古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

だるせん展

2017-12-01 | 美術館と美術展

12月1日午後、思い立って名古屋市博物館に出掛けました。「北斎だるせん展」をやっている筈と見に行きました。「だるせん」とは、200年前葛飾北斎が名古屋で大きなダルマの絵(18m×11m)を描き、人々の称讃をあび、「だるまの先生」と呼ばれたそうです。「ダルマの先生」略して「だるせん」というわけです。名古屋と北斎のかかわりを主題にした展覧会でした。

2,3日前の新聞に、この時の北斎のイベントに倣って、名古屋の西別院で大きな達磨の絵を描き月内展示していると載っていたが昨日で展示は終わっている筈です。

 その北斎の大達磨の模写が展示され「写真撮影はご自由」とあったが、残念ながらカメラの持参を忘れていた。写真が撮れなかったので売店で絵葉書を100円で買い求めました(写真)」。

 

 


小学校の同級会

2016-11-08 | 美術館と美術展
豊橋美術博物館に行ってきました。5日午前です。5日は蒲郡で、午後小学校の同級会。どうせ蒲郡までいくのなら、豊橋によって来よう。豊橋の美術館はいい美術館で10数回行っています。最近時間がとれなくて訪れていないのでこの機会に行ってみようと、朝8時に家を出て、名鉄で豊に向かいました。9:37豊橋着、市電で豊橋公園に行きました。実はこれ、小生にとって大事件です。美術館は駅から2㎞弱、豊橋公園の中にあるのですが、今までは駅から歩いていたので、市電で行ったのは初めて。最近脚力が弱って、2kmを歩くのが億劫で市電に乗ったのです。「80歳を過ぎたから仕方ないか。」
 公園前で下りて美術館まで歩きました。「NIHON画 新たな地平を求めて」という企画展をやっていました。
「本展では、戦後日本画史を語る上で欠くことのできない福田平八郎、神岡神泉、東山魁夷、高山辰夫、杉山寧、片山珠子、香山又造、平山郁夫、堂本印象、横山操といった画家たちが日本画壇に新風を吹き込むべくさまざまな表現に挑んだ1950~60年代を起点にバンリアル美術協会などの前衛グループや独自に活動を展開した画家たちの実験作。伝統素材を用いて「日本画」を超える新たな可能性を示した現代画家を取り上げます。」
 日本画とは何かを追求し、岩絵の具を用いた絵で抽象画の世界を追求した作品の展示と思われました。秋野不矩の「ガンジス川」が印象的でした。
1時間ほど見た後、また市電で駅前に戻りました。豊橋名物の「菜飯田楽」で昼食を採り、1時前の電車で蒲郡に1次10分ごろつきました。
幹事のNが、いました。「ケイタイ持ってない?」。「持ってない」。「公衆電話探したけど、たった一つ見つけた公衆電話が故障らしくてかからない!」
実際最近ハケイタイの普及で、公衆電話が少なくなり、探すのに苦労する。
「ホテルのバスが迎えにくるじゃない。それを待とう」。ホテルのバス専用の乗り場の前のベンチに腰を下ろし待っていると、S君がきたので、ケイタイを借りてNが電話した。
間もなく、もう一人の幹事「タミネエ」(本名民子)が車を転がしてやってくる。早速乗り込む。「ダンナは元気?」。「昨年12月になくなった」。もう皆そういう齢なのだ。
竹島ホテルについて、ロビーに座り込んでいたら、次々昔の同級生がきた。今日は男子8名、女子12名の20名だという。同級生は50数名いたが、80歳を超すと3割がなくなっているから生存者は40名程度、20名なら、出席率5割を超す。
「10名も集まるか?」と思って声をかけ始めたんだけど、20名もあつまってくれたから、うれしい」。幹事のNが言う。部屋に入り、着替えをして大風呂に行く。三河湾の景色が綺麗だ。目の前に竹島がある。
幹事の部屋に集まり、アルコール漬けが始まる。マサミ君が来た。何十年ぶりかな?奥さんを17年前に無くし、今はウオーキングに熱中しているとのこと。「シーボー」(本名静子)も来た。名前が思い出せないのも、男子2名、女子2名いた。
 夕食会後はカラオケが恒例だ。みんな乗りの良い歌を歌う。カラオケが歌えるということは、肺活量があり健康だということだ。
小生「世の中歩がなきゃなりたたぬ」の『歩』、「精進落としの酒を飲み,
別の生き方あったね」の『小樽運河』を披露したら、「歌、沢山知ってるんだねぇ」。賞賛なのか、冷やかしなのか。ともあれ8時過ぎまでカラオケで賑わった。
翌日9時でお開きにしてかえってきたが、中学の同級生Fの息子さんから年賀欠礼の挨拶状が来ていた。
「父が本年7月永眠しました。そういう齢、と再度思いました。

ルノワールの時代

2016-08-14 | 美術館と美術展
8月13日名古屋市ボストン美術館に「ルノワールの時代 近代ヨーロッパの光と影」
といういう展示会を見に行きました。
http://www.nagoya-boston.or.jp/exhibition/list/renoir-201603/outline.html

ボストン美術館は経営が不振で来年は閉鎖の予定らしい。もっと頻繁に利用しなければいけなかったと、遅ればせながら暑い中で出かけた次第です。
この企画展は21日までの予定で、小生にとって、タイトルが気になる企画展でした。
インターネットの解説では、
「19世紀後半から20世紀初頭のヨーロッパは、産業革命により近代化が進んだ時代であり、人々の生活は劇的に変りました。ガス灯が輝く通り、華やかな舞台の劇場―街は都市へと変貌し刺激的な場所となります。しかし急激な人口増加に見舞われた都市では生活環境が悪化し、貧富の差が生まれました。人々は都市に息苦しさを感じる一方、自然や素朴な暮らしの残る田舎にピクニックや海水浴などの憩いを求めるようになります。
本展はボストン美術館のコレクションを中心に、油絵、版画、写真の89作品で近代ヨーロッパの生活をご紹介します。芸術家たちを惹きつけた風景とそこに暮らす人々の光と影。ルノワール、モネ、ミレー、ドガ、ゴッホらが描く「都市と田園」の魅力をお楽しみください。」ということですが、
私の解釈では、ルノワールの時代の画家たちが好んで選んだ画材を特集した展示会です。
「19世紀半ば、芸術家は同時代を生きる農民や労働者の姿を題材にするようになります。彼らはまた、工業化が進み人口が増え、環境があっかする都市ではみられない田園や豊かな自然の状況を描きました。当初は農民の労苦を素直にとらえた作品を描きましたが、次第に田畑を耕し家畜と共に明るく労働する理想化された農民の姿を描くようになる。一方、ゴッホのように地方の貧困という社会問題に目を向けて描く者もいました。年と田舎の生活や文化の格差が広がる中芸術家がとらえた田舎を見る。」
ゴッホが格差を描いたという見方は新鮮でした。1時間半見て帰宅しました。

ポンペイの壁画展

2016-07-29 | 美術館と美術展
「ポンペイの壁画展」を27日、名古屋市博物kぁんで見てきました。
http://www.chunichi.co.jp/event/pompei/
2000年前火山の噴火で埋められた街の壁画を展示するという。日伊交流150年記念展で本邦初公開との惹き句に惹かれて出掛けました。
10時前に会場に着きましたが、もうすでに観客が大勢詰めかけていました。当時の邸宅や別荘をを彩った絵画、神話の登場人物と銘打っていますが、人間の裸体の美というものが、既に鑑賞の対象になっていたのですね。本邦初公開といわれる壁画は、18世紀に発掘された際は、ルネサンスの巨匠ラファエッロの作品に例えられましたとのこと。
写真を撮っている人がいたので、私も撮ってみようかと1枚カメラのシャッターを押してみたら、直ぐスタッフが来て「フラッシュは使わないで」という。
この薄暗い室内で、フラッシュなしではうまく映らない!それに、カメラは自動でフラッシュするようにせっていされているので、フラッシュ解除の設定方法をわすれてしまった。というわけで、カメラはあきらめました。
帰宅後ツイッターを見たら「うまく撮れた写真が少ないので、ツイート少なめです(壁画の素晴らしさを写し取るだけの腕も機材もなかった…)。 ぜひ現地でご覧ください。 名古屋の会期は2016年7月23日(土)~9月25日(日)です。 http://www.chunichi.co.jp/event/pompei http://www.museum.city.nagoya.jp/exhibition/special/past/tenji160723.html」
というのがありました。27日付でしたから、私と同様カメラを試みた人のようです。


藤田嗣治展

2016-07-02 | 美術館と美術展
7月1日、藤田嗣治展を名古屋市美術館で見てきました。
http://www.leonard-foujita2016.com/
4月29日からやっていたのですが、つい時間が取れなくて皆既終了が7月3日に迫って、やっと見に行くことが出来ました。
生誕130年記念ということで、名古屋の後は、兵庫展(7月16日~9月22日、兵庫県立美術館)、府中展(10月1日~12月11日、府中市美術館)と続くようです。
 年代順に彼の作品を多数集めて展示していました。小生は、藤田の作品を見るのは初めてです。
「サイパン島同朋臣節を全うす」、「アッツ島玉砕」など名前は聞き知って今いたが、現物を見るのは始めです。戦争協力云々はありますが、絵画として素晴らしいものと思いました。インターネトの解説には、『東西の豊かな土壌の上に新たな芸術を花開かせた藤田その人は、一方で二つの文化に引き裂かれる苦しみを味わいます。毀誉褒貶。戦争画の問題を巡る過熱した責任論は、二つの世界に生きた藤田が背負わされて重い十字架でした。その心の苦しみを癒すかのように、最晩年の画家はランス礼拝堂の建設に残された生命を注ぎ込み、完成から1年半足らずでこの世を去ります。東西融合の喜びと苦しみを一身に引き受けた生涯でした。』とありました。
一見の価値ある展覧会です。

歌手は副業?

2015-10-14 | 美術館と美術展
14日は雲一つない晴天、家にくすぶっているには勿体ない。出掛けよう。恵那市の中山道広重美術館に行くことにした。
 歌手のジュデイーオングの木版画を展示しているという。
 恵那市は、江戸時代風にいうと、中山道大井の宿です。美術館は、
• (平成13年)9月開館。
• 恵那市の大井町商店街(中山道大井宿)にある。恵那市が中央本線恵那駅南口の再開発事業の一環として計画された郷土資料館が原型である。
• 浮世絵は地元の実業家、田中春雄の浮世絵コレクションの寄贈を受けたものが多い。
ジュデイーオングは歌手として有名だが、(『魅せられて』が有名。https://www.youtube.com/watch?v=tvQpnBo42cQ)木版画をやっているとは知らなかった。是非見に行こう、と大曽根駅から9:37の中津川行行き快速に乗車した。1時間程で恵那に着いた。美術館は駅から南へ歩いて3分ほどで左手にあった。
歌川広重の「名所江戸百景」と並べて彼女の作品が展示されていた。見事な出来栄えで、日展にも十四回入選しているそうだ。棟方志功の孫弟子に相当するという。歌手が副業に版画をやっているのでなく、版画家が歌手を副業でやっているのだ。
https://hiroshige-ena.jp/exhibitions/20151001
2階のロビーで、彼女の版画制作過程のビデオをやっていたので、暫く見とれていた。制作に取り組む期間は3ヶ月、取材を含めると6か月かかるという。歌手、女優の仕事をしながら、これだけの作品群を生み出すのだから凄い。「時間は作るもの」と言い切る彼女は立派だ。
1時間ほど鑑賞したあと、駅に戻り午後は多治見駅に戻った。 来月の住宅のウオーキングで、ミノセラミックパークに行きたいと言うので午後は下見に行ったのです。 4時、帰宅しました。



木喰と円空の作品展

2015-06-29 | 美術館と美術展
先日、『仏像の見方』という本を読みました。
http://d.hatena.ne.jp/snozue/20150623
最終章で、木喰と円空を論じていました。
その木喰と円空の作品展が、名古屋松坂屋の美術館で開かれているというので、27日、行ってみました。
http://www.matsuzakaya.co.jp/nagoya/museum/2015_enku_mokujiki/
木喰の表情ゆたかな「微笑仏」は、確かに、『仏像の見方』にあったように、「子供」の表情をうつしているかのようです。
案内のパンフレットによれば、『天平~鎌倉時代に深化を続けた仏像表現は、江戸時代には過去の作品の模倣による停滞期に入ります。円空・木喰は全国を行脚僧として布教活動をしながらも独創的な仏像や神像を彫り歩きました。
 円空(1632~1695)は、荒々しくも自由奔放で力強い鑿痕により独特にデフォルメされた仏像を数多く彫り残しました。32歳で仏像を彫り始めてから64歳で入寂するまでの30年間の間に12万体造像したとも言われ、今までに確認された円空仏は5400体余。
 一方、木喰(1718~1810)は表情ゆたかな「微笑仏」と呼ばれるやわらかな笑みをたたえる丸みを帯びた像を彫り残し、61歳に初めて造像して以来80歳で1千体、90歳に2千体の造像を請願し、93歳で生涯を閉じるまで多くの仏像を彫り、現在720体余が確認されている。
 円空・木喰がたどった土地に今もなお、守り伝えられる仏像、神像、資料、初出品作品、円空7体、木喰6体を含む約270点により時代を超え、人々を魅了する二人の造形美を紹介します。』
荒子観音(名古屋)の木端仏、西光寺(柏崎市)の12神将像が印象に残りました。しかし、これ程たくさんの彫刻を一度に見ると、疲れますね!

大織部展

2014-10-28 | 美術館と美術展


 26日は午後、岐阜県陶磁美術館に出掛けました。
http://www.cpm-gifu.jp/museum/01.top/index1.html
大織部展がこの日までやっていたが、見に行こうと思いつつ行けなくて最終日になりました。12時家を出て、地下鉄で大曾根駅、JR中央線の中津川行に乗り換え1時に多治見駅に着きました。南口のバス停に行くと、13時10分発のコミュニテイ・バス桔梗号に乗りました。美術館迄片道200円ですが、一日乗車券300円を買えば、帰りも使えるとのことで、300円券を買いました。「何故桔梗号かな?」と思っているうちにバスは、土岐川の川岸に出ました。「そうか、土岐は戦国武将の明智光秀の出身地、光秀の家紋は確か桔梗だった」。市街にでると、修道院というバス停がある。こんなところに修道院があるの?

25分で、「セラミックパークMINO」に着く。
「大織部展」のポスターが大きく掲示されている。

「セラミックパークMINO」は、随分立派な建物だ。

入り口から展示室まで豪奢なアプローチがある。

展示室の前に梶原前岐阜県知事の筆に成る定礎がある。


梶原さんは知事会の会長もやったから、政治力があり、国から補助金をたくさん獲得してこの美術館を作ったのだろう。
 800円のチケットを買い、中に入ると、学芸員の解説がはじまったところだったので、グループの後について、説明を聞きながら回った。
 古田織部は没後400年っという。大阪陣後、家康に謀反の疑いをかけられ切腹を命じられたという。
信長、秀吉、家康という一癖も二癖もある人物に仕えたのだから、人扱いはうまかったはずだが、どうして謀反の疑いをかけられるようなことをしたのだろう。この辺りは歴史小説家の題材で、小生などには思い及ばない事情だろう。
利休作の竹の花さしがあった。先日の太河ドラマ、官兵衛に出てきたものかな。利休の織部宛ての書状も展示されていた。もちろん展示の中心は、焼き物だが、形がすべて歪んでいて、円や直線を組み合わせた西洋の美術品には全く見られない美である。この、いわば、ゆがみの美を見出したのが織部だったのかもしれない。「ひょうげもの」と称された所以であろうと思った。1時間ぐらい駆け足で展示を見て2;35のバスに乗り、3:37大曾根駅に着く。プールにより夕方帰宅しました。












長崎歴史文化博物館収蔵品展

2011-09-25 | 美術館と美術展
「長崎歴史文化博物館収蔵品展」が、高浜市のかわら美術館で9月25日まで行われていました。24日は絶好のお出かけ日和でしたので、行ってみました。
 この美術館、衣浦大橋近くの小さな美術館ですが、時々面白い企画の展示をやるのです。3年前は、「ねむの木の子どもたち展」その前の年は「原爆の図」の展示があり、見に来ました。
http://blog.goo.ne.jp/snozue/d/20080828

 11時半過ぎに到着。入場チケットは¥600。
出かける前に、「長崎の博物館の収蔵品を見に行く」と話したら、「原爆の資料でもあるの?」と、若い姪に聞かれましたが、江戸時代、長崎はアジヤのみでなく西洋にも開かれた国際都市でしたから、当時の文化を伝える品々が残されています。
http://www.takahama-kawara-museum.com/exhibition/detail.php?id=150
 2階~3階が会場で、プロローグは、18世紀の世界地図と日本地図の展示。当時から、かなり正確に国の形がわかっていたんだ、と思いました。
 2階は、出島貿易を通じて入ってきた海外の絵や工芸品の展示。
 出島阿蘭陀屋敷の景やイギリス製ウィスキー瓶、ギヤマン杯などの工芸品がありました。勿論、中国から入ったものもあります。 磁器や陶器、端渓硯石などもありました。面白いと思ったのは、かわら美術館だけあって、長崎の古い瓦が数点展示されていたことです。
 3階は、やきものを中心に海外の影響を受けた異国趣味あふれる日本の工芸品です。長崎の亀山焼、対馬の対州焼、平戸焼、など。
こうしたものにご関心ある方は、長崎旅行の際に、お立ち寄りください。
ご参考までに、本家の長崎の博物館のホームページを紹介します。
http://www.nmhc.jp/
 1時間ほどかけて見学しましたが、見終えると時分時でおなかが空きました。おいしいものでも頂こうとレストランを聞くと、フランス料理の店が館内にありました。
 這入ると、結構にぎやかでした(展示室よりもにぎやか)ので、評判の良い店らしい。
 腹ごしらえを済ませ、帰途につこうとフロントの前を通ると、パンフレット類が目につき、「長崎の心、竜馬の心」と題するA4判の分厚なパンフが目に留まりました。
1部頂いてきましたが、長崎周辺の観光案内はバッチリ、のものでした。その中からネット情報。
http://www.nagasaki-tabinet.com/


ねむの木のこどもたちとまり子美術展

2008-08-28 | 美術館と美術展
24日朝、男子北京マラソンの日本勢惨敗を見て、「ご先祖さまがライオンと競争していた人種には勝てないなぁ」と、早々にTVを切って、知多の「かわら美術館」に出かけました。

今月中、「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」をやっていると聞いたからです。

昨年も8月に、丸木夫妻の「原爆の図」展をやっていました。高浜市の「かわら美術館」は時々、良い企画展を開きます。

平成7年開設された美術館で、高浜市周辺が三河瓦の名産地であったことから、遺跡などから発掘された7~8世紀以来の瓦など日本の各時代の瓦を蒐集し、常設展示(3F)している。

三河湾沿いに走る名鉄の高浜港駅から徒歩10分、12時20分美術館に着いた。

『・・・展示の下見に来た時、「このあたり、海だったんですよ。」

「なんというの」

「衣浦湾(きぬうらわん)」

まよわず決まりました。

美しい海の水の中にキラキラ

光るお魚、つまり絵がいっぱい。

・ ・・

ねむの木学園の心を受けとってください。

どうぞよろしく    まり子』

という宮城まり子さんの言葉に迎えられて、展示室へ。



ねむの木学園は障害児の養護施設、したがって、絵の作者はすべて障害児なのに、素晴らしい美の世界に、「身体の障害は芸術には無関係」。もしかしたら身体に障害を持つ人の方が、美に敏感なのかも知れないと思う。



この美術展、世界各地で開かれている。昨年は、六本木の森ビルの美術館で開かれたそうだが、フランスや米国でも開催されたようで、その折のシラク大統領や、カーター大統領夫人が寄せた讃辞が紹介されていた。



それにしても、宮城まり子という人物は、素晴らしい。この世に生を受けて、何をなすべきかという、つまり、志(こころざし)を持っている。近年、志を持つ人物が少なくなった。

http://www.kawara-museum.takahama.aichi.jp/exhibition/current.htm



1時間余見てから、外に出て、近くに住む弟に電話した。迎えに来てくれた車の中で、弟が「宮城まり子は、いくつぐらいなの?」、「77ぐらいかな?」

(帰宅してから調べたら、1927年生まれというから、もう80歳を越えた。)

弟の家で、2時間ほど雑談して、3時半過ぎ辞去。今度は伊勢湾沿いの名鉄で、4時半帰宅しました。