古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

2016第一四半期私撰10大ニュース

2016-03-31 | 経済と世相
順不同ですが、記憶に頼ってこの1~3月の大きなニュースを並べてみました。
たった3ケ月ですが、随分いろいろな出来事がありました。
1. コンピュータソフト 囲碁のプロに勝つ
プロ棋士を打ち破った人工知能ソフト「AlphaGo」を開発したのはGoogle Researchで、ディープラーニングが技術的なキーとなっています
2. 重力波観測
米ワシントン州ハンフォードとルイジアナ州リビングストンにあるLIGOのレーザー・インターフェロメータは、再調整を終えて昨年9月に観測を再開したばかり。観測を再開した昨年9月14日午前10時51分(グリニッチ標準時)に、ブラックホール衝突のシグナルを感知した
3. 日銀マイナス金利
効果なし?どこの中央銀行のお偉方も知恵がないということ?
4. 風力発電、原発を越す
界の風力発電施設の発電能力は今年、4億キロワットを超え、原発を初めて上回ることがわかった。
5. シャープ、東芝身売り
6. 北海道新幹線運転開始
7. 民社党が民進党に
かんばんを書き換えたけど、誰も何かが変わると思っていない!
8. 安保関連法施行
後年いなって、大変なことやってしまったと思うかもしれない。
9. 高浜原発差し止め 3号機きょう停止 
大津地裁 新基準安全性疑問 稼働中で初仮処分
10. スキー客の大学生ら十五人が死亡した軽井沢町バス事故



私たちは空気からやってきた

2016-03-27 | サイエンス
もう一つ『柔らかな生命』から
『世界人口は2011年に70億人に達したと推定されている。
1800年、世界人口は10億人程度。第二次世界大戦後でもまだ25億人規模だった。その後、人口は爆発的に増大し、わずか50年ほどの間に3倍近くになった。この人た立ちはどこから現れた、それを考えてみようというのが今回のテーマ。
 答えを先に出しておくと、私たちは空気からやってきたのである。
 人口の増大は、食糧の増産によって支えられてきた。トウモロコシ、小麦、コメなどの主要穀物の収穫量は飛躍的に増え続けてきた。
以前、このコラムで、宇宙人が地球を観測してもっとも成功している生物は何だと思うかといえば、それはトウモロコシをはじめとする穀物だと書いた。70億人の総体重はひとり平均50キロとして3.5億トンだが、トウモロコシの年間生産量はなんと8億トン小麦米も数億トン規模で生産される。これが直接的、間接的に(家畜飼料として)に私たちに成り代わっているのだ。
ではトウモロコシなどの作物はいったい何からできているのであろうか。
生命体の成分の中でもっとも重要なものはタンパク質である。そもそも光合成反応を行うのは植物細胞内の膨大な酵素タンパク質なのである。そのタンパク質を合成するためには窒素が必要となる。窒素はタンパク質だけでけなく、DNAやRNAを作るためにも必須の元素である。
 窒素なんて空気中にいくらでもあるじゃないか。
 しかし私たち動物はもちろん、植物も、空気中の窒素を直接、栄養に変えることは出来ない。それができるのは、土壌中に存在する窒素固定菌という一握りの微生物だけなのだ。本来、野生の植物は微生物の働きで利用可能になった窒素を吸収してはじめて生命活動を維持できていたのだ。
 しかし人間はもっと大量の作物を必要とした。作物を育てるためには、自然のサイクルで生ずる土壌中の窒素だけでは到底足りない。なんとかそれを人工的に作り出す方法はないか。
実は、20世紀最大の発明がまさにそのものズバリ、空気中の窒素を肥料に変換する人為的な化学反応だった。この発明がなければ人口がこんなに増えることは決してなかった。
 要するに
空気を肥料に変え、肥料は作物になり、作物は家畜のエサになり、家畜は人間のタンパク源となる。私たちは空気からやってきた。

人間の死とエントロピー

2016-03-26 | サイエンス
昨日、義姉の訃報が届きました。本日は通夜。明日が葬儀です。
身近な人がだんだん去っていきます。
先日、中学・高校の男女の同級生からハガきが着信しました。
「脳梗塞で10日あまり日赤に入院しました」(女性)
「肺がんのステージ3と判定され、昨秋入院しました。
2月末退院しましたが、老骨にダメージは大きく、ひたすら体調回復に努めます」(男性)そういう齢になってきたのですね。
ところで「やわらかな生物」(福岡伸一著、文春文庫、20016年3月刊)を読みました。週刊文春に連載したコラムを単行本にしたものです。私は、このコラムが好きで、図書館に行くたび、週刊文春を手に取り、読んでいます。ですから、ほとんどが読んだことのある文章ですが、今回あらためて印象に残るくだりを紹介しましょう。

『私の身体は流れの中にある。分解と合成のさなかにあり、常に新しい原子や分子が食物として取り入れられ、その時点で私を構成している原子や分子は捨てられる。
 身体の中でもっとも高速に入れ替わっているのは外界との最前線にある上皮細胞で、消化管の上皮細胞は2日ほどで更新される。だからうんちの主成分は食べかすではなく、自分自身の分解産物である。脳細胞ですら例外ではない。脳細胞や連結部(シナプス)を構成するタンパク質、細胞膜の脂質、DNA、すべてが分解されつつ、合成される。』
身体の分子や原子は常に入れ替わっている。だから昨日の自分と今日の自分とは別人です。
だから
『約束なんていうものも生物学的にはやぶってよい。だってそれ(約束)は過去の別人がしたことだから。』
『生物はわざわざエネルギーを使って積極的に自らを壊してはつくりかえている。最新の生物学が明らかにしたことは、タンパク質の合成経路は一通りしかないけれど、分解経路は何通りもある、という事実だ。・・・なにゆえに、そこまでして壊し続けるのか。』
昔、工場で働いていた頃、工場の機械は何故使い込むとガタが来て劣化する?人は使い込むほど熟練するのに?と思ったことがあります。人が劣化しないのは、身体を構成する臓器、細胞を時々刻々作り替えているからだというのです。
『秩序は無秩序の方へ、形あるものは崩れる方へ動く。エントロピー増大の法則である。時間の矢はエントロピーが増大する方向にしか進まない。』
『エントロピー増大の法則は、生命の上に、細胞の一つ一つに情け容赦なく降り注ぎ、タンパク質を変性させ細胞膜を参加させDNAを傷つけようとする。
すこしでもその法則にあがらうために生物はあえて自らを壊すことを選んだ。率先して分解することで、変性、参加、損傷を、つまり増大するエントロピーを必死にくみ出そうとしている』
『しかし強大な宇宙の大原則のもとではその努力も徐々に損なわれ、排出しきれない煩雑さが少しづつ細胞内に留まっていく。やがてエントロピー増大の法則は、こうした生物の(分解して更新する)営みを凌駕する。それが個体の死である。』
 『人の心は変わる。人は必ず死ぬ。この当たり前のことを思い出すことで大抵のことはやりすごすことができる。
明日も頑張って生きましょう。』と、福岡ハカセは言う。

蛇池公園のウオーキング

2016-03-25 | 旅行
暖かくなってきたから、住宅のシニアクラブウオーキングを再開しようと、3月25日西区の蛇池公園に行くことにしました。ところが、25日になると、冬型の気圧配置になり、風が冷たい寒い日になりました。
桜の開花宣言もあったから、花見ができるかな、との当てがすっかり外れました。これだけ寒いと「参加してくれる人がいるかな?」と心配しつつ、集合時刻の9時半、エレベータ・ホールに行くと、それでも小生含めて9名(男3.女6)が集まっていました。
起案者としてはうれしいかぎり。早速西へ1kmほど歩いて浄心駅から地下鉄に乗り、庄内緑地公園の2番出口をでました。
 右手の坂井戸交差点から東へ歩きます。庄内川堤防沿いに、両側に桜を植えた散歩道が整備されています。残念ながら、咲いていません。2㎞強歩くと、蛇池公園に到着しました。

 蛇池は、昔、若き日の織田信長が「池に大蛇が住む」と聞き、村人に命じ池の水をくみださせ自らも池にもぐって探したが、大蛇は見つからなかったという言い伝えが残っています。池のほとりに神社(竜神社)が建っています。建てられたのは1909年(明治42年)で、40日以上も続いた干ばつに対して雨乞いを行ない、その大願当日に大雨となったことから、龍神に感謝した村民により建立されたという。なお、現在の拝殿は昭和38年に建て直された。昭和30年に西春日井郡山田村が名古屋市に編入されたのを記念して、神社の周辺に多くの桜の樹が植えられ、「蛇池千本桜」とも呼ばれた。

公園で一休みした後、大野木通りを西へ戻り、大野木2丁目から右折し、すぐの五町公園に入りました。この辺りは低地ですので、大雨による氾濫を避けるため、地下に雨水を溜める貯水施設が作ってあります。
公園に入り、ベンチに座り昼食を広げました。
 昼食後、「後1㎞少しです」と、西へ歩き赤城町を経て南川町の歩道橋脇に出ました。まっすぐ歩くと「星神社、左へ300m」の表示がありました。

星神社は緑地公園の北側、縁結び・夫婦円満の社、8月7日に行われる星祭(七夕祭りは1100年以上前から行われているという。

神社前の石段を上がると、庄内緑地公園です。

確か左に行くと、1本だけ花開いた桜があったっけ(下見の時見つけた)と、周回散策路を時計回りに歩き始めたら、みなさん逆方向に行ってみたいという。反時計回りに歩くと、菜の花がすごくきれいなスポットに出たので、記念写真を撮る。桜は見られなかったが、この菜の花は収穫でした。

グリーンプラザの建物に入って
「Hさん、万歩計はいくつ?」、「16000です。」
「じゃ。8㎞は歩いたね」。
「ここまでくれば隣は地下鉄の駅だから「後は自由に帰りましょう、本日は寒い日であったにもかかわらずご参加くださって有難う」と解散宣言をしました。今夜はお通夜に行かないといけないから早く帰りたいと自分の都合での解散宣言でした。2時過ぎには帰宅できました。

名古屋はさくら開花宣言

2016-03-19 | Weblog・人生・その他
 今日、名古屋気象台は、さくら開花宣言をだしました。
気象台のそめいよしのは開花したようですが、我が家の近くはまだ。
白木蓮は満開になりましたが、後ろの桜はまだ開いていません。
開花は2~3日後でしょう。
25日にウオーキングの花見を計画していますので、その頃には開化を期待しています。

トンボの交尾

2016-03-16 | サイエンス
 『やわらかな生命』、文春文庫の、福岡伸一博士の本をGETしました。
この本は、福岡ハカセが週刊文春に連載したコラムをまとめた本ですが、こん一節がありました。「トンボの交尾」についての記述です。

トンボは連なったまま飛行していることがよくある。1匹が胴体を「つ」の字形にまげて、尻尾の先でもう1匹の頭部を捕まえている。捕まえられている方は、自分の胴体を「し」の字形に屈曲させてその先端を他方の胸のあたりにくっつけている。「つ」と「し」が連結してハート型。まさに愛のかたちだが、どちらがオスでどちらがメスでかわかりますか。答えは前の「つ」がオスで、後の「し」がメス。
 トンボの生殖器は、オスもメスも尻尾の先にある。オスは交接の際、尻尾の先でメスを捕まえなければならないので、生殖器がつかえない。だからあらかじめ、自分の尻尾を自分の胸付近にある袋に突っ込んで精子を溜めておくのである。メスは胴体を「し」の字に曲げて精子を溜めておく。メスは、胴体を「し」の字に曲げて、尻尾の先端をオスの胸の袋に入れて精子を受け取る。交尾ひとつにもたいへんなてまひまがかかっている。その上普通の場合(?)と違って、メスの方がオスに挿入している。
 日本書紀によれば、神武天皇は山に上がり、大和の国を見て詠ったそうだ。
あなにや国をえつること(なんとすばらしい国をもったことか)
うつゆうまさき国といえども(せまい国ではあるが)、アキツ(トンボ)のとなめ[交尾]の如くにあるかな
と。神武天皇はトンボの交接についてどこまで知っていたのか?

なごや女子マラソン

2016-03-14 | マラソン
 3月13日は名古屋女子マラソンの日。10時半、家を出て大津通りに降りた。以前は瑞穂競技場発着で、我が家周辺は大津通りの往復と弁天通り、計3回を通るコースだったが、近年は、名古屋ドーム発着で、市内目貫通りを走るコースになり、我が家周辺は大津通りの往復2回のみになった。
 通りへ行くと、太鼓隊も応援の準備です。


中日新聞のスタッフが、ウィンドブレーカー(ビニール製ジャンパー)を配っていた。「これを着て応援してください」これは良い、雨の日に使えるし、記念になると貰い受け羽織る。
「マラソンフェステイヴァルナゴヤ愛知2016。おもてなし沿道応援隊」との文字入りです。
「大丈夫 走った距離は裏切らない!!」との言葉の入った応援カードもくれました。これは一般参加者向けですね。なにしろ2万人のランナーが走る女子マラソンでは世界最大の大会です。といっても、今日は一般ランナーよりも、オリンピッックの代表選手を決めるエリ-トランナーが注目です。10時45分ごろ、10数名のトップランナーグループが走ってきました。
「あれ、野口がいない!」。アテネオリンピック金メダリスト野口選手が見当たりません。
「遅れたんだな」。この大会にオリンピックを賭けると語っていた金メダリストも、2年強のブランクは、いかんともしがたく、トップグループから遅れたようです。
「野口を応援しよう」と次々に姿を見せるランナーのゼッケンに目を凝らすが11番は「来ない!」「不調で棄権したのかな?」。5~6分経ってそう思った時11番が懸命に走っているのが見えました。「野口だ」
この後、コースは28㎞あたりで折り返してきます。折り返せばこの辺りは30㎞過ぎで、例年ここで折り返す選手を見ればほぼ優勝選手が判断されます。11時過ぎ折り返してきました。先ほどは20人くらいの集団でしたが、今度はバラバラで来ます。トップは、ゼッケン1番、昨年優勝のキルワ(バーレーン)です。「昨年に続く2連覇だ!」。
少しあと、日本人選手が2名、14番と17番です。14番(第一生命田中)か17番(てんまや)の優勝だな!それから5~6分して、懸命に腕を振る野口選手の姿を確認してから家に帰りTVを見ました。ゴール5㎞手前です。田中と小原が並んで走っている。「これは、ドームまでもつれ込む」
案の定、勝負は最後のドーム内の直線コースで、わずかに田中が1秒差で小原を制しました。駆け寄る第一生命山下監督。グランドに崩れ落ちる小原選手。近年まれな大接戦でした。
「オリンピックのメダルを狙えるレベル」と増田明美さんが語っていました。
山下監督の愛弟子の勝利をうれしく思いました。バルセロナオリンピックの大会でゴールした直後、「有森選手がメダル」と聞いて見せた嬉しそうな表情を今でもおぼえています。
12時、プールに行こうと、地下鉄の駅まで歩きましたが、通りは延々と続くランナーたち。彼女たちのそれぞれが素晴らしい42.195kmを体験したことでしょう。

白木蓮が咲きました

2016-03-12 | 素晴らしき仲間たち
 我が家近くの白木蓮が咲きました。近郊で毎年一番早く花開く樹です。
今年も春ですね。この花が終わると桜が咲きます。
さくらの開花予想は22日です。
この白木蓮となごやウィメンズ・マラソンで名古屋の春です。
ウィメンズ・マラソンは明日になりました。

自費出版

2016-03-09 | 読書
  先日、弟から本を1冊プレゼントされました。「歴史探訪とマラソン大会駆け巡り」(設楽五郎著、文芸社2016年4月刊行、文藝社)という本です。設楽五郎は、弟のペンネームで、設楽(したら)は郷里の設楽が原(長篠合戦古戦場)から取り、五郎は兄弟で5番目の男児の意味です。つまり自費出版の本です。
 弟は私より10歳若いのですが、愛知県庁を平成19年3月定年退職後、全国各地のマラソン大会を走り、その紀行文を本にまとめて出版したのです。
 表紙の帯には、表は「平成19年3月末日定年退職した記念に長岡ロードレースに参加。以降日本各地のマラソン大会に参加しがてら精力的に敢行した歴史探訪&ランニング紀行記」。裏は平成19年から22年までエントリーしたマラソン大会名を列記している。16の大会が載っていますが、どんな内容かを知って頂くため、「ヒロシマMIKANマラソン」の章を要約します。
平成21年1月16日、走友K。T.M氏と一行4人。新幹線で11:38広島駅着。乗り換えて宮島口、名物のお好み焼きで腹ごしらえ、厳島神社へ。神社の西数百mに清盛神社がある。絢爛豪華な厳島神社と比べると、小規模で質素なたたずまい。後ろに弥山に上るロープウェイがある。厳島神社の東には五重塔と千畳閣がある。千畳閣は秀吉が安国寺恵瓊に命じて建立したものだという。
宮島は厳島合戦の史跡として知られる。室町期から戦国時代初期、権勢を誇った大内氏の重臣陶晴賢が謀反を起こし大内義隆を弑逆し、義隆の姉の子義長を擁立し実験を握った。毛利元就は出雲の尼子氏の支配を断ち大内氏の庇護のもとにあったが、陶の主君弑逆は元就に主君の仇を討つ大義名分を与えた。元就は弘治元年(1555)厳島合戦で陶晴賢を破り、
中国地方の毛利の地位を固めた。本能寺の変の秀吉とよく似た経緯である。
宮島観光後、午後4時、宿舎の「グランドプリンスホテル広島」にはいる。
 翌日、広島駅前でレンタカーを借り、安芸高田市の郡山城址へ行く。国道54号線を三次方面へ、江の川沿いに54号を走って吉田町の歴史民俗資料館。資料館の東に郡山、標高389.7m。山頂に本丸跡。
昼食後江田島に向かうが、途中「桂」という集落を通る。街道沿いに福原、国司という集落もあった。いずれも毛利家の家臣の姓。福原越後、国司信濃、桂小五郎など有名だ。
 江田島の海上自衛隊第一術科学校に3時5分前着く。旧海軍兵学校である。
この日は国民宿舎「能美海上ロッジ」に泊まる。
翌日、駐車場確保のため早く出る。8時に出てマラソン会場の大柿高校グランドへ。
ハーフマラソンはおよそ750名、10時35分大柿郵便局前をスタート。487号線を北へ。4.5㎞で県道36号に。1時間5分で才越峠の折り返し点。2時間21分でゴールした。駐車場に戻る途中に灘尾弘吉(元文相)の銅像を見つけた。江田島市大柿町の出身とか。
16時、レンタカーを返し17:01「のぞみ」で帰名。
まぁ、こんな内容の本ですが、自分もこの種の本を作ってみたい。いつかこの世を去るのですが、自分の葬儀の折には、会葬者にお配りするといいですね。まさに生きた証になるわけですから。と思いました。



新東名を走る

2016-03-08 | 旅行
新東名の愛知県区間を初めて走りました。3月6日、10時、JR大府駅前で弟の愛車ワーゲンに載せてもらい静岡県佐久間町に向かいました。知多半島に住む兄と弟それに妹と小生、兄弟4人の旅です。先日、叔父(母の末弟)が急病で死去し、その49日の法事を営むとのことで一緒に行こうということになったのです。
豊明から高速伊勢湾岸道に上がり豊田JCから新東名。渋滞は全くなく、快適です。「長篠・設楽原」SAで休憩しようと停車しましたが、SAは大混雑で駐車位置をきめるのに時間がかかりました。今日は道路に渋滞はないのに、SAが大混雑していました。日曜で新しい高速道をみてみようというドライバーが多かったのかな?
 この位置は、その昔の長篠合戦の跡地らしく、合戦時の武将の陣地や出来事の逢った地の絵地図が掲示されてテープで合戦の説明が流されていました。
「長篠の合戦は1575年だ」、「小田原攻めが1590年」、「桶狭間は確か1560年だった」。高速に乗った豊明は、桶狭間合戦の地です。
「桶狭間では一平卒だった秀吉が長篠では一軍の将、小田原では天下様だからモオすごい出世ブリ!でもその後40年で豊臣滅亡に至るんだね」
「「関ケ原は1600年」、「大阪夏の陣は1615年」
信長、秀吉、家康の3英傑が参加した戦は長篠合戦だけだ」
みなさん、歴史に詳しい。その後の車中の会話でした。
ここでは、奥三河の産物が売られ、「五平餅」がおいしそうだったが、直ぐレストランに行くということなので、試食は取りやめ。SAを出てすぐ新城(しんしろ)ICで151号線に降りました。蓬莱牛の焼肉レストランがあったので昼食をとることにする。蓬莱牛のカツカレーで腹ごしらえ。食事を終え飯田方面に向かい30分弱で佐久間町方面の標識がある分岐点。ここを右に回るとすぐ叔父の家です。昔は磐田郡佐久間町でしたが、町村合併で浜松市になった。なにしろ夜になればイノシシやシカが出没する山間地ですから、まさかこの地が浜松“市”になるとは、私の子供の時代には夢にも思わなかった。叔父の家(母の実家)はとにかく古い家で、江戸時代は元禄年間に建てられたと聞いている。子どもの頃の記憶では、何しろ廊下の板がカンナでなく斧で削ったような凹凸があった。カンナのない時代に造られたのだろうか?と子供心に思った。
 山の斜面に張り付くように建てられている家なので、家まで上がるのは無理だろうと、下の県道の空き地に車を停め、坂道を上がる。家の主人(従兄弟)が出迎えてくれ、何十年ぶりかな?しばし歓談した。「1月20日急に体調が悪くなり救急車で三ヶ日の病院まで運んだが、もう意識はなかった。翌日未明3時に亡くなり救急車で運んでから24時間経ってなかった。敗血症だったという」。享年87歳、昭和3年の生まれというから、私の母(長姉)とは20年の年齢差になる。「急なことで、年も年だから葬儀は家族葬で済ませ、親戚にも後日の49日で案内した」とのこと。
葬儀も簡略化され、家族だけで済ませる家族層が多くなってきた。これもご時世か。
「ここの家はずいぶん前にたてられたんですね」と小生が効くと、「位牌は元禄と書かれ、板には“文化”の字がありました。」文化でも200年も前だ。
 1時、和尚様が見えて読経。終わって家の裏のお墓にお骨を収めた。お墓にお骨を入れるのに立ち会ったのは初めての経験です。小雨そぼ降る中の法事でした。
記念に廊下の凹凸をカメラに収めようかと思ったが、絨毯を張ってあった。
 3時辞去し、来た道を通って。途中岡崎SAで休憩しましたがここのSAも大変混雑していました。5時前大府駅に着き、皆と別れ帰宅しました。