古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

「2バタ」に挑戦です

2010-07-30 | 水泳
「2バタ」に挑戦です。「2バタ」というのは、水泳仲間の言葉で200mバタフライのことです。

 年1回は大会の2バタを泳ぐことにしています。今年も9月のレインボーカップ、2バタにエントリーしましたので、ぼつぼつ練習が必要です。ですが、なかなか練習できないのです。25mプールで泳いでいますが、夏になってプールが込むと、バタフライは25mしか泳げない。腕が他の人に当ってしまうからです。

 名城公園の屋外プールが7月20日から8月末までオープンしますから、毎年のことですが、雨降りの日に10時の開場をねらっていくのです。雨降りでないと泳げない。子供たちで満杯だからです。プールの真中で逆立ちしている子供もいる。コースロープも張ってありません。雨降りなら朝1番(でないと晴れてくるかもしれない)に行けば、悠々2バタが泳げるのです。

 29日、前夜から、その待望の雨がふりました。「よし!泳ごう」と10時の開門に間に合うよう出かけました。雨がふっているのは計算通りですが、風が強い。低気圧が近づいているらしい。

 当然、入場者は私1人。水温が思ったより高い。いつも泳ぐ市営プールは30℃(大会の競泳プールは27度です)ですが、それより高い。昨日までの猛暑で、水が温まって居る。実際、昨日までの暑さは尋常でなく、20~27日の連続8日間の猛暑日は、7月としては、名古屋で初めてのことと報じられていました。

体を馴らすべく50mを平泳ぎで泳いだ後、2バタを泳ぎだした。

 2バタは、昨年9月の大会以来だから、ほぼ10ヶ月ぶり。「泳げるかな?」という不安がありましたので、ゆっくり腕をまわした。

 25mごとにターンして、100mまで大丈夫です。150mターンで息がはげしくなってきた。「後1回だ」と懸命にこらえて、200mを完泳できました。

 「これなら大丈夫泳げる」。この水温で最後まで泳げました。加齢による泳力低下は、勿論ありますが、まだ200m泳げる力はあると、自信ができました。

 プールは貸切状態です。その後、850mほど泳いたら、雨が上がった。すぐ子供たちが現れたので、プールを上がることにしました。着替えをしたら、11時前でしたから正味40分ぐらいだけ泳いだことになります。

 家に戻り、冷蔵庫の冷茶、このところ愛飲の「伊右衛門」をがぶ飲み。年寄りは体内の水分が若い者より低いから「熱中症」に注意とTVが伝えていた。運動後の水分補給は欠かせません。

今日は30℃をきったようですが、まだまだ暑い日がつづきそうです。


参院選の総括

2010-07-29 | 経済と世相
愛知県図書館に出かけ、各雑誌の参院選の総括を読んでみました。まだ月刊誌は載っていませんから、週刊誌ですが、堺屋太一さんの週刊朝日7/23の寄稿が、一番的確だと思いました。

 『2005年に小泉内閣で自民党が大勝した衆院選、07年に安倍内閣で自民党が大敗した参院選、民主党の政権交代が実現した昨年の衆院選、そして今回の参院選。これら4回の選挙を通じて、はっきりしたのは、どの政党であれ、官僚の主張を取り入れた政党が大敗してきた、ということです。国民が批判したのは、時の政権政党ではなく、「官僚の主張を受け入れた政府」だったのです。

 昨年の衆院選では、官僚批判が自民党、ひいては与党批判につながって民主党が大勝しました。

 民主党には官僚政府ではない政治を期待されていた。だが、だんだんとあやしくなってきた。特に菅内閣になると、財務官僚の思惑どおりに消費税引き上げを言い始め、普天間問題でも、結局は外務省、防衛相のいうとおりに辺野古移設案に戻ってしまった。その途端、選挙で予想外の大敗を喫したのです。』

『今は、日本中の国民が官僚の言いなりの政治はダメだ、と皮膚感覚で感じているのです。

 逆に、「みんなの党」が躍進したのは官僚批判に徹したからです。』

『今までは、竹下内閣で消費税を導入したときも、橋本内閣が消費税を5%にしたときも、イコール・フッテイングという考え方が徹底されていた。つまり、消費税を上げるが、所得税など、ほかの税を引き下げるのが大前提だった。増税するのでなく、税制の構造を変えるのだ、と。それが、菅さんは消費税も所得税も相続税も上げるという「純粋な増税」に踏み切った。それは民の取り分を下げて、官の取り分を上げることにつながるのだから、財務省のいいなりですよ。』



 高級役人の天下りへの批判が厳しい。これは日本の政策が、「失われた20年」と評される期間、失敗続きであったことが、原因ではないだろうか?自民党から民社党へと変わったが、実質日本の政策を取り仕切ってきたのは、官僚。適切な政策もとれず、高禄を食むとあっては、国民の反発もうなずける。国を豊かにする施策を執ってくれるのなら、役人が多少の高禄を食んだところで、こうまで批判を浴びることはないと思う。

 では何故、役人の政策が失敗続きなのか?それは、日本が世界の最先端を行く国になったからである。実際、「失われた十年」を、世界はこれから体験しようとしているのに、日本は20年前から既に体験している。

 日本より先進の国が存在し、その国を目標にすればよい時代にあっては、日本の官僚制度は有効に機能していた。しかし日本が先頭になって、目標を自分で考えねばならない時代になると、従来の官僚方式でリーダーを選ぶことが不適切になったのだ。ここに「政治主導」の意味があるのだが、それを言う民社党も、どうすれば適切な「政治主導」になるのかが、分かっていないのでは?

幕張で、国防問題を考えました

2010-07-23 | 放送大学
3連休の17日~19日、2泊3日で、千葉県幕張の放送大学本部に出かけました。修士論文の経済学教室全体ゼミ、教授5人と院生40名(2年が17名、1年が23名)の出席でした。
 先生もたいへんですが、学生もたいへんなのですよ。この暑い時期に缶詰で勉強ですから。セミナーハウスには、ビジネスホテル並みの宿泊室(1泊¥1500)があり、夜はゆっくり休めますが、食事は外食です。朝はもっぱらコンビニのおにぎり。
 内容は、1年生が、テーマとテーマに関連して読んだ文献のリストを示し、もっとも関心を持った文献の内容紹介。2年生は、論文の目次と、ポイントになる章の解説です(持ち時間は質問含め20分)。
 私の出番は5番目でしたので、初日に終わり、2日目は気楽に聞いていました。
 午前の最後は、防衛庁からの学生が「組織的効率性の観点に立脚したわが国の防衛生産の基盤維持」という発表をしました。(不思議なことにH教授のゼミには、毎年防衛庁からの学生が参加します。H教授は防衛庁に人気がある?)
 質問時間、他に質問者がいなかったので、私が質問しました。
「貴方の論文の範囲には入らないことかもしれませんが、もし米軍基地が日本から撤退して、在日米軍がいなくなっても、軍事的に自衛隊は機能しますか?」。彼の答えは、「総ての作戦行動は在日米軍が存在するとの前提にたっていますから、現在のままでは、難しい」。
昼休みになりました。外に出た時、H教授から話しかけられました。
「貴方の質問ですが、自衛隊のイージス艦、ご存知でしょう。イージス艦のソフトは、日本側にはまったくブラックボックスで、日本側だけで(軍事的に)使おうとしても出来ないのです。」
「では、アメリカの容認したときにしか使えない。それでは、米軍のイージス艦であって、日本の税金を使ってアメリカの軍艦を買ってやってるようなものじゃないですか」
「そうです。」
 日本の軍事費はGNPの1%と言われるが、その1%のかなりの分が米国の防衛に使われているのだ。米国の世界戦略には、当然、在日米軍も沖縄の基地も、そして日本が所有するイージス艦も、計算に入っている。だから、若し急に沖縄から米軍は帰ってくれといわれたら、米国にとっては、日本が米国に反乱を起こしたことになる!
 「普天間を国外もしくは県外」は、米国と折衝しなければ出来ないのだ。にもかかわらず、鳩山さんも外務省当局も、米国と交渉することをしなかった。
 かくも、自衛隊が米軍に組み込まれると、憲法の制約がなければ、海外にも出動することになり、実質的に自衛隊は、ペンタゴンの指揮下に入ることになってしまう。
 9条を改定して、自衛隊の海外派遣が自由にできるようにしたいという政治家がいたが、彼らは自衛隊をペンタゴンの指揮下に入れたいのであろうか?
 米軍に協力することが、国際協力だと言わんばかりの政治家もいるが、仮に現在の米国が正義であるとしても、大統領が変わった時、米国の世界戦略は当然変わり、正義で有りつづける保障はない。
 以上幕張で、国防問題を考えてしまいました。

そのうち消費税も上がるだろう

2010-07-15 | 経済と世相
週刊「司馬遼太郎6 坂の上の雲の世界」なる本を読んでいました。

朝日の記者、和田宏氏のコラムが目を惹きました。以下、さわりを紹介します。

『日清戦争のあと、対ロシヤ戦に備えて日本は軍備の拡充を急ぐ。国家予算を倍にふやし、なおかつその半分を、つまり国民の稼ぎの半分を軍事に振向けたのだった。

この貧乏国が歳出を倍にするのも無茶であるが、「それに耐えた国民のほうが奇跡であった」と司馬さんは書く。その上軍艦建造費などの税金もとられ、国民はへとへとのなった。「人口5千ほどの村が一流のプロ野球団を」持つようなものだった。』

『敗戦後・・・耳が痛いほど「日本は資源のない貧乏国である」という教育を受けたが、その国がよくもあれだけの軍備を持っていたとあきれるばかりだ。海に幾隻の航空母艦を浮かべ、巨艦を遊弋させたが、海中には潜水艦、空には飛行機、血には戦車というカネクイムシを庶民が支え続けた。兵隊はタダだったが。』

さて、この後です。

 『さて、軍備を捨てた日本は経済大国に発展したが、国の借金は増えるばかり。不思議に思っていたら、役人が天下りする団体(カネクイムシ)が無数のあるのが分かってきた。つまり各省庁がそれぞれ艦隊を持っていたのだった。そのうち消費税も上がるだろう。やっぱり税金(ネング)を納めるのは昔のまんま国民(ヒャクショウ)だ。』

まだまだ続く”失われた?年”

2010-07-14 | 経済と世相
選挙の夜、開票速報は20分で、早々にTVのSW.を切りました。
 12日朝の新聞を見て、ある意味分かりやすい結果だな!と思いました。
昨年の衆院選挙で、民主党に投票した人は、民主党を支持したわけではなく、自民にあきれ果て”ダメモト”で投票した人が多かった。”やはりダメか”と、自民に戻った人が多い。
 (去年の衆院選挙も、今回の選挙も、いわば、勝った側は敵失で勝った!)
 私のように、自民も民社もダメと、それ以外に投票した人も居るのでしょうが、小選挙区では、二大政党以外は死に票になるので、自民に戻ったのでしょう。
 これで、与党の法案は参議院でとおり難くなりますから、(良い変革も悪い変革も)社会の現状を変えることは困難です。
一頃”失われた10年”という言葉が流行りましたが、その言葉が、何時の間にか”失われた20年”になり、まだまだ”失われた?年”が続きそうです。

剣山紀行(2)

2010-07-12 | 旅行
二日目は、朝7時に食堂に行く。食卓に弁当が3個添えられていた。以下、この弁当のいきさつ。
前日、Jさんが言う。
「NOZUEさん、明日の朝、昼食用におにぎりを造っておいてもらうよう、宿に交渉してください。」
「昼食?昼前には降りてこられるでしょう」
「予定はそうですが、山のぼりは何が起こるか分かりませんから、そのとき、一食分の食料を持っていると心強い」
「では、朝、コンビニでおにぎり買ったら」
Jさんは笑った。
「山登りに来て、コンビニでおにぎりを買うという人はいないですよ」
なるほど、周辺にコンビニは見当たらない。改めて自分が都会生活にどっぷり浸かっていることに気付いた。愛知県では、コンビニのない村はないと思うが、ここは深山幽谷なのだ。
ガソリンスタンドで満タン補給してR438を剣山へ。リフトの見の越駅まで28km、一時間弱だ。
酷道ぶりが発揮されるルートです。狭い道を九十九折で、対向車が来たら、ヒヤッとする。道路サイドのミラーで対向車を確認して「ミラー、ヨシ」と運転のJさんは復唱している。
「昨日立ち寄った道の駅、軽自動車用の駐車場が多かった。皆、軽四に乗るわけだ」と、Jさん。
道端のあじさいの色が目に沁みる。
8時45分、見の越駅に着いた。標高1420m。9時から運転開始ということで、まだシャッターが降りている。
9時、シャッターが上がる。キップは往復1800円だが、剣山リフトのホームページをコピー持参すると、1割引。インターネットからダウンロードしてきたので、1620円だった。
リフトにぶらさがり、15分くらいで西島駅。
降りて、改めて服装点検、登りにつく。山登りスペッシャリストのJさんから注意。
「ここは1750mです。体が高度に慣れていませんから、ゆっくり歩き始めましょう。先頭はSさん。私が後ろで、中にNOZUEさんです」
前と後ろに登山経験者が入り、真ん中は素人の小生というわけ。
中ほどの「刀掛けの松」で小休憩したが山頂まで一時間弱。山頂の直前、地元の人らしい数名の登山者が降りてくるのに会う。
「今日は、最近で一番天候がいいですよ」という。ガスは立ち込めているが、雨がない。
山頂に到着。1955m、私が登った最も高い山だ。木の踏み板の道が作ってあって、山頂の植物を保護するため、「木橋の上を歩いて」の注意書きがあった。山上のライブです。
http://mgis.city-miyoshi.jp/mgis/mgs/lc_jv.php?lcid=19&id=458

ところが、山頂で、Jさんが恒例のホットインスタント珈琲を振舞ってくれていたら、ポツリポツリと雨が降り出しました。

下りは難儀しました。
「こんな急傾斜を上がってきたのかな」と思うほどの斜面で、地面が濡れて、足がすべる。のぼりはSさんの後ろにぴたりと付いて上がったが、下りはみるみるうちにSさんが離れる。
「慌てなくても良いですから、転ばないようゆっくり降りてください。体を斜めにして。Sさんに追いつく必要はありませんから」と後ろからJさんが激励してくれる。
リフトに乗っている間が一番つらかった。ビニールのコートを着ていたが、しのつく雨で、下着まで濡れて、体が冷えてきたのです。
でも、無事に下山。着替えして車で宿に戻り、温泉に浸かりました。
食堂を借りて、結局、山頂まで往復したおにぎりを食べましたが、バッグの中ながら雨に冷えたおにぎりは冷たくなっていたので、あまり美味しくはなかったが、宿のお兄さんが、暖かい味噌汁をサービスしてくれました。
2時前、帰途につき、道の駅で、地元名産の半田そうめんを買い、2時半、この日は脇町から徳島道に乗りました。
二日間の高速料金は、約1万4千円でした。月曜日は日曜よりは6千円ほど高くつきました。
名古屋駅についたのは、7時15分でした。

追伸:演歌好きの方に、北山たけしの「剣山」
http://www.youtube.com/watch?v=9jb4pesPF5M

剣山紀行(1)

2010-07-11 | 旅行
四国剣山に登りました。以下、その旅行記、お閑の折、ご
笑覧ください。
実は、休日の高速1000円を狙って、3(土),4日(日)で計画していたので
すが、西から雨が降り出す模様で、急遽1日遅らせて、4日から出発することにしま
した。
4日9時、名古屋駅に集合。メンバーは、浜松のSさん、小牧のJさんと小生の3
人です。いつもは、岐阜のSさんが加わるにですが、今回は都合がつかず3人になり
ました。
一宮ICから名神にのり、日曜の渋滞を心配していましたが、おてんきがパットし
ないためか、まったく渋滞がなく、11時半には吹田JCTで中国自動車道、山陽道
に入り淡河(おうご)SAで昼食。
「全品2割引だって」と、Jさんと感嘆の声を上げ、早速、「サンデイランチ(4
00円)」を頼みました。うどん・蕎麦にいなり寿司2個、吸い物という豪華版。
三木JCTで、山陽道に入りました。垂水JCTで、明石大橋に向かいます。橋の前
に大きなトンネル、「舞子トンネル」です。
「これって明石大橋を造るために掘ったトンネルだね。片側3車線。すごいカネを掛
けてる!」とJさん。
「平成10年にこの橋が出来たとき、完成記念のハーフマラソン大会があって、トン
ネルの出口からスタートして、またトンネルに戻ってくるコースだったが、この舞子
トンネルが、更衣室代わりに使われたんだ!」と、小生。
明石海峡大橋が全貌をあらわした。天気が持ち直し、青空が出てきたので、素晴らし
い景観だ。世界最長の吊り橋(3911m)です。
淡路島に入って、車は快調に走る。
「なんだか島の中を走っているように思えない」
「淡路島は北から南に長いからね」
「ここは兵庫県なんだ」
(兵庫県は、淡路島から日本海側の城崎温泉まであるから、南北に長い県だ)
今度は大鳴門橋にかかる。橋を渡っていよいよ四国。
鳴門ICで、高速を降りたら、料金表示が「¥3500」
「えっ、1000円じゃないの?」
「もしかしたら、大橋は別料金になるのかな?」
まぁ、あれだけ立派な橋を1000円以内で渡ったんでは申し訳ないからいいか!
一般道を徳島ICに向かう。2時半ごろ徳島道に乗り、美馬ICを目指します。
「一寸休憩しましょう」と途中のSAで下車。
売店に入ると、ここも「全品2割引き」。どうやら高速の売店は、第一日曜は「2割
引」を行っているらしい。3時ごろ美馬ICを降りる。料金は、750円。しかし看
板の表示は、徳島から1500円。ここは、日曜5割引?
今度はR438。日本3大酷道の一だそうです。徳島市と坂出市を結んでいる国道だ
が、徳島から西側の山岳地帯へ入り、剣山のふもと、徳島県三好郡東祖谷山村見ノ越
で北へと方向を転じ、坂出へと向う。
この国道、四国の山岳地帯を通るだけあって、「これぞ酷道!」といった、四国の酷
道の真髄を見せつけてくれる。なお、徳島市から東祖谷山村見ノ越までの区間は、こ
れもまた酷道で有名な、国道439号と重複している。貞光の道の駅で時間を潰し、3
時45分、宿舎の「岩戸荘」に着いた。乗せてもらっているだけでも、7時間近い車
の旅は疲れる。6時からの夕食は、「あまごの味噌鍋」。
窓辺の清流貞光川(吉野川の上流)を眺めながら、懇談した。
「吉川英治が昭和の初めに書いた小説に“鳴門秘帖”という小説があって、その舞台
が、この剣山。中学生の時読んで、初めて“剣山”の名をしったの」と小生。
「ここまで来たら石鎚山にも登ってみたいと、山登りが趣味のJさんは言う。剣山は
標高1955m。石鎚山は1982m(四国の最高峰)である。話題が尽きない夕食タイムで
した。(続く)

市民税と国保の保険料

2010-07-10 | 経済と世相
 名古屋市は今年度の市民税を10%引き下げました。先日届いた通知によると、小生は、8200円の引き下げです。思ったより多くないな、と思いましたが、考えてみると、県民税は引き下げ無しですから、こんなものかな。
 ところが、今度は国民建保の通知がきました。保険料が、前年度より3万円弱増えていました。市民税で減額された額の3倍もが消えてしまう勘定です。
 勿論、市民税と健康保険は別ですが、市民税の10%減額に市議会があれほど大騒ぎをしたのに、一言も言わず健康保険を減税額の3倍も、増やすというお役所の神経は、私にとって、理解の外です。
 私だけ、健康保険が増えたのではありませんから、役所に問い合わせが殺到したと、8日の中日朝刊に載りました。
 同紙によると、保険料増加の理由は下記のようです。
 保険料は、均等割りと所得割の合計である。均等割りは、昨年も今年も同額です。
所得割は、市・県民税の合計に一定比率を掛けて算出する。この比率が、昨年は0.99だったが、今年は1.26になった。
 このため保険料が増えたわけだが、では、その一定比率はどう算出したか?
 全体の保険料が固定されていて、この額を保険加入者の市・県民税の合計で割り算して、各加入者は市・県民税の何倍を負担すればいいか、を求めるというのです。
 リーマンショックによる市内の自営業者らの所得減が大きく、前年に比べ市・県民税は2割も減少した。全体の保険料を割る市・県民税が大幅減で割り算の結果としての、一定比率は上昇したという。
 理屈はわかるが、「保険料が増えるのだから、市民税の減額をもっと増やしたらどうか!」という意見が出てきて欲しいのだが、市議会は「市民税の減税は、今年限りにしよう」といっている。