古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

小泉さんの置き土産

2006-09-28 | 経済と世相
 27日、帰宅すると郵便受けに区役所から郵便が届いている。開封したら「国民健康保険高齢受給者証」なるものだった。10日ほど前、新しい健康保険証が送られてきたが、負担金の割合の所に「70歳以上の者 高齢受給者証に示す割合」と記されていた。所得に応じて、70歳以上は負担率が変わるので、今後は病院では保険証と同時にこの高齢受給者証を見せないといけないらしい。
 何故、保険証と一緒に送らないの?郵送料が節約できるのに?

 ところで、この高齢受給者証、開いてみたら、一部負担金の割合の欄に「3割」と書いてある。
「えぇ?1割じゃなかったの?」
 早速、区役所に電話した。
「どうして3割?70歳以上で年間収入が520万以下は1割でなかったの?」
「いいえ、課税所得が145万円以上の方には3割負担をお願いすることに、10月1日からなりました。収入520万円というのは、70歳所帯の場合、申請によって1割負担になりますという意味です。」
「70歳所帯じゃないの?」
「奥様が70歳未満ですから70歳所帯に該当しません。」

 唖然とした。TVでの解説では、「収入520万円」と解説をさかんにやっていた。
これだけ聞いていると、一部の高収入所帯だけのように思われるが、実際は課税
所得145万円以上なのだ。お役人のごまかしだ!これでは、ほとんどが3割負担に
なる。
 今まで10月1日以降、医療費の3割負担が1割になる。歳をとると嬉しいことはあまりないが、医療費が安くなることだけは嬉しいな、と思っていたのに、70歳の誕生日に法律が代わって3割負担!1割になるのは3年後になった。若しかすると、丁度3年後に法律が変わって、負担は3割に上がるかも知れない!

 これが小泉内閣のやり方だった!と憤懣に堪えないが、まぁ、国民が支持してたんだから仕方ない。
要するに、小泉さんの経済政策は、収入の少ない人の負担を引き上げ、収入の多い人と企業の税金を引き下げただけだった。
 景気が良くなったと言うが、企業の収益が上がっていることをさして、景気が良いと言っている。その収益は、非正社員を増やすことで人件費を節約し、家計の金利収入を取上げて資金コストを下げ、低収入者を増税して企業減税をした結果でないのか?
 そして、昔は企業が利益を上げると、従業員の賃金が上がり、従業員がお金を使うことで商店もおこぼれを受けたのだが、この利益を隅々に回すシステムをこわしてしまったのだ!
 医療費の3割負担!これが小泉さんの置き土産だった。
 まぁ、医者にかからぬことにすれば、いいか!

歳をとったらバタフライ

2006-09-25 | 水泳
 24日はTVのサンデイモーニングを見てから出かけました。今日の100mバタフライは3時過ぎの予定ですから、昼を済ませてからで丁度良いと思ったのです。

 12時半会場に着き、サブプールで30分ほど、500m泳いでアップを終え観覧席に上がりました。女子の100m自由形を見て、男子が始まったときプールサイドに降りて見学しました。
 世界記録です。90歳の男性が1分38秒で世界新。続いて75歳の男性が
1分11秒で世界新記録です。100mをこの年齢でこのスピード。凄い!
としか言いようがない。
 スポーツの良い所は、誰が見ても凄い人は凄いと分かることです。これが政治の
世界になると、本当は誰が凄いのか分からないから、時々とんでもない人が首相に
なったりすることがある。

 予定より大分遅れている。男子100mだけでも63組もあるから、仕方がない。それで、選手控え室に行き坐っていたら、前に所属していた水泳クラブにいたYさんが来た。「バタですか」、「NOZUEさんも」。「おとつい、2バタ泳いだよ」、
「NOZUEさん、力が強いんだねー」。「イヤ、力は弱いから水を掻く力が弱い。だから速度は遅いんだけど、ただ、マラソンで心肺を鍛えているから、長い時間泳ぎ続けることは出来ると思う」。彼女は私の娘とほぼ同年齢なので、娘と話しているような気分になる。雑談が弾んだ。

 バタが始まったのが3時半頃、私より3組前に泳いだYさん、1分47秒で泳ぐ。
 男子1組の2コースだった。1コースは空きだったから端だ。
 「ヨーイ、ピー」で飛び込んだ。100mだから少しは早く泳ごうと、水を強く掻くが、力が弱いから、あまりスピードが乗らない。50mでターン。あっという間に75m。ここから二掻き一呼吸に切り替えて頑張ったがタイムは2分20秒。6月の記録(名古屋マスターズ)より3秒遅かった。
 サブプールでダウンをしてプールから上がった。インフォーメイシヨンで聞いた
ら、6位までメダルを進呈するというので、結果が出るまでロビーで待つことにした。5位のメダルは真鍮色でしたが、泳いだ2種目ともメダルを貰えました。
 70歳以上になると、バタフライを泳ぐ人は極端に少なくなるのですね。完泳さえすれば、メダルをもらえることになるのです。
 やっぱり、歳をとったらバタフライです。

 以上で、三日間、私の水上運動会を終わり。これで小生来年の春まで水泳大会は
お休み。
 今度はマラソン大会です。次は11月5日の土山ハーフマラソンを予定しています。


銅メダルと10年連続出場

2006-09-24 | 水泳
 23日は10時会場に着いた。早速、表彰所に行き、マスターズ会員登録証を
示して昨日のバタ200の銅メダルを受け取りました。
 昨日は、まさかこんな大きな大会で入賞するとは思っていなかったので、会員証を身につけて行かなかったのでもらえなかったのです。
 そもそも、バタ200mに出場を決めたのは、「70~74歳で、泳ぐ人は年間20人はいない」と聞いたので、完泳すれば、マスターズの今年の年鑑に載るかも?と思ったのですが、入賞までは考えていなかった。

 メダルと紅いリボンに
「RAINBOW CUP MASTERS SWIMMNG IN NAGOYA 2006」の
文字が入っている。マスターズの全国大会のメダリストになれるなんて、18年前、1mも泳げなくて水泳を習い始めた頃は、想像もしませんでした。

 2日目は、混合(男女)フリーリレイ出場を予定していたが、メンバーが一人体調を壊して出場できなくなったので棄権。まぁ、70近くになれば、年中健康と言うわけには行かないのだから、止むを得ない。
 だが、「連続10年出場」を表彰してくれるというので、会場に行きました。折角来た以上、泳いで帰らねばと、サブプールに行き、泳ぎ始めた。今日は50m種目で、一番出場者が多い日で、かなり混雑している。平泳ぎとクロールで100mを5,6本泳ぐ。
 流石にマスターズ出場選手だけあって、惚れ惚れするほど綺麗なフォームで泳ぐ人が多数いる。混んでいるので、皆の速度に合わせて泳いでいたら、だんだんくたびれてくるので、後は50m毎に一休みを入れて、あわせて1300m泳いだところで終わりにする。
 プールを上がって観覧席で、女子の50mクロールを見た。全部で79組もある。700人くらいが出場していることになる。時間が近づいたので、表彰式の召集場に行く。2~30人が表彰される。顔なじみの人も5~6人いた。
 一口に10年というが、毎年の出場はたいへんである。自分にとっては4年前の
手術が連続出場のピンチだった。でも、退院後一月で出場したのだから、病膏肓というべきか。
 大会役員が並ぶ前で、大会委員長から記念品をもらった。

 記念品は、電卓機能付きワールドタイム時計。特にどうと言うほどの品物ではないが、表に記入された「レインボーカップ マスターズ スイミング 10年連続出場記念 2006」の文字が、本人には嬉しい。
 表彰が終った後は、今日は出場がないので帰宅しました。明日は、午後、100mバタフライに出場します。(続く)


レインボーカップ水泳大会

2006-09-23 | 水泳
 22日から恒例のマスターズ水泳大会(レインボーカップ イン 名古屋)です。
金曜日は200m以上の種目、土曜日が50m、日曜日が100mの種目で、全
国から3000人を越す選手が集まります。
 今日はバタフライ200mに挑戦。バタフライ200は泳ぎ方よりも心肺能力の問題と思っていますので、朝は7時から名城周辺を軽く5Kmジョグ、心臓の動きにアタリをつけて、10時過ぎプールに向かいました。11時前、会場に着いて早速デッキシーデイング(当日の出場確認)を済ませ、ロビーで早目の昼食、おはぎを平らげました。その後観覧席から200mの個人メドレーを見てから、サブプールに下りて、100Mを平で3本軽く泳ぎ、ターンの確認をして練習を終える。
 観覧席で、男女の200m平泳ぎを見てから、「さぁ出番だ!」
 男子バタフライが開始されたのは2時頃、1組の端9コースだった。なんと!
1コースは85歳のご老人、隣の8コースは75歳だ。
 「第9コースNOZUE君」のアナウンスに右手を上げる。水温26.9度という。
 スタート!飛び込んだ。「慌てるな!ゆっくり行けば良い」と言い聞かせ腕を回
す。8コースが1mぐらい前を泳いでいる。50mターン、8コースを見ながら泳ぐが1m半ぐらい離された。水温が低い所為か,きつさはない。100mターン。このまま押して行こう!と腕を回し続ける。150mターンしたら、8コースが見えない。
「先に行っちゃった?」175m通過。ここから1掻き1呼吸をを2掻1呼吸に
切り替えスピードアップする予定だったが、きつくて出来ない。
 「速度維持だけで良い」とねばる。その時、観覧席から一斉に拍手が聞こえた。
「オレに拍手かな?」、なんとかフィニッシュ。
 オヤっと思った。最終泳者がフィニッシュすると、次組スタートの呼び出しの笛が鳴る。それが鳴らないのである。「まだ泳いでいる人が居るんだ!」
 アナウンス「1コースは85歳の日本記録でした」(さっきの拍手はこれだった)
 見ると、小生が5分50秒1、9コースは5分55秒だ。「そうか!今の泳力を後15年維持したら、自分も日本記録を作れるんだ!」 続いてアナウンス
「8コースは途中退場で失格でした」
 泳ぐ前、召集場で小生が「最後まで完泳出来るか泳いで見るまでわかりません」と言うと、「バッタはみんなそうですよ」と言っていた。150mで諦めたらしい。
 とにかくも、同じ組の自分より高齢者に負けなくて良かった!
 サブプールで500mほどゆっくり泳いで上がることにする。記録の掲示板を見に行くと、70~74歳で3位に入っていた。全国レベルの大会で3位は初めて!
 そう言えば、一昨年も200mバタを泳いだが、6分28秒だったから、38秒
自己記録を更新したことになる。
 ロビーに腰を下ろし持参の紅茶を飲んでいたら、プール仲間のJ女史が来た。
「NOZUEさん、ターンの度に一休みしてたらいかんよ。あれで一回4秒損して
る」という。
「一休みしないと次の50mが泳げないんだ、アハハ」と笑ってしまった。
 ターンの時、両手が壁に触り直ぐ左手を回し身体の向きを反転する。その時間に、右手を壁に当てて大きく呼吸する癖が一休みに見えるのだ。
実際、一休みには相違ない。(この項続く)

気の毒な安倍さん

2006-09-20 | 経済と世相
 安倍さんが自民党総裁に選ばれた。予想通りでサプライズはないが、「お気の毒に!」と思う。
 誰がやっても小泉さんの後は大変で、おそらく安倍内閣は袋叩きになり短命に終ると予想するからです。
 何故かと言うと、「改革」を唱えたけれども、改革は何もやらず、「改革だ!改革だ!」とテーブルの上に改革が必要な問題だけをぶちまけて「さようなら」をしたのが小泉内閣で、拉致だって、消費税だって、外交だって一筋縄でいく問題は一つもない!どの問題も行き詰まり。結局野たれ死するのが次の内閣だろう、と思います。
(袋叩きが分かっているから、竹中さんは早々に逃げ出しました。)
 5年半前、小泉内閣が登場した時、私も期待しました。ところが半年で「これはダメだ!」と悟りました。言うことにまったく論理性が感じられないからです。これだけ論理的にものを考えない首相にろくな仕事が出来るわけがない。
早く辞めて欲しいと願っていましたが5年もやってしまいました。
唯一評価できるのは辞めることでした。
 「自民党をぶっ壊す」という最初の宣言は、「橋本派をぶっ壊す」という意味だったのですね。この点については完璧でした。道路の民営化も郵政民営化も、橋本派の資金源を絶つという意味では完璧に成功!でも、国民生活には、郵政も道路もなんの成果も、少なくとも現時点ではありません。
 「民にできることは官から民に!」ということが小泉さんの口癖でしたが、「官から民!」というのは手段であって、その結果、国民生活にどういう成果をもたらすかというのが目的です。
 その目的について国民に語ったことはありませんでした。常識的に考えれば、それにより政府の使うお金を少なくする効果があるのだろう、税金も少なく出来ると考えますが、国の借金は「世界一の借金王」と自称した小渕さん時代から150兆円以上増えていますし、税金は企業の税金は減らしても、個人、特にお年よりの税金は2倍、3倍になりました。
 小泉内閣の治世で「格差の拡大」が指摘されていますが、実は「格差の拡大」は、小泉内閣の経済政策の所為ではなく、10年も前からの自民党の採ってきた政策の結果であって、小泉内閣はそれを放置してきただけです。第一、経済政策といえるほどの政策は、何もやって来ませんでした。小泉さんは、オペラの鑑賞やプレスリーには関心があっても、「格差」なんかに関心はなかったのです。
 銀行の不良債権処理を、小泉内閣の功だという人がいますが、預金者が低金利で我慢した成果であって、到底、内閣の成果とは評価できません。「失われた10年」に、銀行が償却した不良債権はおよそ100兆円。ところが預金者から銀行への所得移転は、日銀総裁の国会での証言でも150兆円を超えるのです。

 何はともあれ、小泉さんの退陣には、乾杯です。戦後最低の首相の退陣を祝わずにはいられません。(いささか八つ当たりですみません)
 小泉さんがメチャクチャにした経済と外交、お気の毒ですが、安倍さんに頑張ってもらうしかありません。(9月20日、記)


9.11

2006-09-11 | 経済と世相
 9月11日がやってきました。ニューヨークのテロ事件から5年です。あの時、
伝えられる話では「これは戦争だ!」と、ブッシュ大統領が言ったそうです。以来、アフガン、イラクと戦火が広がりました。
 その結果、テロはなくならずむしろ増加するばかり、「イラク戦争は必要な戦争
だったのか?」との声が米国でも高まり、ブッシュの戦争を支持したブレア政権は
退場に追い込まれそうです。
 何処でブッシュは誤ったのか?私は「これは戦争だ!」と捉えた時点で誤ったのだと思います。
 戦争とは、国家と国家との間の紛争です。国家と国家との間の戦争でアメリカに勝つ国がなくなった時、戦争はなくなったがテロが出てきた。このテロに対して、従来の戦争と言う手段では、問題解決されない。テロリストも一般民衆も外見で区別できない。テロリストを根絶しようとしたら民衆を全部殺さないと根絶できないからです。

 では、どうすしたら良いか?これを戦争として対処するのでなく、犯罪として対処すべきです。オオム真理教の事件で、日本は是を戦争として対処したか?麻原は戦争のつもりだったかもしれませんが、政府は犯罪として、犯人を捜査して逮捕しました。
 テロも戦争ではなく犯罪として対処すべきだった!

 ICC、國際刑事裁判所という組織があります。国連で、98年7月に規定が採択され、02年7月に発効したが、これをブッシュ政権が、国連に関し最も強く批判していました。
 米国保守派の反対理由は、ICCが発足すると米軍の行為が裁かれる、つまり米軍の最高司令官たる大統領が被告になる可能性がある。これは米軍の軍事活動に制約を課すというのです。

 クリントンは保守派の反対に直面しながらも、ICCの推進を試みた。「人道上の最も深刻な侵害を起訴するための常設の國際裁判所を今世紀中に設立しなければならない」(97/09/22国連総会)と演説し、00年12月31日ICC規程に署名しました。
しかし、ブッシュ政権は02年5月に署名を撤回した。
 日本は、139ヶ国が署名、102ヶ国が批准し締結したICCを、批准はおろか署名すらしていない。(私は、このICC批准は、新しい首相にもっとも期待しているのですが、3候補者とも全然その気もなさそうだ)
 日本の反対理由?いうまでもありませんね。米国の顔色をうかがっているのです。

 テロは、戦争ではなく犯罪として、ICCが対処すべき問題で、このICCに反対する米政府や日本政府が、「テロへの闘い」を主張する資格はないと思うのです。