに参加した方々の作品を紹介。それについてのコメントを記載しています。
以下のウェブページにに、参加者の作品と立花さんの講義内容、それに自分史を公開したい人のための掲載ページがあります。
http://book-sp.kodansha.co.jp/topics/jibunshi/

印象に残ったのは、紹介作品の作者が人生観を語っているくだりです。
【これからの人生が有限であることを意識する年齢です。その有限の時間を何に使うか?
少なくとも、「死ぬときに、あれをやりたかった」という後悔だけはしたくない。】
【著者もこういう。「いわゆる“負け組”と言われる人たちの中に、本当の意味で生活を充実させる人たちがいた。
彼らこそ一番の“勝ち組”だったのではないだろうか。彼らはとっくに勤めを辞めて、自分でやりたいことに没頭している。
生活は豊かではないが、その表情をみれば心が満たされているだろうことは想像に難くない。」】
【私は基本的に、人間なにが幸せかといえば「やりたいことを、やりたいように、やる」という一点につきると思っているが、
勝ち組上位者になればなるほど、そういう生活とは遠いところにいるようだ。
「社会的成功ゲームの勝ち組・負け組」と「人生の勝ち組・負け組」は一致しないどころか。実はしばしば相反する。】