古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

2014第二四半期の私選10大ニュース

2014-06-30 | 経済と世相
 
まったく早いもので、もう6月も最終日です。
例により、この3か月のニュースを振り返ってみました。
1. 消費税増税
アベノミクスの真価が、これから問われる?
2. 集団的自衛権の閣議決定へ
安倍首相の執念
3. 大間原発訴訟 下北半島に建設予定の大間原発の建設さし止めを函館市が提訴した。
4. .大飯原発訴訟に福井地裁が運転さし止め判決
これほど嫌われる原発の稼働に、なぜ安倍首相の執念?
5. 維新の会分党
なぜ一緒になったかわからないが、分党の理由もよくわからない!
6. 三菱U東京UFJ、非正規を組合員に
おそまきなgら、最も保守的な銀行労組の取り組みだから評価します。
7. トヨタ年間販売1000万台を超す
世界のトヨタです。日本の自動車産業もここまで!
8. 田中将大ヤンキースで大活躍
昨日は破れましたが、立派です!
9. 日本FIFAで1勝もならず
たかがスポーツ、されどスポーツ
10. 広島カーフ、鯉の季節に連勝続く
もしかすると今年は優勝?オールスターは、広島選手ばかり。


日本経済を復活させる唯一の解決策とはなにか

2014-06-29 | 読書
『日本経済を復活させる唯一の解決策とはなにか』(野口由紀雄著、講談社現代新書2014年4月刊)は、経済に関する野口理論の簡潔な解説でした。

日本の経済戦略はどうすべきか。野口先生の意見を要約するとこうです。
90年代の日本の経済運営について、批判は多かったが、バブルが崩壊したとき、金融機関、すなわち、金融システムを守るには、金融緩和しかなかったのである。だから、欧米でも、バブル崩壊後の金融緩和策は、日本を真似したのでは?と思わせるほど、日本と同じ対応をしている。そもそも、バブルの崩壊も、日本が90年代の崩壊以後各国で発生している。つまり、日本が世界の先頭をいっていたのだ。何故そうなったか?バブルの発生には、一定の貯蓄の集積が必用で、日本が、国家経済(グローバル経済ではない)の中で、もっとも成功した国で、バブル発生に必要な貯蓄の集積に最初に成功したからではなかったか?
 集積した資本が有利な投資先を見つけることが困難になると、バブルをもたらす。そのバブルから金融システムを救おうとすると、大幅な金融緩和策をとる。その結果は、実体経済を改善せず。投機資金を増やす。投機資金が増えるとまたバブルを発生する悪循環をもたらす。
 日本は世界に先駆けてバブルを経験し、金融機関への資本注入や、異例の金融緩和政策を経験したが、それは、成功した対応策といえるものではないのだ。
では、成功する対応策とはいかなるものだったか・
 「アベノミクス」は答えにならない、と野口さんは言う。マネーストックの伸びが実態経済の伸びに関係しないからだ。株価が上昇し、円安が進行しただけである。その結果は、設備投資は増えず、輸出数量も増えていない。実質民間企業設備の伸び率は、2011年4.1%、12年3.7%、13年マイナス1.4%だった。
 貿易統計では、数量指数と価格指数が算出されている。輸出数量指数は、12年6月以降。対前年比マイナスだ。
 実態経済が改善するのは、長期的に言えば、日本に生産性の高い新しい産業が生まれ、縮小する製造病に代わって雇用の受け皿になる場合、それこそが日本を再生させる唯一のルートだ。
 アベノミクスの成長戦略の基本は、製造業を復活させようというものだ。そして、海外移転を食い止めるような施策が考えられている。これは、製造業の海外移転が国内雇用の減少を引き起こすと考えられているからだ.
 しかし,新興国の工業化が今後もさらに進展することを考えれば、先進国において製造業の比率が低下するのは不可避である。日本経済のこれまでの成長モデルであった輸出立国モデルは破綻しており、部分的に回復しても、かえって事態が悪化する。
 新興国市場に最終消費財を販売しようとすることが、最適な戦略とはいえない。新興国向けの底角製品はいわゆる「コモデイテイ」で、価格以外に差別特性がないので、猛烈な価格競争に巻き込まれる。
 新興国に対しては、売るのではなく、その労働力を使うビジネスモデルを確立することが必要だ。製造業の海外移転は、この観点から見て正しい。従って、それを阻止するのではなく、国内の雇用は、別の方法によって維持されなければならない。具体的に述べると、
製造業の縮小を留めることはできないだから、製造業に代わって雇用を引き受ける産業を国内に造ることが必要。日本でこれまでその役割をになってきたのは、サービス産業であった。しかし、それが介護などの賃金水準の低い分野であったために、経済全体の所得が低下した。従って、日本全体の所得水準を高めるには、生産性の高いサービス産業が雇用を引き受けなければならない。
 日本において高度なさーびす産業を発展させ、雇用を創出することが、今後の重要な課題だ。そうしたサービス産業が成長することにより、様々な付帯サービスがが必要になり、雇用が増加するだろう。
まず、金融サービスの発展が考えられる。たとえば、日本の証券取引所へのアジヤ新興国企業の上場を促しそのための支援サービスをていきょうすることなど考えられる。
 さらに、対ビジネスサービスがある。データ処理、コンサルテイング。会計、法律の専門的サービスなど。
 製造業いおいても新しいビジュネスモデルへの転換が必要だ。これまで日本の製造業は、新興国製造業と同じ分野で競合し、低賃金労働による低価格製品に敗れてきた。これを転換し水平分業のビジネスモデルを志向する。そのモデルはアップルが示している。
アップルは、製造工程を自社内に持たず。企画・設計・販売に集中している。このため高収益が可能となる。ビル・エモットは、日本とイタリヤは共通の誤りを犯しているという。
それは、新興国の工業化という1990年代の大転換に対応できず、旧来型の製造業からぬけだせなかったことだ。日本もイタリヤも、80年代までは経済が急速に成長した。しかし、90年代以降成長がとまった。ただし、イタリヤには、停滞から抜け出したセクターもあることを彼は指摘している。それは、製造業のなかでも。研究開発・フェザイン、販売などに重点を絞っている偉業だ。
最後に、こうしたビジネスモデルの開発のためには、経営者の海外から導入も考えないといけないかも。ちょうど大相撲の横綱が日本人でなく、モンゴル人になってしまったように。


株主総会の季節

2014-06-28 | 経済と世相
株主総会の季節です。6月27日、D社の株主総会に出席しました。会場は、県産業貿易館の西、名古屋銀行協会5Fホール、9時半過ぎ到着。受付で出席番号札をもらい、しばらくロビーで休憩後、会場に入った。
 10時、役員が入場し総会が始まった。最初の30分ぐらいは、スライドを映写しアナウンスの声が流れて、事業報告、決算書などの説明。続いて「当面の対処すべき事項」、「本日の決議事項」について議長(会長)の説明があって質疑に入る。
 冒頭、K君が手を挙げて発言。「6月18日に質問事項を総務宛て送っているが、会長は見ておられるか」、「ハイ見ています」
「株主の質問に対する役員の回答が回答になっていない場合が、まま見られる。回答の後、議長は、この回答内容でよいのか、質問者に確認してもらいたい」
「議事運営は、議長の権限ですから、確認するかどうかは、議長に任せてもらいたい」
総会の前に、会社側は「議決権行使書」という委任状を大株主から集めている。だから、決議のすべては総会の開かれる前に可決がきまっていて、総会は形式に過ぎない。株主質問へ形式に留めない回答を要求する株主と、あくまで形式で終わらせたい会社側だから、かみ合わないやりとりだった。
続いて、小生が挙手をして質問した。
「D社はメーカーであるから、メーカーとして技術開発の基本姿勢を質問したい。現在、技術開発の重点目標は何か。また、技術開発の結果を、設備投資に反映した事例があれば教えてもらいたい」
社長が回答した。
「顧客の要望に応えるのが基本ですから、軸受けの設計に立ち戻り、いかに省エネタイプの軸受けを実現するか」です。「また、表面処理で、湿式のメッキから、乾式の表面処理を行う方式を開発しています」
実は、小生の質問したい事項と若干ずれがあった。株主最後の最後の質問で、元専務のWさんが質問し、「コンパクト生産ラインの開発はどうなっているか」、「1秒ラインという効率の高いラインが昔あったが、その効率は作業者の技能で大きく変わった。海外に事業展開する現在、誰が作業しても、高効率で操業できるラインが要求されると思う」と質問したが、こちらでの回答が小生のほしい回答だった。
 議長が質問を他にふる。「今回、配当を7円から10円に増配しているが、配当性向から見るとまだまだ低いのではないか」
 常務が回答「現在の配当性向は連結ベースで、20%、単独ベースで14%程度ですが、企業の継続性を配慮し、内部留保も増やしたく、配当はこの程度にしている。今後、配当性向の向上に努力したい」
 続いて、小生の発言。
「海外展開を積極的に進めているが、その場合の投資は、国内で調達した資金か、それとも現地で資金調達するのか、その比率について基本的な方針はあるのか。」
回答。「外貨がドルなのか、ユーロなのか、あるいはローカルカレンシーかで違いますし、現地の金融事情にもよりますので、その時点での最適手段をとります」。
K君が手を挙げて発言。「“役員の選任案”が出ているが、もっと若い人の抜擢は考えないのか。もちろん若ければよいとと言うわけではないが、会長が社長に就任したのは、53歳の時だったことをかんがえてほしい」議長が社長に回答をふったが、こういう質問には社長も答えにくいだろう。
「18年前、会長の社長就任時と現在との業績を比較すると、格段に向上していますから、交代の必要性はないと判断します」と逃げたから、K君は「業績が上がっていないから変われと言うわけではない。業績が上がっていても、人事の停滞を防ぐべく、交代した方がいいといっているのだ」と食いついたが、議長は打ち切って、別の質問を求める。
先ほど、「配当が低い」と質問した株主。「内部留保を増やしたい。との説明があったが、そう考えるなら、役員報酬をへらしてもいいのでは」と言う。
 別の株主から関連発言。「昨年、当社のライバル企業の総会に出席したが、女性株主から“D社の経営者より立派な経営者がいる”との発言があった。この発言について、会長はどう感ずるか」
「いや、当社の経営者も一生懸命やっていますよ」と、“カエルの面に小便だ。
 こうまで言われると、経営者は面の皮が厚くないとやれないだろう。
意見はいろいろ出たが、12時前、採決に入る。ほとんど異論なく可決。何といっても増配だから、しゃんしゃんで終わる。
106回、株主総会の状況ですが、20年前とは様ぐぁりです。
当時は、社員株主が会場の前を陣取り「異議なし」、「議事進行」を連呼していました。


臭い飯と税金

2014-06-27 | 読書
『サバイバル宗教論』文春新書、2014年2月刊)という本が出ました。著者は佐藤優さん。2012年、佐藤さんが、臨済宗相国寺派の僧侶を対象に4回の連続講義を本にまとめたものです。
 これが面白い。特に第4講「すべては死から始まる」が面白い内容でした。
狩猟採集社会では、人間は何時間働けば一日の食べ物を得ることができたのか。最近の実証研究があります。ニューギニヤやアフリカの先住民には、狩猟採集を基本にして生活している人たちが現在でもいるわけですが、その人たちに対するよう差研究があり、3~4時間程度という結果が出ています。
 最近出てきた仮説として、定住革命という考え方があります。定住をするときには、最初に何等かの国家権力のようなものがあったのではないか、権力の方が先行していたのではないかという考え方です。というのも、3~4時間の労働で、人間は自分たちの命をつないで子孫を残すことが出来るわけです。それなのになぜ、わざわざ長時間苦しい思いをして土地の開墾などしなければならないのか、誰かによって強制されていたのではないかという仮説です。・・歴史実証研究では証明が難しい。
 しかし重要なのは、定住に至るときに、必ず宗教がうまれる。たとえば今のニューギニヤの狩猟収集をする人たちが定住しない理由は二つあります。まずお手洗い。定住した場合には、人間が輩出したものの始末ができなければ、衛生状態が保てなくなる。移動生活なら垂れ流して別のところに移動すればよくトイレの心配はいりません。
もう一つは死者の問題です。死ぬと人間は腐って骨になっていきます。さっきまで生きていた人間が動かなくなる。死は恐ろしいものです。自分たちの住むすぐそばに死体があっては怖くて仕方がない。ですから死体のない所に逃げていく。定住革命以前の人は、死の問題と直接向き合わずに済む。定住すると、死の問題と向き合わなければならない。そこから宗教が生まれた。
 
 今、税と社会保障の一体化企画をやっています。元官僚だからわかるのですが、この問題の本質は社会保障にはあまり関係がない。ただ増税がしたいのです。なぜかというと、官僚、特に財務官僚の国民に対して一種のあきらめ感がある。日本国民は、難しいことはお上に任せて、気に食わないことは文句ばかり言うと思っている。
「任せて文句を言う」と言うのが日本国民。こういう状況で責任ある政治をやっていても、政府規模は肥大していく。尖閣で武力衝突でも起きれば国防予算も増やせねばならない。そうすると、取れる時に取るというのが、官僚の発想になる。
消費税で国民をいじめずに金持ちから取ればいい。累進課税も昔は8割だったが、今は最高税率4割だ。大企業はたっぷり内部留保をもっている。一昔前まではこうした議論があった。ところが、今は共産党と社民党ぐらいしかしない。なぜなら、逃げることができる。税率の安い香港やシンガポールに逃げようということになります。金持ちや企業は逃げることができるが、逃げることのできないのが宗教。だから宗教団体への課税と言う問題が出て来るが、これに対しては、徹底抗戦が必要です。宗教団体等の中間団体はファシズムに対抗する砦として民主主義を担保する根本なのです。
大家族、ギルド、教会など国家と個人の間にある団体を中間団体といいます。近代化の過程で、これら中間団体からの自立こそが個人の確立だと受け止められた。しかし、こうした中間団体の弱体化は、近代国家の強化と裏腹の関係にある。モンテスキューは、専制化を防ぐ中間団体として、貴族や教会のような勢力を評価していたが、その後のフランスでは、「中間団体を社会から除去することこそ近代化だ」とされ、たとえば職業選択の自由の観点から同業組合などが禁止された。民主主義と平等原理の進展によって中間団体が排除され、かえって画一化と個人の国家への依存が進むという皮肉なパラドックスが生まれた。
 アメリカでは、新自由主義によって「小さな政府」をつくることによってアメリカ国家を強化していこうという動きがありました。国民があまりにも国家の福祉に依存すると、国は弱体化するというのが、レーガン以降の発想でした。レーガンやブッシュはキリスト教保守派の熱心な信者でした。実は、彼らの新自由主義には大前提があったのです。小さな政府ではあるけれど社会は大きいということ。教会にいけば。食べられない人も助けてくれる。自分たちのネットワークで就職を世話してくれる。だから、国家を小さくしても、その代わりの受け皿になる社会、社会団体、中間団体があるという前提です。ところが、古き良きアメリカの中間団体は弱体化していた。だから新自由主義の結果、「1%の富裕層対99%の我々国民」というウオール街のデモ起きる状況になったのです。
実は、時々、野村佐知代さんといっしょになることがあります。二人の間でもり上がる話というのがあります。東京拘置所の中の「臭い飯」の話です。
「臭い飯」というのは、「腐った飯」という芋ではありません。麦が3割はいっているので、麦のにおい、香がするので臭い飯というのです。実は拘置所の食べ物はおいしいのです。夏の土用の丑の日には、ウナギがちゃんと出ます。尾頭付きのエビフライとか、ビーフステーキなんていうものもあります。必ず汁物が一品出ます。昼夜は、大体汁物一品とおかず二つです。土・日は甘い者とおかずが一つ多い。そういう話を野村さんとするわけです。
はたと思うわけです。野村佐知代さんは。何で捕まりましたか。脱税です。脱税は警察が出てこない。国税庁が、検察の特捜部に告発する。そして検察に捕まります。検察に捕まると、留置所を経験しません。留置所というのは。お手洗いの水を自分で流せません。留置所というのは、「面倒見」と言って。たばこを吸わせてもらえます。拘置所ではたばこを吸わせてもらえません。留置所は基本的に雑居です。留置所と拘置所はいろいろ違いがあります。日本は政治犯罪がないという建前になっているが、高級官僚は、実質的に政治犯で時代のけじめをつける。政治的に良くない、国家によくないと検察官が思う人たちを捕まえる。これが特捜部の仕事です。脱税もそれと同じ。国家は税がないとなりたたない。国家と言うものは官僚によって成り立っている。税金を払わないというのは、重大な政治犯罪になる。そこで、最強の捜査機関である東京地検特捜部がのりだすんです。
つまり。税金の本質を言うと、たとえば仮に、官僚一人の生活に年500万円必要だとすると、それを社会から取る。「俺たちは国家を維持しているから、おまえ500万よこせ」と言ったら、誰も払わない。そこでまず、たとえば1500万円取るんです。「日本の国防、外交。教育のため必要として500万円、残り500万円は社会保障費、みなさんに再分配してやるんだから、私たちは専門家として中立的な機能を果たす全体の奉仕者です。」と言う。しかし、そ(税金)の本質というのは、官僚という階級が自分で生き残るためにやっていることです。
 私は竹中平蔵さんと話をしたことがあります。竹中さんは郵政民営化は必要ないと考えていました。ところが小泉さんが「やる」と言った。それで困りました。必要ないのにどうしてやるんだと。それで田原総一郎さんに相談した
「小泉が郵政民営化を『やれ』と言って困っている。やる必要はないと思っている」と。「でも私がやらないと絶対にできないから、理屈を考えるから聞いてくれ」と、田原さんに話したけれど、田原さんはさっぱりわからんというので、別の理屈をつくった。しかし、田原さんに言わせると、学者を連れて行くと難しいこともわかってしまうから、難しいことのわからない政治家がいいと言って、石原伸晃さんをつれていった。彼もやはりわからない。何度も理屈を考えて3回目にようやくわかる理屈が出来た。
 郵政民営化で税金からの支出がどれくらい減ったか。ゼロです。なぜなら郵便局は税金を1円も使っていなかった。確かに郵便は赤字だったが、その分は、郵貯、簡保で補てんしていたからです。税金は使ってなかったから、民営化しても税金は節約できない。
 小泉さんは、あの郵政民営化選挙で、「官僚階級対それ以外の人たち」というに分化を行って選挙に勝ったわけです。
 という具合に話があちこちに飛びますが、面白い話題が満載でした。

SLに乗る

2014-06-15 | 旅行
 
6月13,14日はD社OB会の旅行会でした。8時15分、旧本社前を出発し、バスは名古屋高速、東名道を走り、9時、上郷SAで犬山からくるバスと合流した。今日の宿泊地は、舘山寺温泉だが、浜松西ICを通り過ぎ、掛川ICで高速を降りる。関東からくる仲間をJR掛川駅に迎えるためです。掛川駅で7名の顔なじみが乗り込んできた。これで61名の顔ぶれがそろった。バスは新金谷駅に向かう。初日のメインテーマは。SLに乗ることである。大井川鉄道のSLに11:45乗り込む。C56というSLだ。
「昭和11年の製造です」と車内放送。「小生と同年の生まれだ。「5号車は昭和21年の製造です」。客車についても放送がある。12時45分、汽笛一声出発、大井川に沿って上流に走る。

小一時間、レトロの旅を楽しむ。「昔はトンネルなどに入ると、衣服が煤で黒くなりましたが、今日は無煙炭を使用していますので、その心配はありません」と言う。駅弁が配られ、昼食。11:42下泉駅に着き下車。駅前に回送・待機していたバスに再度乗り込む。新東名に乗って森・掛川ICで高速を降り、可睡斎を見学に行く。

11代和尚が家康の師であったと伝えられる。言い伝えによると、11代目の住職仙麟等膳(せんりんとうぜん)和尚は、幼い徳川家康とその父を戦乱の中から救い出しかくまいました。
 その後、浜松城主になった徳川家康は、親しく和尚を招いて旧恩を謝し、その席上でコクリコクリと無心にいねむりをする和尚を見て徳川家康はにっこりせられ
 「和尚我を見ること愛児の如し。故に安心して眠る。われその親密の情を喜ぶ、和尚、眠るべし」
と申されました。
 それ以来仙麟等膳(せんりんとうぜん)和尚は「可睡和尚」と称せられ、後に寺号も東陽軒から「可睡齋」と改められました。
見学後、袋井ICから浜松西ICに戻り、4時過ぎ今宵の宿舘山寺サゴーロイヤルホテル。

14日は龍潭寺を見学しました。朝、ホテル周辺を散策すると、海岸にはヤシが植えられ、トロピカル風なホテルです。
曹洞宗舘山寺というお寺がありました。
火伏せの神さまを祀るお寺、神仏混交のようです。 
 今朝も良い天気で暑くなりそう。

9時出発。最初に龍潭寺に向かいます。途中気賀という街を通りました。亡き父の言葉によると、小生のご先祖が住んでいた町だそうです。この辺りは「野末」という名字が多いとか。
 龍潭寺(りょうたんじ)は、小堀遠州の庭園で有名な遠州の古刹ですが、井伊大老の井伊家の菩提寺です。

http://www4.ocn.ne.jp/~ryotanji/
昔、井伊家はこの辺りで豪族でしたが、家康に仕え、徳川四天王と謳われ、関ケ原合戦の功により、彦根藩主となったようです。
本堂内の廊下は左甚五郎作と伝えられ、鴬張りの廊下がある本堂に上がり、和尚様の説明を聞く。
見学を終えた後は、浜松名物「うなぎパイ」の工場の見学です。
工場団地の一画に「春華堂」の工場がありました。うなぎを粉末にして小麦粉に練り込み冷蔵庫に寝かす。その生地を取り出してパイに成型する工程が通路の窓越しに見られるようになっていました。
http://www.i-tokai.net/report/palpal/unagipai/index.html
その後、浜松西IC近くのレストラン「さかな屋」で昼食。浜松だから「うな丼」と期待しましたが、通常の和定食。「絶滅危惧種」とかで、簡単に口にはいらない存在になったようです。
昼食後、JR浜松駅に関東の仲間を送る。来年を約してお別れ。浜松西ICに戻りました。東名を走って、あっという間に東郷SAに着き、最後の休憩。名古屋高速黒川ICの出口でバスを下してもらい、4時帰宅しました。



日本はアメリカの属国か?

2014-06-13 | 読書
NHK新書『転換期の日本へ』
ジョン・ダワーとガバン・マコーマック]共著、2014年1月の刊行です。
アメリカの属国である日本の実態、それは見たくない現実ですが、米国とオーストラリヤの学者が語りつくす本です。外国人ですらここまで言うのに、日本人の政治学者は何も言わないのか、と思わせる本でした。最初に筆者の紹介。
まず、ジョン・ダワー
ロードアイランド州プロビデンス生まれ。アマースト大学卒業、ハーヴァード大学で博士号取得。著書に「敗北を抱きしめて」。
アマースト大学時代はアメリカ文学を専攻していたが、1958年に来日し金沢市滞在を契機に日本文学に関心を移し、ハーヴァード大学大学院に進学後、森鴎外の研究で修士号を取得。その後、アメリカ空軍勤務や、金沢女子短期大学の英語講師、出版社編集助手を務める。
帰国後、博士課程では日米関係を専攻し、後に刊行される『吉田茂とその時代』の前半部分に相当する戦前の吉田茂の研究で博士号を取得した。
ネブラスカ大学講師、ウィスコンシン大学マディソン校助教授・准教授・教授、カリフォルニア大学サンディエゴ校教授として教鞭をとり、現職。
ガバン・マコーマック;1937年生まれ・オーストラリヤ国立大学名誉教授。著書に「戦後に恩の大健闘」。「属国―--米国の抱擁とアジヤでの孤立」
属国の実態について。
 サンフランシスコ講和後の60年のあいだに、日本は国力も経済も非常に大きくなったが、この経済大国の中に、いまも戦勝国の占領は、はっきりと目に見えるかたちで残っている。ヨコスカは第7艦隊の母校で、佐瀬保は米海軍の日本における第二の重要施設である。三沢と嘉手納は米空軍の主要基地、海兵隊は沖縄県にキャンプ・キンザワ、キャンプ・瑞慶覧,普天間基地、キャンプ・シュワブを持ち山口県岩国にも基地がある。東京上空は横田の米空軍が支配する。ホテル、学校、ゴルフ場など様々な米軍用施設が日本政府の膨大な補助金でまかなわれている。守屋武昌元防衛庁事務次官が述べたように、「同盟とは名ばかりで、実体はない。現実には米国が一方的に決定する」だけのもの。建前は日本を護るためであるが、米国の防衛と国益の拡大のためだと解釈した方が正しい。ある軍事専門家は「戦略基地としての日本列島はハワイから喜望峰まで地球の半分をカバーしている。米国は同盟国日本を失えば、超大国として世界の指導的地位にはとどまれない」とまで言い切る。

アメリカに逆らう首相はすぐ首になる。マコーマック氏は鳩山首相についてこう述べる。
2009年9月16日。自民党政治とサンフランシスコ体制から(曖昧に)決別することを公約した鳩山政権が誕生した。国の自主権を回復する。東アジヤ共同体を構想する、米国の市場中心の経済政策から距離をおく。官僚主導から政治を取り戻す。米海兵隊の普天間基地を最低でも「県外」へ移設するというという鳩山の姿勢は沖縄県民を興奮させた。
 しかし、鳩山当選をきっかけに、米国から前例のない非難と恫喝が政権に雨霰となって降り注いだ。取り巻きの政府高官たちのあいだには、対米従属主義があまりに深く食い込んでいたので、上層部になればなるほど、彼らの忠誠心は首相でなく、基本的に米国政府に向けられていた。彼らは、米国高官と陰謀的とのいえる秘密のつながりを持ち、米国に対し、「鳩山に柔軟な態度を示さないよう」警告した。特に、沖縄と普天間代替基地をめぐる米国の集中砲火のような批難に対し、日本のメデイヤや政治関係者の反応は、米国に譲歩せよと鳩山に圧力をかけることだけだった。鳩山は、裏切者ともいえる信頼できない官僚と浅はかで無責任なメデイヤに追い詰められ、彼らに立ち向かう勇気と明快な目標を欠いたまま、1年とたないうちに辞任した。
「集団的自衛権」の論議がかますびしい。
ダワーさんの本を読むと、「集団的自衛権」は、自衛隊を米軍の下請けにするため必要なの?
と思ってしまいます。



続・北陸路の旅

2014-06-06 | 旅行
『続・北陸路の旅です』女中さんに続けた。「同級会の会食で、女の同級生がこう言いました。“大牧温泉はテレビのドラマで見たから知っている”って。なんというドラマなの?」と聞くと、「後でフロントで聞きます」。返事がこなかったが、船でしか来られないので、ミステリーの密室設定にはもってこいだから、推理物にとりあげられているようです
 大浴場に行く。湯量は豊富だ。数年前、黒部に行った時のことを思いだした。河原にお湯が噴出していた。この地は、どこでも地面を掘れば湯がでてきそうだ。
お風呂の後、恒例の時々放談(爺放談?)を始める。
小生「消費税アップが始まったので、生活貧困者(地方税非課税世帯)を救うために、臨時福祉金として一人5000円を支給するそうだ。それは良いのだが、その支給対象が2000万人もいるんだって。いつから日本はそんな国になったんだろう」」
「企業統計で、企業の変動費率を見ると、その動きは原油等の購入金額の動きとパラレルに動いている。つまり、日本企業は変動費の増えた分を固定費の低減で乗り切ってきた。固定費の低減は非正規労働者を増やすことで人件費を減らしたのだ。だから、円安で原油の購入額を増加させるのは大問題だ。」
Jさんが言う。Jさんは元TR社の労組委員長だ。
「TR社のOB会に行ったら、社長が来て挨拶したのだが、“今、従業員が1万50000人いるけど、海外が1万人だ”って」
「円安にしたって、海外で生産しているものを簡単に国内にもどすことはできない」
軽四のS社の労組書記長だったSさん。
「インドで、労資紛争があって報道されたが、現役のS社の労組幹部にきいたが“インドは労使双方が、労資協調を理解していない、というだけだった。」
夕食も、お酒がおいしいと、話が弾んだ。
「この酒、“3笑楽”というのだネ。良い名だ。」と、Jさん。「今日はHさんが運転してくれたから、楽だった。広島に行ったときはたいへんだった」
Hさん「あの時、家に帰ってから、“広島まで車を運転して言ってきた”と言ったら、“よく無事だったね”と言われた。」
Jさん「ずいぶんいろんなところに行ったね。箱根のポーラ美術館など、この会がなければ行くことなかった。広島のウサギ島(大久野島)や平山郁夫美術館、あんな遠くまでよく行ったわ。NOZUEさんの企画だから運転しなくちゃ、と一生懸命運転した。」
 あのときは、片道400km、今日はここまで200km程度だから、広島行よりは短いが、ドライバーには、いつも苦労かけていると、反省しました。
 翌朝は9時の船に乗船しました。
 砺波IC入り口で、「源」、ますのすし本舗・富山名産の鱒寿司を作り100余年という店によった。土産の寿司を調達、すぐ高速に乗る。東金沢ICで降りて兼六園に向う。11時半ごろ着く。兼六園上の駐車場に車を置き、入場。兼六園には数回来ているが、来るたびに、こんなきれいな庭園だったか、と感銘を受ける。6月の庭園は見事だった。全員無料入場(65歳以上無料)。





兼六園を見た後、車を出し、「今度は金沢城址公園だ。駐車場を近くに探そうと走り出したが、地元不案内で手ごろな

駐車場が見つからず、結局市営の兼六Pに入れて、石川門まで歩いた。
http://www.pref.ishikawa.jp/siro-niwa/kanazawajou/kanazawa_castle/map.html
が、門の辺りは、すっかり様子が変わっている。Jさんが、「金沢大学って金沢城にあるの?」と聞くので、受付のお姉さんに聞くと、「1995年に大学は移転しまいた」と言う。
 ボランチアに案内を頼む。「どちらから?」、「「名古屋からです」、「あぁ、親元からですか」
 確かに、前田利家は名古屋市荒子の出身だ。「30分にしますか?15分にしますか?」と言うので「時間があまりないので、15分にしてください」、「じゃこの辺りだけと、石垣の説明。
「昔は雷の所為で、大火が多かったのです。屋根のかわらが鉛製で、石垣に鉛の溶着の跡が見られます」
 「この地は冬に雷がおおいのですよ。」河北門に上がり、「ここは武器蔵として使われました。これが鉄砲狭間、「当時堀の幅は55m、鉄砲の距離が50mでしたので」と、再建された長屋門を説明。「120億円をかけました。国の補助金が80億円です。公園にすれば3分の2の費用が国から出るということで“金沢城址公園”になりました。」
 駐車場に戻り、「さぁ、どう行こうか」、「今の兼六下の交差点を左に行けば、片町、香林坊の通りに出るから、左折して犀川大橋、最初の信号を右折すれば、金沢西インターにぶつかる」と小生。ところが、駐車場の出口で、右に兼六の交差点がみえるのだが、一方通行で右に行けない!それから、左折してぐるぐる走っているうちに道がわからなくなる。苦労して8号線にたどり着き北陸道の高架を見つけた。8号線は高架に沿って走っている。やっと西インターにたどり着き、北陸道に上がる。
 南条SAで休憩。後は米原、羽島まで一気に走る。米原を4時半、羽島を5時に出て、西岐阜駅に5時半でした。昨日、今日450kmのデミオの走りは快調でした。高速料金は東海北陸・北陸道とぐるっと回って10200円でした。名古屋駅でJさん、Sさんと別れ、帰宅は6時半。テレビニュースが、梅雨入りを伝えていました。「雨に降られずに良かった!」
 以上、マツダデミオの北陸の旅でした。

北陸路の旅

2014-06-05 | 旅行
昔からの友人4人と北陸路の旅です。
6月3日、JR西岐阜駅に10時集合しました。岐阜のHさんが愛車のハッチバックのマツダデミオに乗って現れました。
http://www.demio.mazda.co.jp/feature/?link_id=dmlnv
早速乗り込んで雑談が始まる。
「やはり、車も昔務めていた会社に愛着があるの?」。「いや、そういうわけではないけど。昔の友人が販売店にいて“こういう車が出たが買わないか”、と電話してくるからね」
「MAZUDA自慢のエンジンを搭載してるとか。圧縮比が13を超えるそうだね」
がやがや話しているうちに各務ヶ原のICに来た。東海・北陸自動車道に乗る。
関・美濃を通過する。
小生「この高速が開通したとき記念のマラソン大会が開かれて出場完走しました。57歳の時ですからもう20年も前になります」。美濃ICから美並村村内をまわっての往復42.195kmでした。
郡上八幡を過ぎると「日本一危険な高速だよ」とJさんが言う。
 中央分離帯がないのです。ゴムのポールが並んでるだけ。「道がまっすぐで運転が単調だから、居眠りの危険がある。対向車のドライバーが一寸居眠りしたら、こちら側に飛び込んでくるかも?」
ひるがの高原で休憩を取った後、岐阜・富山の県境に近づくと、トンネルが多い。トンネルの中に高速があるみたい・。
北陸道との合流点にある砺波が近づく。小矢部砺波ジャンクションで北陸道に転じ。砺波ICで高速を降りる。156号線を走りながら。「ぼつぼつ昼食レストランを探さねば」といっているうちの井波の街に入った。
http://www.tabi-nanto.jp/inami/
、瑞泉寺というお寺がある。浄土真宗東本願寺の井波別院です。
とりあえず駐車場に車を置き、観光案内所で聞くと「茶坊主」という蕎麦の名店がある」と言う。場所を聞く。ところが行ってみると、CLOSED。「朝、仕入れた材料が終われば、閉店させて頂きます」とあった・「仕方ない」古い街並みを歩いて別のレストランに行く。メニューに「正太郎御ぜん」があったので頼んでみる。みなさんは「てんぷら蕎麦」をオーダーされた。「正太郎御ぜん」は、要するにてんぷら定食だったが、この地は小説家の池波正太郎にゆかりの地らしい。彼の父祖の地だったらしく度々この地を訪れた、「正太郎ふれあい館」という博物館もあるらしかった。
 昼食後、「せっかく井波まできたのだから、瑞泉寺に行こうと、古い街並みを歩き始めた。残念ながら、カメラを車のトランク内に置いてきてしまったが、江戸時代を思わせる街並みは、カメラの好対象だなと思いました。
http://www.geocities.jp/inamibetuinzuisenji/
境内には。親鸞上人の銅像が建っていた。
300円の入山料を払い、本堂に入ったら、住職が法話をしていた。
「作家んの五木寛之さんが、先日お出でくださいました。寺のおせんべいを差し上げたら「こんなおいしいおせんべいは初めて」とお言葉を頂きました。そのおせんべいは、そこの売店で販売をしています」と、商売にも熱心だった。
山門を降りて門前町で田舎饅頭を買う。
 今日の宿は、大牧温泉、船で行く温泉旅館として有名だ。船の時間は、インターネットで、3時、4時半と確認したつもりだったが、3時、小牧ダムの船着き場に行ってみると、2時半に出て、次は4時だという。私のミスだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E7%89%A7%E3%83%80%E3%83%A0
時間が余ったので、水記念公園(下)に行ってみた。

4時に戻ると、観光バスが来ていて観光客で賑やかだった。船の料金は往復¥2800、車は船乗り場の駐車場に置き、乗船する。水量の豊富なダムだ。3

0分ほどの船旅で旅館に着く。

崖に張り付くように建物が建っている。
担当の女中さんが部屋に案内してくれた。大きな旅館で、旅館内で迷子になりそうだ。
「虫が部屋に入ってきますか」と私が聞いてみた。
「先日、高校の同級生と食事をしたとき、“今度、大牧温泉にいくのだが・・”と言ったら、
「大牧温泉!以前、行ったことがあるが、ヘコキ虫がたくさん来て閉口した」と言っていたのだ。「何年前の話?」と聞くと「20年前」と言う。 女中さん「ムシはどうしてもはいってくるから、窓を開け放しにしないでください」と言う。(つづく)

6連覇ならず

2014-06-02 | 水泳
6月1日は、名古屋マスターズ水泳大会でした。
この大会、過去5年間100mバタフライの年齢区分で優勝しています。6度目の快挙はなるか、朝8時に家をでました。まだ6月と言うのに、真夏の暑さで、身体がだるく泳げるかどうか自信がありません。それに、木曜日から、体調が悪い。首の痛さが再発したのです。
 木曜、いつものプールでバタの練習をしていたら、顔なじみのガールフレンドがきて「どうしたの?いつもの泳ぎとまったくちがうじゃない」と言う。確かに泳ぎがすごく重い。いつもは100m泳いでもそんなにきつくはないのに、息も絶え絶えになる。コーチが来て「少し休まれたらどうです?」と言う始末。
だから、今日の大会はヤバイナと思っていた。それに数日来の暑さで体はすっかりへばっています。とりあえず、会場に行き、練習プールで泳いでみて、「泳げないようだったら棄権しよう」。練習プールでも人が増えてくるとバタフライは泳ぎにくいと、朝一番に出掛けました。会場に着くとまだ9時前で、プールは開いていません。10分ほど入り口で並んでから入りました。
 受付でプログラムを貰いました。100mバタのリストを見ると、小生は1組1コース、75歳区分は小生だけ。泳ぎさえすれば6年連続の優勝だが・・
 着替えをして、練習プールに行きました。子供が大勢泳いでいました。どこか中学の水泳部の練習らしい。朝早く一般開場の前に中学の水泳部が練習しているようだ。全員バタフライを泳いでいます。「ああいうふうに泳がないといけない」。全然腕の回転速度が私とは違う。プールサイドのベンチに腰を下ろしてみていたら、先生らしき人が来て挨拶してくれた。「どうもすみません。終わりますから、どうぞ」と言う。中学生が引き上げ、早速バタフライを泳いでみた。やはりだめだ。50mは泳げるのだがターンしての戻りがメチャクチャきつい・「これはダメだ」と思った。
 あきらめてプールを上がった。
 観覧席に行き。「中日SC」の文字を見つけた。荷物は置いてあるが、人はいない。「練習にいっているんだ」とそこに腰を下ろし、チームメートを待った。
 チームキャプテンのKさんが来た。「今日はどうですか」
「申し訳ないが、今日は棄権です。一人しかいないから泳げば優勝ですが・・」
「それは残念ですね」と、プログラムをめくりながら「50mになると大勢いますが、100mはいないですね」。実際、過去3年間に愛知県の75歳以上で、100mバタを完泳したのは小生ひとりだから、極端に少ない。棄権するのは残念だが、プログラムの「主催者からのお願い」欄には、「体調が不十分の場合や不安を感じる場合は、出場を見合わせる勇気をお持ちいただきますようお願いします」とある。年々体力がおちてくるが、もう一度身体を鍛え直して9月のレインボーカップの連覇を狙うことにしよう。
と、参加賞のバスタオルだけで帰ることに。ロビーに行くと、「血管年齢を調べましょう」、「脳年齢を調べます」というコーナーがあった。「脳年齢」の方に座ると、「満年齢は?」「77歳8か月」。お姉さんが77とインプットすると、画面が動き始める。たくさんの数字が動く中1を見つけて押す。「次は2を押して」との説明。「2」「3」と次々に押して脳と指の反応速度を調べるシステムだ。「あなたの脳年齢は71歳!」と出て終わった。「まぁ、認知症の心配はまだない」ということか。次に血管年齢。指を突っ込むと画面にグラフが出て、最後に血管年齢は「70歳!」と出た。お遊びです。午前中に帰宅しました。
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