古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

2016私選10大ニュース

2016-12-29 | 経済と世相

振り返るとホントににいろいろな事件。これでは神ってるカープ25年ぶりの優勝も番外にせざるを得ません。安倍、プーチン首脳会談も民社党が民進党に、党首に蓮舫氏も番外です。それでは順不同ですが、・・
1. コンピュータソフト 囲碁のプロに勝つ
プロ棋士を打ち破った人工知能ソフト「AlphaGo」を開発したのはGoogle Researchで、ディープラーニングが技術的なキーとなっています
これって、10大ニュースの筆頭に値すると思っています。
2.  升添都知事辞任、東京都知事選で小池氏。築地市場移転問題の怪
オリンピック施設の費用問題など伏魔殿?
3.  消費税引き上げ延期、日銀マイナス金利。アベノミクスってどうなる?
4.  オバマ大統領、広島訪問
5.  熊本大地震、東北・北海道に台風、各地に豪雨禍、阿蘇山噴火等々
6. もんじゅの知恵が出なかった。廃炉に3000億円だって。
7. 北朝鮮、核実験とミサイル実験繰り返す。
8. 国連で、日本が核兵器使用禁止法案に反対
9. .米国大統領選トランプで円安ドル高で東証ダウ2万円に迫る。変だなぁ
トランプ氏TPPも一抜けた!でも日本国会はTPP法案成立だって!変です。

10. 年金カット法、カジノ法成立
国会は何考えてる?

私選2016第4四半期10大ニュース

2016-12-27 | 経済と世相
私選2016第4四半期10大ニュース
今年もいよいよ押し迫りました。0月~12月の大ニュースを選んでみようと並べてみましたが、今年の一字漢字は「金」でなく「変」だと思いました。順不同ですが・・・

1. 阿蘇山噴火
 気象庁によると、中岳第1火口での爆発的噴火は1980年1月26日以来、36年ぶり。火山活動は不安定な状態が続いており、火口から約2キロの範囲で噴石や火砕流への警戒を呼びかけている。
11月になって雪が降って57年ぶりとか騒いでいた。気象も「変」、火山も?
2. 国連で日本核兵器使用禁止法案に反対。
「変」の極値。
3. 日銀物価上昇2%目標を先送り。
アベノミクスは失敗なのかな?経済を動かすのは人の心。通貨を増発すれば人の心を変えられると考えたのが、そもそも「変」。公費による社会大実験でした。
4. 日印原子力協定。
11月11日の日印首脳会談で、日本とインドが原子力協定を結んだ。これにより、インドに対し、日本から原子炉やその関連資機材、さらに核燃料を輸出したり、平和目的の共同研究や人材交流などを行ったりできることになる。福島事故の原因もはっきりしてないのに、原発をインドに売り込もうというのは「変』。
5. オスプレイ事故。
原因も摑まずにもう動かしている。「変」だ。
6. 年金カット法案成立。
物価の上がり方、賃金の上がり方が低いと年金も減らすんだって、「変」な話。
7. カジノ法成立。(IR整備法案)
これって徹夜で上げないといけない法案なの?変だなぁ
8. 米国次期大統領にトランプ氏、これで円安ドル高で東証ダウ2万円に迫る。変だなぁ。
9. トランプ氏TPPは止めるんだって!でも日本国会はTPP法案成立だって!変です。
10. 山口県で安倍、プーチン首脳会談、領土問題視進展せず。
何のためにプーチンさんを山口の温泉に招待したの?
番外;安倍首相、真珠湾訪問。
オバマさんが、広島を訪問したから、安倍さんも真珠湾を慰霊するんだって。でも、原爆投下と真珠湾は全然別の話?

今年の印象に残る10冊

2016-12-26 | 読書
2016年の印象に残る10冊
早いものでもう年末。新聞の書評欄が「今年の3冊」など記載しています。
そこで、小生の今年の印象に残る10冊を記載します。(順不同)
1. 戦争まで 歴史を決めた交渉と日本の失敗加藤陽子著
http://blog.goo.ne.jp/snozue/d/20161203
2. それでも日本は戦争を選んだ(新潮文庫)加藤陽子著
http://blog.goo.ne.jp/snozue/d/20160820

3 憲法の無意識 岩波新書、柄谷行人著
http://blog.goo.ne.jp/snozue/d/20160721

4.21世紀の資本主義論 (ちくま文庫)、岩井克人
http://blog.goo.ne.jp/snozue/d/20160516
5.生物学的文明論(新潮新書)本川達雄著
http://blog.goo.ne.jp/snozue/d/20160416

6『日本軍はなぜ満州大油田を発見できなかったか』(岩瀬昇著、文春新書2016年1月)
http://blog.goo.ne.jp/snozue/d/20160505
7.数学する身体(新潮社)森田全生
http://blog.goo.ne.jp/snozue/d/20160210

8『新・観光立国論』(デービッド・アトキンソン著、東洋経済新報2015年6月刊)
http://blog.goo.ne.jp/snozue/d/20160208

.小説を2冊
9.天下人の茶(文芸春秋)伊東潤著
http://blog.goo.ne.jp/snozue/d/20160118

10.コンビニ人間 武芸春秋
http://blog.goo.ne.jp/snozue/d/20160824

追伸 おかげさまで昨日、このブログのアクセス数が92万を超しました。
誤字が多くて恐縮ですが、ご愛読を感謝します。

世界一の日本経済

2016-12-24 | 読書
早いもので、もう年末です。正月休みに読む本をGETして来ようと、大学図書館で新書本2冊を借りてきました。その1冊、『財務省と大新聞が隠す本当は世界一の日本経済』(上念司著、講談社α新書、2016年9月刊)です。クリスマスイブの24日読みました。
「日本政府はGDPの2倍の借金を抱えている。国民一人当たり約830万円だ」よく聞きます。
しかし、負債(借金)があっても資産があればどうということはない。この点の解説を読みたいと思っていたのですが、この本が詳説していました。
 データは財務省のホームページに2年度遅れで公開される日本政府のバランスシートです。平成26年度末(2015年3月末)時点で政府資産は679.8兆円(前年度比27.1兆円増)です。「財政赤字は大変で消費税増税しないと日本は滅ぶ」くらいに言っていますが、そんな大赤字の国の資産が何で年27.1兆円も増加する?赤字で余裕がないなら、資産を取り崩して売る筈でしょう。それが増えているのです。しかも、このバランスシートには、巨額の資産を持つ子会社。日銀の資産(約3兆円)を含めていない。
「政府の資産といっても建物や空港とか自衛隊の基地とかで、売るわけにいかない!」という人がいます。しかし有形固定資産は179.6兆円で、日銀を含め他政府資産900兆円の20%に過ぎない。残りは金融資産。年金の運用寄託金は国民からの預かり資産なので、除外しても579兆円もの金融資産が国庫に眠っている。
人口は日本の約3倍、経済規模も約4倍のアメリカで、政府に資産は150兆円しかない。まさに日本政府は世界一の金持ち政府だと筆者は言う。
 次に、為替レートに論を進める。
 どんなモノでも、需要に対して供給が不足すれば、品薄になって値段が上がります。これは各国の通貨や為替レートについても成り立ちます。
ある国の通貨量が他の国に対して不足刷れb、不足した通貨は値上がりします。
 リーマンショック以降、急激に円高が進んだ理由は、日銀がお金を刷る量やスピードが遅く、反対に外国の中央銀行は猛烈な勢いでお金を刷ったということです。各国中央政府の資産残高の推移で、それがわかります。
 人口減少問題について
 子供が労働力として役に立つ場合、親が子どもを沢山作って金儲けをするインセンチブが働きます。しかし、国の経済が発展し、より付加価値の高いモならを生産するようになると、教育をけていない人は使い物になない。より高い賃金を求め、コsトをかけて子供を教育する必要がでてきます。たくさん産めばすべてがカネになるという状況が終わる。この傾向は日本に限ったことではない。世界各国においても、産業が発達し高度経済成長を迎えると、人口爆発は終了し、その後は少子化傾向が強まります。豊かになると少子化が進むというのは、統計的にも優位な現象です。
 日本で少子化が問題視されるようになったのは、バブル崩壊以降の経済的停滞が明らかになった2000年代です。
 この長期的停滞の原因はデフレ、またデフレを発生させた原因は、政府と日銀による政策の失敗。
原因が「人口減少」ならだれの責任でもない。景気が低迷しているのも、デフレが発生したのも、地方経済が疲弊しているのも、全部少子高齢化のせい・・・「少子高齢化」という魔法の言葉で、誰も責任を取らなくて済む、素晴らしい。と、「少子高齢化」がはやっているのです。データを見ます。1996年から2013年まで、OECD加盟34か国について一人当たりGDPの平均成長率と人口の平均増加率の相関を調べてみました。計算の結果、相関係数は0.38でした。決定係数(R2、相関係数の平方根)は0.1462。つまり14.6%しか説明できない。相関は薄いのです。一方、物価上昇率と名目成長率の相関を求めると、0.77で、決定係数は0.5969です。少子高齢化が経済成長に与える影響は極めて限定的です。
 さらに日本の国債価格について
「国債の買い支えのため1400兆円の個人資産を使い果たしたら国債の引き受け手がなくなる?」
 日銀が買い支える以上買い手がなくなることはあり得ない!日銀が買い入れをやめるとしたら、その時物価上昇率が2%に達しデフレが終焉している筈です。
 対外純資産で確認しましょう。
2014年末の主要国の純資産を見てみます。
日本  366兆8560億円
中国  214兆3063億円
ドイツ 154兆7055億円
ロシヤ 40兆5666億円
アメリカ▲834兆257億円
日本がダントツの1位です。
この本から学んだことは、すべてデータで確認しないといけないということです。
ただし、どういうデータを見るかが知恵を要する点です。
例えば、「アベノミクスが成功したかどうかを何で見るか。失業率の推移を見る。という考えがあります。しかし、失業率が改善したとしても、労働者の賃金が(非正規雇用の増加などで)減っているとしたら、それだけで成功しているという評価はどうでしょうか?

冬の徳川園

2016-12-21 | 旅行
 冬の徳川園を見てきました。12月18日午前です。お天気は暖かくなるとの予報で、年賀状に使う写真を撮ろうかと徳川園を目指しました。地下鉄の大曾根駅③出口を出て15分ほど歩いて園の正門前に着きました。門松がたっていました。尾州藩以来の門松が13日以降立っていると先日の新聞にありましたが、カメラを向けている観光客も数人、あの人たちも年賀状に使う写真を撮りにきたのかな。

園にはいると、ボランテイアがガイドをやっているので、ついて歩くことにする。
もう、紅葉は終わりだろうと思っていたが、まだ見られる箇所もあった。
「日当たりのいい場所は、早く紅葉して散ってしまったが、日当たりの良くない場所はまだ紅葉がのこっている」とガイドは言う。
橋を渡って最初に「大曽根の滝」を見る。

昔は矢田川の流れがここまで来ていたそうだが、今は水をポンプで流している。でも、流れに沿って歩くと風情がある。「竜仙湖」と名付けられた湖に出る。
織部のキリシタン灯篭があった。

観仙楼という建物がある。結婚式の披露宴をやっていた。
「お日柄の悪い日はないが、通常、毎日結婚式がある」とのこと。傍らに「子福桜」の木がある。小さな花がさいていた。この作ら、年中花が咲くそうである。子供に恵まれる効用があるとか。大名にとって子供がないとお家取り潰しにあるので、子に恵まれるのは、最大の重要事だ、というわけでここに植えられている。

茶室(瑞竜帝)があったので覗いてみた。「有楽風の造りです」という。織田有楽斉の茶室(如庵)は犬山の名鉄ホテルにあるが、ここは有楽を模した作りらしい。
写真右下の躙り口を見ても小ささがわかる。

茶室の傍に樟がある。繊細で焼けて「この樹は焼け残り」とのこと。

「竜門の滝」がある。石垣は江戸の尾張藩下屋敷から貰い受けてきたという。尾張藩下屋敷跡は現在早稲田大学になっているとか。下屋敷は13万坪あったそうだ。ここ徳川園も13万坪あったそうだ。
昭和20年(1945年)に大空襲により園内の大部分を焼失した後は一般的な公園として利用されてきました。子供の野球場にも使われていたそうだ。
平成16年秋に日本庭園としてリニューアルしました。
万両の花があった。10両とか1両とかの花もあるそうです。
帰りは結婚式場の建物からエレベーターに乗り1Fで出ると、黒門口の出口でした。
小1時間案内してもらいましたが、冬であっても結構見どころがあると感じました。


人口と日本経済

2016-12-20 | 旅行
『人口と日本経済』(吉川洋著、2016年8月中公新書)を丸善で手に入れました。市立図書館で借りようと思って申込んだのですが、貸し出し中で、「予約者22であなたは20番目です」と言われた。あきらめて買うことにしたのです。
 バブル崩壊後の日本経済の低成長について「人口減少がその主原因」とする論があります。はたしてそうか。
経済成長を決めるのは人口ではない。まず筆者は説く。明治のはじめから今日まで150年間、経済成長と人口はほとんど関係がない、といっていいほどに両者は隔離している。経済成長率と人口伸び率の差、これが「労働生産性」の成長に他ならない。
一国経済で労働生産性の上昇をもたらす最大の要因は、新しい設備や機械を投入する「資本蓄積」と、広い意味での「技術進歩」、すなわち「イノベーシヨン」であると、筆者は日本の高度成長を振り返る。もちろん経済の供給サイドだけでなく、需給サイドの動向も考えないといけないが、
「一昨年、人口・世帯数発表になって驚いたことは、人口が減った県が25県もあったが世帯数の減った県は一つもない。」(19671月年『統計』)
高度成長期、輸出から輸入を引いた「純輸出の経済成長への貢献はほぼゼロであった、日本経済は昔から輸出に引っ張ってもらい成長してきた、と思っている人が多いが決してそうでない。年平均10%の高度成長は旺盛な国内需要により生み出されたのだ。第3次産業革命あるいは第4次産業革命の帰趨は分からないが、はっきりしていることは先進国の高度成長は、人の数ではなくイノベーシヨンによってひきおこされることだ。

次に筆者は出生数の低下と平均寿命の伸びに着目する。
 現代日本では経済的困難により結婚できない人が増えてきたというマルサスの時代に戻ったかのような厳しい現実がある。しかし先進国の歴史では、全体的に平均所得は上昇してきた。ところがその先進国で平均所得が上昇したにも関わらず出生率が低下するという「新しい現実」が生まれた。
 出生率の低下と呼応して平均寿命が伸びた20世紀。先進国では人間の寿命が大きく伸びた。日本は今日世界一、二を争う長寿国である。しかしこれを当たり前と思ってはいけない。日本人の平均寿命の伸びは、戦後の日本の成し遂げた成果、「最大」といってよい成果である。高度成長が始まる直前の1950年我国は先進国の中では寿命が最も短い国だった。
日本では厚生労働省が3年ごとに「国民生活基礎調査」を用いてジニ係数を計算し公表している。筆者は、所得の平等程度を見るジニ係数を寿命に適用した考察を紹介している。
「寿命のジニ係数」についてベルツマンという学者が調べている。
 ソ連/ロシヤの平均寿命とジニ係数の推移は興味深い。1917年の革命後1950年代後半までは、ソ連の平均寿命は順調に伸びた。ジニ係数も順調に低下した。しかし1950年代末から顕著な停滞が始まる。平均寿命は全く延びず、むしろ短くなる。と同時に、ジニ係数は増加した!1991年にソ連は崩壊したが、こうした平均寿命、ジニ係数の推移をみると、1950年代からの社会主義体制がいかに大きな問題を抱え、行き詰った社会であったかうかがい知ることが出来る。ソ連はまさに自壊したのである。
 この100年、先進国では豊かさの中で人口が減り始め、一方寿命は著しく伸び始めた。日本は先進国の中で例外的に20世紀前半、すなわち戦前はまったく寿命が延びなかった。
 戦前の日本も一部の人が言うほど「悪い」社会ではなかった、そういう人がいる。なるほど一つの社会がすべての意味で悪かった、というようなことは希であろう。しかし人間社会の総決算といえる平均寿命、そして寿命のジニ係数の推移をみる時、戦前の日本は大問題ありの社会であったと言わなければならない。
 戦後は一転して寿命が急速に伸び、日本は世界の最長寿国になった。これは、」戦後日本の最大の成果なのである。
最終章で「人間にとっての経済成長」を論ずる。
 既存のモノやサービスに対する需要が飽和に達するなら、経済全体の成長もやがてゼロ成長に向け収束せざるを得ない。
「需要の飽和」。ここにおいて、通常「水と油」と考えられているケインズとシュンペーターの経済学は急接近する。需要の不足によって生まれる不況を、ケインズは政府の公共投資と低金利で克服せよと説いた。シュンペーターは、需要の飽和による低成長を乗り切るカギはイノベーシヨン以外にないと主張した。
 別の角度から見よう。
 「もはや先進国において経済成長は不必要であるか否かは、究極的には、80歳を超えるまでになった平均寿命はここらでもう十分、これ以上寿命を延ばす必要はないと考えるか否かにかかっていると言えそうである。
日本の平均寿命は、確かに生物学的に見た限界に近づきつつあるかもしれない。しかし、なお残る課題として「健康寿命」、「生活の質」がある。すでに現実になりつつある超高齢社会において人々が「人間らしく」生きていくためには、今なお膨大なプロダクト・イノベーシヨンを必要としている。超高齢社会においては医療・介護はいうまでもなく、住宅、交通、さらに一本の筆記具から都市まですべてが変わらざるを得ない。それらは、「好むと好まざるとにかかわらず、経済成長を通してのみ実現される。先進国の経済成長を生み出す源泉は、そうしたイノベーシヨンである。
最後に筆者はこういう。「部門(家計、企業、政府)別貯蓄・投資の差額のグラフを見ると、
かつては、家計が貯蓄し、企業は負の貯蓄、つまり借金して投資をしていた。今貯蓄は、、企業が家計をしのぎ日本経済で最大の純貯蓄主体となっている。これは資本主義経済本来の姿と言えるか。企業は時代が変わったという。しかし変わったのは時代でなく、企業ではないのか。

仏教を考える

2016-12-15 | 読書
 『ブツダと法然』なる本が新潮社から出た。筆者は、平岡聡氏、1960年生まれ、京都文教大学学長です。読んでみて、仏教を改めて考えさせられました。
ブツダと法然には共通点がある。それは、<パラダイム・シフト>を行った人であることだと筆者は言う。パラダイムとは、その当時の支配的価値観のこと。それが新たな価値観にとってかわられることが、パラダイム・シフトである。
ブツダのパラダイムシフトを考えてみよう。神に近い存在として仏があるが、仏とは「悟りを開いた人」、だから、神ではなく、基本的に人である。
つまり仏教は、人間の幸不幸を司るのは人間の心と、心に重きを置く。といっても体を蔑にしているわけではない。心の変革は身体を使った修行が必要だとする。また仏教の特徴として、その教えの対象は人間だけに留まらない。動物なども含め、生きとし生けるものすべてに拡大している。このような宗教の存在は、世界の宗教史上、まれである。
一方、法然の「念仏だけで救われる」という教え(<専修>という考え方、パラダイムシフト)は、その後の鎌倉仏教の祖師たちにも大きな影響を与えた。親鸞の信心、道元の只管打座、日蓮の題目などがそうである。
 法然はまさに日本精神史の流れを大きく変えた宗教家だが、鎌倉仏教の祖師で名前が挙がるのは、たいてい親鸞、道元、日蓮の3人が主であり、日本の精神史、宗教史の中で、法然は正しく評価されているとは思えない。
 そこで、本書では比較という手法で、ブツダとの比較で法然の特徴を浮き彫りにして行く。
 2500年前のインドにブツダが、そして900年前の日本に法然が登場し、自らの思想的宗教的立場を表明したことで、従来の宗教の価値観、常識は完全にパラダイムシフトした。
 両者の共通点、誕生日はブツダが4月8日、法然が4月7日。入滅もブツダが2月15日、法然が1月25日、享年はともに80歳。
 ブツダは、神の存在を認めず、冷徹なまでに自己の心の内面と向かい合うことで、苦の根源である無明を発見し、修行によって執着を離れることが一切の苦から解放されるという、あくまで「人間存在」に立脚した仏教と言う宗教を確立した。
 一方、法然は、すべての人間が実践できる行は念仏しかないと見極め、その他の行はすべてなげうち、念仏往生という新境地を開拓した。
 ここでブツダと法然の出家の動機、あるいは求道目的について確認しておこう。結論を急ぐと、二人の出家や求道はあくまで個人的なことが主であり、万人の解脱や凡夫の救済という「利他行」を意図したわけではなかった。その利他行は結果としてそうなったのであり、彼らの当初の目的ではなかった。
 ブツダは悟りを得るまで6年の苦行に身を投じた。法然に至っては、25年引きこもり求道した。
 法然が紡ぎだした「念仏を称えるだけで誰でも極楽往生できる」という専修念仏、あるいは念仏往生の教えは易行道そのものだが、その易行堂を生み出すに至った法然の努力は、ブツダの6年間の苦行に匹敵する難行苦行だった。二人のパラダイムシフトは、この難行苦行の結果が生み出したものだ。

中川区をウオーキング

2016-12-04 | 旅行
12月4日、駅ちかウオーキングで高畑駅から国際センター駅までの8.1kmを歩きました。
中川区は、あまり歩いたことがない、今日は風もなくお天気もよさそうだ。行ってみようと9時家を出て、9時40分高畑駅に着き、受付を済ませて5番出口を出て、左に歩き始めました。すぐ、荒子観音。荒子観音は円空仏で有名で、円空仏の研究は荒子観音寺に始まり、荒子観音寺に終わると言われるほど、荒子観音寺には多種多様な円空仏が存在する。荒子観音寺には2014年時点で1255体の円空仏が現存し、移出像11体を含めて1266体が確認されている[]。2014年時点で日本全国で現存が確認されている円空仏5374体のうち、実に4分の1以上がこの寺にあることになるという。
荒子観音は何度か参拝したから今日はパス。荒子公園に入り公園内の道を通り抜け、篠原橋通りを抜けると、松葉公園です。
昭和8年の皇太子(現天皇陛下)誕生を記念して着工、昭和16年開園した公園です。ここまで2km、少し汗ばんできたので薄着にしようとセーターを脱いだ、

公園を北に出て道なりに歩くと長良橋です。
長良川にかかるが、橋上からは名古屋駅前のビルがすぐそこに見える。

川沿いに小栗橋まで歩き猿子橋まで。橋を東に渡って東岸の道を柳原橋に歩く。東へ歩くと、レトロな松重閘門が見えてきた。ここに小さな公園がある。

ここが今回のチェックポイントで、通過証を貰う。松重閘門は来たことがあるが、公園があることには気づかなかった。
松重閘門は昭和5年に完成し翌6年から使用され、長年に渡り名古屋の産業を支えてきた。しかしながら昭和30年代の後半から陸上輸送の台頭によって水上輸送の需要が次第に減り、昭和51年(1976)、閘門の使用が停止されました。その後、水門内部は埋め立てられ、付近は昭和61年(1986)に松重閘門公園として整備されたそうです。
ここから堀川沿いに北へ歩く。
須崎神社があった。縁結びの神様らしい。

須崎神社を出て北へ歩くと広小路通り。納屋橋を渡って桜通りを目指すと、ゴールの国際センター駅だった。12時20分ゴール。健脚賞としてバッジを貰った。
その後、東区プールに行き、日課の水泳、1000mを泳いだ。脚にまめができたが、疲れはさほどなかったから、体力は少しづつ戻っているかな?


大東亜戦争調査会

2016-12-03 | 読書
『戦争まで 歴史を決めた交渉と日本の失敗』1(加藤陽子著、2016年8月、朝日出版)を読んでいて、これは今年小生の読んだ本の中のベストワンにランクされる?と思いました。
 日本が太平洋戦争に至るまでの3つの事件、リットン報告書、日独伊三国軍事協定、戦争前夜の日米交渉を採りあげて当時の外交交渉の内幕を述べた本ですが、高校生を対象とした連続講義を本にまとめたので、難しい内容を分かり易く解説しています。
 東京裁判について、戦勝国の報復裁判であって公平なものではないという批判をよく耳にします。しかし、少なくともこの戦争において数百万の日本人が犠牲になり、国富の大方を失ったわけですから、日本の失敗であったことは間違いない。どこで、日本は誤ったのか、それは誰の責任であるかを、日本人自身が明らかにすることは、裁判と言う形をとるかどうかは別にして、必要があり、それを明らかにせず、東京裁判を批判するのは間違いだと私は思います。
 この本の終章にこういう記載がありました。
『敗戦から3ヶ月後、大東亜戦争調査会という組織がつくられました。政府の公式の機関で、幣原内閣が設けた機関でした。45年10月の閣議で、次のように説明されていました。
“大東亜戦争敗戦の原因、および実相を明らかにすることは、これに関し冒したる大なる過誤を、将来において繰り返さざらしむるがために必要”
 この大東亜戦争調査会は、当初の決定では、半永久になされるものの筈でした。第1回会議で、幣原は次にようにのべています(1946年6月27日)
“今日我々は、戦争放棄の宣言を掲ぐる大旗をかざして、国際政局の荒漠たる野原を単独に進みゆくのでありますけれども、世界は早晩、戦争の惨禍にお目を覚まし、結局私どもと同じ旗をかざして、後方についてくる時代があらわるでありましょう。我々は、この際、戦争の原因および実相を調査いたしまして、その結果を記録に残し、もって後世国民を反省せしめ、納得せしむるに充分力のあるものにいたしたいと思います。”
幣原は第二回でも、こう述べていました。
“戦勝国にせよ、敗戦国にせよ、戦争が引き合うものでない、この現実なる参考を作る。「中略」将来我々の子孫が戦争を考えないとも限らない。その時の参考に今回の史料が非常に役立つような調査をせねばならぬ。”
 この戦争調査会の史料は国立公文書館に所蔵されていて、知る人ぞ知る史料でしたが、ようやく、2015年10月『戦争調査会事務局書類』(ゆまに書房)として刊行され、手軽に読めるようになりました。
 調査会は、立派な志でつくられたものでしたが、実は残念な結果になった。
46年4月、GHQの諮問機関として対日理事会が設置されます。この理事会で、イギリスとソ連が、調査会の動きに警戒感を示しマッカーサーに対し、調査会を解散させるべきと意見を述べた。「戦争の原因を考え、犯罪人を処罰するのは極東国際軍事裁判の任務だというんです。マッカーサーは、この勧告に従い調査会を解散させました。
 占領下におかれ、外交権も失っていた日本にとっては、対日理事会の報告は絶対であり、また、天皇を利用した間接統治を行いGHQによる憲法草案の線で占領改革を行いたいマッカーサーとしても、対日理事会の勧告に従う方が便利だった。』
あらためて太平洋戦争の原因に思いを馳せる本でした。

定光寺

2016-12-01 | 旅行
 30日午後、思い立って定光寺に出掛けた。住宅の老人会のウオーキングの候補にかねてから考えていた定光寺に行ってみようと思い立った。JRの大曽根駅に着いたら、下り電車がホームに入るところだった。飛び乗ったが、高蔵寺行の普通だった。20分ほどで高蔵寺に着いたが、定光寺はこの次で、快速は止まらない。普通は2:39まで30分ほど待つことになる。本番の時はダイヤを調べてこないと。
ホームで本を読みながら電車を待ち、到着した普通電車で次の定光寺に降り立った。駅を出ると、木曽川の見事な水の流れ。しかし案内は無く、「定光寺公園はどちら?」と駅員に聞いて歩き出した。無人駅と聞いていたが、紅葉のシーズンのためか駅員はいた。右手にしばらく歩くと東海自然歩道の看板。季節の良い時には、ここから東海道自然歩道を歩けるのだ。左手に橋がある。どうやらこの橋を渡るらしい。橋を渡ると坂道である。その坂道、かなりの勾配で延々と続く。
紅葉も綺麗だが、見事な黄葉もあった。

向こうからリュックを背負った観光客が来たので聞いてみた。「定光寺はこの道でいいですか?」
「ええ、まっすぐです」
「距離は1kmぐらい?」
「そんなにないと思いますが、この勾配ですから頑張ってください。
「滝カッフェ」という案内が建っていた(巻頭写真)滝の景色を見ながら、珈琲を賞味してくださいの意味らしい。息を弾ませながら、15分ほど歩くと左手に石段が出てきた。「160余段10分です。定光寺」の掲示。「まだ登りなの?」。ここまで来たら、きつくても上るしかない。かなり息がくるしい。100段も上がったかな?下りてくる観光客に聞いた。「まだ、上までかなりありますか?」。「いや、あそこが山門です。頑張って」やっと上り詰めた。臨済宗の古刹、定光寺です。隣に初代尾張藩主義直公の廟所がある。

寒い日だが、紅葉を楽しむ客は結構いた。
ここは春は桜の名所でもある。今年は寒さの到来が早かった。来年の3月末、桜を見に来た方がいいかな。お参りを済ませ、帰ることにする。

これが大変だった。紅葉は見事だが、地球の引力で引っ張られるので、早く脚を動かさないと転んでしまう。懸命に歩いてあっと言う間に駅に戻った。名古屋行のホーム、此処に上がるにも階段!「どこで切符買うの?」駅にいた駅員に聞くと、「下りた駅で切符は購入してください」。3時51分の電車で、帰りはスムース。4時35分帰宅できました。