古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

大学の方向

2012-12-03 | 放送大学
 放送大学愛知学習センターの20周年祝賀会は12月1日でした。11時、会場のヤマテホール(中京大学本館2F)に出かけました。
 30分の式典の後、放送大学学長の岡部洋一学長が1時間半の記念講演。
 式典は、要するに、来賓のご挨拶ですが、印象に残ったのは、名古屋大学総長の浜口先生(インターネットによると、「名古屋大学医学部病態制御系分子病態研究部門教授;; 濱口道成 出身地: 三重県伊勢市第16代伊勢神宮神民; 昭和50年名古屋大学医学部卒; コメント:自らの老化という生物学的現象に、主観的、独断的に抵抗しつつ、研究を堪能している。」)。先生は「日本の大学はガラパゴス化」しているという。
「日本の大学は20歳前後の学生が大部分です。海外の大学では、一度社会に出て、勉強したいテーマを見つけて、大学に入学してくる人が多いから年齢が多様です。大学卒の資格を得たい、それにより就職してから有利になりたいという人が多いというのは、日本の大学のガラパゴス化です」
 記念講演の岡部先生(学者の家系で有名な方)の講演も「情報と教育」と題して、放送大学が目指している方向を話されました。
「放送大学の学生は15歳から95歳に至るまで、ほぼ日本人の年齢構成と同じ年齢構成です。15歳というのは(高校卒業でないのに大学に入れるの?)、選科で8科目の単位を取れば高卒とみなし、大学生に転籍できるという規定のためで、多分、戦後の混乱期に高校卒の資格を得られなかった人を対象とする規定だったと思いますが、この規定により15歳から入学できるのです。」
「放送大学の目指す方向はODLとOER。
ODR(Open Distance Learning)とは、ネット化で、授業の公開。
OER(Open Educational Resources)とは、教材を公開することです。
後者は、知的財産権の問題があり、難しい面もありますが、放送大学内ネットではほぼ完成している。」
 実際、2年半前からネットで放送大学の勉強できるようになって、すごく便利になりました、それまでは、テレビ放送を聴くか学習センターへ行きビデオの視聴をするかしかなかった。通信指導問題や大学院の入学試験の問題もネットで見られるようになった。
 「Web based Trainingを充実する。ネットを利用して双方向教育を行う。
質問のemail、電子掲示板の利用などを推進しています」
「印刷教材のe-book化は、技術的にはメドがついたが、出版社と調整中です」
 さらに、放送大学の弱点「友人を作る」という点に関し、SNSは利用できないか、学長自らFace bookを使って試行中だというお話でした。ツイッターもやっているとのこと。(下記;岡部をオバケと、先生の遊びです)
https://twitter.com/__obake

 講演を聴いて思ったことですが、インターネットがこれだけ普及してきたからには、「大学入試」は必要ない時代になっているのではないか?大学入試は、大学に定員があるから、必要になる。講演にあったように、ネットで勉強するようになったら、定員は不必要。したがって大学入試は不要の時代になっていると思うのです。
講演会の終わった後、立食パーテイがありました。2時40分ごろ辞去し、中京大学隣の八事興正寺で五重塔の紅葉(写真)を見て帰宅しました。



世の中便利になりました

2010-10-23 | 放送大学
 2日前、放送大学の愛知学習センターに出かけました。2学期の履修科目のCDを聴き、更にCD2枚(貸し出し制限2枚まで)を借りてこようとした(放送大学の科目の勉強は、入学した時から10数年、こういうやり方)。

45分ほどでCD1枚聴き終わり、2枚目と3枚目は貸し出しを受けて自宅で聴こうと、手に持って受付に行きました。

受付に「放送授業ネット配信」というビラが置いてあったのです。

「ネットで視聴できるのなら、CDを借りにくる必要はない!」

ビラを1枚もらい、失敗するといけないから、一応手に持ったCDは貸し出し手続きをして持ち帰りました。

家に帰ってから、ビラに書いてある手順でPCをネットに接続したら、簡単に放送授業の音声が流れはじめました。

世の中便利になりました。これまで10年以上、学習センターに視聴のため通っていたのが、この2学期からいつでも自宅で視聴できる。

勿論アクセスの時、学生番号のインプットを要求されますから、放送大学・大学院の学生でないと視聴できないし、学生番号で判断するから、多分、学生の選択していない科目の視聴はできないと思います。

もう学習センターのCDは必要ないので、今日返還してきました。

ネットの時代は、誰でも意欲さえあれば、学習ができる時代だと、改めて感じました。

でも、一つだけ心配なことがあります。

 大学というところは、学科を勉強するだけではなく、そこで友人を得るところだ、と思うのです。友人を得るという機能はますます弱くなるのではないか?

 私自身は、視聴は自宅でできても、時折は学習センターに出かけるつもりです。

それは、図書館を利用するためです。愛知学習センターは、中京大学に間借りしていて、放送大学の学生は、中京大学の図書館を自由に利用できるのです。

幕張で、国防問題を考えました

2010-07-23 | 放送大学
3連休の17日~19日、2泊3日で、千葉県幕張の放送大学本部に出かけました。修士論文の経済学教室全体ゼミ、教授5人と院生40名(2年が17名、1年が23名)の出席でした。
 先生もたいへんですが、学生もたいへんなのですよ。この暑い時期に缶詰で勉強ですから。セミナーハウスには、ビジネスホテル並みの宿泊室(1泊¥1500)があり、夜はゆっくり休めますが、食事は外食です。朝はもっぱらコンビニのおにぎり。
 内容は、1年生が、テーマとテーマに関連して読んだ文献のリストを示し、もっとも関心を持った文献の内容紹介。2年生は、論文の目次と、ポイントになる章の解説です(持ち時間は質問含め20分)。
 私の出番は5番目でしたので、初日に終わり、2日目は気楽に聞いていました。
 午前の最後は、防衛庁からの学生が「組織的効率性の観点に立脚したわが国の防衛生産の基盤維持」という発表をしました。(不思議なことにH教授のゼミには、毎年防衛庁からの学生が参加します。H教授は防衛庁に人気がある?)
 質問時間、他に質問者がいなかったので、私が質問しました。
「貴方の論文の範囲には入らないことかもしれませんが、もし米軍基地が日本から撤退して、在日米軍がいなくなっても、軍事的に自衛隊は機能しますか?」。彼の答えは、「総ての作戦行動は在日米軍が存在するとの前提にたっていますから、現在のままでは、難しい」。
昼休みになりました。外に出た時、H教授から話しかけられました。
「貴方の質問ですが、自衛隊のイージス艦、ご存知でしょう。イージス艦のソフトは、日本側にはまったくブラックボックスで、日本側だけで(軍事的に)使おうとしても出来ないのです。」
「では、アメリカの容認したときにしか使えない。それでは、米軍のイージス艦であって、日本の税金を使ってアメリカの軍艦を買ってやってるようなものじゃないですか」
「そうです。」
 日本の軍事費はGNPの1%と言われるが、その1%のかなりの分が米国の防衛に使われているのだ。米国の世界戦略には、当然、在日米軍も沖縄の基地も、そして日本が所有するイージス艦も、計算に入っている。だから、若し急に沖縄から米軍は帰ってくれといわれたら、米国にとっては、日本が米国に反乱を起こしたことになる!
 「普天間を国外もしくは県外」は、米国と折衝しなければ出来ないのだ。にもかかわらず、鳩山さんも外務省当局も、米国と交渉することをしなかった。
 かくも、自衛隊が米軍に組み込まれると、憲法の制約がなければ、海外にも出動することになり、実質的に自衛隊は、ペンタゴンの指揮下に入ることになってしまう。
 9条を改定して、自衛隊の海外派遣が自由にできるようにしたいという政治家がいたが、彼らは自衛隊をペンタゴンの指揮下に入れたいのであろうか?
 米軍に協力することが、国際協力だと言わんばかりの政治家もいるが、仮に現在の米国が正義であるとしても、大統領が変わった時、米国の世界戦略は当然変わり、正義で有りつづける保障はない。
 以上幕張で、国防問題を考えてしまいました。

まだボケていなかった!

2010-02-23 | 放送大学
 20日、日課のプール・トレーニングから帰ると、郵便屋さんが郵便受けに配っている。
 覗いてみると、放送大学から親展とある封書だ。家に入って開封したら、期末試験の成績通知でした。「数理科学」の成績を見てびっくり仰天!
 何故びっくりしたか、一月前の1月22日に戻ってみます。
 期末試験で『数理科学の方法』なる科目を受験したのですが、これが難しかった。
この科目、とても難しく、特に位相数学は、教科書を読んでも(勿論日本語で書かれているのですが)、全然意味がわからない。まったく閉口しました。
試験時間50分で10問。試験は択一式です。数学の択一式というのは、問題があって、その答えが4種類ぐらい並んでいる。「正しい答えはどれか?」という設問です。
中には(一番苦手の位相数学が)「答えの中で正しいものを総て挙げよ」というのもありました。
計算問題は、計算すれば答えが出るのですが、一問計算するだけで30分近くかかりそうだから、計算していると2問ぐらいしか回答できない。合格点は60点以上ですから、少なくとも6問正解しなければならない。
問題の性格から判断して、答えはこの種の数式で表現されるに違いない、と推定するしかないのだが、敵(出題者)もさるもの、よく似た数式の回答を並べている。
50分の持ち時間をいっぱい使って必死で考えました(普通持ち時間全部を使うことはあまりない)。終わった時には疲れてへとへとでした。
「これは不合格だな。まあ運がよければ“C”(60~70点未満)だが、多分、半年後に再試験必至だ。まァ、もう半年数学を勉強するチャンスが貰えたと思うことにしよう」

その試験結果が送られてきたのです。なんと、マルA(90点以上)だったのです。
まさに、びっくり仰天です。70歳は越したけれども、まだボケていなかった!
と、たかが試験の成績が良かっただけなのに、子供みたいに喜んでいます。

 追伸:実は、再試験必至と覚悟していたので、準備をはじめていました。
 分からないのは、数学の言葉がわからないからだ。数学もこの辺になってくると、国語を学ぶと同様「数学」という「言葉」を知らねばならない。そう思って、試験が終わった後、図書館で調べたら、「数学は言葉」(東京図書、09年9月刊)という最近の本がありました。(著者の新井紀子さん、「数学」が分からないのは、「数学語」が分からないからだと、「数文和訳」(数式を日本語に翻訳)や「和文数訳」(日本文を数式に翻訳)の例題をあげて説明していました。)
 この本が気に入って、新井紀子さんの本を3冊まとめて図書館で借り、しこしこと読んでいます。尚、「数学は言葉」については、
http://d.hatena.ne.jp/snozue/20100202
数学に興味ある方は、ご覧下さい。

大学院ゼミ

2010-01-26 | 放送大学
 24日は大学院のゼミでした。

 朝6時半、地下鉄に乗ったら、日曜のまだ暗い朝なのに、働きに行く姿の人がかなりの数乗っていました。「現役はたいへんだ」。7時名古屋始発のこだまに乗る。関が原辺りは、まだらに積雪が見られます。8時過ぎ新大阪に着き、大阪で環状線、天王寺で降りて、大阪教育大学まで歩きました。放送大学大阪学習センターは、この大学の本館に間借りしているのです。9時10分前到着しました。

 9時、8人の学生と5人の教授が集まり、主任教授の司会でゼミが始まりました。学生が順番に、修士論文のテーマ、構想、進行状況などを持ち時間25分(質問時間含む)で発表します。5人の教授の方々が、「こういう内容を入れたらもっと良くなる」など、アドバイスしてくれるというシステムです。

 小生は5番目でしたが、発表後の休憩で、主任教授から「おいくつでしょうか?」と話し掛けられ「73歳です」と答えると、「お年の割りには頭脳がシャープですねえ」と言われ、誉めてもらえたと思ったのですが、よく考えてみたら、年の割りにボケていないというだけの意味だったかも?その後、教授はこういいました。

「でも、NOZUEさん、放送大学の最高齢の学生は、93歳ですよ。まだまだ頑張れます」。

 93歳になっても、学生として学ぶ人がいるのだから、「日本民族は優秀な民族だ」と、私は思いました。

 いずれにしても、無事に終わり、最後に、主任教授が「3月末放送大学を退任し、4月から同志社大学でお世話になります。後任はS先生になります」という挨拶がありました(どうやら定年の関係らしい)。S先生は、私が大学の卒業論文を書いたときの指導教官です。

 ロビーで同志社のN教授としばらく懇談してから、1時に放送大学を辞去しました。

 やれやれ、でした。正月明けの3日から、ずっとこの仕事に忙殺されていたので、25日からが、本当の私の正月休み。

 家には4時に帰宅できました。久し振りに「新幹線は便利だ」と、再確認しました。

大学院のゼミの準備に追われています

2010-01-17 | 放送大学
大学院のゼミの準備に追われています。

 論文の下書きをWORDで作成して、ファイルを指導教官に宛てて送信すると、そのファイルに、教授から朱書きで、コメントやアドバイスが書き加えられて送り返されてきます。

 それを繰り返すことで、指導教官から指導を受けられるという仕組みです。

 ですから、指導教官の先生とは、お目にかかったことは実は2回しかないのですが、十分指導を受けられるわけで、まことに巧く出来たシステムだと思っています。

 面白いのは、送り返された文書の朱書きの場所にカーソルを持っていくと、

『何月何日何時何分、Nさんにより挿入されました』と、メッセージが表示されます。勿論、Nさんとは指導教官の名前です(この機能は、WORDの新しいヴァージヨンにある機能なのか、それとも先生が特別なソフトを使っているのかは分かりませんが)。

 「へーっ、こんなことも出来るの!」。便利な世の中になったものだと、感心しています。

 考えてみると、こうしたインターネットの進歩は、ここ12~13年のことで、私が現役を引退した後の出来事で、退職後、私が勉強もパソコンに触ることもしなければ、多分分からなかったことです。(そう言えば、先日引退した千代大海は、私の退職時には、まだ幕内に入っていなかった!時の経過の早さに驚きます。)

『失われた10年』或は『・・20年』などという言葉がしばしば用いられますが、日本の経済成長に関しては『失われた』年月かも知れませんが、世の中自体の進歩、あるいは変化は『失われた』どころではないようです。

合宿ゼミはこんな具合でした

2009-07-22 | 放送大学
放送大学院のゼミで18日から20日まで幕張の放送大学本部へ出かけました。
構内にセミナーハウス研修室という建物があって、宿泊できます。一泊1500円というので、どんな部屋に泊まらせられるのか?と思っていましたが、立派なものです。中級のビジネスホテルのシングルルーム並み(ただし冷蔵庫はなかった)の施設で、これで1500円では申し訳ない、と思うくらいです。
難点は構内にレストランがない。食事は外に出て探さないといけない。結局、近くのイトーヨーカ堂のレストラン街で夕食を取り、朝飯は、これも外に出てコンビニでおにぎりその他を調達して済ませました。
ゼミの内容は、院生が交互に25分(発表15分・アドバイス・質問10分)で、修士論文の進捗状況を報告するというものです。
修士論文は原則2年で仕上げるということですから、今年入学したM1(1年生)と昨年以前入学のM2の30名と、指導教官7名(放送大学3名と他大学から4名の教授・准教授)の出席でした。
M1はどのような方針で論文作成を進めるか、M2は論文の大要の発表です。
以下、面白い研究テーマを記します。
「地方公共団体のNBCテロ災害対策のあり方。」
NBCとは核・生物・化学兵器の意味で、オーム真理教のテロみたいなのが、起きたとき、現行の法律で適切に対応できるか?という話。それは良いのですが、発表したのがうら若い女性でしたから、私は「よくこんな恐ろしいことを若い女性が研究できる!」と、唖然として発表者の顔を見つめていました。
教授の質問の様子を聞いていて分かりました。彼女は自衛隊のエリート(の卵?)らしい。

「開発途上国における零細漁村振興のための有効な実践的手法」
この研究、モロッコに行って、漁村で漁村振興策を実践したと言う。よくそんなに遠くに行って試行ができるな、と感心していたら、質疑で分かりました。この人、JICA(ジャイカ:国際協力機構)の職員らしい。

「個人所得税における所得控除の今日的課題」
私と同じ先生に就いた沖縄のSさんです。税務署の職員らしく手馴れた説明でした。

「横浜の貿易統計と貿易諸手続き」
という発表もありました。どうも、自分の職場からテーマを持ってきた人が多い。

「地方公共団体の経済的な資源回収政策」
というテーマで話した人は「一周遅れのトップランナー 名古屋市民のごみ革命」という前名古屋市長の著書を引用して話したので、名古屋の人か?と思ったら福島県の人でした。

私は「外国為替市場に対する政府の影響と最適資源配分」というテーマで発表しました。

二日目の夜は懇親会でした。話してみると、私より年上の人もいれば、30代の若い人もいる。私の指導教官は愚息より二歳年長と分かりました。
3日目は午前で終わり、直ぐ名古屋へ帰りましたが、当日は帰宅後メールも見ずに8時前寝てしまいました。若い人たちと付き合った三日間、すっかり疲れていたのです。

追伸:今週は25日に期末試験。その後論文の第一回報告の期限が来ます。今月は真面目に学生をやっています。

新学期が始まりました

2009-04-17 | 放送大学
大学院も新学期が始まりました。

以下、今どきの大学院は、どんな勉強をさせるのか?のレポートです。

11日、放送大学本部に行ってきました。

9時過ぎ東京駅に着き、駅構内の長い長い通路を通りぬけ(あまり長すぎて、此処って地下街?と錯覚する。そういえば乗車券の検札口がなかったからやっぱり駅構内だ!)京葉線の地下ホームへ行くと、9:27の快速電車に直ぐ乗換えができました。10時、海浜幕張駅に着く。駅頭に立つと、この前11月に来た時もそう思ったのですが、全くの新開地!つまり、古い建物がまったく見当たらない。

15分ほど歩いて放送大学本部に着きました。受付で、論文の纏め方、オープン・フォーラム(修士論文を編纂した本)、研究指導支援システム(インターネット)操作マニュアル等々分厚い資料を渡された。

会議室に入ると、およそ90名ほどの学生が集まっている。10時半から大学院「社会経営プログラム」のオリエンテーシヨンが始まった。


午前中は、教員の挨拶と資料の説明。昼食休憩を挟んで1時から、各ゼミに分かれての説明会です。

私が所属することになる林・坂井ゼミは17名。修士論文の指導は、放送大学の林・坂井教授が研究指導責任者となるが、実務的に指導に当たる研究指導員は、他大学の先生の応援を得て、学生数名に1名の先生が当たるという。私の場合、指導責任者は林教授。指導員は、同志社大学政策学部教授のNOMA先生という新進気鋭の若い先生でした。

入学願書を提出する際、「大学院でどのようなテーマを研究したいか」という文書を提出する。この文書のテーマに応じて、専門の先生を指導教員に決めるというシステムです。

先生方の挨拶の後、学生それぞれが自分のテーマについて説明する。全員の説明が終わると、各指導教員ごとに分かれて、今後の進め方の説明を受けた。

NOMA先生の指導を受けるのは、私を含めて3名。一人は沖縄税務署に勤めるSさん。もう一人は神奈川県のこれも公務員のYさん。税務署に勤める知人は初めて。何かの時に助かることがあるかな?

 NOMA先生「私の場合、今までは、関東に住む学生が大方なので、私の東京出張のときに集まってもらったけど、沖縄と名古屋と神奈川では集まりようがないですね」
 結局、メールと添付ファイルを活用する以外ないですね。という話になった。

「私のテーマの関連分野を研究している経済学者を教えてください」と問うと「河合正弘さんと高木信二さんですね。NOZUEさんは、とりあえず関連文献を探して、5月中に10冊は目を通してください。8月の第一回報告には、少なくとも20冊の参考文献リストを付けてください。」と言う。

 次は7月18~20日ゼミ全員で合宿を行うという連絡を確認して3時過ぎ解散。

 初夏のような暑さで、少々疲れ気味なので寄り道せずまっすぐ名古屋へ。7時前の帰宅でした。

大学院の聴講

2007-04-06 | 放送大学
東大に3回合格した平岩正樹さん(53)という人がいるそうです。以下、3月11日の朝日の記事です。

『3度目の東大合格である。

工学部を出て就職したが、翌年再受験して医学部へ。・・・今回はまったく畑違いの文科系である。歴史学を学びたい。・・・
 工学部でも、医学部でも、実験が不可欠だった。

「実験は神との会話だった。神と会話せずに、どうやって真理をつかむか。それが人文化学の最大の謎であり、あこがれでもあった」』

 実は、私もかねがね「実験ができない人文科学は、どうして真実か真実でないかを判定出来るのだろう?真実を確認できないとすると、それは科学だろうか?」と疑問に思っていました。

平岩さんの「実験は神との会話。神と会話せずに、どうやって真理をつかむか。」も同じ意味だろうと思います。世の中、同じ発想をする人っているものですね。

 でも、放送大学で、「経済学」のゼミに参加してから、少し考え方が変わりました。
『科学とは「人間の知の体系」である。知とは、人類が知りたいと思ったことについて知りえたことの記述です。

人類が知りたいと思うことはいろいろある。中には、実験が出来ない分野もある。
そうした分野は、知ることを諦めるのか?そうはいかない。
 それが実験出来ない分野である場合、実験以外のなんらかの方法で真実を確認できないかを考えるだろう。そうして集められた知識の体系が人文科学なのだ!』
 人文科学で重要なことは、「この分野の科学においては、真実の確認はどうやって行うか?」です。

 話は変わりますが、司馬遼太郎さんのエッセイに「小説を作るにはマヨネーズを作るほどの作法もない」というくだりがあったことを記憶しています。

「経済学の論文作りには、マヨネーズを作るほどの作法ありやなしや」というのが、放送大学で、卒業研究のゼミに参加したときの私の疑問でした。

 ゼミの作業プロセスを通じて、実はこの「真実の確認をどうやって行うか」が、作法ではないかと思うに至りました。
ところが、そのように作法を定義した時、現在、経済学者の間に共通した作法が、実はない(と私は思う)のです。
ですから、その作法を、それぞれ個人が確立しなければならない。

 そうした思いで、放送大学院の新学期に入ります。
今日は大学院の授業の聴講に行きました。
新学期は法とシステム1(生命・医療と法)、法とシステム3(情報と法)を勉強します。70の手習いです。

卒業式の季節

2007-03-26 | 放送大学
 23日の夕刊(名古屋地区)は、名大の卒業式が大相撲の枡名大も出席して、愛知県体育館で行われたと報道しました。愛知県体育館は名古屋城二の丸にあって、毎年7月には大相撲の名古屋場所の会場になります。余談ですが、地下にはプールがあって小生が週1回水泳のコーチを受けている施設です。名大の卒業式はいつも豊田講堂で挙行されます。小生が卒業した昭和34年は、医学部の講堂で行われましたが、同年トヨタ自動車の寄付で豊田講堂が完成し翌年からは同講堂で行われてきました。
 「どうも私の卒業の時は、豊田講堂が使われないらしい」
 24日、東京渋谷のNHKホールで挙行される放送大学の卒業式に出席するため上京しました。ひかり360号は9:43定刻に東京駅着。すぐ地下鉄に乗り換え渋谷へ。ハチ公口に出て、駅前のスクランブル交差点を渡り、公園通りのゆるやかな坂を上りきるとNHKホールがありました。大晦日の紅白歌合戦の会場でTVではお馴染みですが、実際に入ってみたのは初めてです。
 受付前で、同じゼミのIさんと待ち合わせを約束していたので10分程度待っていたらやってきた。「やぁ」と昨年来の挨拶を交わし一緒に会場内に入った。2千人以上は入れそう(3千人ぐらいかな?)。全員が出席しているのではありませんが、卒業生5305名、修士終了453名だそうです。因みに全国の在校生は10万を越えるそうです。
 11時に卒業式(正式には「放送大学学位記授与式」)が始まる。国歌と大学歌(はじめて聞いた)演奏の後、卒業生代表と修了者(修士課程)代表に卒業証書、学位記授与。
 卒業生代表は和服の気品のあるおばあさんです。(はるか前方ですがスクリーンに大写しされますから表情は分ります。)学長が専攻コース、生年月日と氏名を読み上げましたので、昭和2年生まれと分りました。「産業と技術」を専攻された
79歳の女性です。司会者が「放送大学のすべてのコースを卒業されました」とコメント(放送大学には「自然の理解」「社会と経済」・・等々六つのコースがあります)。世の中には向学心の旺盛な方はいるものですね。修士の代表も女性でした。
 学長告示に続いて、文部科学副大臣の衆院議員池坊保子さんが祝辞。池坊保子さんの講演を20年以上前に聞いたことがありますが、当時は才気煥発の話しぶりでしたが、この日は型通りの挨拶で、大臣は失言するとまずいんだな、と思いました。総務大臣の祝辞を同省審議官が代読。こちらも型通り。
 続いて卒業生の答辞。この方も女性。女性の時代かな?でも、その後の修士の答辞は男性でしたので一安心。この男性は小学校の教師、「小学校の英語教育」を研究テーマに取り組まれての苦労話は、聞かせました。
 式が終わった後、学長が舞台中央で、卒業生に向かって深々とお辞儀をされたのが印象的でした。
 受付で卒業証書を受け取り、今度は祝賀パーテイへ、送迎バスに乗り、新高輪プリンスホテルへ向かう。案内の人は20分ぐらいと言っていたが、渋滞で渋谷から品川まで40分かかり1時ごろ会場に着く。「平日だともっと混みますよ」とIさんが言う。都内の渋滞はたいへんだな、と思う。
 出席者は1000人を越す立食パーテイだった。一応、愛知学習センターのテーブルに行き、みなさんと挨拶する。学習センター所長のT先生(元名大教授)が見えたので立ち話。「どうして今年は名大の卒業式は県体育館なのですか?」と聞くと、「TOYOTAさんの業績が良いので、寄付金をたくさん頂けて、豊田講堂の大補修にかかることになったらしいですよ。」
 別の方が話しかけ「今日は文部科学大臣が見えなかったですね」と言われるので、小生は「水道光熱費の説明も出来ないような大臣は来ない方がいいですよ。池坊さんの方がずっと良い」と言うとT先生は「放送大学はいろんな意見の方が見えて面白いですね」と笑われる。
 Iさんが来て「ゼミのS先生に挨拶に行きましょうよ」と言う。「そうしましょう」と二人で会場内を探して千葉県学習センターのテーブルで先生を見つけた。
二人で「お世話になりました」と挨拶。ひとしきり懇談しました。
 その後、Iさんが「もう失礼します」と言うので、お別れした。
 パーテイは、菅原朋子さんというハープの演奏家の演奏になった。ハープの後は「クコ」というその昔シルクロードを伝来した楽器(正倉院に残るそうだ)の演奏を聞かせてくれた。
 3時、私も失礼して品川駅まで歩く。駅に入って新幹線口で聞くと、「名古屋行きのひかりは今出たばかりだから、1時間後です」と言う。品川も新横浜もひかりは一時間に一本だ。「じゃ、東京駅まで行くか!(東京駅からひかりは一時間二本)」と京浜東北線で東京。15:36のひかりに乗車しました。
 以上、48年ぶり、二度目の私の大学卒業式でした。