古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

お尻をコピーする

2010-09-26 | 読書
『調べる技術・書く技術』(野村進著、講談社現代新書、08年4月刊)を読んでいます。

作品の書き出しは、「続きが読みたくなる」書き出しであることとして、“書き出しの名文”の例、ボブ・グリーンの『アメリカン・ビート』の一節を紹介しています。



【新しいコピーの機械が会社に入ったとき、ジョデイ・スタッツはどうしてもやらなくては、と心に決めた。結局はそれがもとで会社をクビになってしまうのだが、彼女は一度こうと決めるとどうしてもやらないと気がすまないたちだった。

 21歳になるスタッツ嬢は、イリノイ州のモリーンにある大農機メーカー、デイアー社の秘書をしていた。一日中コピーの機械を見て過ごす彼女は頭の中で、いつでもあのことばかりを繰り返し考えていた。

「なんとしてもお尻のコピーを取らなくっちゃ」スタッツ嬢は自分に言い聞かせた。

もっと若い頃は自分の顔のコピーをよく撮っていた。コピーの機械のふたを持ち上げ、ガラスに押し付け、目をやられないようにしっかりと目を閉じて、開始のボタンを手探りで探す。コピーの機械が音をたて、やがてコピーが出てきた。白黒で輪郭が実にくっきりとでている。

 だが、今度の機械の性能はそんな程度ではない。とっておきのものが取れるはずだ。

 終業時間を待った。ほかの社員が全員帰ったのをみはからって、スタッツは見張りをしてもらうために別の秘書に声をかけた。それからひとりコピー室にとじこもると、大急ぎでパンテイを下ろして、コピーの機械に飛び乗り、その上に坐った。スタート。】

というのですが、確かに続きをすぐにでも読みたくなりますね。

実は、修士論文を書きあぐねて、何かヒントはないか?とこの本を読みはじめました。

なるほどと思った言葉は

【いかに取材データを惜しげなく捨てられるか。その思い切りのよしあしで、作品のでき不出来が決まると言ってもいい。】でした。

続・民主党政権の変質

2010-09-20 | 経済と世相
民主党政権の変質の背景は何か?最大の理由は財源問題でした。

 2010年度予算の編成に当って、鳩山政権は充分な財源を捻出することが出来ず苦労した。これ以上、暮らしを守る予算は組みようがない。財源を生み出すには成長が必要である。さらには、消費税の増税も必要である。次第に「暮らし第一」から「成長第一」の政策が登場した。

 たしかに、2010年度予算を見ると、一般会計の税収が37兆円、これに対し歳出は91兆円。新規国債の発行額は44兆円で、年度末発行残高は637兆円の見込みという惨たる状況だ。

 しかし、以下の二点に着目する要がある。

一つは、日本政府が巨額の金融資産を保有している(日本政府はまちがいなく世界最大の金融資産を保有する政府である)、これに固定資産などを合わせて政府のバランスシートを作ってみると、政府負債の97%までは資産で担保されている。

(財務省が増税を主張するのは、予算を配分するという彼らの権限が年々縮小することが不満だからだと、私は考える。)

 二つは、日本の政府部門は金融資産と負債のバランスで巨額の資金不足だが、国全体としてみれば日本は巨額の余剰資金を保有している(263兆円の資金を海外に提供している)。だから円相場が上がったのだと私は思う。

 つまり、政府の保有する金融資産を取り崩す、あるいは、海外から国内資金を呼び戻すかすれば、当分の間、暮らし優先の政策を展開できるのだ。



 にもかかわらず何故消費税なのか?

 山家さんは、増税するとしても、負担能力のある人が負担すべきだと、消費税よりも所得税の累進税率の強化を説く。

 消費税率アップの理由として、①勤労世代にばかり負担は掛けられない。②税収が景気変動に左右されない。といった理由が主張されている。

 しかし、この理由は説得力がない。①は増税を所得税にしても、年金世代も負担するのだから、勤労世代ばかりが負担するわけでない。②景気変動の影響は、好況時に増えた税収をプールして不況時の税収入を補うことにすれば良い(消費税は税収が景気に変動しないというのは税金を取る側の論理で、納める側から言うと、不景気で資金繰りに困っているときに納めることを強要される)。



補足。経済成長戦略は効果が薄いと私は思います。理由は二つ。

一つは、経済成長とは財の生産が増えることであり、生産の増加には三つの要件が必要で、①労働力投入が増える、②設備投資が増える、③生産技術が向上するの3です。

 ところが、①少子高齢化で生産人口が減少している。②設備投資に必要な資金は国民の貯蓄で賄われるが、高齢化で貯蓄するよりも貯蓄を取り崩す人が増えている。即ち、3の要件のうち2がマイナスになっている。

二つは、経済のグローバル化で政府が資金をいくら流しても、そのうちのかなりの部分が海外に流出してしまう。



 要するに、政府が成長のためと称して、カネを使っても効果がなく、政府の借金のみ積みあがるという状態になっている。

 こういう状態にあって、政府はどうすべきか?景気刺激などのカネを使わない。カネを使わなくてもグローバル化経済の時代、いずれ外国の景気が良くなれば日本の景気もよくなる。それまでに国民が食えなくなっては困るので、「連立政権は、家計に対する支援を最重点と位置付け、国民の可処分所得を増やし、消費の拡大につなげる」ことが必要。「コンクリートから人へ」の民主党のマニュフェストの意味はここにある。



 かくて「新成長戦略」で、菅政権を自公政権帰りしつつある。

 確かに、成長すれば今日の色々な課題は解決できるだろう。しかし、成長がムリな時代がいつかは来るのです。

民主党の着手すべきは「新成長戦略」でなく、「成長しなくても豊かに暮らせる社会」の設計図ではないのか?

民主党政権の変質

2010-09-19 | 経済と世相
 山家(やんべ)悠紀夫さんが世界10月号に、この1年の民主党政権を総括していました(「貫けるか、暮らし第一の経済政策」)。

 面白い論考ですので、その要旨を私の偏見も交えて、紹介します。

 最初に、民主党政権の姿勢の変化について、論考します。

 09年9月の三党による「政策合意」から。

「小泉内閣が主導した競争市場主義の経済政策をはじめとした相次ぐ自公政権の失政によって国民生活、地域経済は疲弊し、雇用不安が増大し、社会保障・教育のセーフテイネットはほころびを露呈している」「連立政権は、家計に対する支援を最重点と位置付け、国民の可処分所得を増やし、消費の拡大につなげる」「年金・医療・介護など社会保障や雇用制度を信頼できる、持続可能な制度に組替えていく」などの記述があり、これらの政策目標を達成するため、消費税率の据え置き、生活保護の母子加算の復活、高校教育の実質無償化、後期高齢者医療制度の廃止。製造業への派遣の原則禁止、農業の戸別所得保障制度の実施、中小企業に「貸し渋り・貸し剥がし防止法」の制定等の具体的政策にも触れている。

 そして鳩山内閣は、「金融円滑化法」、「子供手当て」創設、生活保護の母子加算の復活、公営の「派遣村」など、「政権交代」を実感させる施策を講じた。

 一方、「政策合意」あるいは衆院選時のマニュフェストで掲げたいくつかの政策を先送りし、前政権の政策ないし予算をそのまま踏襲した。前者としては、後期高齢者医療制度の廃止がその代表的なもので、そのほか、最低賃金の大幅引き上げも、介護労働者の賃金月額4万円の引き上げも実施していない。「登録型派遣」等の原則禁止も、原則認可に近い形での、しかも施行は3~5年先という形の法改正を提案したに留まる。後者の代表的なものは、2010年度予算における軍事費の扱いがある。

 2010年度の予算編成を終えた段階で、民主党は個々の政策を体系化して提示し、将来の国家のすがた(暮らしの将来ヴィジョンともいうべき)を示すべきであったと思いますが、鳩山内閣が着手したのは、「新成長戦略」でした。

 かつて、小泉内閣時に毎年「構造改革と経済財政の中期展望」を出し、安倍内閣の「日本経済の進路と戦略」。福田内閣は「日本経済の進路と戦略」、麻生内閣「経済財政の中長期方針と10年展望」と続く。

 「新成長戦略」はその鳩山・菅内閣版と見ることができるのだが、その内容は、三党の「政策合意」とは大きく異なる。その第一章でこう述べています。

「90年代初頭のバブル崩壊から約20年、日本経済が低迷を続けた結果、国民はかつての自信を失い、将来への漠とした不安に萎縮している」そして

「これまで、日本において国家レベルの目標を掲げた改革が進まなかったのは、政治的リーダーシップの欠如に最大の原因がある」というのだ。

 小泉首相にリーダーシップが欠如していたと言えるだろうか?

 「政策合意」では「小泉内閣が主導した競争市場主義の経済政策をはじめとした相次ぐ自公政権の失政」が原因だといっていたのが「政治的リーダーシップの欠如に最大の原因がある」というのだ。どうしてこういうことになったのかを以下に分析します。(続く)

100mは4位でした

2010-09-13 | 水泳
 100mは4位でした。マスターズ水泳大会第3日の結果です。

12日は、12時前に日本ガイシプールに着き、サブプールで500mほど練習してからプールサイドのスタート・リストを見にいきました。70歳区分は6名出場。エントリー・タイムは私が一番遅い。これは6位かな?しかし、棄権する人もいるからな。100mはデッキシーデイングがないから、棄権者はその場にならないと分からない。

観覧席に上がると、泳愛クラブが中央の一番見やすい席を占めているので、IIDAさんに手で挨拶を送り、クラブの端に坐った。混合メドレーリレイの後、自由形100mが始まる。この後がバタフライだが、クロールは出場者が多い。女子31組、男子51組だ。1組で10コース泳げるから800名以上が泳ぐ。

女子の最初に、95歳区分山口県の長岡さんが泳ぐ、昨年200mで、95歳の世界新を出した人だ。

男子が半分ぐらい終わった3時頃、プールサイドに下り、選手控え室に行った。出番の予定は4時6分。SATOH KENさんが来た。手を挙げて挨拶すると、「いつもがんばっていますね」と笑顔。「何回泳いでも、泳ぐ前は、向うまで泳いでかえってこれるかな?と不安になります」と私が言うと、「僕も同じなんですよ」と答える。SATOUさんのような超ヴェテランでもそうなの!

一昨日、200mを泳げたのだから、100m泳げないはずはないのに、プールに出て向うをみると、あんな遠くまで行って戻ってこれるか?と心臓が早鐘を打つ。平泳ぎだと、そんなことはないのだから、バタフライだけの現象。バタのキツさを身体が覚えているのだ。

私だけそうかな?と思っていたが、他の人もそうなんだ!

向うまで泳いで行ってもまだ「帰りがある!」とHさんが言いましたが、バッタを泳いだことのある人だけに「言い得て妙」です。



召集の時間です。1組2コースに並ぶと、私の隣の1,3コースがいない。棄権です。1コースが75歳、3コースが70歳ですから、ライバルが1人減った。それに9コースの四日市、80歳のGさんが来ない。

女子バタの最後の組が跳び込んだので、2コースの位置に。誰か寄ってきて何か言った。そちらを向くと浅野先生だ(県体でコーチを受けている)。スターターが浅野先生なのだ。聞き取れなかったので「はぁ?」と聞きなおすと「きちんと停止して」という。スタートの注意だ。スタート台に乗って「ヨウイ!」を聞いたら、飛び込みの体勢で停止しないといけない。

200mのスタートで、しっかり停止してなかったかな?

スタート台に上り、注意があったので早めに飛び込みの姿勢で台に両手を触れ号砲を待つ。スタート!飛び込んだ。水の冷たさはない。3日間、三千人の選手の熱気で水が温かくなった。飛び込んでしまうと、もう不安はない。前へ、前へ進むしかない。

50mターン後は、2掻き1呼吸。あっという間にフィニッシュしたが、まだプールサイドで「ソーレ、ソーレ」と応援の声があがっている。まだ泳いでいる人がいる!7コースだ。タイム2分19秒台。2分20秒を切れれば今の体調.では上出来と思った。

プールを上がって右手の甲を見たら、2箇所擦りむいて、かすかに血がにじんでいる。

「やったか!」多分ターン直後に、右に寄り過ぎ、回した後戻す手が水中でコースロープを下から叩いたのだ。夢中で泳いでいたので全く気がつかなかった。



サブプールで、ダウンの泳ぎをしてから、帰り支度をして観覧席に上がると選手表彰が始まる。男女の最優秀選手と優秀選手の発表。「男子最優秀選手はIIDA AKIRA君。泳愛クラブ」のアナウンス。去年は100m自由形、今年は200m個人メドレーの日本新だから、文句なしの最優秀だ。男子優秀選手も泳愛クラブだった。今名古屋で最も元気のある水泳クラブのようだ。

5時になったので帰ることにした。掲示板で記録を確認。2分19秒89(50mは1分6秒14)で70歳区分の4位に入賞していた。

5位の選手のタイムを見ると、50mで1分1秒98と私より4秒以上早い。私の後半の粘りで逆転。というよりも、5位の選手が後半疲れて失速した!この人、「まだ帰りがある!」キツサを実感しただろう。

4位のメダルは、真鍮色でした。

今年は銅メダルでした

2010-09-11 | 水泳
今年は銅メダルでした。全国から3000余名のスィマーが集うレインボーカップ・マスターズ水泳大会第一日。以下、200mバタフライ出場の記です。

 10日10時前、会場の日本ガイシプールに着きました。早速、デッキ・シーデイング(当日の出場確認)をした。名簿を見ると、200バタの70歳区分(70~74歳)出場者は3名。エントリータイム(申告)は私が一番遅い。「今日は3位だ」と思った。

 サブプールに行き、100mの平泳ぎを4本、壁際5mだけバタで泳いでターンの練習を4回繰り返して、アップを終える。4~5人の女性スィマーが入ってきて「あ、ここはあったかい。冷たかった!」と話している。最初の種目200m背泳を終えた人たちだ。競技プールは水温が低いらしい。

 観覧席に上がる。10時半だ。11時過ぎ、一旦ロビーに行き、出場が2時前なので、早めに弁当を頂く。プール仲間のJさんが「NOZUEさーん」と声を掛けていく。

 再度観覧席に行くと、泳愛クラブの集団。IIDAさんが居る。隣に座らせてもらい暫し話をしていた。「じゃぁ行ってきます」と、IIDAさんはプールサイドへ。200m個人メドレーが始まった。間もなくIIDAさんが登場。やはり抜群に早い。泳ぎ終わるとすぐ場内アナウンス。「IIDA君のタイム2分32秒・・は、55歳区分の日本新記録です」。

 回りの泳愛クラブのメンバーが歓声を挙げた。去年はクロールで55歳日本新のIIDAさん、今年は2個メで日本新!すごい人だ。

 1時過ぎ支度してプールサイドに下りる。選手控え室に行き坐っていたら、顔なじみのOSAKI選手が来た。

「いつもはどこのプールで泳いでいます?」と聞かれる。

「週一回は県体育館のプール、普通は市営プールで泳いでいますが、200mバタはなかなか泳ぐ機会がないので苦労してます。台風が来るときは空いていますので、プールに行きます。」と答えたら、笑っていた。

 実際、一昨日の台風9号接近の時、東プールに行ったら1コース一人で泳げたので、2バタを1本泳いだ。7日に県体のプールで2バタのタイムを取ってもらったら、コーチから「両足が離れてバタ足(クロールのキック)みたいに見えることがある。泳法違反にされるから気をつけなさい」と注意された。疲れてくると脚が離れるのだ。そこを確認したかったので、左右の足の親指をくっつけることを意識して200m泳いでみた。隣のコースで泳いでいたオバサンが「オジサンッ、ガンバッテルネー」と、オッタマゲタように声をかけてきた。

 「バタにいつも出てますね」と、OSAKIさん。「70歳のときから2バタに連続出場です」と答えると、「私はなんとか70歳まで泳ぎたいと思っています」と笑う。

 出番が来た。1組3コースです。椅子に掛けて前の組の泳ぎを見る。3コースの選手が泳いできたが、折り返さない。棄権!体調が悪かった?2バタを泳ぐ選手は相当鍛えているはずだが、泳げなくなるときもある。それだけキツイ泳ぎなのだろう。



号砲で飛び込んだ。「冷たい!」。「水温27.4度」と放送していたっけ。今日はマイペースで完泳だけが目標と思っていた。

 実は県体でタイムを取った時、5分46秒もかかった(昨年より30秒ぐらい遅い)ので、愕然とした。加齢で手・足の筋力が落ちているみたい。マラソンも遅くなっているから、そう考えざるを得ない。

 150mターン後、すこし苦しくなったが「このスピードなら絶対最後まで行ける」と確信した。

 フィニッシュ!5分41秒だ。昨年より20秒遅かったが目標どおり完泳した。プールから上がる時、「大丈夫ですか?」とスタッフが声を掛けてくれた。七十過ぎのジイサンが過激な運動をやったので、心配してくれたみたいだ。「年寄りの冷や水でした」と返事する。

 サブプールでダウンの100m平泳ぎを4本ゆっくり泳いで上がる。

 プールサイドに戻るとH女史が居た。「こんにちは」と声をかけると、「よく泳いだわネ」

「見てた?」、「見ていたワ」、「タイムは遅くなったんですよ」、「50m向うまで泳いでまた戻りがあるからタイヘンね」(そうです。それも2往復です)。彼女、この後の200mクロールを泳ぐという。

観覧席に上がると、IIDAさんが居た。「NOZUEさん、もっと深くもぐるといいですよ。バタのうねりが浅い!もっとうねった方がスピードに乗る」とアドバイスしてくれた。うねりを深くした方が下半身の水を押す力が強くなるの意味だろう。

親友のOGASAWARAさんが200mクロールを泳ぐので、応援しようとプールサイドに行くと、召集場に並んでいた彼が、私を見て直ぐ歩み寄り、「久し振りにNOZUEさんの泳ぎ見た。頑張った頑張った!と肩を叩いてくれた。3分10秒を切った彼の泳ぎを見てから帰ることにする。

掲示板に結果が出ていた。私のタイムを見ると、最初の50mは1分11秒で入ったが、後は50mをほとんど1分30秒で最後まで行っている。5分41秒40で70歳区分3位。

来年は金メダルかも?と思った。来年は、小生75歳区分で、今日の大会でみると、75歳区分の2バタ出場者はいなかったからです。

銅メダルを頂いて3時半、会場を後にしました。

夏の往く日でしたが

2010-09-01 | 水泳
8月31日は、ここ5年、必ず名城公園プールにでかけます。往く夏を送る私の行事です。200mバタフライを泳ぐのです。このプールが8月31日で終了するので、9月の大会に備え、練習の仕上がりを確認するのです。例年8月末にもなれば、プールは、かなり空いてくるので、朝一番に行けば200mが泳げるのです。

ところが、今年は様子が違いました。10時にプールの入り口に行くと、子供たちがもう10数人並んでいます。

「これは200mは泳げないかもしれないな!まぁ仕方ないか。」

着替えてプールに行くと、もう何人かの子供がプールの中ではしゃいでいる。

50m軽く泳いでから、「ぶつかって泳げないかもしれないが、泳げるところまで泳ごう」と泳ぎ始めました。

大体このプールは、コースロープが張ってない。私はプールの長手方向(25m)に泳ぐのだが、子供たちは長手方向に直角に泳ぐ子が多い。泳ぐというより水遊びで、中央で逆立ちして遊んでいる子もいる。

ぶつからないよう、前方と左右を見ながら、時には右に、あるいは左に寄り、速度を上げたり下げたりしながら泳ぐのです。子供の数がまだ少なかった所為もあって、泳げたのです。200mが。

これはキツイのですよ。一定速度で泳ぐのが一番楽(心臓にかかる負荷を平準化するのが、マラソンでも同じですが、一番楽)です。それに水温が高い!31~2度ある。

何とか泳げたのでほっとしました。45分ほどトータル1200m泳いでプールを上がり、入り口の女性スタッフに「また来年」と声をかけて帰りました。



帰宅してお昼のニュースを聞くと、名古屋はお昼前から36度を越えたという。今年の暑さは確かに異常です。8月下旬になってこんな暑さは記憶にありません。

毎年、夏は雨が降ったら朝一で名城プールに出かけ、2バタを泳ぐのです。一夏に10回ぐらいは泳げます。ところが、今年はほとんど雨が降らない。

最初7月29日が雨降りでした。その次、8月9日が少々降った。12日に台風4号の接近ということで、11時頃まで雨降り。後ほとんど降らないので、これでは2バタが練習不足と、気温が少しでも低い日を選んで、朝一でプールに入り、子供たちがやってくる前の10分ぐらいで、2バタを泳ぐ。トータル10回、2バタを練習できました。

来月10日の大会は、たぶん記録的には伸びないと思いますが、74歳(後1月で、満74歳です)になって、水泳ができることを幸せと思って、タイムにこだわらず頑張ることにします。

この日の名古屋は最高気温37度とのことでした。例年なら夏の往く日なのですが・・