古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

この国はどこで間違えたのか(2)

2013-04-29 | 読書
米中関係と日米関係
T:もし戦後のアジヤで、蒋介石が本土中国の政権をがっちり掌握し続けていたら、日本お戦後復興は30年後にずれただろうといわれている。なぜかというと、戦勝国の中国と戦勝国のアメリカがアジヤを仕切って、アメリカの投資も支援もまずは本土の中国に向かい、日本に回ってくる余裕など30年遅れた。ところが中国は二つに割れた。その瞬間です、日本の戦後復興のシナリオが見えてきたのは。
 日米関係は日米だけでは完結しない。中国と言う要素が絡み合っている・・・
アメリカ型資本主義の世界化がグローバル化であると位置づけられた時代
T: 94年からアメリカが日本に対して「年次改革要望書」というのを出し始め、その行きつく先が、・・・・・国民の多くが興奮していた小泉構図改革というわけ
いま、アメリカの経済誌に、「アメリカは社会主義の国になったのか」という嫌味なフレーズが飛び交っています。あれほど資本主義、至上主義の総本山だった国が結果的に、政府が金融に公的資本を突っ込んで制御せざるを得なくなった、と。栄光のアメリカの20世紀における発展を後押ししたゼネラルモーターズでさえ政府が支えざるを得ない。「GMはガバメント・モーターズか」と皮肉を言われるくらいの状況になってしまった。
T:本当の意味のグローバル化とは何か。アメリカ型資本主義の世界化がグローバル化であると位置づけられた時代はとっくに終わっています。いまの時代は全員参加型。たとえば、アフリカの存在が非常に重要な意味を持ちつつある(これについては、後日詳説する)。
世界経済の今後
T:いま世界経済の悩みはまた過剰流動性なんですね。・・・行き場のない過剰流動性と言われるお金がどこへ向かうかによって、石油価格、エネルギー価格が乱高下するという構図の中にはまりかけているのが現下の状況です。
S:金融資本主義というのは、言ってみれば、絶えず偽札を刷っているようなもので、実需に基づかない仮需を膨らませる妖怪経済でしょう。
T:日本はUAE・アブダビの原子力プロジェクトで韓国に敗れました。ベトナムの原子力プロジェクトでロシヤに敗れました。一方、南米ではテレビ放送において日本の地デジ方式が続々と採用されている。ブラジルもベネズエラも日本方式を採用してくれた。これは昨今の日本としてはめったにない話なんですね。日本はあらゆる面でグローバルスタンダードに乗り遅れたと言われてきた状況下で、日本方式が採用されているというのは、ありがたい話・・ところが、ワシントンへ行って米州開発銀行の人々と話しているとわかるんですが、中南米の反米感情が、アメリカの技術だけは採用したくないということになり、漁夫の利が日本にまわってきているという面がある。・・ところが肝心のテレビの受像機では韓国に席巻されている。
 ここで注意深く認識すべきは、近隣の国に押し負けているという被害者意識では前に進めないということです。昨年、中華圏(通語句、香港、シンガポール、台湾)と韓国に対し、7.2兆円の輸出超過になっています。日本の中間財、つまり部品を買ってくれていて、それを埋め込んだ最終製品を世界に輸出し、それらの国々が繁栄する構造になっている。・・・近隣を窮乏化させて日本だけが繁栄する構図よりよほどいい。
T:日本と言う国はかつて1億総中流幻想を持っていたのに、気がついてみたら21世紀に入ってからの10年間で、労働人口の34%が年収200万円以下という途方もない国に変わってしまった。
結論として
T: 自分の頭で考える力のある人間がリベラリストなんです。
以下、小生の感想です。
日本の今の政治家は、リベラリスト(自分の頭で考えている人)のだろうか。そして本当に日本が主権を回復したと考えているのだろうか。
 中国は香港やマカオを99年で返却させた。沖縄の基地は既に68年、はたして99年で返ってくるのだろうか。国内に広大な基地が存在し、その基地内では米国法が日本の法に優先する状態(沖縄国際大でのヘリコプター事故では、基地外であったのに、米軍は日本の警察を排除した)で、どうして主権が回復されたと言えるのか。
 沖縄の基地が返還されずに日本の戦後は終わらない。主権の回復もない。

この国はどこで間違えたのか(1)

2013-04-28 | 読書
4月28日は、主権回復の日だそうです。
この日に因んで、『この国はどこで間違えたのか』(光文社文庫、2013年3月刊)を読んでみました。寺島実郎さんと佐高信さんの対話を編んだ本です。
 以下Tは寺島さん、Sは佐高さん。
S:亡くなった米原万理さんがどこかで「日本に外務省があるというのは、あたかも日本が独立国であるかのような錯覚を抱かせる」と書いたことがあります。
T:サンフランシスコ講和会議にインドは署名しなかった。ネルー首相は中立主義を掲げて、アジヤに東西冷戦を持ち込むなという発想からサンフランシスコ講和会議において日本に対して、あなた方は西側陣営の一翼を占める形で戦後復興していくのですか、と問うたわけです。5~6年前の1945年まではアジヤ解放を掲げて興奮していたのではないですか、と。そして、もし日本に駐留しているすべての米軍が引き上げるならインドは調印してもいいという条件を出して、結局、署名しなかった。
 そのインドが翌年、日本との単独講和に応じてくれる。これが、日本が戦後アジヤに復帰していく大きなステップになっていく。1955年のバンドン会議に日本が参加してアジヤに復帰する大きな伏線になっていく。(バンドン会議に、日本は出席してよいか、アメリカにお伺いを立てている。そして首相も外相も出席せず、経済審議庁長官の高碕竜之助氏を派遣した。)
基地の問題
T:ドイツが93年に手をつけたのと同じように、日本における米軍基地を段階的に縮小する道を採らなくてはならない。全世界に米軍が持っている大型の海外基地のトップ5のうち四つ(横須賀、嘉手納、三沢、横田)が日本にあるんですから。
T:鳩山外交の失敗は、普天間問題を、沖縄の負担軽減という次元の枠組みのなかでのみとらえたことによる。つまり、国内の調整問題ではなく戦後日本の外交の基軸であった日米同盟を、21世紀にふさわしいものに進化するという問題の入り口に立つ気構えを失っていることが問題。
鳩山さん
S:鳩山由紀夫は「宇宙人と言われていますけれども」と問われて「そうです。僕は地に足がついていないから」と言った・・・
T:鳩山氏に対する僕の率直な印象ですが、・・・コンプレックスのない男だと思います。
男が友人や同僚に持つコンプレックスというのは、大体三つ理由がある。勉強あるいは仕事ができない。カネがない。女性にもてない。このコンプレックスが絡んでそれぞれの個性を醸し出し、そのコンプレックスを跳ね返して頑張らなくてはと思っている。ところが彼にはそれがない。勉強はできた。カネはあった。女性にはもてた。そういう意味で、敗北感がない。挫折感がない。人に対する猜疑心も嫉妬心もない。・・宇宙人なんだろうと思いますね。
日米安保で飯を食う人
T:ワシントンには、世界戦略を考えているレベルの人ではなくて、日米安保で飯を食っているような一群の人たちがいるわけですよ。そして日本にも、アメリカの軍需産業のコンサルチングみたいなことをやりながら日米安保で飯を食っている人たちがいるわけです。
T:この間、北京大学に行って議論していても・・・「仮にロシヤが北方領土を返したら、日本はそこに米軍基地をつくるのではないか?」という質問がくる。「つくるわけないじゃないか」と言っても、「もしアメリカがつくりたいと言い出したら、日本にそれを断れるだけの力はあるのか?」なんていう質問が出てくる。
福島原発T:福島原発問題が起こったけれども、あの問題の本質には、世界最大のコングロマリットであるGEの製造者責任があるんですよ。ところが民主党は、この問題にはおびえて触れることができないまま、政府および国会事故調査委員会はやっているように見せてはいるけれども、ことGEの製造者責任という問題だけは沈黙を守る。
 GEの製造者責任の問題だけではなく、日本が今後、脱原発に向かおうが、原子力を維持する方向に移行が、どうしても避けて通れないはずのアメリカと正面から向き合い、「日米原子力協定」をどうするのか、さらには「東芝・ウェスチングハウス」「日立・GE」という日米原子力共同体になっている現状を、どういう風に乗り越えていくのかということをまったく語り合うこともなく、逃げに逃げている。
S:木川田一隆という人は、なかなかの経営者だったと思っているんです。この人は福島県出身者ですが、最初は原発に大反対だった。あれは悪魔だ、あんなものはやるべきでないと言って断固反対していた。結局、原発に踏み切らざるをえなくなったんですが、
 原発は安全第一でなければならない。そのためには批判も反対意見もきちんと聞かなくてはいけないと。こうして自分の故郷の福島に原発をもってくるんです。」いわば自分の故郷を犠牲にして原発が出来上がる・・問題は木川田以降の東電の体制です。(続く)

桑山美術館など

2013-04-27 | 旅行
 女子会に参加しました。
26日、わが住宅のシニアクラブのウオーキング、9時半、集合してみると、女子8名、男性は小生一人。さながら一人、女子会に参加した形です。見学先が美術館とあっては、どうしても女性が多くなる。
 目的は昭和区の桑山美術館。初代館長の桑山清一が収集した日本画や茶道具を中心に、日本洋画・現代陶芸など幅広く所蔵する。
http://www.kuwayama-museum.jp/
 地下鉄川名駅で下車、エレベーターを上がって、横の道を左(東へ)。10分足らずで美術館に着いた。 “  いと麗しき ~松園の美人画を中心に~”という企画展をやっていた。
http://www.kuwayama-museum.jp/exhibition.htm
美人画の数々を見ながらSさん。「昔は、舞妓さんがモデルになってんだね。」
美術館の入り口。

「こないだ、博物館の中国の至宝展見たら、すごい太った女性がかかれていた。あれなら、私でもモデルになれそう。」
「美人の概念が時代・社会でちがうのよ・」
1F展示室の中央に飾られた番浦史郎作の「金彩菖蒲画盛鉢」と銘うった陶器の皿に金箔で菖蒲を描いた豪快な作品が目を惹いた。
美術館の庭

1F,2F展示室の美人画を鑑賞した後、屋上に上ってみる。晴れていれば素晴らしい遠望をみられるのだろうが、遠くの山並は、もやがかかっている。そういえば、女子組は1名をのぞき大きなマスクを着用している。2.5pmを警戒したのかな?
 庭に出て、別館の階段を上がって、2階には立礼席があった。

 立礼式とは裏千家11世玄々斎が、明治5年に京都で博覧会が開催されるに際し、今後は海外との往来が繁くなり茶室において椅子の時代到来を予測して考案されたものだそうです。

最後に見事な庭園を背景に記念写真。平日午前とあって、我々で借り切りの見学でした。

 次に、すぐ近くの中京高校隣の香積院に行きました。
 西村公朝描く天井画がある。普段は一般公開していないが、今回は事前に電話したら、「観音堂を開けておくから見てください」という。観音堂に入って仏様の前で寝転がって天井の絵を見た。
 玄関先の地蔵様の子供?がカワイクテついカメラに収めました。

昼時になったので、隼人が池公園まで15分ほど歩いて、お弁当を広げた。
小一時間おしゃべりした後、腰を上げ、八事日赤方面に向かう。途中、急坂を上がり般若台に上ってみる。昔、香積院の和尚が別荘としていたらしい。今はこちらもお寺である。
昔は見晴らしが良かったらしいが、近年、周辺はこんな急坂にも家が建ち混んで、見通しがあまり良くない。
ここまで来ると、日赤病院が目の前、病院地下の地下鉄駅まで歩いて、この日のウオーキングを終えることにした。2時20分ごろ帰宅。

榊原英資さんのTPP論

2013-04-24 | 経済と世相
「7月から日本はTPP協議に参加することになった」と報道しきりですが、「TPP敗戦 アメリカ化する日本」と題する榊原英資さんの寄稿が文藝春秋5月号に載っていました。
結論は『二年前から一貫して、「日本として、(TPPに)強いて反対する必要はないが、あわててこのバスに飛び乗る必要はない」という立場をとり続けてきた。その立場からいうと、今回の安倍政権の判断は、日本の将来に禍根を残す可能性が高い』
まったく同感です。榊原さんは、こうも言う。
「もっとも危惧しているのは、政界も財界もTPPの本質を本当に理解しているのかという点です」。以下、TPPの本質について語る。
『現在、日本の関税率は平均5%弱ですが、TPP交渉を経て、おそらくそれが2~3%引き下げられる・・・それだけです。多少の貿易拡大はあるかもしれませんが、日本に大きなプラスがあるという話ではない。
TPPの本質とは何か。
アメリカの狙いは、TPPという枠組みを大きくして、ゆくゆくは中国など東アジヤ勢をも引き込んで、アメリカ型の貿易のルール作りを広く浸透させていく・・・それがわかっているから、中国、インド、あるいはタイやインドネシヤ、韓国などはTPPに対して慎重な姿勢をみせているわけです。
にもかかわらず、東アジヤ経済の重要な主役の日本は、わざわざアメリカ主導のTPPというバスに飛び乗ってしまった。
中国や韓国などにしてみれば「日本はいったい何を考えているのか」
韓国の知人は私に「韓国がアメリカとのFTAで、農業の自由化を迫られて、大変な政治問題になったのを知らないのか」
現在、日本の輸出の20%以上は、対中国です。対して対米輸出は15%以下。ここでTPP交渉参加を表明して、いたずらに中国を刺激する必要があったのか。
日本はTPP交渉において何を守り、何を求めていくべきか。
TPP交渉における最大の問題は、実は日本がアメリカに要求すべきことがほとんど「ない」ということです。TPP交渉とは、日本からアメリカに要求すべきことはほとんど何もなく、一方的にアメリカから「アメリカ化」を要求される場にほかなりません。』
この辺りは「TPPはアメリカをもうけさせるシステム」という私の主張と一致します。そして榊原さんは、大局的にみた日本の取るべき進路を次のように語っています。
『安倍政権は、親米路線を重視するあまり、純粋に政治判断上のミスを犯したとのだと私は思います。
その背景には、日本という国家に対するある種の「幻想があるのかもしれません。日本には、まだかつてのように高い成長を達成できる余地があるという「幻想」。あるいはアメリカについていきさえすれば、日本にとって悪いことにはならないという「幻想」。
私は、これからの世界のキーワードは「環境」、「安全」、「健康」の三つだと考えています。この三つにおいて、日本は世界のトップランナー。
日本は21世紀の成熟国家として世界に誇れるべきものを既に持っているということです。グローバリゼーシヨンという名のアメリカ化は既に時代遅れ。今更アメリカ化を加速させるより、日本の成熟国家としてのメリットを維持し拡大すべきなのです。』

21日はウオーキング

2013-04-23 | 旅行
駅ちかウオーキング21日に出掛けました。
 マラソン大会は、もう走れない。「年を考えて危ないことはやめなさい」との保護者(連れ合いともいう)の忠告もあり、これからはウオーキングをやろうと決めたのです。
 朝9時、市長選挙に出掛け、そのまま地下鉄のウオーキングに行きました。原駅に9時50分、受付で地図をもらい、歩き始めました。
 2㎞ほど歩くと天白公園が見えてきました。
 写真は公園の中の池。名古屋市内にもこういう風景が残っているのですよ。



公園を過ぎると、おもしろい植木風の樹が並んだ緑地がありました。

 




間もなく天白川の緑地に出ました。
音聞橋という風雅な名前の橋を渡り、北へ、植田交差点の北に、植田八幡宮がありました。
 応神天皇を祀るとか。



http://mino20.web.fc2.com/aitiken-uedahatimangu-.html

植田西の交差点で、サークルKの店に寄る。今日は130円の珈琲が100円のサービス。
間もなく天白川は植田川に合流します。
 ここから北へ転進、間もなく塩釜神社。ここの坂道はかなり急だ。

 宮城県の塩釜神社を分祀した神社です。
塩釜神社
『弘化年間(1844から1847)の頃、天白村の豪農山田善兵衛が陸奥国国幣中社塩竈神社から分霊を賜り、奉祀したことにはじまる。    
市の保存樹で樹齢百数十年という藤の老木があり、見事な薄紫の花を咲かせる。安産と子どもの守護神として参拝者が多く、桜の頃の護児祭は特に賑わう』とのこと。
神社の横の広い道に出た地点がスタート後、6km。この道を1㎞余で八事の交差点に出ました。老舗菓子屋で半額サービスのどらやきとワッフルを土産に買い求め、八事駅1番口のゴールは12時過ぎでした。

高齢者の血圧

2013-04-22 | Weblog・人生・その他
「高齢者の血圧」について考えていたことがありましたが、これについて文藝春秋5月号に松本光正さんという医師の寄稿がありました。要旨は、
『上が140、下が90を上回ると、すぐに「高血圧症」と診断されて、降圧剤を飲むことになる』
 私も、若先生から(というより先代の先生から既に)血圧の薬を処方され、 アムロジピン錠1錠を一日1錠飲むように言われています。血圧は、大体140~160(下が70~90)、と言っても測るときによりかなり変動し、たとえばプールを上がった時点で測ると120前後になります。
 加齢すれば、ある程度血圧が高くなるのは当然で、そんなに高いわけではないと、自分では思っていましたが、「飲んだ方がいいですよ」というかかりつけの先生のアドバイスですから、言われたように飲んでいるのです。
『降圧剤を服用しているのは約3000万人、70歳以上では半数以上が服用している』そして、『血圧とは、心臓によって送り出された血圧が血管の中を通るときに、血管壁にかかる圧力のことです。心臓が血液を送り出す力は、血管の硬さや血液量によって決まります。人間。年をとると血管も狭く、硬くなるので、心臓は体の隅々まで血液をいきわたらせるため、より強い力で血液を送り出します。その結果、血圧があがる。つまり高血圧とは加齢現象なのです。
 高血圧は単に血圧が高いという状態をさしているだけで、高血圧は病気ではありません。
 』
『ですから以前は、「年齢+90」が高血圧の基準だと現場では考えられ、60歳以上で上が150までは問題にならなかった。
 ところが現在は70代でも80代でも診断基準値は140です。これは少し乱暴なのではないでしょうか。』
 ここまでは、漠然とですが、私も思っていたことでした。ところが次の記述で、「そうか!」と気づきました。
『脳卒中は大きく三つに分けられます。脳の血管が破れる「脳出血」(以前は脳溢血ともいいました)。次に、脳の血管が詰まる「脳梗塞」、そして「くも膜下出血」です。
 このうち高血圧が主に関係しているのは脳出血です。かつては多かったのですが、昭和40年代以降は栄養状態の向上や、機械化による労働の軽減もあって急激に減少しました。逆に脳梗塞は急激に増加し、現在は脳卒中患者のうち、84%が脳梗塞。脳出血はわずか13%というデータがあります。
 脳梗塞は血管が詰まる病気ですから、血液を送り出す力を強くして、血管内のゴミを流すことが必要です。しかし降圧剤を服用すると、ゴミが流れにくくなり、脳梗塞のリスクが高くなります。
 これは実証データもあります。東海大学医学部の大櫛名誉教授が、1999年から2007年に、福島県郡山市に住む男女4万人を対象に行った調査によると、収縮期血圧が180以上の群では、降圧剤を使った人は使わなかった人に比べて、脳梗塞などの死亡リスクが5倍にも高まったというのです。
 とはいえ、極端な高血圧を放置しておくと、血管や心臓に負担をかけますし、脳出血のリスクもあります。改善するに越したことはないのですが、降圧剤に頼るのは間違いです。
 重要なのは血圧が上がる原因を知ること。』
 つまり、「血圧が上がるのは理由(原因)がある。原因を放置して、降圧剤で血圧を下げてもダメだ」というのです。
「そうか!」と気づいたのは、
① 血管に詰まったゴミを洗い流すべく、血圧を高めるれる体力が必要。
② 降圧剤を服用していても、脳梗塞の起きる確率が下がるわけではない。その確率は加齢とともに確実に高まる。

日米合同委員会とTPP

2013-04-18 | 経済と世相
以下は、14日の中日春秋から。
『首を大きくかしげざるをえないのが、環太平洋連携協定(TPP)の交渉参加に向けた日米の事前合意だ。だが、安倍首相は、よほど前向きな人なのだろう。「合意は国益を守るもの」「本当の勝負はこれから」と言った
▼米国が日本からの輸入車にかける関税は、当面維持されることになった。他国も「米国に倣え」となれば、日本の自動車産業にどんな利点が見込めるのか
▼かんぽ生命保険ががん保険に参入することは、政府が当面認めないとの約束もさせられた。米国系保険会社が強い分野だからだ。この調子だと米国は、日本が誇る国民皆保険制度にも手を出すのではないか。そんな危惧を持った人も多かろう
▼日本の食卓を地道に支えてきた農家が、ばっさり切り捨てられる恐れがあるTPP参加だ。「国益」という言葉は、早のみ込みするには、余りに危険なシロモノだ。』

 実際、自動車関係の関税は継続するとなったら、TPPは日本にどんなメリットがあるのか?問題は、日本がアメリカに要求する内容がほとんどないこと。
 そもそも、TPPを何故アメリカが主導しはじめたか。思うに、世界の覇権国のアメリカが、覇権を維持し続ける資金を稼ぐことができなくなってきたことに原因がある。そこで、アメリカがカネを稼ぎやすい経済システムを作り上げるというのが目的ではないか、と考えます。だから、アメリカにとってメリットがあっても、日本にとってはたいしたメリットはないというよりも、日本の損失を如何にすくなくするかが、課題なのです。
それでも、防衛をアメリカに頼る以上、TPPに参加しないという選択肢が日本にないのだ。その意味でTPPは、経済問題でなく外交・軍事の問題です。

TPPについて、先日紹介しました「日米地位協定入門」にこんな一節がありました。
 『結局TPPとは、いままで安全保障の分野だけに限られていた「アメリカとの条約が国内の法体系よりも上位にある」という構造を、経済関係全体に拡大しようという試みなのです。さも対等に協議しているようなふりをしながら、実際には密室でアメリカ側がすべていいように決めてしまう。そうなることは火を見るより明らかです。』
『日米合同委員会」という組織がある。
「米軍基地の提供や変換、地位協定の運用に関するすべての事項を協議する場として地位協定第25条に基づき設置」され、日本側からは外務省北米課長、米側から在日米軍副司令官が出席している。』
 筆者の前泊さんはこういう。
『私はTPPについて詳しくないが、日米合同委員会についての知識を当てはめると、TPPの未来については見えてきます。
 安全保障について日米間で結ばれた条約は日本の国内法よりも上位にあります。米軍の法的地位は日本政府よりも高く、事実上、行政権も司法権も持っている。それがあまりにもあからさまになってしまうと困るので、「日米合同委員会」というブラックボックス(密室)をおき、対等に協議しているふりをしている。』
 アメリカの治外法権をそのまま承認しているとおもわせないために、委員会の協議の結果そうしたという擬態をとるための組織が、日米合同委員会だというのです。
 同様に、アメリカに有利なシステムを、さも公平に作ったと見せかけるシステムがTPPだというわけです。そう考えると、選挙の時まったく触れなかったTPPを、管・野田内閣が唐突に言い出した理由がわかる。
 アメリカに有利な決定を、さも公平に決定したと見せかける手法は、日米官僚の常とう手段である。 例えば、グアム移転の費用を日本が負担する件、費用が妥当であると見せかけるため、政府のお役人は、移転人員を水増しして算出するよう米国のお役人に奨めたらしい。
 『日本の官僚たちの対米従属のひどさは、2011年5月の「ウィクリークス」によるアメリカ政府の公電大量リークであきらかになっています。沖縄駐留海兵隊のグアム移転では、実際には「3000人程度の移駐にもかかわらず8000人移駐」を日米の官僚が馴れ合いで合意し、グアム移転費用の不当水増しを行っていました。1兆円規模の予算を、日米の官僚たちが垂れ流す。そんな売国的な背信行為の数々も、かかわった官僚たちの実名とともに政府の公電であきらかになったのです。』

ASEANに米軍基地はない!

2013-04-17 | 経済と世相
安倍総理は、憲法改正に熱心らしい。とりあえず96条を改正したいようだ。その後、9条の改正を狙うというとのこと。私も9条は改正したい。私の9条改正案は、現状の条文はそのまま残し、以下の第3項を追加する。
「三 また外国軍隊の駐留を認めず、外国軍基地の設置も認めない。」
 そんな憲法の例はあるの?それがあるのです。フィリピンの憲法です。
(アキノ政権下)憲法起草委員会は「外国軍基地の原則禁止」を条文に書き込むことを決めた。
 具体的には、米国との間で結ばれていた米比基地協定が1991年9月17日に期限切れを迎えたあとは、新条約を結ばなければ外国軍基地をフィリピン国内におくことはできないとした。そして、新条約の承認には「上院議員の3分の2以上の同意と「議会が要求する場合は国民投票」が必要という厳しい規定を盛り込んだ。さらに新憲法は「非核政策を採用、追求する」と規定し、領土内での核兵器の貯蔵または設置を禁止しました。
 米国とフィリピンとの間の基地問題をめぐる予備交渉は90年5月から本格化した。交渉はフィリピン側はラウル・マングラプス外相(当時)が団長、米国側団長はリチャード・アーミテージ氏でした。
 交渉は、憲法の規定にのっとり、1947年に結ばれた米比基地協定の終了をフィリピン側が米国側に通告することから始まった。憲法上当然です。一方、マルコス政権下で結ばれた「ラモス・ラスク協定」では91年9月16日まで基地協定は存続する」。フィリピン側は、フィリピン国内の6ヶ所の米軍基地・施設のうち5ヵ所を返還させ、スービック海軍基地のみ当面継続使用を認めるという妥協案を示した。
 アーミテージ氏は烈火のごとく怒った(『こうして米軍基地は撤去された!』松宮敏樹著)。
交渉が続く中、91年6月にピナトボ火山の大噴火。噴火から1ヶ月もしない7月にフィリピンを訪れたアーミテージ氏は、あっさりクラ-ク空軍基地の一方的撤収を伝えた。フィリピン人被災者の救援活動もほとんどやらず、火山灰で使えなくなった基地をあっけなく放棄した。ただし、スービック海軍基地の継続使用は要求し続けた。・・・92年11月までにすべての米軍基地はフィリピンから撤退した。・・・基地撤退後も日米安保条約に似た米比相互防衛条約は、そのまま存続している。1992年にフィリピンから米軍が撤退して以降、ASEAN(東南アジヤ諸国連合)加盟国内に外国軍基地は存在しません。
 ASEAN加盟の10か国内には、現在、米軍基地はありません。フィリピンと米国の間には「米比相互防衛条約」という二国間の安全保障条約があります。また、タイやシンガポールの軍も米軍とは合同演習を定期的におこなっています。しかし、ASEANという地域連合としては非同盟の原則を貫き、軍事力でなく、外交で紛争を回避する知恵を積み重ねてきました。
ASEANの外国軍基地のない国、
 国名を挙げておきます。タイ、フィリピン、マレーシヤ、インドネシヤ、シンガポール、ブルネイ、ヴェトナム、ミャンマー、ラオス、カンボジヤの10ヶ国です。
 これらの国々が基地なしにできるのになぜ日本ができないのか、我々は考えてみる必要があります。
 もう一つ、非核政策について。
 1980年代にニュージーランドが、核を積んでいる米軍艦船については寄港を禁止すると決めています。日本ではよく知られているとおり、アメリカは自国の艦船の核兵器搭載については、「肯定も否定もしない」という原則を掲げている。
 ニュージーランドはどうか。
「核を積んでいるとも、積んでいないとも言わないのなら、ニュージーランドの港には入れない」とやった。
 以上は『日米地位協定入門』を参考にしました。

伊達判決

2013-04-09 | 経済と世相
『日米地位協定入門』(前泊博盛編著、創元社2013年3月刊)という本を読みました。びっくりするような話がたくさん載っていましたが、一番「えっ」と思ったのは「伊達判決」についての記述です。
 「伊達判決」ってご記憶でしょうか。1957年7月、米軍立川基地の拡張工事をめぐって、反対派のデモ隊が米軍基地の敷地内に数メートル入ったことを理由に、刑事特別法違反で7人が逮捕されました。この事件の一審で、東京地裁・伊達秋雄裁判長は、在日米軍は憲法9条2項で持たないことを定めた「戦力」に該当するため、その駐留を認めることは違憲である。従って刑事特別法の適用は不合理として、被告全員を無罪としました。
 ところが、その後、アメリカ側の工作によってこの判決は最高裁でくつがえされてしまいます。その工作の実態があきらかになったのは、2008年のことでした。国際問題研究科の新原昭治氏がアメリカの膨大な公文書の中から関連文書を発見したのです。
 伊達判決が出されたのは、1959年3月30日。判決が出た翌日、マッカーサー駐日大使(マッカーサー元帥の甥)が朝の8時に日本の外務大臣と会談し、9時から行われる閣議について具体的な指示を与えていた。(アメリカ国立公文書館所蔵資料)
(マッカーサー大使からハーター国務長官へ・極秘電報)
「今朝8時に藤山[外相]と会い、米軍の駐留と基地を日本国憲法違反とした東京地裁判決について話あった。私は、日本政府が迅速な行動をとり東京地裁判決を正すことの重要性を強調した。
 私は、もし自分の理解が正しいなら、日本政府が直接、最高裁に上告することが非常に重要だと個人的に感じていると述べた。・・・藤山は全面的に同意するとのべた。」
 大使が外相にすすめているのは、東京高裁をとばして直接最高裁に上告する、いわゆる「跳躍上告」です。
 この指示を9時からの閣議にはかった藤山外相は、翌日さっそくアメリカ大使に報告にきている。さらに、びっくりすることがあります。
 1959年4月24日、(マッカーサー大使からハーター国務長官への秘密電報)
「外務省当局がわれわれに知らせてきたところによると、上訴についての大法廷での審議はおそらく7月半ばに開始されるだろう。・・・内密の話し合いで担当裁判長の田中[耕太郎・最高裁長官]は[マッカーサー大使に対して]本件には優先権が与えられているが、・・決定に到達するまでに数か月かかると語った」
 ここまでは、新原さんの発見で、米国大使から藤山外相への働きかけは立証され疑問の余地はない。だが、田中最高裁長官と裁判そのものへのアメリカの関与はよくわからない。この点について、ジャーンリストの末浪靖司さんが昨年発表の『9条「解釈改憲」から密約まで対米従属の正体』(公文研)で、米国の公文書を使って解明している。すなわち、
 裁判官たちの一審判決破棄のロジックが
① 地方裁判所には米軍駐留の合理性について裁定する権限はない。
② 米軍駐留は合憲である。
③ 安保条約は日本国憲法より優位にある。
の三つに分かれているとマッカーサー大使が語っている(最終判決は②と③のミックス。③は大問題だと私は考えます)。
 まだあります。
 この裁判で、弁護側は、1958年にアメリカ第7艦隊が現実に紛争が起きている台湾海峡に日本の基地から出動したと主張し、そのことが米軍の駐留が憲法に違反している証拠だと主張。
 その主張を最高検察庁から聞いた外務省が、まずマッカーサー大使に相談し、大使はアメリカ国務省に対して日本の検察庁がどのように反論すべきかを問い合わせていた。ハーター国務長官は、台湾海峡危機に際し「日本の基地が実際に使われた」ことを認めたうえで、つぎのようにごまかし陳述をするように回答した。
(1959年9月14日、ハーター国務長官からマッカーサー駐日大使へ・秘密電報)
『検察官は次のように述べてもよい。第7艦隊は安保条約のもとで日本に出入りしている部隊ではない。台湾海峡でのこの作戦を支援して、第7艦隊は西太平洋中のさまざまの同艦隊が利用できる基地を利用した』
 つまり、日本の裁判官だけでなく検察官も、アメリカとつうつうだった。

 このほか唖然とする内容のアメリカ公文書が公開されているのですが、今回は、伊達判決のみについて。実は、昨夜9時からのNHKニュースウオッチで、砂川裁判に関して最高裁が米国国務省と連絡を取っていたことがアメリカの公開公文書から分かったと報道していました。おこで、その関係のみを報告しました。思ったことは二つ・
 それにしてもアメリカの公文書公開制度のすごさです。日本だったら、こんな文書は破棄してしまい、絶対にわからない。
 それとNHKは何故今頃こんな報道をしたのでしょう。文書の公開は2008年です。個人のジャーナリストが分析して本を刊行したのが昨年です。
 日米関係に関する報道は、わざと時期を遅らせ、ほとぼりが冷めてから報道するのでしょうか。

7日は駅ちかウオーキング

2013-04-07 | 旅行
 7日は駅ちかウオーキングの日だが、昨日来の春の嵐。今日は中止だな、と思ったが、7時、インターネットの名古屋市交通局のページで「お知らせ」を見たら、「本日の駅ちかウオーキングは予定通り実施」とあった。空をみると、一部青空がのぞいている。
 9時10分家を出て、地下鉄星ヶ丘駅に10時10分前。受付で地図をもらい、歩き始めた。平和公園入口から北へ。「くらしの森」に入りました。畑、水田、小川、ため池など、かつての里山風景を再現した公園です。

 平和公園は何度か来ているが、この一郭に入るのは初めてです。
平和堂東の交差点を過ぎて3㎞。平和公園北が4㎞になる。ここから東へ猪高車庫前交差点。北へ曲がると「京命」に来た。
聞いたことある地名だナと、考えてみたら、中学・高校で同級生だった女の子(勿論今はおばあさんになってるだろう)Y子さんの住んでるところ、毎年年賀状で書いている地名だ。更に北へ歩くと、香流(かなれ)川(長久手市岩作に発し矢田川に合流する)出た。
両岸に桜が並ぶ。例年なら今頃は桜が満開だが、今年はもう葉桜。強い風に、鯉のぼりが翩翻として舞っている。

 その後、本日特別公開の猪高配水場を見てから、明徳公園に入りました。

明徳公園は広さ18ヘクタールで、つり池として親しまれている明徳池、バーベキューもできる子どもキャンプ広場、児童球技場といった施設が、残された森のなかに整備されています。児童球技場の地下には貯水槽が2槽あるそうです。公園の周辺、かつての森はすっかり開発され、今ではこの公園、市街地のなかのオアシスになっています
街の真ん中に、こんな森林地があるのですね。向うに見える池は、釣り池、明徳池です。
此処から、地下鉄藤が丘駅までは直ぐ。500mほどです。
 9.5㎞のコースを完歩、12時18分藤が丘駅にゴールしました。