古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

5000kmのお祝い

2006-04-30 | 水泳
 29日午後、名古屋ドーム手前の市営東プールに出かけました。入口でプール定期券(4月から65歳以上も有料になりました。一回100円ですが、一年間の定期券だと¥10600ですので、早速購入しました)を見せて入場。
 今日は念願の累計5000Km達成の日です。後,1500mで5000Kmでした。
 平泳200m,背泳25m×8本,バタ25m×4本+キック25m×4本、クロール200mと泳いだところで休憩時間のミュージック。5分間の休憩後、バタ100m、バック、平泳ぎ100m、クロール100m。その後、バタ・バック・平・クロールの順で各50mで1400m。
 最後にダウンを兼ねて平,クロールの50mを泳いで1500mで終わりました。
 5000Kmの達成です。

 平成5年1月以来13年4ヶ月かかりました。(年平均375Km)
 思いかえせば、昭和63年、52歳の時から水泳を習い始めました。その時まで、まったく泳げなかったのです。所謂カナヅチでした。25mのプールを、こちらから向こう側まで泳げるようになるまで半年かかりました。まぁそれぐらい泳げないと、普通の人は「オレには泳ぎの才能がないのだ」と諦めてしまうと思うのですが、幸か不幸か「諦めない」という才能を両親に貰っていたので,「オレは生来不器用だから、他人が10日で覚えることを100日、200日かけて憶えなくちゃ」と性懲りなく練習を続けました。
 これが良かったと思います。泳げるということは、泳ぎ方を知っているということと、泳ぎに使う筋肉が発達していることを意味します。器用な人は、泳ぎ方をすぐ憶えてしまうので、筋肉が充分出来上がる前に飽きがくる。
 ところが、私のように不器用な人間は、なかなか泳げないから、泳げるまでに必要な練習時間が長いので、泳ぎ方が分かるようになった時には筋肉も出来上がっていることになります。
 いずれにしても、たいへんな距離です。赤道一周で確か4万キロ、その八分の一ですから。

 夕食には缶ビールを一本追加して、祝いました。


「海上の森」を歩く

2006-04-30 | 旅行
 大型連休の入口28日は素晴らしいお天気になりました。住宅のシニアクラブで瀬戸市の「海上(かいしょ)の森」にハイキングをしようと、9時半エレベータホールに集合。集まってみると、何故か、女性10名、男性は2名だけでした。
 地下鉄で大曽根駅まで行って、JRで高蔵寺まで。そこで愛知環状鉄道に乗換え、3~4駅で山口駅。「えっ、これで¥320」とMさんが言うので「第3セクターでJRと違うのね。まぁこういう鉄道は遊園地の電車みたいなもんだから」と小生。しかし、私も愛知環状鉄道は、18年も前に開業しているのだが、初めての乗車。 ここのHPが面白いですよ。
http://www.aikanrailway.co.jp/

 駅前で、みんなで準備体操をしてから歩き始めた。
 「海上の森」は、愛知万博の会場に指定されたところ、オオタカの営巣が発見されたことから、反対運動が盛り上がり、結局、愛知青少年公園がメインの会場、海上の森はほんの一部が万博瀬戸会場になった。つまり、一部だけでも、会場にしたことで、万博事務局のメンツを保ち、実体はほとんど青少年公園に移ったことで、住民は実を取ったと言うことらしい。
 いずれにしても、この万博騒ぎで「海上の森」は一挙に有名になった。
 今、その「海上の森」はいかに?という興味もあったが、「海上の森センター」(万博瀬戸会場愛知県館)は今年9月オープン予定で、現在はまだ入れない。本格的な整備はまだこれかららしい。

 駅から小1時間で、「海上の里」なる休憩所に着く。
里山サテライトという古民家を新たに整備した建物で、昼時だったので、ハイキング客で賑わっていた。整備にはボランテイアが活躍したというこの古民家と、
隣接する「エコトイレ」(雨水利用とバクテリヤによる分解で処理するトイレ)が自慢らしい。

 1時間ほど持参の弁当を広げ、奥様方の自慢の漬物、煮物などをご馳走になる。
午後は1時間ほど周辺の、通称大正池、渓流、木立などを散策した。
 「空気が綺麗ねえ」。奥様方が言うのを聞いて、私の子どもの頃は(田舎に居たのだが)、周りはみんなこういう風景だったと感じた。
 土地価格の上昇率のベスト10中8箇所まで名古屋と、大都市化が進む名古屋。
名古屋が大都会になるほど、ここは貴重な自然として、喜ばれる土地になるかもしれない。

 道沿いに、小さな花を見つけた「みやま躑躅」だという。
 2時過ぎ散策を打ち上げ、駅までウオーキング。3時半の電車で、4時半帰宅しました。

今年も銅メダルでした

2006-04-25 | 水泳
 06年日本マスターズ短水路大会愛知会場は、4月23日、安城市スポーツセ
ンターで行なわれました。
 昨年50mバタフライで、思いがけず銅メダルを獲得したので,柳の下のどじょうを狙って、今度は100mバタフライにエントリイしたのです。その男子100mバタフライ、1組の第2コース、3時過ぎでした。70~74歳組の出場者は3人、失格にならずに最後まで泳げば銅メダルです。プログラムで見たら、他の泳者の申告タイムが私より20秒以上も早いので、いくら頑張っても追いつかない。ゆっくりマイペースの泳ぎで良いと、心に決めていました。水温29度の表示が出ています。
 「ヨーイ!」で飛び込み台の前端に軽く指を触れ、スタートの笛で飛び込みまし
た。案の定、隣の選手はぐんぐん前へ出てゆく。「マイペースだ」とゆっくり腕を回し始めた。25m,50m,75mとターン。ここから、少しは、かっこいいところを見せなくっちゃと、それまでの一かき一呼吸を二かき一呼吸に切り替えてピッチを上げた。もうみんなフィニッシュしたみたいだけど、悠々独泳を披露しました。
 フィニッシュは、2分14秒。まぁこんなところが実力でしょう。

 その後が忙しかった。次の種目が、男女混合のフリーリレイです。チームの皆と一緒に第1組に出場することになっている。大急ぎで、プールを上がりプールサイドの選手召集所に駆けつける。「こちらだ、こちら」と、チームメイトが声を掛ける。第一泳者が先頭の長椅子、第二泳者が次の長椅子と並んでいる。私は第3泳者です。まだ息を弾ませながら腰をおろしたら、後から声がかかりました。「また泳ぐ?」。振り替えると大先輩のOさん。今日は70~74歳で、200mの銅、25mで銀のOさん、Kチームのアンカーらしい。
 「え、25mだけですからなんとかなりますよ!」「タフだなぁ」
 わがチームは、60代の二人が第1,第4泳者。70代の二人が第2,第3です。他チームは第1,第4が男子、第2.3が女子でした。年齢(4人の合計)260~279の組です。
 第1泳者のMさんと私がスタート側、女性のHさん、Tさんが反対側に回る。レースがはじまり、Mさんが飛び込む。落ち着こうと、深呼吸を一つして、飛び込み台に近づくと、もう反対側からH女史が半分近くまで来ている。台に上がり、近づくHさんの動きに合わせて体をかがめて、タッチ直前、指を台に触れる。タッチを確認した。
「今だ!」飛び込んだ。今度は全力で腕を回した。いつもリレイの25mはノー
ブレッシングで泳ぐが、100バタの後だけにノーブレはきつい。中間点で一呼吸。後5m地点でもう一回呼吸。
 タッチした直後,ザッボーンッ。気合充分のT女子が飛び込んで上げた水しぶきを背中に感じた。
 1分24秒でフィニッシュ。一人平均21秒で泳いだことになる。もちろん、このタイムでは入賞は問題外だが、70歳前後の、もうお孫さんのいるジイサン、バーサンが25mを21秒で泳げば立派なもの!と思った。
来年、わがチームは280歳のグループになる。来年に期待だ!
 といった具合で、私の水上運動会。マスターズを終了。着替えてから1時間ほど他の選手の泳ぎを見て、H女史が名鉄のK駅に車を置いてきたというので、
「じゃ、一緒に名鉄で帰りましょう」と帰途についた。。
 バス停まで歩きながら、「ここはバス停までの道案内がないでいかん!」、
「トヨタの城下町みたいな市だから、車には配慮しているが歩行者には配慮してない!」など、私の独断の偏見を披瀝。
 実際、このスポーツセンター。総合運動公園の中にあるのですが、野球場や陸上競技場など、たくさんのスポーツ施設があって(勿論駐車場もあって)、本当に広い。だから、バス停までかなり歩かねばならない。
これみんな,トヨタから上がる税金で作ったんだろうな。いや、立派な施設です。


さくら道マラソンと神奈川の旅

2006-04-24 | 放送大学
 22日は忙しかった。5時半目覚めて、「あっ寝過ぎた!」。
直ぐ起きて支度し、名古屋城正門に10分のジョギングで駆けつけた。
 4月のこの時期の土・日は「さくら道マラソン」の日です。土曜朝6時に名古屋城正門をスタート、翌日曜の午後6時までに金沢兼六園まで250Kmを走るウルトラマラソン。別に知人が走るわけではないが、誰であろうと250Kmを走ろうというつわものには敬意を表さねばならない。と、毎年この日の朝はお城を出て行くランナーを拍手で見送るのが小生の年中行事です。
 250Kmの距離は、まったく自己との闘い。
それぞれのランナーはいかなる思いでこの距離に挑戦するのでしょう。
 正門前には大勢の見送り人がたむろしていた。約100名のランナーが次々と出て行くのを10分ほど見送ってから、お城を一周して名城公園のジョギングコースを駆け、帰宅しました。
 それから、シャワー・朝食。出かける準備をしました。
 今日は横浜の放送大学神奈川学習センターで、Sゼミ(卒論のグループ)の初打ち合わせです。
 9:58久しぶりの上り新幹線、席が海側(A席)なので、富士山はよく見えないだろうと思っていたら、安部川の鉄橋を渡る手前で、海側にくっきりと白雪を頂いた富士の雄姿を見た(ここだけが富士山は海側に見える)。11:26新横浜着。昼食は早めに新幹線内で済ませていたので,すぐ地下鉄に乗り換える。
 地下鉄は混んでいた。「横浜市営地下鉄は全席優先席です」の掲示が目に入った。「なるほど、若者はすべからく立って行きなさい」なんだと納得。
 神奈川学習センターは初めての訪問だが、インターネットで検索したら、「地下鉄で新横浜から26分,「弘明寺駅」で下車」とあった。ぼつぼつかな、と思った時「次はグミョウジ」のアナウンス。
「じゃ、コウミョウジはもう一つ先だな」と思った時、停車した。目の前の駅カンバンを見ると「弘明寺」。ここだ!と飛降り「弘明寺ってグミョウジと読むのか!」

 12時15分学習センターに着いた。初めての場所だから、余裕を見ていこうと
思っていたのだが、予定の1時より45分も早く着いてしまった。
 集まったのはS教授と5名の学生だが、うち見たところ私が最年長らしい。隣の
Aさんに聞いたら愚息と同年生れだった。5人がそれぞれの卒論テーマの概要を説明し、質疑と先生の指摘で前半を終り、後半はPCを使って、先行文献の検索の実習をした。
 論文である以上、一つだけでも良いから、今まで誰もが言わなかったことを述べねばならない。従って、それぞれのテーマに関して、どんな論文が既に発表されているかを、先ず調査しなければならないというのが、先生の指導でした。
 4時40分頃終了し、道草をせず、来た道をまっすぐ帰りました。
明日は水泳大会、早く帰って英気を養おうと思ったのです。

弘明寺はインターネットで調べたら
1200余年前、721年にインドの善無畏三蔵法師により開設されたお寺です。
鎌倉時代には源家累代の祈願所とされました。
江戸時代には板東観音三十三カ所の14番札所として信仰を集め年2回の
市が立ち、大変賑わいました。
本尊の木造十一面観音立像(通称:弘明寺観音,国重要文化財)は,
関東に残る鉈彫り(なたぼり)の典型的な作例として有名なもので、
平安時代(11~12世紀)の作です。

「国家の品格」と教育基本法

2006-04-19 | 経済と世相
 4月15日の中日は、教育基本法改定の自公案に関連して、問題の背景と「国家の品格」の著者へのインタビュウを載せていました。面白い記事でしたので、紹介します。

 藤原教授の著書「国家の品格」は、自民,公明両党にも愛読者が多く、両党の愛
国心論争」にも少なからぬ影響を与えた。
 藤原教授は、著書で「愛国心」という言葉には自国の伝統や情緒を愛する「祖国
愛」と、自国の国益だけを考える「ナショナリズム」の二つの意味が含まれると指摘。
ナショナリズムは、戦争につながり安い・・と批判している。
 公明党が「愛国心」に反発した理由も「戦前の国家主義を連想させる」からで、藤原教授の主張と一致していた。

 一方、長引く論争に終止符を打ちたかった自民党側も、藤原教授の主張に着目。
 今月に入ってからは、自民党がこだわる「愛国心」が、藤原教授の言う「祖国愛」と同じ内容であることを訴えて公明党側の理解を得ようという動きを見せた。
 自民党内の「藤原ファン」からは「愛国心」が無理なら、「法案に盛り込むのは
『祖国愛』にしてもいい」という意見もあったほどだ。
 自公双方にとって「国家の品格」は、理論武装のための格好のテキストだったようだ。

 さて、その藤原教授。
--与党で合意した表現をどう評価しますか?
「下手な文章ですね。これじゃ事務屋の文章。政治家や役人にはこの程度の作文能力しかないのでしょう。・・・」とばっさり。
 以下、自公案とそれを添削した藤原教授の文を載せていた。
自公案 『伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと』
藤原教授は
 『自国の文化、伝統,情緒、自然をこよなく愛する』

 両者とも、要は同じ内容を語っている筈ですが、前者は、典型的な「船頭多くして船、山に登った」文章です。

小泉内閣の評価

2006-04-09 | 経済と世相
 小泉内閣が戦後3番目の長期内閣になったそうです。今、読んでいる野口悠紀雄さんの本に小泉改革にふれた文がありました。以下に紹介します。

【第二次世界大戦の歴史を読んで痛感するのは、「日本は何故もっと早く降伏ができなかったのか」ということである。・・・組織の構成員は、組織の存続を当然の前提として、その中での自分の地位保全に汲々する。フィリピンで米軍と対峙する日本軍では、帳簿記載の弾薬量と現実の弾薬量とのつじつまを合わせる「員数合わせ」に、誰もが全精力を傾けていたという。
 組織の下位メンバーの行動がこうなるのは、やむをえない。しかし日本ではトップに至るまで「員数合わせ」しかしていなかった。そして、こうした指導者の怠慢と惰性ゆえに、多くの人命が犠牲になった。もし3月に降伏できていたとすれば、沖縄戦も原爆投下も、満州へのソ連参戦もなかった。・・・些細なことについては大議論が行なわれるが、国家の命運に関わる重大事は、議論の対象とさえされない。これが日本の統治機構の最大の特徴であるように思われる。
(最近も偽メールに軽率な議員が引っかかったという些細なことに大議論がはじまり、国家の重大事はそっちのけと言うことがありました)

 当時と同じことが、現在の日本にもある。最も重要な問題については、政治が機能していないのである。

 これまでの経済構造の維持は、不可能だ。・・・金融システムについていえば、銀行中心のシステムからの脱皮が要求されている。・・・・
 しかし、実際には旧体制の維持が図られている。ゼロ金利、産業再生、円安誘導などは、すべて古い経済構造を温存させるためのものだ。小泉内閣の経済政策は、「構造改革」というスローガンとは裏腹に、実は旧体制維持のためのものなのだ。
 公的部門についていえば、最重要な問題は、郵政事業ではなく、ましてや道路公団ではなく、社会保障制度、とりわけ年金制度の基本的な改革だ。これについて02年から03年にかけてさまざまな議論が行われたが、いずれも枝葉末節の些細事であった。そこで決められたことは、現制度の維持のために負担を引き上げ、給付を削減することだった。
 しかし、公的年金制度のもっとも基本的な論点は「現制度の維持がそもそも可能なのか」ということだ。

 経済全体についても、年金制度についても、最も基本的な論点は、「現在の制度をやめる」ことだ。それは、降伏して戦争をやめるのと同じだ。

 ・・・続いてきたものをやめるのは、難しい。少なくとも、官僚機構のなかで不可能な決定であることは間違いない。年金制度を廃止すれば社会保険庁が消滅することだけを考えても、こうした政策が官僚機構のなかからうまれないことは明らかだ。
 そうした重大決定を行なうためにこそ、政治がある。「戦争は、軍人に任せるにはあまりに重大だ」とは、クラウゼビッツの名言だ。】
  同感ですね。社会保険は社会保険庁や厚生労働省の役人に任せるには重大すぎ
ると思います。

能力のムダづかい

2006-04-07 | 経済と世相
 このところ、野口悠紀雄さんの本を連続して見ています。もう一冊と、最新版の『超アメリカ整理日誌』を通読しました。04年4月から05年3月までスタンフォード大学客員教授として赴任した期間の滞在日誌ですが、日本との比較論が面白い。
例えば・・・

【アメリカ人の事務能力の低さを痛感する・・・ATMから現金を引き出し(近くの銀行に)預金していたのだが、ATMからは、20ドル札までしか出てこない。だから1000ドル引き出しただけでも50枚になってしまう。ところが、50枚の紙幣を、窓口の女性が勘定できないのである。20枚を過ぎると分からなくなってしまう。・・・
 日本の店では、驚くほどの記憶能力や計算能力を持つ人に出会うことがある。レストランでの注文をメモなしに暗記して正確に持ってきてくれるウェイトレス、客の靴を札もいれずに区別して暗記し、帰る時にきちんと出してくれる旅館の玄関係、伝票にある数字を暗算で正しく合計する勘定係、等々。こうした光景はアメリカでは絶対にお目にかかれない。
 それでは、アメリカ社会の能率は全体的に低いか?ところが、そうではないのである。これはじつに不思議なことでだ。
 一般人の事務能力が低いにもかかわらず社会全体としての能率を保つ方法は、「マニュアル化」や「自動化」に頼ることだ。・・・
 こうしたシステムを作り出した人たちが舞台裏にいる。彼らは、われわれの目につかないころにいて、社会全体の能率を維持している。「能力に応じた役割分担」こそ、アメリカ社会の能率を支える基本的なメカニズムなのだ。
 「驚くほどの能力の人に、日本の店で会う」と先に述べた。しかし、よく考えてみれば、彼らが注文取りをしたり、玄関で靴を並べたり、勘定係りをするのはモッタイナイことだ。彼らは他の能力も優れているだろうから、舞台裏に回って、システムを作る役割をやってもらうほうがよい。それができていないのは、能力のムダづかいであり、社会全体の労働力が適切に配分されていない証拠である。】

 皆さんは、いかがお考えでしょうか?
まさか、能力に優れた人が下足番をやり、能力の劣る人が、国会議員や大臣、事務次官をやっているわけではないでしょう。でも・・・
「日本の社会では、そんなことは絶対にない」と断言する勇気は私にはありません。


続・パソコンTVのトラブル

2006-04-01 | マラソン
 話すと言うことは、こういうことなんですね。話している対象の総てを話すのでなく、対象のこの部分は相手が分かっていると想定し、相手が分かっていないと想定した部分のみを発言するのが、人間の会話です。想定が間違っていると、誤解が起きるのだ。
 さて、困った。
 リストは、Recordというフォルダーにある録画項目を読み出して表示する。
つまり、本に喩えると、Recordは、「目次」なのだ。「目次」がないと、本の場合「目次」がなくても1ページ目から読んでいけば読めるが、コンピュータでは・・・・
 それから、彼女と私の、なんとか元のRecord(目次)を修復しようと、二人三脚での悪戦苦闘が始まった。「ここをクリックして!」「これこれが出ていません?」「いくつ出てます?」「一寸調べて見ます。このままお待ちください!」云々・・・これが1時間続いた。
 前頭前葉を大活動させて、最後に彼女が名案を案出してくれました。
 録画ファイルは「録画開始時刻.mfg」という形になっている(例えば
200603311200.mfg)そこで、【*.mfg】でファイルの検索をして、見つかった
ファイルを全部、Recordに追記すれば良いというのだ。
 「HDDの中を駆け回っているね」。検索を始めて、画面に表示される文字列を見ていると、そう思った。ともあれ、Recordが修復されて、リストに全番組が表示された時「やったぁ!」とガッツポーズ。
 結局、作業の中でこういうことが分かった。PriusAir更新前、Dドライブに録画していたのが更新後はCドライブに変わっていたのである。録画した後、リストをいくら見てもDドライブのリストを見ていたので全然見つからない。それがDドライブのRecordを削除したら、自動でCドライブからRecordを見つけ出してきて表示した。

 何故、録画はDからCに変更されたか?これは私の推定だが、空き容量の大きいドライブに自動で設定されるソフトになっていた?
 Recordも、設定以前と以後のRecordを切り替えられるよう、画面にRecord、Record(1)の二つの表示が出ていたのに気付かなかったのです。

 録画を元のDドライブに戻し、互いの努力を感謝して、彼女との電話を切ったら、電話前から高校野球を映していたTV(パソコンでない)は、いつの間にか延長戦に入っていて、延長14回長崎清峰が勝利を決めた瞬間だった。
 いやぁ、私の前頭前葉も随分使いました。これだけ頭脳を使えば、「ボケの先送
り」も出来たかも?おかげさまで、パソコンの中がどういう仕組みになっているか、がよく分かりました。

追伸: 「インターネットと放送の融合」なる言葉が、ホリエモンvsフジTV事件で話題になりましたが、
どういう意味か定義されていません。私は、将来、TV番組を録画しておいて後で見るというライフスタイルが定着する。現在の私は、録画を自分のPCのHDDに入れていますが、その時、録画がネットの向こう側
http://d.hatena.ne.jp/snozue/20060316/1142502565
に置かれるようになる。
これが、「インターネットと放送の融合」なのだと思います。
そうなっていれば、今回のようなトラブルはないわけです。

パソコンTVのトラブル

2006-04-01 | Weblog・人生・その他

私のPCはTVパソコンです。
 インターネットでEPGというサイトにアクセスすると、1週間分のTV番組表がダウンロード出来て、これはと思う番組を録画予約しておくと、その時間に自動でPCが起動してTVの録画をしてくれ、自分の都合の良い時間に、PCを動かして録画を見るというしかけです。
 このしかけが、日立のPrius Airというソフトです。事情があって(この事情は長くなるので割愛)、6日前、最新バージョンをダウンロードして更新しました。ところが、その後、録画予約がおかしくなった。
 予約しておくと、PCはその時間に録画を始める。録画中のランプも点く。番組が終るとPCがダウンする。一見、すべて正常に動いている。ところが、いざ録画を見ようと、録画したリストを見ると、録画した筈の番組が入っていない。通常はこのリストから番組名をクリックすると再生が始まるのだが、番組名がリストに見つからない。
 おかしい!と、日立のコールセンターに電話した。「予約でなく、手動で録画して見て下さい」と言うのでやってみると、手動でも同じなのである。「HDDのDドライブの容量が一杯と違います?マイコンピュータで、容量を見てください」。見てみると「空き容量6.3GB、全容量203GB}である。
 このPCは公称250GBだが、通常の記憶がCドライブ、TV録画がDドライブ。250中203GBがTVに当てられているのだと、その時初めて知った。
「まだ6GB空きがありますよ」と返事すると、「もう一杯に近いですね、少なくとも10GB以上にして、それでも録画できなかったら、もう一度℡下さい」と言った。

 そこで、4日ほどかけて録画を整理して12GBの空きを作ってみたが、
やはり状況は同じ。30日、再度日立に℡した。
 今度は若い(かな?)女性が出た。「もう一度テストしましょう」と、「今の
番組を録画してみましょう」から始まって「ここを動かしてとかクリックして」とかやっていると、彼女、妙なことを言った。
「Recordの登録情報を削除してください」。良いのかな?と思ったが、専門家が言うのだから間違いないと思い、削除した。すると、不思議なことが起った。今まで、PriusAir更新後、テストしても出ていなかった番組名がぞろぞろと画面のリストに出てきた。「あっ、出て来ました。録画はしてたが、リストに出てなかったただけね。
だけど、更新前に録画した番組が全部消えましたよ。これって、さっき削除した所為じゃないですか?」「えっ、だって先刻、Recordには”一つもない”って、お客様が言ったじゃないですか?」
「いや、何回かテストしたけど、テストした番組は”一つもない”と言ったので、正常に動いていた時の録画は一杯ありましたよ。それがなくなっちゃったら、それらの録画は一切見られないじゃないですか!」
「・・・」。電話口の向こうで、彼女が絶句した。(続く)