古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

卒論とご老人

2006-06-25 | 放送大学
 24日は、卒論のゼミで、横浜に行きました。一寸早く着きましたので、弘明寺
(”グミョウジ”といれて漢字変換したら出てきました)観音をお参りしてから、
神奈川学習センターに行く。もうA君が来ています。直ぐ、真っ白の髪のご老人が
入ってきて「前回は欠席しましたHです。」と挨拶する。あぁ、この人は私より年配だ、と思って話し始めると、長崎県五島は福江の出身だという。
 小生「13~4年前、福江に行きましてね。「夕焼けマラソン」というのを走ったことありますよ」。
 毎年、8月下旬に行なわれ、午後5時ごろスタートしてハーフを走りフィニッシュで美しい夕焼けを眺められるというマラソン大会です。
 「へぇ、夕焼けマラソンを知っている人に逢うとは驚きです。去年は82歳の弟が夕焼けマラソンを走りました」というから、今度は、こちらが仰天。
「是非、もう一度、夕焼けマラソンに来てください。弟に言っておきますから、旅館代はタダにします」と言う。この老人「五島列島経済構造改革の素描」というテーマで卒論に取り組む。85歳だという。
 定刻の一時になり、S先生が来た。集まった学生は5人。
「じゃ、始めましょう。一人30分ぐらいで、現在の進捗状況を話してください」。
 それぞれ報告したが、小生は「テーマについて、とにかくデータを集めないと、
論文にならない。そのデータも、自分が直接集めるということでは、半年間という
期間内には無理。従って、公表されたデータの中に、自分の論文のストーリーに
使えるデータがあるのかを、インターネットを使って検索作業をしている。」と、
総務省の「家計調査」や、内閣府の「国民経済計算」などの内容を報告した。(*)

(*)この資料の検索という作業、自分でやってみて、「歴史小説を書く作家は、多分、
こんな作業をやってるんだな、と感じました。
「テーマについて仮説を創る。その時代の文献を渉猟する。仮説を裏付ける内容が
見られるか?逆に仮説に反する事象は文献にないだろうか。あったら、自分の仮説
を訂正する。という作業を繰り返して、小説の筋書きが出来上がっていく」。
 経済学の論文も同じで、ある社会に発生した経済現象について、その原因について
仮説をたてる。当時の社会の経済データを収集して、データは仮説を裏付けるかを検証する。

 それにしても、経済学の論文作成に標準的な手法が確立されているのだろうか?
 小説の書き方には「マヨネーズを作るほどのきまりもない」とは、司馬遼太郎さんの言葉だが、経済学の論文作りにも同じことが言えるのだろうか?

 H老人の番になって、先生が「文献や資料は読んでくれる人がいますか?」と聞く。視力が老化して、本の字が読めないというのです。サインペンでメモを取ってみえるのですが、大きな字(墨痕鮮やか)です。「アルバイトを雇って読んでもらいます」
「凄い!この歳にしてこれだけの向学心がある」。私など、本を読めなくなったら、学問は諦めるだろう!
 世の中、凄い人が居るものですね。
 とんぼ返りで7時前帰宅しました。

株主総会の季節

2006-06-24 | 経済と世相
 株主総会の季節が始まった。豊田市のT社の総会をのぞいてみようと、21日9時過ぎ、豊田市駅に行った。「T社総会」と書かれた大きなビラを掲げたスタッフがいるので、「車何処?」と聞くと、「駐車する場所がないので、バスは商工会議所の駐車場に待機しています。今、呼びます」とケイタイをかける。昨年迄は名鉄ホテル前に車を止めていたが、規制が厳しくなったらしい。恰幅の良いオッサンが来て「バスどこ?」と、同じことを聞く。スタッフに「今日はT、明日はどこどこで、デンソーが何日で、中部電力は何日だ。T社は、記念品にもっとカネをかけた物を出せ」と言う。
 これも、株主大衆化の一風景?このオッサン、3年前も同じこと言ってた?と思ったら、私の方を見て「この人、いつもバスで一緒で、総会で質問する人だ。」とスタッフに言う。先方も覚えていたようだ。
 総会は、定刻どおり10時に始まった。今期も増収増益。配当も中間で9円、今回9円だから、誰も文句は言わない。何時も感心するのだが、営業利益よりも経常利益の方が大きい。誰も質問しないから小生が手を挙げた。
 「連結で158億円の設備投資をしているが、T社単体での設備投資額と、出来ればその内訳を教えて下さい」と質問。売上げが957億円で、158億の投資はかなり積極的だ。昨年も130億の投資をしている。役員席の後で、黒衣役のスタッフが6~7人座っていたが,一人がさっとメモを社長に渡した。
「単体では51億円。そのうち25億円が新製品関係で、その他は改善投資です」と社長が答える。
 他に質問する人もなく、シャンシャンで総会終了。
「10分間休憩し,その後、株主懇談会を行ないます」という。ロビーで珈琲を頂いた後、懇談会に出席。専務が20分ほど中期計画を説明、もっぱら、公害対策で、鉛フリーの軸受けを開発して、海外市場に売り込んでいるかという話に集中した。欧州の方が、こうした環境規制は厳しいという話でした。
 いつも、懇談会の後で,「工場見学を希望の方はどうぞ!」というのだが、今回は言わなかったので、ダメモトと、先ほどの休憩時間中に「工場見学はさせてもらえませんか?」とスタッフに聞いたら「どうぞ」と言う。懇談会が終ったら、そのスタッフが見学用の帽子を持ってきた。「案内の担当がきますので」
 ロビーで腰掛けていたら、直ぐにスタッフが来て、工場に。現場の担当者と二人で、案内してくれた。「エンジン軸受けの単一工場としては生産量世界一の工場です」と言う。
 軸受けの加工ラインを説明してくれた後,アルミ軸受けのバイメタル(軸受け合金と鋼の二層材)製造ラインを見せてくれた。このラインは初めて見学できた。言ってみるものである。面白いと思ったのは、鋼と軸受け合金の接着工程が別室に囲っている。聞くと「湿度が変わると接着工程の品質が不安定になるので、湿度をコントロールするため囲っています。」とのことでした。
 12時ごろ見学を終り、市駅まで送ってもらい、帰宅しました。

追伸:オッサンの気にしていた記念品は「第100回総会記念」の折りたたみ傘でした。


地方税の増税

2006-06-18 | 経済と世相
 区役所から地方税の通知がきた。開けてみると、今年度の地方税が八万何ぼとあ
る。確か昨年は4万一寸だったから倍になってる?内閣の増税路線は承知しているから覚悟はしていたが、倍はひどいじゃない!と同封された説明文書をじっと見詰めた。
以下、分かったこと。
1.「定率減税が二分の一になりました。(15%だった減税が7.5%の減税にな
る) 私の場合、約7000円の増税です。
2.「老年者控除」が廃止されました。(65歳以上は従来48万円の所得控除が
あったがこれが0になる)
 48万円に地方税率の5%をかけると2.4万円の増税になる。
3.「公的年金等控除額」が縮減されました。140万円から120万円に20万円引き下げられ、結果として20万円が課税対象になるので、これも地方税率5%をかけると1万円の増税になる。
4.その他 同一家計の妻に対する均等割りが2000円から4000円に、2000円の増税。
 計算してみると、確かに4万円強、地方税が増えることになる。
 昨年まで4万円台だった小生の地方税は8万円を越し9万円に近づいている。
計算に誤りはない。来年は多分定率減税はゼロになるだろうから9万円を越すだろう。

 一年間に税金を倍にするような税制の改悪をする内閣に、何故国民の支持率が
40~50%もあるのだろうか?

 勿論、私の場合は倍になるというだけで他の人はそんなに増えないのかも知れない。上記計算で分かるように、課税所得のある方に約4万円の増税だから(厳密に言うと定率減税縮少分だけは定額ではないが)、従来地方税4万円の人は8万円で倍になるが、従来10万円だった人は14万円になって、倍でなく40%の増税。・・・
 つまり、所得の低い人ほど増税率が高くなる。
 これが、小泉・竹中ラインの財政政策だと思う。
 「民間でやれることは民間で」とか「郵政民営化」とか、格好いい言葉に惑わされず、自分の税金がどうなるかで、国民は国の政治を判断すべきでないのか!
 税金が増えても、その税金が国民の福祉のために使われるのなら文句を言わない
が、なにしろ「国政調査費」で飲み食いしたり、米軍の引越し費用に何兆円か寄付するというのが実情らしい。
 以上は、地方税だけの話ですが、この地方税に更に健康保険料が,比例してかかる。

 経済学に、「人は経済的に合理的に行動する」という仮定がありますが、内閣支持率をみていると、この経済学の仮定はまったく誤りでは?と思う。

 と、愚痴っている次第です。


適度なストレス

2006-06-13 | 経済と世相
 調べ事があって、愛知県図書館に行き、ついでに雑誌の棚をのぞいたら、VOICEの7月号があったので、手にとってみると、人材派遣業のパソナの南部社長の農業体験の話が載っていました。

 ご存知の方も多いかと思いますが,氏は東京大手町のビルの地下に、農場を作っ
て、まったく人工の環境で農作物を育てる実験をされています。太陽の代わりに発光ダイオードを使うんだそうです。そのお話。
【京都からの農家の方が「南部さん、このままではうまくいかない。成功しないよ」といったんです。
 僕も「ここまで育っていますから、もう後は実をつけるだけです」といったのですが、「たぶん稲穂の中身は空っぽだ」と自信まんまんにいうんです。何が問題ですかといったら、「三つある。一つはこの部屋には風がない。大きな扇風機を二つ置いて一日何時間か回しなさい」という。人間もそうだけど、美味しい魚にしても、ある程度寒いところの方が締まる。暖流と寒流が交わった場所のほうが味がよい。ストレスを与えないといけない。人間もスクスク育った2代目、3代目より、苦労した人間のほうがいい。
 人間も魚も、野菜も同じだというわけです。・・・二つ目は「この部屋には雨がないことだ」と。雨そのものが問題ではなく、雨が水田に入ることによって酸素が根に入るという。でも雨を降らすことはできないから、何かで地面を突っつけというんです。それで、突っつくのは大変だから、機械的に酸素を送り込むことにしました。三つ目は、「植えてある稲と稲の間隔が狭すぎる。もう10センチ離せ」と。・・・指摘を全部守って、大きな扇風機を置いて風を当てた。そうしたら二回目に稲穂が実をつけた。 ・・・素人が農業に挑戦しながら、自給自足だけでなく、自分自身が学ぶことも、ものすごく沢山ありましたね。農業というものは、人間形成の意味でも、社会がうまくまとまって、社会形成されていくうえでも必要だということが分かったんです。・・】

(編集者)【野田一夫(多摩大学名誉学長)さんから伺った話を想起した。野田氏は最近、インド経済に着目し、現地を何度も訪れているが、同国の躍進は、IT産業に加え農業の近代化にも起因しているという。日本は農業国家から工業国家に転ずる際、農地を工業用地に変え、田畑を耕した人々が農業を捨てて都市に出た。そしていま、工業国家から情報通信国家へと変わろうとしている。・・
 ところが工業化の遅れたインドは、農業国家から工業国家を飛び越して、情報通信大国へと変貌しつつある。】)
 
 農作物にもストレスが必要とのお話ですが、「身体の筋肉もストレスがないと、衰えます。脳細胞も刺激が全くないと認知症になるし、ありすぎると鬱病になる」。
 人間を含めて生物には、適度のストレスが必要だということでしょう。



公文書の公開

2006-06-12 | 経済と世相
 5月27日の中日に面白い記事が掲載されていました。
【70年代の米外交政策を主導したキッシンジャー大統領補佐官が、72年夏、田中角栄首相が訪中して日中国交正常化を図る計画を知り「ジャップ」との表現を使って日本を「最悪の裏切り者」と非難していたことが、26日までに解禁された米公文書で分かった。
 キッシンジャー氏の懐疑的な対日観は解禁済みの公文書から明らかになっている
が、戦略性の高い外交案件をめぐり同氏が日本に露骨な敵愾心を抱いていたことを
伝えている。繊維交渉などで険悪化した当時の両国関係を反映しており、70年代の日米関係史をひもとく重要資料といえる。文書はシンクタンク「国家安全保障公文書館」が国立公文書館から入手。26日の公表前に共同通信に閲覧を認めた。
 ハワイで日米首脳会談が行なわれた72年8月31日付の部内協議メモによると、キッシンジャー氏は部内協議の冒頭で「あらゆる裏切り者の中でも、ジャップが最悪だ」と発言した。
 続けて、中国との国交正常化を伝えてきた日本の外交方針を「品のない拙速さ」と批判し・・・首相訪中に関する日本からの高官協議を拒否したという。
 またフォード大統領訪日を直前に控えた74年11月12日付の国務省会議録によると、国務長官も兼務していた同氏は省内会議で田中首相について「日本の標準に照らしてみても うそつきだ」と言明した。】

 私は、これを読んで、「米国では公文書公開制度が機能している」と感じました。
 日本でも「公文書公開制度」はあります。何十年か経ったら、国家が所有するいかなる秘密書類も公開するという制度です。ところが、この文書公開によって、当時の外交その他政治の実態が明らかにされるということが、極めて稀です。

 私の感ずるところでは、日本の官公庁に「公文書公開制度を機能させる」という意識がほとんどない。彼らは、「日本の官僚に誤謬はない」という建前を堅持し、後年資料によって官僚の誤りを指摘される事態を恐れて、公文書公開を機能させないようにしているのでは?と思われます。
 彼らは、一定の期間、例えば5年が過ぎた文書を、どんどん廃棄している(と聞いています)。だから、公文書の廃棄を禁止しない限り、日本では「公文書公開制度」は機能しない。
 何故そうなるのか?これを議論すると面白いのですが、長くなり過ぎましたから,次の機会にします。


普通の人

2006-06-07 | 素晴らしき仲間たち
 2日、3日と静岡へD社OB揃ってバス旅行の旅でした。
 D社は面白い会社で、退職したOBの旅行会を年二回開催している。勿論、主宰は会社ではなくOB会の役員が企画し主宰しているのだが,会社の職制で、OB会事務局担当をおいて面倒を見ている。面白いという意味は、会社と縁の切れた退職者にここまで面倒を見る会社はないという意味でです。

 2日は、日本平と久能山東照宮。日本平では展望台に「赤い靴履いてた女の子」の像、横浜の山下公園にあると聞きましたが,ガイドによると、日本に4箇所あるそうです。ただし母子像はここだけ。なんでも、この唄のモデルがあって、この近くの出身の女の子なんだそうです。日本平からロープウェイで久能山。東照宮には、徳川家康の手形があり、私の手を重ねてみたら、大体同じくらい。本物だとしたら、家康はそれほど大柄の人ではないらしい。
 焼津のホテルに投宿しました。さすがに漁港の町、お魚の食材が豊富。
 懇親会では、東京のMさんとこんなムダ話。
「まだマラソンやってんの?」とMさん。
「一月前にフルを走ったばかり。」
「よく42Kmも走れるね」
「いや、誰でも出来ますよ。出来る範囲で走ることを3~5年継続すれば誰でも出来ます。」
「そういうけど継続がタイヘン!」
「そうらしいですね。僕は、出来ないことをやるのは難しいけど,デキルことを毎日やる分には全然ムズカシクナイと思ってました。ところが、普通の人は、デキルことを1~2回やるのは簡単でも、そのデキルことを1年間毎日やるのは、とても難しいらしいと、最近分かりました。で、僕は普通じゃないらしい、と反省してます」
 「普通じゃない!普通じゃない」と、Mさんは大笑い。

 翌3日は、焼津の魚市場で土産物を物色。昼食は鞠子の宿のとろろを頂く。
その後,静岡駅で東京の友人達と別れ、夕刻、帰名しました。


今年も2位でした

2006-06-05 | 水泳
 6月の第一日曜は、毎年「なごやマスターズ水泳大会」。4日レインボープールには10時前着きました。受付で、出場選手名簿を受け取り、早速、自分の出場種目100mバタフライを見ると,65歳グループは3名の出場。じゃ、3位だな!と思いました。
年齢別競技ですが、年齢の数え方が日本マスターズと異なる。日本マスターズは、
その年の12月31日の満年齢。なごやマスターズは大会当日の満年齢です。
ですから、今日は69歳、即ち65~69歳の部です。
 一昨年は3位、昨年は2位でした。今年は3位に戻るかな?と思いながら、着替えをしてサブプールで、平泳ぎの100mを5本,ターンだけバタフライで練習しました。
プールを上がり、競技場に行くと、100m自由形女子が始まっている。プール
サイドで見ていたら、Oさんが見えた。今日はクロール100mとバック100mに出場するという。「今日は、バタの他は?」「バタフライだけ。他の種目では入賞できないから、今年はバタ100だけです」と小生。
 自由形2組に出場したOさん、1分19秒で2位。70歳で1分20秒を切るんだから凄い!
次の背泳にはOさんは1分43秒で3位。やはり入賞の常連です。

 さて、私の100mバタフライ、12時半ごろの出番でした。
 3コースです。1コースが75歳、2コースが70歳、3~5コースが65歳です。
「ヨーイ」、「ピー」で飛び込む。2コースが早い!4コースは私より少し前を
泳いでいる。頑張れば4コースに追いつくかな?と思いつつ腕を回す。ターン!
4コースは?と見るが見えない。前に出たんだろう。ピッチを上げれば4コースに追いつくだろうと、75mから二掻き1呼吸にかえる。ピッチを上げたが4コースは見えない。やはりダメか、今年は3位だな。ゴールして4コースを見たら、なんとまだ泳いでいる。ターン後のキックで抜いたらしくて、見えなかったのだ。小生のタイムは2分17秒28。長水路の記録としてはまずまず。
 コースロープに掴まって1コースの、毎年独泳で75歳の部優勝のスィマーの泳ぎを見ていました。
 終ってから、サブの温水プールへ行き、折角の機会だから泳ぎこんでみるか!と
900mばかり泳ぎました。この温水プール、65歳以上は無料だったのが、この4月から料金¥200になったのです。市営プールの回数券も25mプール用ですから,ここでは通用しない。というわけで40分ほどの泳ぎこみでした。

 受付で、記録証と2位の賞品(ステンレス製二重ボトル)を貰いました。Oさんの1分20秒を切る力泳でも2位。私は2分17秒でも2位ですから、バタフライは効率が良い。「歳を取ったらバタフライ」です。
 大会は午後の50mの種目が始まっていましたが、失礼することにして,引き上げました。2時半帰宅。以上、私の水上運動会でした。