古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

桜開花宣言の日のウオーキング(2)

2012-03-31 | 旅行
散歩道はよく整備され、大きな石垣は見事です。
亀が甲羅を干し、大きな(1尺ほど)魚が沢山泳いでいました。
 石川橋で左折、昭和美術館。ここは茶道具の美術館だが、本日は休館だった。南山の学園地帯(中学・高校・大学)の間を通り抜け隼人が池公園に出た。1646(正保3)年に犬山城主成瀬隼人正によって作られたことから名付けられたという。
池畔中央の浮見堂で昼食。
1時すぎ大通りに出て八事へ。興正寺は直ぐでした。
五重の塔は木造の重要文化財。高さ30mとか。円照堂の回廊から一望して写真を撮った。往年の寺の賑わいを思わせる景観だ。そういえば、中京大学・高校の中京学園は興正寺が始めたようだし、南山学園も宗教法人が始めた。学校教育は宗教法人と関係があるらしい。
帰りは地下鉄八事駅から一直線で名城公園駅。2時半帰宅しました。
夕方のニュースが、名古屋地区の「桜開花宣言」を伝えていました。
来週は満開、見ごろですね。

桜開花宣言の日のウオーキング(1)

2012-03-31 | 旅行
 30日は住宅シニアクラブのウオーキングに出かけました。9時半前、エレベータホールに行くと、皆さんもう集まっている。男性3名、女性5名です。30日には桜が咲くだろうと、山崎川のお花見を企画したのですが、今年は、彼岸過ぎても寒さが終わらず、桜が見られない?寒い花見になりそうだから、集まってくれるかなと心配していました。
 朝は肌寒かったのですが、気温が上がってきました。
 名城公園への道すがら、白木蓮(いつも桜の前に咲く樹です)が開花しているかな、と見ると、昨日までは蕾でしたが、開き始めています。
名城線右回りに乗って新瑞橋で下車。4番出口を出て、「さぁどっちかな」と地図を見る。
 地図はインターネットからダウンロードした3年前の3月「駅近ウヲーキング」の地図です。
「市バスターミナルの方だ」、「バスターミナル、あそこにあるわ」。
山崎川にかかる落合橋が直ぐ見つかりました。
 山崎川は、平和公園の猫が洞池に源を発し南西に流下して名古屋港に注ぐ。川沿いの「四季の道」散策路を歩き始めました。ここは、日本さくら会選定の「さくらの名所100選」の一です。
 「まだ、蕾だね」
山下橋、可和名橋左右田橋、萩山橋の近くの小公園で休憩。
 再び歩き始めると子どもの銅像がある。
近くの人が「今年は寒いだろう」と考えたのか、手袋を着せていた。
かなえ橋から鼎小橋までは夜間照明用か、ランタンや投光器が備えられていた。
 石川橋までの2.8km、630本余のソメイヨシノの並木。来週あたりの全開には、さぞ賑やかだろう。
(続く)

はやぶさⅡへの期待

2012-03-27 | 読書
 次は『生命は宇宙からやってきたか』
  DNAをRNAが転写して、そのRNAが蛋白質を作り、蛋白質が細胞を造る。その細胞の核にDNAが入っている。この場合、DNAが蛋白質を作ったと考えるか、蛋白質がDNAを作ったのか?卵が先に出来て鶏をつくったのか、それとも鶏が卵を作ったのか?“DNAが先か蛋白質が先か”は、生物学者の間で注目されているテーマです。

 ここに「RNAワールド」なる仮説が登場する。「蛋白質とDNAの情報をつないでいるRNAが主役だ」というもの。DNAの遺伝情報はいったんRNAに写し取られ、そのRNAが細胞核から細胞質へ流れ出てきて、タンパク質合成が行われる。この場合、RNAはメッセンジャーでそれ以上のものでないと思われていた。DNAは二重らせん構造をしているが、RNAは一本の鎖で折りたたまれて特別な立体構造をとりうる。蛋白質はアミノ酸の鎖で折りたたまれ、これまた特別な立体構造になり、その構造体が酵素になり触媒機能を果たしたり、筋肉の機械的運動を生み出したり、細胞内の骨格を作ったりする。
1980年代初め、RNAを研究していたチェック博士、ある種のRNAも、立体構造のとり方しだいでは蛋白質に似た触媒機能があることを見つけた。これは実に大発見だった。酵素のような触媒となるのは蛋白質だけだと考えられていたからです(チェック博士はこの発見でノーベル賞を受賞)。
つまり生命の初期段階では、RNAが情報を担い、同時に酵素機能を担うような一人二役だった。その後、情報の保全にはより安定したDNAが生み出され、酵素のような細胞機能には蛋白質が作られた。という「RNAワールド」なる概念が誕生しました。
 ところで、地球の誕生はおよそ46億年前である。生命誕生は38億年前だ(というのが現在の学説)とすると、(生物は細胞からなると考えると)無細胞の時代は8億年だったことになる。
これは長いようでいて、生命の歴史全体から俯瞰するとあまりにも短い。生命とは合成と分解の絶え間のないサイクルであり、・・・サイクルを回し続けながらバランスを維持し、少しずつ変容して進化を遂げる。最初の細胞ができてから細胞内小器官が生まれ、さらに細胞が分化し、多細胞化を果たし、植物や動物が出来るのに38億年を要した。
筆者によると、生命とは“動的平衡を維持する存在”であり、“動的平衡を維持する”ことよりも、最初の“動的平衡を生み出すこと”がはるかに困難。RNAが生命の源になる動的平衡を生み出すためには、目も眩むようなトライアル・エラーの繰り返しがあったであろう。そのための時間として8億年はおそらくあまりにも短い。
一つの仮説がある。宇宙のどこかで生命に必要な動的平衡が作りだされ地球に漂着したという考え方(パンスペルミア説)。この仮説に従えば、宇宙の歴史は150~200億年前のビッグバンにまでさかのぼるので、動的平衡誕生までの試行錯誤の時間的猶予があったことになる。
有機物が存在する可能性がある地球近傍惑星への打ち上げが計画されている「はやぶさⅡ」(2014年打ち上げ2020年帰還)への期待大である。

『パレートの法則

2012-03-26 | 読書
『動的平衡2』(福岡伸一著、11年12月刊木楽舎)という本を読んでいます。「きらくしゃ」という出版社のネーミングが面白いですね。 
“働きアリに見る『パレートの法則』”という章がありました。
『働かないアリに意義がある』(メデイヤファクトリー新書)という面白い本がある。私たちはアリを働き者の代名詞のように思っているけれど、実は彼らの2割くらいは働かずに遊んでいるというのである。
著者の長谷川英祐氏(北海道大学大学院准教授)のグループは、シワクシケアリを研究素材にした。
「7つのコロニーを野外から採集して、1匹の女王と150匹の働きアリからなる実験コロニーを作りました。すべての働きアリを個体識別できるようマーキングし、1ヶ月間すべての個体の行動を1日に3回ずつ記録しました。1ヵ月後、働きアリごとに記録を集計し、仕事をしていた割合を計算しました。
「結果、すべてのコロニーで、働きアリごとに仕事をしていた割合が大きく違っており、ほとんど何もしていない『働かない働きアリ』から、観察された行動の9割以上が仕事であるような『よく働く働きアリ』まで幅広くいる」
 研究グループは「働く、働かない」がそのアリに与えられた天性の資質なのかどうかを確認する。
「次に実験の第二段階として『よく働く』30匹の働きアリを残すコロニーを三つ、『働かない』30匹を残すコロニーを四つ作り、女王とともにさらに一ヶ月飼育観察しどうなるかを調べました。働くアリだけを選抜したコロニーも、働かないアリだけを残したコロニーでも、やはり残された個体は一部が働き、一部はほとんど働かないという、元のコロニーと同じような労働頻度の分布を示すことがわかった」
 「働く、働かない」は、天性のもの(つまり遺伝)ではなかったのである。長谷川氏は、この観察結果について「パレートの法則」が「少なくともシワクシケアリの世界では実在する現象だった」と述べている。
 「パレートの法則」とは100年ほど前に、イタリヤの経済学者ヴィルフレッド・パレートが発表した経済法則で「社会の富の8割は2割の高額所得者に集中し、残りの2割の富が8割の低所得者に配分される」というもの。
 以後、この法則は多くの社会現象や自然現象を語るのに使われ「会社の売り上げの8割は、従業員の2割が生み出している」などと言われる。その原因は?
「仕事への反応性の個性のせいだと考えられます」。働かないアリを集めて作ったコロニーでも、相対的に反応性の高いアリが、働くようになる。
 書名が示すように、長谷川氏は「その働かない2割のアリにも意義がある」と指摘している。「2割くらい遊軍を常に準備しておく」という仕組みは「いざ」というときには役立つだろうが、いつ「いざ」がやってくるかはわからない。すぐかもしれないし、遠い将来かもしれない。
しかし、現在のダーウィニズムの枠組みでは、遠い将来に役立つかもしれないことを、生物が、あるいは生物の集団が、あらかじめ予定して準備しておくことはできないと考えられている。なぜなら、その仕組みは、その世代において機能しない限り自然選択の対象になりえないからである。
 それゆえ、生物の集団が、見かけ上、未来に起こりうることを想定して、それに対応した仕組みに進化させているようにみえる、この観察事実は、新しい生物学、新しい進化学を考える上でとても刺激的な問題提起なのである。(続く)

政府の原子力スタッフ

2012-03-22 | 経済と世相
今朝(21日)の日経オンラインで、3.11について菅前首相が語っていた。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20120316/229865/?mlp
菅さんの3.11対応についていろいろ批判はあるが、ここに述べられていることは、概ね妥当だと私は思います。
 問題は、政府の原子力スタッフがまったくダメだったことだ(だからと言って、菅総理に責任がなかったとはいえない。どんな場合でも、首相は結果責任を負うべきだから)。
 不思議でならないのは、これだけの大事故を起こしても、原子力安全委員も、安全保安院の委員も誰一人責任を取って辞任する人がいないことです。
 本人たちが辞任しなければ、政府が解任すべきなのに、民主党政権は解任のカの字の発言もない。
 大飯原発再稼動が問題になっているが、こんなに無能な原子力安全委員や保安院が再稼動可否を判断して大丈夫だろうか。
3月20日の中日朝刊が、原子力安全委員会の委員長について記述している。

『客観的であることと傍観することを履き違え、なんら恥じるところがない』と 原子力安全委員会の斑目春樹委員長。無責任な発言をくり返し「デタラメ」とやゆされた東大OBだ。
 事故直後の対応を聞かれた国会の原発事故調で「1週間寝ていないので記憶が飛んでいる。(官邸に)どんな助言をしたか覚えていない」と、当事者とは思えない言い訳をして、周囲を唖然とさせた。
「原発に反対し続けた京大原子炉実験所助教の小出裕章さんが、講演のたび『原子力にかかわってきた者として謝罪したい』と繰り返しているのに比べると、驚くばかりの傍観者ぶりだ」

この仁、原子力業界から寄付金を受けていることがばれても「寄付金を受けることで、安全委員会での私の発言・判断が影響を受けたことはありません」と平然としていた。

 がれき問題もそうです。瓦礫を全国の自治体に運搬して、放射能汚染は大丈夫だろうか。安全委員会は何も発言していない。まったく無責任です。
 勿論、全部の瓦礫が危ないとは私も思わない。原発から遠い地域なら多分大丈夫でしょう。政府はどこの瓦礫の放射能が危険かの基準を示さないといけない。(福島県の瓦礫だけは持ち出さないと言うらしいが、そんな単純な区分でいいはずがない。水素爆発した時の風向きを調べてどの地域にどんな放射能物質が飛んだかを調査する必要があると思う)
 一番安全なのは、現地近くに大規模な瓦礫処理工場を政府の金で建設して、現地で処理すること。金は原子力予算を凍結すればいくらでも出せる。
 事故から1年が過ぎたのに、安全委員会は何も発言しないし、政府はなんの行動もしない。政権と、政権の原子力スタッフの無能力には唖然としています。

継続のみが人間を人間たらしめている

2012-03-21 | 素晴らしき仲間たち
 曽野綾子さんが、週刊ポストの3月23日号に老後の生き方について述べていた。
【私も骨折にかけては年相応の経歴を持つことになった。64歳と74歳の時に左右の、足首ばかり折ったのである。・・・
 64歳の怪我の時にも既に、よほどリハビリをちゃんとやって動けるようにしないと、杖をつくか車椅子になるか、寝たきりにはならないまでも頭がぼけるかもしれないし大変ですよ、という注意は受けた。幸いにもその時私は聖路加病院に運ばれていたので、日野原重明先生にお会いして、「手術後少しも体を労わらなくていいですよ」と言われた。・・・
 それから10年後、またもや足首を折った。怪我の直後両足のレントゲン写真が撮られたから、今度の怪我は前の時よりもう少し悪いですよ、と言われた。夫はその時、私がもうこれで立ち上がれないだろう、と思ったという。
 私はめちゃくちゃな性格だった。折れた部分は少し歩くとてきめんに腫れたが、私はその結果を気にしないことにした。とにかく人間の体というものは、使わないとだめになる。私は料理が好きなのだが、2週間外国を旅行していて台所に入らない生活を続けると、帰宅後カップラーメンの作り方の手順まで忘れている。継続のみが人間を人間たらしめている、と感じることが多い。
 家族や友人たちは、私が足の使い過ぎで、いつまでも痛みが取れず、腫れも続くのだと言った。そうかもしれないのだが、あの時「御身ご大切」な生き方をしていたら、私は今の程度にまでも歩けなかったろうと思う。】
もう一つ。
【厳密にいうと、今でも私の足は完全ではない。怪我の後、朝起きると私は体中が痛くてたまらない日ができた。しかし痛み止めをたった一粒飲めば、痛みは劇的に取れる。だから朝8時以後に私に会った人たちは「お元気ですね」と言ってくれる。その少々偽のお元気が、どうやら一日中続くのだから、私はすばらしい時代を生かしてもらっているのだ。】

『継続のみが人間を人間たらしめている』、我が意を得た思いです。

加齢と体力低下

2012-03-13 | マラソン
マラソンの話題をもう一つ。
10年前までは、ハーフ2時間は楽々でした。それが、65歳過ぎて2時間を切れなくなり、74歳以後は2時間20分も難しくなった。走っている本人の意識としては、同じように走っている。わざとゆっくり走るつもりではないのですが・・・
何故、齢を取ると早く走れないのか?以下、私の仮説です。
走るエネルギーは、筋肉細胞の中の化学反応で作り出す。その科学反応の進行速度、いわゆる代謝の速度が遅くなる。いうなれば、細胞の中の時間の流れがゆっくりになる。
http://blog.goo.ne.jp/snozue/d/20111230
 だから、時計の時間は2時間でも、細胞の時間は例えば1時間40分、ということが起きる。
 そして、ハーフは時計の時間では、2時間だったのが、2時間半かかるということになる。・・と考えているのですが、どうでしょうか。
 スポーツ医学での、加齢に伴う体力減少の有力な学説は「筋肉繊維の減少」と理解しますが、どうも、それだけでは説明しきれないと思います。
 私の場合、体重変化は10数年、まったくないし、体脂肪率の上昇もありません。
筋肉が減れば、体重が減るか、その分体脂肪が増えると思うのですが、それはないのです。
 少なくとも、65歳以後のマラソンのスピードの低下(ハーフの2時間が2時間半になるということは20%の速度低下)を筋量の低下だけで説明できないと思います。
 と言って私の仮説が正しいと主張するつもりはありません。
そう考えると、私の体験をうまく説明できると愚考しているだけです。
 加齢に関する科学は、まだ十分解明されていない分野なのでしょうね。


名古屋マラソンを走る

2012-03-12 | マラソン
 11日8時前、名城公園駅から地下鉄に乗りました。「なごやドーム前行き」です。普段は、「大曽根行」と「名城線右回り」だけですが、ドームにイベントがあると、「大曽根行」はもう一つ向こうの「ドーム前行」になります。超満員でした。8時10分、ドーム前駅で降りると、駅のトイレに長蛇の列、大規模のマラソンではトイレがランナーにとって一番の問題ですから、直ぐトイレに並びます。駅を出ると、「ランナーの方はゼッケンを見せてください」とスタッフがマイクで大声を上げている。
 ゼッケンはシャツに付けてバッグの中だ。仕方ないから道端に寄り、上半身裸になってシャツを着た。ゼッケンの点検を済ませて、歩き出したら、直ぐ荷物運搬用のトラックが10台並んでいる。私はNo10のトラックを指定されていた。10台目の傍に行くと、「8時半までに預けてください」と言う。
スタートは10時頃だから、今からシャツ1枚と短パンでは、寒くてキツイと思ったが、「ドームの中にいれば暖房が効いているだろう」と着替えして荷物をトラックに載せた。
その後、ドームの入り口まで行くと「選手はドームに這入らないでください。這入ると9時半まででられません」とスタッフのマイク。
 「10時スタートなら9時半まで中にいようか」と思ったが、「中だと女子マラソンのスタートが見られない(ドーム外でスタート)」と中を諦め、駅とドームを結ぶデッキの道で、日向ぼっこしながら見ていたが、寒かった!
 1万5千人のスタートは凄い!それにしても、42kmを走ろうという女性が1万5千人も集まるなんて、日本の女性は強くなりました。因みに1.5万人は女子マラソンでは世界最大とか。
女子マラソンのスタート後、見ると、イーオンが開店している。店の中なら暖房がきいているだろう、と店に入りベンチに越を下ろして時間を待ちました。10時15分前、そろそろスタートラインに並ぼうと外に出た。小生のゼッケンは「P37970」で、頭のアルファベットの看板の位置に並べという。ところが「P」は一番後。それで分かりました。
 ゼッケン番号は、申し込みのとき「何分で走るか申告させ、その申告タイムの潤に番号をつけ、番号順にアルファベットの看板が並んでいる。私は2時間半で申告したから、最後のグループ。ハーフだけの最後ならいいのですが、10kmも同時スタートで、10km組の一番遅いグループも一緒だから、前に遅い人がいると走りにくい、おまけにハーフと10kmだと2万人のスタートになる、と思ったが、今さら仕方がない。
 10時10分スタート!だけど全然走れない。歩いてスタートラインに着いたのが10分4秒だった。走り出したが、前の人に足が当たりそうで走りにくい。しかし、雲一つない青空で風がない。名古屋は春先風が強いのだが、今日は、無風に近い。これはありがたかった。
 1kmの標識で腕の時計をみたら17分。1km7分でしか走れない。
 今池、桜山を通過、瑞穂区役所辺り、7kmで、58分だった。7kmを1時間で走られれば3倍の21kmは3時間で走れる、と完走を確信した。
 新瑞橋(あらたまばし)までくると、10km組は左折して瑞穂運動場のゴールに向かう。ハーフは右折し、妙音通を堀田に向かう。これからはハーフ組だけで走るから自分のペースで走る。10km手前、ブラザー工業本社前で折り返す。新瑞橋に戻り左折、北に向かう。道路サイドのガソリンスタンドは162~3円になっている。今池を過ぎて内山町で左折。桜通り(100m道路)を西へ。反対側は、女子のフルマラソン組がどんどん走ってくる。しかし、道路幅が広いので、選手の表情までは分からない。腕の時計を見て、これならネットで2時間半ぐらいでいけると考えながら走り続ける。
 伏見通りで「あと1km」の表示。左折して白川公園の横でフィニッシュ。女子フルマラソンの前半のコースを走ったことになります。腕の時計は2時間38分52秒。スタートロスを引いたネットタイムだと2時間29分50秒。まぁ、2時間半で走られれば上出来だと思った。この齢で最後まで走り続けられたのですから、満足です。
公園に入り、記念のタオルを貰い、ランナーズチップ(胸につけたタグ)を返却。荷物を貰い(受け取り場所もたいへんな混雑)着替えしながら、空腹を感じた。「そういえば新聞にはバナナ何万本を用意したとあったが、バナナの顔をみなかったな、速い連中が食べてしまったかな」
出口でミネラルウヲーターとバナナを一本ずつ配っていました。ずいぶん大きなバナンでした。数万本用意してもランナーも数万人ですから、1本ずつに納得!
地下鉄に乗り、名城公園に戻ると、2時でした。大通りはまだフルのランナーが、ぞろぞろ走っています。スタートからもう5時間近いから疲れているだろうな、今頃ここだと、ドームは制限時間ぎりぎりじゃないかな」
帰宅して遅い昼飯を取り、予約録画してあった女子マラソンを見ました。10数年ぶりに外国人に優勝をさらわれましたが、尾崎の第2位、中里の第3位は立派!野口選手の4年ぶりのマラソンの頑張りは凄かった。久しぶりに見応えのあるマラソンでした。
マラソン漬けの一日でした。

名古屋マラソン前日です

2012-03-10 | マラソン


 昨日午後、、雨の中、いつものプールに出かけました。東区スポーツセンターです。

1階がプール、3階は図書館ですが、今日はプールで泳いだあと、2階へ行きました。

11日のシテイマラソンの受付が、9日、10日の二日間、2階で行われているのです。

ゼッケン引換証を、ゼッケン番号別になっている受付に提示すると、ゼッケン、タグ(ゼッケンに付けて、スタート・ゴールの信号をコンピュータに送信する)、選手名簿、荷物入れのバッグ(スタート・ゴールが別地点になるので、スタートで着替え・荷物を預けてゴールまで運んで貰う)、荷物袋用ステッカー・胸に付ける「東日本がんばれ」のシール等をまとめた袋と、スポンサーのメナード化粧品の粗品を貰いました。

会場出口では好みのサイズのTシャツを受け取りました。

例年11月23日に行われていたシテイマラソン、今年から国際女子マラソンと一緒にマラソン・フェステバルとして3月第2日曜になりました。

女子マラソンはエリートランナーだけでなく市民ランナーも参加して女性1万5千人

(世界最大規模の女子マラソンだそうです)が走ります。9時10分のスタートで制限時間は6時間。

シテイマラソンの方は男性9362名、女性6621名、10時10分のスタートで3時間の制限時間。

コースは女子フルマラソンの前半のコース、すなわち名古屋ドームをスタートして白川公園のゴール迄走ります。

そのほか10kmが1万3千人ぐらいですから、まさに、マラソン・フェステバルです。

今回の女子マラソンはオリンピック代表選考の大会にもなりますので、

野口みずき他、尾崎・赤羽・大南姉妹・ヌレデバなどの有名選手が出場するとのこと。

当日の市内は、応援の人波であふれることと思います。


 名古屋シテイマラソンは11年前に走って以来です。これまで制限時間が1時間55分でしたから、65歳を過ぎてからはとても2時間を切れなくなって、出場を諦めていたのです。

今回は3時間が制限ということで、ならば出てみようと出場を決めた次第です。

とは言え、寄る年波は争えず(何しろ喜寿のマラソン)、

とてもマラソンというようなスピードでは走れません。ジョギングです。

でも名古屋の目抜き通りを走る機会は他にないと思いますので、完走さえ出来ればいいと走ります。

因みに近年の春先のハーフの記録を調べてみました。

2010年 玉名(熊本)マラソン 2時間16分22秒

2011年 淀川マラソン     2時間26分47秒

今年は2時間半だったら上出来かな?