古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

冬隣り

2009-02-25 | Weblog・人生・その他
 24日、NHKの歌謡コンサートを見ていました。

杉本真人さんの特集でしたが、ちあきなおみが歌った「冬隣り」という曲を、作曲した杉本さんが歌いました。

初めて聴いた曲ですが、「いい曲だな」と感銘し、早速インターネットで検索しました。

 Youtubeで、ちあき本人の歌う4分54秒の熱唱を見つけました。

ちあきなおみを聴きたい人のために

http://www.youtube.com/watch?v=BicrUMPeZE4

 検索途中で、「冬隣り」の解説文を見つけました。この解説がまた良かった。

http://www.geocities.jp/ifmpxi/huyudonari.htm

「冬隣り」とは、秋のことだそうです。

貴方の真似して お湯割りの
焼酎のんでは むせてます
つよくもないのに やめろよと
叱りにおいでよ 来れるなら
地球の夜更けは さみしいよ
そこから私が 見えますか
この世にわたしを 置いてって
貴方を恨んで 飲んでます


クラウド・コンピューテイング

2009-02-23 | 読書
「クラウド・コンピューテイング」(西田宗千佳著、朝日新書、09年1月刊)という本を読みました。「クラウド」とは雲(CLOUD)、GoogleのCEO、エリック・シュミット氏の言葉「“雲”のような、巨大なインターネットにアクセスすれば、その利益、恵みの雨を受けられる時代になっています」から来たようです。

 とだけ言っても、ピンとこないと思いますが、私流に簡単に言うと、「自分のPCにデイスクが要らない。アプリケーシヨン・ソフトがなくても良い。ネットの活用で、自由自在にパソコンを駆使できる」という意味です。

 つまり、自分用のデータをハードデイスクに保存しなくても、インターネットに保存できるということから始まって、データをネットに保存するなら、そのデータの加工も、インターネットにあるソフトを使って加工すれば良いという使い方が、これからのPCの使い方の主流になる。というお話の本です。

 データを自分のPCのデイスクでなく、ネットに保存するメリットは、自分で保存する場合、バックアップの手間が要らないということ、データの検索がネットの検索システムを使えるので実に簡単だということ。それに、自分のデイスク・ドライブの故障やデイスク自体の破損の心配が要らないこと。更に、自宅外でも、インターネットにアクセスできる環境があれば、PCの仕事が出来るということです。

 私の場合、この本に書かれているほど本格的なクラウド・コンピューテイングはやっていませんが、その“はしり”ぐらいはやっていますので、以下に書いて見ます。

 メールの保存:グーグルのGメールにユーザー登録して、メールアドレスを取得。このメールアドレスに、自分の送信したメールをBCCで、またメールを受信して保存が必要と判断したら転送で、送信します。自分で保存管理する手間が省けます。

 余談ですが、Gメールは04年4月に一人当たり1GB容量で発足しましたが、現在は7GBほど使えるそうです。(Gメールの革新性は、単に容量の大きさだけでなく、メールソフトの操作性が良いこと。それまで、こうしたウェブソフトは操作の度に時間がかかっていたのが、快適に動くようになった。)

 ファイルの保存:グーグルのグーグル・ドキュメントというウェブ(Google Docs&Spreadsheets)に、保存しておきたいWORD,EXCELなどのファイルを保存しています。例えば、放送大学の卒論などは、ここに保管しています。ファイルの編集も、ここで可能です。

 写真の保存:私個人としては、写真のウェブ保存はやっていません。しかし、わが住宅のPCクラブのメール送信では、主宰者が設定した会員用のホームページがあって、そこに写真保存室があります。ですから、このメールクラブに送信した写真については、そこに保存することにしています。

 この本によると、写真専用の保管庫を提供するサービス(有料も無料も)もあるようです。

こうしたウェブ・サービスの展開が、いわゆる500ドルPCの背景にあるようです。

自動車産業のバブル

2009-02-16 | 経済と世相
以下、2月12日の中日夕刊「景気球」で高田創氏(みずほ証券)の言です。

【1980年代、日本がバブル期に不動産・株投機に走り、そこに金融機関が資金を貸し込み、資産価格高騰上昇でお祭り騒ぎになった時は、日本人の誰もがバブルを意識し、その崩壊も実感した。】

【今回のように、海外でバブルが発生した時は日本では実感がない。】しかし、

【米国ではサブプライム問題の原因となった不動産価格の急上昇とその値上がり益を背景にした借入資金がさらなる住宅投資や耐久消費財、自動車、家電に向かって米国全体がバブルに踊った。米国の過剰消費・投資は経常収支の大幅赤字につながり、その表裏一体の関係に日本や中国の大幅な経常収支黒字が存在した。米国の過剰な自動車需要や過大な住宅需要による家電需要に応えた日本の輸出企業は、結果としてバブルに踊ってしまったことになる。】

 80年代から90年代にかけての日本のバブルの原因は、プラザ合意後の円高に対応すべく政府・日銀が金融緩和策に走りすぎたことである。

 今回も、政府・日銀は策を誤った。

米国の需要がバブルであることを見越して、米国への輸出にブレーキをかけるべきであった。つまり、徐々に円高に誘導すべきだったのだ。

ところが、逆に、円安に誘導したのである。平成12年貼る以降、日本は総額で、なんと32兆円もの為替介入で円安誘導したのである。しかも、このドル買いで得た資金で米国債を買い捲り、米国債増発の44%を日本が買い占めたという。

 おまけに、日本は外国と比べて空前の低金利で、外国は日本で資金を調達して(円キャリトレード)、それをドルに代えて米国で投資した。

 結果、ドルがあふれて米国のバブルに油を注いだ。

 バブルが破綻すると、慌てた外資は、円キャリトレードで調達したドルを売って円に代えて日本に返済する。猛烈な円高をきたした。

 高田さんは、尚こう言う。

【今となっては批判の対象となるが、海外での一時的需要に対し、日本の製造業が変動への対応も可能となる雇用体系を志向してきたのも、振り返ってみて極めて妥当な対応と言える。】

 ある意味で、「派遣切り」も仕方なかったというのだが、派遣労働者のセーフテイネットを壊した上での「派遣切り」は残酷である。更に、

【海外からの「未曾有の新型感染」を防ぐには金融政策で円高圧力を和らげること、当面は国内での抵抗力をつけるべくセーフテイネットを確保するしかないだろう。】

全く同感です。しかし、円高圧力を和らげるべく金融政策を活用することが大事なら、円安に行き過ぎる時も金融政策を活用してもらいたい。国内であれ、国外であれ、バブルの発生は金融政策の失敗なのです。

それに派遣労働者のセーフテイネットを配慮しなかった為政者の責任は大きい、と私は考えます。

銀行と生保会社の売却

2009-02-13 | 経済と世相
「平成経済20年史」(紺谷典子著、幻冬舎新書)では、日本の銀行と生保会社の米国資本への売却には、裏がありそうだと、状況証拠について述べています。

【最終的に長銀には、7兆9000億円の公的資金が注入された・・・平成11年(1999)、“再生“した長銀は、民間に売却されることになった。金融再生法に基づき任命された柳沢金融大臣は、政府の代理人(フィナンシャル・アドバイザー)として、ゴールドマン・サックスを指名、米国の大手証券が、売却先の決定や条件の交渉を担うことになったのである。】

 【長銀買取に、いくつかの金融機関が名乗りを上げた。日本の金融機関の多くは、自身の建て直しに手一杯で、長銀を買い取る余裕はなかったが、・・・中央・三井の信託銀行の日本連合も入っていた。

 だが、結局、選ばれたのは、米投資会社リップルウッド・ホールデイングスである。長銀の全株式が10億円で引き渡された。11兆円を超える資産と多くの営業上のネットワークを持つ巨大銀行の売却が10億円というのは、あまりにべらぼうだが、きめたのは政府の代理人ゴールドマン・サックスである。

 リップルウッドの長銀買収の中心的役割を演じたのは、ゴールドマン・サックスの共同経営者だった人物だ。両者はつまり身内同士なのである。泥棒と警備会社が仲間だったようなものと言うと、たとえは悪いかもしれないが・・・。】

【長銀売却にあたり、ゴールドマン・サックスはリップルウッドとの契約に「瑕疵担保特約」を加えていた。

 譲り受けた長銀の債権が、譲渡時点の評価と比べ2割以上悪化したとき、3年以内なら売った価格で国が買い戻すという契約になっていたのである。】

【平成12年6月、長銀は、「新生銀行」と名を改め、日本初の外資系銀行としてスタート。

新生銀行は、長銀がメイン、サブメインであった上場企業をはじめ、大企業をつぎつぎ破綻に追い込んだ。ライフ、第一ホテル、マイカル、そごう、ハザマ、熊谷組・・・。しかも、瑕疵担保特約を盾に国に引き取らせた企業が転売に供されると、新生銀行自身、あるいはリップルウッドなど関連企業がその買収に名乗りを上げた。】

 更に同書は、銀行だけでなく、生保についても、こんな記述を載せている。

【平成9年4月、日産生命が破綻した。日産生命を皮切りに、中堅生保がつぎつぎ破綻することになる。中堅とはいえ、世界に名を轟かせた「ザ・セイホ」の破綻である。

破綻の原因は超低金利である。保険契約は、その時点での平均的な金利が続くとの前提で結ばれる。バブル時代の予定利率は、5%から6%以上で契約されている。掛け金が、それを上回る利率で運用できなければ逆ザヤになる。前代未聞の超低金利で、逆ザヤが長期間続き、生保の体力の限界に達したわけだ。】

【そして、破綻した生保は外資の軍門に降った。国内生保には買収・合併に乗り出さないよう、それとなく大蔵省から指示があったという。外資に買収させるためだ。平成15年、保険業法が改正され、予定利率の変更が認められるようになった。しかし、あまりに遅すぎたのである。破綻生保を買い取った外資が、その恩恵を受けるのは間違いないが・・】

『経済のグローバル化を推進したのは、米国でした。工業生産における競争力が落ちてきて、貿易で稼ぐことが困難になってきた米国が、覇権国であり続けるためには、そのための資金を稼ぎ続けなければならない。貿易で稼げないなら、金融で稼ごうと考えた。金融で稼ぐためには、金融のグローバル化、即ち経済のグローバル化が必要であった。』と,以前私は述べましたが、この米国の国策に全面的に協力したのが、日本政府です。
http://d.hatena.ne.jp/snozue/20090204/
紺谷さんもこう述べています。

【小泉政権においては、ほかならぬ日本政府が、米国政府・米国金融と共謀した疑いが強い。日本政府は、米国に従うために、国民を犠牲にしてはばからない。】

金メダルがなかった

2009-02-02 | 水泳
 一日は、日進市の口論義(こうろぎ)運動公園プールのマスターズ水泳大会(中日スポーツ主催)に出場しました。

 小生の出場する100mバタフライは、予定時刻が3時50分頃ですから、午後出かければ十分間に合います。11時に、いつもの名古屋ドーム前の東プールに行って、900mばかり、泳ぎました。会場のプールでは、混雑して練習はよく出来ないだろうと思ったのです。12時過ぎ地下鉄に乗り、藤が丘へ。リニモに乗り換え7分、「長久手古戦場跡」駅。 駅から口論義公園までは徒歩10分足らずでした。1時前到着。

 東プールで顔なじみのIIDAさんが、「200mと100mで日本記録を目指す」と言っていた。200mは終わっているから、日本記録は出たかな?と速報板を見に行く。

 2分17秒台で「55歳区分日本新記録」と出ている。「さすが!」

 受付でプログラムを見せてもらうと、100mバタの70歳区分は小生ともう一人滋賀県の人が出場になっている。彼の申告タイムは2分3秒。私は2分18秒で申告した。

「15秒の差では頑張ってもかなわない。まぁマイペースで2位を貰うか」

暫らく二階の観覧席で見ていようと、階段を上り始めたら「あっ、NOZUEさん」と呼びとめられる。建物は満員で、階段に腰を下ろしている人が大勢いたが、そこにHORIさんがいた。2年ぶりぐらいかな?以前、県体育館で一緒に泳いでいたが、ご主人が入院されて、止められた。「主人が元気になったので、また始めることにしたの。今日は100m背泳」と言う。再会を祝って、しっかり握手。

二階へ行くと、中央の一番良い席を「泳愛クラブ」の面々が陣取っている。IIDAさんが会長を務めるクラブだ。最前列にいたIIDAさんに手で挨拶を送り、面々の後ろに坐らせてもらう。

1時間ほど見ている。100m自由形になる。最後の組の第一コースにIIDAさんが出場。フィニッシュの後「1コース、IIDA君、59秒67は55歳区分の日本新記録です」の放送。周りの「泳愛クラブ」面々がいっせいに拍手した。

支度しようか!一階に下りて着替え、プールサイドへ。時間が来て、召集所へ行く。

1組の2コースです。3コースが、かのSATOH KENさん(75歳)だ。4コースがOHSAKIさん。「NOZUEさん、お元気ですねえ」と挨拶してくれる。大会の時だけ逢うのだが、いつも同じ言葉をかけてくれる。彼は60歳だと思っていたが、今年は65歳で出ている。5コースも65歳。6コースが滋賀県の70歳選手の筈だが来ない。欠場のようだ。すると、70歳区分は小生のみ。

「ヨーイ、ピー」で飛びこむ。「冷たい!」と思った。水温が冷たいと思った時は記録が良い。若しかするとベストが出るかも?と、懸命に腕を回した。ところが50mターンで一寸ミスった。ここでタッチだ!と腕を回して手をいっぱい前に伸ばしたが、数センチ届かないのだ。身体がぐらっとバランスを崩して右手が先に壁に触った。バタと平泳ぎは同時タッチでないと反則になる。右手をそのまま動かさないようにして左手を伸ばし触った。

ターンしながら「もしかすると反則をとられる?」と思ったが、行くしかない。懸命に腕を回した。二掻き一呼吸だ。フィニッシュ!上がって記録員に聞くと2分16秒60.

ベスト記録に0.42秒届かなかった。ターンで、もたもたしなければ自己ベストだったのに。速報を見に行くと「70歳区分 1位」と出ている。「反則はなかった」。

さて着替えして帰ろうかと、受付に行く。T女史がいた。県体の仲間だ。ボランテイアで受付をやっていた。「こんにちわ」と声をかけたら、何も言わないうちに私の記録賞をくれた。

「入賞メダルはないの?」

「今回は記録証だけ。メダルはないの」と言う。記録証ではタイムだけで順位もない!

経費節約らしい。サブプライムローン危機が、私の金メダルまでなくしてしまうとは、想定外だった。

孫が来た時に見せて「オジイチャンもガンバッテルンダ!」と、自慢するつもりが当てが外れた。多分、3日の中日スポーツに名前が載るだろうから、コピーして入賞の証拠を残そう。

外へ出て、駅まで歩こうとしたが、「さてどちらの道から来たかな?」我ながら、方向音痴です。

うろうろしていたら、顔なじみの背泳のMANOさんが出てきた。「駅はどっちの道だった?」と聞くと「ここに待ってらぁ。オレ車で来たから送ってあげる」。水泳をやってて良かったと思うことは、水泳仲間が沢山できたことだ。

車に乗り込むと、「どこまで送ればいい?」「地下鉄の駅ならどこでも」「OK」。

一社の駅前まで送ってもらいました。以上、1日の私の水上運動会の顛末でした。

追伸:4日の中日スポーツに、中スポマスターズ水泳大会の優勝者の氏名とタイムが載っていました。
 スポーツ新聞に優勝者として紹介されたのは生まれて初めて!長生きはするものですね。