古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

金メダルだけが成果?

2010-04-30 | 水泳
金メダルだけが成果でした。

 29日は、安城綜合公園プールで、短水路マスターズ水泳愛知大会でした。

 10時10分家を出て、市営東プールへ向かいました。安城のプールは、サブプールがない(お子様用の浅いプールはあるが)ので、殆ど練習は出来ません。出番は3時過ぎですから、午前、市営プールでアップの泳ぎをして、午後安城のプールに行こう。

 市営プールで800m泳いで上がり、ロビーでお握りの弁当を取った。その後、地下鉄で金山。名鉄で新安城駅、バスに乗り換え1時ごろ会場に着きました。1時半、100mが始まりました。クロール、背泳、平泳ぎ、バタフライの順です。

 着替えしてプールサイドに降りて、プログラムを確認した。

 70代出場は小生1人。珍しく80代の選手が二人エントリーしている。

腰を下ろしてレースを見ていたら、「NOZUEさんじゃない」と女性から声を掛けられました。見て「あぁあの人」と思いましたが、名前が出てきません。「ITOHです」と言われた。中スポマスターズで会った私のブログを呼んでくれている人だ。

「100mのクロールですか」、「いえ、今日は背泳です」、「200mではクロール、泳がれたのでしょう。どうでした?」、「タイムは良くなかった、NOZUEさんはバタ、100m?」、「そうです。でもこの間、ジョグで転倒しちゃって、その後体調よくないんです。今日は70代、1人だけですから、ゆっくり泳ぎます」。時間がきたらしく、彼女は召集所へ。

 プールから上がった選手が「お久し振り」と声をかけてきた。大先輩のHさん、80歳区分のクロール100mを終えた所です。「Hさんの元気にあやからなくっちゃ」

 3時20分、スタート時刻がきました。80歳代は1人欠場で、1人だけ出場。

「ゆっくりでいいんだけど、80代に負けたら恥ずかしい」。

 実を言うと、転倒後月曜まで、今日の出場は止めようと思っていました。火曜日に泳いでみたら何とか泳げるので、出場を決めました。

 とはいえ、泳いでいるうちに脳梗塞でも起こしたら大変だ!ゼッタイ、ムリはしない。

 1組2コース、スタートの号砲で飛び込みました。1掻き1呼吸でスタート。25m、50m、75mと順調にターン。75mから少し余裕があったので、2掻き1呼吸で頑張った。

 フィニッシュ。2分24秒37。100mのタイムとしては最悪。「まっ、仕方ないか」

 いつも、ゴールすると、直ぐに次の組が飛び込むから、次組のスタートまでコースの端で待っていたが、次の泳者が台に上がらない。「そうか、まだ80代(9コース)が泳いでいる」。

 プールを上がって記録の速報を見に行きました。ITOHさんは200クロール、100背泳で優勝。さすが!H先輩は100クロールで2位。100mバタも記録を見ました。80代の選手の記録が出ていない。途中棄権かな?やっぱり80代で100バタは厳しかった?

 金メダルを貰ってもう帰ろうと、玄関に行くと、プール仲間のJちゃんにばったり。

「どうだった?」と言うので「1人だけで泳いだから当然金さ!」。彼女、「あっ、そかぁ」とカンラカンラ笑った。

 バス停に行くと、バスを待っているおじいさんがいた。「水泳大会に出られた方ですか?」と先方から声をかけてきて、話がはずんだ。聞くと、80代で最近水泳大会に出始めたと言う。今日は100m平泳ぎに出場金メダルとのこと。もう一つ、25mバタフライに出たが入賞はならなかったそうだ。

「バタフライに出られたのですか!私も100mバタを泳ぎました」と名鉄電車を降りるまで話し込みました。

 80代から水泳大会に出ようと思うなんて、立派なもの!

今日の大会。タイムは最悪で、金メダルは貰ったものの、他に成果はなかったと思っていましたが、新しい水泳仲間を見つけられた。これが今日最大の成果。名古屋に住むTさんでした。

MRIってこんなにやかましいの!

2010-04-29 | マラソン
 16日の転倒の件で、ホームドクターの若先生に、MRI検査を勧められました。以下28日のその顛末。
 ものすごい騒音でした。

 午後4時の予約でした。「20分ぐらい前までに行ってください」と、ホームドクターの看護師が言っていたので、3時半、家を出て自転車を転がして10分。国立病院に着きました。8年前に前立腺肥大の手術を受けた病院です。数年前に名前が変わり、「国立病院機構名古屋医療センター」。「機構」というのは、今「仕分け」で話題の「独立行政法人」を意味するらしい。でも、名古屋では今も「コクリツ」で通用する。

 放射線診療センターの受付で、若先生の紹介状を出して名前を言うと、「綜合受付の紹介状来院者窓口で手続きを済ませてください」。

 綜合受付けで10分ぐらいかかったが、受付票を作ってもらい、再度放射線科に行くと、5分前。「機械に数値を入れますからしばらく椅子に座ってお待ちください」。20分ほど待つと、看護師が迎えに来た。放射線科の受付票を作ってもらい、今度は「16,17の番号前で待ってください」。16、17というのがMRIの部屋らしい。2基あるようだ。

 部屋の前の椅子に坐り、所在ないので受付票を改めて眺めていた。A4の用紙に名前、年齢、診療項目がゴシック文字で大きく書かれている。病院の中で、「73歳」という文字が大きく書かれているのを見ると、「俺ってこんな年寄りなのかなぁ」。

 ここでも20分待った後、部屋に呼び込まれ、「これに着替えてください」と診療衣を渡される。更衣室でシャツとパンツになり、薄茶色の診療衣に着替える。4時40分だ。

「金属は身体の中に入っていませんね」、「金属?」、「手術で、ペースメーカーとか」、「あっ、ありません」。

 「耳栓をしてください」と耳栓2個を渡され、頭を固定し機械の中にスライドイン。右手にボタンを握らされた。「若し気分が悪くなったら、このボタンを押してください」。

 「始めます」の声とともに、「グアァーン」と、ものすごい騒音がする。耳栓などまるで効果がないみたい。MRIって、こんなものすごい音がするの!

 大騒音が数分続いた後、突然音が止まってガタンゴトンと機械を送るような音がする。「撮影位置を送っているのかな?」、するとまた「ゴーン」という大音声。今度は音の周波数がすこし変わっている。しばらくつづいた後、またガタンゴトンがあって、また大騒音。

 これが繰り返される。とにかくジェット機のエンジンが耳元で全開している感じの大音響だ。「終わりました」と、声がかかって機械の外に出してもらうと20分が経っていた。

「こんなにやかましいもんだとは、知らなかった!」というと、「磁石によってはもっと静かな機種もありますが、そちらは時間がかかります」と言う。

 「結果は1週間以内にN先生(若先生)のところに送りますから」と言われて終了。

 支払いを済ませようと会計に行くと、鉄格子のシャッタが降りている。5時で終了みたいだ。鉄格子の中で、女性が「時間外の支払いは守衛室で承ります」。

 守衛室で受付票を渡すと、「しばらくお待ちください。領収書を取り寄せます」

 支払いは¥2240だった。1割負担だが、意外と安い料金だ。

 帰宅後、放送大学の教科書「脳と生体統御」でMRI(Magnetic Resonance Imaging:磁気共鳴画像)を確認する。【ある種の原子核は電磁波の軸の回りに、独楽のようなスピン現象をひきおこす(NMR)。MRIの場合、水分子の中にあるプロトンHのNMRによる信号を画像化する】とあったが、大騒音がするとは書かれていなかった。

自民党

2010-04-23 | 経済と世相
与謝野さん、舛添さんなど次々に自民党から飛び出す人が出ます。

この原因について愚考しました。

 昭和30年以来、一年未満の細川・羽田内閣を例外として、昨年9月まで自民党の政権が続きました。その間に、いつのまにか自民党は政権党という疑似政党になっていたと思います。

 政権党とは、政権に就いていることで成り立っている政党です。本来、政権というものは、【政策や主張に共通点のある者同士が集まって、意見の集約と統一された政策の形成を図り、政策の実現に向けての活動として、政権を担当もしくは目標とし、議会の運営の基本単位になるなどを行う組織または団体のことを指す。】(ウィキペデイヤ)

 つまり、共通の政策を持つ人たちが集まって政権を担当または政権の獲得を目的とする組織です。

 ところが、自民党は、あまりにも長く与党で有りつづけたため、共通の政策を持つ人たちでなく、政権に就くことだけを目的とする人たちの集合になってしまった。

 政権に就いて、選挙民あるいは支持団体のために、便宜を図る。それによって自分も長く政治家の地位を保つ。自民党はそもそもどういう政策を実現するのか、ということを党として議論しない政党になってしまった。

 だから、平気で社会党とも連立政権を作れた。1994年、村山内閣の成立した時点で、自民党は、共通の政策を持つ政治家の集団(政党)であることを止めて、疑似政党になったと思います。村山内閣の成立が遠因となって、社会党は消滅した。自民党も同じ道を歩みつつある。

 医師会も、農協もどんどん自民党から離れ始めた。政権に就いているときは、便宜を図って貰えたが、当分、政権につく見込みがないなら、便宜を図ってもらいようがない。だから、自民党に距離をおく。経団連すらそうです。もともとこれらの組織は、自民党の政策を支持するというより、自分たちに有利な制度を作って貰うために支援していたのだから。

本来の政党になろうとすると、共通する政策は何か、から考えねばならない。そうなると、考えの違う(あるいは考えのない)人たちの集合だから、分裂せざるを得ない。

民主党の政権運用がいかにお粗末でも、自民党に政権は戻ってこない。

自民党が、もし、本当に政権奪取を志すのなら、「何故、自分たちは政権を失ったか。政策のどこで間違ったか」を総括しなければならないのだが、そんな動きはさらさらない。

LINUXの勉強会

2010-04-20 | Weblog・人生・その他
 LINUXの勉強会の報告です。
 先日、Yさんから「LINUXの勉強会をやりますから、興味があれば参加しませんか」というメールが届き、「よろこんで参加させていただきます」と返事していたのです。
Yさんは、パソコンの研修会をやる北ボランテヤのメンバーです。北ボランテイヤと言っても、北区生涯学習センターで活動するという意味で、ボランテイヤは北区だけでなく、各区から集まっています。Yさんは熱田区在住です。
 18日午後、擦りむいた膝の痛みが残る足を引きずってJR熱田駅前のYさんのお宅に。
駅から1分足らずで、Yさんの家でした。入ると、いきなりカウンターがあって、そこにデスクトップPCがずらりと7台並んでいます。「これは、すごいパソコンマニヤだ。」
 「ずいぶん投資されていますね」と言うと、「いやー、新品で買ったものは少ないんです。中古品で1万円台で買ったものもありますし、貰ったパソコンもあります。」
 私の他に2名の仲間が来て、1時からYさんに指導してもらいました。
 LINUXは、名前は聞いていましたが、実際に触れてみるのは、初めてです。
ご存知の方が多いかと思いますが、LINUXはパソコンのOSです。
現在パソコン市場のOSは大部分がMSのウィンドウズで占められていますが、LINUXは、1991年、北欧の一青年が開発したOSを無料で公開し、世界のパソコン愛好者が自由に改良できるように提供したもので、世界中で改良が積み重なった結果、性能的にマイクロソフトを凌駕し、しかも無料であることから、マイクロソフトの脅威となっている、というのが私の認識です。

 勉強会の内容は、「UBUNTU」(うぶんつう)というパッケージソフトでした。
今や、LINUXは沢山の種類のパッケージソフトとして提供されていることを知りました。Yさんは、「UBUNTU」がお気に入りのようで、実際、今一番の人気のようです。
パッケージソフトというのは、LINUXで動く文書作成ソフトやメールソフト、表計算ソフト、更には各種LINUXソフトをインターネットからダウンロードするガイドソフトも付いている一括ソフト。つまり、ウィンドウズで言うと、WORD,EXCEL,などが入ったOFFICEみたいなもの。
 まず、インターネットから「UBUNTU」をダウンロードし、CDに書き込む操作、それからこのLINUXをパソコンにインストールする操作など。
LINUXのインストールには、パソコンのハードデイスクの内部をウィンドウズの使う領域とLINUXの使う領域に分割してインストールするものと思っていましたが、勿論そういう方式で出来ますが、領域分割せず、ウィンドウズの領域内にLINUXをインストールする、つまり、ウィンドウズの通常のソフトと同様に、インストールすることも出来るようにもなっていることは驚きでした。

転倒した話

2010-04-19 | マラソン
 恥ずかしながら大失敗の報告です。
 16日の朝、7時過ぎいつものジョギングに出かけました。
走っていたら、ある瞬間、突然記憶がなくなりました。しばらくして、走っている自分に気がつきましたが、どうもへんです。
 足が痛い。見ると、両足とも膝頭の側を擦りむいて血がにじんでいる。顔の感じがおかしいので頬を抑えると頬骨が痛む(外傷はないことは帰宅後確認しました)。
「転んだ!」、でも転んだときの記憶が全くないのです。腕のストップウオッチを見ると、辺りの景色と比べていつもより2分遅い。(転倒?による)ロスタイムが2分だ。
 転倒は珍しくありません。年中走ってますから、一年か2年に一度くらい転倒するのは珍しくない。でも、今まで、転倒した場合、どのような状況で転倒したかは、詳細に記憶しています。ところが、この日は、転んだことさえ記憶にない。いったい何が起きたのか?
 お城と名城公園をいつも2周するのですが、2周目に入ってお堀端の南西の角にある公衆トイレの側にきた時、1周目にこのトイレの側を通った記憶が全くないことに気づきました。「ああ、ここのトイレ側を通る直前の上り坂で転倒したのだ!」と分かりました。
 いつもより軽めにして9km走って家に戻りましたが、どうもいつもと様子が違う。
 すごく足が重い、疲労しているのです。
「9km走っただけなのに?」まるでフルマラソンを走った後のような足の疲労です?
手帳のメモを見直しました。この1週間、走った距離は39km。
「そうか!走った疲労が翌日解消してないと蓄積される。連日の疲労が蓄積されて40km近く走った状態になっていたのだ」。疲労すると転倒しやすくなります。頭の中で、20センチ足を上げたつもりでも実際は10センチしか上がっていないということが起きるからです。
 9km走るぐらいで疲労が翌日に残ることはありえなかったのですが、疲労回復能力も体力の一つ。体力は加齢とともに衰えるが、その衰え方には、毎日徐々に落ちていく場合と、ある日急に低下する場合がある。どうも、疲労回復能力は後者のようだ。
 そういえば、今年になってから、朝、走り始めると膝が痛くなる日が時々あった。今までにないことだったので、「体重が増えたのかな?」と体重計に乗ってみても、それほど増えたわけではない。
前日の疲労が回復していないから、膝が痛む日があったのだ!
その日は、あまりに疲れていたので、水泳はお休みにしました。

あくる日(17日)、朝5時に起床しました。この日(4月第三土曜)は名古屋城から金沢兼六園まで走る250kmウルトラマラソンがあり、例年のように、名古屋城正門前まで走っていき、6時に出発する選手を拍手で見送るつもりでしたが脚が痛むので取りやめ。

 プールに行って泳ぐと、水を蹴る際、両足の擦りむいた個所が痛みますが、泳ぐことはできました。でも右の掌がいたくて、よく曲がらない(転んだとき右手を地面に突いた?)。
この日はもう一つの転倒後遺症にも気づきました。
 トイレ(大の方)でイキムと頭がすごく痛いのです。つまり、転倒した際、頬を地面にぶつけて、その衝撃が頭の骨に残っているらしく、頭の骨に圧力がかかると痛むのです。
「これだけ痛むのだから、相当ひどくぶつかった。その衝撃で瞬間的に脳の中の短期記憶が消滅したのだ」
 思っていた以上に重傷だったようです。以上「年寄りの冷や水」の話です。

石先生の主張

2010-04-11 | 経済と世相
放送大学の学長、石先生が10日の朝日朝刊で語っていました。
「地方分権には懐疑的」という意味の話です。
【地域主権は、決定も実行も地域が自分たちで主体的に担いましょう、というものですね。では霞ヶ関の官僚機構はどうなるのか。・・・
 民主党は国の出先機関を廃止するといってますね。ならば当然、職員も地方自治体に移さなければいけない。国家公務員30万人のうち20万人くらいを地方公務員にするわけです。どんなに反対があっても、ね。また、政府は補助金を廃止して一括交付金化するという。それはぼくも賛成だけど、実行すれば農林水産省や厚生労働省などの、かなりの部署が不要になりますね。その人たちは当然いらなくなるか、あるいは地方自治体に行ってもらう。権限と財源だけでなく、人も整理するか地方に出す。政府に必要なのはそういう覚悟です。」
「自治体には当然この20万人を受け入れ、使い切る覚悟が求められます。・・・」】
 「だから地方分権は出来ない」というのが、石先生の主張らしい。
最後に石先生はこう語っています・・・【「住民にも覚悟が必要です。(民主党)政府や地域主権の推進論者、本当の主権者は地域住民だ、住民が自ら地域のことを担うんだ、といっています。地域住民のみなさんは、仕事や家事を休んでも、地域のために役割を担う覚悟がありますか。」】
この最後の点は別として、「地方分権のためには国家公務員を地方に移さねばならない」という点では、石先生とまったく同意見です。ただ、だから地方分権は出来ないというのでなく、だから公務員制度を改革して、地方分権を可能にしようというのが私の意見です。
 本当に地方分権を実現するためには、国家公務員と地方公務員の人事交流を可能にするシステムを作り上げる必要があると思う。
 ついでながら、霞ヶ関のお役人は、財務省は財務省、外務省は外務省で採用しています。これを改め、一括採用して各省に配置する。あるいは各省間の人事を交流する仕組みにする必要があります。また、天下りの問題も、次官が決まったら、その先輩はすべて天下りさせるという現状の人事制度を改めなければ、問題は解決できない。この意味で、民主党の公務員制度の改革案は、きわめて不徹底なもので、がっかりしています。
 要するに、現在の公務員制度が時代にそぐわないものになっているため、官僚制度が機能しなくなっている。「政治主導」は、「官僚を機能させなくする」という意味であってはならないと思うのですが・・・
追伸:石先生は財政学が専門、小泉内閣時税制調査会会長。税金の大家として著名です。私は、石先生の税に関する議論には共感を覚えませんが、長くなりますので、その理由は別の機会にしたいと思います。

郵便貯金の限度額

2010-04-10 | 経済と世相
 亀井大臣が、郵便貯金の限度額を2000万円に引き上げることを決めました。
 この問題を考えてみます。内閣内部にも批判的な意見があり、たとえば前原大臣は「資金は“官から民へ“という考えからすると、如何なものか」とTVで疑問を呈していました。実際、民主党はこの観点から、かつて「限度額を1000万円から500万円に引き下げるべし」と主張していました。また、郵貯は、国民の零細資金を預かるという性格の金融機関で、実際、預金者の平均預金量は約300万円。2000万円に引き上げる意味はどこにあるかという批判もあります。
 亀井大臣の主張に賛成というわけではありませんが、大臣の主張は論理的にはスジが通っていると、私は思います。
 以下は、私の推理する亀井大臣の本音です。
 デフレ不況を脱出するには、需要を増やさなくてはいけない。ところが民間の需要がさっぱりだから、民間の需要が盛り上がるまでは、国がカネを使わないといけない。国がカネを使うには資金源として国債を発行しないといけない。国債を発行するためには、国債の買い手を見つけないといけない。だから郵貯に買って貰おう!
 しかし、郵貯はカネがないのです。既に郵貯の80%は国債になっています。95年に260兆円とピークをつけた郵貯は09年には175兆円にまで資金量が減りました。
 減った理由は二つ。一つは金利が低すぎて魅力がなくなったこと。もう一つは、国民の高齢化。現役時代は一生懸命貯金をしますが、退職すればその預金を下ろして使うのは当然です。
 景気対策で、政府はお金をじゃぶかぶにしましたが、お金というものは、貧乏人の所に寄り付かず、お金持ちの所に集まるという性癖があります。そのお金持ちの資金を郵貯に集めようとすると、限度額の1000万円が邪魔です。ほとんどのお金持ちは郵便局に1000万円の貯金は持っている。だから、限度額を上げないと、お金持ちからカネを集めることは出来ないのです。亀井さんは、300万円程度の零細預金者から貯金を集めるのはムリだと、分かっています。
 鳩山総理が「閣僚会議の了解を取らないと・・・」と渋っても、亀井大臣は「国債の引き受け手がなくなったら、どうするんですか?税収が37兆円で予算が92兆円。今年は埋蔵金で10兆円ぐらい捻り出したが、来年以降、不足額は全部国債。日銀に全額引き受けさせるのですか?国債が未達になったら日本政府の信用はどうなるんです!」と、詰め寄ったに違いありません。
 かくて、菅さんも仙石さんも前原さんも何も言えません。あっさり、閣僚懇談会は、亀井案を了承する運びになりました。
 以上は、まったく私の想像ですが、資金の流れを「官から民へ」にしようとするなら、国債発行を減らさないといけません。国債こそ、民からカネを吸い上げて、資金を「民から官へ」流すものだからです。

「伊達判決」ってご存知ですか

2010-04-05 | 経済と世相
「伊達判決」ってご存知ですか。

4日の中日朝刊(中日春秋)が「伊達判決」を述べていました。

【<米軍の駐留は憲法9条に違反する>。半世紀前、歴史に残る判断が示された。憲法の教科書で必ず紹介される「伊達判決」である。

 東京都北多摩郡砂川町(現立川市)の米軍の飛行場に不法侵入したとして、旧日米安保条約に基く刑事特別法違反罪で起訴された被告に、東京地裁の故伊達秋雄裁判長は1959年3月30日、無罪を言い渡した。

 墨筆で書いた辞表を懐に判決に臨んだ裁判長の覚悟に慌てたのは、当時のマッカーサー駐日大使だった。判決翌日、藤山愛一郎外相と会談。東京高裁を飛び越えて最高裁への上告を促した。田中耕太郎最高裁長官とも密談している。

 裁判は大使の思惑通り進んだ。検察は最高裁に跳躍上告。最高裁は地裁に審理を差し戻し後に有罪が確定する。露骨な内政干渉の事実が明らかになったのは2年前、米公文書が機密指定を解除されたためだ。

 外務省は元被告の情報公開請求に「記録がない」としてきた姿勢を最近やっと見直した。大使と外相が会談した事実を認め、速記録を元被告に開示したのだ。政権交代の大きな果実だ。】

 中日春秋子は、文の最後をこう締めくくっています。

 【飛行場は77年に返還され、昭和記念公園になった。180ヘクタールの敷地には31種類1500本の桜があり、ソメイヨシノが満開だった昨日は2万人が訪れた。・・・普天間飛行場の跡地に季節の花が咲き、市民を楽しませてくれる日も必ずくる。】

 私が「伊達判決」を取り上げたのも、「普天間問題」に思うところがあるからです。

 自民党は「普天間問題迷走」と批判しています。しかし、戦後65年が過ぎようとしているのに「何故日本の国内に米軍の基地があるのでしょうか。そして米軍基地の運営コストの7割を何故日本が負担せねばならないのでしょうか?」。自民党政権は、外国の基地を永久に日本国内に維持するつもりだったのか、基地をなくすための努力も交渉もしてこなかった!

 一方、鳩山さんは「5月末までに代替地を決める」といっているが、単に沖縄の基地を他県に持ってくるだけでは、持って来られる方は反対するに決まっています。

 今すぐ基地をなくせと言っても、諸般の事情というやつで、無理でしょう。しかし、期限を切ってそれまでに、米軍が日本を撤退するとの約束で、暫定としての基地ということなら、代替地の探し方もあると思うのです。

 香港だって、マカオだって99年で、英国とポルトガルは中国に返しました。日本の米軍基地も期限を定めて日本に返すべきで、期限が必要なのは、代替地を決める期限でなく、米軍撤退の期限です。

 以上は、独断と偏見に基く私の基地問題の考えですが、鳩山総理の問題点は、「どういう方針で代替地を探すのか」の考え方を示さず、「みんなで相談しなさい。最後は私が決めます」とだけ言っていることです。

追伸:いま、「伊達判決」でグーグル検索をすると面白い!

ご関心のある方はどうぞ。