古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

、2017私選第3四半期(7月~9月)10大ニュース

2017-09-30 | サイエンス

順不同ですが、2017私選第3四半期(7月~9月)10大ニュースです。

今年もいろいろン事件が起きますね。「世の中には“上り坂”、”下り坂“の他”まさか“という坂がある」と言った首相がいたけど、まさかの出来事でした。

  1. 衆院解散
    まさか第一。民進党党首改選、人事のもたつきに安倍総理「今選挙すれば勝てる?」
  2. 民新、希望に合流。
    まさか第二。「民社」、「民進」の看板では勝てないとわかった。
  3. 北朝鮮、核とミサイルテスト繰り返す。まさか、日本に落とさないでね。
    トランプ発言に猛反発「超強硬措置」 正恩氏が初声明、外相は水爆実験示唆。米国日本海に原子力空母派遣、自衛隊艦、米韓を防御。きな臭くなりました。
  4. 都議選で自民完敗
    小池劇場続く。
  5. 原発事故、国の責任認めず 千葉・避難者訴訟、東電に賠償命令
    国の責任認めず?裁判官もサラリーマンか。
  6. 検察「電通、利益を優先」 初公判、社長が違法残業認め謝罪
    経営トップが労働基準法を知らなかった?
  7. 稲田防衛相辞任

   日報隠ぺい問題、内閣改造まで持たなかった。

 8.  内閣改造8月3日

 9.  .カープ連覇

 10. . 日野原先生死去

番外 日本人11年連続イグ・ノーベル賞受賞

雄と雌で生殖器の形状が逆転している昆虫の存在を明らかにした。

 


二つの敗戦(2)

2017-09-29 | サイエンス

そこへ90年代に入って「構造改革」問題が出てきます。

「構造改革」は1993年あたりから始まりました。

構造改革とは、要するに日本の経済構造は極めて閉鎖的で前近代的だ、この特殊で後進的なシステムによって日本企業は保護されており、自由競争をしていない。だから自由公正な市場競争をするような経済構造に変えなければならない。こういうものです。

 この構造改革の基になったのは、1989年にアメリカが日本に提唱してきた「日米構造協議」でした。アメリカ政府が、イニシアテイブをとって日本国内の構造的障害を変えていくというのです。

 日本側は「日米構造協議」と訳したが、「日米構造協議」だったら両方の代表が相互に問題を出し合い、調整する。お互い対等な立場でやっているように見せかけたのです。

1993年にクリントン大統領と宮沢首相の間で、両国の構造的な不備について相互に要望を提示するという合意がなされます。

名目上は、両国の対等な要望に見えるが、実際はアメリカが日本に要求する。これを「改革要望書」と呼び、その結果は、毎年、米議会で報告された。

構造改革の始まった頃のアメリカの主張は、「日本で行政規制によって自由競争が阻害され、経済構造が閉鎖的なため、日本の物価は著しく高く、それにより日本の消費者は損をしている。」

アメリカは決してアメリカの利益だとはいいません。日本の消費者の利益だという。何やら占領政策を思い出します。占領はアメリカの利益だとはいいません。それは日本国民のためのものだという。

 確かに、規制撤廃や市場開放によって安価な海外商品も輸入され日本の物価は下がりました。しかしそのため日本の企業は激しいコスト競争にさらされるのです。コスト競争の結果、賃金が下がり、派遣やアウトソーシングのような不安定な雇用形態にかわっていきました。アメリカは、明らかに、あの時日本に経済戦争を仕掛けてきた。そのために日本国内の取引の「ルール」をアメリカ型のルールに変える。アメリカの土俵に日本を引きずり込んだのです。当時、日本の国内では、それがアメリカの戦略である。一種の経済戦争だという発想は全く出てきませんでした。

 以下、私の譲ることの出来ない信念としての経済観です。

 確かに、自由市場は社会主義の計画経済より優れている。しかし、市場競争そのものは、市場原理に乗らない「社会」の安定性により支えられている。それが崩れると、市場経済そのものが壊されてしまう。

 社会の安定性を確保するものは何か。社会生活の安定のための、医療、福祉、地域の安定など。防災も、労働力の確保、そのための教育も重要です。また社会秩序の確保のためには、人々の倫理観、道徳的精神もなければならない。それはその国の文化や伝統・習慣と不可分です。資源・食糧の自給率の向上も不可欠であり、軍事力の整備も必要ですが、」これらは市場で提供できない。効率性や利益原理で測れるものでもない。しかしこうした「社会」の安定があって初めて市場競争は機能する。

そして、「社会」の秩序は、基本的にその国の文化や習慣の中で歴史的に作られる。グローバルスタンダードなどといって標準化できるものではない。

ところが、医療・教育から資源知識、環境への権利まで市場取引に委ね、基本的にあらゆるものを市場化しようとするのがアメリカの経済観です。

日米交渉の本質は経済観の対決で、利害の調整という外観に惑わされてはならない。

そうでないと、「無意識のアメリカへの自発的従属に陥ってしまう」。 

「国際化する」(internationalize)という言葉は、日本語では自動詞だが英語では他動詞である。我々が、「国際社会」といったとき何か普遍的な価値やルールを共有できる平和な社会をイメージするが、アメリカ人はアメリカの価値やルールを共有することで安定した社会というニュアンスである。

 戦後日本の安全を保つ基本的な構造は、「平和憲法」プラス「日米同盟」でした。憲法の平和主義によって武装解除された日本の安全保障を事実上司ったのは米軍でした。

 それが冷戦の終了後、日米同盟のお蔭で、少し極端に言えば、日本は「イスラム国」との戦争状態に入らざるを得なくなった。戦後日本は主権の「武力放棄・平和主義」という形で主権を表出してきたのです。

「国際社会」の安定秩序と日本の安定は不可分である。とすれば、日本は、日本の安全保障のため「国際社会」の秩序形成に関与すべきである。正論で、これが安倍首相の「積極的平和主義」です。

 しかしここに大きな落とし穴がある。「国際社会」という確固としたものはどこにもない。世界は、あくまで、先進国と後進国、経済大国や軍事大国、弱小国、宗教的国家や世俗国家、王国や民主主義国など多様な国家の集合体です。宗教や民族を異にする多様な国が併存し、経済発展の段階も政治システムも国民の価値観も異なる。

 これが現実であり、この現実から出発すべきです。でもそうは考えない国がある。アメリカです。アメリカは、世界は均質化に向かうべきと考える。

「民主主義」、「個人の権利、「市場経済政治と宗教の分離」など「普遍的原理」とみなしている。。普遍的なものは現実に実現されると考えています。

どこに問題があったか、「戦後」の出発点にもう一度立ちかえって見よう。

筆者によると、戦後は、昭和27年4月28日(サンフランシスコ講和条約発効)以後です。次いでながら、終戦は1945年9月2日(降伏文書調印)であり、8月15日が終戦の日になるのは、池田内閣の閣議決定です。

 サンフランシスコ条約で、「連合国は日本国およびその領水に対する日本国民の完全な主権を承認する」とある。

1945年8月15日から1952年4月28日までは、なんであったか。言うまでもなく「占領」期間です。「占領」は戦争の最後の段階で、戦争の終了ではない。ですから、戦後は1952年4月28日以後が戦後です。1945年8月15日を「戦後」の出発とすることは、端的に言えば、アメリカによって日本の「戦後」が作られた、という事実を隠ぺいします。

 日本の戦後構造は、アメリカによって占領期間中に造られた。その作られ方は、「武力放棄」、と「平和主義」だが、それらはアメリカの国益のためだったのに、決してそうは言わず、日本国民の解放のためだと、日本国民にも信じ込ませたのです。それと同じことが、90年代の「構造改革」でも、行われた。真実はアメリカの国益のためだったが、日本の消費者のためと主張したと筆者は述べています。


二つの敗戦(1)

2017-09-28 | 読書

佐伯啓志著「従属国家論」(2015年6月PHP新書)は、興味深い視点がある本でした。日本が戦後経験した二つの敗戦、1945年の敗戦と、経済戦争ともいうべき90年代の日米交渉の敗戦について述べています。

まず、1945年の敗戦。アメリカによる戦後の日本の造られ方です。

アメリアの意図は極めて明快で、日本を非軍事化することだった。

 ところが、朝鮮戦争が勃発すると、翌年の年頭メッセージで。マッカーサーは次のように述べる。「確かに日本国憲法の戦争放棄は、近代社会の最高の理想のひとつである。しかしながら、仮に国際社会の無法状態が平和を脅かし、人々の生命を危険にさらすなら、この理想は、しごく当然の自己保全の法則に道を譲らざるを得ない。そして国連の原則の枠内で、(邪悪な)力を撃退するために、他の自由諸国とともに力を結集することが日本の責務になるだろう」。

 憲法は国の主権者が作成します。ところが、占領期庵中に日本に主権はなかった。

9条は、日本からすれば自発的に武力放棄・戦争放棄をするという理想を実現しているように見えて、実はそれを背後で繰っているのはアメリカでした。

アメリカの目的は日本の武装解除と軍事的無力化でしたがその意図は隠していた。

当時の吉田首相はこういうことは良くわかっていた。占領されている国が憲法をもつこと自体おかしいと彼は考えていた。

 しかもサンフランシスコ条約の結ばれる前に、アメリカは日本に対して憲法改正を要求してくる。1946年に平和憲法を作ったものの、その後、共産党の中華人民共和国が成立し朝鮮戦争が起き、冷戦体制に入る。アメリカはむしろ日本の再軍備を期待する。こうした流れの中で、アメリカは日本に憲法改正を打診してくる。

 しかし、吉田茂はこの要望を拒否する冷戦状況の中でアメリカは日本の再軍備を期待し国務省補佐官のダレスを日本に派遣し、再軍備を示唆する。

 吉田はそれを承諾しません。その後、マッカサーは75000人の警察予備隊の創設と、8000人の海上保安庁の増員を命じる。

 ほんとはアメリカが望んだのは、日本の再軍備だった。

 一方、吉田茂の最大の野望はできるだけ早期の講和を実現し、日本の再独立を達成することだった。

 アメリカは冷戦の中で日本を防波堤として共産主義と闘うことが問題だった。国務省は、早期講和を実現して日本を自由主義陣営に引き込むという戦略を立て、国防省は占領政策の延長を期待した。

そしてその妥協の結果が、講和条約と日米安保の締結だった。

 

 ダレスは、この交渉に際して、ともかくもアメリカが望むだけの軍隊を望むだけの期間自由に日本に駐留させることが目的だと考えていた。そして、吉田は池田勇人をアメリカに派遣し、早期講和を実現できるなら、日本側から米軍の日本駐留の希望を出しても良い、とのメッセージを託した。

 こうしてサンフランシスコ条約と同時に日米安保が結ばれる。講和条約はサンフランシスコのオペラハウスで締結されたが、その後、場所を移して陸軍第6司令部の将校集会所で日米安保が締結される。この時、米国側はアチソン国務長官、ダレスら4名が署名した。日本側は吉田ひとりが署名した。吉田は、この条約がきわめて不平等なものであることを良く知っており、その責任を自分一人で背負うつもりだった。

 この条約の第1条で、日本は、米軍を日本国内や周辺に配備する権利をアメリカに付与し、米軍は日本の安全に寄与するため使用できると規定した。

つまり、アメリカの判断によって米軍を動かすことが出来るが、決して「しなければならない」とは書かれていない。

 

 このように不平等で片務的な体制によって日本の「戦後」は始まった。きわめて不平等な安保条約により米軍に基地を提供することと引き換えに日本は「主権」を回復した。

主権とは何か。主権者の最大の義務は、国民の生命財産を守ることです。君主国の場合、君主が国民の生命・財産を守る義務がある。民主主g国ではでは。国民が自分たちで自らの生命・財産を守らねばならない。我々はそういう議論を避けてきた。日倍安保でアメリカによって守られてきたから、避けることが出来たのである。

 

 しかし、本当に回復したのだろうか。岸首相は60年の安保改正でこの片務性を可能な限り解消しようとした。

 安保条約締結された8年後条約の改定の改定が行われた。1960年5月19日、改定条約の批准後「アンポハンタイ」の国民運動が盛り上がった。岸首相からすれば心外なことだったろう。

 安保改定で、日本は米軍に基地を提供する代わりに、米軍は「日本及び極東」の安全確保の責務を負うという、双方の義務を担うことにしたのです。

その意味で、世論の動きは官僚政治家である岸の理解の外だった。

岸の辞任後登場した池田首相は、自民党に対する国民の不信をぬぐうため、国民のまなざしを経済成長に向けました。

さらにそれから50年後、鳩山首相の沖縄米軍基地問題が起きました。

 鳩山首相が辞任し、自民党に政権は戻ったが。この時、日本の防衛の在り方を憲法問題を含めて論議すべきだったが、それは行われなかった。安保条約でアメリカに安全保障という「主権」の重要部分を委託したままでした。言い換えると、アメリカからすると、日本は網化の「属国」のままでした。(続く)


信長450年の岐阜を歩く

2017-09-23 | サイエンス

22日は住宅の老人会で、岐阜市のウオーキングに出掛けました。

織田信長が、岐阜に入って「岐阜」と名付けてから今年は丁度450年ということで、記念する催しもやっているようだから行ってみようということでした。

9時半、エレベータホールに集まったのは女性3人と小生の4人だけでした。今にも降り出しそうな空模様の所為もあったかもしれませんが、4人でスタートしました。名古屋駅から行くつもりでしたが、Kさんが、金山周りの方が、乗り換えが便利というので、金山まで行ってjRに乗り換えました。10時9分の快速で岐阜駅には10時30分過ぎでした・駅前の通りを歩くと、10分ほどで最初の目的地、金(こがね)神社に着きました。

 古くから金運・財運の神社とされ、鳥居も黄金色です。年金収入しかないので、祈っても仕方ないかな、と思いつつ、もしかしたら未払いの年金があるなど通知が来ないかなと一応手を合わせました。次は「柳ケ瀬ブルース」で全国区になった柳ケ瀬です。恐竜ロボットを展示している筈でしたが、展示期間が終わったとのことで、ありませんでした。高島屋の前から映画館通りの狭い小路を通り徹明通りに出ました。ここが岐阜の目抜き通りです。市役所前を過ぎて今小町から左折。裁判所前を右折すると「みんなの森ぎふメデイヤコスモス」という一寸しゃれたデザインの建物、図書館を中核にする総合施設です。

1kmほど歩いて長良川の河川敷に降りて岐阜城を目標に歩くつもりでしたが、河川敷に降りる道に曲がるポイントを見落としました。そのまま歩いていたら、鵜飼の船が待機している長良河畔に出ました。河原の遊歩道は諦めて護国神社を目指すことにしました。

なんと、川端康成の記念碑にでました。ここで昼食にしようかと、ベン チに腰を下ろしtました。

すぐそばに「篝火の像」という銅像がある。

この辺りを舞台にして「篝火」という小説が書かれたそうで、その小説の主人公の銅像らしい。

昼食を終えて今度は「護国神社」に行こうと500mぐらい歩きました。

予想より広い神域でした。

 

最後は岐阜城に上ろうと10分歩いて金華山ロープウェイの乗車駅、往復で1080円の乗車券を求め7分ほどの乗車時間で終点。降りたらすぐお城と思っていましたが、ロープウェイを降りてからお城までは階段を10分ぐらい上がらねばなりませんでした。かなり急坂です。更に5層の天守閣にそこから登らねばならない。これはかなりきつい。

女性陣は1人が途中のレストランで登りをあきらめて「待っているわ」、2人がお城の前まで行きましたが天守閣の登攀は諦めました。

小生のみ天守に入りましたが、年寄りの頑張りを賞してか?「70歳以上は無料です」とのことでした。

帰りは「岐阜公園前バス乗り場」からバスで岐阜駅まで、金山経由で地下鉄の駅をでたら、雨がふりだしていました、我が家までは濡れての帰宅4時半でした。

年の所為か、疲れました。


[川の流れ」の裏話

2017-09-19 | 経済と世相

17日夜、テレビでBSを入れたら、秋元康のインタヴューを放送していた。聞き手は渡辺あゆみアナウンサー。意外に面白く12時過ぎまで見入ってしまった。高校時代には、東京大学を出て大蔵省に入りたいと思い、ラジオを聞ききながら、受験勉強に励んでいた。深夜放送で応募しようと書き溜めた原稿が、放送局のスタッフの目にとまり、投稿を続けていたら、「こういうのを書いてみたら」と勧められるようになった。作詞の仕事をするようになった。

「なんてったってアイドル」

「アイドルなんて呼ばないで」

こうした仕事をする過程で、ほとんど素人同然のタレントが、見る見るうちにスターになっていくのを目にしました。その経験が、AKB48をプロデユースする仕事につながったと思います。

作詞というと、詩を作ってそれを作曲家に回して局が出来ると思う人が多いのですが、私の場合、ほとんど曲が先にできるのです。曲が出来て、これに言葉をつけてくれと回ってくる。いわゆる「曲先」です。

1988年頃、ニューヨークに1年半ほど住むことになった、

この頃、美空ひばりさんの仕事があった。私の作詞ですべての曲を作り、その中の一曲をシングル化しようということになりました。私は「ハハハ」という曲をシングルにしようと思ったのですが、レコード会社の社長から「川の流れのように」をシングルにするように言う電話がかかった。

「ひばりさん“「川の流れ”をシングルにするようにと言ってきたんです」。

「ひばりさんがそうしてくれと言っている」、「何十年もひばりさんと付き合っているのだが、彼女がこんなこと言ったのは初めてだ」という。

「川の流れのように」というフレーズは、当時住んでいたマンシヨンから下を見下ろすと、ニューヨークのイーストリバーが見えていた。それを見ていたら「川の流れのように」というフレーズが思い浮かんだのです。吹き込みの後、ひばりさんは「どの川もいずれは海に入るんですね」といった。

「どんな人生もいずれは死に終わる」。特にそう意識して作詞したのではないが、ひばりさんが間もなく世を去ったので、なんとなく、そうした意味があったかのような曲になりました。

こんなうらばなしをしていました。


山本七平の思想

2017-09-09 | 読書

 「山本七平の思想」(東谷暁著、講談社新書、2017年7月)を先日丸善でGETしました。次のプロローグの言葉を読んで、これは読んでみなくちゃ、と思ったのです。

「日本人は空気で物事を決めてしまう」

「日本人は水と安全は無料だと思っている」

「日本人は全員一致にこだわる」

「胃h本人の宗教は日本経だ」

 

1970年代から80年代にかけて、山本七平は論壇を「席巻」した。

小生も、70年、初めて「日本人とユダヤ人」を読んだ時の衝撃を思い出した。

有名な「空気」という言葉も、七平が論じる以前にも使っていたのに、七平に指摘されるまで、日本人および日本の根本的な部分を照らし出す言葉だとは思ってもいなかった。

七平はこうした言葉を、まるで日本人ではなく日本社会の外部にいる人間であるかのように、きわめて冷徹な論理でえぐるように私たち日本人の欠点を言い当てている。その発言は七平は、日本人に対してアウトサイダーとして振る舞っているかのようだ。

 これは七平が、戦前において「三代目キリスト教徒」であったことに関わっている。

七平は最後まで聖書の世界と日本経の世界を行き来していたと思われる。

 

今、七平を振り返らねばならない理由を、筆者は「エピローグ」においてこうも記している。

1991年12月10日、七平は亡くなった。その時既に冷戦は終り日本のバブルも決定的に破裂していた。その後の日本は、次々襲ってくる問題の奔流の中、のたうちながら蛇行している。七平はこうした日本の姿を予想していただろうか。

冷戦の終りで、「水と安全は無料」とは思えない時代が来たはずだった。しかし、日本は外交や防衛について論ずることなく、選挙制度の変更に血道を上げた。

ベンダサンの名で日本人に警告した日本人の安全保障に関する感覚は、いまも「水と安全は無料」。中国が巨大な軍事力を備え、北朝鮮がミサイルと核兵器の実権を繰り返しても、国民の意識転換は見られない。

七平は既に1979年、機能的組織とコミュニテイ組織が合体した日本企業の強さは、局面が代わると、それがそのまま弱さに転じると指摘していた。しかし日本企業は「日本的経営」が終わったとみるや、こんどは「アメリカ版コーポレートガバナンス」に飛びついただけだった。形式的な「改革」にまい進した日本企業の多くが、アメリカ型の経営を本当に実現することなく、かつてはあったコミュニテイ的な組織の強みも毀損されるに任せた。

 日本的経営が生き詰まったという「空気」は、新しい現実に目を向けるべきだという「水」を呼び起こしたが、いつの間にかアメリカ型経営にしないと日本は滅びるという、せっぱ詰まった「空気」に転じた。気がつけば日本の大企業が、創造的会計やM&Aの失敗といった、半端なアメリカ型経営の導入によって生まれた不祥事で、海外への身売りを余儀なくされている。

 政治についても同様で、小泉政権の改革につかれた国民は、新しく結成された民主党に希望をつなぐような「空気」になったが、この新しい「水」は東日本大震災というまさに「水」で雲散霧消したが、今度は原発事故に対する責任者批判という「空気」が急速に成長した。日本国中が電気は自然エネルギーから作るべきだという「空気」に覆われる。

ところが日本経済がデフレから脱却できず低迷すると、日銀が宣言してインフレにすれば日本経済が立ち直るという危うい経済学説が新しい「空気」になって、奇妙なことにこんどは原発を積極的に推進する安倍政権を生み出す。

 この圧倒的な「空気」に見えたインフレターゲット政策が、じつは機能しないことがわかると、内閣府顧問だった著名な経済学者が間違いをあっさり認め、財政出動をすればインフレになるという。

 七平が将来の存続を案じていた天皇制にも、新たな局面が生まれている。5年ほど前から今上天皇は、譲位の可能性を語っていたが、宮内庁内での「ご内意」に留まっていた。この段階で内閣は、宮内庁から情報を得て動いていなければならなかった。憲法に従えば国事行為とそれに準ずる公的行為については内閣が最終的に責任を負うことになっていて、「助言と承認」あるいは「補佐」をしなくてはならない。それが出来なかった安倍内閣は大失態をおかしてしまったことになる。


宇宙は何でできているか

2017-09-07 | サイエンス

宇宙の話をしましょう。「宇宙は何でできているか」(村山斉著、幻冬舎新書)という本を先日丸善で手に入れましたが面白い話題が満載でした。

 「宇宙は爺刻々と脳長している」ということは2003年に分かったそうです。もっと前からわかっていることと思っていましたが、最近の天文学の成果なんですね。

その「宇宙の膨張」なんですが、加速膨張しているそうです。これって不思議ですね。たとえば、ボールを空に投げ上げた場合、手から離れた時が速度が最も早く徐々に減速し一番高くなった後は落ちてきます。当然のことですね。手を離れた後、ボールを押す力がない限り減速はあっても加速はない。加速させようとするなら、ボールを加速する力を加えねばなりません。宇宙だって、加速させない限り膨張する速度が上がることは無い筈です。何が宇宙の拡大を加速させているか。宇宙空間で重力がどのように分布しているか調べれば、加速させている存在が判明すると、天文学者は考えて、宇宙の重力分布図を作成しました。

「重力レンズ効果」、光が天体などの重力により曲げられて観測者からの見え方が変わる効果ですね。アインシュタインが、日食時に太陽近くの星の位置を観測すれば位置がずれる筈と予言したことで一般相対性理論の正しさを証明したことは有名です。

この重力レンズ効果を観測すれば宇宙の重力分布がわかる。

重力は物質の存在するところにありますから、重力の分布を調べることは物資の分布を調べることになります。重力分布図を調べると、我々から見える物質以外の物質が沢山存在することがわかりました。その見えない物質を「暗黒物質」と名付けましたが、宇宙は「暗黒物質だらけ」だったのです。

 宇宙が何でできているかを天文学者は宇宙のエネルギーの構成比で示しました(質量をエネルギーに換算して)

 星と銀河 0.5%

ニュトリノ 0.1~1.5%

普通の物質(原子)4.4%

暗黒物質    23%

安国エネルギー 73%

反物質 0%

暗黒場[ヒグス] 1062%??

というのです。「万物は原子でできている」と昔、学校で習いましたが、実は、「原子以外のもの」が約96%を占めている。それは何かはまだわかっていないが、名前だけはついている。

例えば暗黒物質(ダークマター)です。原子でできていないという。この本に書かれていることから推量すると、どうやら素粒子らしいのですが、良くわかりません。謎です。

第1章の最後に筆者はこう書いています。

「宇宙にはまだまだ謎が沢山ある」。20世紀の尾張から21世紀の初めにかけて、これだけ「わからないことがある」。とわかったこと自体現代物理学の成果です。


閉じてゆく帝国と逆説の21世紀経済(2)

2017-09-03 | 読書

2013年3月20日、黒田東彦が日銀総裁に就任し、4月5日、国債購入額を2倍の60兆円にする「異次元量的緩和」に踏み切りました。その際「逐次投入」はしないと大見得をきったが、2014年10月には国際購入額を年80兆円にしました。量の拡大が困難になると、2016年1月にマイナス金利付き量的・質的金融緩和」しました。

 金融機関の所有する国債の多くは、国民や企業が金融機関に預けたお金をもとに購入されるのですから、国際のマイナス金利化とは、国民の側から見れば、金融資産を少しずつ削り取られることを意味し、実質的に資産課税に等しい。本来、国家の徴税率を決めるのは国会で、国会での議決を経ずに徴税権を日銀が手にしたと言える。

中央銀行が徴税権をなし崩し的に手に入れることは、民主主義の崩壊です。

そもそも中央銀行は貨幣価値の維持が本務なのに、「物価を上げる」と主張するのは、奇妙です。物価上昇をさけぶ日銀は困ったものだと考える一般国民は多い。日銀のアンケート調査でも「1年前と比べて物価が上がったと考えた人(7割)に、その感想を聞くと「8割第雄人が「どちらかといえば困ったことだ」と回答している。日銀は生活者の立場にたっていないのです。

 

 「テロとゼロ金利」の常態化は国民国家と資本主義からなる近代というシステムが機能不全になっていることを示す。これを直視せず成長至上主義にしがみつこうとすればするほど社会の秩序は崩壊に向かう。

 成長は近代の産物で、近代システムが盤石であるためには、利益を獲得する空間の存在が必要です。空間が無限でなければ、利益獲得空間がいつか限界になり、システムは転換を求められます。

1970年代後半に国民主権国家と資本主義の限界が明らかになり、その後21世紀に突入した後の世界にはアメリカ金融・資本帝国とEU帝国と言うふたつの「帝国」が登場しました。アメリカもEUも公式に「帝国」を名乗っているわけではないが、非公式の「帝国」です。金融空間を拡大するには、他国の金融制度にも金融制度の在り方に干渉せざるを得ない。公式であれ、非公式であれ、他国の内政干渉をするのが、帝国主義です。

 アメリカ金融資本帝国が完成したのは1995年。国際資本の完全自由化が実現し、ルービン財務長官によって「強いドル政策」が打ち出されました。これは、ニクソン大統領が1971年にドルと金のリンクを断ち切って以来のドル安から一転、ドル高に舵を切ることで、世界中のマネーをアメリカに集中させる政策です。

これに脅威を感じた欧州は、EUを立ち上げました。1979年、欧州通貨制度の導入に踏み切り1992年、マーストリフト条約でEUが創設され、1999年にはユーロを導入、通貨統合も完成させました。(欧州に限定され土地に立脚しているという点では、旧帝国です。)

 

アメリカ「帝国」は、土地に制約されず「電子・金融空間」に立脚することで、「無限空間」を前提とする新帝国です。

国境なき「電子・金融空間」の中で資本家や巨大企業のおりなすネットワークは、もはやアメリカ金融・資本帝国というよりアメリカという土地に立脚しない無国籍の「資本帝国」と呼ぶほうがふさわしい。

 そして資本帝国は、その誕生地であるアメリカの国民すらも帝国の臣民にしようとしている。それに対する謀反が2016年のアメリカ大統領選挙だった。

 それに対してEUは、アメリカ「帝国」に対抗すべく構想されましたが、・・・・・

「結論を、一言でいうと、世界の経済構造が変わっているから、従来の経済構造を前提に考えられた政策は成功しない。その世界の経済構造が変わった証左が、ここ数十年続いているゼロ金利である。

 

「麦わら帽子」(喫茶店)に行き週刊文春(8月31日号)を見たら、宮崎哲也さんのコラムが面白い。

アベノミクスは成功しているというのです。

去る6月19日IMFが年1回の対日審査を終え日本経済の現況について声明を発表した。フィナンシャル・タイムズはこれについてアベノミクスは成功と報じた。2012年の『導入以来、企業利益の増加、雇用と女性の労働参加率の引き上げに成功している。見本経済は過去5四半期連続で潜在成長率を上回る成長をとげてぃる。民間消費の伸びは2016年にプラスに転じ、民間投資も増加した。失業率は過去最低水準に低下し、有効求人倍率は過去最高水準になった。』ところが、日本のメデイヤは報じていない。

FTの5月1日の社説は「アベノミクスは失敗しておらず、打ち止めにするどころか継続すべき政策だ。」

「成功への障害がいくつもあった中で、もっとも深刻な障壁として達はだかったのは、安倍政権自身の失策だった。それは消費税の5%から8%への増税だ。」

「理論上、アベノミクスは積極財政による景気刺激策を含むはずだったが実際には、それは2013年しか行われなかった。この4年間日本は財政を大はばに引き締めた。予想通り物価上昇に向かう勢いは失速した。

「安倍氏が4根に錠も首相として権勢を誇ってこられたのは、経済に展望をひらいているからだ」

「安倍氏は経済対策に集中すべきだ・」

 

宮崎さんのこの評価を水野さんの所説とくらべると、アベノミクスは、アメリカの金融・資本帝国への対応を目的と考える、即ち、輸出企業の輸出能力の増強で対応できると考えるのなら、成果を上げていると評価できるのではないでしょうか。


「閉じてゆく帝国と逆説の21世紀経済](1)

2017-09-02 | サイエンス

水野和夫さんの「閉じてゆく帝国と逆説の21世紀経済]

(集英社新書、2017年5月)を丸善で購入してきた。

始めに「後書き(終わりに)を見たら、こういう言葉に出会いました。

「エネルギー源の性格は社会を規定します。化石燃料は莫大なエネルギーを集中的に発生させることが可能であり、現代社会はそれを仮定して出来上がっています。この時代を「後で人類が振り返った時、人々は近代と呼ばないでしょう。おそらく化石燃料時代と呼ぶでしょう。」

「エネルギーの限界が先にくると、「近代主義は続き」「そこで資源争奪の争いが、人類が経験したことのない規模で起こるでしょう。」

しかし、近代資本主義の「メカニズムの限界が先に見えてくることは人類にとって大変ありがたいことだ」

 

これを読んで、司馬遼太郎さんが、似たようなこと言っていたっけと書棚から「アメリカ素描」(新潮文庫)を持ってきました。

「いまはエネルギーに飼いならされてしまい、いまや人類の生命そのものを託してしまっている。

「エネルギーがなくなったら、人類は死滅するでしょうね」と、10余年前対談の時そういわれたのは向坊隆博士だが、その後、私は人類のはしくれとしてそのことがずっときがかりだった。

考えるよりも、カリフォルニアに来て典型をみたほうがてっとり早かった。ここでは大地に人間が載っているのではなく、エネルギーの上に載っているのである。さらに奇妙なことに、ここの人間たちは、一方でエネルギーを使いつつも、一方ではエネルギーをくみ上げてもいる。高速道路わきににさえ油井があり、米つきバッタのようなくみ上げ機が動いているのである。

みようによっては現代文明の頼もしい象徴だが、見方を変えれば地球を食うことによって全世界に食糧をくばれるだけの農業を成立させている。(司馬遼太郎アメリカ素描)

化石燃料に頼る資本主義時代がもう終わり近づいている。化石燃料時代の終りの前に資本主義の終りが来る、その証左が近年の超低金利であると筆者は言いたいようだ。

何故金利が上がらないか。投資対象の消滅が資本主義の限界を示します。

例えば、コンビニで最も成功しているセブ・イレブンの場合、1日平均客数(店舗当たり)は1057人(2016年2月期)コンビニ1店舗当たりの世帯数は963ですから1世帯必ず1人がセブンイレブンに来店している。これ以上新規店舗を増やすと、隣接のコンビニ店の売り上げを減らす。実際、1日平均客数は2008年に1013人と1000人を超えたがその後は1000人台で横ばいです。

要するに利益の得られる投資対象が減ってきたからです。

資本主義は、資本が利益を生み出し増殖するから成立します。ところがゼロ金利が近代資本主義の限界を示しています。」

 

日本のゼロ金利は、5000年にわたる「金利の歴史」のなかでも特筆すべき異常な出来事です。17世紀以降、金利の急騰は4回あり、いずれも戦争の時期です。

 5%以上の金利は「戦争」という例外状況の時実現し、2%以下となるときは、資本主義にとって投資先がないという「例外」なのです。

 政府も日銀も「例外」であるゼロ金利の意味を考えようとせず、あくまで常態(たとえば消費者物価2%以上)に戻そうと躍起になっています。まさに、ゼロ金利が近代資本主義の限界を示しているのです。

日本の金利が常態の上限5%を下回ったのはバブル崩壊直後の1992年、下限の2%を下回ったのは1997年。この間わずか5年でした。この「平時」の時期日本は一人当たりGDP(ドルベース)世界三位を5年連続維持できました。

 戦後の日本の歴史を見ると、第二次世界大戦後1992年まで日本の金利は「平時」の上限である5.0%を超えていました。アメリカで金利が5.0%を超えていたのは、ベトナム戦争がはげしくなった1967年から2001年までの間でした。つまり、日本は第二次世界大戦からソ連解体までの「冷戦時下」で高金利、高度成長を実現しました。米ソ冷戦が終わったとき金利は「平時」の水準に戻ったのです。(続く)