古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

工場見学記

2009-06-24 | 経済と世相
「22日、工場見学をさせてください」とD社の総務にメールを入れたら、「どうぞ。9時に犬山駅までお迎えにいきます」との返信がありました。生憎の雨になりましたが、9時前、犬山駅の階段を下りていくと「お早うございます」と声がかかる。見ると、F製造所長だ。「やぁお久しぶり。忙しいところをすみません」と謝意を表してから彼の車に乗せてもらう。10分ほどで到着。
応接室でしばらく製造所長の話を聞く。以下、100年に1度の不況の直撃状況。
「去年の9月までは、いけ行けどんどんで、工場建屋を増設して新規設備を発注していたのが、10月以降急転直下で受注がなくなり、2月が能力の20%台、今も4~50%の操業率。派遣社員やパートに申し訳ないが辞めていただいた。今度は3直で動かす人員が不足する。2直操業だから熱効率のロスが大きい」
「従業員は残業がなくなったので極端な人は月収が12万円も減ってしまい、会社は従業員の副業を認めることにした。」
「再雇用もなくなったの?」、「いや、希望する人は再雇用で残っています。労組との契約で、希望すれば65歳まで再雇用は継続することになっているのです。」
「発注した設備を停めるのに大苦労。なんとか、設備は停めたが、建物は作り始めていました。」
「発注した鋼材(材料)も、なんとか鋼材メーカーに保管してもらっていたのが、今になって入ってくる。鋼材倉庫が満杯です。」
素材工場の見学に入ったが、何しろそんな操業状態で、しかも、月曜朝だから炉の温度が上がっていない。「メンテだけはきっちりやらせています」と製造所長は言う。

次に、平軸受けの加工工場に行く。今度は工場長のOさんが案内してくれたが、大部分の加工設備は、岐阜県関の子会社に移転。小ロット用の試作ラインとメッキ設備が残っているだけだった。「将来的に此処はメッキのみで、自動車用は関に集中です。」と工場長は言う。40分ほどで、見学を終え、応接室で工場長と話す。
「こんな状況ですが、従業員の士気を損なわないように気をつけています。」
「自動車は在庫管理が徹底しているから、車が売れなくなると、一挙に注文はなくなってしまう。少しは在庫を作らせてくれると、ここまでの落ち込みはないだろうネ。」と私が言うと、「そういう面はありますね。造船などはリードタイムが2年もあるから、今までは影響軽微でしたが、これから厳しくなりそうです。」

次にその船舶用平軸受を作るM工場に行く。I事業部長が案内してくれました。つい先期までは、順風万帆だったが、「今期は警戒が必要」とのこと。
「リードタイムが長いから、これから不況の影響が出てくるの?」
「それもありますが、鋼材価格が高いので、もう少し待てば安く船が造れる、と船主が発注を控えているのです。実際、韓国で一頃の6割、中国では5割に下落していますが、日本の鋼材価格はまだ9割にしかなっていない」
「荷動き自体が減っています。だから船の需要が減っています。不景気になれば原料の運搬も少なくなるし、自動車運搬船も稼働率が下がります」。

昼食は社員食堂で、Iさんの馳走になる。
午後は、関までの移動。「K常務がご案内します」と、R&Dの建物へ。ロビーで待っていると、Kさんが現れ、「いらっしゃい。車、持ってきますから。」
関の工場までおよそ40分。車中で聞く。
「米国の子会社の清算で、T社とH社に挨拶に行きました。H社は何も言いませんでしたが、T社は“なんで今引き上げるの!これから出るべきなのに!”と叱られましてね」。(それは、対応した先方の役員の個性?それとも会社としての姿勢?)
「でも、T社系の部品会社がどんどん米国から撤退してるんですよ」

関では、FORDが監査に来ているとのことで、社長は顔を見せなかったが、M部長が案内してくれました。ピークの半分の操業率ということだが、37本のラインが整備されていた。
新しい試みとして、直線になっていたラインをUの字に配置したラインを見る。
「直線とU字と使い勝手はどちらがいい?」
「チョコ停の対応で歩く距離がUの方が少なくてすみます」と部長が応えると、K常務が、「トヨタのN重役さんがこれを見て“Kさん。ここは運動場なの?”と皮肉られました。」
U字ラインとは、通常、振り向けば直ぐ後ろの機械が操作できるぐらいの間隔で機械を配置するのに、ここは、U字の空間が運動場みたいに広いという意味。
D社の加工機は、付属する搬送装置が大きい。だから、そういう機械をUに配列すると、真ん中が大きく空いてしまう。搬送装置が大きいから、そのコンベヤ上に並ぶ製品も多い。
「Nさんから“何故何十個も(機械間の)コンベヤに乗せる必要がある?”とも言われました。
結局、トヨタ方式を真似したレイアウトを試みても、機械の設計思想自体が違うから難しいのだ。
「でも、Nさんは正直で、“工場内はそうした管理が徹底していたが、出荷後の管理が甘い。それが今回のトヨタの失敗だ“と言っていました」。
 K常務は付け加えて言った。「今、生産技術に“短いラインを造れ”と指示して研究させています。景気が回復したら直ぐ作れる様にと」。

 2時15分、工場を辞し、犬山駅に送ってもらった。駅には3時に着き、小生のために、わざわざ時間を割いてくれたK常務に謝意を表して、別れました。
4時に帰宅しましたが、久しぶりに、勉強になった一日でした。

頭の中はどうなってるのか?

2009-06-20 | 水泳
7日のなごやマスターズの後、新聞に出てるかな?と翌日、その翌日と朝刊を見たが出ていない。記事が多くて出せなかったのだな、と思って忘れていました。ところが、16日になって、朝刊を広げたら出ていました。
「7日(日本ガイシ・アリーナ)=関係分、1位のみ」として、私の名前も出ていました。しかし、何か変だな?と思いました。載っているべき友人の名がないのです。初めからじっくり見直しました。そこで、驚くべきことを発見しました。
「30~34歳」の次が「40~44歳」、その次が「50~54歳」、その次は「60~64歳」・・・
つまり各年代とも「*5~*9歳」が総て抜けている。男子も女子もです。何かのミスがあって、半分データが失われた!
18日、中日新聞に電話して、その旨伝えました。「記事の担当が席に戻ったらお電話しますから、電話番号を教えてください」と言う。

30分ぐらいしてから電話がありました(音声から判断して若いお兄さんです)。
「記事のスペースが足りなくて半分だけ載せたのです」と平然として言ったのには、唖然としました。思わず私も余分なことを口走りました。
「中日はそういう新聞なの?そういうデータのカットの仕方で良いと思っている貴方の、頭の中はどうなってるのか理解できない!」
若いお兄さんは、かなり頭にきたらしくて、「私の方こそ、この程度のことで苦情を言うあなたが理解できません!スペースがないのだから仕方ないですよ。一番沢山紙面を取りましたよ。元データがどれくらいあったかというと・・・」
私も「データがどれくらいか、私は大会に出場したのだから、貴方より詳しいですよ。こんなデータのカットの仕方をするなら、全部載せない方がマシです」
「じゃ、これからそうします。」と若い記者。
私「貴方はなんというのですか?社長に話します」
「どうぞ。私はIです。」ガチャーンと電話が切れました。

いや、お恥ずかしい。いい年をして、若い者と喧嘩するつもりは、まったくなかったのですが・・・
人間、誰にもミスはあるものですから、「ミスをしてごめんなさい」とか「誤りを指摘して頂きましてありがとう」という電話を予想していたのですが、相手は全然誤りと思っていない。自社の紙面だから、どんな内容で載せても自由と思っているらしい。
「近頃の若い者は・・」という言葉を言ってはいけないと思っていたのですが、これには「近頃の若い者はどういう教育を受け取るのだ」と思わず、独り言!
「日本という国は、トップがダメでも、実務をこなす兵隊がしっかりしているから大丈夫だ」と思っていたのですが、ダメになったのは、総理大臣だけではないようです。

麻生首相:私の時評

2009-06-17 | 経済と世相
麻生首相の人気が急落しています。

5日の毎日新聞に「首相、一体何がしたいのか」という、記者の署名入りの記事が掲載されていました。

【首相は、自ら言った厚生労働省の分割論、事実上2週間で撤回した。・・・一度示した分割案を形成が悪くなるや「こだわらない」と否定したのには驚いた。・・(中略)・・・「こだわらないなら最初から口にすべきでない」(民社党森参院議員)のである。

首相のぶれは、就任直後から続いている。民主党の鳩山代表から「ぶれ続けている点でぶれていない」とまで言われる始末だ。・・・・

一連の言動に共通しているのは、いったん決断したように語ったことでも、与党内で反発を受けた途端、あっさりと撤回してしまったことだ。ぶれるのはともかく、「では、一体何がしたいのか」という点がさっぱり伝わってこず、すべてが「政権維持のため」としか映らない。・・・・

「何がしたくて首相になるんじゃない。首相になるのが目的の人だ」。自民党幹部はかつて麻生氏をこう語った。しかし、麻生氏も、政権維持のためなら何でもしてきた自民党という土壌が生み出した政治家の一人に過ぎない。党内にはまたぞろ「選挙の顔」を替えようとする動きもあるが、そろそろ自民党自体が賞味期限切れを迎えていることを自覚すべきではないか】


まさに、私の言いたいことを代わって言ってもらったような記事です。

麻生さんは、総理になって何かをしようと言うのでなく、「総理であること」が嬉しくてならない人です。

就任以来の首相の意思決定、「どうして麻生さんは、こうした決定をしたのか?」を考えるとき、「一日でも長く自分が総理を勤めるには、どうすれば良いか?」を基準に判断したと考えると、実に良く分かる(総選挙の先送りもそうだ)。

今回の「鳩山大臣更迭」も、「自分が総理を続けるには、西川、鳩山どちらを切るべきか?」で決めたのだと思います。西川を切れば、小泉チルドレンが騒いで、衆院の3分の2が確保できないから、政局になる、と考えた。

執筆者の書いたように、そもそも自民党は、何かの主張を実現しようという政党でなく、政権の座にあること自体を目的とした政党で、政権を得るためには、社会党とも手を組む政党でした。その政党から、「総理であること」だけが目的の総理が出ても不思議でない。

社会党と組んだ時は、自民党にとっては、うまく行きましたが、今回は、うまく行きそうにない。まさに、賞味期限切れらしい。

甲州の旅(2)

2009-06-11 | 旅行
 到着後、OB会の年次総会が1時間ほどありましたが、労組委員長が、来賓挨拶で近況について、「パートを4月から組合員とした。ただ現下の不況で、組合費は当分無料にした。正社員についても、当面組合費半額にした」と語った。


二日目の出発は9時。D社の社長がバスに顔を出して、「昨日は皆さんと一緒に楽しい一日でした。身延線の特急で帰りますので、これで失礼します」と挨拶してバスを降りた。その後、全員に冷たいアイスコーヒーが配られた。「社長さんの差し入れです」と添乗員。社長ともなると、いろいろ気を使うのだ。

雨はどうやら上がったが、雲が空を覆っている。精進湖を車窓に見る。「1000円札次の写真はここから写したものです」とガイドさんは言うが、富士は雲に顔を隠したまま。高速を降りたところでトイレ休憩。本栖湖が見える。湖を見ようかと降りてみる。与謝野晶子の歌碑があった。

「本栖湖を囲める山は静かにて 烏帽子が岳に富士おろし吹く」

河口湖まで来た。ハーブ館・香水の館というところに立ち寄る。

ガーデンではラベンダー、カモミール、マリーゴールドなど約150種のハーブが栽培されている。多彩なハーブの香りに触れ、2階のカルチャースタジオでは押し花やアレンジフラワーなどが受講できる。新設の香水の舎では香水約100種の販売、計り売り、アロマテラピーのアドバイスも受けられる。

ということだが、香水には関心がないので、アイスクリームを頂くだけにする。

次は、甲州と言えば、やはりワイン。ということで、赤富士ワインセラーに行く。

「酒類の中で唯一のアルカリ性食品
私たちの体はストレスや疲労がたまってくると酸性に偏ってきます。ワインはアルカリ性なので飲むことにより中和してくれます。

ポリフェノールで動脈硬化の予防
ポリフェノールを多く含むのは赤ワイン。ポリフェノールが血管をやわらかくし、血液をサラサラにして脳硬塞や心筋梗塞の予防につながります。」

という宣伝嬢さんのPRを聞いてから試飲。



この後、朝霧公園に向かう。静岡県富士宮市に入り、「もちや」というレストランで昼食。食事後、折角ここまで来たのだから、富士の麗姿をなんとかカメラに収めようと、駐車場で、仰ぎ見たが、雲に顔を隠している。山頂が僅かに顔を見せた瞬間を捉えて写してみたが、この日はこうした天気だったという記録になる写真でした。

帰りは新富士駅に立ち寄り関東の友人と握手して別れ、清水ICから焼津IC.みやげ物の水産物を買うべく、焼津さかなセンターに立ち寄りました。

まぐろとホタテの刺身、それに鮭を買い込んで、3時過ぎ帰途につきました。上郷SAで小休憩後、一路名古屋へ。黒川でバスを下車して6時前帰宅できました。

甲州の旅

2009-06-09 | 旅行
 6月5~6日は、昔、勤めていたD社のOB会で、身延山久遠寺と下部温泉へバス旅行に出かけました。以下、その旅行記です。ご笑覧ください。

8時半、旧本社(志賀本通)を出て、上郷SAで犬山から来たもう一台と合流し、12時ごろJR静岡駅。ここで関東から来た仲間が一緒になり、懐旧談が花盛り。
昼食は丁子屋という「とろろ」の老舗。慶長元年の創業というから、関が原合戦より古い。昼食後、52号線を身延に向かう。
雨が降っていたので外の景色は全然でしたが、ガイドさんがかなりのベテランで、乗客を飽かせない話術を披露してくれました。

国道を走りながら、「ここは52号線ですが、皆さん、日本の国道、1号線は何処から何処まで走っているか?2号線は?ということ、ご存知でしょうか?」と1号線から順次52号線まで紹介してくれた。

先日、高野山を旅行した際に通った24号線は、きちんと言えるかな?と耳をすませていたら「24号線。京都から和歌山です」と正解。商売柄全国を走るので覚えやすいのだろうが、これだけ記憶するのはかなり商売熱心だと感心しました。

以下、ガイドさんの提供したクイズ。

「皆さん愛知県で一番高い山ご存知ですね」、「茶臼山!」と社内に声。そうです。茶臼山1415mですね。ところで、県内で一番高い山が、都道府県の中で一番低いのは何処でしょう?」

答えは千葉県。500m以上の山がないそうです。

「ここは山梨県。隣の長野県は、隣接する県が一番多い(7)県です。では、隣接する県が一番少ない県は?(沖縄のぞいて)」

答えは長崎県。佐賀県とのみ隣接。熊本県と隣接してるみたいですが、熊本県との間は海。

「日本の湖で一番広いのは琵琶湖ですね。日本の湖沼で2番は?」、答えは「霞ヶ浦」

3番目は「サロマ湖」。浜名湖は10番目だそうです。

雨の中、3時ごろ久遠寺に着きました。斜行式の大型エレベータで境内の上がります。

 ご存知、日蓮宗の総本山ですが、最近、五重塔が完成して、5月13日から17日にかけて落慶式を執り行ったとのこと。

写真を撮ろうかと思いましたが、雨の中片手に傘を持ちながらでは、うまく撮れませんでした。代わりにインターネットのライブ映像のサイト、紹介します。

http://58.1.249.244:60002/CgiStart?page=Single&Language=1

 本堂に上がって拝観させていただきましたが、白い衣装を纏った信者の団体が拝観していました。関西方面からのようですが、宗教は生きているのですね。



4時前、参拝を終わり、そこから下部温泉までは20分程度。4時半、下部ホテルに到着しました。この辺りでは一番大きいホテルで、70名もの団体が泊まるとなると、このホテルしかないとは、ガイドさんの弁。

「信玄の隠し湯」の名で知られる古くからの温泉ですが、近年はむしろ石原裕次郎が、骨折したとき(昭和36年頃)治療で長期滞在したことで有名らしい。ホテルのロビーには、当時の裕次郎の写真が展示されていました。ずいぶん若い顔立ちでした。(つづく)

初優勝!なごやマスターズ

2009-06-08 | 水泳
「2009なごやマスターズ水泳大会」は、6月7日、日本ガイシプールで開催されました。
朝9時、冷蔵庫からウーロン茶の缶を取り出してリュックに入れ、地下鉄駅前のコンビニで土・日特売の100円お握り(最近はお店もいろんな安売りを工夫します)3個買って、今日の弁当です。
プールには10時前に着きました。受付で記念品(水泳タオル)と出場選手名簿を受け取りました。早速、ロビーのソファーに腰掛け、100mバタフライの出場者を見る。
小生は?バタ100mを見ると、1組の6コースに載っている。70歳区分(70~74歳)は出場2人。65歳区分の4名と一緒に泳ぐことになっている。4コースに顔馴染みOSAKIさん(65歳)。もしかして、70歳区分が一人しかいなければ、優勝で明日の朝刊に小生の名が載るかな?と思っていたが、世の中甘くない。今年は下の年齢から一人上がってきたらしい。知多市のYさんだ。申告タイムを見ると、彼のタイムは2分10秒。小生は2分17秒で申告している。
「7秒の差はきついな。仕方ない、自分の泳ぎが出来れば良い」
着替えして、サブプールへ行く。50m温水プールで800m泳いだ。昨日まで旅行で3日ほど泳いでいなかったので、少し多めにアップをこなしたのです。
その後、水着を替えてTシャツを羽織って、観覧席に行きました。10時50分になっていました。女子のクロールが終わって男子クロールが始っています。今年83歳の先輩HANAIさんが1組に出場、2分で完泳、80歳区分2位に入賞。元気なものだ!
11時40分になったので、プールサイドに下りました。100バタは12時半ぐらいの予想だが、10分ぐらい進行が遅れている。
選手控え室に行くと、顔馴染みのHさんがいる。「今日は何に出るの?」と聞くと「ブレスト。もうクロールは済んだの。ブレストが終わったら午前中で帰るの」と言う。
嬉しそうな顔でニコニコしているから100mクロールの成績が良かったのだろう。(後で確認したら、女子100m50歳区分で優勝していた)
「ボクも100バタだけ泳いで午前中で上がります。」
 召集まで、プールサイドに置かれた台に腰を下ろして観戦。Hさん、100m平泳ぎは1分42秒で、堂々の優勝だった。
男子バタフライが始ったのは12時40分ごろ。スタート台に乗り号砲で飛び込んだ。水が冷たい!「これだけ冷たいと、記録的には良いタイムかも?」と、一瞬頭をよぎった。
泳ぐ前から決めていたことが三つある。最初から2かき1呼吸で行く(どうしてもきつくなったら1かき1呼吸にしても良いから)。タッチの時は思い切り強く壁にぶつかっていく。バタ特有の上下動はなるべく少なく泳ぐこと。
ほぼ計算どおりに泳げた。フィニッシュは2分16秒39。まあ実力どおりかな。
上がった時、順位は確認しなかった。サブプールに行って650m泳いで上がった。
着替えして、記録証を貰いに行ったら、記録証の上に「一位」のカードが貼ってある。
「エッ、優勝なの!」商品のSPEEDの水泳キャップを貰い、速報版を見に行った。
Yさんがなぜか調子が悪かったらしく2分20秒かかっている。確かに小生が1位です。
長いこと(今年で7年目)、なごやマスターズに出場しているが、優勝は初めて!ロビーで弁当を食べたが、コンビニのお握りが実に旨かった。
2時半帰宅。缶ビールで乾杯しました。

高野山紀行 3

2009-06-02 | 旅行
 翌日は、6時には皆さん起床している。6時半から朝の勤行がある(自由参加)。本堂に行く。二人のお坊さんが御簾の向こう側で、声明(しょうみょう)というのか、音声を発するのだが、何語か分からない。時折日本語らしい単語が入るから、やはり日本語?

聞きながら、武満徹の音楽は、この声明の伝統を引いているのかな?と思った。外人組も神妙に正座して聞いている。

終わると、住職が出てきて「どうぞ膝を崩してください」と法話を始めたが、良く聞き取れない。後で聞くと、このご住職、数年前に脳梗塞で倒れられ、会話も出来なくなったが、リハビリで何とか発声できるようになったとか。そのためか、法話は短い時間で終わる。

このお寺、浄土真宗とか。高野山はみな真言宗かと思っていたが、そうでもないらしい。



8時過ぎチェックアウト。

もう一度、中の橋の駐車場に車を置き、奥の院参道の昨日とは別の道を、一の橋へ歩く。樹齢何百年?幹が3本もある大樹があった。

石田三成の供養塔。パナソニックの慰霊碑があったが、まだ真新しい。松下から名を変えたので新しくしたのだ。社名変更の費用はここにもかかるのだ。向こうからニコニコして歩いて来た外人の娘さん二人、同宿の外人さんたちだ。Mさんがカメラを向ける。「スイス・エアラインに勤めていて、チュウリッヒに住んでいるんだって」とMさん。

どうやら「写真、送りましょう」と話しかけ、アドレスをゲットしたようです。



真言宗総本山の金剛峰寺に入りました。拝観料500円。豊臣秀吉が寄進したお寺です。といっても、建物は、創建当時の様式を伝えるものの、文久3年(1863)のもの。

狩野探幽他の手になるふすまの画が素晴らしい。豊臣秀次自刃の間があります。蟠竜庭と称する石庭があった。雌雄の竜がうずくまる形に石を配置して、日本最大の石庭というのが売り。

壇上伽藍へ歩き、根本大塔や金堂を見ます。西行が植えたという桜がありました。

ぼつぼつ帰ろうか、と土産の胡麻豆腐他を買って帰途に着きました。

山を降りて九度山町で、真田庵に立ち寄りました。戦国の名将真田昌幸・幸村親子が隠棲していた住居跡。今は真言宗の尼寺になっている。Sさんが真田紐を土産にゲットした。

「此処まで来たら、柿の葉すしを食べて帰らなくっちゃ」というMさんの言に従い、橋本駅前のレストランに立ち寄り、柿の葉すしランチを頂きました。柿の葉すしに蕎麦またはうどんのセットです。1時、昼食を済ませ、車をスタート。

今回高速を走って気付いたのは、料金所でETCの方が一般車より混雑していたこと。

帰りは、順調に走れましたが、御在所SAで休憩後、「名古屋西インターは6kmの渋滞」と伝えていたラジオが、「12km渋滞」に変わり「16km渋滞」に変わったので「これはダメだ」と桑名東で一般道に下り、木曾三川公園経由で名古屋駅帰着は5時前でした。


高野山紀行 2

2009-06-01 | 旅行
5時近くなりましたので、旅館へ、といってもお寺ですが、入ることにしました。

「国民宿舎」と名乗る巴稜院なる寺院です。インターネットで料金の安い所を探して予約したのですが、安いだけに徹底的にサービスをカット、セルフ・サービスです。客は私たちを含めて4組、外人さんの混じる組が2組いました。彼らもインターネットで探してきたのでしょうか?外人客はよく来るらしく、部屋の使用説明文書は、日本語のほか英語・仏語が記入されています。

さすがに標高820mですから、部屋には暖房が入っていました。

入浴後、食堂の夕食。料理は出ていますが、精進料理で、お酒を頼もうと思ったが寺の人は誰もいない。「こういう流儀か」と諦め、食事をすませて部屋に引き上げた後「やっぱり物足りない」と、町へビールとつまみを仕入に行きました。

7時半頃から、部屋でビールを飲みながら、4人の時事放談です。



「ソマリヤでは、海賊が一番有利なビジネスモデルになっているから、自衛隊が出かけても、モグラたたきじゃない?」

「でも、日本の船がやられるのだから、放かっとくわけにいかない」

「自衛隊を派遣する費用で、ソマリヤに産業をつくるべきだ」

「海賊取締りに、ソマリヤ人を雇うのはどう」

「海賊が応募してくるんじゃない」

「・・・・」

「日本の政治が、おかしいのは、見識のある政治家を国民が選ばないからだ」

「“痛みを覚悟すべき”という小泉を選んだのは国民だ。」

「国民は“痛みが永久に続く”という意味だとは思わなかったの」

「・・・・・」

「要するに考えて投票しない。農耕民族は、隣の家が田植えをしたら、我が家も田植えをする。隣が取り入れなら我が家もそうする。周りと同じことをしていると、考える必要がないから考える癖がつかない。周りと違うことをしなくてはならないとなると、こうすればこうなる。ああすればああなる。と因果関係を考えて決めないといけない。」

「確かに、子どもの頃からみなと同じことをさせる教育だ。小学生が登校するにも、一緒に並んで登校させるからな。」

「登校は一緒のほうが安全じゃない?」

「・・・・」

「GMは倒産だな」

「GMどころか、米国政府も危ない」

「だから、クリントンが最初に日本と中国にやってきた」

「日本が購入した米国債、あれは結局戻ってこないよ」

「戻ってこないから、格好良くどこかへ寄付するとか、処理策を考えないと」

喧々諤々の議論が2時間ほど。夜もふけたので早々と10時前就寝しました。(続く)