5月26日から27日、友人と一行4名で高野山に旅行に出かけました。以下、その紀行記ご笑覧ください。
10時、名古屋駅集合。Mさんの車で、名古屋西ICから東名阪に乗りましたが、誤算がありました。昨日からリフレッシュ工事が始っていたのです。インター入り口から渋滞。でも、工事をしていたのは名古屋と出口の亀山部分だけでしたので、途中はそれほどでもなかった。
「東名阪と西名阪の間は、高速はまだつながってない?」とMさんに聞くと
「一般道です。でも高速と同じような一般道です」
亀山を通過すると、国道25号線に入る。Mさんの言ったとおりだった。全く高速と同じつくりで、信号無し。道路わきに時速制限60kmの表示が出ているのに、どの車も80km以上で走っている。料金がないから、これが本当のフリーウェイだ。
「こんな道で、60kmで走っていたら危険ですよ。60kmで走っていないことが分かっているのに、60kmの表示だけ出しとけばいい、ということらしい」とMさん。
天理を通過して西名阪に入る所で料金所。「一般車400円」と表示されているので、「先払いなの?」。でも、西名阪がどこまで行っても400円はあり得ない。「どうなってんの?」
それでも400円払って、500mほど行ったら、「郡山IC出口」の表示「ここだよ」
「なーにこれ?500mで400円なの?此処で出て正しいの?」と車を止め、後続車に「橿原方面はこの方向で良いんですか?」と聞くと「そうです。」
R24を行けば良いと、一般道を走るが、このR24、表示が分かりにくい。所ところで分岐があるのだが、分岐のどちらもR24の表示がある。後になって分かったが、高速道を作っているのだが、部分的に出来ていて、その細切れ高速道をR24として開放しているらしい。つまり、従来の一般道のR24と、部分的高速化されたR24があるのだ。それならそうと表示してくれないと、初めて来たドライバーには分からない。
昼食を取る。橿原を経て御所(ごせと読む)市から五条市。橋本市に入ると和歌山県。ここからR370に折れて高野山に向かう。九度山(くどやま)町が高野山の麓。麓で「高野山22km」の表示。「22kmもあるの?」、「800mも上がるのですから22kmあるのです」とMさん。
九十九折の山道を上がりきって、大門が見える。過ぎると、忽然として平地が開けて町並みがある。高野山町は4時前到着。町を通り抜け、中の橋駐車場に車を置く。ここに奥の院への参道がある。
大勢観光客が歩いていた。私たちも、参道を登り始めると、両側にびっしり墓や慰霊碑が立ち並んでいる。「シロアリ」の慰霊碑まであった。シロアリ駆除の業者団体が建てたもの。企業の慰霊碑も立ち並んである。「日産自動車」や「シャープ」の物故従業員の慰霊碑もあった。しかし、やはり目を引くのは、史上の有名な人物の墓だ。豊臣秀吉はもちろん、浅野内匠頭や四十七士の墓も。大名の墓には鳥居のあるものもあった。
「これ(高野山にお墓を作ること)って、ステータス・シンボルになっているんじゃない」と私が言うと「そうですねえ」とSさんが頷く。
墓々の間に芭蕉の句碑がありました。
「父母の しきりに恋し 雉子の声」
(続く)
10時、名古屋駅集合。Mさんの車で、名古屋西ICから東名阪に乗りましたが、誤算がありました。昨日からリフレッシュ工事が始っていたのです。インター入り口から渋滞。でも、工事をしていたのは名古屋と出口の亀山部分だけでしたので、途中はそれほどでもなかった。
「東名阪と西名阪の間は、高速はまだつながってない?」とMさんに聞くと
「一般道です。でも高速と同じような一般道です」
亀山を通過すると、国道25号線に入る。Mさんの言ったとおりだった。全く高速と同じつくりで、信号無し。道路わきに時速制限60kmの表示が出ているのに、どの車も80km以上で走っている。料金がないから、これが本当のフリーウェイだ。
「こんな道で、60kmで走っていたら危険ですよ。60kmで走っていないことが分かっているのに、60kmの表示だけ出しとけばいい、ということらしい」とMさん。
天理を通過して西名阪に入る所で料金所。「一般車400円」と表示されているので、「先払いなの?」。でも、西名阪がどこまで行っても400円はあり得ない。「どうなってんの?」
それでも400円払って、500mほど行ったら、「郡山IC出口」の表示「ここだよ」
「なーにこれ?500mで400円なの?此処で出て正しいの?」と車を止め、後続車に「橿原方面はこの方向で良いんですか?」と聞くと「そうです。」
R24を行けば良いと、一般道を走るが、このR24、表示が分かりにくい。所ところで分岐があるのだが、分岐のどちらもR24の表示がある。後になって分かったが、高速道を作っているのだが、部分的に出来ていて、その細切れ高速道をR24として開放しているらしい。つまり、従来の一般道のR24と、部分的高速化されたR24があるのだ。それならそうと表示してくれないと、初めて来たドライバーには分からない。
昼食を取る。橿原を経て御所(ごせと読む)市から五条市。橋本市に入ると和歌山県。ここからR370に折れて高野山に向かう。九度山(くどやま)町が高野山の麓。麓で「高野山22km」の表示。「22kmもあるの?」、「800mも上がるのですから22kmあるのです」とMさん。
九十九折の山道を上がりきって、大門が見える。過ぎると、忽然として平地が開けて町並みがある。高野山町は4時前到着。町を通り抜け、中の橋駐車場に車を置く。ここに奥の院への参道がある。
大勢観光客が歩いていた。私たちも、参道を登り始めると、両側にびっしり墓や慰霊碑が立ち並んでいる。「シロアリ」の慰霊碑まであった。シロアリ駆除の業者団体が建てたもの。企業の慰霊碑も立ち並んである。「日産自動車」や「シャープ」の物故従業員の慰霊碑もあった。しかし、やはり目を引くのは、史上の有名な人物の墓だ。豊臣秀吉はもちろん、浅野内匠頭や四十七士の墓も。大名の墓には鳥居のあるものもあった。
「これ(高野山にお墓を作ること)って、ステータス・シンボルになっているんじゃない」と私が言うと「そうですねえ」とSさんが頷く。
墓々の間に芭蕉の句碑がありました。
「父母の しきりに恋し 雉子の声」
(続く)