古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

私選第二四半期十大ニュース(2012)

2012-06-30 | 経済と世相

もう6月も最終日。今年も半分終りです。
思いつくままに(順不同で)、4~6月の大きな事件(と私には思われる)列記してみます。
たった3ヶ月の間にずいぶんいろいろな出来事がありました。

1. ソニー5200億円の赤字決算、パナソニックもシャープも、日本の家電総崩れ
2. トヨタ、フランスで生産した車を米国に輸出。
日本の「ものづくり」はどうなる?
3. 北朝鮮、ミサイル失敗。
大騒ぎするほどのことでもない、と思っていましたが、本当に戦争になって北朝鮮が日本にミサイル攻撃したら、防ぎようがないと、分かりました。
4. 東京地裁、小沢裁判に無罪判決。更に控訴。
控訴すればするほど、特捜の捜査のいい加減さが分かるのでは?
5. 東電OL事件に再審決まる。
警察の捜査もいい加減?
6. 日本の全原発停止。
脱原発のチャンスと思ったのですが・・・原発が停止すると、原発関連の資産が不良資産になる電力会社(及び電力会社に貸し付けている金融機関)を、政府は助けたい?
7. 高速バス事故、運転手が日雇い?
ここまで雇用の規制撤廃が影響したか!
8. 円と元の直接取引始まる。
これはいいことです。
9. 消費税法案に民主、自民、公明の三党合意。
10. 消費税法案、衆院可決と小沢議員ら造反。
  昔、社会党は自民との連立政権に参加した後、消滅してしまった。民主党も三党合意の結果は・・・消滅する?自民と同じ政策なら、自民だけあれば良いのだ。

以下は、国内ではないので番外としました。
11. フランス大統領選とロシヤのプーチン大統領就任


名古屋の散策道

2012-06-24 | 旅行
22日は6月の住宅シニアクラブのウオーキングでした。前日まで台風5号崩れの低気圧で雨、雨、雨でしたので、これは延期だと思っていましたが、朝方雨がやみ、青空が顔を出して、びっくりするような好天気。ウオーキング日和でした。メンバー8人(男2、女6)が9時半出発。地下鉄築地口駅へ。今回の目玉は、名古屋市が整備した散歩道。中川口緑地、荒子川公園、中の島川緑地の三つです。
築地口から南西へ歩くとオレンジ色の中川橋が見えてきます。中川運河です。運河の西岸には中川口緑地が整備されています。
中川運河は、名古屋港を河口にして、旧国鉄笹島駅(貨物駅。1986年11月廃止、現あおなみ線ささしまライブ駅付近)の間を結ぶために掘られた運河。全長7.1km。1930年10月10日通水。当時は「東洋一の大運河」の呼び声が高かったと聞きます。
 中川口閘門に来ました。潮位の影響を避け水位を一定に保つため、閘門によって閉ざされた水域となっています。運河は、往時は松重閘門で堀川と、中川口閘門で名古屋港と連絡していましたが、松重閘門は 1968年に閉鎖され現在は中川口閘門だけが外部からの進入口です。

中川口閘門を右に見て、黄色のいろは橋まで。ここで、左折。
荒子川公園に向かいます。途中に盲導犬訓練センターに寄りました。玄関横には盲導犬サーブの銅像。
サーブはいわば盲導犬の鏡。昭和52年4月8日に生まれ、ここ中部盲導犬協会で訓練を受けた後、岐阜県のマッサージ治療院を営む男性を主人とした。昭和57年1月25日岐阜県郡上郡美並村の国道156号での誘導中に、雪でスリップして突っ込んできた車から主人を庇って重傷を負い、その傷が原因で左前脚を切断。銅像も3本脚です。

訓練センターを出るとイーオンの名古屋港店が目の前。ここで、弁当を仕入れ、荒子川公園に入って12時、昼食にしました。
公園は、荒子川の両岸に南北1キロメートルにわたり広がっている。ジョギング愛好者が時折走りすぎます。

昼食後、二人が、「あおなみ線は初めてなので乗ってみたい」、電車で名駅経由で帰ると別行動。6人が歩き始めた。下流の一州町までおよそ1km。この間木々の緑が鮮やか。椰子の木も植えられている。一州町で左折して東へ向かう。道路の北側の低地に小川が流れて、「中の島川緑地」という散歩道が整備されています。

築三町の信号でだけ道路に上がりますが、あとは低地の緑道。1kmほど散歩して道路に上がると、もう朝渡った中川橋が目の前。ここまで6kmでした。築地口駅に戻り、予定より早く2時ごろ名城公園駅に戻りました。1万5千歩ぐらい歩いたようです。
名古屋市の都市計画は100m道路や平和公園が有名ですが、散策道路の整備もなかなかのもの、と感じました。

がんとテロメア

2012-06-20 | Weblog・人生・その他
『がんとテロメア』について面白い記事が、週刊文春(6/21号)に載っていました。
「ガンにならない生き方 2」という南雲吉則さんの寄稿です。
 【「なぜ人間はがんになるのか」について解説します。
 私たちの命は、父親の精子と母親の卵子が一緒になり、一つの「生殖細胞」ができたところから始まります。一つの生殖細胞が「細胞分裂」し、二つに増え、二つが四つ、四つが八つと倍々で増殖します。
 お腹の中にいたときの生殖細胞は永遠に細胞分裂を繰り返す能力を持っていますが、母体の外に出た途端、遺伝子の働きで細胞分裂の回数が制限される。
 細胞分裂は、単に細胞の数を増やすだけでなく、細胞内のDNAを正確にコピーします。・・・DNAは二本のらせんであり、その先端の部分を「テロメア」という。テロメアはお腹の中では「テロメラーゼ」という複製酵素でコピーされているが、生まれた途端にこの複製酵素が働かなくなり、そのため、細胞分裂のたびにテロメアは消耗して短くなります。
 テロメアが完全になくなると「アポトーシス」といって、その細胞は自然死を迎えます。この世に生まれた瞬間から、人間の細胞は死ぬ運命にある。それでも若いうちは死ぬ細胞より細胞分裂で生まれる細胞の方が多いため、体は成長する。しかし、思春期が終わると、死ぬ細胞と生まれる細胞の数がつりあって、成長は停止する。その後は死ぬ細胞の数が生まれる細胞の数より多くなり、「老化」が始まるのです。地球上のあらゆる生物は、生殖器官が終了すると死ぬようにテロメアの長さが設計されています。長寿世界一の記録は122歳、その前の世界記録は、徳之島の泉重千代さん120歳でした。
 このことから、人類のテロメアは120~125歳あたりに設定されているらしい。しかし、ほとんどの人は不摂生をするからその年齢まで生きられない。
 人間は愚かな生き物で、タバコを吸い、暴飲暴食を繰り返す。こうした行為に脳は悦ぶが、体は泣いている。
 私たちの体は消化管、気管という管でできています。管の表面は粘膜で覆われています。不摂生すると、粘膜の表面は「炎症」を起こします。疼痛、発熱、発赤、膨れ、そして各種の機能障害を起こすのです。
 炎症は病院に行かなくても、数日節制していれば粘膜の自然治癒力によって治ります。しかし人間は愚かなことに、症状が治ると、再び不摂生を始める。
 これを繰り返すと、ついに「潰瘍」という穴が開きかけ、七転八倒を味わう。救急車で病院に担ぎこまれると、「安静」と絶食」が言い渡される。一週間もすれば退院ができるが、潰瘍を治すのは医者ではない。
 摂生をしたために潰瘍周囲の細胞が細胞分裂して傷口を塞いでくれたのです。
 それでも人間は懲りず不摂生な生活に戻ります。何度も細胞分裂を繰り返すうちに、ついにテロメアが限界に達する。もう細胞分裂が出来ない。潰瘍ができても傷口を塞ぐことが出来ない。絶体絶命!
 ところが人間の体はどこまでも情が深くできています。テロメアが尽きて細胞分裂が出来なくなると、なんとテロメアの複製酵素テロメラーゼを持った「永遠に細胞分裂をする修復細胞」が現れて、傷口を塞ごうとする。この細胞こそ「がん」。なぜ人間はがんで死ぬのでしょう。その理由はただ一つ、人間が不摂生をやめないからです。がんが傷口を塞ぐために増殖を続けなければならない。】
以下は私の感想です。
 たとえ120歳まで生きたとしても、人間の細胞は、最後にはテロメアがなくなり細胞分裂しなくなる。するとそこに、複製酵素テロメラーゼを持った「永遠に細胞分裂をする修復細胞」が現れて、がんになる。つまり、人間はすべての病気を克服したら、最後はがんで死ぬのだ。まぁ、120歳まで生きたら、がんで死ぬも、よしとするか!

小学校の同級会

2012-06-16 | 旅行
『同級会』(小学校)が、6日~7日と蒲郡で開かれました。
このところ、飲み会に声がかかることが多く、今度の日曜も一つ予定がはいっていて、3週間に4回の泊まりになりました。
男7、女9の16名が集まりました。数年に一回あつまるのですが、集まると、翌日の解散まで、よくも、こんなに話すことがあると思うほど、しゃべり続けます。宴会が始まり、飲むほどに酔うほどに、子どものころの呼び名が飛び交いました。
 「シーボー(静子さん)ダンナは元気?」と小生。
「それが、今年の初めに亡くなったの。81だった」
「まぁ平均寿命までは生きたわけだね。ボク、シーボーのダンナに一度だけ会ったことある」、「そぉ。」「10数年前、豊橋で同窓会やったじゃない。ダンナがシーボー迎えに来て、“駅までお送りしましょうか”というので、お言葉に甘えた」、「そうだった」。という具合。シ-ボーのダンナは、やさしい人で、いつもシーボーのアッシーをやっていた。
 トキネエ(時江さん)が私のそばに来てこう云う。
「ススムチャン(小生のこと)のお弁当にはチクワが入っていて、お金持ちの家は違うと思った」
 終戦直後のこと、お弁当を持っていけるようになっても、オカズは、タクアンか、ウメボシ。タクアンもウメボシも自家製です。それに対し、チクワは買って来ないと弁当に入れられないので、オカネモチと誤解を受けたらしい。毎日お金を取り扱う商家と、現金収入の機会の少なかった当時の農家の違いなんです。
 落語を思い出しました。タクアンをタマゴ焼きに見立てて花見に行くという落語がありましたが、今日ではタクアンのほうが卵焼きより高いくらいですから、話の面白さが全然伝わりません。
 ついでですが、子どもの頃は(正月以外は)白米のご飯など食べられなかった。白米を食べるようになったのは、大学に入って名古屋に下宿をした時からです。
 舞台にカラオケが設えられ、タミネエ(民子さん)が、「オッチョンジー」と「黄色いシャツ」をうたいはじめましたのは、驚き。60年前のお下げの女の子が、「オッチョンジー」を歌うようになるまでの人生いろいろを思いました。
シゲサが「橋下はだめだ!」と大声を上げる。同級生の間では、一番元気なのは、シゲサで、2番目が小生だということになっている。
「原発の状況は全然変わっていないのに、何で急に、運転してもいいことになる?あんなやつ信用できない」。ごもっとも、元気の秘密は何事にも好奇心を持つことだ。
続いてシゲサン「ソニーでは損した」と言う。
 「4000円で買ったのが、7000円になったので、400万円が700万円になったと喜んでいたら、1000円になっちゃった!100万円だ」
 まぁ、庶民が400万円を株に投資できたんだから、子どもの時は、タクアンの弁当しか食べられなかったが、晩年は幸運だったと云うべき?
カラオケの最後は「夕陽の丘」を、小生といわえチャンでデイエット。
彼女の歌を聴いたのは、生まれて初めて(多分彼女も私の歌は初めてだったのでは?)。
 真菰の葦は風に揺れ
落ち葉くるくる水に舞う。
 この世の秋の哀れさを  しみじみ胸に・・・・

75歳過ぎのジイチャン、バアチャンでも歌うことが出来るようにしたのだから、カラオケは偉大な発明だ!

というわけで、6日は賑やかな夜でした。翌日9時半に解散しました。

福島県汚職事件と陸山会事件

2012-06-15 | 経済と世相
前便の続きです。次に佐藤知事の汚職事件。『福島原発の真実』から経緯を追ってみます。
「知事大株主企業の不可解取引と題する記事が『アエラ』05年1月31日月号に載った。
 【郡山山東スーツ(佐藤知事の弟が社長)が本社の土地と工場の土地を売却したが、その相手は水谷建設というサブコンであり、前田建設工業の下請け会社である。前田建設工業は県発注の土木工事を受注しており、発注者の立場にある県知事と癒着が疑われるというのだ。】読売新聞にも同様な記事が4月25日載った。
06年秋になって事態が動き出した。
9月25日、知事の弟(山東スーツ社長)が東京地検特捜部に逮捕、27日、道義上の責任をとるということで、佐藤知事は辞任したが、10月23日、東京地検特捜部に逮捕された。
特捜部の見立ては『アエラ』の記事と同じ。【弟と共謀して、県土木部長の坂本に「木戸ダム」の受注を前田建設工業に取らせる「天の声」を発し、便宜を図った見返りに、山東スーツの土地を前田建設工業の意を受けた水谷建設に買い取らせた。いわゆる「市価」と売買代金の差が賄賂だという。】
1審の東京地裁は私に懲役3年、執行猶予5年、・・・追徴金7300万円の有罪判決。収賄罪では賄賂の金額を追徴金として没収する。
検察側、被告側双方が控訴した2進の東京高裁の判決は懲役2年、執行猶予4年。追徴金はなし。つまり有罪だが、賄賂は「ゼロ円」なのである。】
佐藤知事の汚職事件に関する経緯は以上ですが、小沢陸山会事件で出てきた水谷建設の名がここでも出てきます。
【二審の東京高裁で驚くべき事実が明らかになった。
一審の法廷で「賄賂の意図で土地を買った」と証言した水谷建設元会長の水谷功氏が、自らの事件での収監直前に、「土地取引は自分が儲けようとしてやった。賄賂行為はない。知事は事件には関係なく、濡れ衣だ」と、何と携帯メールで宗像紀夫主任弁護人に連絡してきたことが明らかになった。
水谷氏は取り調べの検事に「こちらの望みどおりの供述をすれば、お前の法人税違反には執行猶予をつけてやる」と云われ、賄賂だと供述したのだという。弁護団は水谷氏と直接面会して確認し証人申請を行ったが、東京高裁はこれを却下した。】
09年秋になると、事態は思わぬ方向に展開した。
【厚労省の村木局長の郵便不正事件は、一審の大阪地裁で出た無罪判決が確定した。その直後、主任検事を務めた前田検事が証拠のフロッピーデイスクの日付を改竄した事実が明らかになり、最高検察庁に逮捕された上、証拠隠滅財で起訴、有罪判決を受けた。
私の事件で水谷功氏が取引した相手が、前田検事なのだ。】

何故、検察は佐藤知事を標的にしたか?
「福島原発の真実」は、原子力政策をめぐって、政府(経産省)と筆者との間で数々の対立があったことを述べているが、長くなるので割愛する。ただ著者は、第9章でこう述べている。
【雑誌『フォーサイト』の05年6月号に、大変意味深長な記事が載った。
「エネルギー危機の『日本的帰結』とは」と題されたこの記事は、9.11同時多発テロ後の世界のエネルギー争奪戦の水面下での争いを描き、「翻って資源小国日本では」と、『アエラ』と『読売新聞』の報道を紹介し、私についてこう書いてある。
「反原発派ではないが、地方権力のトップだけに、経済産業省・資源エネルギー庁や原子力安全・保安院ほか研究機関や関連業界を含めた『原子力ムラ』にとっては、「福島のおかげで国と地方の地位が逆転した」というほど厄介な存在だった」
そして、おそらくは経産省の官僚、の発言を紹介している。
「封印されてきた原発建設の論議が政府内部で再開されている。
まずささやかれたのは『福島のトゲを抜け』だった。『どの国でもエネルギー政策は国家の基幹でしょう。それを日本だけは、地方の鼻息をうかがわなければならないなんてあまりに不条理だ。・・・(中略)原子力が不可欠なのは常識ですよ。』」
この記事の最後はこう閉めくくられている。
「佐藤知事が沈黙を余儀なくされるとき、必ず原発建設が浮上する」
以下、私の偏見?の論です。
特捜検察の動きは、国策と密接に関係するというのが、私の疑惑です。小沢陸山会の事件でも、あの程度の事件で起訴するなら、国会議員で起訴されない人はほとんどいないと思う(誤解を避けるために云うが、小沢氏に批判されるべき行為がないといっているのではない)。にも拘わらず小沢起訴に到ったのは、小沢氏が(検察の考える)国策にとって好ましくなかったからではないか。
佐藤前知事の起訴も政府の考える国策(原子力政策)にとって好ましくないと見られたからでしょう。でないと、賄賂額ゼロ円での起訴は考えられません。

原発のハインリッヒの法則

2012-06-13 | 読書
 佐藤栄佐久氏の本2冊を読みました。
「福島原発の真実」(平凡社新書、11年6月刊)と「知事抹殺」(平凡社、09年9月刊)です。佐藤氏の経歴は、1939年福島県郡山市の生まれ。83年参議院議員、大蔵政務次官を経て88年福島県知事。第5期、06年9月、県発注のダム工事をめぐる汚職事件で追求を受け、知事辞職。逮捕。08年8月有罪判決(執行猶予付き)、控訴し、09年10月二審は、有罪だが、「罰金ゼロ(収賄額ゼロ)」という前代未聞の判決だった。最高裁に上告中。 ご存知の方も多いと思います。

 2冊の本を読んだのは、フクシマ事故以前に事故の前兆ともいうべきものを、知事として感じていなかったか、もう一つは、この汚職事件の検察の捜査は、その後発生した厚労省の村木さんの事件、及び小沢(元民主党代表)事件の捜査と関連はなかったかの興味です。実際、佐藤氏の事件の捜査には、渦中の人、前田検事が関与しています。
 云うまでもないのですが、「福島原発の真実」は、3.11後の発刊であり、「知事抹殺」は3.11以前の著書です。
 読んでみると、両書はほとんど同じ内容で、新書版の方は要約本という感じです。つまり、知事抹殺と福島原発の真実とは密接な関係にあるという著者の主張が読み取れます。

 原発がすべて停止状態にあることが、報道されていますが、東電の原発がすべて停止したことは、以前にもあります。03年4月15日、東電の17基の原発が安全点検で全基停止しました。
 02年8月、福島第一・第二原発などの検査記録改ざんが発覚し、この不祥事で、9月2日、平岩外四氏ら東電経営幹部が総退陣したのです。この経緯について。
 8月29日、福島県に届いた保安院からのFAXによると、
『福島第一・第二原発で、80年代後半から90年代にかけて、東電が実施した点検作業で発見したひび割れやその兆候等の発見、修理作業について不正な記載が行われていた。点検でみつかったひび割れなどを隠して運転を続けていた。その不正の箇所は、柏崎刈羽原発を含めて3箇所の原発で29件もあるという。
 労災にハインリッヒの法則というのがあります。1件の重大事故には29件の軽微な事故があり、300件の事故に至らなかったヒヤリハットがあるというものです。
 フクシマ事故の前に、隠蔽された事故があり、何百件のヒヤリハットがあった?事故は起こるべくして起こっていたのです。
福島第一・第二原発の点検は、アメリカのGE社の子会社ゼネラル・エレクトリック・インタナショナル社(GEII)が請け負っていたが、改竄を指示したのは東電側である。
 内部告発を行ったのは、GEIIに勤めていた日系アメリカ人社員のスガオカ・ケイ氏である。保安院の説明によれば、『00年7月に内部告発文書を通産省が受け取り、その後、01年後半にスガオカ氏がGEIIを退職し、「身分を守ってくれなくても結構だ」という同意があったため、11月以降、GEIIとGEに協力を要請した。両者で内部調査を行ったところ、他にも虚偽記載の疑いがあることが見つかった、という。』
 まったく理解のできない保安院の説明ですね。
内部情報者の個人情報を保護しながら調査するのが、告発を受けた保安院の仕事のはず。告発を受けたのが00年7月、調査を始めたのは01年11月。通産省と保安院はその間告発は放置していた。のみならず、保安院はその告発内容を、よりによって東電に口頭で紹介していた。
「こんな告発がありましたがどうですか?」
と、調査を東電に任せ、「報告は告発内容と一致しなかった」と口をぬぐってしまった。
しかも、保安院は、告発者の氏名などの資料を東電に渡していた。

 9月2日、東電の南社長は記者会見で謝罪し、自らのほか、荒木会長、榎本副社長、平岩・那須両相談役の辞任を発表。会見の前に、東電は隠蔽疑惑のある原子炉を全て停止して点検すると発表した。(続く)

首相の責任

2012-06-11 | 経済と世相
 9日の中日夕刊の「中日春秋」にこんな文章。
「福島大学の研究グループが大学屋上で大気中の放射性物質を調べたら、昨年5月以降、どんどん減ってはいるのだが、一定周期で増減することが分かったのだという。
 どうも放射性物質は大気と一緒に40日程度かけて地球を一周、各地にちりとともにおちるなどしているらしい。・・
 <海は私たちを隔てているのではなく、つなげてくれている>ミクロネシヤ連邦の非核憲法前文の一節だが、それが悲しくなるような報道も最近、あった。微量の放射性セシウムが米西海岸沖のクロマグロから検出されたのだ。研究チームは「マグロが太平洋を横断、日本から運んできたのは間違いなさそう」と・・
 汚染の恐るべき広がりを思う。」
この日の新聞は、大飯原発再稼動を訴える首相会見を一面に取り上げている。首相は、再稼動反対論が強まる中で決めることを政治家の「責任」だと訴えた。
「大飯原発3,4号機は再稼動すべきだ」
「私の責任で決断する」と言う。
しかし、この問題、首相が責任を取れる問題なのか?
再稼動した原発で、フクシマのような原発事故が起きれば、・・・・
そして、多数の児童が低線量被爆を受けて甲状腺がんを発病したら、首相が責任を取れるものだろうか。
「責任」というコトバを簡単に使ってもらいたくない。
また、首相の再稼動の理由だが、「電気が止まると、命の危険にされされる人、職場を失う人が出る」というのだが、原発事故から1年以上経っている。発電量の3割を占めていた原発が止まれば、国民生活に影響がでるのは当然である。原発が止まることに対する対策を、1年余の間に何故とっていないのか?
(例えば、火力発電所の新設とか、首脳外交で天然ガスの輸入の拡大とか)
それこそが、首相の「責任」で行うべきことではないのかと、私は思う。

信州紀行(2)

2012-06-06 | 旅行
翌日は、8時半出発、「豪雪の館」という築後155年という古民家を訪れる。http://www.shinshu.co.jp/museum/gousetsu.html
その後、長野の善光寺に向かう。
 ここで薬王院なる僧坊で昼食を頂くことになるが、食事前に僧坊の職員の案内で、本堂を参拝し、戒壇めぐりというか、地下の真っ暗な回廊を右手で壁を触りながら廻ってくる。
「お戒壇巡りとは、瑠璃壇床下の真っ暗な回廊を巡り、中程に懸かる「極楽の錠前」に触れることで、錠前の真上におられる秘仏の御本尊様と結縁を果たし、往生の際にお迎えに来ていただけるという約束をいただく道場です。」とのこと。
本堂前の広場で結婚式が行われていた。

  食事後、バスは長野駅。東京からの友人たちと別れる。
最後の立ち寄りは、「おぎのや長野店」。「峠の釜飯」で有名です(本社は群馬県安中市とか)。お土産に財布の紐を少し緩め、2時帰途につきます。
 5時半、黒川ICを下りて下車。5:40無事に帰宅しました。
今回の旅行地、以前訪問したことがあったな、と帰宅後手帳を見たら、2002年5月26~27日のこの会の旅行だった。


信州紀行(1)

2012-06-05 | 旅行
6月1,2日とD社(元勤務先)OB会の総会をかねた旅行会で、信州をバス旅行。総勢50名余、バス2台でした。
松本駅で12時、東京から来たメンバー5人と合流し、創業は慶応4年という「石井味噌」の味噌倉見学後、同社のレストランで昼食を取った。
その後、小布施の「岩松院」を訪ねる。ここは、北斎の天井画「八方睨み鳳凰図」で名高い。また、福島正則の霊廟があることでも知られる。正則は、関が原合戦の功により、広島で49万8000石の大大名になったが、元和5年、幕府に無届で広島城の補修を行ったとの咎、言ってみれば幕府の言いがかりだが、この地に国替えさせられる。6年後の寛永元年、64歳で死去するが、幕府役人の検視を待たず火葬にしたことを理由に、領地没収された。
小林一茶でも知られる。文化13年、当地を訪れた一茶は、寺の裏手の池で喧嘩する蛙を見て「痩せ蛙 負けるな一茶これにあり」と詠んだという。
 天井画を見てから裏山の正則公の霊廟にお参りした後、野沢温泉に向かう。4時半宿舎に着いた。

 入浴後の6時半、懇親会が始まった。D社の社長Kさんが、駆けつけてくれた。昨日、中国から帰ったばかりと言う。忙しいのに、こういう飲み会にも付き合うのだから、社長も大変だ。
 宴半ばに、久しぶりだからと、社長の席に行って挨拶すると、「NOZUEさんのブログは“お気に入り”に登録して読んでます」と言う。
 一つ、尋ねてみた。「D社は、世界中のいろいろな国に工場を持っていますが、そこに働く従業員の質は、やはり日本が一番ですか?賃金水準は別にして」
 「いいえ、そんなことはないです。30歳以下では、差はない。それ以上の年齢になると、やはり日本の方がレベルが高い」。これは(私の偏見(かもしれないが)製造業の派遣の解禁と関係がある。何時解雇されるか分からない会社で、技術の向上に努める気持ちも愛社精神も持ちようがない。
さらに社長は「ただ、世界を見て、自分の工場はどうあるか考えるセンスでは日本人にないセンスを持つ人が外国の従業員にはいます」と付け加えた。(続く)


4連覇は達成したが

2012-06-04 | 水泳
「なごやマスターズ水泳大会2012」は、6月3日、日本ガイシプールでの開催でした。10時前、会場に着く。受付でプログラムと記念品のバスタオルを貰う。ロビーに坐って、プログラムの選手名簿をチェック。
 100mのバタフライを見る。1組6コースに小生の名前、隣はOHSAKIさん(65歳)、75歳区分は、小生一人。「SATOHさんは?」ページをめくると、SATOHさんは、平泳ぎの100mにエントリーしている。「平泳ぎに転向したようだ」。
 では、1位は私だ。失格を取られないよう注意して泳ぐだけでいい、と思った。後、1組は80歳が一人(四日市のGさん)、70歳、65歳が二人づつの6人だ。隣の7コースは、70歳だが、申告タイムは4分、「うそっ、4分もかかるはずない。これはサバをよんだ」。
愛泳会のIIDA会長が、今日はバタフライに出場で、私の次の組の4コースだ。
 サブプールで平泳ぎの100mを5本泳いでアップとした。その後、観覧席に上がって見学。
 平泳ぎ女子が始まったので、プールサイドに下りた。2組のSATOHさんの泳ぎを見る。1分48秒ぐらいでフィニッシュ。プールを上がり息を弾ませているSATOHさんに「お疲れ様!」と声をかけた。笑顔で答えてくれた。
12時半召集、指定の1組6コースの席に坐る。OHSAKIさんがやってきた。「同じ組ですね、よろしく」。4コースの選手が立ち上がって私に近づくと「6コースのNOZUEさんですね」、「そうです」
 「SEYAMA TUTOMUをご存知ですか?」、「SEYAMA・・・ああ、昔、勤めていた会社にいましたね」、「私はSEYAMAの義兄です。NOZUEさんのことは伺っています。私、TAKESITAです。同じ組で泳ぎます。」と言う。
 世の中って、広いようで狭い。こんな場所で、私を聞き知っている人に会おうとは・・Gさんが来ない。棄権らしい。
12時45分ごろ、飛び込み台に上る。何度泳いでも、スタートする前は、最後まで泳げるか心配で、ドキドキする。
スタートの笛で飛び込む。飛び込んでしまえば、心配も何もない!「前へ、前へ」。びっくりしたのは7コースの速いこと。ぐんぐん離される。「これは、2分切りそうな泳ぎだ!4分だなんて、ずいぶんサバを読んだナ」。5コースのOHSAKIさんも1分半くらいのタイムで泳ぐ人だ。「これは、マイペースで行くっきゃない!」。
2ストローク1ブレスを繰り返し、50mターン。後半もペースを落とさないよう注意したつもりだったが、フィニッシュは2分40秒9と、今までのワーストだった。
やはり記録というものは、隣と競り合って必死に泳がないと、マイペースでは絶対に出ない。でも、75歳区分は一人だから、4年連続の1位入賞だった。
その後、サブプールに行って100mをダウンで泳いで、上がることにした。
着替えしてロッカーを出るとき、東プールでいつも一緒になる仲間にあった。
「もう、帰るの?」、彼は50mのクロールのこれから出場する。「お先に」、「バタフライ見てたよ」、「見てくれた、」「うん、マイペースだったね」と言う。違いない。
受付で、記録証と賞品のシリコンゴム製の水泳帽を貰う。
記録の速報板を見ると、私の記録が(最高齢だから)一番上に載っていた。55歳区分IIDAさんのタイムを見ると、1分10秒台で、やはり日本記録を出す人は違う!
1時半、午後の部(50m)が始まったがお先に失礼した。帰りは電車の乗り換えのタイミングが良くて、2時15分の帰宅でした。