古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

徳川様の日本経済診断

2012-07-30 | 読書
昨年末、世が世ならば19代将軍の徳川様の著書をご紹介しました(下記URL)が、その徳川様、「なぜ日本経済が21世紀をリードするのか」(2012年2月NHK新書)という本を出していました。
http://d.hatena.ne.jp/snozue/20111230
 「日本が21世紀をリードするって?」。 どういうことかな?と図書館の棚から借りてきました。ちょっと面白い発想だな、と思い以下に紹介します。
著者の主張の大要は「はじめに(まえがき)」にありました。
【私は断言します。今から10年と経たないうちに、日本が全世界から憧れの目でもって見られる「唯一の先進国」となり、全世界が日本モデルの模倣に躍起になるだろう、と。
 ただし、そのような変化は、今からすばらしい政治家なり新政党なりが出てきて、今の日本が抱えている問題を全部解決した結果として起こるものではありません。・・・
 実は、世界における日本の立場が劇的に変化するであろう、その原因は、日本ではなく、今の世界経済のあり方のほうにあります。】
【18世紀以来世界を揺るがし、そして小休止の後、1980年代ごろに復活した資本主義経済が、ついに力つきようとしているのです。政治的には、これはアメリカの超大国の座からの転落であり、経済的にはリーマン・ショックで始まった世界金融危機の、より激しくなっての再発という形をとります。
 これは単に破局的な経済危機であるというのにとどまらず、私たちが資本主義と呼び習わした経済のありようを支える自由主義の経済思想が、最終的に否定されるきっかけにもなるでしょう。】
 【資本主義の危機は、当然ながら、日本の危機をもたらすでしょう。日本は今後10年を経たないうちに、国家財政の破綻に見舞われることが不可避という、悲惨な財政状態にあります。・・・今後次々と登場する政権のいずれも、何一つ有効な手立てをうてないうちに退場することになるでしょう。
 一見壊滅的な変化も、悪いことばかりではありません。無理をして支えていた古い仕組みが一掃される結果、社会が一挙に合理化されるからです。】
【他の先進国については、日本ほどには明るい未来が展望できないというのが現実です。金融危機の果てに金融資産が消滅した場合、日本ほどすんなりと「リセット」できそうにありません。いっぽう、今日のいわゆる新興国の急成長も、キャッチアップの完了と制度的な不備によって、それほど遠くない未来には頭打ちとなります。・・・今日、先進国の要件とされるものを、10年後にもすべて満たしている大国は、消去法で日本だけとなってしまいます。】
 つまり、為替相場を見ると、ユーロもドルも低落し、消去法で日本の円だけが買われると同じように(日本人には外国の状況は分かりにくいので、ユーロやドルの深刻な状況は見えにくい。従って、何故円が買われドル・ユーロが売られるのか分かりにくい)、日本だけが生き残るという主張のようです。
何故そう考えるのか?
 ソ連が崩壊した後、【1990年代の後半には、全世界が資本主義に覆われることは、不可避であるかに思われました。ですが、それは資本主義の病理の復活でもありました。旧ソ連圏や中国では、停滞していた経済が成長するようになり、消費生活を楽しむ富裕層、中間層が誕生しましたが、同時にすさまじい貧困問題も発生している。アメリカもイギリスも金融資産の時価総額ばかりが膨れ上がり、国民の大きな部分が生活水準の実質的低下を見ています。イギリス、アメリカに倣って自由主義的改革を実行した日本でも、貧困層が膨れ上がりつつ、経済成長はきわめて鈍いままです。
マルクスの指摘した生産過剰の問題、ケインズが指摘した需要不足の問題が、蘇ってきたかのようです。いえ、かつての産業革命以上に労働需要を削減するIT革命が起きていますから、古典的資本主義の時代に比べて、問題はさらに悪化しているといえるでしょう。
 世界金融危機の後で各国政府、中央銀行が行った、大型の金融緩和と財政出動による金融システム救済は、問題の根本治療にならず、単に危機の本格化、全面化を遅らせるだけで終わっている。】
以下、【日本が全世界から憧れの目でもって見られる「唯一の先進国」となる】と考える徳川様の診断です。
 【アメリカの覇権が終焉を迎え、しかもかなりの確率でアメリカ経済が危機的な状況に陥りますと、日本は思わぬ恩恵を受けることになります。日本人が「ドル幻想」から目を覚ますというのが、それです。ドル幻想というのは、日本人が価値の下がることが明白なドルを際限なく蓄えて、まるで不安を感じられないでいられる、その心性を指します。
 ドルという通貨が近い将来、かなりの減価を起こすことは確実です。昨今の経済論壇では1ドル=50円という数字がよく登場しますが、私はそれよりもっと下がる可能性もあると考えています。・・・
 日本国民全体の利益を考えれば、アメリカに対して貿易黒字が出ない水準まで円をドルに対して切り上げ、日本人の購買力を強化するべきでしょう。あるいは、輸出企業の競争力が大切だというのであれば、逆に国内で大規模な所得の再配分を実施して、低所得の購買力を増やし、輸入を増大させ、貿易黒字を減らすことで円の上昇圧力を抑えるという方法も考えられます。】
「アメリカ離れ」、「ドル離れ」が、日本にとって望ましい結果をもたらすそうです。

不愉快な現実 2

2012-07-28 | 経済と世相
次に面白いデータ。GDPに対する輸出比率を見ると、201年の米国8.8%、中国26.6%、日本14%、EU11.0%である。
輸出に経済の依存する比率の高い国は戦争を欲しない。この観点で北朝鮮についていうと、日本は意識的に北朝鮮との貿易を増大させ、北朝鮮との間に相互依存関係を高めていく必要がある。しかし、今行っているのは逆である。
中国の民主化について
 問題は、現在の中国の政策が国益に適っているか否かである。今日、日中のどちらの政治指導者が、それぞれの環境を前提とした中で、それぞれの国を正しい方向に導く能力を有しているか。残念ながら、筆者はとても、「日本の政策が中国よりも国益に合致した政策である」といえない。
 英国にロバーツという著名な歴史家(2003死去)がいた。彼は全10巻からなる『世界の歴史』の中で次のような記述を行っている。
『中国革命は間違いなく、人類が行ったもっとも壮大な試みの一つ。20世紀の中国革命に匹敵する出来事は、7世紀のイスラム教の拡大や、16世紀以降の近代ヨーロッパ文明の世界進出以外にない。』
世界の長い歴史を研究してきたロバーツは「中国政府が民主主義という枠に該当しているか、否か」で中国政府の正当性を論じていない。
 現在行われている政策がどこまで「公共の利益のために行使されているか」を尺度としている。
 「中国は民主主義体制でない」と批判する人々は、日本と中国とどちらの政策が「公共の利益のために行使されているか」を問えばいい。誰も日本政府の方が「公共の利益のために行使されている」と自信を持って主張できないのではないか。
 筆者は今後の日本の進むべき道について、「あとがき」で述べている。
【本書では、次の状況を説明し、その中で日本のとるべき戦略をみた。
第一に、日本の隣国中国は政治・軍事両面で米国と肩を並べる大国になる。
第二に、米国は中国を東アジヤで最も重要な国と位置づける。
第三に、日本の防衛費支出と中国の防衛費支出との差は10対1以上に拡大する。この状況下、日本が軍事的に中国に対抗することはあり得ない。
第四に、軍事力が米中接近した中で、米国が日本を守るために中国と軍事的に対決することはない。
 これを前提として、日本の生きる道を模索した。
本書ではTPPのことには言及しなかった。・・筆者の立場は「日本の経済発展は東アジヤとの連帯にある。今後の成長は米国依存だけでは不可能である。日本の社会を過度に米国社会と同質化すべきでない」にある。
 TPPのプラス・マイナスを論ずれば新たな一冊の本が必要となる。ここではその論議は避ける。が、(今)日本の首相が客観的に自己の行く末を選択するのは容易でない。おそらく無理だろう。首相本人ががんばろうと思っても引きずり降ろされる。政界・官界・経済界・マスコミ、ここには米国に従属するシステムが出来上がっている。
 いま、日本人に求められているのは「中国は、経済・軍事両面で米国と肩を並べる大国になる」(換言すると「米国との協調のみを求めれば 日本の繁栄があるという時代は終わった」)という事態を直視できるか否かである。】という。


不愉快な現実 1

2012-07-27 | 経済と世相
『不愉快な現実』(孫崎亨(うける)著、講談社新書2012年3月)を読みました。筆者の孫崎氏は、1943年生まれ、駐イラン大使、防衛大学教授を歴任しています。
 日本が置かれている『不愉快な現実』を踏まえて、今後の外交、軍事、経済を考えるべきだと、著者は説いています。その著者が述べる『不愉快な現実』のいくつかを以下に列記してみます。
『米軍にとっての在日米軍基地の最大の利点は日本政府の財政負担である。日本政府は「思いやり予算」という名目で、基地経費の75%から80%近くまでを補填している。米国の財政状況が厳しい折、これだけ魅力のある場所はない。たとえば普天間基地にいる海兵隊の米国内の基地は、財政負担の減少により、補修が十分行き届かず荒れた所も出ている。海兵隊が存続する限り、日本に基地を持つことが最も経済的に効率がよい。』
『クリントン国務長官は訪米した前原外相に「尖閣諸島は安保条約の対象である」旨述べている。しかし、尖閣諸島が安保条約の対象になっているということと、「尖閣諸島に関する日中の軍事紛争に米軍が出る」こととは実は同じでない。
 安保条約第5条は「日本国の施政の下の領域に対する武力攻撃があったときは、両国は自国の憲法に従って行動する」と決めている。この条項で重要なのは「日本国の施政の下の領域に対する武力攻撃」である。
2005年10月、2+2で署名された「日米同盟 未来のための変革と再編」では、日本の役割は「島嶼部への侵攻への対応」。つまり尖閣諸島へ中国が攻めてきたときには日本の自衛隊が対処する。ここで自衛隊が守れば問題ない。守りきれなければ、管轄地は中国にわたる。そのときには、管轄地は中国にわたる。そのとき、安保条約の対象でなくなる。つまり、米軍には尖閣諸島で戦う条約上の義務はない。

『北方領土問題。
1. ポツダム宣言との関係:ポツダム宣言には「日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国ナラビニワレラノ決定スル諸小島ニ極限サレルベシ」
2. 連合国内、特に米国とソ連の間には千島列島をソ連のものとするという合意があった。
米国にとってソ連の対日参戦はきわめて重要であった。ルーズベルト大統領は1943年11月のテヘラン会議でソ連の対日参戦を要請し、45年2月のヤルタ会談で「千島列島がソビエトに引き渡されること」の内容を含むヤルタ協定が結ばれた。
トルーマン発スターリン宛通信(1945年8月18日)でトルーマン大統領は「一般指令ナンバー1を、千島すべてをソ連軍極東司令官に明け渡す領域に含むよう修正することに同意します」と約束している。
3. サンフランシスコ講和条約で日本は「日本国は千島列島に対するすべての権利、請求権を放棄する」とした。この会議で吉田首相は「千島南部の択捉、国後両島」と発言しており、択捉、国後が放棄の千島に含まれていることは明確である。
4. 1951年10月19日、西村熊雄条約局長は衆議院での国会答弁において、「条約にある千島の範囲については北千島、南千島両方を含むと考えております」と述べている。』
 我々が外国に物事を要求する際、その物事が我々にとってどれくらいの重要性を持つか、それは与えられた情況によって変わる。
 第二次大戦の終りで、広島、長崎に原爆投下があった。日本にとり終戦はきわめて重要な課題となった。・・本州、北海道、九州、四国以外の島については、終戦を勝ち取る上では、優先順位は高くなかった。サンフランシスコ条約で日本は、講和条約を結び、国際社会に受け入れられることを、領土問題よりも重視した。
 関係国との外交で、領土問題は絶対に譲ることの出来ない問題とすることが、果たして日本にとってのぞましい選択であろうか?というのだが・・・(続く)

うなぎが高値です。

2012-07-25 | 素晴らしき仲間たち


今年も“ひつまぶし”を食べに行きました。

25日、住宅のシニアクラブの“お食事会”です。市バで2区の“しら河”という専門店。

昨年は順番待ちのお客が店内からあふれ出し、店の外に椅子を並べて座っていましたが、

今年は鰻の高値の所為か、それほどではないが店内は一杯でした。

われわれは、幹事のSさんが予約しておいてくれたので、直ちに個室に案内されました。一行10名です。

昨年は1890円でしたが、今年は鰻の高騰で2590円でした。これでもSさんの交渉の結果です。

鰻飯とお吸い物が運ばれてきました。

器に入ったご飯をしゃもじで5~6回かき混ぜてから茶碗によそいます。

「正式の食べ方があったね」と隣に坐ったHさん。

「一年に一回だから、忘れてしまった!」と小生。
1膳目 そのまま(つまり鰻丼風に)食べる。
2膳目 薬味(刻み海苔、ねぎなど)を添えて食べます。
3膳目 ワサビと薬味を添えお茶づけ(熱いお茶が土瓶で出ます)にして食べます。

 なんとはなしに、こういう食べ方をしましたが、これが標準の食べ方だったようです。

「名古屋に出てきたのは昭和30年だった」と私。

「ボクも同じだ」とIさん。

「伊勢湾台風のときは大変だった」

「もう53年になる!」等々 1時間ほどダベリながら、鰻のスタミナを貰い、会食を終えました。

暑い暑い名古屋の一日でした。



ヒッグス粒子って何?

2012-07-21 | 読書
『ヒッグス粒子』が話題になっています。今月はじめ、CERNでヒッグス粒子が見つかったと発表があったというのですが、よく分からない。何でも、現代の素粒子論によると、理論上は、素粒子は17個あって、16個までは見つかったが、ヒッグス粒子だけが見つかっていなかった。ヒッグス粒子は、素粒子に動きにくさを与え、それが質量になるのだそうです。19日のNHK「クローズアップ現代」でも取り上げて解説していた(ご覧になった方も多いでしょう)が、全然分からない。
 そこで「重力とは何か」(大栗博司著、幻冬舎新書、2012年5月)という本を買ってきました。「重力」は地球上の質量ですから、「重力」の本には「ヒッグス粒子」の話が載っているだろうと考えたのです。
 ところが、読み始めても、なかなか「ヒッグス粒子」は出てこない。
8割ほど読んだら、それらしい説明が出てきました。以下、その概要。
量子力学と一般相対論を融合する理論として期待されているのが、「超弦理論」です。
素粒子はそれ以上は分割できない「点」だと思われてきました。しかし「超弦理論」は、(点でなく)それを1次元の幅を持つ「ストリング(弦)」だと考えます。すべての素粒子は同じ「ストリング」から出来ていると考えます。バイオリンの弦が、振動することでさまざまな音程や音色を奏でるように、この「弦」も振動の仕方によって、クオークになったり、ニュートリノになったりする。
 始まりは、1968年イタリヤのガブリエレ・ベネチアーノが素粒子の性質を説明する公式を発見した。2年後、南部陽一郎が素粒子が「点」でなく「弦」でできていると考えれば、次々見つかる素粒子に性質をその公式で説明できることを発見した。「弦理論」の始まりです。
 現在分かっている素粒子のモデルでは、素粒子は物質のもととなるフェルミオンと、その間の力を伝えるボソンに大別します。素粒子に質量を与えるというヒッグス粒子もボソンです。ここで初めてヒッグス粒子という言葉が出ました(211ページです)。南部が発表した最初の弦理論(1970)はボソンを扱う理論でした。この理論をフェルミオンも扱えるように拡張したのが「超弦理論」です。
 70年代初頭に生まれた「超弦理論」は新たな問題を提起しました。一つには、理論がきちんと成り立つためには、宇宙が10次元(空間9次元+時間)でなければならない。さらに、実験で見つかっていない奇妙な粒子が理論の中に含まれていた。弦にはさまざまな振動の仕方がありますが、その中のある振動に対応する粒子は、質量を持たず、光速で走ることが分かったのです。さてその後・・・
 1974年に、日本とアメリカでほぼ同時に、この理論がまったく別の可能性を持っていることが分かりました。日本でそれに気付いたのは、当時まだ北海道大学の大学院生だった米谷民明(現・東大名誉教授)。彼は、「超弦理論」に含まれる奇妙な粒子が重力波の量子、すなわち重力子(重力を伝えるボソン)であることを発見しました。
 一方、アメリカでは、カリフォルニヤ工科大学のジョン・スワルツが、フランス人のジョエル・シェルクとの共同研究の中で、「超弦理論」が重力を含んでいることに気付きました。彼らはさらに踏み込んで、「超弦理論」を重力理論として使うことで、一般相対論と量子力学を融合する統一理論ができるはずだと提唱したのです。
 以上、ヒッグス粒子に関する、この本からの解説です。
「クローズアップ現代」より分かりやすく説明できたと思いますが、余計、分かりにくくなりました?
 いずれにしても、理論物理学の最先端で数々の日本人が活躍している話は、楽しいものです。
追伸;空間の次元について。
 ホースの表面に居るアリにとってホースは2次元です。一方ホースに止まる(アリより大きい)鳥にとって、ホースは1次元です。生物の感覚はその生物の必要性に応じて発達しますから、多分、鳥にはホースの2次元は認知できない?ことは人間においても同様で、3次元の認識さえ出来れば不自由ないので、空間が9次元であることを認識する感覚器官を人間は持っていないと思います。

プール開き

2012-07-20 | 水泳
7月20日は、名城公園屋外プールのプール開きです。

毎年、7月20日から8月末まで(水曜休み)営業し、プール開きの日は無料開放です。

 梅雨明け後、猛烈な暑さが続いていましたが、今日は、天気予報は雨。

 朝起きたら、曇ってはいましたが、雨はなし。

名城と公園周りを一周のジョグ(このところ、あまりの暑さで1周だけにしています)を済ませて、

帰宅後ラジオを聴いていたら、はいぜんと雨が降ってきました。

「天気予報があたった」。ならばプールへ行こう。と10時、名城プールに行きました。

プール借りきりで泳げました。

 最初に、200mバタに挑戦。昨年大会の9月23日以来の2バタでしたが、何とか泳げました。

ゆっくり泳げば、まだまだ2バタを泳ぐ体力はある!と、うれしくなりました。

トータル1200mを泳いで引き上げました。

昨年の記録をみたら、こう書いてありました。毎年同じことを繰り返しています。

http://blog.goo.ne.jp/snozue/d/20110720



東電OL殺人事件

2012-07-17 | 読書
『東電OL殺人事件』(佐野真一著、2000年5月刊、新潮社)を図書館で借りて読みました。
 「新潮45」97年6月から99年11月まで連載のドキュメントです。この事件は97年3月発生した殺人事件ですが、2000年4月、東京地裁で無罪判決。   検察は直ちに控訴、高裁では有罪、2003年最高裁で有罪(無期懲役)が確定した(この本は2000年に出たから高裁・最高裁の裁判官は読むことが出来たと思うが)後、再審請求がなされ、最近これが認められ、被告のネパール人は釈放され帰国した。
 このニュースに接し、どんな事件だったか知りたくなって、この本を借りてきたのです。事件発生当時は、被害者が当時東電という一流会社の総合職の女性(管理職)でありながら、渋谷で売春をしていたというので、週刊誌の絶好のネタになった。あまりにも話題になりすぎたので、当時は読む気がしなくて、事件の状況は全く知りませんでした。
 ところが読んでみたら、面白い!日曜日に読み始め、読み終わったのは、月曜日の午前3時。440ページ余の大冊を、巻を置くあたわず、一気に読み終えました。
 感想は、「こんなに明白な冤罪事件はないだろう。何の罪もないネパール人を10数年牢屋に留めたことは日本国の恥だ。」でした。(事件の詳細をお知りになりたければウィキペデイアをご覧ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E9%9B%BBOL%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6 )
 絶対に犯人でない!と思わせるのは、被害者の殺害された日に使用した定期券が、ネパール人の容疑者が行ったことがない巣鴨で見つかった。そして、その定期券にはネパール人の指紋がなかったことです。
 理科系は勿論、文科系の学問でも、理論は仮説からスタートします。その仮説では説明できない現象が発見されたら、その仮説は誤りとして棄却されます。これを繰り返すことで学問の理論は進歩してきたのです。ですから、仮説を作るという作業は大切で、犯罪の捜査でも仮説を立てない捜査は非効率的です。ですから、「ネパール人が犯人だ」という仮説を立てたのは良い。しかし、その仮説で説明できない「定期券の発見」があったのに、その仮説を棄却できなかった!ことが失敗だった。「この事件に有罪判決をした裁判官は、よほど頭が悪かった!」。と思う。
 昨年の大阪特捜部、厚労省の事件では、特捜の仮説では説明が出来ない証拠が出てきたら、仮説を棄却するのでなく、なんと証拠を改竄してしまった!

筆者はあとがきで「本書で私がもうひとつ心がけたのは「土地」の物語を描き出すことだった」と述べている。
「円山町、奥飛騨、カトマンズ、・・・幕張、西小山、大崎、巣鴨、渋谷センター街、西永福。私が3年間かけて廻ったこれらの「土地」には、この事件と彼女にまつわる「物語」が影絵のように埋まっていた。」
と述べているように、土地の描写が巧い。円山町というつれこみホテル街が松濤町と云う高級住宅地(松濤美術館には行ったことがあります)の隣にあること、円山町の連れ込みホテルを造ったのが、奥飛騨の御母衣ダムで土地の売却を迫られた人々だった。
容疑者の勤務先があった海浜幕張(放送大学の本部があり、私は4回行ったことがある)の描写も「うん、こういう風な街だ」と納得させられる描写です。
等々・・・それにしても被疑者の郷里のネパールまで調査に訪れているのですから大変です。
さすがは、プロのライター。著者は、最近ソフトバンクの社長をテーマにした作品を発表して話題になりました。
ただ、被害者が何故売春の道に入ったのか、心理分析には、いまひとつ合点がいかなかった。そこまで書き込むには、多分、ルポルタージユの域を超えないといけなかったのでしょう。

彼女は、ものすごく真面目な女性だったようです。慶応義塾の経済学部を優秀な成績で卒業し、東電に入社してからも、昭和55年入社した女子社員のうち管理職に昇進したのは、彼女一人だった。
昭和63年、彼女は日本リサーチ総合研究所に出向している。同研究所の平成元年版の研究紀要に「家計収支構造の変化――制度改革論議のための一考察」という彼女の論文が載っている。
消費税の導入に関する論文だが、「消費税率を3%に固定したままでは・・・税収総額が不足する事態が訪れる」ことを論じていた。
どこで道を踏み外したかは不明だが、私が驚いたのは、彼女は売春婦としてもきわめて真面目に(勤勉に)勤務をしていたことです。
会社を終えた後、必ず円山町の街頭で客を拾い、井の頭線の終電で毎日帰宅するという生活を繰り返していた。
人間の深層心理の闇に、暗然とさせられます。


勝つための経営

2012-07-14 | 読書
『勝つための経営』(畑村洋太郎・吉川良三著、12年4月刊、講談社新書)という本を大学図書館の書棚に見つけ借りてきました。
 畑村さんは「失敗学」の先駆者として有名で、政府の福島原発事故の調査委員会委員長を務める時の人ですが、私が着目したのは吉川良三さんの方です。1940年生まれ、日立でCAD/CAMの開発に従事、1994~2003まで韓国サムスン常務という経歴が目を惹いたのです。
 今年の3月期、ソニー、パナソニック、シャープなどの日本の電機メーカーは最悪の決算でした。日本メーカーは韓国に完全に追い抜かれたのであろうか。サムスンの中枢にいた著者なら、その辺りの状況を教えてくれるだろう、と手に取ったのです。
 著者らが強調しているのは、デジタル時代の「ものづくり」が、かつてのアナログ時代の「ものづくり」と決定的に違うということです。
デジタル化によって、世界中の「誰でも」「どこでも」「簡単に」(最先端の設備の導入と言う投資さえすれば)そこそこの製品をつくれるようになりました。こうなると勝負は、デジタル情報をうまく使って、いかに魅力的な商品を作り出すかということになります。
(新興国市場で日本メーカーが遅れをとったのは、新興国ではどういう商品が魅力的かという研究で、韓国メーカーに遅れをとったからだと言う。)
こういう時代に、中小企業が選ぶ道は、およそ三つあります一つは「秘伝のタレ」を使って、独自に新たな道を切り開く。第11章「秘伝のタレを生かせ」の章で、「デジタルモノヅクリ」の時代に、サバイバルするには、職人の技だけでなく、「秘伝のタレ」が必要。「秘伝のタレ」とは、「当人も気付いていない競争力の源泉」としています。
二つ目の道は、これまでのように大手企業の下請けとして、一蓮托生で生きる(大手企業が生産拠点を海外にシフトしたら、一緒に出て行って現地で部品を提供する)。第三の道が日本企業に別れを告げて、自ら海外に出ていって、海外メーカーに部品を提供するという道です。
 第11章では、「秘伝のタレ」の例を挙げている。その例が面白い。
 たとえば、ニッパツは自動車部品のバネやシートを製造するメーカーとして有名な会社で、自動車の懸架バネでは世界第一位のシェアを誇っています。そのニッパツはバネを造るという秘伝のタレを生かして、いろいろな分野に進出しています。中でも、好結果に結びついているのが、パソコンなどに使われているハードデイスクドライブに欠かせない磁気ヘッド用のサスペンシヨンです。この分野でもシェア世界一。記憶装置としてHDDがある限り安泰です。
 長野県飯田市には多摩川精機という精密機械メーカーがあります。もともとは航空・宇宙・防衛関連の精密機器やモーター、センサーなどの開発と生産を行っていましたが、特殊分野で培ってきた秘伝のタレを使って様々な分野で存在感を示しています。とくに強いのはジャイロ(空間での姿勢検出装置)で、精度が高い検出システムは、すばる望遠鏡など宇宙開発分野で高いシェア、すごいところは、それぞれの分野にあわせて一つ一つ要求機能が違うものに対応できることです。
 近年は、この技術が自動車のハイブリッド車にも生かされています。ハイブリッド車では角度センサーが必須部品とされていますが、この分野での多摩川精機のシェアは100%といいます。
 2012年3月、めがねフレームの企画製造販売大手のシャルマンが、眼科の手術で使われるピンセットや縫合用の針を挟む持針器などの医療機器を開発し、メデイカル事業に参入していくと発表しました。眼鏡フレームの製造を50年以上続けている企業ですが、もともと軽くてさびにくいチタン素材でのフレーム製造を早くから続け、そこから大阪大学やふくい産業支援センターとの連携で、レーザーによってチタンを接合する技術を2008年に開発しました。
 イシダという軽量機メーカーが京都市にあります。主力製品であるはかりは、薬などの精密さが要求される分野をのぞくと、近年国内ではほとんど需要がありません。同社は、それまでの技術を結集して、新たな時代のニーズに合わせた計量機械作り、商品の計量から包装、検査や値札貼りなどの一連の作業をすべて行う機械を開発したのです。
 たとえば商材がピーマンだとすると、ラインに流せばあとは計量と振り分けを勝手に行い、あらかじめ設定した「3個で100グラム」に限りなく近い梱包ができる。国内の食品生産ラインでは同社製のものが圧倒的な強さを誇っています。
 こういった話が満載の本でした。

『東電国有化の罠』から

2012-07-10 | 読書
『東電国有化の罠』(町田徹著、12年12月刊、ちくま新書)を読みました。
一言で言うと【「東電国有化」・・それは、国民に重い負担を強いるだけでなく、日本国の財政破綻リスクまで膨らませかねない政策だ。】ということを説いた本です。
面白いと感じた「東電は無過失か」について、事故を起こした福島第一原発と、東北電力の女川原発と比較して述べた章です。

【1961年6月に制定された「原子力損害の賠償に関する法律」の第3条1項は、「原子炉の運転等の債、当該原子炉の運転等により原子力損害を与えたときは、当該原子炉の運転等に係る原子力事業者がその損害を賠償する責めに任ずる。ただし、その損害が異常に巨大な天変地異または社会的動乱によって生じたものであるときは、この限りでない」と規定している。(東電が事故は津波が原因と主張するのは、この但し書きがあるためだろう)

本論に入る前に、最悪の原発事故を起こした福島第一原発と同様に東日本大震災に襲われながら、深刻な事故を招かなかったばかりか、その後3ヶ月にわたって364人の被災者の避難所の役割まで果たした強固な原発があったことを紹介しておきたい。
女川原発は、東日本大震災の震源地(牡鹿半島の東南沖130km)から、距離的に最も近い場所に立地する原発である。
女川原発一号機は1984年6月に運転を開始した。その16年前の1968年、東北電力は、学識者を交えた社内委員会「海岸施設研究委員会」を設置して、明治三陸津波(1896)、昭和三陸津波(1933)の記録や、貞観津波(869)、慶長津波(1611)の文献調査に着手した。
結果として、当時、想定された津波の高さは3m程度だったが、東北電力は、女川原発の敷地の高さのほぼ5倍の14.8mに設定した。2012年3月7日付の東京新聞は「社内では12m程度で十分とする意見もあった。だが平井(弥之介)氏は譲らず、社内の検討委員会も15mと結論付けた」と報じている。
平井氏は、当時電力中研の技術研究所長(後に東北電力常務、副社長)だったが、海岸線から7kmも離れた千貫神社(宮城県岩沼市)の近くに実家があった関係で、三陸地方の津波の恐ろしさを熟知していた。この千貫神社のすぐそばまで慶長津波が押し寄せたという仙台藩の記録などを根拠にして「(貞観津波、慶長津波クラスの)巨大津波に備える必要がある」と力説したとされる。
女川原発は、1995年に2号機の営業運転を開始したが、その設置許可申請に向けた調査で、想定する津波の高さをそれまでの3.1mから9.1mに引き上げた。地質調査で貞観地震の実態が浮き彫りになったためで、東北電力は1990年にこの事実を論文にまとめて発表している。・・
さらに、高さは十分でも、津波の引き波で堤防を削り取られることを防ぐため、9.7mの高さまで格子状にブロックを敷き詰める堤防の補強工事を実施した。今回の津波でも、十分な高さとブロックで補強した構造が威力を発揮して、上から海水が浸入する事態も、引き波で堤防が削り取られる事態も防いだ。十分な高さを持つ各地の防波堤が引き波によって跡形もなく破壊されたのとは対象的だ。
原子炉を冷やすための電源の確保にも万全を期していた。非常用のデイーゼル発電機は。2号機の一部で停止したものがあったものの、2号機の別系統や1.3号機のすべてが正常に作動し、相互に融通できる状態にあったという。
筆者が取材に訪れた今年3月29日、巨大な堤防の上で行き交うダンプカーを目にした。巨大な堤防をさらに3.2mかさ上げする補強工事だった。】
これに対して東電は・・・もう記すまでもないでしょう。

「原子力損害の賠償に関する法律」に関するこの本の記述で、もう一つ、注目すべき指摘がありました。
【第4条第1項に「前項の場合においては、同条の規定により損害の賠償を賠償する責めに任ずべき原子力事業者以外の者は、その損害を賠償する責めに任じない」と、原子力賠償責任を原子力事業者(電力会社)に集中させて、英米の原子炉メーカーなどの免責を明文化している。
福島第一原発事故後、同原発の1号機に採用されているGE社製のマーク1型原子炉に欠陥があるとの報道が相次いだ(GEは否定している)が、仮にこれが事実であったとしても、GEは一切の賠償責任を負わないのである。】
この法律は、原子力技術の導入に当たって、英米の圧力で制定された不平等条約であったという指摘です。