以下、筆者の論鋒はするどい。
グローバル化の時代には、企業の利益と国民の利益が一致しなくなる。
かつては、国家が労働市場を規制し、株主や企業の利益と労働者の利益のバランスを考慮し、国民全体の利益の調和を図ることができた。また、企業が国内に留まっていた時代には、労働者の賃金の上昇は、企業にとってはコストの増大であったが、それは同時に労働者の購買力の上昇でもあり、企業にとっては市場の拡大を意味するものであった。
しかし、グローバル化の時代・・・
グローバル化とデフレの関係
グローバルに展開する企業にとっては、賃下げが利益になるということは、デフレが利益になるということでもある。デフレとは物価が継続的に下落していく現象であるが、それは、労働者の賃金が低下していき、企業にとっては人件費負担が軽くなっていくということでもあるからだ。
デフレの悪循環は、短期的な需要不足のみならず、長期的には一国の供給力も破壊していく。
デフレ不況の危険は国内に留まらない。デフレに苦しむ国家は、不足する需要を埋め合わせるために、外貨の獲得に乗り出し、海外市場を収奪しようとする。つまり、グローバル化の促進がデフレを発生させ、デフレが内需を縮小させるので、ますます外需の追求とグローバル化が志向される。
(にも拘わらず)我が国はグローバル化に抵抗しようとはしなかった。それどころか、2008年のリーマン・ショック以降、相変わらず、輸出主導の成長戦略を追求している。
2008年の世界金融危機は、グローバル・インバランスが持続可能でないことを明らかにした。「グローバル・インバランス」とは、アメリカなど一部の国が過剰な消費と一方的な輸入を行って経常赤字を積み上げ、新興国や中東諸国が経常黒字を累積するという、世界レベルの経常収支不均衡の構造のことである。
経常収支の均衡は、各国が経済政策を講ずることによって、言い換えれば、国家が経済を統治して、グローバル化の流れを制御し、場合によっては反転させることによってのみ可能なのである。
ケインズ主義的政策は、国民全体のために資源を再配分する政策である。・・・(そうした政策は)同朋意識としての国民意識がなければ困難である。たとえば、財政政策は、国民全体で税を負担し、その税を財源に財政出動を行い、内需拡大の効果を国民全体で享受するものである。富裕層や多数派の民族が、貧困層や少数民族にも利益を及ぼす財政支出に同意し、そのための負担に応ずる用意がなければ財政政策の実施は不可能である。そこで、階級や民族の違いを超えた同じ同胞としての国民の意識が必要なのである(EUや新興国の困難さはここにある)。
クリントン政権は、グローバリゼーシヨンを増幅させる戦略を進めた。しかし、それはクリントン政権が経済ナシヨナリズムを否定したからではない。その逆に、この政権のグローバル戦略は、アメリカの金融技術と情報技術の優位を生かして勝ち抜こうという、経済ナシヨナリズムに動機づけられたものであった。
グローバリゼーシヨンは、世界経済の自然発生的な流れや歴史の不可避な潮流などではない。それは、アメリカという強大な国家の政治意志の産物なのである。アメリカが戦略的意志をもって、情報革命や金融の自由化を推し進めなければ、その後に起きたようなグローバリゼーシヨンは起きなかったであろう。
グローバリゼーシヨンは経済ナシヨナイズムを消滅させるものではない。その反対に、経済ナシヨナリズムがグローバリゼーシヨンを生み出したのだ。この点を見誤り、「グローバルな時代になったから自国の経済ナショナリズムは放棄してよい」と考えた愚かな国(たとえば日本)は、アメリカの経済ナシヨナリズムの前に敗北することになったのである。
世界金融危機を受けて、世界最大の経済大国アメリカが実施すべき政策の方向は、少なくとも理論的には簡単である。
第一に、財政出動と金融緩和によって恐慌を阻止すること。
第二に、世界金融危機を引き起こしたグローバル・インバランス構造を是正し、経常収支赤字を大幅に改める。すなわち、家計の過剰消費、過剰債務を改め、輸出を拡大すること。
第三に、金融システムを改革し、過剰な資本移動を規制すること。
2009年に登場したバラク・オバマ大統領は、まさにこの三つの課題に取り組もうとしていた。・・・だが、その改革に失敗した。(つづく)
グローバル化の時代には、企業の利益と国民の利益が一致しなくなる。
かつては、国家が労働市場を規制し、株主や企業の利益と労働者の利益のバランスを考慮し、国民全体の利益の調和を図ることができた。また、企業が国内に留まっていた時代には、労働者の賃金の上昇は、企業にとってはコストの増大であったが、それは同時に労働者の購買力の上昇でもあり、企業にとっては市場の拡大を意味するものであった。
しかし、グローバル化の時代・・・
グローバル化とデフレの関係
グローバルに展開する企業にとっては、賃下げが利益になるということは、デフレが利益になるということでもある。デフレとは物価が継続的に下落していく現象であるが、それは、労働者の賃金が低下していき、企業にとっては人件費負担が軽くなっていくということでもあるからだ。
デフレの悪循環は、短期的な需要不足のみならず、長期的には一国の供給力も破壊していく。
デフレ不況の危険は国内に留まらない。デフレに苦しむ国家は、不足する需要を埋め合わせるために、外貨の獲得に乗り出し、海外市場を収奪しようとする。つまり、グローバル化の促進がデフレを発生させ、デフレが内需を縮小させるので、ますます外需の追求とグローバル化が志向される。
(にも拘わらず)我が国はグローバル化に抵抗しようとはしなかった。それどころか、2008年のリーマン・ショック以降、相変わらず、輸出主導の成長戦略を追求している。
2008年の世界金融危機は、グローバル・インバランスが持続可能でないことを明らかにした。「グローバル・インバランス」とは、アメリカなど一部の国が過剰な消費と一方的な輸入を行って経常赤字を積み上げ、新興国や中東諸国が経常黒字を累積するという、世界レベルの経常収支不均衡の構造のことである。
経常収支の均衡は、各国が経済政策を講ずることによって、言い換えれば、国家が経済を統治して、グローバル化の流れを制御し、場合によっては反転させることによってのみ可能なのである。
ケインズ主義的政策は、国民全体のために資源を再配分する政策である。・・・(そうした政策は)同朋意識としての国民意識がなければ困難である。たとえば、財政政策は、国民全体で税を負担し、その税を財源に財政出動を行い、内需拡大の効果を国民全体で享受するものである。富裕層や多数派の民族が、貧困層や少数民族にも利益を及ぼす財政支出に同意し、そのための負担に応ずる用意がなければ財政政策の実施は不可能である。そこで、階級や民族の違いを超えた同じ同胞としての国民の意識が必要なのである(EUや新興国の困難さはここにある)。
クリントン政権は、グローバリゼーシヨンを増幅させる戦略を進めた。しかし、それはクリントン政権が経済ナシヨナリズムを否定したからではない。その逆に、この政権のグローバル戦略は、アメリカの金融技術と情報技術の優位を生かして勝ち抜こうという、経済ナシヨナリズムに動機づけられたものであった。
グローバリゼーシヨンは、世界経済の自然発生的な流れや歴史の不可避な潮流などではない。それは、アメリカという強大な国家の政治意志の産物なのである。アメリカが戦略的意志をもって、情報革命や金融の自由化を推し進めなければ、その後に起きたようなグローバリゼーシヨンは起きなかったであろう。
グローバリゼーシヨンは経済ナシヨナイズムを消滅させるものではない。その反対に、経済ナシヨナリズムがグローバリゼーシヨンを生み出したのだ。この点を見誤り、「グローバルな時代になったから自国の経済ナショナリズムは放棄してよい」と考えた愚かな国(たとえば日本)は、アメリカの経済ナシヨナリズムの前に敗北することになったのである。
世界金融危機を受けて、世界最大の経済大国アメリカが実施すべき政策の方向は、少なくとも理論的には簡単である。
第一に、財政出動と金融緩和によって恐慌を阻止すること。
第二に、世界金融危機を引き起こしたグローバル・インバランス構造を是正し、経常収支赤字を大幅に改める。すなわち、家計の過剰消費、過剰債務を改め、輸出を拡大すること。
第三に、金融システムを改革し、過剰な資本移動を規制すること。
2009年に登場したバラク・オバマ大統領は、まさにこの三つの課題に取り組もうとしていた。・・・だが、その改革に失敗した。(つづく)