古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

龍興寺

2014-03-30 | 旅行
龍興寺は、曹洞宗のお寺。
http://www.aruku88.net/tera/109shouwaku/ryukouzi-gokiso/index.html
 天文2年、御器所城主佐久間盛次が創建した寺だが、戦災で焼失。藤山雷太氏の住宅を移築した書院が有名。

12時40分になっていた。住職がみえて「遅かったじゃない」と言う。「遅れてしまいすみません」と謝る。先日22日、下見に来たが、門が閉まっていたので、「28日12時頃伺いますので、見学をさせてください」とハガキで手紙しておいたのだ。
 住職の案内で、お庭を見て回る。

犬山にある「如庵」を模した茶室もあった。


なんでも「如庵」は紆余曲折があって現在は犬山の名鉄ホテルにあるが、かつての持ち主が「如庵」をしのんで作ったコピーが、また紆余曲折があって、ここに移築されているとのこと。
 八角堂もある。



お庭を拝観した後、お礼を述べて帰ろうとしたら、「観音様にお会いしていきなさい」と住職が言ってくれたので、本堂に上がる。
 百済観音に似た観音さまだ。
「お写真を撮っていいですか?」と聞いたが、それはダメでした。
 ご丁寧な案内に感謝し、再度、庭に出た。
 庭には風格のある松と鮮やかな赤い花があった。

お寺を出て、通りを渡ると西洋のお城風の建物が目に付いた。「これ、何だろう?」
玄関から出てきた男性にきいたら、「結婚式場です」

西の信号を右折すると、鶴舞公園でした。桜が咲いている。
公園のベンチで弁当を広げ、遅い昼食でした。2時過ぎまでおしゃべりを楽しみ、以後自由解散にしました。私は3時帰宅でした。

シニアクラブのウオーキング

2014-03-29 | 旅行
28日はわが住宅のシニアクラブのウオーキング。山崎川の桜を見にいきました。  
咲いているかな?案じつつ、地下鉄の瑞穂運動場西口2番出口を出て瑞穂公園まで歩いてくると、咲いていました!心がけがよかったのか、4分咲きぐらいですが、河畔の桜が花開いていました。
今日は暖かく風もない。川沿いに北へ。およそ2㎞弱、萩山橋、鼎橋、石川大橋、向田橋(むかいだばし)と歩いてくると、右に「東山荘」の標識が見えます。右に折れて入り口に回ります。
門の前で、今日ここで結婚式を挙げたらしいカップルが記念撮影をしていました。
 ここは、平成25年6月に国の登録有形文化財(建造物)に登録されました。
大正元年(1912)年から10年ほどかけて建築されたものですが、綿布商、伊東信一さんから昭和11(1936)年に名古屋市に遺贈されました。昭和42(1967)年に修復工事が行われ、翌年から寄贈者の伊東さんの遺志を生かして一般開放され、今に至ります。
「東山荘」の名は、伊東山荘に由来します。4千坪ちかい広大な日本庭園、庭園の中の母屋は雁行形に連なり、空間構成から細部の意匠まで凝りに凝っています。
 東屋で小休憩後、記念撮影をしました。





 
見学の後、向田橋に戻り、橋を渡り道なり西へ歩くと、汐路小学校の横を通り瑞穂通りに出る。
 名古屋市博物館に立ち寄る。今、300枚余の浮世絵を集めて「大浮世絵展」をやっていたが、ここはパスして、3Fの市民の作品展を見た。見終えて外に出る。12時で昼食時だが庭の東屋は昼食をとる人で満席。食事は後回しにして地下鉄で桜山から御器所、荒畑駅に回る。4番出口を出て、龍興寺に行く。(続く)


量的金融緩和の結果

2014-03-28 | 経済と世相
『アベノミクス株価は絶対に暴落する』という面白い記事が文藝春秋4月号に載っていました。筆者は、投資銀行家の神谷秀樹さんです。
 本当に株価は暴落するかどうかは別として、安倍内閣登場後の経済に関する認識は、小生と神谷さんとは全く一致していました。
論文の最初は、2枚の2グラフです。
 表1は、日経平均225と米ドル/円の2012.12~2013.12までの推移、表2は、米国の中央銀行のバランスシートの大きさとS&P500株価の2009~2014までの動きのグラフです。
 2枚のグラフとも、2本の線がほぼ一致しています。
 表1は「日本株は円とドルの為替相場に連動して動いてきた」ことを示し、表2は「連銀のバランスシート拡大(量的緩和)と米国の株価は連動する」ことを示します。
 神谷さんはこう言う。
「量的緩和は、日米ともに、消費者物価指数の上昇にはさして寄与しない。日本で物価が若干上がったのはほとんどが輸入物価の上昇によるものだ。一方、「資産価格のインフレ」には大いに寄与するのだ。
 「これほどに日米株価を買い上げたお金はいったいどこからきたのか」。ほとんどが借金(信用取引)でなされた投機である。
 『アベノミクスの異次元金融緩和も米国連銀の量的緩和も、結果は投機資金を増やしたことだけ』というのが、小生と神谷さんの共通認識です。
 ある人がため息交じりにつぶやいた。
「株価はその国の経済の実力とは関係なく、中央銀行がお札を刷れば刷るほど上がっているということですね」
 その通りです。と神谷さんは言う。
多くの投機が借金でなされる時は、みなが「株価はさらに上がる。だから売れば、借金を返済してかならず儲けることができる」と考える時だ。これが「バブル」だ。一方これが崩壊すると「売りが売りを呼ぶバブル崩壊になる。
 何故そうなるか、多くの売買(米国の3分の2、日本の3分の1)がコンピュータでなされるようになったことが原因ですが、これについては詳述しません。

問題は今後の株価です。
「円安は株高」と言うことで、両者は連動してきた。今後もそうか。そうなら黒田日銀が「異次元の金融緩和」を継続する以上、円安が進行し、株価は上がるということになるのだが、・・・・
 そもそも外国投機家はなぜ(円安で)円の価値が下がるのに日本株を買うのか。
「日本企業は円安になれば輸出競争力が増し、外貨を稼ぎ業績が改善する」と考えたのだ。
 実際はどうであったか。円安でも輸出数量はほとんど伸びていない(円高対応のため海外での生産を進めてきた日本企業は、円安になったからといって海外生産を減らすわけにいかない)。輸出金額は輸入金額の伸びを下回っている。
 この一年余りの円安によってドル建て債権の評価額が上がり、海外子会社宛て投資の評価替えが起こったので、会社業績は一見改善したように見えた。しかし、これからは輸入原材料が値上がりする。
「あれ、円安でも日本企業はあまり儲からない」と評価が変わる可能性がある。どこかの時点で、外国投機家は「円安なら日本株は買い」とプログラムせず、「円安なら売れ」とプログラムを入れ替える可能性が高まる。
「円安が株価の上昇を招かない」となった時、黒田日銀はパニックに陥りアベノミクスは崩壊する。それどころか、日本経済は窮地に陥る可能性がある。もし「円安は株を売れ」となれば、円建て資産全般を見限った外国人投機家は一斉に投資を引き上げる。その時は、債券も売られ、日本の国債金利は上昇する・・

私の認識もまったく同じです。

23日の駅ちかウオーキング

2014-03-24 | 旅行

 3月23日は駅ちかウオーキング。名城公園駅からなごやドーム前駅まで、いつも使っている駅の間で、いわば地元のウオーキングでした。
 9時15分家を出て、名城公園駅1番出口でウオーキングマップを受け取り、9:25東へ歩き始めました。
 久国寺に来ました。境内の一角には、岡本太郎が1965年(昭和40年)に製作した梵鐘「歓喜の鐘」が設置されている。これは当時、住職が知人から岡本太郎を紹介してもらい製作を依頼したものである[3]。なお、この梵鐘には小型の試作品が5体製作されており、うち1体は岡本太郎記念館に設置されている。また、親交のあった石原慎太郎にも1体贈られている由。
すぐ西に普光寺があります。曹洞宗の寺院で天正5年の創建とか。道元禅師が中国天童寺で老師の教えを受ける石像がありました。

 ここには北区の大仏が微笑んでいます。

その後、尼ケ坂駅(名鉄瀬戸線)駅の北に出る。 市立工芸高校の南を歩いて徳川園の手前に片山八幡宮がありました。今日は、瑞竜神輿が特別公開されていました。


徳川園に来ました。今日は入場料2割引きで、80円を払って園内に入りました。
園内を散策、大曾根の滝の前で一服。



ここまで3km、徳川園を出て、桜丘中学の西側の道を大曽根に向かう。ここの白木蓮の並木が美しい。

OZモール(大曽根商店街)を抜けて大曽根4丁目から北へ。山田4丁目に造り酒屋「金虎(きんとら)酒造」がある。
 ここで試飲会。吟醸酒「本丸御殿」を味わいました。http://www.kurastyle.com/products/detail.php?product_id=421
 金虎酒造を出て東の白山神社にお参りし、後は南に1㎞足らずでなごやドーム前駅のゴール、11時40分でした。約7km歩きました。
 イオンでお握りを買い、プールのロビーで腹ごしらえ、プールで1000m泳いで引き上げました。

里山資本主義

2014-03-20 | 読書
『里山資本主義』(藻谷浩介&NHK広島取材班著、角川、2013年7月刊)は、藻谷浩介さんの2冊目の書き下ろし。1冊目は、勿論『デフレの正体』である。
 生産年齢人口が「デフレ」の原因と説く筆者は、2冊目で何を語るか、とこの本をGETしてきました。第1章では、事例紹介、岡山県真庭市の銘建工業を取り上げる。製材の過程で出るおがくずを燃やす「木質バイオマス発電」、使用する電力のほぼ100%を自家発電で賄う。生産する木質ペレットは灯油とほぼ同じコストで、ほぼ同じ熱量を得ることができる。
 真庭市では銘建工業の木くずによる発電に加え、ペレットの熱利用に目を向けエネルギー自給率を高めている。
 市の調査によると、全市で消費するエネルギーのうち実に11%を木のエネルギーで賄うという。
 
 面白いのは、外国の例、第2章「21世紀先進国はオーストリア」でのオーストリア紹介。同国の記事はあまり見たことがないので、興味を惹かれました。
 ジェトロが公表しているデータ(2011)によれば失業率はEU加盟国中最低の4.2%、一人当たり名目GDPは49688ドルで世界11位(日本は17位)、対内直接投資額は2011年前期比3.2倍の101億6300万ユーロ、対外直接投資額も3.8倍の219億500万ユーロ。何故人口1000万人に満たない小さな国、オーストリアの経済が安定しているのか?その秘密は「里山資本主義」だと説く。
 国土は北海道と同じぐらいの大きさで、森林面積でいうと、日本の約15%に過ぎないが、日本全国で生産する1年間に生産する量より多少多いぐらいの丸太を生産する森林先進国なのだ。
 日本と同じく地下資源に乏しく、原油を中東諸国に、天然ガスをロシヤからのパイプラインによる供給の依存してきた。このため、国際情勢が不安定化するたびにエネルギー危機に見舞われてきた。オーストリア人には中東からタンカーで運んでくる原油より、身近な資源の方が信頼できる。石油やガスを木質ペレットに置き換えることで、安心・安全を護れると考えた。
 今や私たちの生活の隅々にまで浸透したグローバル経済。農産物を地産地消しても、それを作るエネルギーを地域外から買っていると、グローバル化の影響は免れない。
 労働市場でも、ペレットは、ガスや原油にない大きな可能性を生み出した。原油や天然ガスの輸入ばかりしていては、雇用はほとんど増えない。
 ペレットやそれを利用したボイラーの生産技術は、オーストリアが他国の二歩も三歩も先を進む。他国にはない産業を育てれば、当然関連技術も自前で育てることになり、労働需要も高まる。
現在、オーストリアのエネルギー産出量の約28.5%は再生可能エネルギーによって賄われ、EUは、2030年までにバイオエネルギーの割合を34%にする目標を掲げる。
オーストリアは、世界でも珍しい「脱原発」を憲法に明記している国家である。1999年に制定された新憲法律「原子力から自由なオーストリア」で、第2項で、原発を新たに建設することと、既に建設された原発を稼働させることを禁止している。ちなみに第1項では、核兵器の製造、保有、移送、実験、使用を禁止している。
オーストリヤの人々はこれでも満足しなかった。オーストリアでは電力の一部を他の国から輸入していたが、その元をたどってみると、6%は他の国にある原発で作られた電力だ、とわかったのである。
原発由来の電力は1ワットたりとも使いたくない。2011年7月「エコ電力法」という法律を改正、風力や太陽光、それにバイオマス発電を増やすことを目的にその発電技術利用拡大のための補助金を2100万ユーロに増額・・・
これにより近いうちに電力の輸入をすべて停止できると計算している。
2000年ごろからロシヤはたびたび、冬を前にパイプラインによる天然ガスの供給を止めると脅かした。その結果、何度もパニックが起きた。オーストリアの人々が外からのエネルギー供給に対し強い警戒心を持つのはこの影響が大きい。
藻谷さんは言う。「人が生きていくのに必要なのは、お金だろうか。それとも水と食料と燃料だろうか」。
「日本の国際競争力は、地に落ちてなどいない。報道とは違って日本製品の多くが着実に売れ続けているのに加え、これまでの海外投資も多くの金利配当収入をもたらし、バブル崩壊後の20年間だけでも300兆円ほどの経常収支が外国から流れ込んだ。」
「一方、日本政府に還ってきている税収は年間40兆円未満。政府は毎年税収と同額以上を借り増ししないと資金繰りが回っていかない。そうこうしているうちに国内の貯蓄がすべて国債になってしまう状況が近づきつつある。」
「他方で海外に支払う燃料代は年々増えている。日本の石油・石炭・天然ガスなどの輸入額は、20年前には5兆円に満たなかったが、・・・今では年間20兆円を超えている。」
藻谷さんの「里山資本主義」とは、お金の循環がすべてを決するという「マネー資本主義」(グローバル経済)経済システムの横に、こっそりとお金に依存しないサブシステムを構築しておこうという考え方です。
アベノミクスの円安は、折角競争力ある日本製品を安く売り、海外から買い付ける燃料・食糧を高くする。燃料・食糧は工業で稼いだお金で世界中から買えばいい、という考えが日本経済の苦境を招いていると思う。藻谷さんのいうように、グローバル経済で稼ぐというシステムの他に、燃料・食糧は近場で調達するサブシステムがないといけない。「里山資本主義」は、お金の効率よりも運搬距離の効率を重視するシステムと言えます。

金融緩和の罠(3)

2014-03-15 | 経済と世相
 3番目に小野善康さんが登場します。
「総理になる直前に菅さんから「金融緩和は効果のあるものか」と聞かれたことがあります。私は即答です。「いえ、今の日本では効きませんよ」。
1970年から2009年までのデータで、横軸にマネタリーベース(日銀券発行高+貨幣流通高+準備預金額)を取り、縦軸に消費者物価指数をプロットすると、貨幣供給量は1996~2000年で22兆円、2001~2005年で27兆円増えたが消費者物価上昇率はほぼ0%です。
貨幣供給量と名目GDPをプロットしても同じです。しかし、1980年代後半までは、貨幣供給量に比例して物価もGDPも素直に上昇していたのです。
明らかに90年代半ばに日本経済の構造に大きな変化があった。
―――藻谷さん、河野さんは人口動態の変化が引き金になったといわれますが―――
私の場合には人口動態と違う要因を考えています。私は日本が「発展途上社会」から「成熟社会」に突入したことが原因と考えます。
小野先生によると「発展途上社会」では所得が増えると、モノの購入が増える。しかし、「成熟社会」になると、増えた所得は、モノやサービスの購入に向かわず、貯蓄を増やすのだそうです。所得の増加関数である消費関数の存在を前提とする経済施策が成り立たなくなる。「乗数効果」(公共投資をするとその投資額以上に生産が誘起される呼び水効果のこと)は存在しないのです。
新古典派は物価が下がると需要が回復すると考えるが、小野先生は、物価が下がり続ければお金を持つことが有利になって、モノへの需要は抑えられる。
モノへの欲求よりお金への欲求が強くなる。80年代のバブルは株価や土地の価格が上昇し続けると思われた。今はお金の価値が上がり続けると思われる。お金のバブルです。
そういう社会で、失業を減らそうとすると、政府が直接雇用を作る必要がある。具体的に言えば、高齢化社会を迎えて、介護分野に人を誘導するような施策が必要です。
多くの人手が必要で大きな雇用効果が期待できるのが介護です。成熟社会の戦略は、余り気味の生産能力をどうやって少しでも国民の役に立つ仕事にまわすか、ということです。(介護が仮に付加価値の低い仕事だとしても、労働力を遊ばせるよりは、社会全体として効率的です。)
いわゆる「ベーシックインカム」は、最低生活保障のために国民全員に現金を配るという発想ですが、国民を幸せにするため必要なのは現金でなく雇用です。雇用創出がもっとも大事で、そこからデフレ脱却の経路が開けると考えます。
ということでした。

金融緩和の罠(2)

2014-03-14 | 経済と世相
次のエコノミスト、河野竜太郎さんは、BNPパリバ証券経済調査本部長。この方も大胆な金融緩和に批判的で、「端的にいえば、低成長の原因は人口動態だと思います。そしてそれを認識した上での構造改革や社会制度の構築がおこなわれていないことが問題」と言う。1960年から2010年までの生産人口の伸び率と日本の資本ストックの伸び率のグラフを示して、両者がパラレルに動いていることから、需要としての設備投資が生産人口の増加で決まると説く。「これまでの経済成長の分析は、労働力と資本ストックの動きを、お互いの動きに関係なく動くとしてきたが、両者は関連して動くのです。」
 1980年代まで、日本経済の4%台の成長は、労働力の増加が約1ポイント、」設備投資増加が約2ポイント、生産性向上が1.5ポイントの寄与だった。90年代後半から人口の減少が始まるのはわかっていたのに、それに対する危機意識がなかった。多くのエコノミストが労働力の1%がなくなっても、まだ2%の資本ストックと1.5%のイノベーシヨンが経済を牽引するから大丈夫と思っていた。つまり、設備投資が労働人口に関係なくキープされると考えていたのです。
 各国の生産年齢人口の変化を年ごとに見るグラフをプロットしてみると気付くことがあります。生産年齢人口がピークに達するころ不動産バブルが生ずるのです。生産年齢人口がピークに達するときに、不動産の需要もピークになるからです。そして不動産バブルの崩壊が起こる。バブルが崩壊すると、企業は大量の過剰債務や過剰ストックをかかえ、銀行の不良債権は膨らむ。いわゆるバランスシート問題です。
 そして金融システムに対する不安感が高まると、金融機関の行動が極端に委縮して信用収縮が起こり、実体経済に悪影響を及ぼす。だから、そうした危機には中央銀行が大量の流動性を提供することが重要です。しかし、現在の日本の低成長は、危機が原因ではない。だから、これ以上の金融緩和は必要ない、やっても悪影響ばかりです。
 悪影響とは、例えば、金融機関にしてみれば、成長企業を掘り起こすようなリスクを取っていくより、日銀が価格を維持してくれている国債を買った方が有利だとなって、成長分野への投資をしなくなる。
 最後に河野さんはこう言う。「1990年代以降の日本の経済政策は、家計や国民の購買力といったものにあまりに無関心だったように思えます。」(続く)


金融緩和の罠(1)

2014-03-13 | 経済と世相
『金融緩和の罠』(集英社新書、2013年4月刊)は知的刺激に溢れた本でした。哲学者の菅野稔人さんが3人のエコノミスト(藻谷浩介、河野竜太郎、小野善康)にインタヴューして、今日の経済学の問題を浮き彫りにするという構成の本です。
 3人の共通点は、「金融緩和によって経済の実態は変わらない」と説く点です。
 まず、藻谷浩介さん。「デフレの正体」なる著書で、ここ20年来のデフレは、生産年齢人口の減少によって生じたと述べている。生産年齢人口の減少は供給を減らすという論は多かったが、需要を減らす側面に照射して注目を浴びました。
 その藻谷さん、「デフレの正体」は『「デフレ」の正体』と書くべきだったと言います。
「デフレ」は、世間で言われているデフレの意味です。つまり、デフレは貨幣現象だが、日本のデフレは、その意味での“デフレ”でなく、“値崩れ現象”だと説きます。
需要が減少するのは、現役人口減・高齢者増加という人口構造の変化によって生じた現象であって、(マクロ経済学の)貨幣現象ではない。この日本の経済状況を「デフレ」と呼ぶことは間違いで、日本で「デフレ」と呼ばれているものが実は、現役世代を市場とする商品の過剰供給による「値崩れ」というミクロ経済学上の現象だといいます。
即ち、「人口減少が貨幣現象としてのデフレを起こす」と主張しているわけではなく、また、「生産年齢人口の減少」だけが原因で「デフレ」が生じたといっているのではない。更に、「生産年齢人口の減少は日本以外の国でも起きているが、デフレが続いているのは日本だけだから、藻谷の論は誤りだ」という批判にこう反論しています。

「生産年齢人口の絶対数が減少しているドイツ、ロシヤ、東欧、韓国、ジンバブエなどではデフレが生じていない。」との「批判」がある。
 ミクロ経済学上の値崩れは、日本のように生産が高度に自動化・機械化され、生産年齢人口が減少しても生産力が減少しない国でなければおきません。ロシヤ、東欧、ジンバブエなどはここで外れます。
 それから、貿易収支が黒字で自国通貨が外国通貨に対して切り上り続けているために輸入品高によるインフレがおきない国でなければ、やはり生じようがない。韓国はここで外れます。さらに、企業が値下げ競争を辞さず、人件費を削りながら不採算商品の大量生産をなかなかやめないという不合理な行動をとる国であることも条件になる。ドイツはここで外れます。
 諸外国と比較したいのなら、生産年齢人口が減っている国同士を比較するのでなく、「生産年齢人口の増減以外の、ほかの基本的な経済状況が同じ国」を探して比べるのが、科学の基本中の基本です。(続く)


年甲斐もなく大怪我

2014-03-12 | 水泳
 年甲斐もなく大怪我をして、ブログもしばらくやすみました。以下、そのいきさつです。
 とんでもない失敗をやってしまいました。
 2月22日の午後です。愛知県図書館の5F食堂でランチを取った後、階段を降りていました。4Fから下に、踊り場から一歩踏み出したとき、なぜか階段を踏み外し、10数段ダダーと真っ逆さまに落ちて、3Fの床に顔をぶっつけました。鮮血が飛び散りました。
 茫然としていたら、職員が救急車を呼びました。救急車に運びこまれ、八事日赤病院に運ばれました。その間、ずうっと両手の掌がしびれていました。「掌がしびれる」と救急車の隊員に訴えると、「首を痛めたのですね」と言う。
 病院に着くと、直ちにCTで脳を撮影、レントゲンで首部を撮影しました。
「写真では異常ないですね」。外科医が言う。「傷が深くて骨が見えます。縫いましょう」。外科医は、年齢は聞かなかったが、30歳にもなっていないと思われる若い女性だった。手術が始まった。終わると「額で6針、鼻で7針、計13針ぬいました」と言う。
「何日経てばプールに入れますか」と聞くと、「傷口からばい菌が入ると破傷風になります。一月はやめてください」。ショックでした。
 保護者(つれあい)が現れたのは5時半ごろ、「またやったか」という表情で、「お世話をおかけしました」と外科医に挨拶した。「破傷風の予防注射をしましょう」と、肩に1本打ってから釈放されました。
 地下鉄で帰ってきましたが、名城公園駅から家まで歩くと、どうも首が痛い。「ま、月曜に来い」と言われたから月曜にも一度首をみてもらうか。
 あくる日曜日午後、前日図書館に自転車を置き放しでしたので、午後県図書館に取りに行きました。「昨日迷惑かけてしまったから挨拶してから帰ろう」と包帯だらけの頭のままカウンターに行きました。
「昨日は救急車の手配を頂きました。お礼をもうしあげたいのですが・・」。職員が後ろを向いて「課長!」と呼びました。奥から顔を出した課長さんは、女性でした。
昨日の外科医といい、今日の課長さんと言い、女性の社会進出は各所で進んでいると思いました。
 月曜日、9時過ぎに日赤病院に着いた。皮膚科を予約していたので、皮膚科に行くと、直ぐ診てくれたが、「首が痛い」と言うと、「すぐ整形外科に行きなさい。そちらを済ませてから、最後にここに来てください」。
 それからが大変だった。整形外科に行くと「すぐにMRIとレントゲンを撮ります」とそちらに回され、首のレントゲン写真(初日と位置を替え)2枚と首部のMRI。MRIは20分弱だったが、猛烈な騒音に閉口した。その後、「脳神経外科に行きなさい」。ここで、ガーゼと包帯を取り、絆創膏(手術用の特殊な絆創膏らしい)を貼ってくれる。
 改めて鏡で顔を見ると、ノックアウトされたボクサーみたいな顔だ。
 それから「整形外科に戻りなさい」
「MRIで見ると、首の神経に傷がついています。大きな傷ではないので、自然に治ると思います。ただ、首を動かすと、治りが遅くなるので、カラーをはめてください。」と首にカラーを嵌めれ、借金が多いのでもないのに首がまわらなくなりました。
・・・結局計8か所を昼飯抜きで次々と回され、「来週月曜に来てください」と解放されたのは3時半だった。
 この間診察してもらった医師は若い医者ばかりだった。おそらく30代だろう。年を折ると医者は町医者になって勤務医は若い人ばかりになるのでしょうか。
「世の中、実際に動かしているのは、こうした若い世代だということか」

 3月3日、3度目の日赤病院。今度は、整形外科「28日後に来てください」。脳神経科、此処で抜糸してくれました。「何日経ったらプールにはいれますか?」聞くと「今週中はやめておいてください」。
 来週は久しぶりに泳げるのだ。やったー!と思いました。
 最後に耳鼻科。「ここはもう来なくてよいです」。午前中に終りました。
 目下、順調に治っているようです。
11日午後、17日ぶりにプールへ行き、1000m泳ぎました。