古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

水泳大会第3日

2009-09-28 | 水泳
レインボー水泳大会第3日の報告です。ご笑覧ください。
今日は出番が3時20分頃なので、昼食を済ませてから家を出ました。
1時前、会場に着くと、じんちゃんが出てくるのに鉢合わせ。「もう終わった?」ニコニコしているから記録が出たのだろう。「うん、自己ベスト!」、「じゃ金メダル?」「ううーん6位だった」。彼女はどちらかと言えば長い距離が得意、100mではそうかも。
着替えをしてから、サブプールで、平泳で500mをアップに泳ぐ。1時半、観覧席に行くと、女子100m自由形が始っていた。女子は30組、2時ごろからの男子が44組。自由形は一番参加者が多い。顔なじみのIIDAさん、59秒台で、またも日本新記録。
男子の30組まで見てプールサイドに下りた。選手控え室で待つ。SATOU-KENさんが控え室の入り口から入ってきて私の顔を見て、一寸手を挙げる。私も片手を上げて返礼。
時刻が来て召集所に並ぶ。1組8人の中で9コースでした。SATOHさんは3コースで、真ん中の5コースではない。やはり全国規模の大会だから早い選手が多勢来ているのだ、と認識しました。自由形の参加者が多かったためか、予定時刻が20分ほど遅れて、3時40分ごろ、スタート台に上がった。
1呼吸2かきで最初から行こうと決めていました。スタートの笛で飛び込む。50mまでは予定通り、ターンしての戻り。きつくなって時折1かき1呼吸になったが、なんとか、フィニッシュ。2分20秒76、やっぱりタイムは悪かった(昨年より2秒、6月の名古屋マスターズより4秒遅い)。
「まぁ、一生懸命やったのだから仕方ないか!」一昨日もタイムが出なかったのだから、体調がベストでなかったということ。
サブプールでダウンの泳ぎをしていたら、バタフライのOさんが来た。「NOZUEさん、お疲れ様。終わりましたネ」と声をかけてくれた。水泳をやっていて嬉しいのは、地元の有名選手に顔を覚えてもらい、声をかけてもらえるようになったこと。
4時20分、観覧席に上がったら、最優秀選手と優秀選手の表彰が始りました。それぞれ男女各一名、「世界記録、日本記録の人から選考、優秀選手は名古屋在住者、以前の表彰者は除外します」とのこと。
女子の最優秀は、95歳の長岡三重子さん(山口県)で、200m自由形で6分30秒34の世界新記録。100mでも日本新記録だった(ということは、100mでは外国に95歳で泳いだ人がいるということ)。
皆さん、95歳ですよ。200mですよ。すごーい!と思いませんか!
優秀選手は、プール仲間の野田敏枝さん(65歳区分)。「私のプール仲間には、すごい選手がいる!」
彼女の記録達成の瞬間は残念ながら見落としたようです。
速報板に行って記録を見ました。私のタイムは、
50mで1分5秒79
100mで2分20秒76(70歳区分6位)でした。
6位まではメダルをもらえます(4~6位は真鍮色のメダル)。
「じんちゃんと同じメダルだから、よしとしよう」。4時半帰途につきました。

メダルの色は一つ上がったのですが

2009-09-25 | 水泳
メダルの色は一つ上がったのですが、タイムは最悪でした。
毎年9月の第四金~日は、レインボーカップ・マスターズ水泳大会です。25日9時家を出て、10時前日本ガイシ・アリーナプールに着きました。玄関に入ったら、いきなり「NOZUEさん!」と声がかかる。プール仲間のJさん(通称じんちゃん)です。「二バタね」、「そうです」。
受付で、デッキ・シーデイング(当日の出場確認)を済ます。更衣室で着替えをして、サブプールに行ってアップに100m平泳ぎを4本泳いだ。その後、観覧席に行くと、女子の背泳が終わり、男子の背泳が始るところだった。50分ほど観戦して、200m個人メドレーが始ったが、11時半早めのお昼にしようと、ホールで弁当(コンビニで調達したおにぎり)をひろげました。
12時半、女子の平泳ぎが始ったので、プールサイドに下りて、じんちゃんの応援をすることにした。8組の10コースで出場しました。
3分45秒3でフィニッシュ。すごい!1年前は4分を切るのがやっとだった。プールから上がった彼女に「45秒!出たじゃない!」と賞賛してハイタッチ。彼女はこのクラス(50歳)で銅メダルだった。
女子の後、男子の平泳ぎ。次がいよいよバタフライだ。バタの女子は二組だけで、直ぐ男子バタフライ200m。小生は1組3コースでした。3~6コースの6人でレースです。
コースの割付は、エントリータイム(申告タイム)の早い順に、5・6・4・7・3・8の順。
私よりタイムの遅い人が一人。70歳以上は3と7コース、他は65歳区分のよう。
予定より5分ほど遅れたがスタート台に上がる。「ヨーイ!」で構え、笛で飛び込んだ。
「つめたーい」、(さっき場内放送が、水温27.3度、室温29.8度と放送していた。)
とにかく粘ろう!と泳ぐ前に決心していた。バタの200mは正直言ってかなりきつい。でも、どんなに苦しくても、最後まで腕を回し続けよう。それだけの筋肉をつける練習はやってきたつもりだ。50mターン、一応順調だ。100mターン、隣のコースが少し前を泳いでいるのが見える。150mターン。予定ではここから2かき一呼吸にするつもりだったが、呼吸が荒くなって一かき一呼吸でしか行けない。フィニッシュ!タイムは5分20秒29でした。わぁ、昨年より10秒近く遅れてしまった。
私のこの大会の記録は、
07年 5分21秒15(07年マスターズ全国ランキング10位)
08年 5分10秒99(08年マスターズ全国ランキング7位)
09年 5分20秒29(09年マスターズ全国ランキング ? )
下手すると、今年は全国ランキングのベスト10に入れないかも!
その後、サブプールへ行き、ダウンの泳ぎを始めたら、泳愛会会長のIIDAさんに見つかった。「もう終わったの?」「終わりました」
「どうだった」「記録悪かった!でも、70歳以上は2人しかいなかったから」
隣にいた人が、「じゃぁ銀メダルは確実ね」
「それが、NOZUEさんの狙い目だよね」「そうなんです」
プールを出て観覧席に行くと、じんちゃんがいた。
「NOZUEさん、ターンの度に休んでちゃダメ!あれがなければ8秒ぐらいはタイムが縮まるよ」
普段ターンの練習をしていないので、遅いのです。教室のバタの練習は25mしかやらないし、市営プールでも、混んでいると25mしか泳げない。
「隣のコースに泳ぎで追いつくのだけど、ターンの度に離されてた!」「ウサギとカメのウサギちゃんみたい」と手厳しくやられました。
記録を見に行くと、50mごとの記録がありました。
50m 1分10“23
100m 2分33“23
150m 3分56“52
200m 5分20“29
初の銀メダル(昨年まで3年連続銅)をもらって帰途に。出口に、プール仲間のT女史がボランテイアで受付をやっていました。「これ今日の参加賞!」と、大きなバスタオルでした。
全国から3000人余の選手が集まるこの大会は3日間。明後日にはバタフライ100mを泳ぎます。
もう少しターンを練習しようか!もしかしたら、明後年(75歳区分で)、金メダルかも?と皮算用です。

ユニクロ栄えて国滅ぶ

2009-09-24 | 経済と世相
『ユニクロ栄えて国滅ぶ』というエッセイを、同志社大学の浜矩子教授が文芸春秋10月号に寄稿していました。

海外で商品を作らせてびっくりするような安値で売るというユニクロ商法が全盛だが、この手の商品が売れれば売れるほど、国内の労働者の賃金が上がらず、結果として国内の購買力が低下するという内容でした。

ユニクロは990円でジーンズを売り出し話題になりましたが、先月ジャスコが880円でジーンズを売り出したと聞きました。

小生のジーンズが、古くなって穴が開いてきましたので、水泳の帰りにジャスコに寄ってみました。

紳士用ジーンズの売り場に行くと、「¥880」の掲示があって、「サイズは69種類」ありました。

最初、ウェスト79・股下81を選んで、試着室で着用してみました。ぴったりです。でも、ぴったりすぎて、「これじゃぁ、夕飯を腹いっぱい食べたらジーンズのボタンを外すことになる。もう一つ上のサイズを」と見たら、上のサイズは3センチ大きい82です。

ウェスト82・股下81で買って来ました。

結構丈夫そうな仕上がりの商品で、「これって本当に880円でいいのかな?」と思いました。浜さん、ゴメンナサイ!



こんな安値の商品は日本では作れません。これが経済のグローバリゼーシヨンと言うことなんですね。

中国やベトナムの労働者と競争させられるのでは、日本の労働者はたまりません。

新しい技術を開発し付加価値の大きい商品を、日本では作らなければ、日本人は生活していけません。でも、新しい技術を開発するには時間が必要です。ですから、経済のグローバリゼーシヨンはなるべきゆっくりやらねばならなかったのです。そこが小泉・竹中政権の誤りでした。

話しが飛びますが、鳩山さんが、90年比25%のCO2削減を演説したのは良かったと思います。25%削減は新しい技術の開発なくして不可能であり、この目標は、技術開発の新しい目標になるからです。

鳩山演説を、国民負担が年何十万円増加するなど、批判する向きもありますが、その計算は技術が現水準に留まるとしての計算です。

一国のトップが技術開発の目標を設定することは、日本の将来のために歓迎すべきこと。初の理系終身の総理に期待します。

ジーンズから、一寸大きすぎる話になりました。ごめんなさい。

敬老の日に因んで

2009-09-21 | 経済と世相
最後に、「高齢者の医療費の負担」の問題、一連のメールの最終版です。

長妻大臣が「後期高齢者医療制度」の廃止を明言しました。とりあえずは一安心です。しかし、『命の値段が高すぎる』の著者はこう言っています。



「もはや日本の医療制度は風前の灯である。身も蓋もない言い方をすれば維持するためのお金が足りないのだ。そして、抜本的解決はない。」と。

「高齢者医療費が増大する理由とは、高齢者の増加なのだ。したがって仮に本気で「抜本的解決」を目指すのであれば、高齢者そのものを減らさなければならない。第二の原因を探ると、“現役世代の甲斐性が足りない”というところに行き着いてしまうのだ。」



原因については私も同意見です。しかし、原因がはっきりすれば対策は立てられます。



第一に、高齢者の比率を減らせばよい。65歳以上を一律に高齢者とするのでなく、人口の、高齢者の例えば2割を高齢者とする(例えば80歳以上人口が20%なら高齢者とは80歳以上とする)。それ以外の成人者は働いて沢山健康保険を払ってもらう。つまり、65歳以上でも働けるような環境を整備すればいい。人間は何もせずお金(年金)をもらって、ぶらぶらしているよりも、社会に役立てる仕事をやっている方が、幸せだと思うのです。必ずしも1日8時間働かなくても、体力に応じて働けるシステムを整える。

(高齢者医療だけでなく年金についても同じことです)

こんなことを言うと、今若い人たちは、何時までも働き続けないといけない。不公平だと言われるかも。

でも、子どもを沢山育てて人口が増えれば早く高齢者になって、働かなくても良くなる。子どもを育てないと、いつまでも働くことになる。逆に言うと、早く高齢者になる世代は、子どもを沢山育てた世代です。別に不公平ではないと思いますが、これ独断と偏見の論でしょうか。(「少子化」が問題になっていますが、年をとっても働き続けるつもりなら、「少子化」でも差し支えない)

第二は、現役世代の甲斐性をつける策。つまり、製造業はもちろん、サービス産業も農業も生産性を上げるのです。生産性が上がれば、今まで3人の現役世代で一人の高齢者を支えたとすると、2人の現役世代が1人の高齢者を支えることも可能になる。



参考:「敬老の日」にちなんで総務省は20日、日本の65歳以上の高齢者人口の推計(9月15日現在)を発表しました。

http://www.stat.go.jp/data/topics/topi410.htm



[読売9/20]
 女性の高齢者は1659万人で、女性人口に占める割合は25・4%(前年比0・7ポイント増)と初めて25%を超え、4人に1人が高齢者となった。男性の高齢者は1239万人で、男性人口の19・9%(同0・6ポイント増)を占め、ほぼ5人に1人が高齢者となった。

 高齢者人口は前年比80万人増の2898万人で、総人口(1億2756万人)に占める割合は前年比0・6ポイント増の22・7%。ともに比較可能な1950年以来、過去最高となった。

 年代別では、70歳以上は2060万人(前年比44万人増)。後期高齢者医療制度の対象となっている75歳以上は、前年比50万人増の1370万人(男性519万人、女性851万人)で、総人口の10・7%となった。80歳以上は、前年比39万人増の789万人(男性267万人、女性522万人)で、長寿になるほど女性の割合が増えている。


相互扶助は何処へ行った

2009-09-16 | 経済と世相
念のため申し添えますと、「後期医療制度」においては、医療費の10%が患者の窓口負担、90%が保険負担ですが、その90%の10%、つまり9%が保険料ですから、後期高齢者の負担は19%になります。

19%が高いか低いか、意見は人によって異なろうと思いますが、75歳以上と言うのは、ほとんど収入がない人だということを考えると、私は高いと考えます。

75歳以上で区分するのなら、無料にするために区分するというのならわかります。

実際、過去においては70歳以上無料と言う時代があったのです。

老人医療費の無料化は、73年から国の制度として採用され、費用は国と地方自治体が折半で、公費(税金)から支給された。82年に至って老人保健法が制定され、翌83年に医療費無料化政策は廃止された。高齢者の患者自己負担も復活した。ただし当時はまだきわめて安く、外来は毎月400円、入院は一日当たり300円であった。

家庭に例えてみましょう。75歳のオジイサンが病気になった。オジイサンはもう働いていないから収入がない。病院の支払いの19%を自分で払わなければ病院に行かせないとは言えないでしょう。費用がいくらかかっても、家族の誰かが費用は負担する。

国の保険制度も、そういう考えであってもおかしくない。ただ、国の制度の場合、所得があれば本人が負担するという所得制限はあってもいいと思いますが。

ところが、後期高齢者医療では、費用の19%を75歳以上の人は払えと言う。要は考え方の問題。麻生首相はこう言ったそうです。

「67歳、68歳になって同窓会に行くと、よぼよぼしている、医者にやたらにかかっているものがいる。・・・たらたら飲んで、食べて何も(運動)しない人の分の金を何で私が払うんだ。(以下略)」(経済財政諮問会議議事録)

麻生首相は自分の同窓生のことを語った。

たとえ同窓生といえども、なぜ彼らのために自分が余計に金を払わなければならないのかと強く感じた。一国の総理大臣が、同世代同士の、それどころか自分の同窓生同士の相互扶助さえも言下に否定してみせた。

健康保険の思想(考え方)は、社会の相互扶助ではなかったのか?

健保組合は基本的に企業単位や業界単位で組織されてきた。かつては、年功序列と終身雇用、さらに企業年金などにより生涯にわたって生活が保障されていたため、従業員の会社への帰属意識はきわめて高かった。社員全員が仲間・・・「健康保険が相互扶助だ」といちいち言わなくても、全員がそれを当たり前のこととして受け止める土壌があった。

一方、国保は市町村単位で組織される。別名「地域保健」と呼ばれている。別の土地の、見ず知らずの他人のために保険料を支払うのは真っ平という人でも、同じ村、あるいは同じ商店街の仲間同士なら協力し合えるという発想だ。

健保も国保も村民同士の相互扶助という形式をとってきたため、村社会が安定している間はうまく機能しました。

ここまで述べてくればご理解頂けると思います。

夫と妻の健保制度を別にするということは、「夫と妻の相互扶助」を否定しかねません。

たかがお金のために、妻と夫の相互扶助の精神を損ねかねない制度だ、というのが、私が後期高齢者医療制度を嫌う最大の理由です。

「高齢者の医療費の負担」の問題は、次の機会に・・・



後期高齢者医療制度

2009-09-15 | 経済と世相
『命の値段が高すぎる』の中で、私にとってはショッキングな記述がありました。
「後期高齢者医療は廃止できない」というのです。こんな制度は絶対廃止しなければ!と思っている私は、どうして?と目が点になりました。
「これ(後期高齢者医療制度)は、外科的手術だったからだ。すでに切ったり貼ったりしてしまったものを、元に戻せというのは無理な相談だ。
人間が作った制度だから戻せないはずがないという意見があるかもしれない。しかしそれでも過ぎ去った時間は戻せない。
後期高齢者医療制度がスタートして、すでに一年以上が経過した。この1年間に、後期高齢者は50万人以上も増えた。前期高齢者(65~74歳)は100万人以上も増加した。そのため前期・後期を合わせた高齢者医療費は1兆円近くも増加した。
・・単純に制度を元に戻せば、負担に耐え切れずに国保組合が即死する。それを防ごうとすれば、・・市町村に財政負担がかかり、自治体が財政破綻する。」
要するに、先立つものがなければ、制度の廃止は不可能だという話らしい。

民主・社民・国民の3党政策協定で、後期高齢者医療制度の廃止をうたっていますから、この「先立つもの」を見つけて、廃止してくれると思います。私が、どうしても廃止したいと思う理由は二つ。一つは、保険の原則に反するということ。
例えば、火災保険は皆で資金を出し合って、たまたま火災に遭った人を助ける制度で、前提として総ての人が火災に遭うことはないとしている。健康保険も同じで、健康な人も資金を出して、たまたま病気になる人を助ける制度ですから、総ての人が病気になるのでは成り立たない。一般に高齢者ほど病気になりやすいのですから、75歳以上の人だけ集めては、保険にならない。

ところが、「国民皆保険」と称する厚労省が考える「保険」は、定義が違うようです。この本ではこう述べています。
「後期医療制度は高齢者の保険料と健保・国保からの支援金が5割を占めている。その支援金はもともと保険料として徴収されたものである。つまり、税金ではない。従って厚労省に言わせれば、後期医療制度も立派な保険制度である。公費の割合が保険料を上回っていないのだから、保険制度と言って差し支えないという論法だ。」
費用の過半数を保険料でまかなうのが、保険制度だというのだ。何故、厚労省が「国民皆保険」にこだわるのかについてはこう述べます。
「(後期医療制度の)運営母体は、都道府県ごとに組織された「広域連合」だ。広域連合は、わざわざ後期医療制度のために大金を投じて創設された。しかもその広域連合が扱う保険料は、08年度の当初見込みで10兆円前後に及ぶうえに、今後とも確実に増え続ける・・・
加えて広域連合の初期投資と財政基盤の安定のために、08年度だけでも1000億円単位の補助金が動いており、向こう数年間にわたって補助金が流れることもすでに決まっている。
つまり、後期医療制度は広域連合という形で巨大な利権を生み出しているのである。」
「仮に後期医療制度が公費医療になってしまったらどうだろうか(英国では公費)。公費である以上、その財源は財務省に握られてしまう」

もしかしたら「国民皆年金」の意味も同じ?

第二の理由については、次の機会に・・。


メタボ健診

2009-09-14 | 経済と世相
 08年4月1日、「後期高齢者医療制度」が始まりました。これと同じ日、「特定健診制度」(40歳以上74歳以下対象)が始りました。通称、「メタボ健診」です。
この「メタボ健診」、始った時から、私は腑に落ちません。以下、腑に落ちない理由。
第一に、メタボの判断基準がおかしい。
第二に、メタボと判断された人に、医師あるいは看護師が指導をするというが、指導と言ったって、「運動しなさい」と言うしかない。そんなこと言われたって、運動できる人は既にしているし、出来ない人はできない。つまり、指導の実効性がないのでは?
第三に、健保財政の赤字がこれだけ問題になっている時に、わざわざ、お金をかけてまで行う価値があるものか?

第一について言うと、例えば腹囲でメタボを判断する基準が、男子85㎝以上、女子90㎝以上?何故体格が大きい男子が85㎝で、女子が90㎝なの?逆ならわかるが?
LDLコレストロール、従来140以上が異常値だったが、メタボ基準は120以上。
空腹時血糖値 従来90~110が正常値。ところがメタボ基準では100以下が正常。
γGTP 従来60以上だったのが、51以上でメタボ。等々
つまり、すべて基準が厳しい側に移った。まるで、国民総てをメタボにしたいみたい。

11日、放送大学愛知学習センターに行った帰りに図書館で『命の値段が高すぎる!』(永田宏著、09年7月刊、ちくま新書)を借りてきました。この本が、以上の疑問に答えていました。ついでながら、この本、非常に良い本ですが書名が良くない。何のことかわからない。実は、後期高齢者医療制度を中心に小泉政権の行った医療改革の実態を解説した本でとても面白く、読み始めたら巻を置くあたわず一気に読み通しました。書名の意味は、医療費削減策を、「政府は我々の命の値段が高すぎる」と言うのか!と批判するものです。

さて、メタボ健診の目的は何でしょう。表向きは、「国民の健康増進と医療費節約」ということになっている。しかし、敵は本能寺にあり。
小泉医療改革の目標は高齢者医療の財源問題の解決である。メタボ対策はその中心に位置づけられる。メタボ対策と後期医療制度をリンクさせることによって、前期高齢者を含む現役世代が後期医療に支払う支援金を割り増しする、というものだ。
「高齢者の医療の確保に関する法律」によると(かみくだいて書きます)、
メタボ対策の目標値を達成できなかった保険者(健保・国保組合)から、ペナルテイとして後期医療の支援金を、2012年から最大10%増しで徴収するという。
逆に2012年までに現役世代のメタボが減れば、健保・国保からの支援金が最大10%減る。その金額は08年度実績で計算すると約4000億円にも達する。その間の事情をある町の国保組合のパンフレットで見る。
Q:(メタボ健診を)受けないとどうなるの。
A:町に後期高齢者支援金の負担が加算されます。これは75歳以上の人の医療費を、74歳以下の人で支える制度で、加算された場合は、保険料に跳ね返ります。
メタボ健診は、ペナルテイを稼ぐのが目的だった!
私の疑問が氷解しました。この本には、もっと面白い話題ががありますが、次回に。

鳩山論文

2009-09-10 | 経済と世相
以下は、7日の中日夕刊に掲載された清水論説委員の文章です。

【8月末、米紙ニューヨーク・タイムス(電子版)が掲載した鳩山由紀夫次期首相の「日本の新たな道」と題した一文が物議をかもしている。

「冷戦後、日本は米国が率いるグローバリゼーシヨンと呼ばれる市場原理主義の運動にうちのめされてきた」

こう始る鳩山氏の論議は確かに、なかなか刺激的だ。政治信条の「友愛」を「伝統的な経済活動や地域共同体を破壊してきた」グローバリズムに対抗する理念という。

「友愛主義の下で農業や環境、医療など人の生命と安全にかかわる分野をグローバリズムに委ねることはない」

鳩山氏友愛が目指す、もう一つの国家目標を「東アジヤ共同体の創成」に置く。

「日米安保は日本外交の基礎」としながらも、日本がアジヤの国であることを忘れてはいけないと強調する。

「金融危機は米一極支配の終わりを予感させ、ドル機軸通貨体制の永続性疑問を突きつけた」と通貨から政治へ地域統合を呼びかける。・・・】

先日の日曜、TVで自民党の幹事長が「鳩山代表のニューヨーク・タイムスの論文は、日米関係を考えると遺憾だ」というようなコメントを話していたので、どんな論文か?と思っていました。

実は、この文章は、鳩山氏がVOICE9月号に発表した論文「私の政治哲学」の一部を翻訳したものだという。



8日、県体育館のプールで水泳クラブの練習を終えたあと、県図書館に行きました。

VOICEの9月号は、2週間前、県図書館で読んだのですが、鳩山さんの論文は目次で「政治哲学・・フーン」と全然興味なくパスしたのです(鳩山さんゴメン)。

今回の選挙では鳩山民主の勝利を願っていましたが、自民党のここ4年間の政治があまりにもお粗末だったから政権交代を望んだだけで、積極的に民主を評価したわけではないし、また、鳩山さんがどんな思想の持ち主かなど、全く知りませんでした。

10ページほどの鳩山論文、読んでみました。間違っていることは一つもなく、実に立派な考えが書いてある。感心したので、全文コピーして持ち帰りました。

学者や評論家ではなく政治家ですから、どんな立派な考え方をしていても、それを現実の世界に実現しなければ、政治家としての評価は出来ませんが、考え方は素晴らしい。

一言で言うと、「今日の日本の苦境は、米国のグローバリゼーシヨンを無批判に受け入れたためだ。このグローバリゼーシヨンの実態は、アメリカン・スタンダードの受け入れに過ぎない。米ドルの機軸通貨体制は終わるだろう。」という論文です。

歴史的に見て、世界がどのようになって行くのかという理念を、小泉元首相にも麻生首相にも聞くことがなかった。この論文にはそれがある、というのが感心した理由です。

ニューヨーク・タイムスの掲載論文は、全文でなく一部を翻訳したものらしいので、誤解された面があったのかも知れないが、「遺憾だ」とコメントするような政治家は遺憾です。