古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

普天間問題

2010-01-27 | 経済と世相
普天間問題で迷走する内閣を野党や新聞は批判する。しかし、一番肝腎な問題を議論していないのでは?と私は思います。「戦後65年にもなろうと言うのに、何故外国の軍隊が日本に駐留しなければならないのか?」という問題です。

 愛知県図書館で雑誌をチェックしていたら、「世界」の2月号に、寺島実朗氏が『常識に還る意思と構想』と題する痛快な論文で、これについて論じていました。

素晴らしい論文ですので、以下に紹介しますが、関心ある方は原文に当たってください。

【直視すべき事実を明記しよう。

① 戦後65年目を迎え、冷戦の終焉から20年が経過しようとしている日本に、約4万人の米軍(他に軍属、家族が5万人)と約1010平方km(東京23区の1.6倍)の米軍基地が存在している。

② 米国が世界に展開している「大規模海外基地」上位5のうち4が日本にあること(横須賀、嘉手納、三沢、横田)

③ 「全土基地方式」が採用され、、日米政府代表による日米合同委員会がどこを基地として決めることができる(地位協定2条)ため、国会承認なしで全国どこにでも基地が提供でき、東京首都圏に横田、横須賀、座間、厚木など世界に例のないほどの米軍基地が存在すること。

④ 米軍駐留費の7割を受け入れ国たる日本側が負担するという、世界に例のない状態が続いていること。

⑤ 在日米軍の地位協定上のステータスは、占領軍の基地時代の「行政協定」を引きずり日本側の主権が希薄であるのみならず、地位協定にも規定のない日本側コスト負担が拡大してきたこと。】

以上の文、タイプしているだけで腹が立ってきました。

【09年に亡くなった軍事評論家の江畑謙介は、正確な知識と情報に基く軍事評論家として敬服すべき存在であった。

 晩年の著書『米軍再編』の中で「米軍は必要な時に日本を、太平洋を越えた兵站補給、部隊展開の前進拠点にしようとしている」と米軍再編の本質を見抜いていた江畑は「同床異夢の米軍再編には危険が潜む」と指摘、基地の縮小、移転、地位協定の改正、思いやり予算の削減などについて戦略的提言をしていた。】

【米軍再編は、ブッシュ政権国防長官ラムズフェルドが主導した9.11後の米国の「イラク戦争」「テロとの戦い」に即応した戦略であった。「狙いは、①先制攻撃さえ含むテロとの戦いの効率化、②同盟国軍隊との共同作戦の強化」にあり、本来の日米安保条約の目的を逸脱したものであった。】

【残念ながら日米安保の実態が「日本を守る」「極東の安全を守る」という原点から大きく乖離し・・・テロとの戦いなる「アメリカの戦争」に対する共同作戦の基盤へと変質している・・・「イスラム原理主義」に立つテロリストとの戦いは、微妙にイスラム全体の憎しみを増幅し、文明の衝突さえ誘発しかねないリスクがある。日本の立場をいえば、イスラムが日本の安全保障を脅かす構図に自らを置くことは愚かである。】

【日本人が自覚すべきは、多くの中東諸国の人たちが「日本は中東のいかなる国にも武器輸出も軍事介入もしたことがない唯一の先進国」という事実に敬意と好感情を抱いているということ・・・世の中には日米共同で当たるべきこととそうでないことが存在することを強く認識しなければならない。】

こうした認識に基いて、寺島氏はいくつかの提案をしていますが、その一つ。

【米軍基地を順次、「日本政府が管理する枠組みの中で、米軍を自衛隊基地に駐留させる形での、共同管理方式」へと移行する。】

5月までに基地の移転先を決めると鳩山さんは言っていますが、移転先の決定など後回しにして、日米安保の見直しこそ急ぐべきだと、私は思います。


大学院ゼミ

2010-01-26 | 放送大学
 24日は大学院のゼミでした。

 朝6時半、地下鉄に乗ったら、日曜のまだ暗い朝なのに、働きに行く姿の人がかなりの数乗っていました。「現役はたいへんだ」。7時名古屋始発のこだまに乗る。関が原辺りは、まだらに積雪が見られます。8時過ぎ新大阪に着き、大阪で環状線、天王寺で降りて、大阪教育大学まで歩きました。放送大学大阪学習センターは、この大学の本館に間借りしているのです。9時10分前到着しました。

 9時、8人の学生と5人の教授が集まり、主任教授の司会でゼミが始まりました。学生が順番に、修士論文のテーマ、構想、進行状況などを持ち時間25分(質問時間含む)で発表します。5人の教授の方々が、「こういう内容を入れたらもっと良くなる」など、アドバイスしてくれるというシステムです。

 小生は5番目でしたが、発表後の休憩で、主任教授から「おいくつでしょうか?」と話し掛けられ「73歳です」と答えると、「お年の割りには頭脳がシャープですねえ」と言われ、誉めてもらえたと思ったのですが、よく考えてみたら、年の割りにボケていないというだけの意味だったかも?その後、教授はこういいました。

「でも、NOZUEさん、放送大学の最高齢の学生は、93歳ですよ。まだまだ頑張れます」。

 93歳になっても、学生として学ぶ人がいるのだから、「日本民族は優秀な民族だ」と、私は思いました。

 いずれにしても、無事に終わり、最後に、主任教授が「3月末放送大学を退任し、4月から同志社大学でお世話になります。後任はS先生になります」という挨拶がありました(どうやら定年の関係らしい)。S先生は、私が大学の卒業論文を書いたときの指導教官です。

 ロビーで同志社のN教授としばらく懇談してから、1時に放送大学を辞去しました。

 やれやれ、でした。正月明けの3日から、ずっとこの仕事に忙殺されていたので、25日からが、本当の私の正月休み。

 家には4時に帰宅できました。久し振りに「新幹線は便利だ」と、再確認しました。

がんについて

2010-01-25 | Weblog・人生・その他
先日の週刊文春に、福岡ハカセが「がん」について、こんな文を寄稿していました。

 【がんとは何かを考えるとき、完全さの中にひそむある種の不完全さの問題に突き当たらざるを得ない。そもそもがんはなぜ発生するのか。発がん遺伝子の研究から、それは主に遺伝子上に発生するミスに由来することがわかってきた。遺伝子がコピーされる際、非常に稀な確率ながら遺伝子暗号の読み取りミスが生ずる。このミスはアミノ酸の置換をもたらし、それはタンパク質の変化を引き起こす。細胞の増殖に関する遺伝子(たとえばRAS遺伝子)にこのコピーミスが生ずると、増殖のしくみが暴走を起こしてしまう。それががん細胞だ。

 進化のプロセスで、生命は致命的なコピーミスが生じないよう種種な仕組みを作り出してきた。正確にDNAを合成する酵素、たとえミスが発生してもそれを校正するような修復システム。もし細胞分裂に伴う遺伝子の複製が100%完全に行われれば、がんは発生しなくなるだろうか。たしかにコピーミスに由来するがんは起こらなくなるだろう。しかし同時に生命にとって決定的に致命的なことが起こる。それは進化の可能性が消えてしまうということである。わずかながらコピーミスが発生するゆえに、変化がおこり、その変化が次の世代に伝わる。それがもし環境に対して有利に働くなら、その進化が継承される。これが進化である。それゆえ生命は、常にミスの可能性を残した。つまりがんの発生とは進化という壮大な可能性のしくみの中に不可避的に内包された矛盾なのだ。

 福岡ハカセは、ふとゲーデルの不完全性定理のことを思い出した。「決定不可能な命題が、その体系内に必ず存在する」という数学上の定理である。・・・がんとは私の生の一部であり、生そのものでもある。たとえそれがついには私を死に導くものだとしても。

 ゲーデルが産まれたのは、現チェコのモラヴィア地方ブルノであり、奇しくもそれは遺伝子学者メンデルが活躍した場所でもある。精神を病んで最後に悲惨な死を遂げたゲーデルの命日は本誌の月号と同じ1月14日・今から32年前のことだった。】

 要するに、福岡博士の言わんとするところは、がんは、細胞分裂の際のDNAのコピーミスが原因だ。だから、DNAのコピーミスを起こさないようにすれば、がんにはならない。しかし、コピーミスをなくしたら、人間という種の進化は止まってしまう。たまたま良い方向に変化するコピーミスもあって、それが種の進化をもたらすからです。

 ついでに申し上げますと(私の意見ですが)、人間はしばしば間違いを犯す。しかし、人間が間違わないようにしたら、人間は新しいアイデアや思想を生み出すことは出来なくなる。なぜなら、たまたま、良い方向に考え違いをしたのが新しい発想になるからです。

----- Original Message -----

大学院のゼミの準備に追われています

2010-01-17 | 放送大学
大学院のゼミの準備に追われています。

 論文の下書きをWORDで作成して、ファイルを指導教官に宛てて送信すると、そのファイルに、教授から朱書きで、コメントやアドバイスが書き加えられて送り返されてきます。

 それを繰り返すことで、指導教官から指導を受けられるという仕組みです。

 ですから、指導教官の先生とは、お目にかかったことは実は2回しかないのですが、十分指導を受けられるわけで、まことに巧く出来たシステムだと思っています。

 面白いのは、送り返された文書の朱書きの場所にカーソルを持っていくと、

『何月何日何時何分、Nさんにより挿入されました』と、メッセージが表示されます。勿論、Nさんとは指導教官の名前です(この機能は、WORDの新しいヴァージヨンにある機能なのか、それとも先生が特別なソフトを使っているのかは分かりませんが)。

 「へーっ、こんなことも出来るの!」。便利な世の中になったものだと、感心しています。

 考えてみると、こうしたインターネットの進歩は、ここ12~13年のことで、私が現役を引退した後の出来事で、退職後、私が勉強もパソコンに触ることもしなければ、多分分からなかったことです。(そう言えば、先日引退した千代大海は、私の退職時には、まだ幕内に入っていなかった!時の経過の早さに驚きます。)

『失われた10年』或は『・・20年』などという言葉がしばしば用いられますが、日本の経済成長に関しては『失われた』年月かも知れませんが、世の中自体の進歩、あるいは変化は『失われた』どころではないようです。