古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

私撰2013第2四半期10大ニュース

2013-06-30 | 経済と世相

 6月も今日で終わりです。
4~6月も大きな事件が相次ぎました(順不同)。私選10大ニュース、ご笑覧ください。
1. 日銀異次元の金融緩和
その結果は、為替相場の激変、国債値下がりし、長期金利上昇。
2. ボストンマラソン・テロ
ジョガーの一人として、きわめて残念です。
3. 将棋ソフト、プロ棋士に勝つ
コンピュータは、どこまで進歩続けるのでしょうか。素直に感嘆!
4. 橋下発言に世界中から反発。
何故、今頃慰安婦問題を論ずるの?橋下さんの気持ちがわからない?
その後の「大阪にオスプレイを持ってくる」って、尚わからない。
5. 1~3月のGDP年率3.5%上昇。
株価上昇で、皆さんお金を使う気になった?
6. もんじゅ運転停止
原子力規制委員会は5月29日、日本原子力開発機構(JAEA)に対し高速増殖炉もんじゅの運転再開に向けた作業を中止する命令、事実上の運転停止命令。JAEAってどうなってんの!
7. 統一球問題
コミッショナーはスポーツマンシップを持ってほしい。
8. 昨年の自殺者3万人を切るも、20~30代の死者の半数以上が自殺だった。
政治の無策もあるが、もっとたくましい若者になってほしい。
9. 東京都議選で自民完勝
第一党は、棄権党でした。
10. 富士山が世界遺産に登録。
三保の松原も入ったのは、うれしいニュースでした。



株主総会で思ったこと

2013-06-29 | 経済と世相
 
 6月下旬は株主総会の季節です。27日、例年通りD社の総会に出席しました。
「それでは質問のある方・・」の議長(会長)の声に最初に手を挙げました。
「為替相場が当社の業績に与える影響、についてお聞きします。
為替相場が激変しています。今後も変動があると思いますが、その場合、当社の業績はどうなるかを知るために、もし昨秋以来1ドルが80円で推移したとすると、今期の業績がどうなったかを知りたいと思います。
 売り上げの変化、資産評価額の変化、両面から解説してください。」
「では、S取締役から・・」
「円が安くなると多少売り上げが増えますが、原材料の値上がりがあるので、収益に大きな変化はありません。なお、当社の輸出取引は円建てが大部分です。また、海外資産は、為替リスクをヘッジするため、資産と均衡するように負債も増やしているので、為替変動で大きく評価額が変わるということはありません。80円であったとしても業績が大きくは変動しなかったと考えます。」
 日本の多くの会社は、為替に関してこうした方針を取っているのでは、ないだろうか。すると、円安で、企業が利益を増やしたとしたら、実海外取引よりも、保有株式の株価上昇による評価益の影響の方が大きいのでは?
金融緩和は確かに円安効果があることは実証できたが,原材料・エネルギー輸入の多い日本としては、トータルとしてはマイナス? 実際、円安以後の輸出は、(金額は増えても)数量としてはあまり多くなっていないと聞く。
となると、いわゆるアベノミクスの効果は、通貨の増加→投機資金の増加→株価の上昇→資産評価増であったのでは?
 日銀のバランスシートで金融機関の当座預金残高が急増しているそうだ。増えたお金は設備投資に回らず、銀行に滞留するだけ。
 アベノミクスで儲けたのは、日本の大衆株主がそのおこぼれに与ったとしても、海外のファンドだけだったのでは?
そんなことを思った。
 「次の質問・・」私が立ちました。
「事業報告によると減益の要因は、“メキシコ工場建設をはじめチェコ、中国、インドネシヤの工場増設等事業拡大に伴う初期費用負担の増加などによる”という。
 当年度における設備投資の国内分と海外分の額は?
 社長が答えた。「連結ベ-スで104億円の投資だが、国内・海外半々です」
 どこの企業も、半分ぐらいは海外に投資しているから、輸出で稼いでも国内の投資は増えない。国内景気の振興が難しいのだ。
 別の株主が手を挙げる。
「特別配当を落として普通配当のみになっているが、配当性向が低すぎる。内部留保に回すというなら、取締役の報酬も減らすべきだ」等々1.5時間ほど質疑が行われた。
 小生も最後にもう一度質問した。
「当社のライバル企業と目されるT者の株価は1100円台、当社は600円台、500円の差は、経営指標から見て、経営者として妥当と考えるか?」
 質問を振られたS取締役は、答えにくかったらしい。「他社の株価をコメントする立場にありません。またT社の株価をベンチマーキングしているわけではありません。ただ時価総額では1:1.1程度です。」
 それはないと思った。時価総額は株価×株数だから、株価の結果である。私が聞いたのは株価の原因である。
 私が期待した答えは、「1株当たり株主資産は、D社が828円、T社は1600円です。自己資本を高める努力をします」という回答だった。大いにベンチマーキングしてほしい。
 とは思ったものの、答える人の立場を考えて、追求しないことにした。
 議論はあったものの、最後は議案を承認し11時50分閉会。20分の休憩後、ケーキセット付の「株主懇談会」が開かれ、1時半、今年の総会を終えました。

民主党の運命

2013-06-25 | 経済と世相
「東京都都議選」について考えてみます。
 23日の都議選、自民・公明が全員当選、共産党が第三党に、みんなの党が1→7に増えたが、民主党はほぼ3分の1の15名という結果でした。
 私の予想は、「民主党が壊滅的な敗北をして、今まで民主党に投じられていた票が、棄権にまわるか、他の政党に流れる」でしたから、ほぼ、ほぼ予想通りでした(もっとも自民が全員当選までは読めませんでしたが)。
 なぜそう考えたか。3年3月の民主党政権が、徹底的に有権者の期待を裏切るものだったからです。有権者が野党に投票するのは、「今の世の中を変えてもらいたい」と思うからです。ところが、民主党は、今の世の中を変えようという意識がまるでなかった。
 一般に、政党は「こういう世の中にしたい」という構想を持ち、それを国民に呼びかけ、政権奪取の後は、その構想を実現すべく努力するものです。
 ところが、その「こういう世の中にしたい」と言う構想が、最初から民主党になかった。だから、「世の中を変える」政策は何も出てこなかったのです。従って、世の中は自民党時代と何も変わらない。つまり、自民党が描いていた「世の中の構想」と民主党の描く「世の中の構想」とに差がなかった。言葉を変えて言えば、民主党は「かくれ自民党」であった。「かくれ自民党」に投票するぐらいなら、本物の自民党に投票した方がまし、と考えた人は自民に票を投じ、そう考えない人の多くは棄権に回ったと思われます。
 具体的に述べましょう。
 自民党の考え方は、「企業を繁栄させれば、国民も豊かになる」と考えてきました。民主党を支援する労働組合も、大企業の労組が主体で、彼らの考え方は、「企業に儲けさせて、そのおこぼれを自分たちも頂く」というものでした。だから、企業を優遇する施策に賛同する。民主党が「かくれ自民党」になる所以です。
 ところが、米国の圧力で、世界経済がグローバル化された結果、今の世の中「企業を繁栄させれば、国民も豊かになる」が必ずしも成り立たなくなった。
 従来は、輸出で利益を上げた企業は、国内に設備投資をして、国内に資金を回し、国内の雇用を増やした。だから、輸出企業が利益を上げれば国民が豊かになった。ところが、今は、輸出企業の投資は国内に限定されない。というより、国外の投資に回す方が多くなった。こうなると、企業を繁栄させても国民が豊かになるとは限らない。
 ここのところが、今の安倍政権に見えているとは、どうしても思えないのです。輸出企業が稼ぎさえすれば不況は脱出できると、原発のセールスに熱中しています。
 もちろん、民主党に、この状況を脱出する構想力があるとはとても思えません。
民主党は、かつての社会党が政権に着いた後急速に衰えて、わずかに社民党として若干名が生き残っていると同様の運命をたどることでしょう。
おそらく、7月の参院選の結果が、このことを明確にすると思います。

統一球

2013-06-23 | 経済と世相
中日ドラゴンズの不振が続いている(昨夜はやっとの思いで勝ったが)。毎年、上位3位内に入っているのに、今年は開幕からもっぱら最下位争いです。ドラファンの友人と先日話ました。
「権藤投手コーチの更迭がまずかった」と彼は言うので、「同感だ」と答えました。
確かに、投手陣を誇ったはずの中日が、今年は壊滅状態です。
ところが、投手コーチの問題だけでないことが明らかになったのです。
「統一球問題」です。ボールの反発係数を変えて、遠くへ飛ぶようにしていた。しかも、それを公表せず内緒で行っていたというのです。
投手力を中心にチーム編成をしたチームは不利になります。最初からわかっていれば、ホームランバッターを揃えるなど、対応を考えていたはずです。
ボールの変更を内緒にしていたなど言語道断です。さらに、言語道断なのは、この問題が明らかになった時のコミッショナーの記者会見です。
「昨日まで私も知らなかった」
「不祥事とは思っていない」と平然と言い放った!
こんな重大な問題をトップであるコミッショナーが知らなかった。コミッショナーの知らないうちにボールの変更が行われたというのは(それが事実だとしたら)、最大の不祥事です。第一、そんなことを知らなかったということ自体、トップとしての資質を欠いていますし、この発言からみても、彼がプロ野球に関して、何の識見もない人物だとわかります。
どうして、こんな人物がプロ野球のコミッショナーになるのでしょうか。
どうも、日本人はトップを選ぶことに関して、センスを欠くらしい(だから、原発メーカーのセールスマンを首相に選んだりする)。
政界においても、財界においても、「どうしてこんな人物が・・」という人がトップになることが珍しくない。「ごますり」と「世渡りのうまさ」だけでトップになる人が珍しくないのです。このコミッショナーも「ごますり」だけで、世渡りしてきた?聞くところでは、元駐米大使だという。どうしてこんな人物が駐米大使になるの?外務省の幹部は、「対米外交は、ひたすらごますりだけで良いと考えていたのだろうか。
第三者委員会に真相解明をゆだねるというのだが、コミッショナーの責任は、第三者委員会を待たなくても明らかなのだから、即辞任すべきだし、辞任しなければ即解任すべきだと思う。
ボールの問題だからと言って、(第三者委員会に)丸投げすべき問題ではない。
コミッショナーだけでなく、この人をコミッショナーに」選んだ何処やらの社長も辞任すべきだろう。
と(中日不振の八つ当たり?かな)、立腹しています。

奈良・京都の旅(2)

2013-06-14 | 旅行
 翌日は、ホテルに車を置いたまま、8時45分の開館(二の丸御殿は9時)を待って二条城を見学する。徳川慶喜が大政奉還を発表した書院を見た。
http://www.city.kyoto.jp/bunshi/nijojo/

「名古屋城と比べ、どう」と聞かれ、「名古屋城は戦争ですべて焼いてしまったけど、ここは古い建物がそのまま残っている」。
「名古屋城は建物が少ないから、河村さんが本丸御殿を建てたいわけだ」

10時ごろホテルに戻る途中「橋本佐内寓居跡」なる石碑がホテルの片隅にあるのを見つけた。「そうだ、国際ホテルは旧福井藩邸なのだ。

車に乗り、龍谷美術館へ向かう。
美術館は、西本願寺の向いにある。「龍谷美術館には駐車場がないから、無料の本願寺の駐車場に置きましょう」とHさん。
 Hさんは、お寺の住職で本山が西本願寺だから、良く知っている。
 駐車場に車を置いて、「ついでだから西本願寺に参拝しましょう」というHさんの言葉に従い、お西さんに参殿してお参りした。
 龍谷美術館では、「平山郁夫画伯展」をやっていた。
http://museum.ryukoku.ac.jp/exhibition/sp.html
かなり長野県の平山郁夫シルクロード美術館から持ってきて展示しているが、それにしても、イルクロード関係の美術品の収集はすごい。
. 見終わった後、Sさんが「耳塚」を見たいというので、豊国神社前の耳塚を見に行く。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%80%B3%E5%A1%9A
朝鮮の役で、殺傷した人数を確認し、戦勝の証しとすべく、耳や鼻を切りとり持ち帰った。それを葬り菩提を弔った記念碑です。 車を路肩に止めて数分の見学でした。
 その後、これも世界遺産の下鴨神社に行きました。

鴨長明が方丈記を書いて800年ということで、入り口の河合神社の境内に。彼の住んだ方丈を復元していました。



1時半、すべての見学予定を終え、帰途に。京都東ICから名神に乗り。岐阜羽島で降りて西岐阜駅に4時着。 ここで解散。「また秋にでも旅行しましょう」。 家には5時に着きました。



奈良・京都の旅(1)

2013-06-13 | 旅行
奈良・京都を旅しました。
 40年来の友人らと4人で車の旅、10日9時半、東海道本線・清洲駅に集まりました。Jさんの車に乗り込むと、早速、話の花が咲きます。
 「駅は「清洲」だけど、町の名は「清須市」だね」と小生。
「清須市は、清洲町と須が口町と合併してできた。古来の名は清洲です」とJさん。
 「あれっ、稲沢市という看板が建っている!」
「(集合地の)駅の出口が一つだけか確認しようと、インターネットで清洲駅を検索したの。所在地が稲沢市になっていたよ」と、私が言うと、「えっ、清洲駅が稲沢市?それは知らなかった」、Jさんが言う。
 おそらく合併するとき、駅の所在地の町が清須市に合併オスるより、稲沢市に合併の方が有利と思ったのだろう。
「インターネットはいろんなこと、分るんだネ」
「今日の泊りのホテルも、月曜割引で安く泊まれること、インターネットでわかったんです」と、私は言った。
 高速道の高架下の道に出て西へ向かう。
「あぁ清洲西Iは出口だけだね。入り口は清洲東へ行かないといけなかった!次の甚目寺から入りましょう」と運転のJさん。
 東名阪に乗ると「あま市」という看板が見えた。「海部郡」が「あま市」になっている。「かなの方が読みやすいから、かなにしたのだろうが、漢字には本来の意味がある」
「まったく平成の大合併は問題だね」
 亀山SAで休憩。亀山を出ると、一般道の名阪国道になる。その後天理ICから西名阪になるのだが、我々は奈良に向かう。
 12時ごろ、薬師寺に着いた。駐車場を出ながら「そろそろおなかが空いたね」。見ると、イタリヤ料理のカフェ&レストランがあった。
「薬師寺にイタリヤ料理の店はそぐわないなぁ」
「世界遺産になって、世界中から観光客がくるから、イタリヤ料理もあるのじゃない」
入ってみようか。中に入ってランチを頼む、私はイタリヤ料理風カレーを賞味しました。
 門の前に八幡宮や稲荷神社があるから、こうした仏教の古刹にも、日本古来の神様信仰が合体しているらしい。

 薬師寺は、天武天皇がお妃(後の持統天皇)の病気平癒を祈って680年建立を発願されたとか、寺に入って驚いたのは境内の実に広域であること。今回訪問目的の平山画伯の障子画がある玄奘三蔵院伽藍は一番奥でした。

朱塗りの柱が美しい社殿が印象的でした。
http://www.nara-yakushiji.com/guide/
次は、隣の唐招提寺まで車で5分ほど。薬師寺とはかなり雰囲気が違う。

御影堂の東山魁夷の障壁画が有名ですが、生憎公開は6月6日前後3日とのこと。昨日までは公開していたのに!
http://www.toshodaiji.jp/
本物は見られなかったので、売店で新潮文庫の「唐招提寺全障壁画 東山魁夷小画集」を買い求めた。
 3時半ごろ寺を出て24号線を京都に向かう。京都近くで1号線に入り、4時半、二条城前の京都国際ホテルに着いた。
 この会は交代で、最近実践したことや研究したことを発表しあうことにしている。今回は私の担当で「アベノミクスについて」食事前、30分話をした。
http://blog.goo.ne.jp/snozue/d/20130609
 夕食は話題がにぎわった。Jさん「プーチンロシヤ大統領の離婚、どう思う?奥さん辛抱すべきと思うけど、NOZUEさんどう思う?」
「どんなえらい人でも、自分の奥さんに自分がえらいと思わせることは、至難の業だということですよ」
 財政破綻に話が飛ぶ。「このままでは財政はパンクするよ」とHさん。
小生「アフリカにジンバブエという国がある。2009年度政府の債務残高はGDPの282.6%。世界のワースト1(日本が189.3%で2位)。
 2006年頃から財政赤字の補てんを理由にジンバブエ・ドルの紙幣を大量発行し続けた。すさまじいインフレは2007年2億%に。そして2009年1月、ジンバブエ政府は、外国通貨の取引を解禁し、ジンバブエ・ドルの発行を停止した。つまり、USドルが国内で通用し(公務員の給料もUSドルで支払い)、ジンバブエ・ドルは誰もつかわない。わずかに、土産物屋で“市場最高のインフレの記念品”として売られているそうです。
それでも、国というものは成り立つんですね。」
 京料理の夕食を賞味した後、8時ごろ、ホテルのスタッフに紹介してもらった丸太町通りのスナックに2次会を楽しむ。(続く)

アベノミクスへの危惧

2013-06-09 | 経済と世相
哲学者の内山節さんが5月26日中日朝刊に面白い寄稿をしていました.
【上野村では東日本大震災の直後からペレット工場が動き出している。
 ペレットは間伐材などを細かいチップにしてから固めて玉状にしたもので、燃料にする。
 村の温泉の過熱用燃料として使い始め、本年度中には一般家庭も含めて、暖房もペレットで賄う体制をつくるのが目標になっている。
 たとえば暖房に灯油を使った場合、灯油代は村の外に出てゆく。ところがそれをペレットでまかなえれば、ペレット代は森林所有者や、伐採、搬出をした村の森林労働にたずさわる人々、ペレット工場で働く人たちに分配されてゆく。村の外へ出ていくお金を、村の中で循環するお金に換えられるのである。
 村人の払ったお金が別の村人家計を潤し、その人がまた村にできたものを買う。そういうことができれば、お金は村の中で循環するものになり、個人の所有物でありながら、地域を支える村の共有財産のようなものになれるかもしれない。・・
 もちろんこんなお金のあり方を、完全なかたちですぐに作り出すことはできないけれど、それに向かって一歩ずつ前進してみようということでもある。昔はお金は「天下の回りもの」だった。ところがいまでは完全な個人の所有物になっている。だがそれによって人々が幸せになったのかといえば、そうともいえない。
 これだけのお金で、これからもやっていけるのだろうかなどと考えだしたら、ほとんどの人たちは不安を感じるしかないだろう。仮にかなりのお金があったとしても、大きなインフレが起きたらどうなるのかという不安に、答えられる人も少ないだろう。
 こんな陥穽におちいるよりは、お金の循環を通して地域が生まれ、支えあうかたちを模索した方がいい。お金は自分のものでもあるけれど、「天下の回りもの」として地域の共有財産のような性格を持つ仕組みはつくれないだろうか。
 安倍政権が行おうとすることは・・・そこから見えてくるものは、退廃的な金融バブルと、孤立した不安な個人が同居する社会でしかない。』

 なぜ、おもしろいと感じたか。
現下の世界経済の問題点は、「お金が天下の回りもの」になりきれていないこと。
「景気」というものについて、私は単純に考えています。世の中に「お金」がよく循環していれば「景気が良い」、循環していなければ「景気が悪い」。平成の20年にわたる不況は、カネの流れるルートが閉塞状況になってしまったこと。
 どうしてそうなったか?輸出で稼いだお金は、従来は国内で賃金の引き上げや設備投資に回された。しかしグローバル化経済の今日、企業は国内より海外に投資する。賃金を引き上げるのではなく、内部留保に回す。
 世の中不景気だと、日銀も政府も、金融を緩めて、お金を回そうとする。しかし、日銀が流したお金が、世の中(国内)に回っていかない。局部に滞って、世界的に投機資金だけが増えていく(これがいわゆる金融バブル)。内山さんの主張は、「お金を天下の回りものする」ことこそが、今日の経済改革の主眼であることを説いている。これが面白い。
 さて、アベノミクスである。
 まず、今日、「為替」が完全に「国際金融商品」になっている事実に着目しよう。その結果は、為替が、各国の輸出力や物価で決まるというよりも、各国通貨当局が発行するお金の増加量が、相対的に低ければ、その国の通貨が高くなり、相対的に高ければ通貨は安くなる。
 「円を安くする」が目的なら、アベノミクスは完全に成功である。
 しかし、「円を安くした後に何が来るのだろうか?」
 円を安くして、輸出企業を助けても、輸出企業が稼いだ金は国内を循環していかないのだ。
 アベノミクスは、企業を豊かにすれば国民がゆたかになるという前提である。
しかし、その前提が成立しなくなっているのだ。
 

富士周辺から石和温泉へ

2013-06-07 | 旅行
5月31日から6月1日、D社OB会の旅行で富士周辺と甲州石和温泉を訪ねました。
50名余のバス旅行です。8時半前、旧本社前を出て、名古屋高速、伊勢湾岸道路を経て、豊田南JCから東名・三ヶ日JCから新東名です。
 さっそく、バスガイドが新東名のうんちくを語ってくれます。「新東名は東名と比べトンネルが多いですね。トンネル内の照明はすべてLEDが用いられ、下向きでなく進行方向に向けて取り付けられていますから、前を行く車両が見やすくなっています」。
 新幹線の富士駅で、関東地区からくる仲間と合流するため、富士の手前で東名に戻り、富士ICで、高速を降りて、12時過ぎ新幹線の駅で、乗り込んできた9名との1年ぶりの再会。互いの健康を祝した。
 朝霧高原のレストランで遅い昼食。その後、富士浅間神社に。

時折、雲が途切れて富士山の優美な姿をのぞくことができた。巨木にしめ縄、富士浅間神社のたたずまいは、日本人の信仰、日本人にとっての神々は、山や樹々などは自然そのものなんだと改めて思う。徐福伝説を伝える碑もあった。

参拝を終えて、今夜の宿・石和温泉に向かう。河口湖大橋を渡って、 御坂峠を通る。静岡県の薩埵峠(さったとうげ)、箱根峠、それにこの峠道が富士を見る峠道三景とか。
宿には4時半ごろ着いた。石和温泉は、インターネットの解説によると、【1961年にブドウ畑の中から突如として温泉が湧出、湯量が多く、新宿から特急電車で1時間半と近場のため、京浜地区の奥座敷として発展。団体客向けの歓楽温泉として知られ、大規模な風俗街も作られた。しかし、近年は個人客集客のためイメージ脱却も図っている。笛吹川の鵜飼や八幡神社の太鼓演奏など歴史、文化の強調したイベントを開催。また特産物の果樹とも結びつけて、ワイナリーが至る所に点在する。】
 着くとすぐ、OB会の総会が始まったが、河口湖から急に高度が下がったためか、耳がつーんとして声が聴きにくかった。
 六時半から夕食。会社の代表として取締役のI君が挨拶に来ていた。しばらく歓談。
「話しするの20年ぶりぐらいかな?」
「でも、株主総会では毎年お会いしています」
「そうだったね。アメリカには何年行っていたの?」
「4年です」
「メキシコには行っていないの?」
「メキシコは言っていません。メキシコはHURUKAWA君です」
 九時ごろ部屋に引き上げ、すぐ寝たのだが・・・

翌朝5時半、目覚めると体調がおかしい。「寝ていれば治るだろう。出発が9時の予定だから、それまでに治まるかも」。実際に、かなり良くなったが、明日は、水泳大会がある。旅行は中断して帰宅・静養した方が良いと判断し、幹事にその旨断わり、中央線お特急で帰宅することにした。
二日目の予定は、恵林寺参拝と昇仙峡だった。恵林寺には行ってみたかったが、やむを得ない。旅館の車で、石和温泉駅に送ってもらい、10時過ぎの電車。塩尻で40分の乗り換え時間があったので、駅で「とろろ蕎麦」を賞味した。このころにはすっかり回復していた。
2時20分、名古屋に帰宅できました。