古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

真説・企業論

2017-10-30 | 読書

 

中野剛志さんが「真説・企業論」(講談社現代新書2017年5月)を著したと、週刊誌の書評欄に紹介されていたので、大学図書館で見つけて借りてきた。本の要点は、「おわりに」にまとめられていた。

 ベンチャー企業とイノベ-シヨンについて、これまでの議論で明らかになった事実を5つのポイントにまとめる。

①    アメリカはベンチャー企業の天国ではない。

・アメリカの開業率は下落し続け、この30年間で半減している。

・1990年代は、IT革命にも拘わらず、30歳以下の企業家の比率は低下し続け、特に2010年以降激減している。

・一般的に、先進国より開発途上国の方が企業家の比率は高い傾向にある。たとえば生産年齢人口に占める企業家の比率は、ペルー、ウガンダ、エキアドル、ヴェネズエラはアメリカの2倍以上です。日本の開業率も高度成長期には現在よりもはるかに高かった。

・アメリカの典型的なベンチャー企業はイノベーイブなハイテク企業ではなく、パフォーマンスも良くない。企業家に多いのは若者より中年男性である。

・ベンチャー企業の平均寿命は5年以下で、うまく軌道に乗るベンチャー企業は全体の3分の1程度です。

②    アメリカのハテク・ベンチャー企業を育てたのは、」もっぱら政府の強力な軍事産業育成策である。

・シリコンバレイは軍事産業の集積地である。

・アメリカ政府は、軍事産業育成の一環として、ハイテクベンチャー企業に公的な資金の供給を行ってきた。

・ITは、ハイテクベンチャー企業の隆盛をもたらしたがそのITは、インターネットをはじめとして、軍事産業から生まれた。

・ベンチャーキャピタルというビジネスモデルは、軍に由来する。

③    イノベーシヨンは共同体的な組織や長期的に持続する人間関係から生まれる。

・個人を生かすのは、共同体的な組織や長期的に地蔵する人間関係である。

・イノベーシヨンの推進力となるのは、営利目的を超えた組織固有の価値観である。

・イノベーシヨンを推進する最大・最強の組織は国家である。

④    アメリカは1980年代以降の新自由主義的改革により金融課やグローバル化が進んだ結果、この40年間、生産性は鈍化し、画期的イノベーシヨンが起きなくなる「停滞」に陥っている。

・金融化は企業の短期主義を助長し長期的な研究開発投資を忌避する傾向を強める。

・金融化により、ベンチャーキャピタルは投機による短期的な利益を狙うようになりリスクマネーを供給する主体で亡くなった。

・グローバリゼーシヨンは人材や技術のアウトソーシングに拍車をかけアメリカのイノベーシヨンを生み出す力は空洞化した。

・短期的な利益追求はイノベーシヨンを阻害する。にも拘らず、アメリカのビジネス・スクールは短期的な利益率の向上ばかり教える。

⑤    日本は1990年代以降、アメリカを模範とした「コーポレント・ガバナンス改革」を続けた結果、アメリカ経済と同様、長期の停滞に陥っている。

・の異本の「コーポレイト・ガバナンス改革」は金融化やグローバル化を推進し、日本企業を短期主義的にした。

・「コーポレイト・ガバナンス改革」によって、日本はイノベーシヨンが起きない国へと転落する。

 

もしあなたがベンチャー企業の創業者になったら、「会社を大きくする」、「利益率を高める」ではなく、「会社の寿命をできるだけ長くする」。もっというなら、「会社を老舗にしてみせる」という志を立てるべきです。イノベーシヨンを殺す病の現況は短期主義にあります。

日本の20年にわたる構造改革による金融化や短期主義について、批判し続けた学者がいます。

ロナルド・ドーアです。2008年のリーマン・によるアメリカ金融資本主義の破綻が明らかになると、ドーアは「金融が乗っ取る世界経済」(中公新書)http://philosophy.hix05.com/Economy/ideas/idea102.door.html

を著し、日本的経営の長所を改めて説きました。


勝ち続けるアメリカ経済 一人負けする中国経済』

2017-10-23 | 読書

中国では、今5年ごとの共産党大会が開かれている。習主席の発表する方針や人事が注目されていますが、中国が今後どうなるか、勉強してみようと、本を探してきました。

『勝ち続けるアメリカ経済 一人負けする中国経済』(武者陵司著、2017年8月講談社α新書)です。

トランプ新政権の経済政策で、成長加速とドル高・円安はアベノミクスにとって臥龍に点睛を入れるものになろう。トランプ政権下で進むドル高は、国際的ドル不足によって生ずる。おそらく10年後にアメリカは経常黒字国になる。

 そうなれば、これまで経常赤字で世界中にドルを供給してた流れが止まり、ドル不足が生ずる。ドル建て債務を抱えている国には不利になるが、ドル建て債券を持つ国は有利になる。

 アメリカ国債も含め、ドル建て債券を持っている国はどこか、日本です。ちなみに2016年における日本の米国債保有額は10月時点で1兆1320億ドルです。

ドル高になるほど評価益が増えることになります。

 考えてみれば当然で、アベノミクスは、金融緩和で円安にもっていき、輸出企業に稼がせる政策です。何を稼いでいるかというと、米ドルです。だから、将来米ドルの価値が上がれば利益は大きくなる。アベノミクスで家計にまでトリクルダウンがないというのは、稼いだ米ドルの価値が認識されるに至っていないことに原因があるかも?

ドル価値の推移については、エコノミストの間では、悲観的な見解もある。1ドル50円になっても不思議でないという。見解の違いはどこから生まれるか。通貨の価値には、国内通貨としての価値と、貿易取引の決済に用いられる国際通貨としての価値がある。

国内通貨としての価値は産業競争力が落ち、インフレ傾向になれば落ちる一方です。その面に着目すれば1ドル50円も不思議でない。

ところが、現在国際通貨として各国から承認されているのは米ドルだけです。

経済が成長すれば必ず決済通貨の需要は増える。国際的なドル補足が生じ、ドルは高くなるというのが筆者の意見です。アベノミクスで、企業が利益を拡大していても、

でも、アメリカ国内のインフレと競争力の低下は、ドルを国際通貨としての位置を失う名わせるのではないか。筆者は、ドルの地位を保たせる新しい米国経済の動きを説明します。

アメリカは、「第7大陸」を獲得しつつあると説くのです。

資本主義が発展するためには、資本主義が価値を生み出す分野を見つける必要があります。

2015年から2016年にかけて世界貿易が停滞しました。しかし今、アメリカ経済及び世界経済において、リアル経済圏とは全く異なるヴァーチャル経済圏がどんどん成長しています。

ちなみに、これまで私たちが大陸と認識していたのは、ユーラシヤ大陸、アフリカ大陸、北アメリカ大陸、南アメリカ大陸、オーストラリヤ大陸、南極大陸の6大陸です。これにサイバー大陸と言う7番目の大陸が、2000年頃から大きく成長してきたのです。

ちなみに第7大陸はこれまでの大陸と違って、物理的に無限の空間です。高速処理が出来る高性能サイバーがあれば、いくらでも広大な土地が手に入る。このサイバー大陸の発見は歴史的にもまれな大発展時代をもたらす可能性があるのです。

イノベーシヨンの主体は圧倒的にアメリカ企業です。具体的には以下のようなことが起こっています。

①    インターネット情報革命に支えられた空前の企業収益。

②    世界最強のイノベーシヨンに基づく産業競争力。

③    低金利と潤沢な投資余力。

④    健全化した財政・

⑤    抑制されたインフラ。

リーマンショック直後、10%まで上昇したアメリカの失業率は4%まで低下し、完全雇用状態になった。

アメリカの雇用が、どのセクターで増加したかを見ると、そのほとんどが、教育・医療・専門サービス、娯楽・観光など個人向けサービス分野です。IT革命の下でのイノベーシヨンと、個人のライフスタイルの変化が進行し、個人向けサービス需要が急増しているのです。

囲碁は人工知能が人間を破るまでに10年以上かかると言われましたが、人工知能のなかでもデイープラーニヌの仕組みが発展したことで、あっという間に人間の棋士を破るようになりました。

 したがって人間が頭脳労働から解放されるまでそれほど長い時間がかかるとも思えないのです。

 私たちはこうした時代をどのようにとらえたらいいのか、経済学における極めて核心的な課題です。

 ところで、中国経済の今後を占う上で、最大の問題は、この第7大陸の発見で致命的に遅れています。

 

 中国は、独力で新しい価値を生み出すことが出来ません。中国には民営化が進まない国営企業の問題があります。なぜ、国営企業の民営化が進まないのかというと、国営企業こそ中国共産党にとって最大利権だからです。

つまり、国営企業を民営化するためには、共産党一党独裁制度を会えなければならない。

それがネックになります。とこの本は語るが・・・・


前立腺がんの再診

2017-10-22 | Weblog・人生・その他

前立腺がんの診断に.1.5か月ごとに診断に行っている。その都度、血液と尿の検査をする。

9月の診断で、尿検査に異常が出た。潜血が+3である。今までなかった症状です。

「何故かな?何かこころあたりありますか?」、「いいえ」

「では半月後再度チェックしましょう」10月5日再診した。やはり鮮血が+3である。

「原因を調べないといけない。膀胱内にカメラを入れて検査しましょう。」

10月20日午後、雨がぱらつく空模様の中、自転車を転がして西部医療センターへ。まず腹ごしらえを、と4Fのレストランに行き、日替わりランチ500円を頼みました。最近、齢の所為か。和食好みになった。和食と言えば味噌汁です。喫茶店に行っても、珈琲のモーニングサービスは、お握りと赤だしの味噌汁をオーダーしている。、ここの日替わりランチには、定番で暖かい赤だしの味噌汁が出るのです。食事を終え、再診受付機会に診察券を通すと、本日の指示をうちだす。最初は検査室で尿の検体採取です。その後、1時過ぎ、泌尿器科の受付に行く。「待合室で待つ」よう言われ、2時まで待った。

「膀胱内鏡検査」という部屋に呼びこまれ、下半身の」着衣を取りタオルで覆って医師を待つ。

「出血があるので、何か起こっていないか、今の治療をそのまま続けていいか、カメラを膀胱に挿入して診てみましょう」

「麻酔はかけるのですか?」、「麻酔なしでやってみます」

これは痛いだろうな!

「最初、一寸、ちかっとしますが左のテレビに画像が写りますから、見ていてください」。

いたあい!思わずお腹に力が入る。「力を抜いて。」と看護師が言う。痛くてテレビを目を開けて見られない。

「尿道が狭くなっていますね。」、「前立腺を削った跡が膨らんできて狭くなっています」

「撮って」との医者の合図ごとに「カシャ、カシャ」看護師がシャッターを切る。

「診察結果をお話ししますのでしばらく外で待ってください。」診察は直ぐ終わったが、猛烈に尿意を感じた。着衣してトイレに走る。

尿意の割には出ない。しかし、暫くは尿意が強くその都度トイレに走ったが、少ししか出ないのです。

診察室に呼び込まれた。膀胱内の写真を見ながら話を聞く。

「前立腺肥大の手術してますね」。「もう10年以上前である。「平成14年ですから15年になりますね」デスプレイの診断録を見ながらいう。

「膀胱内は綺麗で出血の様子はないですね」。「前立腺がんの細胞から出血はしてないですか」。「その状況は確認されません。腎臓からくる尿も血で濁っている状況ではありません。」

CTで腎臓も5月にチェックしていますね」。その時の画像を呼び出して「小さな石が見られるが、これが出血の原因と思えるほどではない。」と独り言をいう・

「今日の尿検査の結果は同だったのですか?」

「潜血は「+-」です。前が⁺+3だったので、良くなっています」。「特に異常は認められないので、今の治療を続けて良いということになります。次回は12月13日です」。診察料金1750円を払って3時前診療を終えました。カネと暇をかけて診察した結果異常ありません。検査しなくても良かったとのでは?と思わないでもないが、異常ありと判定されるよりはいいということか!

 


おどろきの金沢

2017-10-11 | 読書

「おどろきの金沢」(秋元雄史著、2017年6月講談社α新書)を見つけました。

著者は、金沢21世紀美術館特任館長。2017~2017金沢美術館長、1991年からベネッサアートサイト直島のアートプロジェクトにかかわった。

本書は、金沢21世紀美術館の館長を務めた10年間、金沢に暮した体験録です。

 金沢21世紀美術館は、国内では集客力があるとは言い難い現代美術の館ながら、来館者数が2004年10月の開館時から翌年3月までで68万人、翌年度からは130万人を超え、2015年度年間237万人、開館以来延べ2045万人(2017年3月まで)が訪れた。

 1350万人の人口を抱え、外国人観光客だけでも年間887万人がやってくる東京都の現代美術館で39.5万人、森美術館は約84.8万人です。人口は東京の30分の1に過ぎない46万人の金沢市の規模を考えるとすごい来館者数です。

 何故この美術館がそこまで注目されたか?

その理由は、この美術館が「買い物籠をさげてきてもらえる、まちに開かれた美術館」をコンセプトに建てられたことにある。

金沢21世紀美術館の奇跡をまずは建築からみてみよう。「美の殿堂」を象徴するような重々しい建物が多い美術館建築のなかで、同館の建物は、360度をガラスに覆われた丸いフォルムという斬新なもの。金沢旧市街のど真ん中の公園に、突如現れたUFOみたいな建物だ。従来の美術館が「かたち」をつくることが重視されたがここは、「できごと」を作り出す場として発想された。

 設計は、妹島(せじま)和代、と西沢立衛の建築家ユニットSANAAである。この建築で第9回ヴェネチャ・ビエンナーレ国際建築展金獅子賞を受賞し世界中から注目され、2010年には、建築界のノーベル賞と言われるブリッカー賞を受賞した。

金沢21世紀美術館長着任にあたって山出市長から依頼されたのは、「美術館を市民に浸透させてほしい」、「工芸を大切にしてほしい」だった。

金沢21世紀美術館は、「現代美術バリバリの観」である。それなのになぜ工芸?

 伝統のまち金沢といっても、工芸と同館はどう関係するのか?

 着任3~4か月で金沢21世紀美術館が、金沢人のすべてにではないにしろ、あまりよく思われていないことに気付いた。

金沢21世紀美術館はどうして金沢の人から冷遇されているのか?市長の要請はこの冷遇と切っても切れない関係にあるのだと察せられた。

それまで美術と言えば、器や着物、絵画や彫刻といったモノに慣れ親しんできた人たちに、同館が示した現代アートは、金沢の人にとって宇宙から落ちてきた隕石並に得体のしれないものだった。

以下、金沢21世紀美術館と現代美術を金沢の人に受け容れられるまでの著者の苦闘がつづられている本でした。

 


マネー・ボール

2017-10-07 | 読書

「マネー・ボール」という本を市立図書館で検索したら、熱田図書館にあった。早速取り寄せてもらいました。20年ほど前に出て評判になった本ですが、その折機を逸して読めなかったことを思いだし読んでみようと思ったのです。

 どんな内容か、丸谷才一さんの後書きから。引用します。

 

 1980年春、カリフォルニア州サンヂエゴ。メジャーリーグの数球団が合同入団テストをしていた。よりすぐりの少年のうち断然光るのがビリー・ビーン。攻走守にすぐれていて勉強もできる。メッツのスカウトが特上レベルとして評価し、獲得した。

 しかし、ビリーは野球選手としては失敗した。精神面で図太くなく、うち損ねると感情をむき出しにして暴れた。3Aとメジャーを行ったり来たりしてし、球団を渡り歩き、最後はアスレチックス。90年春、彼はもう見込みがないと自分で判断し、アドバンス・スカウト(次に対戦する相手の戦力を探る事務職員)を希望し球団に受け入れられた。

 93年アルダーソンというGMに認められフロント入りした。アンダーソンは名門大学卒の教養のある弁護士で、球界の常識と対立する野球理論でアスレチックスを運営しようとしていた。彼の理論はビリーにとって衝撃的だった。97年、ビリーはアスレチックスのGMに就任した。この本は、2002年のアスレチックスを扱う。

 この年、アスレチックスの選手平均年棒は146万ドル(30球団中21位)で、ヤンキースの約3分の1、そして成績は103勝59敗でプレーオフ進出。ヤンキースとほぼ同等だった。最小の出費による最高の成果で、このことは2000年からの4年間について等しく言える。ひとえにビリーの革命的思考があってのことだ。メジャーリーガーとしての失敗者は、球団経営者として輝かしい成功を収めた。「マネー・ボール」は新しいアメリカ野球のサクセス・ストーリーである。

 前景として迫るのは、ビリーの強烈な個性。彼はほかのGMとは比較にならないほどロッカールームをうろつく。試合が行われている最中、何キロかジョギンフをし、ウェイト・トレーニングをこなす。試合を生で見ることはない。興奮して野球科学をを忘れるから。ポケットの小型機器で試合経過を知る。彼は見どころののある選手を安く買って上手に使い、高く売る。したたかな商才の持ち主だ。

中景にあたるのはFA制度による選手の年棒の高騰、インターネットの時代における球界事情で、著者はそれを肖像画像として描く。たとえば捕手のハッテバーウは、出塁率が高く、打席にいる時間が長くて相手投手を疲れさせるという長所でアスレチックスに入団。ただし守備位置は一塁。彼は近所のテニスコートで、妻にゴロを打たせて、一塁守備を練習する、内野守備コーチのワッシュはこのかがとをべったり地面につけて立つ男を誉めに褒めたあげく、真夏頃には水準以上の一塁手に変えた。

しかし、最も魅力的なのは、アンサーソンの師匠筋の当るビル・ジェームスという文筆業者だ。食品工場の夜間警備員として働きながら『野球抄』という冊子を自費出版し続ける。打率と盗塁数は対して重要でないとか、犠打は無駄死にすぎないとか論じて徐々に読者を増やす、しかし球団からは無視されていたが、彼の探求はビリーという形で実を結んだ。即ちこの本が遠景として描くのは、こういう奇人を生み出すような野球を生み出すアメリカ社会の知的な側面である。

 著者のマイケル・ルイスの書いたものは頭の使い方・ものの考え方の本だった。


秋の駅ちかウオーキングが始まりました

2017-10-01 | 旅行

10月1日朝、鶴舞駅に9時半集合し、4番出口から歩き始めました。良いお天気です。

 

昭和区の80周年記念とかで前半は書枠を縦断するコースです。鶴舞図書館を右に見てすぐ東郊どおりを南に東郊どおり3丁目を東に歩くと尾陽神社。ここまで2km。初代の尾張藩主義直公と最後の藩主徳川慶勝公を祀って明治44年に創建されました。

隣に御器所八幡宮がありました。熱田神宮の鬼門の守りとして創建されたとのこと。

参拝後、さらに東へ歩くと桜山通りに出ました。セブン・イレブンでお握りを調達しました。

この通り、名古屋マラソンで走ったのは何年前だったか、考えながら南に歩いて名古屋市博物館、ここまでで1時間です。

開館40周年とかで、常設展で、「とっておきのご披露!」が展示されていました。hs区仏刊の庭でお握りの昼食を終え、さらに南へ歩き、瑞穂区役所の信号を東、汐路町に名古屋女子学園がありました。学園祭をやっていて、学園創始者の塚原記念館を公開していました。汐路町1,2丁目、字叔父小学校北を通ると、東山荘です。大正期の建築で、綿布賞伊東信一氏が名古屋市に寄贈したもの。3600坪の敷地に、自然林w背景に国の有形文化財の160坪の建物がある。

都心のなかにあるとは思えぬ環境です。東山荘を見学した後、石川橋胃出て、壇渓どおりを4丁目から1丁目へ川原、川名公園でゴール、12時半でした。区制80年の記念バッジがお土産dした。川原の地下鉄入り口に戻り、1時過ぎ帰宅しました。8km弱の距離なのにすごく疲れて齢を痛感しました。