古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

国力とは何か(2)

2013-01-31 | 経済と世相
以下、筆者の論鋒はするどい。
グローバル化の時代には、企業の利益と国民の利益が一致しなくなる。
かつては、国家が労働市場を規制し、株主や企業の利益と労働者の利益のバランスを考慮し、国民全体の利益の調和を図ることができた。また、企業が国内に留まっていた時代には、労働者の賃金の上昇は、企業にとってはコストの増大であったが、それは同時に労働者の購買力の上昇でもあり、企業にとっては市場の拡大を意味するものであった。
しかし、グローバル化の時代・・・
グローバル化とデフレの関係
グローバルに展開する企業にとっては、賃下げが利益になるということは、デフレが利益になるということでもある。デフレとは物価が継続的に下落していく現象であるが、それは、労働者の賃金が低下していき、企業にとっては人件費負担が軽くなっていくということでもあるからだ。
デフレの悪循環は、短期的な需要不足のみならず、長期的には一国の供給力も破壊していく。
デフレ不況の危険は国内に留まらない。デフレに苦しむ国家は、不足する需要を埋め合わせるために、外貨の獲得に乗り出し、海外市場を収奪しようとする。つまり、グローバル化の促進がデフレを発生させ、デフレが内需を縮小させるので、ますます外需の追求とグローバル化が志向される。
(にも拘わらず)我が国はグローバル化に抵抗しようとはしなかった。それどころか、2008年のリーマン・ショック以降、相変わらず、輸出主導の成長戦略を追求している。
2008年の世界金融危機は、グローバル・インバランスが持続可能でないことを明らかにした。「グローバル・インバランス」とは、アメリカなど一部の国が過剰な消費と一方的な輸入を行って経常赤字を積み上げ、新興国や中東諸国が経常黒字を累積するという、世界レベルの経常収支不均衡の構造のことである。
経常収支の均衡は、各国が経済政策を講ずることによって、言い換えれば、国家が経済を統治して、グローバル化の流れを制御し、場合によっては反転させることによってのみ可能なのである。

ケインズ主義的政策は、国民全体のために資源を再配分する政策である。・・・(そうした政策は)同朋意識としての国民意識がなければ困難である。たとえば、財政政策は、国民全体で税を負担し、その税を財源に財政出動を行い、内需拡大の効果を国民全体で享受するものである。富裕層や多数派の民族が、貧困層や少数民族にも利益を及ぼす財政支出に同意し、そのための負担に応ずる用意がなければ財政政策の実施は不可能である。そこで、階級や民族の違いを超えた同じ同胞としての国民の意識が必要なのである(EUや新興国の困難さはここにある)。

クリントン政権は、グローバリゼーシヨンを増幅させる戦略を進めた。しかし、それはクリントン政権が経済ナシヨナリズムを否定したからではない。その逆に、この政権のグローバル戦略は、アメリカの金融技術と情報技術の優位を生かして勝ち抜こうという、経済ナシヨナリズムに動機づけられたものであった。
グローバリゼーシヨンは、世界経済の自然発生的な流れや歴史の不可避な潮流などではない。それは、アメリカという強大な国家の政治意志の産物なのである。アメリカが戦略的意志をもって、情報革命や金融の自由化を推し進めなければ、その後に起きたようなグローバリゼーシヨンは起きなかったであろう。
グローバリゼーシヨンは経済ナシヨナイズムを消滅させるものではない。その反対に、経済ナシヨナリズムがグローバリゼーシヨンを生み出したのだ。この点を見誤り、「グローバルな時代になったから自国の経済ナショナリズムは放棄してよい」と考えた愚かな国(たとえば日本)は、アメリカの経済ナシヨナリズムの前に敗北することになったのである。

世界金融危機を受けて、世界最大の経済大国アメリカが実施すべき政策の方向は、少なくとも理論的には簡単である。
第一に、財政出動と金融緩和によって恐慌を阻止すること。
第二に、世界金融危機を引き起こしたグローバル・インバランス構造を是正し、経常収支赤字を大幅に改める。すなわち、家計の過剰消費、過剰債務を改め、輸出を拡大すること。
第三に、金融システムを改革し、過剰な資本移動を規制すること。
2009年に登場したバラク・オバマ大統領は、まさにこの三つの課題に取り組もうとしていた。・・・だが、その改革に失敗した。(つづく)



国力とは何か(1)

2013-01-30 | 経済と世相
「国力とは何か」(中野剛志著、11年7月講談社新書)を読みました。
何故この本を読もうと思ったのか、先に野口悠紀雄さんの著書で「日本が製造業で稼ぐ段階を過ぎている。」という記述を読んだ。野口先生は「日本は製造業で稼ぐ時代を卒業、次は金融業」といっていますが、アングロサクソン国家のようにM&AやFUNDで儲ける方式を日本人が得意とするとは思えません。『日本経済が金融で稼ぐとは、海外に直接投資した会社・工場群の収益を日本に還流するということではないでしょうか。その場合、日本人は海外の工場・会社で働くことが日常化する』(「空洞化のウソ」)
一方、浜矩子さんは「新・国富論」でこう述べている。『結局のところ、税金が最も低くて、人件費が最も安くて、資産が最も効率的に運用できる場所に向かって、ヒト・モノ・カネが国境を越えてどんどん吸引されていってしまう。すると、国境の内側には、何が残るか。それはすなわち、富を求めて国境を越えられない者たちに他ならない。儲からない企業。運用する資産がない人。・・・・
 だが、思えば、国というものは、まさしくこのような人々のために存在するという面がある。国や政策が自分勝手に飛び回る人々のために何かをする必要はない。』
そういう時代に、もしなるとすると、私たちにとって、「国家とは何か」を考え直す必要があるのではないか?参考になる本はないかと探して、この書を見つけました。
筆者はTPP反対論の旗手、中野剛志さんです。
http://d.hatena.ne.jp/snozue/201206
まず、筆者は、論駁する対象を明確に述べる。
【「グローバル化」とは、簡単に言えば、資本、企業、個人が利益を求めて、国境を越えて自由に移動するようになる現象のことである。この現象は冷戦が崩壊した1990年代以降、加速したと考えられる。
構造改革路線から「平成の開国」に至るまでの一連の経済政策は、このグローバル化に対応しようとしたものである。それらは、おおむね、次のような発想に基づいていた・
グローバル化した時代には、資金、企業、人材、技術が集まりやすいように、投資先として魅力的な環境を整えることを、国家の経済政策の目標とすべきである。しかし、日本経済は、このグローバル化に対応できておらず、他国に遅れをとっている。それこそが日本経済の閉塞状況の主な原因である。そこで、日本の経済構造を根本的に改革し、グローバルなマネーや企業にとって魅力的な環境を構築しなければならない。
同時に日本の企業や人材が、国境を越えてグローバウな市場で利益を追求できるようにしなければならない。しかも、我が国の国内市場は、人口減少と少子高齢化によって縮小していく運命にある。これまでのようなに国内市場にだけとどまっていては、企業はビジネスチャンスを失い、国は豊かになることができない。
このグローバル化の推進を目指す構造改革にはそれを支えるイデオロギーがある。それらは「新自由主義」あるいは「市場原理主義」と呼ばれている。
新自由主義の基本的な教義は・・・
世界は、自己利益を合理的に追求する個人(あるいは企業)から構成されている。利己的な個人が自己利益を追求して競争に励む結果資源が最適に配分され、経済は効率化され繁栄する。この市場メカニズムを機能させるため、国家は、個人の経済活動の自由を最大限許容することが望ましい。ヒト、モノ、カネが国境を制約なく自由に流れていけば、世界経済全体が繁栄する。
新自由主義者は、国家が経済に介入することで、自由市場よりも経済を豊かにすることができるという考えを真っ向から否定する。また、新自由主義者は、国境に束縛されて生活を営む個人すなわち「国民」の存在意義も認めない。・・・新自由主義は、国家が国民のために積極的に活動するという発想を根本的に否定するイデオロギーなのである。】(つづく)

確定申告の季節です

2013-01-24 | 経済と世相
「確定申告」の季節です。どうせやらねばならないのだから、早く済まそうと21日、pCを起動しました。国税のホームページにアクセスしたら、「WindowsXPをご利用の方はPACK 3以降のヴァージョンを ご利用してください」のメッセージが出た。自分のpCはPACK 3?と、マイコンピュータを右クリックし、プロパテイを見たら、PACK  2だった。
 これはヴァ-ジョンアップしないといけないと、「すべてのプログラムからupdateをクリックして、動き出したが一向に終わらない(結果1.5時間かかって、しかも終わってからプロパテイを確認したら、PACK 2のままだった(やり方がおかしかったのかも?)
 もう一台のPCでやろうと、WIN 7のPCを起動した。国税のホームページで申告書の記入欄をクリックしたら「Internet Explorerによってポップアップが阻止されました」。
 「これってどういう意味?富士通に聞いてみよう」と富士通のコールセンターに電話したら「購入後一年以上のお客様は有料になります」と録音が廻っている。
「この程度のことにカネを払うこともないだろう」と、富士通のQ&Aのホームページで「ポップアップのブロック」を検索したら、すぐ分った。
「阻止のメッセージをクリックすると「一時的に承認」が出るから、それをクリックしなさい」と言う。
 そんなことかと、クリックしてデータの入力を終えた。最後が印刷で、「申告書を印刷」をクリックした。申告書の画面表示と“印刷開始”のボタンが出るはずなので出て来ない。「印刷画面」の表示ボタンがあるが、それをクリックすると前に戻ってしまう。
「申告書の画面がでない場合は・・・」という注意書きがあるので、そこをクリックして書かれている事項を実行したが全然ダメです。
 「なんてことだ!」と国税庁に電話した。
 窓口のお姉さんが、小生のPCのシステム環境について、Windowsのヴァージョンはとか、Adobe Readerのヴァジョジョンは、とか聞いてくるのに答えていると、そのうちに「Internet Explorerは64ビットか、32ビットか?」と言う。「64ビットです」
 しばらく調べた後、彼女がこういった「64ビットのInternet Explorerには対応していません。32ビット版を読み込んで最初からやり直してください」
 「そんなバカな!」と思ったが、仕方ないと電話(3分半10円である)をきって、32ビットのInternet Explorerを読み込んで最初からやり直したが、結果は同じでダメだった。
 余談だが、窓口のお姉さんは、小生のことを「利用者様」と呼んで「お客様」とは決して言わなかった。民間会社だったら必ず「お客様」という。役所には「お客様」という概念がないらしい。本来、納税者のPCシステム環境がどうあろうと、対応できるようにしておくべきだ。そうしていないのは、「お客様」という概念がないからだと少々立腹しました。
 「そうだ、税務署のPCでインプットすればいい」と思いつき、名古屋北税務署に電話したら「どうぞ」といった。で、23日、北税務署に出向き確定申告を終えました。


空洞化のウソ

2013-01-20 | 経済と世相
「空洞化のウソ」(松島大輔著、2012年7月刊、講談社現代新書)という本を図書館の棚で見つけ、読んでみました。著者は1973年生まれ、通産省入省後06年から4年、インドに駐在。現在、タイ王国政府政策顧問として日本政府より国家経済社会開発委員会に出向と言う。
 で、何故この本を読もうと思ったのか、先に野口悠紀雄さんの著書で「日本が製造業で稼ぐ段階を過ぎている。」という記述を読んだ。さらに、浜矩子さんは「新・国富論」でこう述べている。『結局のところ、税金が最も低くて、人件費が最も安くて、資産が最も効率的に運用できる場所に向かって、ヒト・モノ・カネが国境を越えてどんどん吸引されていってしまう。すると、国境の内側には、何が残るか。それはすなわち、富を求めて国境を越えられない者たちに他ならない。儲からない企業。運用する資産がない人。・・・・
 だが、思えば、国というものは、まさしくこのような人々のために存在するという面がある。国や政策が自分勝手に飛び回る人々のために何かをする必要はない。』
そこで、「具体的に日本経済の今後の姿はどうなるのか?」、ヒントを得たいと思ってこの本を手にしました。以下、「空洞化のウソ」から・・
一国の国民経済の成長に関し、クローサーの指摘がある。
段階    国家     貿易収支  所得収支  経常収支
第一段階 未成熟債務国家  赤     赤     赤
第二段階 成熟債務国家   黒     大幅赤   赤
第三段階 債務返済国家   黒     黒字化   黒
第四段階 未成熟債権国家  黒     黒     黒
第五段階 成熟債権国家   赤字化   黒     黒
第六段階 債権取崩国家   大幅赤字  赤     赤
現在の日本は、第四段階に達し、第五段階の「成熟再建国家」に向おうとしている。今までに積み上げた債権をいかに有効に活用するか。筆者は、その答が「新興アジヤに投資せよ」だと説きます。
そうした日本の未来の生活をSF風に記述している。
「202X年某日、私(男性40歳)は、両親の介護のため、日本で妻の留守を守り、ウィークデイを過ごしている。この10年ほどタイやマレーシヤで暮らした経験を生かし、SOHO的なバックオフィス業務をこなしながら、地域社会の活性化のためのボランテイアにいそしんでいる。まだ小学校の下の娘は、最高水準の基礎教育を提供すると定評のある日本の地元公立小学校を選ぶが、すでにクラスメートの3分の1は、インド人と中国人、そしてタイ人とベトナム人となり、・・・・
妻は現在、シンガポールとデリーを拠点に仕事を、毎週金曜の深夜便で帰り早朝羽田に到着。週末を日本で家族と過ごし、月曜の朝にはシンガポールかデリーに帰る・・・」
 野口先生は「日本は製造業で稼ぐ時代を卒業、次は金融業」といっていますが、アングロサクソン国家のようにM&AやFUNDで儲ける方式を日本人が得意とするとは思えません。日本経済が金融で稼ぐとは、海外に直接投資した会社・工場群の収益を日本に還流するということではないでしょうか。その場合、日本人は海外の工場・会社で働くことが日常化することになり、こうした風景が珍しくなくなるかもしれません。

 日本企業のアジヤにおける現地化は、結果的に日本国内の課題を解決する、と著者は言う。海外進出で、日本の技術開発も伸展するといいます。そして、「リバース・イノベーシヨン」として、現地化が生み出すビジネスの具体例をいくつか紹介しています。
 蓄電式扇風機は、電力の安定性を欠いた「新興アジヤ」諸国の所産です。このメイド・イン・マレーシヤは、節電中の日本の2011年孟夏をしのぐのに大きく貢献しました。
 GEは、インドや中国の農村にある病院に向けて、超音波画像診断装置を開発した。本来なら数億円かかるこの医療機器を、携帯電話を端末として利用することで、わずか百数十万円で提供することに成功した。この医療機器は、最終的に、インドや中国だけでなく、健康意識や管理意識の高い米国の個人消費者市場に爆発的に売れるようになった。
 米国の農耕会社デイーア&カンパニー社が、当初インドの低所得農民向けにトラクターを開発した。しかし、今一番売れているのは、インドではなく、米港だそうだ。米国国内の日曜菜園などを楽しむ個人に、百数十万円の格安トラクターとして受け入れられている。
 アジヤをねらった新製品が、最終的に本国に朔行する。これが「リバース・イノベーシヨン」だそうです。
 追伸:こうした未来を実現するためには、むしろ円高の方が好都合ですから、安倍政権の円安政策は、経団連メーカーを一時的によろこばせるだけ?

円安と量的緩和

2013-01-19 | 経済と世相
昨日午後、図書館に行き新着雑誌をチェックしていたら,
週刊朝日に珍しい記事を見つけました。
藤巻健史さんのコラム「フジマキに聞け」です。
【「日本の量的緩和が欧米に比べてあまりにも遅い。」という論者が多い。安倍首相も、それらの説に従って、日銀に
更なる量的緩和を強要しているようだ。しかし、それでは日銀があまりにもかわいそうだ。
08年9月に起きたリーマンショック以降に量的緩和を始めた欧米の中央銀行に対し、
日銀ははるか昔、01年に始めたのだ。現在の緩和スピードが遅くても当たり前だ。
 たとえ話だが、「体重を増やせ」といわれた入門時の朝青龍が実際に2倍に増やしたのを見て、
当時既に巨漢の大関小錦に向って「お前も同様に体重を2倍に増やせ」といっても無理な話だ。
 米国や英国の中央銀行はリーマンショック以降にバランスシートを膨らまし始めた。
紙幣を印刷して金融市場で国債などを買い取り、市中に出回るお金の量を多くしようとしたからだ。
この場合、国債などが資産、印刷した紙幣が負債となるので、
資産・負債の金額がともに大きくなる。現在、当時の1.5倍から2.5倍になっている。
 確かに日銀は、リーマンショックを基準にすると、米英ほどにはバランスシートを拡大させていない。
しかし1992年末(47.9兆円)からリーマンショックまでに、すでに2倍以上(111.2兆円)に拡大させている。
昨年には158.3兆円。92年と比べれば3倍だ。
 また92年以前の日銀の当座預金(金融機関が日銀に置く無利子の預金)の残高はほぼ4兆円くらいなのに、
昨年10月末には42.7兆円である。10倍なのだ。
実務家の私にしてみると、これは、もう世の中にお金が「じゃぶじゃぶ」の状況だ。・・・
 ここまでバランスシートをふくらまし、お金をジャブジャブにしたのに、今まで効果はあったのか?】

どこが珍しいのかと言うと、フジマキさんは、名うての円安論者で
「日本経済は円安にすればすべての問題は解決する」と数年来、論陣を張っている方です。
 その論者が、安倍方式で、実際に円安になるのか?と疑問を呈している。
そこが珍しいと思ったのです。
しかし、現実に円安は、今のところ進行している。
政府も日銀もまだ何もやっていないのです。
 円安になると見た世界中の投機家が円を売っている。売ることが出来るだけ、世界中に円があふれていた。
10数年来の日本の金融緩和のおかげではないでしょうか。

アベノミクスについて愚考

2013-01-17 | 経済と世相
アベノミクスについて、一言と思っていたら、東大教授の松原隆一郎さんが16日の中日朝刊に「インフレ目標の皮算用」と題する寄稿をしていました。小生の言いたいこと、そのものでしたので、要点を引用します。
『金融政策によるインフレ目標説をもっとも執拗に攻撃したのはハイエクだった。彼によれば・・・金融緩和で余分なお金が出回れば企業家は誤った投資を行い(一種のバブル)、反動で景気はいっそう冷え込むだろう、とした。
 一方、ケインズは、デフレは家計も企業もお金を使わないという社会心理の冷え込みである「流動性の罠」によるのだから、金融政策はそもそも効かないとみた。それよりも国内にあるお金は海外に逃避してしまうから、資本取引を規制すべきだという。
 アベノミクスの手法は新しげに言うが、すでに2003年ごろから08年ごろまでやられた政策の蒸し返しに過ぎない。
 当時金融緩和しても投資先が国内になく、しかも米国の政策金利が5%前後だったので、米国債の購入に資金は流出した。それで円安になり、輸出も増えたが、問題は輸出企業が得たドルもまた多くは米国債の購入に費やされて、日本に戻ってこなかったことだ。20年以上も対外債権残高が世界一を記録している・・・、大手企業からなる財界は喜んだのに一般国民には景気回復の実感がなかったのは、そのせいだ。
こうした成り行きはすでにケインズが予想していたとおりだったが、ハイエクの批判も図星だった。というのも、当時日本でバブルは起きなかったが、米国で不動産バブルとサブプライム問題が発生したからだ。
 「インフレ目標」説は、お金を多く流せば物価が上がるという「貨幣数量説」という古めかしい説に、「日銀総裁がインフレ宣言をしたら国民がそれが実現すると思い込む」という珍奇な説を付け足したところに新味がある。
輸出と言う外国頼みは途上国のすることだし、・・・日本は大国らしく、一部財界だけが喜ぶ策ではなく、国内で資金が循環するよう、経済体質の改善をはかるべきである。』
 公共投資の額をX,公共投資で増加するGDPをYとするとき、Y/Xを公共投資の乗数といいますが、その乗数が限りなく1に近づいている。10数年前、小渕内閣は、当時の首相に「世界一の借金王になった」と言わしめるほど大盤振る舞いの公共投資をしたが、景気が回復せず、借金だけが激増しました。
 景気が良くなるとは、簡単に言うと、お金が国内各層に流れるようになることと、思うのですが、金融緩和は、お金が外国に流れるだけで国内に流れない。公共投資は、乗数が1に近くなっていて、国の借金は増やすけど、税収は増やさない、という結果になるのでは?と危惧します。
 ただし、円は安くなる。輸出企業は収益が向上し、輸出企業の株価は上昇するが・・・庶民はガソリン代が上がるのみでは?
問題解決には、松原先生の言うように『国内で資金が循環するよう、経済体質の改善をはかる』ことが必要です。
追伸:ケインズとハイエクの論については1年前メールしました。

http://d.hatena.ne.jp/snozue/20120303/


新・国富論』を読みました

2013-01-14 | 読書
浜矩子さんの『新・国富論』(文春新書、12年12月刊)を読みました。
一言でいえば「ヒト・モノ・カネが自由に国境を越えられるグローバル化の時代(実は「カネ・モノ・ヒト」の順にグローバル化は進んでいるのだが)、国家権力は国境を越えられない。したがって国家の経済政策が、カネ・モノ・ヒトをコントロルできなくなっている。
 ではどうすべきかをアダム・スミスの国富論に遡って考えてみた。」という本です。
 浜さんの語り口は快調で、さながら講談師調です。講談師調に魅せられたわけではありませんが、もともと浜さんの考えていることと小生の思考とが一致していたからでしょう、快い語り口でした。
 そもそも「国富」という概念は、国民国家というものが一定の自己完結性をもって確立していることを前提としている。だが、グローバル化時代は、そのような国民国家の自己完結性に風穴を開ける大風を吹かせている。
 アダム・スミスの「国富論」は、原題は“An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations(諸国民の富の性質と原因についての研究)“で、諸国民と複数になっている。しかも「諸国民」であって「諸国家」ではない点に注意が必要です。
 富は諸国民のものであって、自国民だけのものではない。そして富は国家に帰属するものではなく、国民に帰属するものとの含意です。
「見えざる手」は国富論の名物用語だが、あの大著(国富論)の中にただ一回しか登場しない。スミス先生がなぜ、「見えざる手」の機能に注目したか。それは、要するに「見える手」の存在が気になったからではないかと思う。権力という名の「見える手」である。(彼の時代では)王権と言い換えてもいいかもしれない。・・ヒトもカネもモノも振り回される。(つまり政府の権力という)「見える手」がそれらの行先を決める。「見えざる手」は、そのような軛から国々を解放しようとする・・・・と説く。
 ここまで読んで、私は、近年の為替介入のことを書いているのでは、と思った。
(以下は「製造業が日本を滅ぼす」(野口由紀雄著からの引用)
 『政府・日銀は、2011年10月31日に為替介入を実施した。(8兆722億円の円売りドル買い)。介入には常に疑問が付きまとうが今回の介入はこれまでにも増して疑問と問題が多い。第一は「なぜドル買いなのか?」(中略・・)ドルでなくユーロ買いすべきだった)
 第二は、1ドル=79円の指値注文をしたと推察されることである・
10月31日の円ドル取引額は、05年にFXを開始して以来の最高値(約6500億円)を記録した。介入前後の5時間でドル円相場は5%超上昇したのだから、単純に計算すれば、300億円を超える巨額の利益がFX取引者の懐に転がり込んだはずでる。FX投機者にとっては前代未聞、千載一遇のぼろもうけの機会である。ニクソンショックの前後に、日本だけが為替市場を閉鎖せずに固定レートで円を売り続け、巨額の損失を被ったことがあったが、その再来だ。
 円高が進行すると、「市場は介入を警戒している」と報道されることが多い。とんでもない。全世界のFX投機者は、日本政府が次のぼろ儲けの機会をいつ提供してくれるかと、一日千秋の思いで待っているのだ。』
 政府・日銀の「見える手」が国民の富を有効に守ったことがあるのだろうか。
 もう一つ、スミス先生の「見えざる手」は、付加価値に国外への漏れのないことを前提にしていた。(しかし、グローバル化の時代、付加価値は国内に留まらないのが常態だ。)
 もしかすると、我々はグローバル市場の基本特性について大いなる誤解を抱き込んでしまっているかもしれない。その誤解とは、グローバル市場が究極の国際市場だというイメージである。つまり、国際市場が多数の国内市場の集合体だ、という誤解。
実はそうではなく、グローバル市場は、継ぎ目なき巨大な単一市場である。
そして、グローバル市場が国際市場と同じ原理で動くと誤解している。
 (国際市場の場合)メイド・イン・ジャパンのアイテムは、最初から最後まで日本で作られたものだった。グローバル市場にあっては、市場は一つで、生産者の国籍と立地は多様だ。2011年のタイの大洪水で、タイ国内に生産拠点を置くメーカーからHDDの供給がストップし、世界中のコンピューッタ企業が減産に追い込まれた。また東日本大震災では、被災地の工場で行われていた電子部品やゴム・塗料の製造が止まった。そのためスペインで自動車工場が減産に追い込まれた。
 国際市場の場合、基本原理は、国と国との間の経済的競争の原理だ。
だからこそ、我々は「国際競争力」という言葉を使う。
しかし、グローバル化時代にあっては、「国際競争力」という言葉は何を意味しているのだろうか。

 『このような状態が続いていくと、何が起こるか・結局のところ、税金が最も低くて、人件費が最も安くて、資産が最も効率的に運用できる場所に向かって、ヒト・モノ・カネが国境を越えてどんどん吸引されていってしまう。すると、国境の内側には、何が残るか。それはすなわち、富を求めて国境を越えられない者たちに他ならない。儲からない企業。運用する資産がない人。租税回避しなければならないほど収入のない人。そもそも、収入がまるで無い人。国境を越えて自己展開するノウハウのない企業や人々。病弱な人々。リストアップしていくと、悲しくなってくる。・・・・
 だが、思えば、国というものは、まさしくこのような人々のために存在するという面がある。国や政策が自分勝手に飛び回る人々のために何かをする必要はない。自己展開する権利があるのに、その権利を行使できない人々のために尽くすことこそ、国や政策の本領発揮の場面であるはずだ。』
 ヒト・モノ・カネが地球の歩き方の達人になればなるほど、国々の政策能力は低下する。財政政策は金欠で手詰りになる。金融政策はカネの勝手な流出入に足を取られて効力を失う。この状態に業を煮やして、浅薄な政治家たちが中央銀行に国債を買わせたり、やたらに高いインフレ目標を達成させようと、気炎を上げる世の中になっている。

今年最初に読んだ本

2013-01-07 | 読書
 『製造業が日本を滅ぼす』という穏やかならざる書名の本を読みました。筆者は野口悠紀雄さん(ダイヤモンド社、2012年4月刊)です。
 何故この本を読もうとしたのか。
昨年の日本の貿易赤字はおよそ7兆円、今年もそれぐらいになりそうです。そしてパナソニック・ソニー・シャープの家電3社で1.6兆円の赤字というから驚きです。いったい日本の輸出を稼いだ製造業はどうなったのか?図書館の棚をみていて、この本がよさそうだと借りてきたのです。
ところで、貿易赤字はここ数年だけのことか、その傾向が今後も続くのか?
この本では、2011年の赤字は1.6兆円(12年3月の刊行なのでデータはこれ以前)、07年以前は年間約10兆円の黒字を稼いでいた。貿易収支の赤字の原因について、筆者は①米国の消費ブームの終焉、②円高、③電力(燃料費の輸入増)、④生産拠点の海外移転を挙げ、これらは構造的なものだ、つまり赤字は続く、と説きます。総合収支は、所得収支の黒(2011年で14兆円)がありますので、黒になってはいますが・・・
新政権の金融政策で円高は解消され、貿易赤字も黒字に転換する、とお考えかもしれません。確かに、為替の円高は、最近の市場からみれば、解消すると思われかもしれません。しかし、一旦円高状況になったら、その構造は、④など簡単に修正されない。だから、貿易の赤字は続くと筆者は述べる。
そして、注目すべき指摘は、日本が貿易で赤字傾向にあるのなら、為替が円高の方が日本の国益だという指摘です。つまり、赤字とは受取額より支払額が大きい状態ですから、円高のほうが円の支払い額が少なくて済むというのです(黒字なら、円安の方が受け取り円が大きくなる)。

もしかすると、新政権の円安政策は、円高の方が望ましい時点で、円安になる可能性があるのです
それに・・・著者はこうも述べています。確かに
『円高が問題を引き起こさないわけではない。円高がすすむために生産工場の海外移転が促進され、国内雇用は減る。それこそが問題であり、それに正面から対処することが必要なのだ。それをせずに、・・「円高阻止のため断固たる措置」を言うだけでは、責任回避に過ぎない。』
90年代までの政府の政策は、企業を繁栄させれば日本経済はうまく行く。企業が従業員の雇用も福祉も責任を持つから。というものだったと思います。しかし、非正規社員を増やしたことで、企業に任せるだけでは国民の雇用は守れなくなっています。円安に持っていくことで、企業は助かるにしても、国民が助かるわけではない、と私は愚考します。

書名の意味は、「貿易赤字が続いているのは、日本が製造業で稼ぐ段階を過ぎているからだ。現在は、その赤字を補填できるだけの所得収支がある。それだけ海外に資産があるわけだから、その資産を有効に活用する構造(著者の言葉に言うと“金融業”で稼ぐ構造)転換を図るべきだ。いつまでも製造業に拘ると国を滅ぼす」と言う意味らしい。



2012年の私選10大ニュース

2013-01-01 | 経済と世相
2012年の私選10大ニュースです。

すらすらと、資料を見なくても、10項目出てきました。
今年も事件の多い年でした。

1.山中教授にノーベル賞。
 イグ・ノーベル賞も日本人が受賞しました。
2.総選挙と安倍新内閣誕生。
 参院選挙までは、大人しくしている内閣?
3. 小沢判決、無罪確定。
検察は、小沢さんの総理就任を阻止できたから、目的?達成。
4. 笹子トンネル崩落事故と運転手が日雇いだった高速バス事故。
 日本全体劣化したかな?と思わせる事故。
5. ヒッグス粒子の確認。
長生きすると、もっと理論の発展を知ることができるかな?
6. 消費税法案成立。
 野田さんは、結局、消費税増税するだけだった!
7. 原発、一時全基停止。
 わけの分らない理由で大飯原発だけ再開しました
8. 北朝鮮のミサイル騒ぎ。
 日本は頭越しされただけ?
9. 民主党の分裂。
自民党の方が「まだマシ」と国民に思わせた?
10.原発事故調査委員会の報告。
どうして誰も責任をとらないの?
番外ですが・・・・

●シャープ・パナソニック・ソニー赤字。日本の家電はどうなったのか?

●ボンクラーズと熱戦;米長永世棋聖、年末に世を去りました。


追伸:一年間ありがとうございました。皆様、良いお年をお迎えください。