古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

私と原田泰さんの教育論

2013-05-25 | 経済と世相
 原田泰さんの「なぜ日本経済はうまくいかないのか」を読んで、以下の文章に出会いました。
『教育をめぐる議論は常に混迷している。なぜなら、教育とは何かについての、基本的な合意がないからだ。しかし、私たちの先人は、教育が何であるかについて、明確な考えを持っていた。それは、教育は「型」であるということだ。先生のすることを真似、型を身につける、その上での工夫を奨励するのが教育だと誰もが分かっていた。しかも、日本人は、それを自由の中で行っていた。型は、自ら選んで身につけるものだった。』
つまり、
 教育とは、ある技能の「型」を教えること。「型」とは、現時点で、「もっともよいやり方」と考えられている「やり方」です。もちろん、もっと良い「やり方」があるかもしれない。それを見出すのが、「創意工夫」です。しかし、「創意工夫」と言っても、現時点で一番良い「型」を知ったうえで、創意工夫する方が、何も知らずに考えるより、効率的に「創意工夫」できるはずです。そこに教育の意味がある。
 教育とは、世の中を渡っていく上で、必要と思われる技能の「型」を教えること、と言うのが小生の考えです。
 「ゆとり教育」という言葉が、流行ったことがあります。
どうもうまくいかなかったようですが、「教育」の定義を考えてから、やるべきでした。「教育」が定義できなくて、「教育のゆとり」が定義できるわけない、ですから。
 「義務教育」とは、人間が生きていくうえで、必要な技能(あるいは心の持ち方)の「型」を教えること、と思います。
 私の偏見かもしれませんが、明治以来の日本の教育は(特に義務教育は)、兵隊または官僚を育てる教育であった。
 本当に人間に必要な教育とは何かを、戦後の教育改革の時点で、教育者も親も、考えるべきでしたが、それを考えずにやってきた。そこに、今日の「教育の混迷」があるのではと思います。

第二・第三の矢

2013-05-24 | 経済と世相
『なぜ日本経済はうまくいかないのか』(原田泰著、11年5月刊、新潮選書)を読みました。先日、中央公論5月号の原田さんの寄稿が、安倍内閣のTPP参加を支持する内容でしたので、いったい原田さんは、TPPについてどのように論じているのかを知りたいと、最近の原田さんの著作を図書館で検索してみました。残念ながら、最近の本がなく、一番新しいのが11年5月刊行の本書だったのです。
『週刊東洋経済』に寄稿した近年の論文を編んだ本ですが、中心の思想は「バラマキは悪くない」。なぜ悪くないのか。バラマキとは、国民に直接おカネを渡して国民にカネの使い方を決めてもらうことだ。バラマキしないことは、特定の箇所にカネを集中して使うことだが、その特定の箇所を決めるのは、政府ないしは官僚である。
カネの使い方を政府が決めるのが正しくて、国民が決めるのが正しくないと言えるだろうか?
例えば震災復興についても、『 (政府や地方自治体が行おうとしている復興策と違う)被災した人々のためになる、安価で効果的な復興策、それは巨額の公共事業ではなく、何よりも人々を直接助ける復興策である、というのだ。
 お役人がお金の使い方を決めるよりも、被災した人に直接お金を支給して自分たちで使い道を考えてもらうのが最も無駄が少ない。ところがお役人はそう考えない。お金の使い方は、東大法学部の難しい試験を経て優秀さを証明された官僚が決めるのが一番良い(と考える)。』(『震災復興 欺瞞の構図』(新潮新書、12年3月)
 余談になるが、同じことを主張している政治家がいる。名古屋市長の河村たけしさんだ。彼が減税を主張しているのは、カネの使い方は役人が決めるより市民が決める方が無駄が少ない。市民が決めるとは“減税”することだ。というのだ。私は河村さんを支持する。
 経済学は、財の供給と需要に関する理論だと考えますが、原田さんの「供給」に関する理論は、まことに明快と思いますが、「需要」に関する理論には、物足りないという感じを持ちました。たとえば、 
『新成長戦略に金融政策への言及がほとんどないのが不思議である。
政府がお金を使うためには税金を取るか、国債を発行しなければならない。国債を発行すれば、誰かが使うことの出来たお金でその国債を買ったことになる。政府は、国民お右のポケットからお金を取り上げて左のポケットに入れることしかできない。もちろん、「新成長戦略」にも書かれていたように、高度成長時代のように投資効果の大きいインフラを作れば、経済全体の所得も増えて、需要も増える。しかし、現在、そんなインフラ投資はないのだから、政府ができることは、国民の右のポケットから取り上げて左のポケットに入れることだけだ。
 それに対して、日本銀行は、国民のポケットから調達せずに、社会全体のお金を増やし、需要を拡大することができる。』
 これが、アベノミクスで「第一の矢だけで十分」という原田さんの主張につながるのだと思います。つまり、「金融を緩めれば自然に需要が出てくる」と考える。だから、第二、第三の矢は必要ない。むしろ、第二・第三の矢は、官僚がカネの使い方を決めるので失敗する危険性がある、というのでしょう。
  はたしてそうか?ここが問題です。
TPPには、あまり触れていません。わずかに、次の文脈においてだけです。
『TPPに参加することによって被る一部の農家の損失はどの程度か。農林水産業の総生産は5.6兆円である。そのうち、野菜・果樹など、3割の農業は保護されていない。損失を被るのは、残りの7割、3.9兆円を生産している農業である。TPPに参加しても、3.9兆円がゼロになるとは考えられないので、半額を上回る2兆円で十分に補償される・・また日本の農家の平均年齢はすでに65歳である。2兆円の補償は毎年削減徐々に削っていってもよいのではないか・・』。即ち、補償金で反対する農家を納得させれば、TPPに参加して農業以外の産業発展が図れるという主張です。
TPPが本当に「自由貿易の拡大」を狙うものなら、そういう主張が成り立つと思いますが、私にはそう思えない。「自由貿易」といえども、ルールなき「自由貿易」はあり得ない。そのルールを米国企業に有利に決めようというのがTPPだと私は考えるのです。 


第一の矢だけで良い

2013-05-18 | 経済と世相
中央公論5月号に原田泰さんが面白い論文を発表していました。
「黒田新総裁でついに否定された日銀理論」という寄稿です。その要旨は冒頭の次の文で明快です。
『安倍政権の経済政策(アベノミクス)は、大胆な金融鐘和、機動的な財政政策、民間投資を呼び込む成長戦略という「3本の矢」からなる。「第一の矢」の大胆な金融緩和だけで、円安と企業の収益改善を見込んだ株価上昇が起き、日本経済の明るい展望が見えてきた。私は「第一の矢」だけで十分で、「第二の矢」は放つべきではないと考えている。また「第三の矢」が、規制緩和、民営化、市場開放、減税であればよいが、逆効果をもたらす可能性もある。ただし、安倍総理が指導力を発揮してTPPへの交渉参加を表明したことは素晴らしい成長戦略の一つである。』
『円安で輸出が伸びればやがて雇用も拡大し、企業の利益も給与も増大する。企業の利益が上がれば株価が上昇し、投資も増える。給与が増えれば消費も伸びる。投資も消費も増えれば物価も上がる。・・・給与が増えているから、物価が上がってもさまざまな商品を購入することができる。』というのです。
 筆者の持論がうかがわれる主張は、『しかし、日本がデフレを脱却するには、「第一の矢」だけでは不十分で、第二、第三の矢が必要であり、・・という謬説が絶えない』。つまり、「第一の矢」だけで十分で、第二、第三は不必要である。それどころか有害だと説く点です。
 第二の矢について、『これまで日銀が金融緩和を嫌ったのは、金融拡大が最終的には金利を上げるからである。金利をなるべき上げずに物価を上げるには、金融拡大して財政を緊縮することである。』
 第三の矢について、『デフレ脱却には金融政策だけではだめで、成長戦略が必要だという議論に至っては全くわけがわからない。成長力が高まるとは、需要が拡大しても物価が上がらないということである。』
『「第三の矢」の成長戦略の詳細は明らかではないが、それが規制緩和、民営化、市場開放、減税であれば効果がある。TPPへの参加は市場開放であり、成長に結びつく。しかし、これまでの成長戦略とは、政府が特定の成長すべき産業を選び、その産業を援助するということだった。』
 政府に成長産業を選択する知恵はないから、「第三の矢」は無駄であり、TPPで市場開放を図るだけで十分という。
 政府に成長産業を選ぶ知恵がないということには同感ですが、TPPは市場開放で自由経済を促進するという考えには、私は、賛同しかねます。
 原田泰さんは、私の尊敬するエコノミストです。【原田氏の真骨頂はデータを駆使して、それまでの通説をひっくりかえしてみせるところにある。(東谷 暁著『エコオミストを格付けする』(2009.9.20)】
 徹底的な自由経済論者ですから、政府は金融を緩和するだけで十分だというのですが、TPPが市場を開放し、自由経済に資するという考えには同意できません。私見では、TPPは日本企業の市場を拡大するシステムでなく、米国企業の市場拡大を狙うものと考えるからです。
 もう一つ、アベノミクスの評価について、本当に金融緩和だけで十分か?それは経済政策の目的をどう考えるかで定まる。つまり、輸出企業を中心とした大企業の業績回復を目的とするのか、国民の経済的福祉が回復しなければ、政策は不十分と考えるか?
私は、企業が業績回復すれば、「給与が増えれば消費も伸びる」と、楽観的には考えられないのです。


藤前干潟と新緑の荒子川公園

2013-05-14 | 旅行
12日は藤前干潟(2002年ラムサール条約登録9に行きました。
http://www.kankyo-net.city.nagoya.jp/fujimae/
駅ちかウオーキングに参加し、出発地点の地下鉄築地口駅に10時前。4番出口から西へ。すぐ中川橋です。ここからは中の島緑地の中を歩きます。ここは、昨年6月住宅シシアクラブのウオーキングで歩いた所。

新緑が鮮やかです。荒子川を超えて、十一屋川緑地にはいりました。
緑道が整備されています。

あおなみ線の稲永駅を過ぎると稲永町の交差点。間もなく稲永東公園ここまで3㎞。11時。
「少し早いけど昼mw氏にするか」とお握りをほおばる。
15分ほど休憩した後、公園を横切って、あおなみ線の野跡(のせき)駅です。駅の南、汐留町までくると、海が見えてきます。藤前干潟です。
三角形の屋根の建物、スポーツセンターでした。

海岸沿いに稲永ビジターセンターがあり、館内の展示で、干潟のしくみ、渡り鳥の生態を説明していた。
数10m離れて野鳥観測館がある。30台の望遠鏡が備えられている。
海岸では大勢の人が弁当を拡げていた。
干潟の端のスポーツセンターに入ってみた。プールがあれば泳いでみようと思ったが、受付で聞くと、残念!ありません。ここで7㎞。後は西稲永から十一屋町を通って荒子川公園に。
ここは度々来ている。

新緑が目に沁み、走り過ぎるジョガーに出会う。

ゴールの荒子川公園駅には12時50分に着いた。
3時間弱、休憩をのぞくと2時間半強で10㎞のコースを完歩しました。

ぶろぐ3000日

2013-05-03 | Weblog・人生・その他
ぶろぐ「古稀の青春」を始めてから5月2日で3000日をむかえました。
きのうまでに累計で150,829のお読みいただきました。お読み頂いたページ数は414,263ページになりました。
皆様のご愛読を感謝します。