古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

私撰12月の10大ニュース

2007-12-31 | 経済と世相
 大晦日になりました。12月の私撰10大ニュースです(順不動)。
たった一月の間に、ずいぶん色々な事件が起きるものですね。

1. ICC(国際刑事裁判所)判事に斎賀富美子さん。
(日本は10月にICC加盟、日本が最大の分担金拠出国で22%を負担している)。

2. 京大教授、人間の皮膚から万能細胞を作る。
名大で乳歯バンク(乳歯から万能細胞)、米国でマウスによる再生医療成功)

3. 放置された血液製剤治療者リストの肝炎患者、実名を公表して提訴へ。

4. C型肝炎訴訟和解勧告を原告側拒否。首相、一律救済の議員立法指示。
それにしても、薬害はどこまで続くの?

5. 鹿島、大分キャノン工場の工事で脱税。
キャノンの関連会社に裏金。日経連会長が関与?

6. プーチン与党、選挙で大勝。推薦された次期大統領候補はプーチンを次期首相に。
プーチン流独裁型民主主義。

7. OPEC 増産見送り。
原油急騰は実需でなく投機資金のため、と判断とか。正論とは自らを益する理論。

8. 国会、会期再延長。

 なんとしても「無料ガソリンスタンド」を再開したいらしい。

 アメリカのためにはエーンヤコラショ!

9. 自衛隊、ハワイでミサイル迎撃実験成功。
 一回の試験料金、60億円とか
 
10. ブット元首相暗殺
 ブッシュ、テロとの戦争に敗れる。

番外 佐世保で銃乱射事件。
 日本の社会もアメリカ並みになりました。

07年の10冊

2007-12-28 | 読書
 新聞や雑誌の書評欄で「今年のベスト3」など、有名人の推薦良書の記事が出ています。私も平成19年に読んだ本から10冊、ベストテンを選んでみました。

1. 沈黙のファイル(共同通信社社会部、新潮文庫、平成11年刊)

 瀬島竜三氏を語ることは、昭和を語ることだ。

2. 進化しすぎた脳(池谷裕二著、講談社ブルーバック)
 <いま>と感じている瞬間は0.5秒前の世界なんだ。つまり、人間は常に過去に生きていることになるんだ。

3.  記憶力を強くする(池谷裕二著、講談社ブルーバック01年刊)
 脳科学の入門書として最適。

4. 生物と無生物のあいだ(福岡伸一著、講談社現代新書)
 結論は『すべての原子は生命体の中を通り抜けているのである』 というのです。

5. 渋滞学(西成活裕著、新潮選書、06年9月刊)
 道路だけでなく生物学にもネットにも生産管理にも、渋滞がある。目から鱗の論でした。

6. 滅び行く国家(立花隆著、日経BP社刊、06年)
 政治家が大きくまちがえるとき、いつの時代でも面白くない運命に遭わされるのは国民のほうだ。

7. 作家的時評集(高村薫著、朝日文庫)
とんでもない人を首相にしてしまったと著者は言う。

8. 13階段(高野和朗著、講談社刊、01年)
 まるで監獄制度や死刑執行の実態に関する詳細な記録や資料を渉猟したような、死刑制度に関する学術論文を読破したような錯覚をおぼえた推理小説。

9. 自伝の人間学(保阪正康著、新潮文庫)
 芸能人の自伝の中で、筆者がもっとも激賞しているのは、山口百恵の自伝とか。

10. 新ネットワーク思考(アルバート=ラズロ・バラバシ著、NHK、平成14年刊)
 ネットワークの最新理論を紹介する本が、5年前に出ていたことを知らなかった。

追伸:小生の読書感想を綴ったホームページ「snozueの読書日記」のアクセスが2万をこしました(私自身のアクセスも入っていますが・・・)。
http://d.hatena.ne.jp/snozue/
(左のサイドバーのBook markからクリックください)

イオン銀行

2007-12-26 | 経済と世相
 新年まで後数日になりましたが、今年一番通った場所は、なごやドームです。と言っても、野球観戦に通ったわけではなく、直ぐ傍の「東カルポート」とジャスコです。カルポートは、1階にプールなどスポーツ施設。3階には東図書館とギャラリーがあります。
 プールで泳いでから、図書館で本を渉猟、食事にはジャスコのレストラン街。スーパーの弁当を買うこともあるというわけです。
 そのジャスコに、今度は銀行が出来ました。「イオン銀行」です。早速、私も口座開設を申し込みました。15日から名古屋で初の支店をここのジャスコ店内に開店ということですが、今のところ口座開設の受け付けだけみたい。

 何故、口座を作ったのかと言いますと、銀行、特にメガバンクには不信感を持っているのです。国民の税金を公的資金なる名のもとにつぎ込み、更に10年余もほとんどゼロの預金金利にすることで、自分たちが勝手に作った不良債権を償却し、今も尚ほとんどゼロ金利で、繰越損があるからと税金もまともに払わない。本来90年代末に、公的資金が入らねばつぶれるというメガバンクは潰してしまうべきだった。潰して、新たに参入する企業を新銀行として認可すれば良かったと思うのです。ですから、新しい銀行がスタートすれば出来るだけ応援したいと思っているのです。

 イオン銀行は、少し提灯を担ぎますが、365日営業。ATMの手数料は、年中無料です。
 土曜、日曜のATM使用料が無料と言うのはありがたい(他行との取引は有料)。大体、メガバンクの¥105(土・日)は高すぎる。預金金利が5~6%もあった頃¥105円、ゼロ金利でも¥105というのはおかしい。一回休日にお金を下ろすと、10万円を1年預けて稼いだ金利がいっぺんに飛んでしまうというのは異常だと思わないのだろうか?
 預金金利も、イオンは普通銀行より高いみたい(普通預金0.25%、1年定期0.4%、2年定期0.5%)
 ただし、預金通帳はありません。預金の出し入れ残高は、希望すれば毎月書面発行しますが、手数料が¥210です。ですから、原則として通帳はない。通常の取引はすべてATSということになります。
 だから支店を開設すると言っても、口座開設などの事務処理だけになるのだろうと思ったら、顧客相談を受け付けるという(営業時間AM9.00~PM9.00)。

 「カードが届くのに3週間ぐらいかかります」と、受付嬢から説明を受け、開業記念の買い物クーポンを貰って帰りました。
 

ワーキングプアと行政の失敗

2007-12-19 | 経済と世相
 一年の終りが近づき、新聞にはこの年を振り返る評論が出ています。その中から・・・

 17日中日夕刊から作家の高村薫さんが「ワーキングプア1千万人の衝撃」と題する寄稿。
【この1年を振り返ると、政治の著しい停滞と、世界経済の変動以上に、私たちの足元で、年収200万円以下の労働人口が1千万人に達したことの襲撃が大きかった。・・・この国にこれほどの貧困があるという事実を前に、私のような物書きでも、さすがに「なぜだ」と自問し始めたこの1年である。
 1991年のバブル崩壊以降、私たちは「この国はほんとうに豊かなのだろうか」と不信を抱き、2001年あたりからは自由主義経済による過当競争と、世界経済の激しい変化についてゆけない日本の停滞を感じてきたが、それでも経済の不振については漠とした印象に留まり続け、景気に波はあれ、所得もいずれは微増してゆくだろうと考えてきたのだった。・・・

 また経済見通しと生活の不安が国民の間で斑模様であることについては、私たち自身が自由競争社会に少しづつ慣れ、さらにアメリカや中国・インドなどの世界経済に原因を求めることに慣れ、国の個別の政策の是非を私たちが真剣に問わなくなったということもあろう。】
【さてしかし、今日の貧困層の拡大は、本当にこうした時代と経済状況のみが原因なのだろうか。・・・貧困層を生むおおもとは不況ではなく、自由で活発な資本主義経済の活動そのものだとは言えまいか。また、だからこそ多くの近代国家は税制を通して所得の再配分に努め、社会福祉制度を発達させてきたのではなかったか。
 今日の1千万人のワーキングプアは、この自由で活発な経済の加速が必然的に積み上げてきたものであるが、それは同時に、勤労者に必要最低限の生活を保障する社会福祉の基本が欠けていることも意味している。放っておけば富む者はさらに富み、貧困者はますます貧困になるのは自然なことで、それを是正するために国が機能するという精神が、この国にはないということだ。
 また、富の再配分先は、一般に育児と教育と医療への公的支出である。国が財政赤字を理由にそれらの削減にひた走るのは、国民国家はなんのためにあるのかという先進諸国では当たり前の基本が、この国には欠けているということでもあろう。】

 日本は、どうして、かくもオカシクなったか?従来、 日本の政治は、実務的には官僚が行い、政治家は官僚を指示、監督して国を統治するというシステムできたと思う。しかし、その官僚・・・・ 佐々木毅さん(学習院大教授)は15日の中日新聞にこう書いている。
【今年は「行政の失敗」に始まり、「行政の失敗」に終わったというのが率直な印象である。「消えた年金」「宙に浮いた年金から始まり、前防衛事務次官の守屋武昌容疑者と防衛省をめぐるスキャンダル、そして建築確認の大幅な遅れから生じた行政不況、最後に再び年金問題といった具合である。】
 さらに、官僚を監督すべき立場の政治家について、こう述べています。
【「政権を握っていたい、しかし使用者責任は御免だ」という話はもう終わりにしなければならない。政権に使用者責任がないといった話を、もはや誰も信じていないのである。】

間奏曲

2007-12-18 | Weblog・人生・その他
 16日(日)午後は県図書館に行きました。映画の鑑賞会が月に1回あるのですが、この日は「間奏曲」を上映しました。
 イングリッド・バーグマン主演のスェーデン映画で1936年製作、私の生まれた年ですから随分昔の映画です。
 映写が始まると、昔の映画だから画面が小さく、もちろんスェーデンの言葉ですから字幕を追うしかない。
 【名ヴァイオリニストが演奏旅行を終えて、引退を決めた伴奏者を連れ、妻と娘の待つ故郷に。偶然にもその娘のピアノを教えていたのが、伴奏者の教え子(バーグマン)。バーグマンの演奏を聞いたヴァイオリニストは彼女を自分の伴奏者に迎え入れる。・・・】
 と、スジを追っていたが、字が小さく次々と文言が入れ替わって、読むのに疲れてしまいました。「もういいや、彼女の顔を見るだけで良い」と、字幕を追うのを諦め、ひたすらバーグマンの顔だけみていました。
 1915年8月29日生まれ(亡くなったのも’82年8月29日)の彼女の21歳のときのフィルムだけあって、 さすがに、これぞ北欧美人でした。
 なにしろ、この映画を見ただけで、ハリウッドのプロヂューサー、セルズニックがただちに彼女をアメリカに招き、この間奏曲のリメーク版を「別離」のタイトルで公開したそうです。
それだけのことはあります。
 渡米後、「カサブランカ」(1942年)でスターの座を獲得し、「ガス灯」でアカデミー主演女優賞を受賞しましたが、イタリヤのロベルト・ロッセリーニ監督の作品を見て感動した彼女は、彼に熱烈な手紙を送り、家庭を捨ててロッセリーニのもとに走りました。皆様ご承知のことと思いますが、この恋多き女の生涯は、次のURLでご覧ください。

 http://ja.wikipedia.org/wiki/イングリッド・バーグマン

 間奏曲については
 http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=5012

 終わって、彼女の往年の美貌だけが収穫だった、と思いました。
 

覚王山散策

2007-12-16 | 旅行
 14日は、住宅の老人会のウオーキングで、覚王山周辺を散策しました。9時半集合、一行8名、地下鉄で覚王山。出口を出て坂道の参詣道を上ると直ぐ、覚王山日泰寺です。
 お寺は、真宗とか禅宗とか宗派があるのが普通ですが、このお寺には宗派がありません。以下、何故宗派がないかの経緯です。
 1898年、ネパールの南堺で、イギリス駐在官のウィリアム・ペッペが古墳の発掘をしていて、「仏陀の舎利(骨)をおさめたものである」旨を記した骨壷を発見した。19世紀の東洋史上最大の発見だそうです。インド政庁は、この釈尊の遺骨を仏教国であるタイ(当時シャム)の王室に寄贈した。
 タイ国王は、佛骨をワットサケットに安置し、一部を仏教国のセイロン、ビルマに分骨した。当時の日本公使が、タイ国王に懇願した結果「タイ国王から日本国民への贈り物」として下賜される事になった。
 日本の各宗管長は協議の末、使節団を派遣してご遺骨を拝受し、その際帰国後、超宗派で仏骨奉安の寺院を建立することを約束した。
 その結果、この地に10万坪の敷地を用意し、明治37年、釈尊を意味する”覚王”を山号とし、日本・タイの友好を象徴する日泰寺の寺号を持つ覚王山日泰寺の誕生を見た。
 住職は、現在19宗各派の管長が3年交代で務めているとのことです。
 http://www.a-namo.com/ku_info/chikisaku/pages_n/nittaiji.htm
 中東の紛争も、ユダヤ教・キリスト教・マホメット教の3教が、3年交替で聖地を管理することにすれば良い。仏教国日本の知恵を学んでほしい。
 小生も名古屋に来てから50年以上になるが、この寺の由来を初めて知りました。参拝の後、境内を散策して次に、東隣の「揚輝荘」に行きました。

 揚輝荘は、松坂屋の初代社長によって構築された別邸です。完成時(昭和14年)には、約1万坪の敷地の中に30数種の各種建築物が建ち並び、池泉回遊式庭園とともに、威容を誇ったそうです。
「今の金持ちはこんな施設は出来ないわね」、「税制で大金持ちは2代と続かないからね」等話しながら北庭園に入りました。
 伴華楼は、尾張徳川家から移築した和風建築に洋間を増築した建物、英語のバンガロウをもじった名称とのことでした。白雲橋は修学院離宮(京都)の千歳橋を模した。北庭園自体も修学院離宮を模したものだそうです。三賞亭という茶室があり、部屋の窓から見る庭園の眺めは抜群です。
 揚輝荘の建物には予約でないと入れない。一日63名しか入れないという。
http://www.city.nagoya.jp/kurashi/kyoiku/bunka/nagoya00043003.html

 揚輝荘を出て、昼食タイム。幹事のFさんが、参詣道中ほどの「えいこく屋」というインド料理の店に案内してくれました。
 皆さんはナンというインド料理のパンを注文。私はバナナ入り印度カレーを注文しました。
 このカレーの中のバナナ、バナナの甘味はなく、まるで じゃが芋のような味、カレーと煮込むとバナナはこんな味になるのかな。
 
 1時、店を出て、今度は日泰寺の北側を散策すると、釈迦仏骨を安置しているという奉安殿に出ました。
奉安殿はお寺の本堂とは別にあるのですね。「奉安塔」は東大教授、伊東忠太の設計になるガンダーラ様式の花崗岩の仏塔で大正7年に完成したそうです。
 2時半頃、「今日は良いお天気でよかった」、「皆さん心がけがよいのね」と話しながら帰途につきました。

豊後水道

2007-12-13 | 素晴らしき仲間たち
演歌の話題です。
 『豊後水道』という演歌があります。作詞 阿久 悠、作曲 三木たかしの「津軽海峡・冬景色」のコンビによる演歌、昭和63年発売で、唄は川中美幸でした。
 昭和63年というのは、私が埼玉県に初の単身赴任をした年でした。通勤途中にあった西友のCDショップで、この『豊後水道』を見つけ買って帰り、気に入って、毎晩就寝前に聞いていました。
歌い出す前の前奏が、とても気にいったのです。
 東京にAさんという友人がいました。彼と会って夕食を共にすると、よく「カラオケ行こうか」と一緒にカラオケを楽しみました。
彼は馴染みの店に案内してくれて、店に入ると、私が何も言わないうちに、この曲をオーダーして「NOZUEさん、『豊後水道』入ったよ」。
 Aさんは「NOZUEさん、カラオケは巧いとは言えないが、この唄は雰囲気が出て、聞かせる」と、けなしてるのか誉めてるのか分からない。
 その彼、10数年前、突然、50歳前の若さで、この世を去りました。肺がんでした。『豊後水道』を唄う川中美幸をTVで見る度にAさんを思い出します。
 奥様からは、彼の死後も、毎年、年賀状を頂いていますが、今年の賀状には「主人の命日に孫が生まれました」とありました。
 この唄は阿久 悠さんが大分県知事だった平松さんから「大分県の演歌を作ってくれ」と頼まれて作ったもののようです。
今夏逝った阿久 悠さんの本を、今読み直しています。
『歌謡曲の時代』(新潮社04年9月刊)は、彼が自作の演歌に思うことを書き綴ったエッセイを蒐集した本ですが、この『豊後水道』についてこう書いています。

【前の大分県知事の平松守彦氏とは、個人的に友情を感じたつき合いであるが、その平松氏から、演歌の南限の歌を大分を舞台に作ってくれないか、と言われたことがある。演歌の南限とは面白いテーマだと思った。・・・・大体に演歌は北向きとか、北を舞台にしたものが多いと思われている。いや、思われているだけではなく、実際に数的にいえば圧倒的に北のもので、ぼくが書いたものでも「北の宿から」「津軽海峡・冬景色」「舟歌」「北の蛍」「能登半島」「おもいで岬」など、数え切れないほどある。
 南国に悲恋がないわけではないし、哀愁を感じないわけでもなし、人間がいて、男と女の組み合わせがあれば、悲恋も失恋もありますとぼくは言った。
 そこで、作曲の三木たかしと一緒に大分へ行き、ちょっと実感を掴みましょうと大分から佐賀関までクルーザーで行った。その日はややあれ気味で、波頭から波頭へ飛び魚のように飛んだ。その衝撃が「豊後水道」というタイトルを思いついたというのは嘘だが、海猫が棲む南限だともいわれる島を見て、これはそそられた。

 春は何日早かった 風もうららで甘かった
 海猫の棲む島をぐるりと一まわり
 何を思うか 豊後水道・・・・】

私の12月8日

2007-12-11 | 経済と世相
 12月8日は、66年前、真珠湾攻撃、太平洋戦争の始まった日だ。新聞はどう取り扱っているか。朝刊を広げてみたが特別な記事は見当たらない。「真珠湾」も歴史の彼方か!わずかに朝日の「天声人語」がジャネット・ランキンを取り上げていた。米国初の女性連邦議員で、対日宣戦決議にただ一人反対投票をした人です。

 10時半、お天気が良いから、今日は徳川美術館に行ってみよう、と自転車を転がして25分。美術館に着いた。

http://www.aichima.net/navi/museum/05/index.html

 「国宝 源氏物語絵巻と平成復元模写特別展」が明日(9日)まで開催されていた。

 模写には、現在の姿を写す模写と、作品が描かれた当初の姿に復元する模写がある。今回は当初の姿を再現する模写です。最新の科学技術で、どのような絵の具が使われたかを分析して、その絵の具で模写する。

 徳川美術館は蓬左文庫(尾張徳川家の旧蔵書を中心に和漢の優れた古典籍を所蔵する公開文庫)と併設されていて、源氏の企画展は蓬左文庫の方で展示されていた。

http://www.futabakan.city.nagoya.jp/data/f008.html

 模写と本物を並べて展示すると聞いていたが、なるほど並べてはいたが、並んでいたのは本物の写真だった。模写と同じ画面ではないが、本物も展示していたが、そちらは室内照明がぐんと暗い。なるほど本物を並べての展示は出来ないわけだと納得。

 源氏物語以外にも、徳川美術館は尾張徳川家に歴代に伝えられた重宝、「大名道具」を収めています。その収蔵品は。徳川家康の遺品を中心に初代義直(家康第九子)以下代々の遺愛品があります。機会があれば、「一見の価値あり」の施設です。

 見終わってから、また自転車を転がせて25分。北図書館に行く。最新号の雑誌に目を通した。幾つかある太平洋戦争に関する論文の中で、「現代」1月号の、真珠湾攻撃総隊長「奇跡の自叙伝」という文が目を惹いた。淵田美津雄という軍人についてのレポートでした。

 彼は、真珠湾攻撃に際し日本海軍機350機を率いてハワイ奇襲作戦の陣頭指揮を執った。その後、ミッドウェイ海戦で負傷。原爆投下後の広島と長崎の視察など壮絶な体験を重ねた。昭和20年9月2日「ミズーリ」艦上の降伏文書調印式に立ち会っている。

 戦後は一転、キリスト教徒になり、仇敵アメリカでの布教活動に全力を注いた。マッカーサーや、ニミッツにも米国で再会しているという。

 随分数奇な人生を送った人がいるものですね。昭和53年5月、橿原市で生涯を閉じたそうです。 

 その後、北スポーツセンターで泳ぐつもりだったが、雑誌に読みふけっていて、時間が過ぎて遅くなったので、プールをあきらめ帰宅しました。

 以上、私の12月8日でした。

百円でGET

2007-12-08 | 経済と世相
 月曜日のことです。午前中雨が降っていました。野暮用があって外出しました。傘を差して道路を歩いていたら、「どうぞ」とビラを渡すお姉さんがいる。
 見ると、バス通りに新しく「自然食品」の店を火曜日開店するというビラで、開店記念に、化学肥料を使わない特別栽培の新米「あきたこまち」1kg入りを9時半から¥100で売るという。100円は安い!と思った。 

 火曜日、9時25分。行ってみた。黒山の人だかり、行列である。(800人余が集まったとのこと)。新しく店ができたと思っていたが、ビルの一階に商品を積み上げているだけで、何の店内装飾も棚もない。

 時間になると、50人づつ入場して、店員が大声を上げて説明を始めた。この説明が面白い。まるで、寅さんの香具師の口上を聞いているみたいだ。

『100円で買って頂くのは、それなりの意味があります。コマーシャル!松坂投手にCMに一回出てもらうと2億円です。SMAPの5人組だと3億円。お集まりいただいた西区の皆さんに1500円の品物を100円で配った方がよっぽどか安い。TVのCMでは、商品の味までは分かりません。私どもの会社の名と商品を覚えて頂ければ、損はしません。』

要するに、東京の通信販売で「自然食品」の会社が、西区で3ヶ月、この場所で会員募集をする。今日からサンプル商品を100円で売るという。

『今日は「あきたこまち1kg袋」が100円!今日の品ものも良いが、明日の品ものもいい。明日は餅1kg入りの袋が白餅とよもぎ餅あわせて2袋で100円。明日もいいが明後日はもっといい。紀州の梅干、平日1575円が100円。・・』といった具合。

結局、30分の行列、15分の講釈で「あきたこまち」を入手。口上につられて、水曜も行列して餅二袋、木曜は南高梅一箱を、行列してGET。いくらか家計のたしになった?

GETした後反省した。安物に並ぶのは1回なら兎も角、3回も並ぶのは、いくら貧乏人とはいえ、少しは世間体を考えるべきだと。

それにしても、商売屋はいろいろのビジネスモデルを考えるものです。

話は別ですが、少し生き抜きの読書を愉しもうと、藤沢周平の「用心棒日月抄」を図書館で借りてきました。今、衛星TVで放映しているドラマの原作らしい。読んでみようと思ったのです。

 導入部から惹き入れられます。故あって郷里の藩を脱藩して、江戸で浪人暮らしの主人公・青江又八郎が、身過ぎの資を得るため、人入れ稼業の吉三の家を訪ねる。

 【「どうぞ、そこへおかけください」

そこというのは、板敷きの上り框のことである。べつに敷物も置いてない。腰をおろすと、たちまち尻の下から冷えが立ちのぼってきた。

 なんとなくみじめな気がしたが、仕事の世話を受けるのだから仕方なかった・・・】

 失業して仕事探しをする人の気分をうまく表現しています。下級武士の生活難が、現代の庶民の暮らしを思わせる。つまり、身につまされる話が随所に出る。

 この辺が、藤沢作品の面白さなんでしょう。平成の貧乏人には、江戸の貧乏人の話も身につまされるのです。

チンパンジーと犬の知的能力

2007-12-07 | Weblog・人生・その他
「チンパンジーの瞬間画像記憶は、人間より上」。12月4日の中日に、興味ある報道がありました。

 【チンパンジーの子供には見たものを写真撮影のように記憶に焼き付ける能力があることを、京都大学霊長類研究所(愛知県犬山市)のグループが世界で初めて発見した。実験ではその記憶能力は人間の大人をはるかに超えていた。

 松沢哲郎教授と井上紗奈研究員が、2000年生まれの子どもチンパンジー3頭と、それぞれの母親を対象に研究。1から9までの数字を覚えさせ、コンピュータ画面で数の少ない潤に手でタッチできるように訓練した上で、実験した。

画面に九つの数字を一瞬示した後、四角いマークで伏せ、それを小さい順にタッチさせる課題を与えたところ、3頭とも9個の数字を記憶し小さい順にタッチしてみせた。三頭の中でもっとも高い能力をみせた「アユム」は数字の見える時間約0.7秒でほぼ正確に記憶したが、比較実験した京大と岐阜大の学生9人は記憶できなかった。・・一瞬見ただけで細部を記憶する能力は子どもチンパンジーでは10秒間以上続くことも分かった。
一方。チンパンジーの母親の能力は、学生と同じレベルだった。
 研究グループは「チンパンジーの子どもには、人間の子どもにごくまれにみられる直感像記憶を持っている」と結論づけた。松沢教授は「知的能力は人間が一番だ、という常識に対する強力な反証になる」と話している。】

 この記事を読んで、直ぐ思い出したのはトランプの「神経衰弱」です。
「神経衰弱」は絶対に小さな子どもに勝てません。一瞬に見た画像の記憶能力は小さい子どもの方が優れている。それが人間だけでなく、チンパンジーでも子どもの方が優れているというのです。人間とチンパンジーとは、やはり近縁の動物なんですね。
 もう一つ、松沢先生の言「知的能力は人間が一番だ、という常識に対する強力な反証になる」。
 私の仮説なんですが、人間とチンパンジーの知的能力を分ける決定的要因は、言葉を使いこなす能力だと思うのです。この能力が、遺伝で備わっているものか、それとも生後の訓練で習得するものか、議論のあるところですが、言葉を使うことで環境から学ぶ能力が飛躍的に増加して、人間とチンパンジーの知的能力の差を決定的にしたと思います。案外、生まれた時の脳の能力は、チンパンジーと人で、さほど差がないのでは?