古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

琵琶湖哀歌

2011-06-29 | Weblog・人生・その他
 急に暑くなりました、先日の夜、最低気温が25.2度。これは気象台の発表で、寝室の温度計は30度。眠れません。
うつらうつらしていて、3時ごろ目がさめてしまった。
 眠れないから、しばらくラジオでも聞くかと、スイッチ。深夜便をやっていました。
 琵琶湖に関連した歌の特集。
もちろん、『琵琶湖周航の歌』、加藤登紀子にリクエストの半分が集中したとアナウンサー。
お登紀さんの歌の後、「この歌も曲調が似ています」と紹介したのが、「琵琶湖哀歌」でした。
「トークカスムハ、 ヒコーネージョウ、ナミニクレユク、チクブジマ・・・」
私の好みの歌詞が流れます。
 昭和16年に、東海林太郎と小笠原美都子がデュエットで吹きこんだ歌。
皆さんに紹介しようと、Youtubeで探してみたのですが、
東海林太郎のオリジナルはみつかりません。
 あくる日になって、見つけました。
こんな昔の歌が登録されているのですから、Youtubeはすごい!(なんとアクセス数が100未満)

http://www.youtube.com/watch?v=HwElt-WZ_YU&feature=related

「こんな昔の歌手の歌、あったよ!」とメールで友人に知らせたら、たちまち93だったアクセス数が140を越しました。閑話休題。

追伸:(ご承知と思いますが)URLはドラグすると、URL入力ウィンドウに表示されます。

原発と菅首相論

2011-06-27 | 経済と世相
 先日の「狐と狸の騙しあい」で、こう書きました。
【「人気取り」の問題を見つけることに、菅さんは天才的だ。民主党不人気の現在、原発事故で、自然エネルギー開発は、国民にアッピールする絶好のテーマになると見た。
 昔、「風見鶏」といわれる政治家がいた。菅さんも風を見るのが巧い。しかし、昔の「風見鶏」は、自分で考えた方向に吹く風を待ったが、菅さんに自分の考えた方向はあるのだろうか。】
以下、その続編です。16日中日朝刊に「地下原発推進」という記事、
【5月31日、超党派による「地下式原子力発電所政策推進議連」が発足した。「脱原発」の逆風が吹きつける原発を臨海部の山の地下に造って進めようという動きだ。】
【本紙が入手した議連の名簿には、民主、自民、公明、みんな、国民新党の各党と無所属の議員49名が並ぶ。反原発を掲げる社民、協賛以外の主要政党が顔をそろえた。
 会長は平沼赳夫(立ち上がれ)、顧問は民主の鳩山前首相、羽田元首相、石井副代表、渡部最高顧問、自民党から森元首相、安倍元首相、国民新党は亀井代表ら9人。事務局長は山本拓衆院議員(自民)。】
【地下原発議連は、発足のタイミングから内閣不信任騒動との関連が取沙汰された。与野党の原発推進派が、原子力政策見直しに傾斜した菅首相を引きずり降ろそうとしたのではないか。】
 何故地下に原発を造ろうとするのか。山本氏は「地下は地震と津波に強い」事故時の放射能対策でも、地下式は優れているという。

 【NPO法人「原子力資料情報室」の伴英幸共同代表は「放射性核廃棄物をどう処理するかという問題は、地下式でもクリヤできない」と指摘。津波の影響は受けないか。「冷却が必要だから、原発は水から離れられない。地下式にしても、どこかで海とつながっており、津波の影響を受ける可能性は残る」
 再浮上してきた地下原発。「原子力に携わっている企業と『族議員』とが生き残り策を探っているようにしか見えない」と、伴氏は手厳しい。】
自民党の石原伸晃幹事長が、14日の記者会見で、この件について以下のように述べた。
「あれだけ大きな事故があったので、集団ヒステリー状態になるのは、心情としては分かる」
 驚くべき言及だ。日経ビジネスオンライン(6月17日)で小田島隆さんが、「卓袱台返して菅笠ひとり旅」と題してこう述べていた。
 【早期退陣を主張する勢力は、菅首相が、ここへ来て急速に脱原発への傾斜を深めていることについて、「原発を延命の具にしている」という言い方で、首相の政治姿勢を批判している。
 批判は、大筋において当たっていると思う。興味深いのは、「脱原発」という立場を、自らの政治生命の延長につなげることのできる政治家が、どうやら、現状では菅さん以外に見当たらないことだ。
 理由は、菅さんが、無力だからだ。 「無力」という言い方は、誤解を招くかもしれない。言い直す。要するに、菅直人という政治家は、通常の意味で言う権力基盤とは無縁なところから出てきた人だということだ。 菅さんには人脈が無い。頼りになる親分の庇護のもとにあるのでもないし、号令ひとつで馳せ参じる子分をかかえているわけでもない。同僚議員の人望もない。資金パイプもない。背後から支えてくれる団体も持っていない。
 と、こうして並べてみると、どうにもお話にならないリーダーであるように見える。が、ただひとつ、彼には、時流を読む不可思議なセンスがあった。だから、日和見と言われ、風見鶏を揶揄されながらも、いつの間にやら・・・・権力の頂点にたどりついてしまった(政治に限らず、コネもカネもない人間が偉くなるには、時流に乗るしかない)。
 菅さん以外の有力な政治家は、民主党に所属する議員であれ自民党の領袖であれ、いずれも、原発と簡単に絶縁できる立場にはいない。
 というのも、わが国の政治家として、多少とも地に足のついた政治活動をしてきた人物が、電力会社と無縁であることは考えにくいからだ。私は、菅さんが清潔だとか、素晴らしい人格者だと言っているのではない。菅さんには菅さんのマキャベリズムがあるはずで、そのマキャベリズムは相応に功利的で、必要に応じて汚れてもいるはずだ、とそう思っている。
 が、菅さんの功利は、原発とあんまり関係がない。そこのところが、現状において、強みになっているはずなのだ。アウトサイダーでいることもまた、別の意味で、容易な人生ではない。
 菅直人という政治家が、自らの信念に従ってアウトサイダーの立場を選んだのか、単に力不足のゆえに結果として傍流を歩いてきただけなのか、そのあたりの事情はよくわからない。
 が、とにかく、この機会を逃したら、脱原発はできないという、そのことだけははっきりしている。】
原発派も脱原発派も、狐と狸の化かしあいであることは、確かと思われる。

日米関係のこれから

2011-06-17 | 経済と世相
「日米関係のこれから」と題するコラムが、6月11日の中日夕刊に載りました。筆者は鈴木修さん、浜松医科大学の法医学の先生です。

【福島原発で、低放射性物質汚染水1万トンを勝手に海に放出し、近隣諸国のひんしゅくを買った。これは米国のアドバイスに従ったためだとの報道があり、私は大変びっくりした。これが本当なら日本人として情けない話だ。

 私はこれからの日米関係が、今まで通りで果たしてよいものかと思う。政権政党が代わり、霞ヶ関と政界との間に距離が生じている現在、沖縄の米軍基地問題も暗礁に乗り上げたままだ。沖縄県の人々の意見を最大限に尊重するのが日本政府の義務だ。米国による日本への影響力は現在やや低下し、米国はいらいらしているらしい。

 私は米国と袂を分かつ方が良いとは思わない。同盟関係は確かに必要だが、米国至上主義には反対である。また、米国にノーといえない日本の姿勢こそ大問題なのだ。】

 汚染水の海中放出だけでなく、浜岡原発の停止についても、次の風評があります。(注)

『菅首相が浜岡原発停止を決断したのは、米軍の強い要請があったからだ。もし浜岡で原子炉が事故を起こしたら、放射性汚染物質が、風に乗って横須賀の米軍基地に舞い降りると米軍は心配した。』というのです。

 汚染水放出も、浜岡の停止も、米国の示唆があったというのは、事実かどうか知る由もない。しかし、私が思うに、そうした噂が(菅総理なら)ありそうな話だと伝えられる。そこに問題があります。

注;中央公論5月号で、神戸大学名誉教授の石橋克彦氏は次のように述べている。
<東海地震の想定震源域の直上の中部電力浜岡原発を止めるべきだ。これが原発震災を起こすと、最悪の場合、南西からの卓越風によって首都喪失に至る。また、在日米軍の横田・横須賀・厚木・座間などの基地も機能を失い、国際的に大きな軍事的不均衡が生ずる。すでに米国からの強い要請が来ているかもしれないが、日本政府が自国民と世界のために決断を下すべきである。>



中央道の旅

2011-06-16 | 旅行
 翌朝8時、河口湖を見晴らす食堂で朝食を頂く。お天気は昨日よりは良くなっているが雲が多い。8時半、みなに再会を約して宿を出る。宿の主人が販売機から缶珈琲を3本取り出しわれわれにサービスしてくれた。昨夜はわが団体だけの借りきりだった。

 帰りは中央道だが、高速に乗る前に精進湖に寄る。「アレッこんな小さな湖?」、湖というより池みたい。実は、この湖、川の幅が広がったみたいな湖で、その川の先が道路のカーブで見えなかったのだ。

 「もうちょっと富士五湖らしい湖を見ていこうと4km走って本栖湖へ行く。確かお札に印刷された富士山はここ。しかしその富士山、残念ながら見られなかった。湖面標高900m、水深121m(最大水深138m)だそうだ。これで富士五湖の三つを見たから帰ろうか!

 案内所で中央道への道を聞くと精進湖に戻るのが早く、精進湖の湖岸を北上すればいいらしい。教えられて通り走って139号線に戻る。

 10時、甲府南ICから高速に乗る。北杜市で太陽電池の林立する風景を見た。「北杜市太陽光発電所」の看板が立っていた。

 休憩で、諏訪湖SAに寄る。ここにもスタバの珈琲店があった。驚いたのは、トイレでシャワー洗浄器が付いていたこと。世の中変わっていくのだナア。

 諏訪湖を見下ろす広場に「恋人の聖地」という看板が立っていた。「何これ?」「YUMI KATSURA LOVERS SPOT」ともある。

 帰宅してから、インターネットで調べたら、「恋人のデート・スポット」として推奨できる地点を「恋人の聖地」として選定するNPOの活動があるらしい。その選定人の一人が桂由美さんというわけ。 30分の休憩後11時半諏訪湖を出る。

 「どこで昼を食べよう」「朝食が遅かったから、中津川か、恵那峡でもいいよ」。恵那山トンネルを抜け、12時45分、恵那峡sAに着く。

 恵那峡を出てからはもう近い。小牧市のジャンクシヨンで東名に入り2時、春日井に下りる。 高速料金は5000円。昨日は日曜割引で1000円だった。そういえば、「日曜割引は6月19日まで」という看板がいたるところで見られた。

 大震災で財政も苦しいからヤムを得ないのだが、「さて、高速割引は何が目的で、その目的は達成されたのだろうか?」



Mさんのお宅の傍、Mさん愛用のセルフサービスのガソリンスタンドで、ガソリンを入れる。満タンで出発したから、ここで満タンに補給すれば、この旅行のガソリン代が分かり、3人で割り勘にする。140円/Lで3300円弱、23.5Lぐらいかナ、「何キロ走った?」、「600kmです」とO君。リッター25kmぐらい走った!「下り坂はニュートラルにしました、」というO君の省エネ運転の技術もあったかも知れないが、日本の車はずいぶん燃費が良くなった!

というわけで、二日間の旅を終えました。



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河口湖へ

2011-06-15 | 旅行
 12~13日は河口湖一泊の旅でした。昭和47年、現在の自動車総連部品労連の前身である部品労協の創立に関係した縁で、部品労連から年一度「役員のOB会をやるから出て来い」という案内状を貰います。今年は河口湖の労連指定旅館です。

 「河口湖まで、電車の乗り換え乗換えで行くのも大儀だナ、今年はやめようか」と思っていたら、Mさんから「Oちゃんの車で一緒に行かないか」と誘われ「連れてってくれるなら行きます」と返事した次第。

 12日9時、O君が、Mさんと一緒に、自宅まで迎えに来てくれた。名古屋高速に乗り、東名を走り、浜名湖SAで休憩。スタバの珈琲を飲む。高速道路にスタバが出店していることを初めて知りました。

 富士I.Cで高速を下りて139号線を走り、「時間があるから白糸の滝を見て行こう」と立ち寄りました。以前来たことがありますが、その折は水量が少なくてチョロチョロでしたが、今日は豊富な水量の滝でした。

 朝霧高原を通り、「本栖湖に寄ろうか」と車中話していましたが、お天気が悪く、雨は降っていないが、富士山の見られない本栖湖では面白くない」とパス。3時前河口湖の旅館に着きました。

 20名弱が集まっていた。会の会計報告などの後、近況報告。ほとんどが現役を下りているが、皆元気な報告でした。

 6時から懇親会。

 日発のNさんが言う。「日発にいたKOJIMAをご存知ですか」。フルマラソン完走回数日本一の小島義一さんのことだ。「もちろん知っています。確か18年前ですが、徳島県勝浦町のフルマラソンを走った時、偶々民宿の同じ部屋に同宿し、知り合いました。それからフルマラソンの大会に行く度、度々出会いました。でも、4年前の5月、金沢の犀川のマラソンで会って以来会いません。元気でやっていますか?」

「いやぁ、それが体を壊してしまって、もう走らなくなりました」と言う。

 あれだけ走っていたら、体を壊すのは当然だろう。徳島であった時、フルマラソン完走200回を越えていたが、最後にあった金沢では800回を越えていた(最終的には1000回を越えたらしい)。年50回以上も走り続けた。金沢で見たとき、既に走れなくなって、42kmを歩いて完走していた。「

 体を壊してでも走り続けたあの執念は一体なんだったのだろう。彼の場合は極端過ぎるとしても、人間は執念で生きるのかもしれない。人間は、経済学で定義する経済人」、合理性を基準に行動するような生き物ではない。小生なんかも、他人から見れば、なんであんなことやってるのだろう?と見られているのかも知れない。

 懐かしい顔ぶれと2時間、懐旧談を楽しみました。

 さすがにMさんもO君も年をとった所為か、10時前にはお休み。私も同じでした。(続く)



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高原の駅よ、さようなら

2011-06-14 | Weblog・人生・その他
なぜか、3時過ぎに目覚めました。ラジオをつけたら、深夜便の「日本のうた」でした。
「高原の駅よ、さようなら」。小畑実の歌です。
http://www.youtube.com/watch?v=swKLn26KEAQ
アナウンサーの語りに耳を傾けると、「東日本大震災」の特集で、被災地に因みの歌を特集していました。
「高原の駅・・・」が何故?聞いていると、
作曲者、佐々木俊一さんは福島県浪江町の出身(歌のモデルは常磐線浪江駅)とか。

この歌、昭和26年ですが、小生の中学生時代。この歌の好きな先生がいたらしく、珍しく、流行歌(当時は演歌という言葉がなかった)が、学校のマイクロフォンから放課時間の中学校校庭に流れていました。

国内各地を旅行する機会が多いのですが、最近特に思うのは、日本はすばらしい風光に恵まれた国、この美しい国土を、人が住めなくなるようにする原発事故の恐ろしさです。

政府の犯罪ではないか?

2011-06-11 | 経済と世相
「政府の犯罪ではないか?」、8日の中日朝刊「特報」を見ていて思った。

【「事故から約3ヶ月、住民の被爆を回避する措置がとられていない。それどころか、原発の状況に合わせて、住民の年間被爆許容量の基準を引き上げた」

国も東電も・・・「ただちに健康に影響はない」の説明を繰り返してきた。被爆には短期間に大量に浴びた場合の「急性障害」と数ヶ月から数十年後に症状が出る「晩発性障害」がある。

矢ケ崎名誉教授(琉球大)は「晩発性は被ばく線量が高くても低くても出る。晩発性の危険を承知していながら、あえてその危険を説明しないのは詐欺師の手法だ」

そうした“詐欺的説明”の中には、半減期が短い放射性物質の危険を伝えない点も含まれる。

「半減期が短いヨウ素はセシウムより危険が少ないという人がいるが、これも内部被爆のことが分かっていない。半減期が短いほど強い放射線を集中して放出している」。

国民を被爆の危険にさらす“発表遅れ”も枚挙にいとまがない。

放射性物質の拡散予測システム「SPEEDI」の予測図を「パニックを招く」と国民に隠し続けた。文科省が猛毒の放射性物質ストロンチウム90を福島県の土壌から検出したことを発表したのは、採取後から1ヶ月後だった。ストロンチウムは骨に沈着しやすく、白血病の原因になる。

福島県二本松市が市独自の内部被爆調査の実施を決めた。

国は住民の内部被爆調査を「治療対策にすぐ結びつくものではない。必要ないと判断した」(厚労省)。実態調査さえせず、「安全」を信じろという・・・「本来は国の力を結集し、内部被爆調査など実施すべきだが、そうならない以上、自ら全精力を傾けるしかない」と市はいう。

同市を含む県中央部「中通り」地域では、高濃度のセシウムが検出されている。緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム「SPEEDI」の予測図を見ればここに放射能が降り注いだことは明らかだ。しかし、政府は当初、予測図を隠し続けた。】

住民が原発事故で避難する際に、どの方向に避難したらよいかは、風向きを考えなくてはならない。風下に逃げても全く意味がない。そのデータを示す「SPEEDI」をかくすというのは、まさに政府の犯罪行為である。

どういう狙いで隠したのか?どう対策すべきか分からない官僚たちが、自分たちの無能を隠すためにデータを隠し、「ただちに健康に影響はない」といい続けた。住民の被爆障害は殆どすべて晩発性であり、「ただちに健康に影響はない」のは当然で、5年~10年経ってからの障害が問題なのだ。

官僚が隠したいとしても、政治家はデータを公表して住民を避難させるべきだった。何故官僚のいうままにしたか?不勉強で、どうしたらよいか分からないから官僚の知恵を借りるしかなかった。官僚主導でなく、政治家主導を唱えたのは民主党である。

時評:狐と狸の騙しあい

2011-06-07 | 経済と世相
5月27日の中日朝刊「特報」の記事は面白かった。要旨は。

 【首相は5月6日、浜岡原発原子炉停止を要請。同月18日には、電力会社の発電・送電部門の分離を検討する考えを表明した。

 さらに事故の原因を調べる「事故調査・検証委員会」の設置を5月24日に決定。翌25日、外遊先のパリで、太陽光や風力など自然エネルギーの総電力に占める割合を2020年代の早期に20%へと拡大する方針も打ち出した。

 これに対し谷垣自民党総裁は、17日、不信任案を提出する意向を表明し、公明党の山口代表も即座に同調した。表向きは「東日本大震災の復旧に向けた第二次補正予算案の今国会提出を見送った場合」ということだったが、原発をめぐる首相の言動が念頭にあったことは間違いない。】そして

 【日本経団連米倉会長はこの間、首相の足を引っ張り続けた。浜岡停止要請に「思考の過程がブラックボックス」、発送電分離は「(原発事故の)賠償問題に絡んで出てきた議論で動機が不純」、自然エネルギーの拡大には「目的だけが一人歩きする」と発言を続けるという具合だ。】

つまり、原発には膨大な利権が絡んでいる。簡単に正論ぶって「脱原発」を、首相に唱えてもらっては困るのだ。

【戦後政治史を振り返ると、自民党と原発の関係は深い。

 1954年、当時若手議員だった中曽根元首相が、「原子力の平和利用」をうたい、原子力基本法が成立。その後の自民党の原発推進政策につながっていった。

 74年には田中角栄内閣の下で、原発などの立地を促す目的で、自治体に交付金を交付金を支出する電源算法交付金制度がつくられ、各地に原子炉を建設する原動力となる。自民党と電力会社の蜜月関係は今見続く。

 自民党の政治資金団体「国民政治協会」の2009年分の政治資金収支報告書を見てみると、九電力会社の会長、社長ら役員が個人献金をしている。・・・

 「ジョン万次郎の会」というのがある。60年、自民党幹事長だった小沢氏が、東電の平岩外四会長の援助を得て、日米の草の根交流を目的として設立した。現在「ジョン万次郎ホイットフィールド記念・国際草の根センター」に名を変えたが、今でも小沢氏が会長、東電の勝俣会長が顧問、「原発事故は神様の仕業としか説明できない」などと東電擁護の発言を繰り返す与謝野氏も現在は大臣就任で休職扱いだが、副会長だ。

 電力総連は、連合加盟の有力労組であり、民主党の政策に大きな影響を及ぼしてきた。

エネルギー政策の見直しを打ち出した菅首相は、これだけの勢力を敵に回した可能性がある。】

 【金子勝慶大教授はフクシマ原発の事故について「財界中枢の東京電力、これにべったりの経済産業省、長年政権を担当してきた自公という旧態依然とした権力が引き起こした大惨事だ」と指摘する。

 「菅首相は人気取りかもしれないが、自公や財界が一番手を突っ込まれたくないところに手を突っ込んだ。自公は事故の原因が自分たちにあることが明らかになってしまうと焦った。それを小沢氏があおったのではないか」】

 「人気取り」の問題を見つけることに、菅さんは天才的だ。民主党不人気の現在、原発事故で、自然エネルギー開発は、国民にアッピールする絶好のテーマになると見た。

 昔、「風見鶏」といわれる政治家がいた。菅さんも風を見るのが巧い。しかし、昔の「風見鶏」は、自分で考えた方向に吹く風を待ったが、菅さんに自分の考えた方向はあるのだろうか。

 所詮、「狐と狸の騙しあい」ではないか?

 【結局、菅首相は「死に体」となり、発送電分離や再生可能エネルギー拡大への道筋は不透明になった。】と記事は結論しているのだが・・・

なごやマスターズ2011

2011-06-06 | 水泳
なごやマスターズ水泳大会の報告です。

 5日、9時に家を出て日本碍子プールに向かいました。10時前会場に着き、受付で選手名簿と、例年どおり参加賞の大きなバスタオル。しかしタオルは「出来れば東日本震災に寄付をお願いできないでしょうか」というので、即、差し出しました。

 早速、ロビーに座り、名簿を点検。100mバタフライ1組の組み合わせを見る。6コースが小生。隣の5コースはSATOH KENさん(75歳区分)、その隣の5コースはOHSAKIさん(65歳区分)だ。お二人ともバタのスペッシャリストで有名、今日の優勝は内定です。お二人の隣で泳げるなんて光栄だ。今日は小生70歳区分になります(名古屋マスターズは実年齢ですから74歳)。1組は皆65歳以上だが、70歳区分は私の他に出場者がいない。反則を取られずに最後まで泳げば3年連続の一位です。着替えしてサブプールに行き、100mを平で5本泳いで、アップを終え、観覧席に上がり見学しながら、出番を待ちました。

 女子の背泳のすんだところで、11時35分、水着になって選手控え室に行きました。

 まだ時間がかなりありそう、選手召集所の近くに行くと「NOZUEさん」と女性から声をかけられた。「ITOHです」という。アァ、小生のブログの愛読者だ。

 「もぅ泳がれたのですか?」「えぇクロールとバックを泳ぎました。バタですか?」と言う。

 「えぇ、何回も泳いでいるんだけど、スタート台に立つと普段25mプールでしか泳がないから、50m先がはるか遠く感じられて、あんな遠くまで泳いで帰ってこられるかな?って不安になりますよ」「でも、100mに挑戦されるのはスゴイですね」。

 次にあったのは、HANAI先輩。控え室に坐っていたら見えた。体がぬれているので「今泳がれた?平泳ぎを泳がれたの?もぅクロールはやめたの?」

「クロールはもぅキツクなって、平だ」

 いつもの例だと、ここで「あんたいくつになった?若いなぁ、オレより10歳も若い」というのだが、今日は違っていた。

「お互い年取ったなぁ」。懐旧談をはじめた。「あんたと初めて会ったときはコムスの5階のプールだった(15~19年前)。あんたセビロで来た(会社の帰り)から「この人現役なんだ」と思った!」。最後は「オレ、いつお迎えが来ても思い残すことない」。85歳まで水泳大会で泳ぐ人生なら思い残すことないかも?

 SATOHさんが来た。

「お久しぶりですネ」と声をかけたら、「あんた遠くまで行ったんだナ」「神戸ですか」「うん、俺インターネットで見たヨ」。インターネットって、ずいぶん普及したんですね。

 召集所に行くと、IIDAさんがいた。55歳区分200mクロール、200個人メドレーの日本記録保持者です。今日はバタフライに挑戦するようで、次の2組の5コースを泳ぐ。手を上げて挨拶。

 12時半過ぎ、スタート台に上がった。両足の親指を台の先端にかけ、飛び込みの姿勢、5m先の水面を見つめ心を静める。笛で飛び込む。冷たい!(水温は27.5度)、もう不安など考える暇はない。ひたすら前へ前へ。50mターン、2掻き1呼吸が続く。75m過ぎで少しキツク感じられたが、無事にフィニッシュ。2分28秒64だった。今の実力からいえばこんなところか、納得。

 次の組が飛び込んでから上がって、しばらくIIDAさんの泳ぎを見ていた。1分15秒で泳いだ。日本記録ではないが、さすが!

 サブプールで100m5本泳いでから上がった。

ロビーでおにぎりの弁当を広げ、腹ごしらえを済ませた。速報の掲示を見て記録を確認してから、記録証と1位の商品(紺色のSPEEDO水泳キャップ)を受け取る。去年の賞品は白の水泳キャップだった。

 午後の50mレースが1時半始まったが、曇り空で降ってきそうなので、帰ることにした。2時過ぎ帰宅、3年間のなごやマスターズ記録をチェックしました。

 2009年 2分16秒39(1位)

 2010年 2分25秒80(1位)

 2011年 2分28秒64(1位)

年をとったことが歴然とする記録です。

堂ヶ島への旅

2011-06-05 | 旅行
 3日~4日、D社のOB会の旅行で、伊豆堂ヶ島温泉に出かけました。

 総勢60人くらい。バス(2台)旅行でした。

バスが静岡県に入った時「ここから浜松市。浜松は日本第二の大きな面積の市です。第一の大きな市は岐阜県高山市」とバスガイドが言う。確かに小生の郷里の隣村まで浜松市に合併したから面積は大きい。子供の頃の印象では「浜松は海の傍の町」だったが、猪の徘徊する山村まで浜松市になってしまった。 

 日本平のSAを過ぎた辺りでしょうか、ガイドさん「右に富士山の山頂が見えます」と教えてくれた。新幹線で富士山が海側に見える場所があったが、東名でもそうした場所があるのだ。沼津で東名を下りてレストラン。ここで、関東から来た仲間と合流する。この後、伊豆長岡方面に。韮山の江川太郎左衛門の造った反射炉を見学する。この辺り「伊豆の国市」というらしい。その後ホテルに向かうのだが、「伊豆市」に入る。「伊豆の国市」と「伊豆市」があるからややこしい。

西伊豆町のD温泉ホテルに着いたのは、予定通り4時ごろ、最初、会議室で1時間ほどOB会の総会。労組からの来賓挨拶で、組合の副委員長が挨拶しました。

「私は両親ともにD社に勤めていました。ですから、家族の立場から見たD社について語りたいと思います。子供の頃、毎年、会社の創立記念日にカステラを貰ってきてくれました。子供心にこれが楽しみでした。それから年末に板チョコを労組が斡旋してくれたと大きな板チョコを1枚丸々親から渡されました。・・・」

 小生、二つのことに感慨無量でした。

 一つは、自分の同僚の子供がもう労組の役員をやっている!いかに自分は年をとったか!ということです。

 もう一つは、嘗て、日本の会社は、単に経済的組織としてだけなく、家族の機能の、少なくとも一部を代行する存在であったと思う。だが、できるだけ派遣労働者を使うような昨今の「会社」にそうした役割を期待することは出来ないだろう。人間は経済的組織に属するだけで安住は得られない。昔、村社会や家庭が持っていた人を安住させるしくみは、社会の近代化に伴い、企業が負担するようになったが、グローバル化に伴い、企業はその負担から逃れるようになった。では、日本の社会において人はいかなる社会に帰属することで安住を得られるのか?グローバル化に熱心だった政治家・経済学者に聞いてみたい。



 4日は8時半出発、ホテルの近くの乗船場で遊覧船に乗り、湾内の洞窟めぐりを楽しんだ。その後、天城トンネルなどおなじみのルートを通り、伊豆市湯ヶ島の浄蓮の滝を目指す。11時に着いたが、「20分の休憩です。滝は25m下ですから、時間的に滝の傍までは無理と思います」。ガイドは言ったが、滝の傍までくだり5分。5分間見物、わさびのアイスクリームを頂き、また5分で登り、戻った。

 大仁のレストランで昼食。1時帰途につく。三島駅で関東勢を下ろし、焼津の海産物買い物センターで土産を仕入れ、あとは高速に乗る。豊田辺りの渋滞で30分の遅れはあったが、無事帰宅しました。