古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

政治主導と官僚主導

2011-07-30 | 経済と世相
武田先生が激怒して、先生のブログに「怒りの文章」を載せていました。

気象庁が、3月11日からのフクシマの風向きのデータを国民に隠蔽し、海外には報告していたという文です。

http://takedanet.com/2011/07/post_01be.html

日本のお役所というところが、どういうところかよく分かりますので、必読の文です。



 そもそも民社党は、2年前の選挙で、「官僚主導でなく、政治主導」をうたって政権を獲得しました。

ところが、民主党内閣は官僚の言うままに動いているように思えます。

特に、フクシマ原発事故以来の行動は、まさに官僚の筋描きどおりです。



 何故そうなるのか?「政治主導」と言ってはみたものの、勉強不足で、

「政治主導」で何をやったらよいのかわからない。

特に原発事故なぞ、何をどうすればいいのか全く分からない。

だから、官僚に教わるままに動くしかない!・・・のだと愚考すします。



「ただちには健康に問題はない」と繰り返すのみでした。

もともと放射能汚染による健康被害は、10年~15年経ってからがんや白血病を来たすのですから、

「ただちには健康に問題はない」のは当然です。

われわれ高齢者は10年~15年経てば概ね生きていないから心配ないのですが・・・

日本国の原則(3)

2011-07-29 | 読書
近年のグローバル経済についても、「自由」が経済を発展させるという立場から、著者は二つ重要な指摘をしている。
 まずは、“中国経済の発展は日本の脅威ではない”、と述べる。
 『日本の対中輸出は2006年で10.8兆円(香港を含めれば15.0兆円)、輸入は13.8兆円(香港を含めれば13.9兆円)となる。日本の対中貿易収支は赤字だが、香港を含めれば黒字になる。 しかし、日本が黒字であることが日本の得で、赤字であることが損というわけではない。
 日本と中国との交易条件(日本の対中輸出価格/対中輸入価格)を見ると、日本の対中国交易条件は90年代以降、ほぼ一貫して上昇している。』
 でも、中国の労働者に対抗する国内労働者はどうか、格差が広がるのでは?
そこで、『生活水準を決めるのは輸出産業ではなく国内産業だ』との指摘です。
 『日本のGDPに占める輸出の比率は2006年で16%に過ぎない。日本の消費に占める財の比率は43%にすぎず、残りはサービスである。日本の生活水準は、輸出産業の生産性にではなく、国内産業の生産性により多く依存する。
 先進国では輸出の世界シェアの変化でみた国際競争力の変化が生活レベルを変化させる効果はほとんどないが、シンガポール、韓国、タイ、マレーシヤのような、貿易依存度の高い成長途上の国では効果がある。』(だから、先進国では、国内産業の生産性向上を図らないと国民の生活は向上しない。バブル崩壊後の公共投資は、国内産業の生産性向上に貢献することを配慮していたか。)
 成長には投資が必要だが、どんな投資でも成長に有効とは言えない。
 とは言え、これまで「自由」が日本の経済を発展させ、豊かな社会を作ったことは確かである。
 『格差社会という言葉が喧伝されるが、日本はまだまだ普通の人が幸福になれる社会だ。作家の桐野夏生氏は、「世のおばさんたちって、安定した生活を楽しんでいる。もちろん、そうじゃない人もたくさんいるけど」と書いている。日本はおばさんが幸福な社会だと思う。おばさんとは普通の人ということだ。振り込め詐欺とは、逆サイドから見れば普通の人がある程度の財産をつくり、それを子供や孫のために使いたいと思っている社会だからこそ成立する犯罪だ。』
 要約すると『日本国の原則』の著者の主張は、『官僚統制を排し、自由な市場が経済を主導することが豊かな社会を築く』。戦前にあっては、満州事変の成功が、統制経済の成功という幻想を生み、軍という官の統制は、日本を奈落の底に落とした。
 近年の“失われた20年”は、輸出関連以外の産業において、創意を生かす自由な市場の整備が行われていないことにある』

日本国の原則(2)

2011-07-28 | 読書
 続きを書こうとしていて、こんな章が目に留まりました。 
「組織の本音は人事に出る」という話。
軍隊という組織は、きわめて運営の難しいものである。死ぬ気で戦わねば戦争には勝てない。死ななかった軍人が出世して栄達を得る。
 軍人は戦争によって利益を得る。日清・日露の戦争において、現役の中将以上の将官はほぼすべて華族に列せられた。その数、日清戦争において73名、日露戦争において32名、合わせて105名である。たいして戦わなかった第一次世界大戦では9名、シベリヤ出兵で5名だけが華族になれた。その後の平和会議の成功で華族になった文官は12名だから、軍人が不満を持つのもわからないではない。
 当時、華族の体面を保つための一時金が天皇から下賜された。その金額は、男爵1万円、子爵2万円、伯爵3万5千円である。1人当たりGDPの倍率で考えると、1900年から2005年までで7万倍になっているので、現在価値、男爵7億、子爵14億、伯爵24億5千万円ということになる。男爵からすでに世襲である。現在の役人にできることはせいぜい一身の天下りだが、当時は子々孫々の天下りと言える。
 満州事変以来の日本の歴史は、派遣部隊が本国の許可を得ず、戦線を拡大することを繰り返す。派遣部隊にしてみれば、そこに利権があり、戦争が栄達への道だとすれば戦線を拡大しようとするのが当然である。
 満州事変時の関東軍司令官本庄繁大将は、満州国建国の功をもって男爵となる。さらに荒木貞夫陸軍大将も大角岑生海軍大将も、満州・上海両事変の功によって男爵となる。
 ピーター・ドラッカーは「会社の精神は、会社が上級の地位につけるために選び出した人々によってつくられるのである。まったくのところ、いかなる組織体においても、唯一のほんとうの『コントロール手段は』人事の決定、そしてとりわけ昇進の決定である。」と述べている。
 これら軍人が華族へ叙せられたことを見れば、戦線を拡大することが、日本(軍)の精神(本音)であった。

 組織のシステムがこうであれば、当時の軍人がひたすら“戦線拡大”に走ったことも理解できよう。昭和前期の日本人が特別特殊な日本人であったわけではない。
 将軍達の出世競争で、拡大された戦線に引き出された兵隊たちは哀れ!一将功なりて万骨枯る

日本国の原則(1)

2011-07-27 | 読書
『戦時中の統制経済が戦後にも生き残り、高度成長を支えたが、日本のキャッチアップ過程が終わるとともに、むしろ日本経済の桎梏になっていった』という有名な論がある。  この論に対して面白い反論を見つけました。『1940年体制は確かに戦後まで生き残ったが、高度成長に貢献したとはいえない』というのです。
 原田泰さんのこの反論を、詳しく知りたいと、図書館で『日本国の原則』(日経新聞07年4月刊)を探してきました。
日本の経済史を、著者はこう見ています。
『明治以来の日本の発展は人々の自由を拡大することでなされた。決して、官僚的統制によってなされたものではなかった。しかし、やがて自由な経済システムに対する攻撃が始まる。攻撃は1930年代に本格化する。その重要な契機は、27年の金融恐慌と30年の昭和恐慌である。恐慌は自由な資本主義の失敗と思われ、政府の経済への介入を強化する口実となった。介入が本格化するのは30年代後半日中戦争が本格化するにしたがってである。30年代後半からの経済政策の目的は、軍事のために資源を投入することだった。』
 余談になるが、司馬遼太郎さんは「昭和前期の日本は、歴史においていわば別国の観がある。「統帥権」を口実に、日本軍部が国民を占領していたとも言える」と語っていたが、何故、昭和前期の日本がその前後の日本と異なる存在であったかについて、説明をされていない。
 面白いことにこの本の著者が、それに対する説明を経済学の立場から試みていました。
 『日本が誤った道に進む大きなきっかけは、昭和恐慌(1930)と満州事変(1931)である。昭和恐慌は市場における成功という概念を打ち砕いた。』
 人が財を獲得するのは、自由な市場で才能を発揮するか、暴力により他人の財を略取するかである。昭和恐慌が、国民に前者よりも軍国主義による後者を選ばせたというのだ。
『日本の大恐慌は世界大恐慌の中ではきわめて軽微に終わった。高橋是清蔵相のデフレ脱却策が功を奏したからである。しかし、人々は、経済回復は満州事変によるものと誤解した。人口3000万人、日本の3倍の面積を持つ満州を1個師団(1万人程度)で征服し、傀儡国家を建設したのだから、満州事変と満州国の建国は奇跡的に成功した戦争といえるだろう。
 しかし、戦場の成功は続かなかった。戦線を拡大するにつれ損失は増大し、利得は減少していった。日本の侵略によって中国がナショナリズムに目覚め、頑強に抵抗するようになっていったからである。
 満州事変に熱狂していた民衆には厭戦気分が高まっていく。軍は自由を圧殺し、人々を戦争に駆り立てて行く。』

 筆者の主張は『強力な、明確な目的意識を持った政府の、矛盾のない考え抜かれた経済政策の下に、官民一体となった努力の故に、日本は経済発展に成功したという見方に組みしない。』
『日本は自由の国であり、自由であるがゆえに成功した。日本は官主導の国ではなかったし、仮にそういう面があったにしても、それゆえに成功したのではなかった。第二次大戦前の軍という官の主導は、政治や国際関係において日本を誤らせ日本を貧しくしたのみならず、軍需産業の育成においても失敗した。』
戦前の日本経済をデータで見てみよう。
 『戦前期の一人当り実質GDPと実質消費の推移を見ると、順調に伸びていた。1915年から20年にかけて急激な伸びとその後の成長率の低下は見られるが、成長はしている。日本は戦争をせず、戦争をしていた諸国にあらゆる物資を売って大もうけしていた。戦争が終われば大もうけできないのは当然である。しかも、戦争が終わった時、戦争前に戻るのではなく、高いレベルから低成長になっただけである。
 30年代の大恐慌ですら、ほとんどGDPの低下を経験することなく切り抜けている。世界中の人々が、GDPの2~3割の低下、2~3割に達する失業率の上昇という災厄に苦しんでいたにもかかわらずである。
 30年代の後半まで、GDPと消費はほぼ同じように動いていた。生産は、究極的には消費のためになされるものであるから、生産が増大すれば、必ず消費が増える。ところが30年代の後半には、消費が伸びずGDPだけが伸びている。生産していたものは、(国民生活で消費しない)武器だった。』
『軍部は、日本は人口過剰で狭い国土では人々を養うことができない・・中国大陸に進出しなければならないと言っていたのだが、30年代の後半には、すでに軍需生産を増やすためには消費財清算を削減しなければならない状況に陥っていた。この状況を人口過剰とは言わない。』(つづく)
 
 

原子力損害賠償支援機構法

2011-07-24 | 経済と世相
 先日閣議決定された「原子力損害賠償支援機構法」です。
簡単に要旨を述べると、原子力損害賠償支援機構という組織を作って、原子力事業者(電力会社)は、損害賠償のために、積立金をする。
 損害賠償の際には電力会社に資金援助をする。資金援助に必要な資金を調達するため、政府保証債の発行、金融機関からの借入れをすることができる。
政府は機構に国債を交付し、機構は国債を現金化し、原子力事業者に対し必要な資金を交付する。機構から援助を受けた原子力事業者は、特別負担金を支払う。機構は、負担金等をもって国債の償還額に達するまで国庫納付を行う。
ただし、政府は、負担金によって電気の安定供給等に支障を来し、または利
用者に著しい負担を及ぼす過大な負担金を定めることとなり、国民生活・国民
経済に重大な支障を生ずるおそれがある場合、機構に対して必要な資金の交付
を行うことができる。
 ポイントは二つ、
東電の損害賠償を支援する原子力損害賠償支援機構に、東電以外の電力会社も賠償金を積み立てる(いわば奉加帳を電力会社にまわした)。
損害賠償に必要な資金は原子力損害賠償支援機構が面倒を見て、東電は後日割賦返済する。払いきれない場合は、政府が機構に資金を交付することも出来る。
「相当に問題のある法案だ」と思います。
根本的な問題は、被害者の救済を名目にして実は東電を救済する法案になっている。さらに、東電は、返済資金をコストに計上して電力料金を値上げすることが出来る。東電のみならず、他の電力会社も積立金を料金に載せて電力料金を値上げできる。今回の問題は、東電が全責任を担うべきなのに、電力料金値上げと政府の資金援助で、国民に負担を押し付けることが出来る仕組みになっています。
そもそも、こうした事故の補償はどういうことになっているのか?ネットでサーフィンしていたら、峰崎直樹さん(内閣官房参与、鳩山内閣財務副大臣)のメールマガジンにこんな記事がありました。
現在国会でも問題になっている原子力災害補償二法について、その成立の経過を述べた座談会「原子力災害補償をめぐって」が『ジェリストNo236』(1961年10月15日)に掲載されている。そのなかで、当時通産省原子力局政策課長であった井上亮氏が法律制定過程について述べている中で、原子力委員会のもとで原子力災害補償専門部会を開催しその答申が昭和34年にだされ、その答申に基づいて法案を作成してきたのだが、答申と法案との間で損害賠償の責任の問題、損害に対する国の措置などについて激論が政府部内であったこと、その妥協の産物として法案が成立したことを述べている。そのことは、法律にとって一番重要な第一条の法目的の項から激しい対立があったという。それは、原子力災害が発生した際に、被害者の保護と同時に原子力損害賠償の責任を持つ原子力産業の経営を健全に育てていくことの両立をどう図るのか、という点であった。誰の発言なのか明示されていないが、「由来日本の財政支出の考え方、国の財政支出面における役割としては、第三者たる被害者に対して直接損害賠償責任を国が負って支払うというような前例は明治以来ない。(中略)、この法体系全体を通じて、被害者の保護をはかるということは目的の中に入れるべきでない。」という大蔵省(?) と思しき主張にたいして、それでは国策として原子力産業を育成していこうとしている以上、「不幸にして生ずる災害に際して被害者の保護について十全を期しえない限り、原子力産業は立地問題で先ず行きづまり、周辺住民との間の紛争も絶えず、安定して成長しないと言う考えを持っていた」ので、「被害者の保護を図り」という言葉をどうしても入れる、ということになったと言う。
国が負えない大災害を予想していたのなら、本来は撤退すべきだったのでは
 ただ、井上氏は、この財政当局の考え方の残滓が法案の中に残っていることを指摘しているが、それが丁度50年後の福島原発で、これほどの大災害になろうとは、当時の誰もが予想できなかったに違いない。
歴史の恐ろしさでもあり、国策として危険な原子力発電を導入しようとするとき、財政の論理だけで物事の判断をしようとする財政当局の発想が、問題の本質をゆがめる危険性があることを教えてくれる貴重な記録となっている。逆に言えば、それだけ危険なのであれば、国策として進めることに反対するべきではなかったのか、という思いもするのだが、どうだろうか。

今回の法案よほど考えないと(自民党も細部の文言訂正のみで成立させるみたいです)後世に悔いを残すのでは?

台風接近下、屋外プールで泳ぐ

2011-07-20 | 水泳
 20日朝、ニュースは「台風6号は紀伊半島沖を東進している」と伝えている。
「名城プールへ行こう」と思い立ちました。
名城公園の25m屋外プールは、7月20日から8月末まで営業します。今日は、その開業日。
毎年、9月のレインボーカップの水泳大会には2バタ(200mバタフライ)に出場することにしています。
 しかし、普段泳ぐ市営温水プールでは、2バタは泳げません。腕が他の泳者に当ってしまうからです。 そこで、7~8月、名城公園プールで2バタの練習をします。
しかし、夏休みの学童が大挙押しかけてきて、コースロープも張ってないので、プールの真ん中では逆立ちをしている子供もいます。
そこで、雨の日に出かけるのです。雨が降っていれば、プール借りきりで泳げます。
今日のように「台風が接近している」などという日は絶好の練習日です。
おまけに開業日の7月20日は、無料サービス日のはずです。
10時の開業時刻にプールの玄関に行きました。スタッフが、まだ朝礼をやっていましたが、直ぐ開けてくれました。
「おはよう」と這入っていきました。やはり入場料は無料でした。

雨は時折パラツク程度で、他に入場者はなく、プール借りきりで泳げました。
実は、2バタを泳ぐのは去年の9月10日の大会以来です。
「泳げるかな?」多少不安でしたが、50mを軽くアップした後、2バタに挑戦です。
10ヶ月ぶりに泳ぐのですから、ゆっくり泳ぎました。
100mまでは何回か大会で泳いでいますが、100mを越すと10ヶ月ぶりの体験ゾーン。
 150mを越えた時、少し苦しくなりましたが、何とか最後まで泳げました。泳ぎ終えると恥ずかしいぐらい呼吸が荒かったのですが、誰も見ていないから大丈夫です。
 「大丈夫、大会には泳げる!」とうれしくなりました。
今年は75歳区分(75~79歳)ですから、完泳できれば、多分今年度の全国ランキングのベスト10にはいる(昨年は残念ですが70歳区分で13位でした)。
 45分ほど、合計1100m泳いでプールを上がりました。

半島を出よ(2)

2011-07-19 | 読書
『半島を出よ』読み終わりました。面白い小説でした。
福岡を占領した北朝鮮の部隊(小説では高麗遠征軍となっています)、政府のやるべきことは、この軍隊を攻撃・殲滅することでしたが、「高麗軍を攻撃すると、テロで日本全国のLNG(液化天然ガス)基地を破壊する」との風評に驚き、テロが入らないよう、九州と本州の間を封鎖してしまったのです。つまり政府は、高麗軍を攻撃せずに、九州を見捨ててしまった!
日本政府から要請がなければ高麗軍を攻撃することはない、というのが日米安保を踏まえた米国の立場。中国も韓国も、福岡に領事館の開設に動きます。領事館が開設されれば、開設した国々は九州の独立を認めることになる。
政府は、高麗軍と交渉を開始することもしない。問題を先送りしているだけ。

このとき福岡のイシハラ・グループを名乗る世の中をはみ出した不良たちのグループが立ちあがり、高麗軍が占拠するホテルを爆破して日本の危機を救うというのが、ストーリーです。
このイシハラ・グループのメンバーがすさまじく、さながら現代の梁山泊といった面々。
即ち、タテノは16歳。殺人用のブーラメンを繰る。シノハラは18歳。カエルやクモや毒ムカデを大量に飼育している。ヒノは、18歳。7歳の時、ノイローゼになった母親が父親を刺殺。13歳の時、福祉施設へ放火、4名が焼死。配管に詳しい。アンドウは18歳。13歳の時、同級生の女生徒を殺害して切り刻む。フクダは、23歳。手製爆弾のスペッシャリスト。タケグチは18歳。高性能爆弾のエキスパート。父親はリストラされた会社で自爆。トヨハラは17歳。12歳で新幹線をハイジャックして日本刀で車掌を殺害。
といった面々です。

作者はどういう意図でこの小説を書いたのか?私が一番関心を持った点ですが、小説家は作品で以って語る存在ですから、意図をダイレクトに語ることはありません。
でも、東北大震災と原発事故を経験した現在、05年の作品ですが、筆者が語りたかったのは「政府は国民を守る存在なのか?」という基本的な疑問ではなかったのかと思います。
特に原発事故以後の対応をみると、国民の生命・財産を守ることが政府の最優先すべき任務と、自覚しているのだろうか?と思ってしまいます。
増税の議論を聞く度,国民を守れない政府に、国民は税金を払う義務があるのか?そう思います。

ひつまぶし

2011-07-16 | 素晴らしき仲間たち
 住宅のシニアクラブに「お食事会」という近隣のグルメを味わう会がある。
「今月は“ひつまぶし”です。ご一緒しませせんか」と、幹事のSさんに誘われ、15日昼、出かけることにしました。
 “ひつまぶし”とは、要するに“鰻丼”だが、うなぎ丼は丼で供されるが、“ひつまぶし”は、うなぎ飯がおひつに入って供され、うなぎの切り身が鰻丼より細かく切られている。
“お櫃の鰻まぶしご飯”が、“ひつまぶし”の語源らしく、名古屋周辺の料理で、専門店が名古屋には3~4店ある。
しら河本店は、そうした専門店の一つで、我が家からは徒歩10分強ですが、灼熱の太陽が照り付けるので「バスで行きましょう」。Sさんの音頭で市バス2区の“しら河”に行きました。驚いたのは、順番待ちのお客が店内からあふれ出し、店の外に椅子を並べて座っている。
聞くと、観光バスが客を連れてくることもあるという。本店のほかにJr名古屋タカシマヤや、栄のガスビル等に支店が出店しています。
http://www.hitsumabushi.jp/jousin.htm
われわれは、Sさんが予約しておいてくれたので、直ちに個室に案内されました。一行12名です。
白状すると、名古屋に来てから50年以上ですが、正式に“ひつまぶし”を食べるのは初めてです。おひつの鰻飯とお吸い物が運ばれてきました。
「一色(愛知県の鰻産地)産ですか?」お店の人に聞くと、「いいえ、台湾です。国産品は手に這入り難くて・・・」とのことでした。
 “ひつまぶし”の正式な食べ方は、器に入ったまましゃもじで5~6回かき混ぜてから茶碗によそいます。
1膳目 そのまま(つまり鰻丼風に)食べる。
2膳目 薬味(刻み海苔、ねぎなど)を添えて食べます。
3膳目 ワサビと薬味を添えお茶づけ(熱いお茶が土瓶で出ます)にして食べます。
 これは標準の食べ方で、勿論、食べ方は自由ですから、お茶づけの好きな方は、3膳ともお茶漬けで食べても良いのです。

 1時間ほどダベリながら、鰻のスタミナを貰い、会食を終えました。
 外に出ると、まだ順番待ちのお客さんが、店外まであふれていました。
因みに、会費は¥1890でした。

大慶油田

2011-07-12 | 読書
『大慶油田』をご存知ですか。
原田泰著『なぜ日本経済はうまくいかないのか』(新潮選書、2011・5月)を読んでいたら、
中国の『大慶油田』の話が出ていました。
面白い指摘でしたので、その部分を紹介します。

『戦時中の統制経済が戦後にも生き残り、高度成長を支えたが、日本のキャッチアップ過程が終わるとともに、むしろ日本経済の桎梏になっていった』という論がある。(野口悠紀雄『1940年体制』東洋経済新報社2002)
 (しかし)1940年体制が高度成長を支えたかについては疑問が多い。そもそも統制経済は戦争のためにも有効だったのだろうか。
 統制経済の原点は満州にある。そもそも満州経済は成功していたのだろうか。一つのことを指摘したい。

 1957年に満州の黒龍江省で油田(大慶油田)が発見され、60年代で年産5000万キロリットルにもなっていた。日中戦争を開始した37年の日本の石油消費量は417万キロリットルにすぎない。
 日本が発見できなかった理由は必ずしも明らかでないが、満州国は、39年に商工省に石油試掘を申し込んだが認められなかったという。また、国際石油社員の菅原太一氏は「大慶油田は地下1800mにあり、1500mしか掘削しない当時の日本の技術では発見できなかった」と述べている。しかし、帝国石油社員の小松直幹氏は、日本は3000m以上掘削する機材も持っていたが、軍事技術であったため、優れた技術を持つ欧米の炭鉱業者を使えなかったことが、大規模油田を発見できなかった理由であるという。
 3000m掘削することが出来るのなら自分で探索しても良いし、また欧米の炭鉱技術者を使っても良かった。秘密にしておく利益と発見する利益を比べれば、発見した方がよいに決まっている。戦前の満州でなぜ石油が発見できなかたかの詳細は不明だが、統制経済によって満州開発がうまくいったという話には、眉に唾をつけて聞いた方がいい。
 左右を問わず、石油がなかったことが、日本がアメリカとの開戦に踏み切る契機となったという議論が主流であろう。しかし、実質的に日本が支配していた満州国には石油はあった。大慶油田を発見できていたら、日本はアメリカと戦争をする必要はなかったのに、なぜ発見できなかったのだろうかという議論が、戦後の日本で生まれなかったのは不思議である。
 満州にあった石油を発見できなかったという、もっとも根本的なところでも失敗している統制経済がうまくいっていたはずはない。

 筆者は根っからの自由主義者で、自由経済論者であるらしく、「民主主義は単なる多数決のシステムではなく、財産権の保護が民主主義を支える」と言う。
 『ノーベル賞受賞の経済学者、ミルトン・フリードマン(06年死去)の業績は多くの人が紹介しているが、私は、彼の最大の業績は、資本主義は人(間の自由を拡大し、自由はすばらしいことができることを示したことだと思う。』
 彼の論のもっとも象徴的なのは、大恐慌は資本主義の不安定が生み出したものではなく、誤った金融政策という人為的な失策が招いたものだという分析である。

半島を出よ

2011-07-11 | 読書
『半島を出よ』という小説を読んでいます。芥川賞(76年)の作家村上龍が2005年に発表し、当時、毎日出版文化賞、野間文藝賞を受賞しましたから、評判になった作品です。
 偶々機会を逸して読んでいなかったのですが、今回の原発事故への政府の対応を見ていて、非常時での政府の対応について村上さんの見解を知りたくなって、図書館で借りてきました。
 ストーリーの概略は以下です。
 2011年、北朝鮮の武装コマンドが、開幕ゲーム中の福岡ドームを占拠した。さらに2時間後、約500名の特殊部隊が空襲し、市中心部を制圧。彼らは北朝鮮の「反乱軍」を名乗った。コマンドの隊長が受けた命令はこうだ。
 『(北朝鮮)共和国および党は君と君の部隊を反乱軍であると全世界に向けて表明する。9名の特殊戦闘部隊が福岡の一部地域を制圧してから2時間後に、特殊第八軍団の4個中隊500余名が、空路福岡に到着する。君はその特殊編成軍の指揮も執ることになる。もちろん、この四個中隊も反乱軍だ。・・その9日後には特殊第八軍団の12万人が博多に入港する。
 2時間という短い時間では日本政府の危機管理は機能しない。武力制圧と同時に、人質の生命が保証されていないことを、ていねいに繰り返し繰り返し、日本政府に向かって明言する』・・さぁ日本政府はどうする?
 日米安保の米軍の支援は?
 小説の設定では、その時日本はドルの暴落に続いて円が急落、日本国債は暴落し、預貯金の引きだしは制限された。つまり、日本経済は破綻に瀕していた。
 米国が日本を守るのは、日本が経済力を誇り、米国にとって「金を生む卵」であるからだ。経済破綻した日本など、米国兵士の命をかけて守るに値しない。言を左右して非介入を続ける。
米国は『できることは何でも協力したい。だがテロリストたちは反乱軍ということであり、その点を十分に考慮し、北朝鮮本国に対しては冷静な対応を希望する』。そして、北朝鮮はなんと、『必要があれば部隊を派遣して当方で反乱軍を鎮圧する』と声明するのだ。

 進入軍は、福岡県知事と福岡市長を恫喝して「九州は独立する」との声明文を発表する。
 大濠公園、箱崎埠頭、百道ランプと福岡におなじみの地名が登場します。
というわけで、原発事故一つ満足に処理できない日本政府が、まさに想定外の事態にどう対応するか?請うご期待!という段階で上巻を読み終えました。続きは下巻を読み終えてからです。