古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

ガールフレンド

2008-11-28 | 水泳
一週間ほど前、いつものプールに、いつもより遅く4時頃出かけました。バタフライで泳いでいると、向こうから女性スィマーがバックで泳いできます。すれ違う時は、腕が当らないようキックだけで進み、すれ違った後腕を回すのですが、この時、目測を誤って、回した手が、彼女の回す腕にバシャンと当たりました。向こうは前が見えませんからね。
“仕舞った”と思いましたが、そのまま泳いで、ターンして戻ると、彼女が壁際で立っていました。
「ゴメンナサイ。腕が当ってしまって」とあやまると、「いえ、私の方こそ」。
そこから、話が始まりました。
彼女「貴方、バタフライが巧いね。50m泳いでくるもの。私はバタは25mしか泳がない。見ていると、貴方はバタが一番早く泳ぐよ。バタが得意なの?」
「得意というわけではないのですが、大会にはバタで出ます。他の種目ではメダルが貰えないですから」。彼女、私の水泳キャップを見て、「あ、名古屋マスターズに出たのね。私も出たのよ。このキャップは1位でもらったの」と、自分の水泳帽を指差す。
見ると、私の帽子と同じ図柄が描かれている。ただ材質が、布でなく、ゴム?ビニール?
「私は、1位と2位だった。これは一位の帽子だけど、2位の帽子も家にある。貴方は何に出たの?」
「100mバタで2位」
「100mも泳いだの?」
「9月のレインボーでは、バタで200m、100mでした。70歳過ぎですから、100m以上泳げばドベでもメダルですから」
この後の彼女の言葉に驚いた。
「70過ぎなの。若いわね。私は83歳よ」と、「あっはは」と笑い方が豪快だ。
(大会に出場するたび出会うH先輩は「NOZUEさん、若いなあ、俺より10年も若い」というが、それ以上だ。)
「レインボーでは貴女は?」」
「私、9月はイギリスに行っていたから出なかったの。で、バタは毎日何mぐらい泳ぐの?」
「最近はプールに来る度、1300m泳ぐのですが、4種目均等に泳ぎますから、バタも325mですね。」
「バタを泳ぐ人、腕の筋肉が盛り上がっているよ。貴方もバタ泳ぐのならもっと肉を付けた方がいいけど、それだけ泳いでいたら、肉が付く暇無いね。」
「肉を付けたらマラソン走れなくなる」
「マラソンもやってるの。私も学校の頃は、陸上やってた。ハイジャンプとリレイ。リレイはいつも第一走者だった」。短距離タイプらしい。
そこへ、私の最高齢のガールフレンドNさんがやってきた。
「ああ、Nさん」
「Hさん、久しぶりね」
83歳と85歳だから、昔はライバルだった?
その後、泳ぎながら、Hさんの泳ぎを見たが、平泳ぎのフォームの見事なことに感嘆!とても83歳には見えなかった。
帰宅後、今年の名古屋マスターズの選手名簿を見て、千種区のMasako.Hさんと知った。50m平泳ぎと50mバックに出ていた。
後期高齢者のガールフレンドが、もう一人できました。

麻生首相の失言癖

2008-11-20 | 経済と世相
 麻生首相の失言が続きます。
 今秋の自民党総裁選挙の際、名古屋市で遊説した麻生さんは「8月の集中豪雨が、岡崎で良かった。名古屋であったら大変だった」と演説した。岡崎市の議会が激怒して抗議文を突きつけるという出来事があった。

この人の失言癖は治らないらしい。今朝の報道では、

『麻生太郎首相は19日、官邸で開かれた全国知事会議で、地方で医師不足となっている現状に関連し「自分で病院を経営しているから言うわけではないが、医師の確保が大変なのはよく分かる。(医師には)社会的常識がかなり欠落している人が多い。ものすごく価値観が違う」と発言した。』

失言が国内問題の時には、国内だけに問題は留まるが、国際問題になると、厄介だ。

 (高村薫、18日中日夕刊)によると、

『アメリカの価値観を大きく変えるだろうその大統領の登場について、日本の首相の弁は、「どなたが大統領になろうと、日米関係の重要性には変わりは無い」という一言だった。これは、アメリカの変化を変化と認めないということか。それとも、たんに変化を予見できないということか。』


 日米欧と新興国の20カ国・地域(G20)による緊急首脳会合でも、妙な発言をした。

「米ドルの機軸通貨を維持すべきだ」と演説をしたらしい。

18日の中日朝刊の報道では。

『「これは歴史的な集まりだ」。英国のブラウン首相は15日、金融サミットを終えるとカメラのほう列の前で顔を高潮させた。・・・第二次世界大戦後に米国のドルを機軸通貨とする国際金融体制をつくった「ブレトンウッヅ体制」の見直しをぶちあげていたからだ。・・

 会合の呼び掛け人であるEU議長国フランスのサルコジ大統領は「ドルはもはや唯一の機軸通貨ではない」と言い続け「市場が常に正しいという米国流の考えはおかしい」と批判しワシントンに乗り込んだ。

 首脳宣言はEUが主張した「すべての金融機関・金融商品」の規制監督を盛り込む一方で、米国の意をくんで「競争や技術革新を阻む過剰な規制を避ける」ことも求めた。

 英仏首脳らが金融危機対応で主導権を握ろうとしたのは、今が暴走する米国流の金融資本主義を押さえる千載一遇の好機と映ったからだ。市民の間にも行き過ぎた市場主義には不安が高まる。』

 今回の世界金融危機は、米ドルを機軸とする世界経済システムの行き詰まりを意味している。次の金融システムを、いかに自国に有利なシステムとするかに、英仏の首脳は躍起になっている。だから、必ずしも英仏の主張に日本が同調する必要はないが、現在の米ドル機軸通貨制ではやっていけないという認識から、今回の金融サミットが開かれた。その時、麻生首相は敢えて「米ドル機軸通貨制の維持」を説いた。いかなる成算があってのことだろうか。

定額給付金のはなし

2008-11-15 | 経済と世相
 「定額給付金」の内容が決まったそうです。でも、不思議なことがあります。

先日、D社のOBの旅行会に行ったときです。O先輩と話しました。

「あんなもの当てにしてはいかんのだけど、給付金を当てにしてるの」

「一人1万5千円でしょう」と小生。

「いや、一人1万二千円に子どもと65歳以上は1万円加算されるそうよ」

と、先輩は言いました。

 与党の決着内容だと、「一人1万2千円に、子供と65歳以上8千円加算」です。

 加算額が1万円と8千円の違いだけで、O先輩の言ったとおり。一体どうして、O先輩に給付金の配分が、2週間前に分かったのでしょう。

 以下は小生の推論です。推論ですから当っているかどうかは保証しません。

 O先輩は、創価学会員ではないけれど、近くに創価学会の会員がいて、「今度、公明党が頑張って、給付金が国民に配られることになりましたよ。ひとり1万二千円で、子どもと65歳以上は1万円加算して給付されます。総選挙では公明党をよろしく」

(これって国費による選挙の買収じゃないの?)

 もともと、この「定額給付金」は公明党が「定額減税」を自民党に要求したことから始まりました。自民党は、「減税」などもっての外と思っていましたが、総選挙は公明党の応援が無ければ勝てない。やむなく受け入れることにしたが、1年だけの例外措置にしたい。「税制の改革でなく、一時金にしてくれないか」と、公明党と折衝。公明党が受け入れた。この時点で、公明党は、給付一時金の配分案を決めて、それが創価学会の会員に流れた。

 政治折衝で妥協した給付金ですから、その目的は「生活支援なのか、景気回復なのか」、自民党に聞いても「そんなことは、公明党に聞いてくれ」。

 給付金の性格が分かってないから、与謝野大臣が「何千万円も収入のある人にも支給するのはおかしい」と言い出すと、論理的な説明が出来ない。減税なら、どんな高所得者も対象になるのですが、・・・ 

 私は、定額減税なら大賛成です。というのは、ここ10年来、税制は(社会保障負担も含めて)低所得者に厳しく、高所得者に有利な制度改正ばかりやってきました。ですから、この辺で低所得者に有利な税制に舵を切りなおさないといけないと思っているのです。

 税制には、高所得者から低所得者に所得移転をすることで、所得配分の平準化を図るという機能もある筈です。

 ところが、1年だけの一時金にしたのでは何の意味も無い(と言っても、支給されれば、遠慮なく受け取りますけど)。景気回復に役立つような金額でもないし、生活支援なら、もっと他に手があるでしょう。たとえば、4月だけ実施したガソリン税を下げるとか。

 それにしても、所得制限も事務のやり方も、自治体に押し付けとは、いかにも無責任。

 今回の給付金で分かったことは、「2兆円ぐらいの金ならいつでも政府は出せる」ということ。消費税など上げなくても良いのでは?

お金を使うのがもったいない

2008-11-14 | 経済と世相
数日前のNHKニュースで、【7日、法務省発表の犯罪白書。「65歳以上の高齢者の犯罪が、20年前に比べ4倍以上になった。高齢者の人口はその間2倍に増えてはいるが、・・その犯罪の動機に「お金を使うのがもったいない」というのが多い】という報道を聞いた。 お金を使うのがもったいないということは、使うお金を持っているということだ。お金がなくて、犯罪に走るというのは分かるが、お金を持っていて犯罪に走ると言うのは、分からないな、と思いました。

 9日、中日の「中日春秋」欄がこの問題を取り上げていました。

【どんな犯罪が多いのかといえば、断トツで万引き。検挙者全体の約半数を占めた。・・・「お金を使うのがもったいない」と、コンビニでおにぎりやサンドイッチをしばしだ万引き・・・】万引きが高齢者の犯罪で多数をしめて、その万引きの動機は、「お金を使うのがもったいない」ということだったのです。

 春秋子は尚こう続けていた。

【厚労省が同日発表した「就業形態に関する調査」の結果も衝撃的だった。パートや派遣など正社員以外の労働者の割合が昨年は37.8%と、4割間近になった。・・・】

【公表のタイミングは偶然の一致だろうが、二つの鏡に映し出された日本社会の姿はどことなく似ている。】

 同じ7日、中日夕刊のコラムに【円相場が90円/ドルに急伸、円が独歩高になったとき、名古屋市中心部の外貨両替専門店に長蛇の列、終日、人は途切れなかった。90円割れを予測するエコノミストもいたが、「今が買い時」と判断した主婦ら押しかけた。ドルやユーロなど主要外貨を買いあさり、しまいには豪州ドルやニュージランドドルまで売り切れ。ベテラン銀行マンでも「見たことが無い」光景となった。

ところが、だ。わずか数日後に為替が円安方向にふれると、列はしぼんでいた。】と書かれていた。このコラムも、7日というタイミングは偶然の一致でしょう。

 しかし、日本社会の『格差』は、おそるべき状態になっているのでは?


 先日来、紹介していますクルーグマンの著書、今日読み終わりました。米国社会がこんな状態になっていると嘆いているのですが、そこに描かれている米国社会の問題点が驚くほど日本社会と似ているのです。

「社会保障の予算額は容赦なくカットするが、高額所得者の相続税は低減する。」

「高額所得者に富が集中し、その高額所得者が減税の恩恵に浴している。」、「低所得者を増税し、一方高所得者は減税する。」

「“人生における成功は個人の能力とやる気によるもので、父親が誰かによるものではない”本当にそうか、政権の座にある人に聞いてみたい。」・・・

これって、日本について言っているのでなく、米国について言っているのです。

 米国は、もともと格差の大きい社会です。その米国と同じ政策をとれば、日本も『格差社会』になるのも不思議ではありません。

グリーンスパンの評価

2008-11-08 | 経済と世相
 11月5日中日夕刊の「大波小波」のコラムにこんな記事。

 【経済危機を生んだ米金融当局の責任をめぐって、一昨年まで18年間余り連邦準備制度理事会議長の座にいたグリーンスパン氏が米下院委員会に呼ばれた。査問並みの厳しい追求だったと米紙は伝えている。

 問われたのは、金融混乱の原因を作ったサブプライムローンや債務を金融機関間で保証する金融商品を野放しにした咎だ。議員側は「あなたには無責任な貸し出しを止める権限があった。そのツケを米経済は払わされているのだ」と迫った。

 同氏は住宅バブルの見通しの誤りを認めたうえ「銀行のリスク評価の能力を読み違え、彼らが自己利益を考えて行き過ぎを自制すると思ったのが誤りだった」と反省を語った。

 日本のバブル経済発生とその退治で、日銀の副総裁、総裁を務めた三重野康氏も同じような意見を言っているのが興味深い。同氏は「銀行間の競争が健全な市場原理が働くシステムにならず、リスク管理が不十分で、(不正を防ぐ)コーポレートガバナンスも不備だった」と記している。両中央銀行総裁とも「銀行を信用したのが間違いの源」との思いのようだ。銀行は信用が売りだったのだが・・・】

 かつて、「神様、仏様、グリーンスパン様・・」だったのが・・

 さて、クルーグマン(今年度経済学ノーベル賞受賞)さんの本『嘘つき大統領のデタラメ経済』では、グリーンスパンをどう評価しているのかな?とのぞいてみると、2002.9.3付け『FRBと日銀の言い訳』というコラムがありました。

【共産主義が崩壊する数年前、私はなにかで最適なる計画経済に関する協議について読んだことがある。ソビエト代表団によると、計画局は状況が許す限り最善の努力を尽くしてきたという。したがって、ソビエトの計画経済は常に最適なものだったという。】

【アラン・グリーンスパンは、そのソビエトの役人と実に意見が合ったに違いない。グリーンスパンはFRB議長として、金融市場の巨大なバブルに自分は何の責任もないと主張している。彼の政策は正しかったと言っているのである。なぜなら彼自身の最善を尽くしたからだという。】

【グリーンスパンのコメントは、過去数ヶ月私が抱いてきた心配を深めている。後から後から増え続ける経済問題に対して、FRBの高官は行動ではなく、言い訳で応じようとしているのではないかという心配である。】

【我々は同じようなことが日本でもあったことを見てきた。最初、日銀の高官は、日銀には景気停滞と戦う責任はない。日銀に課せられた唯一の責任は、物価を安定させることだけだと主張していた。その後、インフレがデフレに変わっていくと、物価の安定さえ日銀の責任ではなくなった。つまり、言い換えるなら、日本の経済問題を解決しようと努力し、失敗するかもしれないリスクを取るよりも、日銀は繰り返しその責任を定義し直すほうを選んできたのである。】

銀行も銀行ですが、中央銀行総裁もまた中央銀行総裁ということですか・・・

那須塩原マラソン紀行(2)

2008-11-06 | マラソン
 3日、朝食後、支度をして茶の間に行くと、TVを見ていた奥さんが「フランク永井が死んだそうですよ」。10月27日、肺炎で死去していたとのこと。昭和は確実に遠くなりつつある。小生は、「有楽町で会いましょう」より、「なんで泣きはる、泣いてはる。・・・女であること ああ夢みる」の「こいさんのラブコール」が好きだ。閑話休題です。

 8時ごろ、Kさんの車で会場の黒磯運動場へ。駐車場が満杯です。整理員の誘導で一番遠い第4駐車場に車を置き、受付に行く。

 受付票をスタッフに渡すと、ゼッケン、ランナーズチップ、選手名簿を渡しながら「ああ1155番はシルバー賞です」と賞品をくれた。

 戴けるものは総て戴きますと受け取り車に戻り、選手名簿を見る。ハーフは1013名のエントリー。年齢を見ていくと、最高齢者は73歳の1名、72歳の小生が二番目の高齢者だ。「シルバー賞」(ASICSのブランド名が入ったタオルでした)を戴けたわけです。

 ゲストランナーは市橋有里さん、シドニー・オリンピックでQちゃんと走った選手だ(15位)。滋賀県の土山マラソンでゲストランナーで来ていたと思い出す。現在、地元宇都宮に住んでいるとのこと。多分、ハーフでなく5kmに出場だろう。

「あ、今年はコースが変わった」と名簿に付いている地図を覗き込んだKさんが言う。「アウトレットが出来たんですよ。アウトトレットに入る車の規制が難しいのでコースを変えたのですね。これだと、前半ずうっとだらだらの上り坂ですよ。

私の家の傍を通らないから、途中でコースをそれて一旦帰宅し、自転車でここに来ます。帰りは自転車をこの車に載せられますから。ゴールでお待ちしています。」


10時スタート、走り出しました。10分ぐらいでKさん(スタート前トイレに行ったので最後列からスタート)が追いついてきた。私の前を先導するように走ってくれた。途中で棄権するつもりなので、私のスピードに合わせて走ってくれる。ペースメーカーだ。

Kさんは7km前で走るのを止めて「ゴールで待ってます」とコースを離れた。

8kmで第1給水所。たいした勾配ではないが、上り坂が9km辺りまで続く。お天気が良ければ遠くの山並み綺麗だろうが、あいにく曇っている。雨にはならないだろうが・・・

10kmを1時間4分、「20kmが2時間8分か、2時間15分かかるかな?」

ところが後半は下り坂が多い。折り返しコースでなく、周回してフィニッシュのコース、14km地点で第2給水所。走り続ける。持久力は大丈夫!18km前に第3給水所。フィニッシュはスタートした運動場を4分の3周してゴール。ゴールの時計は2時間8分48秒を指している。やはり後半の下りでタイムを稼げた。

ともあれ完走できました。これで栃木県では3回走りました。足尾銅山マラソン(H1年6月)、佐野シテイマラソン(H9年12月)、そして今回の那須塩原マラソンです。

「完走証は?」と聞くと「後日郵送です」。汗が引くと急に寒くなってきたから気温は、放送はなかったが、12~13度か。気温が低ければ、まだ2時間10分は切れるなと思った。

Kさんが「早かったね」と、ねぎらってくれる。車に戻り、後部座席で着替えが済んだと思ったら、もう那須塩原の駅に来ていた。

Kさんにお礼を言って別れ、13時1分の宇都宮行きに乗れました。

4時前東京駅、16:03のひかりに乗車したが、たいへんな混みようで、私は幸い坐る席を確保できたが、浜松までは立っている乗客が多かった。

 余談ですが、日本の新幹線は素晴らしいシステムだと思う。鉄道技術や運行技術も素晴らしいが、それよりも、これだけ大勢の、金を払って新幹線に乗る国民がいるということが素晴らしい。本人でなく会社が払っているかもしれないが、そうであってもそれだけの金を稼ぎ出しているのが日本だ。その日本の経済力をつぶしてしまうような政策を、取らないでほしいもの。

18:10名古屋に着きました。今年の大会出場は、これでオシマイ。

那須塩原マラソン紀行(1)

2008-11-05 | 旅行
 各地のマラソン大会を走破することを楽しみにしているランナーは大勢います。そんなランナーに大会で出会うと「おや、またお会いしましたね」ということが良くあり、それがきっかけで友人になった知人が数人います。

 那須塩原市に住むKさんもそうした友人の一人です。今年は那須塩原マラソンを一緒に走ることになり、2日、10時過ぎの新幹線で東京へ。そのまま東北新幹線に乗れば早いのですが、時節柄経費節約で、上野に回り、東北本線の各駅停車に乗りました。各駅停車は「関東平野はずいぶん広いのだ」と、実感させてくれます。なにしろ、那須塩原は東京と仙台の中間ですから。

宇都宮でホームの向かい側に待つ黒磯行きに乗り換え、3時25分那須塩原駅に着く。

 Kさんが、ランドクルーザーを運転して、駅まで迎えに来てくれました。

 今回のマラソンは楽です。いつもマラソン旅行は、走ること以外にいろいろ気を使うものです。予約した旅館を探す。食事はどうしよう。明日、旅館を出る時間は?等々。マラソンを終わった後は、疲れた身体を動かして帰りの荷造り。帰りのバス停はどちち?時間は? これらが疲れている時は大変ですよ。自分が好きでやっているのだから仕方ないですが・・今回は、総てKさんにお任せです。走るのは自分でやらないといけないが、それ以外は総て面倒を見てもらえます。

 「一寸、青木邸を見てから温泉に行きましょう」とKさん。

 「とちぎ 明治の森記念館 旧青木家那須別邸」という建物が道の駅の横にあった。

http://www.mapple.net/spots/G00900108901.htm

 青木とは、青木周蔵。明治中期に外務大臣。日英通商条約の改正交渉で活躍した。青木家は長州藩の藩医の家柄。周蔵は明治初年、ドイツに留学して医学を学んだが、帰国後外交官を志し、ドイツ公使、駐米大使など歴任した。先年、ペルーで起きた日本大使館襲撃人質事件の際の青木ペルー大使は曾孫とのこと。

 青木周蔵は、明治14年、那須野が原に農場を開設、この地の開拓に努めた。農場の拠点だった別邸が、今日、市が管理する博物館になっているというわけ。

 中に入ってみるが、要するに犬山の明治村と同じ、と感じました。

 この那須の地は、明治のはじめ、維新の元勲たちの間に、国土の開発が流行ったらしく、山県有朋、大山巌、乃木稀典、松方正義などの別邸が那須野が原に現存するそうです。

 見終わった後、「塩原温泉の源泉に行きましょう」。三連休の中日の所為か、車の列が長く続いている。「これだけ遊びに来る人はいると、不景気なんてどこの話?と思うね」等々雑談をしながら山をどんどん上って、ひなびた民家風の旅館兼温泉についた。硫黄のにおいがきつい。地元の人しか知らない穴場らしい。

http://www.siobara.or.jp/kokyo.stm

 30分ほど湯につかり、外に出ると、もう陽はとっぷり暮れている。「家内がアルバイトに出ていますので、外食しましょう」と、レストランに案内してくれた。

 「実は身体を故障してこの4週間、練習していないので、明日のマラソンは棄権です。走ることは走りますが、10km辺の家の近くまで走って棄権します。4週間も走らなくて、いきなり21kmを走るのは無謀ですから」とKさん。しばし雑談が弾んだ。

 Kさんはマラソン以外に、犬が趣味だ。家には5頭の愛犬を飼っている。時々、マラソンを一緒に走ると言う。日頃Kさんが特訓をしているので、1km4分ぐらいなら平気で走ると言う。先回、この那須塩原マラソンを走った時、愛犬とともに走ったら、10km辺りのKさん宅に近づいたら、突然マラソンコースを外れて我が家に向かって疾走した。仕方が無いから、Kさんも家迄疾走し愛犬を鎖でつないでから、マラソンコースに戻った。

 Kさん宅に向かう。周囲は別荘が立ち並ぶ。家に入ると、5頭の犬が、歓迎のつもりか「ウー、ワンワン」とにぎやか。猫も一匹いた。これだけペットがいると、人間様の食事代より、お犬様の食事代の方が高くつくのでは?

Kさん宅でゆっくり休ませてもらいました。(続く)

南信州の旅(2)

2008-11-03 | 旅行
「後期高齢者医療の分担金の額はどう算出するの?」

「自分の組合の組合員の扶養家族の後期高齢者の人数で計算する分に、国として定められている負担割合を足して算出しますが、詳しい計算式は忘れました。

 インターネットで「健保組合連合会」のホームページにアクセスすればわかりますよ」

「政管健保は県別の“協会健保”に変わると聞いたけど、どうしてなの?」

「分かりませんねー」

「政管健保という一つの組織が、47都道府県別の協会に分かれれば、お役人の天下り先が増えるということ?」

「そうかも。焼け太りですね」

 話に花が咲いている内に、長い恵那山のトンネルを抜けた。宿に行く前に「富士見台高原ロープウェイ ヘブンそのはら」で、紅葉を鑑賞しよう。

http://www.mt-heavens.com/

 ロープウェイの料金は、片道1000円。団体料金で2割引。往復で1600円だ。「いい値段だな」

 しかし、乗ってみると山頂駅までの10分の乗車は、急傾斜の山肌を上ったり下ったりで乗りでのあるルートだった。残念なことに、お天気が曇りで、折角の紅葉の色もあまり冴えなかった。

 それに少し寒くなってきたので、30分で見物を切り上げ、宿に。

「この温泉は、最近できたの?」

同室になったM先輩に聞くと、「昔もあったんだけど、温泉が枯渇して出なくなったのが、恵那山トンネルを掘ったら、また湯が出るようになった。トンネル掘削(昭和48年)の影響で、湯の水脈が変わったのかも?」と言う。

http://www.hirugami.gr.jp/

 懇親会ではしっかり食べ且飲んだ。これだけ食べると、体重が増えすぎて3日のマラソンは大丈夫かな?

すっかり酔いが回って9時前に寝入ってしまった。歳は争えない。

翌朝、同室のYさんが「Mさんの鼾で眠りつけなかった」と言っていたが、小生は、有名なMさんの鼾に気付かなかった。

 10時の出発で、朝はゆっくり。午前中は、リンゴ園でりんご狩。昼食後は元善光寺に参拝しました。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E5%96%84%E5%85%89%E5%AF%BA

有名な長野善光寺の本尊は、最初、本多義光がこの地に祀ったそうだ。元善光寺の名は、そのことに由来する。長野善光寺と同じく、「胎内潜り」の地下道があった。

 参拝後は、帰路につき、予定の4時20分大曽根駅に着き解散しました。



南信州の旅(1)

2008-11-02 | マラソン
 10月31日、11月1日と、D社名古屋地区OB会の旅行会で、南信州の昼神温泉に出かけました。中央道の恵那山トンネルをくぐって直ぐです。

 31日11時20分、大曽根駅に集合、駅ビルの昼食会から始まりました。旅館のバスが迎えに来て、旅館周辺の観光地を回るという企画。ガソリン代が上がりバス代が高くつくので、幹事が考えた苦肉の策らしい。

 このOB会の楽しみは、久しぶりに会った先輩や後輩との会話です。

 先輩のOさんに、「もう後期高齢者になりましたか?」「とっくになったよ」

「奥さんの分と二人分保険料を払わないといけないですね」

「そうだよ。介護保険料も高くなったしね。定額減税の還付金を待ってるんだ。あんなものあてにしてちゃ駄目だけど」

 後輩のSさんは健保組合の元理事長。

「D社の健保組合は赤字なの?」

「赤字は赤字だけど、積立金を取り崩しているから大丈夫。」

「どうして?」

「今、健保組合を解散すると、積立金は総て政府に没収されます。だから、解散するなら積立金を使い尽くしてからでないと損です。」

「西濃運輸が、後期高齢者分担金の負担で、健保組合を解散したね」

「西濃の負担金は年間予算の30%になった。30%も分担金を負担させられたら、組合健保のメリットはないですよ。

政府はもう信用できない。法律1本で、何でもありですから。」

「D社の健保組合の高齢者医療負担は何%になってるの?」

「後期高齢者だけでなく、前期高齢者(65~74歳)の負担もありますから、合わせて20%くらいですね」

 小生、西濃の健保組合解散を聞いて、これだけ後期高齢者の負担を押し付けられたら、解散するのは当然。他の組合は、どうして解散しないのか?と思っていたが、積立金の問題があったからだ。

 西濃健保解散のニュースをTVで見てた時、厚労省のお役人のインタビューがあった。

 「一部の組合の解散は、“想定内”です」と、平然として言った。“想定内”?どうして?と思ったが、

「積立金があるから全部が解散することはない」の意味だったのだ。

 では、総ての組合が積立金を使い果たして解散したら?

 その時には、くだんのお役人は退職して、どこかへ天下りしている。まさに“想定内”。

 結局、「後期高齢者医療制度」なるものは、本来国が負担すべき医療費を、高齢者と組合に押し付けるものだった?(続く)