古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

EVと自動運転

2018-07-28 | 読書

「EVと自動運転」(岩波新書、鶴原吉郎著、2018年5月刊)を大学図書館の書棚に見つけて読みました。とても面白い、その一部を紹介します。

 

ブラウン管テレビから液晶テレビへの移行は、エンジン車からEVへの移行に非常に似ている。ブラウン管テレビの時代には、ガラスでできた大きな真空管であるブラウン管を成型する技術や設備が参入障壁となっていたほか、ブラウン管は大きく重く、運ぶのが大変なためテレビ組み立て工場の近くでブラウン管を製造した。このため、テレビメーカーの多くは自社で製造しており、ソニーの「トリニトロン」や日立の「キドカラー」といったブラウン管技術を各社が競った。

 液晶の大型化が進んで「テレビの液晶化」が議論され始めたとき、最初に言われたのは、「解像度が低く、発色が悪く応答速度も遅い。テレビには向かない」という否定的な意見だった。だが、世界の平面テレビの趨勢は液晶一本に絞られ他の多くの方式は駆逐された。

画質で液晶より優れていた様々な方式がなぜ敗れたのか、一番の理由は、多くの企業が液晶を選び、そこに多くの投資がなされたことである。それにより部材のコストが下がり、カラーフィルターや部品材料の進化が進み、色あいの問題や、応答速度の問題が次第に改善された。なぜ多くの企業が液晶を選んだか、最大の理由はチャレンジャーだった韓国企業や中国企業に「ブラウン管技術の蓄積がなかった」から。ブラウン管テレビの経験が生かせる技術で勝負すれば日本企業に負けるのはわかっていた。そこで、蓄積がなくても参入しやすい技術に多くの企業が殺到し、液晶が勝者になったのである。液晶が最も優れた技術だから勝者になったのではなく、「新規参入企業でも勝てる可能性がある技術」と認識されたから液晶が勝者になった。

 ではブラウン管とエンジンのどこが似ているのか。エンジンもブラウン管と同様に加工設備に多くの投資、ノウハウが必要で、それは参入障壁になっており、また遠くに運ぶにはかさばるので、組み立て工場の近くで製造するのが理にかなている。エンジンの強みがそれぞれの企業の強みとなっているのも共通する。

 EVは欠点の多い技術である。HEVやPHEVに比べて航続距離は短く、充電時間は長く、高速での連続走行に現在のバッテリーは耐えられない。

 しかし、新規参入企業からみると、HEVやPHEVそれにFCVは医術の参入障壁が高すぎるのであり、先行企業に追いつく見込みのない技術である。だからこそ、中国は国家戦略としてEV化を推進し、新規参入企業はEVで参入するの

欠点の多い技術でも、それが主流になってしまうと、は不可能を可能とする技術革新が起こる。EVは過去の技術の蓄積を無にするからこそ選ばれるのであって、EVが優れた技術だから選ばれるのではない。

トリニトロンという独自のブラウン管技術を持ったソニーは、自社のブラウン管技術に絶対の自信を持ち液晶への意向にはまだ時間がかかると踏んでいた。液晶パネルの自社生産に失敗したソニーは、「液晶テレビの負け組」とみなされた。

一方、いち早く液晶への切り替えに舵を切り「液晶テレビの勝ち組」の筈だったシャープは経営の悪化で台湾のホンハイ精密工業の傘下に入った。シャープは、技術では勝ったが、ブラウン管から液晶に移行したテレビ事業がビジネスモデルも変わったことを見誤ったのだ。ブラウン管時代には、優れたブラウン管技術を持つことが勝ち残る条件だった。これが液晶テレビの時代にも当てはまると誤認し、液晶医術を高めることが競争力の源泉だと考え巨大投資にめり込んだ。しかも、その最新パネルを他社に供給しなかった。この戦略が裏目に出た。中国企業が続々液晶生産に参入し、液晶の供給能力は急拡大し液晶パネルは急激に値下がりした。

 シャープだけではない。6000億円の巨費尾投じて尼崎にプラズマヂスプレイの巨大工場を建設したパナソニックもコスと競争に敗れ、尼崎工場は閉鎖に追い込まれた。

 つまり、液晶テレビの時代にh勝ち抜くには、、単にブラウン管を液晶に変えるだけでなく、ビジネスモデルも考え直す必要があったが、それに気づくのが遅れたことが、日本の家電メーkザーの敗因だと言える。この教訓はEVにもそのまま当てはまるだろう。


動的平衡とオートファジー

2018-07-24 | サイエンス

猛烈な暑さが続いている。

「いのちに関わる暑さです。適宜に冷房を使い、こまめに水をとってください」とTvニュースが伝えている、さらに「水泳でも気温/プラス水温が65℃を超えると熱中症の危険があります」とまで言う。

左脚の具合が悪くて早くは泳げないのだが、ゆっくりでも泳げばリハビリになるだろうと二日に1回はプールに出掛けるのだが、メチャクチャ咽喉が乾く。プールを出て、自販機で百円のコーラを一気飲みして息をつき帰宅して冷房を入れベッドにひっくり返ると、もう何もする気が起きない。

というわけで、今月に入ってからブログを全くかけない。読んで頂いている方に申し訳ないと、21日、ブログのネタ探しに、県図書館に出掛けた。

福岡伸一ハカセの「動的平衡第三巻」(木楽舎。平成17年12月刊)を見つけた。第二巻は先年丸善で買い求め我が家の書棚に並んでいるが、第三巻はまだ読んでいない。早速借りてきた。以下は同書の記述から。

2016年のノーベル医学・生理学賞は、日本人研究者・大隅良則氏のオートファジー研究に対する貢献に対して授与された。日本人がノーベル賞をとると、テレビは特別番組、新聞は号外が出てお祭り騒ぎになる。そしてお祭り騒ぎの内容はといえば、研究自体はおおざっぱにしか説明されず、むしろ受賞者の人となり家族の支えなど人情話になる。結局大隅先生はお酒が大好き。みたいな印象しか残らない。そこで、ここでオートファジー研究の意義について改めて考えたい。

一言で言えば、「生命は、つくることよりも、壊すことを一生懸命行っている」ということである。

 少し過去を振り返ってみよう。

2004年のノーベル化学賞は、A・チガノーバー、A・ハーシュコ、I・ローズの3人の研究者に与えられた。ユビキチンシステムと呼ばれる細胞内タンパク質分解の仕組みの解明が評価されたのである。受賞講演の冒頭、チカノーバーはルドルフ・シェーンハイマ-について話始めた。私はひそかに快哉を叫んだ。私にとって、シェーンハイマーはヒーローだが、若くして謎の自殺を遂げ、科学史的には半ば忘れ去られた存在だった。ナチス・ドイツから亡命、1930年代から40年代、ニューヨークのコロンビヤ大学で研究を行った。

 彼は同位体をつかって生体物質の動きを可視化し、私たちが食べ物を摂ること事の意味を問い直した。一般に、生物にとって食べ物とは、自動車にとってのガソリンと同じと考えられていた。

しかし、実はそうではない。確かに食べ物はエネルギー源として燃やされる部分もあるが、たんぱく質は違う。私たちが毎日タンパク質を摂取しなければならないのは、自分自身の身体を日々、作り直すためである。

 たとえば、私たちの消化管の細胞はたった、2,3日で作り変えられている。1年も経つと、ⅹ昨年私を形作っていた物質はほとんど入れ替えられ、現在の私は物質的には別人になっている。つまり、生命はたえまない分子と原子の流れの中に。危ういバランスとして存在する。これが「動的平衡」である。

 この動的平衡の流れを作り出すためには、作る以上に壊すことが必要になる。それゆえ細胞は一心不乱に物質を分解している。チカノバーたちは、シェーンハイマーの遺志を継いで、壊すことの重要性を明らかにした。

 生命にとって重要なのは、作ることよりも壊すことである。細胞はどんな環境でも、いかなる状況でも、壊すことを止めない。むしろ進んでエネルギーを使って、積極的に、先回りして、細胞内の構造物をどんどん壊している。なぜか。生命の動的平衡を維持するためである。

 秩序あるものは必ず、秩序が乱れる方向に動く、エントロピー増大の法則である。この世界において、もっとも秩序あるものは、生命体だ。生命体にもエントロピー増大の法則が襲い掛かり、常に酸化、変性、老廃物の発生がある。これをたえまなく排除しなければ、新しい秩序を作り出せない。そのため絶えず、自らを分解しつつ、同時に再構築する流れ「動的平衡」が必要だ。

 細胞には巧妙で大規模な分解システムがあった。これが大隅氏のオートファジー研キュである。

 オートファジーとは自食作用のこと。細胞内には、ミトコンドリヤや輸送小胞などの構造体がある。細胞は特殊な膜によってこれらの構造物を取り囲み、隔離してしまう。隔離した後、構造体を分解してしまう。分解産物はリサイクルされたり、排泄されたりする。つまり、エントロピーが捨てられている。大隅チームは、酵母と言う微生物を使ってオートファジーのメカニズムをあきらかにしたのである。、