古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

国会中継

2005-01-29 | 経済と世相
 1月28日朝9時,出かける前に一寸時間が空いてTVをつけたら、国会中継をやっていた。予算委員会で,民主党の岩国哲人さんが質問していたのだが、これが面白い。
つい1時間見入ってしまった。要旨は、

岩『先日,イラク問題に関連し、非戦闘地域の定義を首相に聞くと、「自衛隊の行くところが非戦闘地域だ」と答えられたが,是を交通信号に例えると、「信号は青か?」と聞かれて「人が渡っている時が青だ」と答えているのと同じ!答えになっていない!』
首相『自衛隊は非戦闘地域には行かない。現在、サマワに自衛隊が行っている。従ってサマワは非戦闘地域である。これ以上分かり易い説明はない!』
岩『現在の景気動向は交通信号に例えると赤か?青か?首相の判断を聞きたい』
首相『交通信号に例えるのは適切でないが、回復に向かっていると考える』
岩『では聞くが、自殺者の数は年間3万人を越しているがいつから3万人を越したのか?警察庁答えなさい』
警『10年前3万人の大台に達し以後毎年3万人を越えています』
岩『3万人のすべてが経済的理由で自殺したとは言わないが、経済的困窮で自殺した人が相当数いるのは事実だ。景気が良くなって何故自殺者が減らないか?景気と国民の暮らしやすさは無関係か!』
岩『次に日銀総裁に聞きたい。ゼロ金利が5年も続いているが,是により家計が失った利子収入はどれほどか?』
日銀『10年前の家計の利子収入を基準として、過去5年間の家計の利子収入減少額を累計すると154兆円になります』
岩『5年間に家計からどこやらの銀行・企業への移転収支が154兆円と言うのですね。「所得移転」というのは経済学の用語で、一般社会の言葉で言うと「ドロボー」という意味だ。この金額は消費税10%分に相当する!日本の消費税は5%だが、ゼロ金利があって実質15%だ!総裁と大臣の見解如何』
総裁『直接の利子収入だけ言えばそうだが、これによって企業の利子負担が減り、その分が設備投資に回って景気の下支えに役立ち、雇用者の収入の安定に寄与した面を考えて欲しい』
竹中大臣『ものごとにはコインの両面があり,ローンの金利が下がって助かる家計もある』(これって、ドロボーが盗んだ金の一部をローンで困っている家庭に施したら義賊だって言うこと?)
岩『あなた方の経済政策は、大企業を救おうとする政策で、かつてはそれが、国民の暮らしを助けたが、今は、企業を救う経済政策が、必ずしも国民を救わない時代になったのではないか!直接、家計を救う政策が必要だ。
 山一證券の特融で焦げ付いた金が1111億円と報じられたが、これはどう処理するのか?』
総裁『融資を実行した97年に、政府と協議して,善処して頂けるという約束になっていますので,善処して頂けると考えます。』
谷垣大臣『日銀は貸し倒れ引当を積んでいますからそれを引き当てることになるで
しょうが,その分は日銀から政府への納付金が減ることになります』
岩『要するに、それは国民の負担になる!ということですね。もう一つ,日銀に聞きたい。日銀に参観見学に行ったのだが、金塊の展示が本物でなく金色の紙を貼った偽物だった!金塊の本物はないのか?』
総裁『見学には、貨幣博物館と旧日銀の建物を見学する2コースがあって、貨幣博物館の方の金貨はすべて本物です。一方建物を見て頂くコースは、建物を見て頂くのが本旨で、本物の金塊を展示することは治安の問題もあり、やっておりません』
岩『治安が問題だと言われるが、日銀の所在地は、日本で一番治安の良い地域でないのか?本物を展示するよう考えてください!』

 以上,記憶で要旨を書きましたので(録画して置くと良かったのだが,こんなに面白い話が次々出てくると思わなかったので録画してなかった)多少聞き間違いがあったかも知れません。
 確かに岩国さんの言われるように、景気が良くなっても、企業は国内で投資しようとしないし,人もパートで済ませて正規社員を増やそうとしない。かつては、企業に金を回せば国内すべてに金が回っていったが、今は,国内に回る前に中国やアメリカに回っていく。回り回って日本にもいくらかはお金が回ってくるというのが、最近の景気上昇ですから,景気刺激には膨大な金がかかって、政府の借金がどんどん増えていくんですね。
 先日,名古屋の白川公園で青テントを一掃する強制代執行が市役所職員600人を大動員して行われ、全国ニュースネットに載りましたが,公園の青テントなんて、小泉内閣登場以前は全くなかったんですよ!

寒風をついて

2005-01-13 | マラソン
 スタート10分前スタート地点に行くが,とにかく寒い。野口は来ていないかな?
と見回すが居ない。スタート2分前、野口が出てきて先頭に着いてから、ズボンを脱
ぎスタッフに渡す。鍛えぬかれた筋肉だけの細い脚だ。背は私の肩まであるかな?号
砲が鳴った。直ぐ飛び出したが、野口はみるみる遠ざかる。1Kmを5分10秒。
やっと身体が温まってきた。
 5kmを過ぎると、コース一番の急坂にさしかかる。腕を大きく振ろう!何とか登
りきる。10Kmは58分だった。一時間5分で先頭の男子ランナーが戻ってきた。
「あれっ、野口でないの?」次のランナーが来て3番手グループだ。その中に野口が
居た。腕の時計を見ると,一時間10分である。
 「あまり一生懸命走ってないな!」、野口が一生懸命走ったら、一時間10分はも
うゴールインする時間だ。隣を見ると,藤田監督が走っている。「そうか!今日は監
督の伴走やってるんだ!」
 海水浴場の清石浜が左手に広がる。この辺りの景色は見事だが、風が冷たい。アッ
プダウンを繰り返し、左京鼻に向かう半島に入る。折り返して後6Km弱。ゼッケン
1番と2番は来るかな?と気をつけて、すれ違うランナーを見ていたが見当たらな
い。棄権したかな?だとすると、自分が最高齢完走者になるかも?
 後2Km地点で、時計を見たら一時間52分。やはり2時間は切れない!
 フィニッシュ!ゴールの時計は2時間4分27秒だった。前回の「いび川マラソ
ン」とほとんど同タイム。受け取った順位札は183位だった。
 普通は汗びっしょりになるシャツがまったく濡れていない。気温が低く(多分4~
5度)出た汗も風で直ぐ乾いてしまうのだ。
 民宿の軽四に戻って、着替えをしていたら、Mさんが来た。一時間41分だったと
言う。流石!
「お握り食べてきたら!」と言うので、サービスゾーンへ行って、ブタ汁、お握り,
ぜんざいの無料サービスを頂く。交通規制が解除されてから、民宿に戻る。1時前
だった。風呂に入って身体を温め、その後,「穂波走友会」の面々とビールで乾杯!
 3時前、お手伝いさんの運転するマイクロバスで、民宿にお別れ。土産を買って、
芦辺港を4時15分出港した。船中、いつも壱岐に来た時はそうだが、大相撲初場所
初日の実況を見る。
 6時20分博多埠頭着。市バスで博多駅。19:02の特急「かもめ」に間にあっ
た。初めて「かもめ」に乗車しましたが、木目調の床のクラシックな車両が気に入り
ました。
 9時前、長崎駅に着いて、駅上のホテルにチェックイン。
 
長崎県には何度も来ているのですが、長崎市は初めて!風は冷たかったが、長崎情緒
の街並みを楽しみました。
 名古屋に帰ったのは翌日午後2時でした。
 

招待選手

2005-01-12 | マラソン
(壱岐紀行の続きです)
 同宿のランナー14名,鍋を囲んでの夕食。話題が集中したのは、今大会の招待選
手,野口みずきさんです。彼女の走りぶリでなく、招待料800万円というのが話題
でした。
 昨年3月,島内の4町が合併して壱岐市が誕生しました。そこで、この大会が市に
なって最初の大会ですから招待選手も人気選手を呼ぼうと、野口選手に白羽の矢をた
てた。で、その時大体300万円で内定したのですが、その後オリンピックで金を射
止めたので相場が急騰、800万円を出すことになったそうです(以上は、地元の
人々の噂話ですから、真偽の程は責任もてません)。
 「アマチュア対象の田舎の市民マラソンに出場するのに、800万円は貰いすぎ
じゃない!」と、皆さん口々に言うものですから、異質な意見も必要と、私が口をは
さみました。「どんなスポーツの種目でも、世界一流の選手は億円単位の年収がある
でしょう。一年に1億円を稼ごうとすると、1回800万円ぐらい貰わないと稼げな
いんじゃない?、そんなに何回も走れないから。」と言ったら「そういうのはCMで
稼ぐべきで、アマチュアの大会で稼ぐのはおかしい!」と、直ちに反論されてしまい
ました。
 いずれにしても,負担したのは壱岐市。当然ですが、ランナーの参加費は例年と同
じ(¥2500)です。
 なお、もう一人招待選手がいました。野口の所属するグローバリー陸上部監督の藤
田信行さんです。
こちらは全く話題になりません。

 翌朝7時起床。7時半の朝食後、「穂波(福岡県)走ろう会」のMさんが、「大平
荘のマイクロバスと軽四を借りて会場に行きます。私とNOZUEさんだけがハーフ
で、他は5Kmですから、私の運転する軽四に乗ってください。」と言う。9時出発
と決めた。

 9時に出て10分足らずで会場の壱岐市ふれあい広場に着いた。受け付けをして、
ゼッケン3番を貰う。この大会では、ゼッケンは年齢順。ハーフのエントリーラン
ナーは男子237,女子45。計282名。ハーフ部門では小生が3番目の高齢者に
なる(ハーフ以外に5Km、3Km(中学女子)、2Km(小学生)があり、全体の
参加者は約1500名)。
 この程度の人数の大会に出て,800万円は、やはり貰いすぎかな?

 スタートは10時、コースは最初北(箱崎方面)に周回し10Km弱でスタート地
点に戻るが、出発地点を右に見て通り過ぎ、今度は東の左京鼻(半島)を目指して海
沿いに走る。左京鼻を折り返して戻りが約6Kmでゴールになる。天気は良いが、風
が冷たい。(「寒風をついて」に続く)

壱岐の宿

2005-01-11 | マラソン
尾張名古屋のNOZUEです。 以下,壱岐の島マラソン紀行です。

 1月8日,新幹線で12時前博多に着いた。駅で昼食を済ませ、バスで埠頭。1:45
のフェリーに乗船した。後部甲板の座席で、一時間ほど穏やかな日差しの中の玄界灘
の風光を眺めていたが、さすがに真冬の風に身体が冷えてきたので船室に入った。4
時前、芦辺港に着く。船着場は旅館や民宿の迎えの車でごった返していたが、なんと
か「民宿大平荘」の車をみつけて乗り込んだ。
 大平荘は壱岐での私の定宿である。10数年前,最初に参加した時マラソン事務局
の紹介で、大平荘に泊まったのだが,食事が美味しく、サービスが良いので、以来
ずっとここに泊まって、ご主人ともすっかり懇意になった。私以外にも、大平荘ファ
ンは多く,今日は14人の宿泊だが,みんな大平荘の常連で、「まあNOZUEさん、
お久しぶり!お元気?」とおばさんランナーから声をかけられたが、顔は記憶がある
が名前を思い出せない!

 夕食は地鶏の水炊きを馳走になる。壱岐は食べ物の旨い土地。肴が新鮮だし(あま
り知られていないが)お米が旨い。それで、10数年壱岐に通っているのだが,この
家では、ご主人の親戚の女性がお手伝いさんをやっている。彼女には姉妹の子どもが
いる。

 10年以上昔の話だが、当時はお姉ちゃんが5歳で妹が3歳ぐらいだった。夕食に
なると,お姉ちゃんは大張り切りで、ビールを配ったりご飯をつけたりして、お手伝
いをするのが嬉しくて仕方がない。彼女を見ていると,遊びと仕事が一致するくらい
楽しい人生はないということがよく分かった。姉妹とも人なつっこくて、私を見ると
「オジちゃん。走るの面白い?」とか言って話し掛けてくる。妹の方が私の部屋に遊
びに来て。そのうちに「オジちゃんのお布団、ぬくいね」と言って私の布団の中に入
り込んで、すやすや寝込んでしまった。小生の布団の中で寝た数少ない女性の一人で
ある。
 10時過ぎになって、お姉ちゃんが呼びに来た。「もう帰るんよ」と起こすが,一
向に目覚めない。働き者のお姉ちゃんは、ちっちゃな背に妹を負ぶってヨタヨタしな
がら部屋から出て行った。「この子は大きくなったら良いお嫁さんになる」と、当時
思ったものである。
 そのお姉さんの方が、今や壱岐商高の一年、この4月には二年生という。妹は中学
二年生のようだ。今年も手伝いに来ているが、すっかりおしとやかなお嬢さんになっ
て、昔のようにペチャクチャ喋りにこない。私の顔を見てもにこっと微笑むだけ!

 後10年も経って,私がマラソンに来た時、彼女達の姿がなく「嫁に行った」と聞
かされたら、自分の娘が嫁いだような寂寥感を覚えるのではないだろうか。(「招待選手」へ続く)