古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

水泳大会をあきらめてウオーキング

2017-04-30 | 旅行
 
断腸の思いでした。4月29日、安城市のマスターズ水泳大会を棄権することにしたのです。この日を目的に練習してきただけに、棄権せざるを得ないのは、まことに残念でした。すっかりくさくさしたので、気分を治すべき、ウオーキングに行くことにしました。駅ちかウオーキングが、中村公園駅から名城公園駅までのおよそ8km半のコースで開催されていたのです。
「お天気もよさそうだし」と9時半中村公園駅までいきました。③出口で受付して歩き始めました。出口を出ると、アオキスーパー、それに豊国神社の赤い大鳥居(約24m)です。鳥居から神社までの参道で9の日の市が始まるところでした。毎月9の付く日に売店の屋台が並んで野菜とか五平餅などが売られています。まだ9時半ですから、準備が始まったばかりのようでした。1kmほど歩いて中村公園。公園は、秀吉と清正の生まれた地ということで、秀吉清正記念館という博物館があり、ご両人にゆかりの史料を展示する。



公園は、豊国神社(明治18年創建)を中心にして日本風回遊式林泉庭園です。公園の東側に、常泉寺、妙行寺という日蓮宗のお寺がある。秀吉と清正の誕生地だということなので行ってみる。
妙行寺には、清正が名古屋城の余材を用いて建立したもので、清正の銅像があった。
常泉寺は秀吉の銅像や「秀吉お手植えの柊の木」があっら。
両寺の間に木下長嘯子の邸宅跡がある。

木下長嘯子は、秀吉の妻「ねね」の甥で、文人。若狭小浜城主で関ケ原後京に隠棲。
秀吉や清正もいいけど、もっと近代的な話題はないかな?と名古屋競輪場に行ってみる。中村公園の北側です。この日は競輪はやっていないが中を覗くことは出来る。1週400m、最大傾斜は34度。
競輪の行われていない日も他の競輪場レースの車券は購入できるとか。


競輪場を出て大通りを栄生に向かう。公園北口から本陣通りを歩く。3丁目から斜め北東に曲がり栄生に出た。
中村公園から2.4km歩いて、トヨタ産業技術記念館に来た。元トヨタ紡織の工場跡地を博物館にしたものです。以前(4~5年前)に来たことがあるが、すっかり綺麗に整備されていた。展示は紡織関係と自動車関係の2部門に分かれている。時間的に両方見るのは無理なので、紡織関係のみ見た。原綿から糸を紡ぎ、糸から布を創る原理をお姉さま方が説明し、昔の織機の原理と運転を見せてくれたあと、近代の紡織機の運転デモをデモしてくれた。ここを見学し、いつも思うのは、時間をたっぷりとってみたいということだ。入場料はシニア料金は無料で、出退場自由の入場券を貰えるから何度でも見られるのだが、残念なことに、いつもちょこちょこっとで帰ることになる。今日も同様で12時、帰ることにする。ここまで歩いてかなり草臥れているからだ。この後、駅ちかのコースでは、「ノリタケの森」と円頓寺商店街を歩いて名古屋城に行く予定になっているが、3kmぐらいコースカットして「メグール」バスで名古屋城にいくことにする。正面のバス停ですわって「メグール」を10分ほど待つ。右隣の建物の間を名鉄や新幹線が通り過ぎるのが見えた。

バスに乗ると、10分ほどで名古屋城。
最初に能楽堂を見る。

これも大分前に見たが、久しぶりに見る。
夕方「能楽堂のシャンソンの夕べ」があるようだ。今日ここにくることを決めていたらチケットを購入しておくのだが、購入していない。
能楽堂のあとは名古屋城。今日は西北隅櫓を公開している。天守ははいっているが、ここは入っていない。西北隅櫓、別名清洲櫓は、清洲城の天守閣を解体した材料を使って作られている。
堀の向こうに我が家が見えたので、写真を撮ったが、前の建物に遮られ一部しか映っていなかった。
清洲砦を降りて名城公園駅を目指す。お堀の周りをぐるっと回って名城公園に入り、2㎞弱歩いてゴールの名城公園駅に向かう。
ゴールしたのは、1時半。
いつも駅ちかウオーキングは、12時半ゴールしているから、1時間余分に歩いている.公称のコース距離は8.4kmだったが、途中3kmほどショートカットしてこれだ。コース距離には、公園の中や博物館の中を歩く距離は省いている。それらの距離を加えると多分10kmぐらいは歩いているだろう。珍しく抽選で記念品が貰えた。サントリーのアルコールフリーの飲料1管だった。
さて、名城公園のゴールの痕は家に帰ればいいのだが、公園に大津通りに接して最近「トナリノ」なる建物が作られた。
ジョガーのためのシャワールームやロッカーを創り、1Fに喫茶室(スタバ)やあ2Fに軽食堂などを作ったという。そういえば最近公園周辺の道を歩いていると走っているジョガーを見かけることが多い。「トナリノ」の効果であろうか。
大賑わいだったが、スタバで、アイス珈琲をいただいて3時帰宅しました。

NHKスペッシャル

2017-04-17 | サイエンス
 16日夜9時からのNHKスペッシャルは面白い番組でした。
見ることの出来なかった方のため、記憶に頼って、内容を記してみよう。再放送があるでしょうから、見逃した方にはご覧になることをお勧めします。
熊本城の地震による石垣の崩壊を、4Kカメラを載せたドローンで調査したところ驚くべき事実がわかったという報告です。加藤清正の築城時の石垣は、この大地震に90%は持ちこたえたのに、明治以後補修した石垣のほとんどが大崩壊していたというのです。
 築城時の石垣は、武者返しの積み方(上に行くほど傾斜が垂直になる詰み方)をしていた。この詰み方では石はノリ面に垂直に積まれていたのに対し、補修した石垣は傾斜が直線であり、石は水平に積まれていた。前者の積み方の方が医師が新同寺外に飛び出しにくい。石垣の積み方の秘伝を伝える清正当時の古文書が見つかり、ノリ面の石の寸法の決め方が記されていたという。
 いったい何時から清正はこの詰み方を工夫できたか、清正の朝鮮出兵時(1593年)に韓国で築いた城の石垣がのこっていた。
現地に出掛けて調べると、ノリ面は直線であり、武者返しにはなっていなかった。熊本城は1599年の築城である。1593年から1599年までの6年間に何があったか?
慶長の大地震で伏見城が崩壊している。当然、清正はこの大地震を見分している。地震に耐える石垣の組み方を研究した筈だ。
石垣の武者返しは、敵兵を上らせない工夫というよりも地震対策であったという。
 更に面白い事実がある。崩壊に耐えた築城時の石垣がすべて問題なかったかというと、石垣のノリ面の一部が膨らんでいるものが発見された。
 何故膨らんだか、これを追求した古文書、細川藩当時のものが発見された。ふくらみの原因は、栗石と言う外面の石垣の背後に小さな石を多数備える仕組みになっているのだが、この石が地震の時、下方に下がってきて下がった部分の外側が膨らんできたもので、次の地震で崩壊する危険があるという。これを防止するため外側の石を大きくして外側の石の接触面積を大きくしたという。
 大きな石を調達するのは今回は困難なので、栗石の層の間に特殊なシートを挟んで栗石の低下を防止するそうである。
熊本城には、サムライの知恵が詰まっていた。平成の改修工事には、サムライの知恵に対して平成の知恵が問われるのだ。

メニエール病

2017-04-12 | Weblog・人生・その他

 
4月11日朝6時に目覚めた。起きようと思い、上を見ると、天井が回っている。
「?」
起き上がると急に吐き気を催した。
トイレに行き、戻したが、何も戻すものがないから、胃液を吐き出した。
歩くと、めまいがしてふらふらし壁にぶつかる。ベッドに戻り、寝るとめまいは治まるようだ。
これは典型的なメニエール病の症状です。
4年ぐらい前に、この症状が出たことがある。病院にいかなくては、と思うが、まともに歩けないから、症状が小康状態になるまで寝ているしかない。
11時頃、少し楽ななったので、向かいの若先生の病院に出掛けた。
すぐ診察室に入れられたが、先生の前でもどしてしまった。
「4年前の症状がでました」先生は直ぐカルテを確認して、「4年前の4月11日です。丁度4年ですね。」、「ここまでどうやって来ました」。
「転倒しないように気をつけてゆっくりゆっくり歩いてきました。」
「この病気は本人は凄く苦しいけど、命には別条ない病気です。飲み薬をだします。注射もしましょう。注射の時に血液検査の検体をとらしてください」」。
「血液検査なら先日西部医療せんたーで検査しました」とデータを見せると、
「これは3月29日のデータです。今朝現在に変わりはないか見る必要があります」。
納得!
「安静にして寝ていれば治る病気ですが、もし明日になっても、発作が治まらなければ、注射をしますからもう一度来院してください」。「わかりました」
「早く治すためには、根を詰める仕事を」やらないことです。たとえばパソコンを打つ作業とか、本を読む作業は、やらない方が治りが速いです」。
パソコンを止めて読書を止めると、自分のすることは水泳だけだが、まさかこの状態で泳ぐことは出来ない!
処置室に移り注射をする前に看護師の前でまた戻してしまった。隣に薬局がある。勘定をすませ薬局まで歩くと、また気分が悪くなり、薬剤師の前で吐いてしまう。まったく醜態である。
というわけで、午後はベッドに横たわりきりでした。本当に安静にするってこういうことだと思いました。
夕食におかゆをつれあいに作ってもらったが、食べた後また吐いてしまう。

 12日朝、目覚めると大分良くなったが、やはり眩暈は残っている。
「もう一度注射してもらう方が良い」と、11時頃向かいの病院に行った。
診察室に入ると、もう昨日の血液検査のダータが拡げられていた。
「血糖値が少し高いですが、他は全く異常ありません。
血糖値も、がんがん戻しているようなときには、身体という者はうまくできていて、血糖値を増やして体の機能を活性化するので、この程度の高さは正常です。」
「昨日先生は、根を詰める作業をしないように、と言われましたが、日頃根を詰める作業をしているとこの病気をおこしやすいですか?」と聞くと、「それがわからないのです。根を詰める作業をする職人がなるかというとそうでもない。
要するに三半規管の不調が原因であることはわかっていても、何が原因で三半規管の不調が生じるかはわかっていないのです。」
と、三半規管の不調を抑える注射を打ってくれた。
 注射の所為か気分がよくなったので、午後自転車を転がして銀行に行ってきた。午後、ずっと気分は良かった。
 これなら大丈夫とpCでメールを打ち増した。
これで明日プールで泳いでみて泳げるようなら、全快です。
高齢になると、いろいろ妙な病気が出ます。
桜は全開ですが、あと何回全開の桜をみられるか。
そう思っていたら、TVのニュースがペギー葉山の訃報を伝えていた。享年83とか。


山崎川の桜

2017-04-03 | 旅行
4月2日、朝起きて今日も駅ちかウオーキングに行こうと思い立ちました。今日は暖かくなりそうです。寒い日が続き桜が待ち遠しい日がつづきましたが、名古屋の桜名所、山崎川が今日の駅ちかのコースです。今日は桜がみられるだろう。10時5分前出発駅の川名駅に行きました。地図を貰い、3番出口を出てUターン、八事方面に歩き始めました。中京高校脇を過ぎると1km、香積院(こうじゃくいん)。

道元直筆の観音画像が伝わり、天井画が有名だが、庭だけ見てパス。

飯田街道に出て隼人が池に出る。消防訓練で子供がホースで放水の練習をしていた。

 半僧坊まで歩き、右折すると、新福寺に出る。ここには宮本武蔵の碑がある。

名古屋では笠寺観音にもあるそうだ。続いて昭和美術館に出た。
茶器を中心とする美術館だ。ウオーキングの案内地図を見せると、入場500円と掲示されている。普段は600円だから100円の割引。パスして歩き続けると石川橋に出た。すぐ山崎川沿いの散策道に出る。満開ではないが咲いていた。新瑞橋までの2.8㎞の両岸に600本のソメイヨシノが咲いている。今年初めて桜を堪能した。


1kmほど歩くと東山荘。


3600坪の敷地に自然林を配置した林泉庭園。建物は国の登録有形文化財になっている。
庭園を見てから山崎川に戻りパロマスポーツパーク(瑞穂公園)まで。


その後は、地下鉄新瑞橋駅まで歩きゴール。12時半だった。およそ7kmを2時間半で歩いたことになる。「健脚賞」のバッジを貰い名城線の地下鉄に乗り、ドーム前で下車。日課の水泳1000mを泳いでから帰宅しました。