古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

今年の10大ニュースを撰んでみました

2010-12-31 | 経済と世相
大晦日です。今年の10大ニュースを撰んでみました。

いやぁ難しかった!とにかく大きな事件の連続でした。

取りあえず、書き並べてみます。


1.ノーベル賞に鈴木、根岸さん受賞。

2.鳩山首相辞任と民社党の連立離脱。

3.菅総理で民主党参院選大敗

4.小沢元民主代表、起訴

5.普天間問題のすったもんだ。

6.村木元厚生労働省局長に無罪判決&特捜検事逮捕。

7.はやぶさ7年ぶりの帰還

8.113年の観測史上最高に暑い夏。

9.尖閣沖衝突の動画流出。

10.行方不明の高齢者何百人。

まだまだ終わりません。取りあえず続けて見ます。

11.鈴木宗男氏に実刑判決・収監。

12.トヨタのリコール問題。

13.日米密約文書の開示を東京地裁が命令。

14.インド洋給油撤退。

15.日航の法的整理。

16.白鵬63連勝。

17.朝青竜の引退。

18.野球賭博に名古屋場所大揺れ。

19.牛のコウテイ疫騒ぎ。

20.COP10名古屋議定書成立。

20で止めておきましょう。

「名古屋市議会のリコール住民投票」も入れなくちゃ、と河村市長が言いそうです。

結局、最初の1~10を大ニュースとすることにしました。

11~20の本来なら立派な大ニュース。それだけ事件が多い(世の中の変化が激しい)年でした。

追伸:福岡伸一博士が週刊文春(1/6号)に氏の選ぶ2010年7大ニュースを掲載していました。Ipadの発売とチリの炭鉱事件を取り上げていました。1件はNASAの「リンの変りに砒素を使う細菌の発見」、他の4件は私の10大ニュースに入っていました。

 それにしても、民主党の不手際が半分を占めるとは!

走り納め・泳ぎ納め

2010-12-30 | マラソン
28日、市営プールの年内最終営業日でした。午後、プールに出かけ、一時間弱、1200m泳いで上がりました。

 更衣室で、最近顔なじみになった男性から声をかけられました。

「いつもどれくらい泳がれます?」

「1200mから1400m泳ぎますね」

「良く泳がれますね」

「いや、今年は少ないのですよ。例年、年間365km泳ぐのですが、今年は346kmしか泳げなかった!」



 56歳から年間365km目標で泳いできたが、18年目で365kmを達成できなかった。

何かと用事が多くてプールに来る日が少なかったためだが、去年までは、泳ぎを休んだ日の後は、1500mでも2000mでも泳いで1日平均1kmを確保したのだが、今年はそれが出来ない。1500m以上泳ぐと疲れてしまうのです。歳は争えないようようです。

 でも56歳からの18年間で、6688km泳ぎました。来年末には7000km達成!



 29日朝、TVのニュースが「明日、明後日は大寒波襲来」と伝えている。では、明日・明後日の分も走って年内の走り納めにしようと、ジョギングに出かけました。名城公園と名古屋城の外周を回り公園内のジョグコースを一周するいつものコースを3回、1時間35分かけて走りました(16km)

 ジョギングの方は例年1460km(4km/日)はしっていたのですが、今年は1140kmで終りです。例年の78%くらいですが、まぁ、来年は後期高齢者ですから、歳相応に衰えはくるのですネ。

以上、走り納め・泳ぎ納めの報告です。

第4四半期(10~12月)の私撰10大ニュース

2010-12-29 | 経済と世相
後三日残っていますが、2010年第4四半期(10~12月)の私撰10大ニュースをまとめてみました・以下思いつくままに、順不同です

小沢さん、強制起訴

 政治とカネ。カネがかかるという現実があるのだから、個人献金を奨励するシステムを作ることに智慧を出して欲しい。

日本人学者2名、ノーベル賞受賞

 喜ばしいことだけど、3~40年前の業績でしょう。3~40年後の日本、ノーベル賞もらえるかな?

COP10名古屋、なんとか「名古屋議定書」の成立。

 深夜のABS(遺伝資源の利用から生じた利益の公平な配分)に関する「名古屋議定書」成立。

尖閣事件の動画流出

 仙石さんは怒ってるけど流出したほうが良かったのでは!

法人課税5%引き下げへ

民主党、企業献金容認。

 以上2件、民主党政権と自公政権と違いがなくなったことが分かる。

尾張名古屋で議会リコール投票成立

 大騒ぎに決着、しかしこの後どうなるか?

検察のデータ改竄で大揺れ

 「検察のストーリーには乗らない」って、検察官が言ったそうです。

6年後に期待、あかつき金星周回軌道に乗れず

 もしかしたら、予算をケチった所為かな?

ロ大統領、北方領土視察。

 菅総理も北方領土を視察したら・・

 その他、奄美に大雨、やわらちゃん現役引退などありましたが、撰外。次々事件が起きてますから!

リチャード・クーさんの外交・軍事論(4)

2010-12-28 | 経済と世相
さて、その台湾。【誤解を恐れずあえてこのような表現を使うが、台湾の民主化は、ある意味で世界にとっては大変迷惑なことであった。今まではキッシンジャーのワンチャイナ・フォーミュラーで、すべてがうまくいっていた。このフォーミュラーのおかげで世界は中華人民共和国と国交を回復し中華人民共和国は経済を発展させ、そのことがソ連崩壊を後押しし、世界の安定につながった。

ところが、台湾で独裁政権が崩壊し民主国家になると話は違ってくる。1979年、アメリカは台湾と断交して中国と国交を結んだわけだが、もしこの時台湾が民主国家であったら、自分たちが中国の一部だときめつけられたことに猛反発し、おそらく、台湾の独立を中国に認めさせるしか方法がなかったと思われる。

200年3月、台湾総統選挙で、台湾の独立を掲げた陳水扁が当選したのだ。台湾問題で中国側が最も気付いていないのは、台湾が民主化してしまったことで、中国は政策を大きく変更しなければならないという点である。

アメリカは信仰のように「経済がある水準以上に発展するためには、民主主義が必要だ」と思っている。だから、アジヤが通貨危機に陥った時も、「もしアジヤ諸国が透明性の高い民主主義国家だったら、このようなことにならなかったはずだ」と言う。

この考え方は誤っていると思う。歴史を見れば、かつての日本やドイツもそうであったし、一時の台湾や現在の中国も、民主主義が未発達であるにもかかわらず、大きな経済成長を遂げた。韓国も金大中が大統領になるまでは、本当の民主主義が根付いているとは言えなかったが、過去30年間急速な経済成長を遂げて、日本に迫る勢いを見せている。

さて、日本はどうすべきか?

「中国が経済発展すれば民主化も進み、民主化が進めば台湾問題の解決も楽になる。10年、20年経てば、この問題は自然消滅する」という考えは甘い認識である。実際、中国は経済発展で生じた資金を軍につぎ込み軍備増強の方向へ進んでいる。

もしも、北京政府が、台湾は独立した主権国家であることを認めたら、中国投資に関する最大の政治・外交リスクがなくなったことになり、外国企業の対中投資は一層活発化する。特に台湾企業からの投資は爆発的に増える可能性がある。】

中国に対し、こういう説得を日本は試みるべきではないか。中台間に紛争が起これば、アメリカの台湾関係法と日米安保により、日本も米国も当事者になるのだ。

中台融和が実現して初めて東アジヤの冷戦は終り、アジヤの人々は安心して経済活動に専念できるようにになる。

 民主党政権は新防衛大綱を定めたようだが、軍事というものはその国がどういう外交を行なうかを背景にして定められる。中国や朝鮮にどのような外交を展開するのか、日本外交の大綱は定められているのか?軍事が米国と一体化することは、外交も米国と一体化することになる。それでよいのだろうか?

 防衛大綱の改定よりも先に考えるべきことがあるのだ(以上、長くなってゴメンナサイ)。

リチャード・クーさんの外交・軍事論(3)

2010-12-27 | 経済と世相
 【台湾における日本の植民地政策が成功し、朝鮮半島のそれはうまくいかなかったのは、台湾自体が移民社会(固有の文明を持っていない)であったからだ。台湾と同様な政策をとった朝鮮半島では、日本は大きなトラブルを経験している。朝鮮人の猛反発を受け、凄まじい抵抗運動にあった。朝鮮半島には日本よりはるかに長い歴史と伝統があり、それを日本的に塗り替えることに大きな反感があった。その反日感情は現在まで尾を引いている。

 敗戦により、日本の統治は終り、国民党政権が台湾を統治することになった。国民党政権は、このとき既に腐敗していたが、台湾でも同じように悪政を行なった。

 何をするにも賄賂を要求するような、腐敗した政治を行なった。これは日本の統治下にはありえなかったことで、堕落した国民党政府に多くな台湾人が憤慨した。

 よくいわれるのは、「日本時代には、台湾の水道はすべて飲むことができた。ところが、国民党になってから飲めなくなった。国民党政権は水道の管理技術を持っていなかった。パイプの補修も行なわなかったので、水道水は飲める水ではなくなったのである。

 そうした状況下で、1947年2月運命的な2.28事件が発生した。ある女性に国民党の警察が暴行を加え、それに怒った台湾の市民が反乱を起こした。

 1949年には国民党政府が台湾に移って来てしまう。国民党は戒厳令を敷き、それは1988年まで続く。

一方、大陸の共産党政権は台湾の人々に対して気を配ったかと言うと、彼らも台湾人を歯牙にもかけなかった。

 1988年、総統になった李登輝は、台湾の民主化を進め、同時に台湾の歴史教育の大転換を実施した。

国民党(の歴史教育は)は「台湾は昔から中国の一部であり、だから我々がここにいることが、正当化される」。李登輝以後の歴史教育は、オランダの統治、鄭成功の活躍、中国移民の増加、日本領だった時代まで教える。

 一方、大陸の中国人はこれまた共産党に都合の良い台湾の歴史しか教えられていない。歴史が始まって以来、台湾は中国固有の領土であった。清朝が台湾に興味を持たず「化外の民」と切り捨てたことも教えていない。

 その結果、中国大陸のみでなく香港やシンガポールの中国人も「台湾は有史以来中国の一部であり、それを奪い取った日本が、一部の台湾人をそそのかして、彼らに中国の統一を阻止させようとしている」と自明の理であるごとく言うのである。

 かつての中国人はそうでなかった。因みに、毛沢東は以前、台湾の独立を認める発言をしているのである。1938年にエドガー・スノーとの共著で出した『レッドスター・オーバー・チャイナ』(邦題『中国の紅い星』の初版の中で、彼は朝鮮と台湾の独立を熱烈に支持すると述べている。日本からの独立の意味だが、すくなくとも、中国に返還すべきとは一言も言っていない。

 そして台湾と中国は、おそらく両方とも「時間は敵だ」と感じているのではないか。台湾の世論調査を見れば、独立への意欲が高まりつつあることは中国も承知している。時間が経過すれば、台湾の人々の独立意欲はますます強くなっていくだろう。そうなると、早く武力行動を起こさなければと中国が考えても不思議でない。

 台湾の人々は中国の人民解放軍の近代化に脅威を感じている。中国軍の近代化が進み、台湾侵攻の準備が整う前にアクシヨンを起こしたほうがメリットがあると判断するかもしれない。】(続く)

リチャード・クーさんの外交・軍事論(2)

2010-12-26 | 経済と世相
 【日本企業は台湾と中国両方に多くの生産や販売拠点を持っているし、日本と安保条約を結んでいるアメリカは、国内に「台湾関係法」という法律を持っている。この法律は台湾が攻撃された時は、アメリカは台湾の安全を守ることを義務付けている。ということは、実際に中台関で武力紛争が起きると、アメリカは中国と敵対することになり、在日米軍もその任務につくことになるだろう。そうなると、アメリカは当然中国製品の輸入を禁止するだろうし、それには日本企業が生産したものも当然含まれることになる。一方で中国にある日本企業の生産拠点は「アメリカに組した敵国の資産」と見なされかねない。つまり、あらゆる面から見ても日本は当初からこの紛争の当事者になってしまう。

 歴史をさかのぼってみよう。ニクソン大統領の時代、国務長官だったキッシンジャーはチャイナ・フォーミュラー(方式)を考え出した。

「台湾海峡を挟む両岸の人々は『中国は一つであり、台湾は中国の一部である』と信じている」という表現をした。この方式は、共産党政権との対話・協力を可能にしたばかりか、台湾にある国民党政権にも反論できない(当時の台湾は、蒋介石率いる国民党の独裁政権下にあった)ようにかかれていた。国民党がこれを否定すると、中国の政権であることを否定することになるからである。この表現を中国は受け入れ、日米両国は中華人民共和国を承認した。いわば、中台問題は棚上げされた。

 ところが90年代に入って、このこの方式がほころびてきた。1988年に蒋介石の息子であり、総統だった将経国が亡くなり、李登輝が総統の座を継ぐ。李登輝(台湾の人々も)は「台湾を中国の一部だ」と考えていない。

 更に歴史をさかのぼると1871年、日本の沖縄の船が台風に流され、台湾に漂着し、台湾の原住民に54名が殺害され12名だけが漢族系住民に助けられ、福州経由那覇に帰着した。明治政府は清朝に猛烈な抗議を行なった。清朝側は「台湾は化外(けがい)の民である」、つまり「台湾は中国ではない」(まして尖閣諸島など論外ということ)。日本政府は軍隊を派遣して土匪を征討した。

 日清戦争後、台湾は日本が領有した。日本は当初、台湾の人々に対し「二年猶予を与えるから、日本人になることを潔しとしないものは、資産を持って中国大陸に帰ることを許す」と宣告した。そして、「西洋列強に負けない植民地統治を」という意気込みで、日本政府は優秀な人材を次々と台湾に送り込んだ。当時の日本は台湾にとってかなり有為な施策を行なった。例えば、教育。清朝統治かでは義務教育など行なわれていなかった。しかし、日本は、台湾各地に学校を開き、教師も派遣して義務教育も施した。

 数ある植民地統治の例の中でも、一般住民に徹底的な義務教育を施したのはおそらく日本だけだろう。欧州植民地統治の大半は、現地のエリート層とだけ組み、一般住民は単なる労働力としてしか扱っていなかった。

 その結果、1940年代には、台湾の就学率は81%と、ほとんど日本と変わらない水準になっていた。日本が占領した時には、台湾は中国の中で最も貧しく最も不衛生な省であったが、日本の統治五十年の後、中国に返還された時には、中国の中でも最も豊かで教育水準の高い省になっていた。】

(続く)

リチャード・クーさんの外交・軍事論(1)

2010-12-25 | 経済と世相
リチャード・クーさんの外交・軍事論を『良い財政赤字 悪い財政赤字』から紹介します。(2001年の本ですから、勿論尖閣沖の事件は出ていませんが、日本の外交・軍事を考える上で参考になると、内容を要約して紹介します。

 最初は、何故中国が尖閣に拘るのか?

 簡単に言うと、中国共産党は、経済政策では失敗したので、共産党政権の正当性(共産党一党支配の正当性)を主張できる根拠は、中国の領土から外国人を追い出したと言うことだけ。だから領土問題は彼らにとって絶対に譲れない問題になっている。そのくだりです。

【今の中国は歴史を折り曲げても台湾の領有に固執する(後述)のか。それは、今の北京政府にとって台湾問題は、自分たちの政権の正当性に直結した問題になっているからだ。

 共産主義の経済政策は、実質的に失敗だったことは明らかだ。中国共産党もそれを認めざるをえず、だから資本主義経済の導入をすすめた。そうなると、彼らの存在意義は、「共産党による中国の完全統一」というものしか残らない。実は今の共産党政権にとって、中国の領土から外国勢力をすべて追い出したということが最大の成果であり、また誇りなのである。そして中国全土の統一が悲願として残されている。

 中国は、フランスに、イギリスに、ドイツに、そして日本に踏みにじられ、租借という形で実質的な植民地支配が100年以上も続いた。中国に乗り込んできた外国勢力は「犬と中国人は入るべからず」と公園の入り口に表示を立てた。

 中国の、外国に蹂躙された戦前の中国を知っている世代は、民主主義だとか自由主義、または人権などという概念を、我々とまったく違う受け取り方をしているかもしれない。これらの理想の体現である英仏は、中国人に対してアヘン戦争をも含め、非道なことをやってきた。ヒトラーは「英仏は自国内でのみ民主主義を実行している」と言ったと伝えられるが、当時はまさにそうだった。

 彼らからしてみると、欧米や日本が五十年前まで中国でやってきた極めて非人道的なことをすべて忘れて、中国では人権が守られていないとか、民主主義が確率していないと非難してくることに、すごい怒りを感じている。

「我々が『犬と中国人、入るべからず』などという屈辱的な扱いを打破した」という高いプライドと実績。これが中国共産党のレゾンデートルの根底にあって、この共産党政権から見ると、台湾が自分たちの領土になっていないというのは、彼らのプライドにナイフが突き刺さっているようなものなのである。

 同じ対立でも朝鮮半島に比べて中台問題がはるかに解決が難しいのはいくつかの理由がある。第一に、韓国と北朝鮮は対立していたが、その一方でお互いの存在は認めていた。お互いの存在を認めるということは、当事者同士がその気になれば、どのような外交手ゆ月で話し合いを始めるかは、極めてはっきりしている。

 ところが中台問題の一方の当事者である中国は、台湾に合法的な政府が存在することさえ認めていない。彼らの解釈では、台湾にある「政府」は同じ中国人による「反乱軍」なのである。】(続く)

ETC割引 社会実験中と渋滞

2010-12-17 | 経済と世相
 12日、母の13回忌と長兄の3回忌で郷里に行きました。名古屋に住む甥(長兄の息子)が朝7時に車で迎えに来てくれました。「武豊(次兄)にも迎えに行きます」と、車は名古屋高速から知多半島道に入りました。

 「ETC割引 社会実験中」の掲示が出ています。

「社会実験って何を知りたいのかな?」と私が言うと、

「割引すると、どれくらい渋滞が増えるか調べるのでしょう」と甥が言う。

「民主党政権になってから渋滞がやたらと多いのですよ」と、甥っ子は渋滞によほど恨みがあるらしく「私もそうだけど、割引制があるから、ETCをつける人が多くなって、高速料金がさほど苦にならなくなったのです。従来、下を走っていた人が高速を走るんですよ。今日は日曜だけど、帰りは豊川から岡崎ぐらいまで絶対渋滞します」。

 小難しいことを言うオジサンと思われそうだから、私は黙ったが、仮に「渋滞状況を調べる」のが社会実験の目的だとしても、知多半島道での調査結果が、東京周辺や大阪周辺の道路に適用できるだろうか?工場の立地状況や住民の所得水準も公共交通の整備状況も違うのだから、渋滞状況は愛知県の知多半島とは違うと思う。

そもそも実験とは、ある事象に関る何か普遍的なことを知ろうとして行なうもので、それが行なわれる場所で結果が異なるものは実験にならない。これは「実験」でなく、「試行」というべきだろう。

 さて、「カーナビ」の話。私の知っていたカーナビは、地図が写るだけだった。ところが甥の車のカーナビは違う。前の景色のイラストが写る。どうしてこんなことが出来るの?たくさんイラストを記録しておいて、この地点ではこのイラスト、と検索できるの?それとも目の前の景色の画像を瞬時にイラストに転換するソフトがあるの?

 武豊で次兄をひろい奥三河に向かう。

 法事を澄ませ食事を馳走になり、帰途についたのは午後5時。カーナビに行き先「武豊」をインプットしたら、「到着までの時間は2時間45分です」と言う。

新城市を走っていたら「5km先渋滞です」と、またカーナビお嬢さんの声。

「カーナビはどうやって渋滞が分かるの?」私が聞くと、

「その仕組みは知らないですね」と甥が言う。

「渋滞状況はコンピュータが計算していると思うけど、どこのコンピュータが計算しているのか?カーナビのコンピュータが計算しているとすると、5km先の状況をどうしてこの車のカーナビにインプットできるの?どこか別に、渋滞を監視しているコンピュータがあって、そこにアクセスして渋滞を教えてもらうとすると、高速道なら分かる。道路会社がサービスでそういう情報を提供することもあり得る。でも、一般道でそんなサービスをしているところがあるとは思えない」

「ボク、分からない。オジサン、インターネットで調べたら」と、甥はサジを投げた。

 6時前、豊川から東名に入ると、甥が予言したように渋滞が始まった。

「渋滞の先頭はどうなってる?」と、次兄が聞く。

甥は「エヘヘ」と笑う。妙なことばかり聞くオジサンたちだと思ったのだろう。渋滞の先頭は渋滞しないから、渋滞ではない。渋滞には先頭がないのだ!

 岡崎を過ぎると、甥の予言どおり渋滞がなくなり、豊田ジャンクションから知多半島に向かう。武豊に着いたら7時45分。カーナビのお嬢さんが言ったとおり2時間45分だった。到着時間は、勿論渋滞状況で違うから、カーナビは渋滞も計算に入れて到着時間を計算している。

 武豊で次兄を下ろし、名古屋に向かう。カーナビに目的地なごやオジサン宅で、「到着までの時間は44分」と言う。自宅に着いたとき、8時30分だった。カーナビに感動!

 後日、知人からのメール。
『渋滞の情報はたぶんVICSシステムが提供しているのだと思います。

ビーコンという発信器が道路に設置してあり、車に知らせているのです。

最近のNAVIはVICS対応になっていると思います。

http://www.vics.or.jp/advanced/

をみてください。』




借金はこうして膨らんだ 

2010-12-06 | 経済と世相
5日朝10時からBS2で『借金はこうして膨らんだ 862兆円』という番組を見ました。11月7日NHK総合で放送した番組の再放送です。面白い番組でした。

 今年はじめNHKは、昭和40年(最初の赤字国債を出した年)以降の大蔵省の幹部が現役時代の財政政策につういて記した内部文書があることを知り、それを入手、記録した当事者にインタヴューをして、国民1人当たり700万円もの借金がどうして出来てしまったかを探求した。

 インタヴューに登場したの官僚の殆どが大蔵省事務次官。大蔵省の事務次官というのは、官僚の中で最も優秀と目される人です。37兆円の税収で歳出は92兆円(本年度)というようなことに、優秀な人たちが付いていてどうしてなったのか?

谷村裕氏(昭和40年)「赤字国債は苦渋の選択だった」

田中内閣で老人医療無料化と年金の増額。「福祉元年、社会福祉、原資は経済の拡大」。毎年10%歳出が増えることになった。

藤井元財務相(S40年代、大蔵省で社会保障費担当)は語る。「将来の財源まで考える雰囲気になかった」。そこにオイルショック、「一旦できたしくみの予算は減らせない」。昭和50年、2兆円の赤字国債。

 借金による経済対策。福田内閣は11兆円の借金に基く景気刺激。長岡次官「欧米から景気の牽引策を期待された。日本の国内だけを考えていることは出来ない」、「日本の国としてはムリをしなくてはいけないと思った」

大倉真隆氏、「日本の体質が変わったという認識はなかった。経済刺激しても税収は伸びず・・・日本は既に成熟国になっていて、公共投資を注ぎこんでも思ったほど経済は伸びず、税収は伸びなかった。

 53年大倉次官は大平総理に消費税を訴える。大平は54年秋の総選挙で敗れた。

平成元年、消費税。バブル景気で平成2年には赤字国債ゼロ。しかし4年後の平成6年また発行。

斎藤次郎氏「アメリカとの関係。クリントン政権の対日要求。日本の減税を求める。米国商品を日本人に買わせるためだった」。

金融危機は予想もしてなかったと小村武。小渕内閣の大型予算。

田波耕治氏(平成10年)「日本経済はそこまで重傷だったのか。ここまでやらないといけなかったか。正直言ってよく分かりません」。(田波さんは、まことに正直な人だ。)

 次々と続く元大蔵時間の証言。

「かくすればかくなるものと知りながら、止むに止まれぬ大和魂」で突き進んだらしい。

 これらの証言を聞きながら思ったのは、こんな優秀な人たちが、考えていたことは我々庶民の考えていたこととあまり違いがない。

 官僚として優秀ということは、過去の事例を良く知っていて、それを応用できることであって、過去の経験が役立たないまったくの未体験ゾーンに入ると、官僚はたいした智慧を出さないものらしい。経済のグローバル化というのは、彼らにとって、勿論日本にとって未体験ゾーンだった。

「嵐」ってなんだろう

2010-12-05 | 経済と世相
4日午後2時過ぎ、日課の水泳トレーニングに行こうと、地下鉄に乗りました。滅多にないことですが、ダイヤが5分ほど遅れています。事故があったようではないが、電車も超満員で、乗り降りに時間がかかって遅れたみたいです。

なごやドーム前で下車すると、大勢の客が降りて、ゾロゾロとドームに向かっています。

「なにかイベントがあるみたい」。道端に若い女性が紙を掲げて立っている。紙には「チケット譲ってください」と書かれている。7~8m毎にこういう女性がいる。

よほど人気のあるタレントの公演があるみたいだ。

ドーム北の東区プールで1時間泳いだあと、ジャスコで買い物をしようと、ドーム西のイオンモールに向かって歩き始めると、ドームへ向かう行列が賑やか。先ほどの紙を掲げた女性の数は尚増えている。冬型気圧配置になったらしく、風が冷たい。こんな寒空に立っていて、彼女らはチケットを入手出来るのだろうか。入手できなかったら、トボトボと帰宅するのだろうか?私が心配することではないのですが、心配です。

一体、誰の公演なんだ?耳を澄ませていたら「嵐」という声が聞こえてきました。

嵐の公演なんだ!しかし、嵐ってなんだろう?ここで思い出しました。先日、紅白唄合戦の出場者のリストをネットでみていたら、白組の最初に載っていた名前だ。

私は嵐が何か全然知りません。もちろん唄も聴いたことはない。しかし、世の中ではすごい人気のある歌い手らしい。

イオンモールへ入っていくと、一階のレストラン街は、どの店も満員らしく、レストランの外側に椅子を並べて、順番待ちの客が腰を下ろしている。ここで腹ごしらえをしてから嵐を見に行くのらしい。ということは、公演は夜。なのに、もう2時過ぎからチケットを求めて路傍に立つ人がいる。これだけ大勢の人に金を使わせるのだから、「嵐」って日本の景気振興に貢献してるんだ。

 帰宅してから「嵐」をPCでぐぐってみました。1999年結成、男性5人の人気グループです。Youtubeで検索して、唄を聴いてみましたが、イマイチ私にはピンときません。

世の中、私が知らないうちにすごい人気の歌手が生まれている。小説家も、私が知らないうちに人気小説家が生まれていることを、新聞雑誌の書評欄で知ることがあります。小説家の場合、名前だけは知る機会があるのですが、歌い手は名前も知らない。

こうして、世の中、私の知らないところで動いていくのだ、と感じた次第です。