古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

嘘つきマーニャの真っ赤な真実

2016-05-31 | 読書
『嘘つきマーニャの真っ赤な真実』(米原万理著、平成13年角川書店)を読みました。
この本は第33回の大宅壮一ノンフィクシヨン賞の授賞作です。
「リッツアの夢見た青空」、「嘘つきマーニャの真っ赤な真実」、「白い都のヤスミンカ」の3部構成で、リッツア、マーニャ、ヤスミンカは万里さんの友人の名。
米原さんは少女期の5年間を両親の赴任先であったチェコのプラハ市で過ごし、旧ソ連外務省直営のロシヤ語学校に通った。
その学校時代の親友です。リッツアはギリシャ人。アーニャはルーマニヤ人。ヤスミンカはユーゴスラビヤ人の娘さんです。
彼女ら親友とのエピソードがこんなふうに綴られます。

『 リッツアは、私の性教育入門編の優れた教師だった。
「叔父はね。女の切れ目がないのよ。今の彼女はカリーナマシューツ。彼女がこないだデートの時に、胸元が大きく開いたドレスで現れたんだって。あんまりセクシーだったもんだから、叔父はあそこがおっ立っちゃって困ったらしいわよ。人通りの多いバツラフ通りの真ん中だったから。」
「あそこって?どこ」
「チンポコに決まってるじゃない」
「チチチンポコ!?」
「こないだ教えてあげたでしょ。セックスの仕方」
「・・・・」
「男は惹かれるおんなの人とセックスしたくなるものなの!矢も楯もたまらずチンポコを女のあそこに入れたくなるものなのよ。でもそのままじゃ、なかなか入らないでしょ。」
「・・・・・」
わかんないかなあ。口の小さい瓶にふわふわいた綿をつっこもうとしてもうまくいkない。そういうときは、綿を棒にまいて綿棒にするとうまく入る」
今でも耳かき用の綿棒を見るたび、リッツアの熱心な説明を思い出す。
彼女の数々の戒めの中で一番頭にこびりついている、
「男の良しあしの決め手は歯である」
水田稲作を主な生業としてきたわが同胞と牧畜を営んできた民族との違いを、彼女との対話で、まざまざ思い知らされた。』
『「アーニャって・まるで呼吸するみたいに自然に嘘つくんだねえ」
ルーマニヤに住み続けると言ったアーニャはイギリスに留学し、イギリス人と結婚する。
「米原さんのお友達が外国に留学できて、しかも留学先の国の人間と結婚できるなんて
特権中の特権ですよ。父親が、チャウシェスク政権の幹部だから、許されたことでしょう。」
 再会したアーニャ。
「ルーマニヤの人々惨状に心がいたまないの?」
 「痛むにきまっているじゃないの。でも、アフリカにもアジヤにも南米にももっとひどい所は沢山あるわ」
 「でも、ルーマニヤはあなたが育った国でしょう」
 「そういう狭い民族主義が、世界を不幸にするもとなのよ」
 丸い栗色の瞳をさらに大きく見開いて私の目を見つめるアーニャは、真実そのものという風情だった。』
と、ルーマニヤ事情の紹介もでてきます。
 ヤスミンカとの交流は、スロベニアとクロアチアの独立宣言に続くユーゴ内戦の事情を教えてくれました。この辺りが大宅賞受賞になった所以でしょう。

かきつばたウオーキング

2016-05-28 | 旅行
5月27日は、シニアクラブのウオーキングで八橋に行く計画でした.2~3日前の天気余殃では「金曜日は雨」とのことで、心配していたのですが、夜はぱらついた雨が朝には上り、良いお天気になりました。
 集合時刻の9時半、東エレベータホールへ行くと、私を含め10人(男2、女8)が集まっていました。10時、金山駅でホームに行くと、「駅員さんが500円切符持っていかなかった人がいると、この切符くれた。誰か切符もってないひといない?」とHさんが言う「そんな筈は?」とポケットの切符をみたら。600円の切符である。確か500円のボタンを押したしお金も500円しか出してない。「前の人が切符とりわすれたんだ」と言った人がいる。そうなんだ。私が一番先に販売機で切符を買ったのだが、前の人が切符をもっていかなかったので、私がその切符[600円)を取って、私がお金を出した500円切符をメンバーの次の人が受け取り、以下順番に前の人の購入した切符を受け取ったので、最後の500円切符が一枚残ったわけだ。
 こんな経験は初めて!まぁいいか、とそのまま豊橋行の特急で知立へ。知立で猿投行に乗り換える。「三河知立」の次が「三河八橋」である。
下車してみると、昨日までの「かきつばた祭り」はおわっているので、案内の旗は片づけられてない。下見はしっかりしておいたので、無量寿寺への道は間違えず7~8分で着く。
 お寺は臨済宗妙心寺派の寺で奈良時代の慶雲元年(707)創立。文化9年(1812)方厳売茶翁により再建、現在の杜若庭園もこの時造られたとのこと。
「かきつばた我に発句の思いあり」芭蕉の句碑があった。
 そのかきつばた庭園を見に行く。残念ながら花は盛りを過ぎ、咲いているのは池の中の数本、大部分は枯れてしまっていた。
「在原業平の銅像があったはずだが…」と言うと「向こうにありました、イケメンでした」
業平は平安時代のイケメンである。

池の周りのベンチに腰を下ろしてお昼にする。「下見に来たときは花も沢山ありましたし、売店も出ていたのですが「かきつばた祭り」が昨日で終わり何もありません」と小生が挨拶すると、「でも、人が少ない(我々以外の観光客は2~3組だけだった)静かでいいじゃない」といってくれた。昼食の跡、「近くの名所を見て回りましょう。松がおすすめです。」
 かきつばた園の出口を南に1区歩くと八橋町の信号、そこを右折すると「鎌倉街道」と言われる古い街道である。街道沿いに在原寺(ざいげんじ)。業平の菩提を弔う業平塚が築かれた(寛平年間889~897)折りに塚を守る人の御堂として創建された寺とのこと。

 更に街道を歩くと名鉄の踏切があった。踏切の手前に「根上りの松」という松があったので、そこで記念写真を撮る。広重が描いた竪絵東海道40番目「池鯉鮒の宿八橋村の絵」に描かれた松だという。
 ちなみに「知立」の名は「池鯉鮒」、宿場の入り口にあった御手洗池に鯉や鮒が多くいたことに由来する。池鯉鮒宿は日本橋から数えて40番目の宿。距離は日本橋より約330km。
踏切を渡ると、右手の小さな丘に公園があり、そこに業平塚があった。

業平のお骨を分骨して祀ったものとの説明の掲示があった。この塚を見学後帰ることにした。
3時前無事に帰宅出ました。


経過順調です

2016-05-26 | Weblog・人生・その他
「前立腺がんはどうなったかな」。5月25日朝、9時前家を出て、自転車を転がして9時西部医療センターに着きました。
 例により受付で、診察券を受付機に通すと「13番、採血・採尿室にお越しください」と指示票がプリントアウトされる。⑬に行き、ここでも診察券を受付機に通すと、氏名の記載された紙カップと採血の順番票がプリントされ出てきた。尿を提出後、採血室はびっくりするほど混雑していました。、順番票は87とプリントされているが、採血中の番号は、20番台です。30分ほど順番待ち。
 指示票には次に「⑫の泌尿器科受付へ」とある。⑫の窓口で指示票と診察券を示すと、「検査結果が出ると再診しますので再診②の窓口近くでお待ちください」という。椅子に座りバッグから持参した本を取り出して読みながら2時間待った。順番がきて、診察室に入り氏名を告げる。
 医師がなにやらパソコンを操作すると、「検査詳細情報」なる文書がプリントされます。
PSA値は0.032だから前回の006よりさらに低い。「経過順調です」と医師は言う。
「この病気はどんな症状がでるのですか?どこも痛くもかゆくもないのですが・・・」
だから、本当に前立腺がんなのですか?と言わんばかりに質問したので、
「症状が出るのは腰の傷みですが、症状が出たら終わりですよ」と反応する。
「今日は午後3時からCTを撮影します。結果は6月1日か8日にお知らせします」、「では8日にしてください」。まだ12時過ぎなので「それまで一旦外出してもいいですか。」、「どうぞ」と言うので、外に出て、カレーライスの昼食をすませ、北スポーツセンターに行き、1時間ほど泳ぎを練習した。
3時前、病院に戻り、CT診断室に行くと、今度は待ち時間ゼロで画像撮影が終わった。結果は6月8日に知らせるとのことなので、会計を済ませて3時半帰宅しました。
翌日、処方箋をかかりつけの薬局に持参し、薬を貰う。、
薬代は35日分1700円。35錠が1割負担で1700円は高いなぁ
高い薬を飲み続けなければならないが、年をとると、自分の身体とだましだまし付き合っていくしかなさそうです。


終生、ヒトのオスは飼わず

2016-05-21 | 読書
東区の図書館で新着雑誌をチェックしていたら「米原万理さんがなくなって10年になる」という記事を見つけました。そこで、「米原さんの著書を読んでみるか」と、「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」(第33回大宅壮一ノンフィクシヨン賞受賞)と「終生、ヒトのオスは飼わず」を借りてきました。「終生、ヒトのオスは飼わず」は彼女の「私の死亡記事」という作品のタイトルです。ユーモアたっぷりに彼女の人生を記していますので、彼女を良く知らない方のため、全文引用して紹介します。
『米原万理さんが2025年10月21日未明に息を引き取った。享年75.死因は狂犬病と推定されるが、息を引き取る直前の極度の呼吸困難を不審に思った医師が遺体を解剖に回したところ、肺に大量の猫の毛が詰まっていて、「まるで掃除機の集塵容器のようであった」とのことである。
 2週間前の10月6日早朝、米原さんは同じホームの仲間たちと食べ歩きの旅の途中で立ち寄った香川県丸亀市にて野良犬たちに前夜に食べ残したビフテキを配ったところ、一匹に手を軽く噛まれたのが命取りになった。かってパサパサのサンドイッチ2人前を飲み物なしに平らげて「つばき姫」の異名を得た米原さんは、決し食べ物を残す人ではなかったのだが、四国入りしてから魚続きであったため、無性に肉が食べたくなりビフテキを注文したものの、口に合わず、宿の前にたむろする野良犬たちのことを思いだしたのであった。意識がなくなる直前に言った「やはり四国は魚料理は美味いけど、肉は・・・」が最後の言葉となった。前世紀末、日本における狂犬病は絶滅したのだが、大量に輸入されるペット経由で瞬く間に広まり、本年中の狂犬病による死者は、これで7人目となる。
 米原さんは少女期の5年間を両親の赴任先であったチェコのプラハ市で過ごし、旧ソ連外務省直営のロシヤ語学校に通った。日本的な和を貴ぶコミュニケーシヨンには終世なじめず、「舌禍美人」と呼ばれる性格も災いして大学院卒業後、就職できず、フリーのロシヤ語通訳者となるも、冷戦時代の日ソ関係に翻弄されて収入は極めて不安定であった。そのため仲間たちとともに互助組織ロシヤ語通訳協会を立ち上げて事務局長、会長を歴任し、「えっ勝手リーナ」とあだ名された。
 前世紀91年に起こったソ連邦崩壊前後のロシヤ語需要激増の波に乗ってテレビ等の同時通訳者として稼ぎまくり、鎌倉に「ペレストロイカ御殿」を建設。通訳現場で拾ったネタをもとにしたエッセイで続けざまに文学賞を受賞した。しばらくは通訳業の産業廃棄物を出版業界に流して甘い汁を吸っていたが、ネタ切れになった頃チェコ時代の体験をもとにノンフィクシヨンと小説を著して、それぞれ文学賞を授けられる。以後、原稿書きに追われる日々が続いたが、「締め切りを守らなくても死にゃしない」とうそぶいて確信犯的に締め切りを引き伸ばし、「人生は生き直せないが、原稿はゕき直せる」と豪語して毎回ゲラを真っ赤にして返しているうちに編集者たちに忌避され、本が売れなくなったのを機に全く執筆の依頼が来なくなった。
 それで、かねてから独身の通訳仲間たちと計画していたグループ・ホームを自宅をベースに、NPO[アルツハイム]としてを立ち上げ代表に就任。ホームの財政を支えるため、犬の散歩屋と猫のシャンプー屋を開業するも。加齢とともに野良犬や野良猫を保護する癖が強まり、最近はその数98頭に達して近隣から臭気や吠えをめぐり苦情が絶えなかった。現在アルツハイム」に残された犬猫たちの里親を募集中である。なお。通夜は10月23日18時~、葬儀は24日正午~、いずれも「アルツハイム」にて。喪主は故人の遺言に従い、養子の無理さんと養女の道理さんが勤めるが、両名とも猫であるため、念のため人間を代表して妹の料理研究家、井上ユリさんも名前を連ねる。』
小生の追伸。井上ユリさんは、作家井上ひさしさんの夫人。米原万理さんは2006年10月25日死去。

21世紀の資本主義論(2)

2016-05-16 | 読書
 資本主義経済の危機は、貨幣経済の危機であることを著者は主張する。
 新古典派経済学にはミクロ経済学はあってもマクロ経済学はない。なぜならば、市場の「見えざる手」が円滑に働いているかぎり、家計や企業のミクロ的な経済行動と、このような行動の結果の集計としてのマクロな経済状態の間にはつねに均衡が保たれているはずだからである。したがって、新古典派の想定する理想的な経済状態では、マクロ的な経済状態はミクロ的な経済状態のたんなる集計値にすぎず、大量の非自発的失業や加速的なインフレーシヨンといった「マクロ経済に固有な現象」など存在する余地もない。
 マクロ経済学がミクロ経済学のたんなる集計版ではない独自性を持つとしたら、それは現実の市場経済が、新古典派の想定する世界とはかけ離れた世界であるからだ。市場の「見えざる手」が円滑に働かないからこそ、我々はミクロ的な経済行動のたんなる足し合わせに還元できないマクロ経済学という現象を経験することになるのだ。
 マクロ経済学とは、「見えざる手」の働かない世界に関する経済学である。
もちろんミクロ経済学の教科書にも「市場の失敗」の例は数多く解説されている。が、市場の失敗に関するこれらの研究をそのままマクロ経済学と同一視はできない。
 実は我々が生きている市場経済が大量の失業や加速的インフレといったマクロ的現象に繰り返し見舞われるのは、それが正真正銘の「貨幣経済」であるからなのである。
マクロ経済学とは、結局、貨幣経済の不均衡に関する経済学にほかならない。
マクロ経済学という学問がはじめて市民権を得たのは、1936年ケインズが「雇用・利子および貨幣の一般理論」を出してからである。マクロ経済学は、ケインズ経済学の別名でもある。
市場経済の中では、貨幣を媒介とするモノを売り買いすること自体が、無限の将来に向けての投機そのものである。市場経済の中で生産し、交換し消費するすべての人間が投機家である。投機は危機を生み出す。市場経済とは本来的に危機を内在させる社会である。
アダムスミスの理論が思考せずに済ませていたことが、「投機」の問題で、「投機」について思考するとは、アダム・スミスが思考せずにすませていたことを思考し直すことだ。
多数の投機家が、たんに生産者と消費者のあいだに仲介するだけでなく、お互い同士売り買いし始めると、市場はまさにケインズの「美人コンテスト」の場に変貌する。そこで成立する価格は、実際のモノの過不足の状態から無限級数的に隔離し、究極的にはすべての投機家が予想しているから市場価格として成立するということになる。市場価格は実体的な錨を失い、ささいなニュースやあやふやな噂をきっかけに乱高下を始めてしまう。
20世紀末に突然襲った金融危機とは、ケインズの「美人コンテスト」原理による金融市場の本質的不安定のひとつの例である。こうした金融危機は、21世紀のグローバル市場経済においてもくり返し起こるだろう。しかし、この種の危機がバーツやレアル、円やユーロの危機にとどまっている限り、グローバル市場経済の根底を揺り動かすような危機にはなりえない。真の危機は、基軸通貨としての「ドルの危機」である。


21世紀の資本主義論

2016-05-15 | 読書
『21世紀の資本主義論』及び『貨幣論』という岩井克人さんの文庫本(ちくま学芸文庫)をPARCOの本屋で見つけ買ってきました。面白い著者でした。
教えられたことを以下に列記します。
 資本主義は、資本の無限の増殖を目的とし、利潤を永続的に追求していく経済活動の総称、換言すると、それは、個々の企業が市場において獲得する利潤を媒介として発展していく経済過程のことである。この利潤はいったいどこから生まれるのか。利子と独立した利潤は存在しない。それでは利子はどこから生まれるのか。もちろん貨幣の借り貸しから生ずる。貨幣の借り貸しとは、現在の貨幣と将来の貨幣を交換する行為であり、そこで契約される利子とは、現在の貨幣価値が将来の貨幣価値よりどれだけ高く評価されるかで決まる。 シュンペーターは、このような利潤論に真っ向から対決する。彼によれば、利潤とは「差異」から生まれる。製品の仕様や生産方法や輸送方法、さらには市場の立地や組織形態といった点に関する一つの企業の他の企業にたいする相対的優位性によって生み出される。
実際、初期の資本主義、商業資本主義は、地理的に離れた国の間の価格差を媒介して利潤を生みだすものだった。シュンペーターは生産性「差異」が利潤を生むと喝破したのです。
しかしその「差異」は、革新の成功によって一瞬のうちに作り出され、模倣の群れにより急速に消し去られる不安定な存在である。資本主義に固有の不安定性の根源に、「差異」の創造と消滅をめぐる個別企業同士の競争過程を見出したのが、シュンペーターであり、本来、商品と商品の交換を媒介する手段でしかない貨幣があたかも一つの「商品」であるかのように人々に保有されることによる実体部門と貨幣部門の相互干渉を見出したのがケインズである。
基軸通貨とは、「グローバル市場経済の貨幣」の意味です。
市場経済のなかでは、だれもが一般的交換手段として貨幣をもたなければ経済生活を営みえない。それは生産者も消費者も、そして投機家もなんら変わることがない。即ち市場経済において人間は本質的に「投機家」として生きていかざるを得ない。貨幣を媒介にしてモノを売り買いするとき、貨幣と言う投機商品を「投機家」としてお互い同士売り買いしているのだ。市場経済は「投機」そのものの上に成立している。
市場としての真の危機は、貨幣を貨幣として支えてくれる(他人が貨幣として受け取ってくれるという)予想の無限の連鎖が崩壊してしまうことである。これが「ハイパ・インフレーシヨンである。
 ドルが基軸通貨たりうるのは、それは、世界中どこでもひとびとがドルを基軸通貨としてうけいれてくれるという「予想の無限の連鎖」があるからだ。グローバル市場経済におけるハイパーインフレ―シヨンとは、基軸通貨ドルの価値の暴落する「ドル危機」。それは基軸通貨ドルを支える「予想の無限の連鎖」の崩壊です。
真の危機に対する真の解決策がもしあるとすると、それは中央グローバル銀行の設立以外にない。しかし、今の世界掲示に中央銀行が誕生する基本条件が欠けている(続く)。

三河八橋

2016-05-06 | 旅行
三河八橋に行ってきました。3日の中日朝刊に「三河八橋の無量寿寺の杜若が見ごろを迎えた」という記事が出ていました。5月の住宅シニアクラブのウオーキングはどこにしようかと思案中だったので、行ってみてよさそうなら27日のウオーキングに決めようか、と下見をすることにしたのです。
平安時代に成立した伊勢物語の9段には、 「三河の国八橋」で在原業平とおぼしき主人公=昔男が歌を詠んだ、とあります(古今集410番にもあり)。昔男は、都への未練を残しつつ「東下り」の旅をつづけ、 当地(知立市)まで来て次のような歌を詠みます。

   からごろも きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる たびをしぞおもふ
9時半家を出て金山から名鉄の豊橋行きに乗車、知立で下車しました。観光案内所で詳細情報を聞こうと思ったのですが、ないという。駅員に聞くと、「2番線で豊田方面に乗り換え二つ目の駅で下車し、乗り越し精算器で清算してください」とのこと。
2番線に行くと、「猿投行」が10時20分に出るところだった。三河八橋駅で降りて、清算(金山から500円だった)無量寿寺を聞こうと思ったが、無人駅で駅員はいない。通りがかりの人に聞くと、「旗を辿って行けばいい」と言う。なるほど、かきつばたまつり4月27日~5月26日」の旗が道に建っている。「これは便利だ。しかしまつりが終わる27日は旗は撤去されてるかな」。5~6分歩くと無量寿寺です。

池には杜若の紫の花が咲き誇っています。
池のほとりに「八橋」の由来を記した標識が建っていました。「海で海藻を撮っていた母をしたって二児が海に入ろうとして誤って海に落ちて死んだ。菩提を弔う母が「橋ありせばこの事故はなかった」と、お告げにより流れ着いた材木を使い橋をつくったことから「八橋」の地名が残ったと言います。
そういえば京都に「八橋」という船の形の菓子があります。この地に因んだ菓子のようです。
祭り期間のためか売店が出ていましたが、「八橋」も売っていました。
敷地13000坪、5000㎡の池に3万本の杜若があります。



この近くに、もう一つかきつばたの名勝があると聞いていました。
「洲原公園」という所に「小堤西池」という京都の大田の沢、鳥取県の唐川と並ぶ日本3大かきつばた自生地があるという。そちらも行ってみようかと、聞くと「知立駅に戻り愛教大行きのバスに乗れ」という。お寺の他に、広重が東海道の絵にえがいた「根上がりの松」とか「業平塚」とか塚を守る人の御堂として創建された在原寺が近くにあるとのことでしたが、「場所はわかった。当日みればいい」切り上げて帰ることにしました。
ウオーキングの選定地にするには少し歩く距離が短いと思いましたが、有名な割に訪れる機会の少ない地だから、ここにしても良いと思いました。帰りに知立駅で途中下車して、「洲原公園」に行くとしたらバスの便はどうか、と調べてみました。1時間に3本ほど、名鉄バスがあり、片道350円でした。
「やはり両方行くのは難しい。こちらは来年にしよう。」と、考えました。

日本軍はなぜ満州大油田を発見できなかったか

2016-05-05 | 読書
『日本軍はなぜ満州大油田を発見できなかったか』(岩瀬昇著、文春新書2016年1月)という珍しい本を本屋で衝動買しました。
『歴史にもしはないが、日本が満州国を立てたその時代に、大慶油田が発見されていたら、日中戦争は短期でおわっていたかもしれない。いや、大慶油田は、ロシヤ、モンゴルとの国境にちかく、当時日本が調査したジャライノールからは東南へ約660kmも離れていたから難しかったかもしれない。しかし、満州南部の阜新地域は、後に中国三大油田のひとつになったから山ひとつ越えた近距離にある。遼河油田の発見は、大慶に遅れること10年。満鉄・関東軍の油兆調査からは、たかだか30余年後。先進技術を導入し探鉱作業をおこなっていたら、発見できていた可能性高い。
 日本軍の石油探鉱の20年後、1959年、ハルピンとチチハルの間で大慶油田が発見され、さらにその10年後、阜新から山一つ越えた遼河の平原で遼河油田群が発見された。(今日、中国は世界第5位の産油国になっている。)なぜ日本はそのような大油田を発見できなかったのか。油田の発見は、その時代の炭鉱技術と掘削技術のバックアップがあって初めて実現する。満州の石油探鉱は軍事機密であったので、米国のコントラクターを使うわけにいかなかった。
 昭和10年代、「もし」満州の地で石油を発見してとしたら、英米の干渉を「面従脵背」で受け入れ、中国本土からは撤兵し、満州・朝鮮・台湾を版図として、ゆっくり帝国の建設ができたかもしれない。』
という内容の本でした。
 戦争中の、石油の調達計画についてもの述べられていますが、その杜撰さに驚きます。飛行機も軍艦も油がなければ動かない。その石油の8割を開戦時アメリカからの輸入に頼っていた。アメリカが日本への石油輸出を禁じた時、逆上し、南方の生産地を抑えれば何とかなるというつもりで開戦したが、南方油田は奪取したものの石油を運ぶタンカーが米軍の飛行機・潜水艦の攻撃で壊滅してしまった。
 海軍には「商船護衛」という概念がなかった。艦隊決戦という思想はあっても、補給路を断つという戦略思想は全くなかったという。
このことは、改選前から想定されていた。猪瀬直樹著『昭和16年夏の敗戦』によると、昭和15年、近衛内閣に設置された「総力戦研究所」で、メンバーの前田(日本郵船)は、日米開戦となった場合の船舶消耗率を計算したところ、南方で油田を確保しても輸送ができなくなる、と指摘した。
でも、この本での筆者が歴史を振り返り、主張するのは、「戦争でなくても、平時においても、石油が入ってこなければ日本はやっていけないので、そういう事態に対応する策は考えておかないといけない。
戦争になれば油が入ってこない事態がおきるのだから、平和の維持こそ日本の基本的国策でないといけない。」ということ。
 話は別ですが、海岸線に50余基の原発が並ぶ日本は、ミサイルで原発を狙われると、おしまいですから、戦争が出来ない。戦争を開始させない政策を最優先すべきでしょう。

資本主義の極意

2016-05-01 | 読書
 以下、『資本主義の極意』(佐藤優著、NHK新書2016年1月)を読んで思ったこと。
先日、日本がオーストラリヤに売り込もうとしていた潜水艦の開発がダメだったと報じられた。なぜ日本はステルス戦闘機F35の部品輸出や、オーウトラリヤとの潜水艦共同開発など「経済の軍事化」を進めているのか。
この本では、それが過剰な資本を処理する近道だからと、説いている。
 世界恐慌後の日本が満州に進出して恐慌を脱したように、現代の日本も軍事産業の対外進出によって、資本の過剰を乗り切ろうとしている。
 資本の過剰。これは資本家にとって、お金は沢山あるのだけれど、投資する先――――つまり」儲ける先がなくなる状況のことです。
銀行預金の金利がほとんどゼロになってから十年以上。ゼロどころかマイナス金利さえ話題になっている。そもそも資本主義は、金利が高い所に資金を流すことで、資金を有効に使おうというシステムだから、金利がゼロになったら、資本主義はなりたたないのでは?と、心配になる。金利ゼロは資本主義を崩壊させかねない大問題だと思うのです。
金利ゼロとは、それは、ゼロにしても銀行から借りようとする人がいない。つまり、資金の需要がないということ。資金を借りても、投資先が見当たらないということだ(資金でなく資本というべきかも)。資金需要量に比べ資金量が過剰と言うことで、異例の金融緩和で資金量を増やせば、ますます過剰になるのでは?不況が続くと、どこの国も金融を緩和し、資金供給をふやそうとする。しかし、必要なことは、供給でなく資本の需要を増やすことです。
そして不況の克服に成功しない国は、国家が市場に介入しようとする。
 歴史をふりかえると、ロシヤ革命のインパクトで、資本主義は国家的独占資本主義に変貌し、資本の運動にブレーキがかかりましたが、ソ連の崩壊によって、ブレーキは外れ、ふたたび資本主義は加速し、新・帝国主義の時代が訪れました。現代の資本主義の下では、新自由主義と帝国主義が同時に進行しています。
 TPPの本質。それは「域内では新自由主義を貫徹し、域外に対しては帝国主義的に差別化すること」
 アベノミクスは、瑞穂の国の資本主義です。
 第1の矢の金融政策はどう読み解けばいいか。日銀が国債を買い取って大量の紙幣を市中に供給すれば、さらに資本は過剰になる。これは資本主義の危機を深めるのでは?
 紙幣を刷ってばらまけば物価は上がる。これは貨幣数量説です。
しかし、経済はそんな単純な理屈で動かない。
 インフレ期待があると、「ならばお金は大切なので、貯めておこう」という人が少なからず存在します。

 アベノミクスがもたらした最大の変化は、円安と株高です。株高で最も儲けたのは外国人株主でした。
株式は、所有しているだけで配当が得られる。だから、「資本主義的生産の最高の発展」と資本論は言う。しかし、株式の実態はパラサイト資本です。実体経済に寄生することでしか資本になれない。しかも実体経済と離れて売買される。そうなると、株の売買で儲ける金融経済が独り歩きしていく。そして、この株式資本の運動に障害//となる規制を取っ払うことが新自由主義の目標になっていく。
 このように見ることではじめて、安倍政権が武器輸出3原則を緩和し、安全保障関連法案を成立させたことの含意も見えてきます。投資先を見つけることで、資金の過剰を解決しようとしているのです。

 次にミクロの問題を考えよう。現在の日本では、明治以来はじめて「教育の右肩下がり」が進行しているのが問題です。
 このように、考えさせられる指摘の多い本でした。