古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

議事録 作られず

2012-01-26 | 経済と世相
『議事録 作られず』と題する記事が、1月24日の中日朝刊3面に載りました。
【東京電力福島第一原発事故対応のため設置され、避難区域の設定や除染方針の決定を行ってきた政府の「原子力災害対策本部」の会議の議事録が、事故直後の設置以来まったく作成されていないことが分かった。重要な政策決定が行われた過程を検証できる資料が作成されていなかった。災害対策本部の事務局を務める経産省原子力安全・保安院が明らかにした。
 3月11日の設置以来、計23回あったごとに作成されたのは、議事次第程度の簡単な書類という。
 森山原子力災害対策監は記者会見で「開催が急に決まるなど、事務的に対応が難しかった」と釈明した。・・・
「意思決定に関わる過程を文書で残しておくことは(公文書管理法で)義務付けられている」とも語り、担当者のメモなどに基づき事後的な作成を関係省庁で検討している」
 原子力災害対策本部は、原発事故などで原子力災害対策特別措置法に基づく緊急事態が宣言された際、応急対策を総合的に進めるため、内閣府に臨時に設置され、今回の対策本部では避難区域の設定や、事故収束の工程表終了など重要事項を決定してきた。】
 実は、このニュース、日曜夜のNHKニュースで流れていた。詳しく知りたいと思い、翌日の朝刊を見たのだが、出ていない。火曜日24日の朝刊で見たのです。中日以外の他の新聞は?と、25日図書館で、新聞を閲覧したのだが、私の捜し方が悪いのか、見当たらない。
 これって、大変なニュースです。(私見では)新聞の一面トップに載せるべき大事件です。
 放射能汚染水を海に流したり、SPEEDIの風向きのデータを国民に隠して(米軍にはこのデータを渡していた)、国民をいっそう被爆させたりしたのは、誰が、何を考えて決定したことなのか?いずれは明らかになると思っていましたが、その証拠文書を、抹消というか、最初から作っていなかった!というのですから、これは大事件です。
 これが、霞ヶ関の高級役人の仕事のやり方なのだ!後から責任を追及されそうな文書は残さないことにする。彼らが絶対に責任を取らないことは、例えば、杜撰な年金記録問題で、歴代の社会保険庁の長官が誰一人責任を取らなかったことでも明らかです。
 原子力安全・保安院という部署の役人は、仕事をしていたのか?あれだけの大事故を発生させながら、辞任した人が一人もいない!(辞任というより、全員解任すべきと思います。)
 本来、役人の仕事ぶりを監督するのは、政治家の仕事なのですが、民主党政権の閣僚は、役人にそっぽを向かれると、どう政治をやったらわからないので、役人の言うままになっている!

生き物の時間

2012-01-25 | 読書
『生物学的文明論』で、本川先生は、生物の時間について論じてみえます。
先生には、『ゾウの時間 ネズミの時間』という名著があります。
『ハツカネズミの寿命は2~3年、インドゾウは70年近く生きる。時計の時間で比べれば、ゾウはケタ違いに長生きですが、一生に心臓が打つ数は、どちらも同じ15億回なのです。』と説いています。
 ところが、ヒトの場合、心臓が15億回つくと、大体41歳。まだ人生半ばです。しかし、40歳で人生半ばというのは、ごく最近です。室町時代でも、寿命は30歳代前半。江戸時代で40歳代、昭和22年にいたっても50歳。みんなが70だ、80だという状況になったのは、ごく最近です。
 ヒトの寿命は本来40歳程度。だって40歳代で老いの兆候が現れます。老眼になる。髪が薄くなる。閉経が起こる。自然界では老いた動物は、原則として存在しません。野生生活だったら、ちょっとでも脚力がおとろえたり、目がかすんだりすれば、たちまち野獣の餌食になってしまう。体力が衰えれば細菌の餌食にもなりやすい。
 老いた動物は野生では生き残りにくいのですが、じつは老いたものが生きていると、都合が悪い。老いたとは生殖活動に参加できなくなったということ。生殖活動に参加しないものが生き残ると、食料などの資源は限られているから、自分の子どもと資源を奪い合うことになる。
 現在の長い老いの時間は、医療をはじめとする技術が作り出したもので、還暦を過ぎた人間は、技術の作り出した「人工生命体」です。人生の前半は生物としての正規の部分、後半は人工生命体という二部構成で出来ているのが、今の人生なのでしょう。
 閉経以後の生、つまり人工生命体としての部分は、生物学的に見れば、存在すべき根拠のないものです。この部分は、品質保証期間が切れた部分なのです。生物は進化の過程で自然淘汰を受けてきました。淘汰を受けて生き残っているということは、ちゃんと働けると、自然が品質保証をしていることを意味する。人生の前半は品質保証のある期間、でも老いの期間は自然淘汰を受けてこなかった部分、つまり品質保証が切れた部分です。私たちのこの体はもともとそんなに長生きすることなど、想定されずにつくられているのですから、保障期間が過ぎれば、ガタが来て当然でしょう。
 老いの期間が若いときと違うのは、ガタがくるということだけではありません。時間だって違います。
 動物においては、時間の速度と体重当りの消費エネルギーが比例しています。
 体重当りのエネルギー消費量は、赤ん坊は非常に大きく、成長するにしたがって、20歳まで急速に減っていき、20歳を過ぎてからは、ゆるやかに減り続けていきます。これは、子どもの時間は早く、老人の時間はゆっくりだということを意味するでしょう。老人のエネルギー消費量は、子どもの2.5分の1ですから、老人の時間は子どもの時間の2.5倍ゆっくりだということです。
 まてよ、と思われるかもしれません。年をとってきたら、(実感では)一日も1年も速くたつ。時間が速くなるんじゃないの? なぜ実感は逆になるか?
 例えば、孫と一緒に一月夏休みを過ごしたとする。同じ一月でも、子どもは2.5倍もエネルギーを使っていっぱいいろいろなことをやるので、あとから振り返るとできごとがぎっしりつまっていて夏休みは長かったと感ずる。それに対して老人はあまりエネルギーを使わずに、少しのことしかおこないません。振り返れば・・・休みは短かった。時間は、その中に入っているときと、あとから振り返る時とでは、感覚が逆になる。
 子どもの時間はエネルギーをたくさん使ってすばやく流れます。老人の時間はエネルギーをあまり使わずにゆったりと流れます。そして、小さいネズミはエネルギー(体重当り)をたくさん使って、時間は速く進み、大きなゾウは、エネルギーはわずかしか使わず、時間がゆっくり進む。
 睡眠時間も、ゾウは3~4時間しか眠りません。ネズミは13時間も眠ります。エネルギーをたくさん使うものほどたくさん眠ります。昨年末、私は、こんなことを書きました。
http://blog.goo.ne.jp/snozue/d/20111230
『怪我をした場合、怪我をした箇所の細胞が新しい細胞に入れ替わることで、治るのだろう、と私は思っています。その新しい細胞が出来てくる時間が、齢を取ると長くなる?という仮説に思い至りました。
細胞の中で細胞各部の反応の進行速度が遅くなっている。つまり、細胞の中では「時間がゆっくり流れている」。細胞の中の時間とは、「身体の中の時間」といってもいい。
もう一つ、「頭の中の時間」というものがあるのでは?「頭の中の時間」とは「記憶の中の時間」です。』
本川先生の、「その中に入っているとき」の時間が私の言う「細胞の中の時間」、「あとから振り返る」時間が私の言う「頭の中の時間」だと思います。

 本川先生も私と同じことを考えているのだ、と意を強くしました。

頭がいいが脳がない

2012-01-24 | 読書
もう一つ「生物学的文明論」から面白い話題です。
「ナマコ」って本当に不思議な生き物ですね。
世界でナマコを食べるのは、日本人と中国人ぐらい。中華料理では、いったんゆでて干したものを使いますが、日本では生で食べます(だからナマコという)。
『ナマコは巨大な芋虫型です。目を持っていない。目だけでなく、耳も鼻もそして脳もない。目・耳・鼻・脳が集まっている場所が頭ですが、頭とよべるものがない』。本川先生はこのナマコの(世界に10人くらいしかいない)研究者だそうです。
『シカクナマコをジーっと見ていたんですが、さっぱり動かない。よく見ると、ゆっくりとは動いている。朝から夕方までかかって10m動くかどうか。ふつう、動物は近づいていけば逃げます。逃げ足の遅いものは初めから隠れているか、そうでなければ、サンゴや貝のように硬い殻で身を守っています。
 でも、ナマコは硬い殻で身を守っているわけでもないし、隠れてもいない。』
逃げも隠れもしなくて、どうして魚などの捕食者にたべられないか。
 『ナマコは何を食べているか、ご存知ですか?砂です。口の周りをぐるりと取り巻いて触手が生えています。触手の一本一本は伸び縮みする管です。管の先端がふくれてカリフラワーみたいになっていて、これを砂に押し付けて砂をくっつけ口に運ぶ。砂を食べている。砂は石の粒ですから、もちろん栄養にはならない。砂と一緒に飲み込んだ海藻の切れっぱしや有機物の粒子などを食べる。砂の表面に生えているバクテリヤも栄養になる。砂はそのまま排出する。だから、ナマコの後ろには、ウインナー・ソーセージみたいにつながった砂の糞が見られます。』
 そんな貧しい食事で子どもなんか作れるの?それが現実には(いる場所に行けば)うじゃうじゃ居る。決して「砂を噛むような人生」を送っているわけではないという。
(ナマコを)ぎゅっと握り締めると、硬くなる。
『硬さの変わるのは皮の部分で、この皮、相当分厚い。ナマコを輪切りにしてみると、竹輪みたいな感じで、真ん中に穴が開いている。竹輪の身の部分が体壁(われわれが食べる部分)。この体壁の厚みのほとんどが皮。筋肉は体壁の一番内側、つまり竹輪の穴に面したところに、ちょっとだけあります。竹輪の穴の部分には、液体がつまっていて、そこに腸などの内臓が浮いている。』
 ナマコは酢でしめて食べますが、酢でしめると皮は硬くなりコリコリする。
『ナマコをつかむと硬くなる。ところがさらに強くもみ続けると、突然、ナマコがやわらかくなりはじめ、しまいにはドロドロに溶けてしまいます。
 びっくりしたのは、これで死んだのではない。溶けたナマコは形などなくなりますが、これを、そーっと水槽の中で飼っておくと、だんだんナマコの形になってきて、2~3週間もすると、元通りに「生き返った」のです。』
 コリッと硬くなったり、どろどろに溶けるくらいやわらかくなったり、ナマコの皮は硬さが自在に変わるのです。
 皮が硬くなるのは、敵に攻撃された時、硬くして身を守る。軟らかくするのは、・・・岩の間に入る時(海が荒れた日には昼間でも岩の間に隠れます)には、よくもこんな所を通れるものだとびっくりするほどの狭い入り口を、体を細く大変形させながら通り抜けます。入り口を通り過ぎたら、体の形も方さも元に戻す。岩の間に隠れているナマコを、魚が見つけて噛み付いたら、噛み付かれた部分が溶けてしまう。ナマコは魚に噛み付かれると、そこの部分の皮を溶かして穴を開け、そこから腸を吐き出します。ナマコの腸はこのわたの原料であり、うまいものですから、魚は喜んでそれを食べる。食べている間にご本尊のナマコは逃げていく。一月もすれば、腸はまた再生する。
フクロナマコという種類のナマコがいる。砂の中にすっぽりと体を埋めており、口のまわりに生えている触手を砂の外に伸ばして、潮流れにのってくる小さな有機物の粒子を捕まえて食べています。このナマコ、魚に触手を噛み付かれると、口のちょうど下、首に当たる部分の皮をものすごく柔らかくして、触手と首とそれに腸までつけて、体から切り離して吐き出す。魚がそれを食べている間にご本尊(といっても皮だけ)身を縮めて隠れてしまう。首の部分には、ナマコの体内では一番まとまった神経系があるのですが、あやうくなると、この首を相手に差し出す。そしてまた首が生えてくる。

 実はナマコは毒をもっているので、ナマコを食う魚はあまりいない。しかし、例外があって、タラやサメはナマコを食う。だから、毒だけでなく、硬さの変わる皮も必要。この毒は魚以外にはあまり効かない。人間の腸からは吸収されないので、大丈夫だそうです。

 ナマコの餌は砂。砂はまわりにいくらでもある。探し回る必要はないので、動き回るための筋肉もあまり要らない。餌を見つけるための目や耳や鼻のような感覚器官も、なくて済む。感覚入力を統合して筋肉に指令を出すための、立派な脳も必要ない。エネルギーを使わないから、酸素や養分をどんどん組織へと送るための心臓もなくて済む。
 脳がない、心臓がない、感覚器官がない、筋肉が少なくて、皮ばっかりの動物。ナマコはわれわれ脊椎動物とはまったく違う体の作りをしている。脊椎動物は決してのそのそしていない。早く走ったり泳いだりして獲物を捕らえ敵から逃げるのが脊椎動物。早く動くためには、しなやかで軽い体と強力な筋肉が必要です。硬くて重厚な鎧で身体を守ると、重量が増え、速く動けなくなるので、(カメなどは例外だが)やわらかい肉をむき出しにした、無防備な体で、だから、逃げ足と危険をいち早く察知する感覚器官がなければ生き残れません。もちろん運動系と感覚系とを上手にあやつるには、発達した脳や神経系が要ります。あまり動かなくてもやっていける動物なら、脳はいりません。脳死問題はナマコにはない。
 われわれ哺乳類のように活発に動くには、たくさんエネルギーが必要です。発達した筋肉を持つということは、エネルギーをたくさん使うことを意味します。だから、食べ物も、栄養価の高い物を好みます。 ナマコのように、砂を噛んで生きるわけにはいきません。
ナマコは砂の上に棲み、砂を食べている。棲んでいるのが食べ物の上だから、食べる心配がない。天国みたいです。省エネに徹して、この世を天国にした。
頭いいなぁ。でも脳はない。

珊瑚と珊瑚礁

2012-01-23 | 読書
「珊瑚と珊瑚礁」について勉強しました。
本川達男著「生物学的文明論」(新潮新書)を読んだのです。
『サンゴは動物です。イソギンチャクの仲間の、ごく簡単な身体のつくりをした動物で、石の家を作り、その中に棲んでいます。この石の家は、サンゴが死んでも残り、それが固められてサンゴ礁という岩礁になります。』
 『サンゴ礁の水は透明で美しいのですが、これが実は大きな問題をはらんでいるのです。透明ということは植物プランクトンがいないということ。サンゴ礁や、それをとりまいている外洋の海水中には、栄養となるものが乏しいのです。事実、サンゴ礁のまわりの外洋には、それほど生物がいない。なのに、サンゴ礁には、ものすごくたくさん生物がいます。
 この謎を解いたのが日本の生物学者の川口四郎、1944年のことです。彼はサンゴの身体の中に小さな褐色の球たくさん含まれていることに気付きました。大きさは100分の1ミリ。この球を取り出して海水中で飼育したところ、形をかえ、殻を分泌して身に纏い、鞭毛という細い毛を二本生やして泳ぎ始めました。渦鞭毛藻という植物プランクトンでした。褐虫藻と呼ばれています。』
サンゴは動物、褐虫藻は藻類、植物です。サンゴ(という動物)の体内に植物プランクトンが共生していたのです。
『サンゴは褐虫藻が共生することで大きなメリットがあります。藻が光合成で炭水化物を作ってサンゴに与えてくれる。炭水化物だけでなく、必須アミノ酸も提供してくれる。
褐虫藻は、くれるばかりでなく、逆にいらないものをとりのぞいてくれる。
サンゴは動物だから、とうぜん排泄物を出す。これは窒素化合物です。これをこやしとして褐虫藻がもらいうける。だから、サンゴはトイレに行かなくてもよい。』
『サンゴが呼吸で吐き出した二酸化炭素を、褐虫藻が光合成で使ってくれ、逆に光合成でできる酸素をサンゴが貰う。サンゴは呼吸さえ、あえてしなくてもよい。』
褐虫藻の方は、安全な家に住まわせてもらえる利益があります。サンゴのマンシヨンは褐虫藻が光合成をし易い様に日当たりの良い方向に建て増しをしていく。そして褐虫藻のために、紫外線をカットしているのです。
もうひとつ、『サンゴは褐虫藻から栄養を貰い受けますが、その栄養の半分を粘膜を作る費用にあてています。サンゴは大量の粘膜を分泌して、体の表面をすっぽりと覆う。サンゴは海底にじっとしていますから、砂粒などのゴミが体の表面に降り積もる。体表に堆積物がたまれば、光が体の中に入りにくく、褐虫藻の光合成の妨げになる。そこで、体の表面を粘膜でラッピングしておき、汚れがひどくなったら、新しいフィルムに張り替える。
サンゴの体から剥がれ落ちた粘膜は、海水中をただよい、それを食べてバクテリヤが増える。バクテリヤは動物プランクトンの餌になり、動物プランクトンは魚の餌になる。だから、サンゴ礁の周りには魚が豊富になるというわけです。』
うまく出来ているものですね。

山崎豊子自作を語る

2012-01-21 | 読書
『作家の使命 私の戦後』、副題が「山崎豊子自作を語る」(文春文庫、1月1日刊行)を読みました。山崎豊子が井上靖に見出されたこと、この書で知りました。
【もともと、私が毎日新聞大阪本社に入ったのは、正直言って、戦争中の徴用逃れであり、作家になろうとは考えていなかった。その私が、小説というものを書いてみようと思ったきっかけは、当時。学芸部の副部長であった井上靖氏との出会いである。】
【井上氏が毎日新聞を退社されることになった時、「君も小説書いてみては――人間は自分の生い立ちと家のことを書けば、誰だって一生に一度はかけるものだよ」とおっしゃった。】・・・後(昭和33年)『花のれん』で直木賞を受賞した。【井上さんが速達で、つぎのような言葉を原稿用紙にかいて贈ってくれた。
直木賞 おめでとう
橋は焼かれた】
この本は、主として執筆に際して行った彼女の取材活動についてのエッセイです。以下、その中の一話。
【私のことを取材魔とか、取材の鬼とかおっしゃる人が多いが、取材をして小説を書くのではなく、取材に出かけるときには、既に構想が出来上がっている。
 小説の構想、人物設定、ストーリーに絞って取材するから、取材対象を選択し、探りあてるのに、予想外の時間がかかってしまうわけである。ところが、『女の勲章』は取材しないで書いた唯一の作品である。
『女の勲章』の構想を考え、唱和35年2月から、毎日新聞朝刊に連載の予定で構想を立てていたが、書き始める直前、病気に倒れた。執筆辞退を申し入れたが、小説の中でパリが登場するのは、年末の終章の部分だから、その頃、行くことにすればいいではないかと説得されて、パリの取材をあとに廻した上体で、執筆を開始したのだった。
 だが、病気は一向回復せず、パリ取材は不可能ということがはっきりした時点で、当時、日本には二枚しかないと聞かされている畳二畳大のパリの立体地図を入手した。書斎の壁一杯に貼り、地図の中の街通りを歩き、目指す地点にくるとカラースライドを映し、参考資料の頁を丹念に繰った。ある時はルーブル美術館であり、ある時はサン・ジェルマン・デ・プレの街角であったりしたが、この地図とカラースライドと資料読みに、一日平均5,6時間原稿執筆が4,5時間という作業が続いた。
 毎朝地図に向かうと、ボンジュール・ムッシュと呼びかけ、その日、執筆するストーリーに沿って、女主人公の式子を地図の中の大通りや、セーヌ河沿いを歩かせたり、或いは、マキシム・ド・パリで食事させたりしていると、まるで私自身がパリの街を歩いているような錯覚を感じた。・・・】
 【単行本発刊後、健康を回復したのを機会に、ようやくパリへ出かけることになり、もし描写が間違っていたら、二版で加筆訂正させて頂く約束で出発した。
 パリへ付いたその日から、『女の勲章』の初版本を抱え、小説の筋を追って、パリの街を歩いた。初めて訪れた街であるのに、以前に一度、来たことがあるように、私の頭にはパリの地図が克明に刻まれていた。一人で地下鉄の切符を買って、ミュゼアムやオートクチュールの店へ行き、疲れると、カフェで休み、タクシーで主人公の行ったモンマルトルの丘へも上った。ホテルも主人公の泊まったことにしたホテルを選んだが、マキシムやツールダルジャンのような高級レストランへは到底一人では行けなかったから、毎日新聞のパリ市局長ご夫妻に連れて行って頂き、そこでメニューを聞き、料理を注文してみて、それも間違っていなかったと解ると、調べて書いたパリと実際に来て観たパリとが、まるで青写真を引いたように狂いがなかったことに、喜びと満足を覚えた。】

 私が放送大学院に学んだ一番の目的は、「経済学の論文はどのようにして書かれるのか?」。司馬遼太郎は、「坂の上の雲」第1巻あとがきで「小説という表現形式の頼もしさは、マヨネーズを作るほどの厳密さもない」と記したが、経済学の論文を書くにも、「マヨネーズを作るほどの厳密さもない」のだろうか?
 その意味で、小説執筆の楽屋裏を語るようなこの本は、参考になりました。
小説は、構想→取材→作品。
論文は、仮説→調査→論文ではないか。
 井上靖さんは小説について、「誰だって一生に一度はかけるものだよ」と言われたそうだ。同様に経済学論文も、誰だって一生に一度はかけるものではないのか。

本人証明と初めてのテレビ電話

2012-01-20 | 経済と世相
昨年10月、年金の振込み額を見たら約7000円ほど前回振込みより少なくなっていた。

年金機構に電話で聞いたら、「地方税の控除のためです」という。

「10月から地方税が増えるはずがないなア」と思ったのですが、

「そのうち確定申告の書類が送られてくれば分かるだろう」とそのまま。

 日本年金機構から確定申告のためのハガキ(源泉票)が来ました。

みると、『個人住民税は、所得税の控除対象とされていないため、記載されておりません。

個人住民税額については、お住まいの市(区)役所にお問い合わせください』。

尤もと、数日前、区役所の市民税の窓口へ行きました。源泉票を見せて、

「年金から控除の住民税額を教えてください」。

 「本人証明を見せてください」という。

「私の住所と氏名の書かれた源泉票を見せているのに」と思ったが「健康保険証でいいですか」、

「保険証ともう一つ本人と分かるものはありませんか」、

「もうひとつ?」といいながら財布から保険証を取り出そうとしたら、

それを見て「あっ病院の診察券ありますね、それでいいです」。

本人が本人だと言ってるのだから、二つも証拠を見せろなど言わなくてもいいのにと思いつつ見せました。

 (この件については立花隆さんが文藝春秋2月号の巻頭エッセイで語っていた。)

 窓口氏は端末をたたいたが

「この件は市役所でないとわかりませんので、テレビ電話でお話ください」、

「どうやってテレビ電話するの?」、



「いや私が電話します」と、後ろのボックスに囲まれた電話へ行った。

「担当がでましたから、ここでお話ください」。

 テレビ電話の前に坐ると、モニターテレビが2台あって、1台には担当の市役所のおばさんが写っている。

もう1台には、受話器を持つ私が写っている。生まれて初めてのテレビ電話です。

びっくりしたナア。何にびっくりしたのかというと、自分です。

髪が真っ白です。こんなにオジイになっていたとは知らなかった!

 毎日顔を洗う時、鏡は見ているのですが、正面からの姿です。

カメラは斜め上から私を写している。この角度で見ると、髪が真っ白!

 気を取り直して、もう一台のモニターに写るおばさんに用件を話しました。

「住民税は6月に確定しますが、そのデータに基づき年金からの控除額が変るのは

10月からです」と、毎回の控除額を教えてくれて、一件落着でした。

大型書店の撤退

2012-01-15 | 経済と世相
 14日の中日朝刊一面に「旭屋書店閉店」と大きく出ました。

栄の商業施設ラシックに出店していた大型書店旭屋が15日で店を閉め名古屋から撤退するとのことでした。

 「いい店だったのに、残念だな」と思いました。

探している本はたいていここで見つかりますので、いつも愛用している本屋でした。

名古屋に進出して6~7年、「やはり儲からなかったか?」

駅前に出店していた紀伊国屋書店も1年前に撤退しました。

 一番の老舗の名古屋丸善も、6月に店じめするらしい。こちらは入居しているビルの建て替えで、

代わりのビルを探しているが見つからなくて、という理由のようです。

 一時、大型書店の進出ラッシュ(そのため小さな店は軒並みつぶれた)でしたが、

今度は大型書店が姿を消す時勢になった。本を買う人が少なくなったのか?

名古屋では、ビジネスの進出が難しいのか?

私の見るところ、名古屋人は堅実というか、不景気になると直ぐお金の支出を停める!

 いずれにしても、旭屋にはお世話になったので、最後にいくらかでも本を買って御礼するかと、

14日午後、プールで泳いだ後、旭屋書店へ行きました。

 書評でみていたソニーの本でも買おうか、と棚を探しても見つからないので、

店員の女性に聞くと、ない場合はいつも「お取り寄せします」というのだが

「申し訳ありません。当店では取り扱っていません」

 じゃ、他の本を探そうと、

本川達雄著「生物学的文明論」

石川九楊著「二重言語国家・日本」

の二冊を見つけ買いました。

レジのお姉さんに「お店は閉まるのですね。名古屋からは撤退ですか」といったら「明日までです」と頷いた。このお姉さんたちはどうするのかな?



 書店のビジネスは、名古屋で成功してほしかった。

7000kmを泳ぐ

2012-01-02 | 水泳
元旦は、午前中お城と名城公園の周りを二周(およそ8km)ジョグ、
午後は近くの喫茶店をのぞきました。にぎやかでした。
最近は(気の所為か)元旦でも営業している店が多いですね。
不景気で儲からないから、元旦も稼がないといけない?
ところで、
昨年は年間で337kmを泳いだので、累計いくらになったか、計算してみました。
7025kmでした。56歳から記録していますので、19年間。年平均で369.7kmです。
昨年(337km)、一昨年(346km)は、365kmは達成できなかったのですが、
60歳前後は年間400km泳いでいましたから、年平均365kmを少し越えています。
名古屋港から泳ぎだしてハワイを越える距離ですから、自分でもびっくりする距離です。
少しずつでも、毎日続けると、大変な距離になります。
なにしろ700万メートルですから!
このまま継続していけば、アメリカ西海岸まで泳げそうです。
その時は多分81歳を越えているでしょうけど。
3ヶ日は市営プールはお休みですので、4日が今年の初泳ぎです。
「一銭も儲からないのに」と他人に笑われることもありますが、
介護のお世話にならなくて済むのが、ご褒美です。

今年もよろしくお願いします。