古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

万博受難記(2)

2005-09-29 | 旅行
 確かに夜は暑さはない。しかし、人が多いのは変わらないようだ。企業パヴィリ
オンなど、今の時間からは入場出来ない。ウッドデッキの回廊を散歩するだけなら、万博気分を味わうことが出来るかと、歩き始めたが、折角来たのだからパビリオン一つ位はのぞいて見るかと、愛知県館の行列に並んだ。待ち時間40分と、札が立っている。
 中では、アイスマンを取り上げた出しもの。12~13年前発見された5000年前の人間のミイラ。発見されたのは地球温暖化で氷河が溶けたためと、環境問題の材料にしている。館の電力はすべて風力発電で賄っていると説明するのだが、風車が見えるわけでもないので、「ああそう」と思うだけ。
 外に出たらもう8時。日本館に行くと「もう本日は入場できません」。隣の名古屋市館は、まだ入れそうで、並んでいるが、「ここから40分です」の札が立っている。
ここなら並んでいても、館の外壁から舞い降りる霧が涼しそうで、建物も凝ったつくりだから入ってみようと列に並ぶ。世界最大の万華鏡だということだったが、並んで中を通り過ぎただけという感じだった。
 もう、9時に近い。後は、外を散歩して帰るかと、歩き出したらマレーシヤ館。喉が渇いたので、ソフトアイスクリームを買って、ベンチに腰掛けて味わう。その後ブラブラして、一応、万博気分を味わうことが出来たからいいや、閉場の10時も近いと北ゲートに戻ると、「お帰りのリニモは、只今、待ち時間50分!」
 帰りの電車も並ばないと乗れないの?これは、想定外だった。輸送能力が基本的に不足している!
 結局一時間20分並んで、リニモに乗れたのはなんと11時6分だった!こんなに待たされるのなら、地下鉄の駅まで歩いた方がはるかに早い!協会は藤ヶ丘駅までの道に照明をつけて歩きたい人は歩けるようにすべきだった!とか、名古屋駅直通のバスに乗って一旦名古屋駅まで行ってから帰宅した方がまだ良かったなどと思ったが、今更、どうにもならない。
 地下鉄も超満員で自宅に帰宅できたのは12時過ぎて、まさに午前様でした。
 
 新聞は「大成功」と書きたてている。
そもそも、万博は何をもって成功とするのか。入場者が2200万人になった(予定は1500万人)ことか、黒字が100億円を越したことで成功と判断するのか?
 万博だからということで、インフラ整備の公共投資が進んだから、地元としては大成功さ、という声もある。確かに東海環状自動車道は出来たし、リニモも出来た。(追記)
 しかし、これほど来場者に難行苦行を強いて、万博は大成功と言えるのか!
 私は、これだけの人を集めるには、会場の面積があまりにも狭いと思う。堺屋さんの言地方博しかできない広さに世界博を乗せてしまった。だから、顧客満足度最低?の万博になってしまった。
 それにしても、これだけの人が集まったのは、三つ要因があると言う。
 第一は、勿論、トヨタ。トヨタがやろうと言えば企業はいやと言わない。マスコミもトヨタがバックにいれば、悪いニュースは書かない。トヨタが何も言わなくても、自粛してしまうのだ。
 第二にテレビ。地元テレビは連日、万博のニュースを流していたから、見に行かなくてもどんな展示があるか分かってしまう。私などTVで見ているから、現地に行かなくてもよいかな、と思ったぐらいだ。
 第三は、ご近所衆の底力。期間入場券の売り出しはアイデアだった。185日間皆勤でニュースになったご婦人もいる。

 文句をいわず行列に並ぶ日本人の忍耐力は素晴らしい。それにしても、そもそも万博は人を並らばせるのが目的か?何かの情報を民衆に伝えるというのなら、テレビだけで充分!実際、私の見たパビリオンはテレビで見た以上の情報量はなかったと思うのだが・・・いずれにしても万博とは何だったのだろう!
 以上、さえない万博見学記でした。

追記:10月2日の中日新聞で元愛知県副知事の甲斐氏はこう述べている。
「この万博が残した最大の財産は何か。・・・・・
名古屋を核とした半径約50kmに及ぶ大都市圏の陸上交通体系が飛躍的に向上したことである。
 中部国際空港の完成も大きいが、新たに東海環状・第二東名・東海北陸・名古屋第二環状線が完成する見通しがついたことによって、まさに広域の高速道路交通体系が出来上がりつつある。」

万博受難記(1)

2005-09-29 | 旅行
 22日午後、プールで一泳ぎしてから、名鉄電車で瀬戸市に出かけました。美術館をのぞいてから、万博(5時からの入場券引換えチケットを買っておいた)瀬戸会場に行こうと思ったのです。尾張瀬戸駅から徒歩10分で美術館。ここも万博記念の「6古窯名品展」をやっていたのです。6古窯とは日本を代表する焼き物の産地、信楽、備前、瀬戸、常滑、丹波、越前を言うのだそうです。並行して現代作家の作品の展示会もやっていまして、焼き物が現代美術の一分野であることをあらためて認識しました。

 万博はそのうち見に行こうと思いつつも、今年は何故か忙しくて行けなかった。新聞を見るとすごい混雑だというので、「もう止めようか」と言ったら、知人が「どんなに混んでも一度は見に行くべきだ」というので、夜なら涼しいだろうし、混雑も少しは少なくなるだろうと思ったのです。
 レストランで軽く腹ごしらえして、4時半頃瀬戸駅に戻り、万博行きのシャトルバスに乗ろうとして、愕然としました。シャトルバスは総て「長久手会場行き」で、瀬戸会場行きのバスは出ていない!多分、長久手は混雑するから瀬戸から入場しようと思っていたのに・・・
「瀬戸会場に入りたい!バスはないの?」と聞くと、瀬戸の市バスがあるとバス停を教えてくれました。5分ほど歩いてバス停で待ち、5時前市内循環バスに乗りました。ところが各駅停車でのんびり運転、万博会場前まで来たら5時半過ぎていました。市バスは万博期間中無料だといいます。得したかな?
 ところが、入口でチケットを見せ「入場券に引き換えるのは何処?」と聞くと、
「瀬戸会場のチケット窓口は5時半までです。ですから長久手会場のチケット窓口に行って頂かないと入場出来ません」と言うではないか。
 そんなこと、チケットに書いてないじゃない!
「長久手会場までは確か燃料電池バスが動いていると思うが乗り場は?」
「燃料電池バスは入場してから利用できるのです。入場しないうちは乗れません。」
「じゃ、どうすれば良いの?」
「万博八草駅(長久手町)までシャトルバスに乗って頂き、リニモに乗り換えてください。」
 そんなバカな、と思ったがいかんともしがたい。
 バスで八草駅まで10分(¥160)、リニモで2駅目で(\160)、万博会場駅に着いた。
チケット窓口に並び(これなら引換えチケットなど要らなかった、直接入場券を買っても同じだとぼやきつつ)、交換して入口へ。
 ここで、空港の入口並みの荷物検査がある。係員にバッグを見せたら不機嫌そうに「チャックを開けて」と言う。係員も押し寄せる人並みで、すっかり草臥れているんだろう。 やっと入場したのは6時20分でした。

 それにしても、瀬戸会場・瀬戸駅間は何故シャトルバスが走らないのか?何故、万博と無関係な瀬戸の市バスが期間中無料になるのか?何故、瀬戸会場のみ6時終了なのか?
 私には、これは万博反対運動との妥協の産物だとしか思えません。そもそも、環境破壊の犯人は人間ですから、人間を何千万人も集める万博が、環境と調和するわけない。
 反対派と妥協した結果、実質的に会場は長久手の青少年公園にして、協会のメンツを立てるため瀬戸(当初予定面積の10分の1になった)、長久手両会場の並立ということにしたのでは?だから、万博をやるには会場が狭すぎて、ここに混雑の根本原因があるのでは?
 堺屋太一さんが、「これでは万博でなく地方博になっちゃう!」と、会場予定地の大拡張を主張したそうですが、容れられず最高顧問を辞任した経緯が、今、分かったように思いました。(続く)


レインボーカップ水泳大会

2005-09-26 | 水泳
 「暑さ寒さも彼岸まで」とは本当に良く出来た言葉です。
爽やかな秋の風の中を朝のジョギングを済ませてきました。
46年前(小生新入社員でした)の今日26日はは伊勢湾台風に襲われました。
それまで、大きな台風の経験が全くなくて、「たいしたことないだろう」と寝ていたら、夜中に瓦が飛んで雨が漏って来て慌てたものでした。
 さて、昨25日は、レインボーカップマスターズ水泳大会に行ってきました。
この大会は、毎年9月の第4金・土・日に開催され、金曜日が200m、土曜日が50m、日曜日が100mの競技。今年は、100mの平泳ぎとバタフライに出場することにしたのです。結果は惨敗で、どちらも最下位でした。以下、その顛末です。

 9時、家を出て10時前には会場に着きました。最初の種目の女子背泳が始まっていました。サブプールで100mの平を5本ゆっくり泳いでから、10時半ごろ観覧席に上がり時間が来るのを待ちました。11時過ぎプールサイドに下り、プログラムを見ると、第2組8コースでした。プログラムには選手名の横に本人の申告タイムが記載されています。小生2分17秒で申告しておいたのですが、見ると、65歳以上でも皆早いのですね。2分以上の申告は一人もいない!
 こりゃ、実力が違う。20秒も申告が違うと、どんなに頑張っても最下位だ。多分最後の25mは小生の独泳。ついでにバタフライのプログラムを見ても、やはり20秒の差がある。
 予定より15分ほど遅れ11時半スタート台に上がる。「ヨーイ!」・・「ピー」の笛で飛び込んだ。水が冷たくない。水温27.5℃と言っていたが28度位かな?予想したとうりターンで大分差がついたがマイペースで行く。フィニッシュはなんと2分20秒9、やはり、こういうレースは競り合わないと記録は出ない。
 プールから上がってくると、プール仲間のT女史に会った。「今日は何泳?」、
「フリーです」とのこと。 バタフライのスペッシャリストだが、今回バタは50mのみと言う。歳をとるとバタはだんだんきつくなるみたいだ。「頑張って!」
 その後、ロビーでお握りの弁当を食べて午後のバタフライを待つ。平泳ぎの後は自由形だが、これが出場選手が多い。男子で60組。ということは約480人。女子を合わせると800人ぐらいの選手が出場する。メール友のOさんが自由形3組に出るので、プールサイドに行って応援。1分20秒で泳いだ。もう70歳というのに元気なもの。
上がってきた彼に「オツカレサマ」と声をかけた。一言、二言立ち話。
 バタフライの出場は3時半過ぎだった。どっちみち最下位だから、最後の25mを格好良く泳ぎたいと前半マイペース、75mからラストスパートしたつもりだったが、結果は2分20秒6だった。
 今日は成果なし!強いて成果と言えば、昔は50mプールの前に立ってこの距離をバタで往復するの?と思うと恐怖感があったが、遅いとはいえ、今は平気で泳げること。
 やはり、全国大会の泳者は早い!市や県の大会とは大分レベルが違います。

 そもそも今回の出場は、65~69歳グループの69歳だから一番不利。だから、頑張るのは来年でいい。でも出場しないと来年、10年連続出場の表彰が貰えないから、とりあえず100mにしておこうと、100m出場でした。
自分の特徴はやはり長い距離で出る。来年は200mに挑戦だと、思い定めて帰途につきました。
....

 


夜叉が池

2005-09-24 | 素晴らしき仲間たち
 21日朝、5時過ぎに眼を覚ましたら、台所が賑やかだ。今日は5人の内3人が登山に挑戦。残りの二人は、ゆったり温泉にでも浸かって引き上げる予定になっていましたが、登山組がまだ寝ているうちに、ゆったり組が起きだして朝食の支度をしていた。
 5人揃って、具がたっぷりの味噌汁つき朝食を食べてから、6時半登山組出発。
横山ダムで左折R303を木の本方面に。途中から池の又谷林道に右折。7時25分、登山口着。この間まったく対向車に出会わない。
 「夜叉が池」は、泉鏡花の小説で有名だが、福井・岐阜県境に位置する。
登山なのに「池」は奇妙な感をもたれるかも知れないが、この池、標高1099mです。
 7時半から登る。登山はヴェテランのMさんから注意を承ってから、Mさんが先頭、次が小生、最後がSさんのパーテイで登り始める。
天候は曇り空。とにかく水が豊富な山である。到る所で水が流れ落ちている路を踏みしめる。
それに各所に大きなブナの木が自生している。
ブナは水を豊富に蓄えると、どこかで聞いた記憶があるが、確かに水に恵まれた山である。

 登山コースは、登山ながら上り一方ではない。コースの3分の2ぐらい迄上ったり下ったりで一時間、「幽玄の滝」に着いた。ここで小休憩、私はびっしょり濡れたシャツを替えた。ガイド(パンフ)に拠るとここまで約1時間とあったから標準のスピード。老人のペースとしては立派なものである。
 ここから山頂までが本格的な上りになった。
「これだけの勾配だったらチェインを張って欲しいね」というのがSさんの意見。
同感だ。約30分。上り切ると札が立っていた。「右、三周ケ岳。左、三国岳」。
 「どちらへ行くの」と、Mさんに聞くと「ここまでです」と言う。「ええ?」
と前を見たら眼下に大きな池が見える。”夜叉が池”だ!
尾根のようになっている頂上で、Mさんが持参のインスタントコーヒーを馳走になる。美味い!
一休みしてまたシャツを替える。とにかく汗が出る。
池に下りる木製の階段が設置してあったので、3人、池畔に降りて、記念撮影をした。
「夜叉が池」まで上ったという証拠写真だ。
 9時40分、山を下り始める。途中、男女連れのパーテイと、女性一人に会う。
こんな山奥まで一人で登山する女性が居るんだ!
 11時ごろ登山口まで下りた。ここでSさんお手製のお握りを頬張る。運動した後のおにぎりは美味しい。3~40分休憩して帰途に就く。途中、道の駅でお土産を調達し、「温泉で汗を流そう」と久瀬村の久瀬温泉に入る。露天風呂で入浴料\400。
 温泉に入ると、疲れが一度に出たが、運転はMさんにお任せして、うとうとしている内に岐阜駅に着いた。ここで、解散ということになり、浜松に向うSさんと一緒に東海道線の快速で帰名。

徳山ダム

2005-09-24 | 素晴らしき仲間たち
 彼岸の入りの20日、徳山ダム見学と「夜叉が池」登山の旅に出かけました。恒例の労組時代の仲間5人です。Hさんが岐阜県藤橋村に山荘を契約したというので、その山荘に泊まる旅行を計画したのです。
 小生は小牧のMさんの車に同乗、他のメンバーは岐阜からHさんの車でR417の道の駅”藤橋”で12時合流した。荷物を山荘に置いて、昼食は近くの”森のレストラン”で岩魚料理を賞味。岩魚の刺身は美味しかった。
 食事後、「藤橋城」という南北朝時代の砦跡に平成の築城を行った城、中身は西美濃プラネタリウムという珍しい城を見学した。と言っても残念なことに祝日翌日は休館日でプラネタリウムはお休み。外観だけの見学。これも、竹下さんの一億円の成果らしい。
 因みに、秀吉の正室おねねの方はここの砦の城主杉原一族の出という。
 その後、417号線を北に、徳山ダム建設現場を見学する。
 日本最後のダム(と言われる)にして最大のダムは、20年がかりで平成19年完成の予定だそうだが、總貯水量6億6千万トン、湛水面積13km^2、堤高161mのロックフィルダム。
 かつて1600人余の住民が住んでいたが、全員集団転居。徳山村は消滅し藤橋村に合併されたが、その藤橋村も近年、揖斐川町に町村合併。(因みに、昨年走った揖斐川マラソンは、揖斐川町町役場からスタートして川沿いに上流に走る。フルの場合は山荘近くの横山ダムまで走って折り返す)
 ダム建設をめぐって反対運動があって裁判になっている。環境を破壊すると主張し、クマタカの営巣も見つかっていると言う。2年前、岐阜地裁の一審判決で住民側が敗訴したが、名古屋高裁に上告して争っている。それだけに水資源公団は住民へのPRに気を使っている。現地には徳山ダムパビリオンなる施設を設置して工事内容のPRに努めているのだが、ここも祝日翌日休館でした(予約制で工事見学案内があるようです)。
 見れば見るほど大掛かりな工事で、ここから引いてくる水道は随分高くつくだろう。名古屋市では、要らないと言っているらしい。
 「公団というお役人の天下り先と、ゼネコンの利益のための工事」といったのが、私たちの感想でした。
 徳山ダムにご関心の方のため、HPのURLを下記。
 水資源公団
http://www.water.go.jp/chubu/tokuyama/
 反対運動側
http://tokuyama-dam.cside.com/
 徳山の写真を撮り続ける
http://wwwsoc.nii.ac.jp/jdf/Dambinran/binran/TPage/TP1130Masuyama.html

 夕方、山荘に戻り、夕食の準備。男たちの手料理です。小生は、料理には自信が
まったく無いので、皆さんにお任せして、手を出しませんでしたが、メインデイシュは、飛騨牛の焼肉でした。
 先日、屋久島に奥さんと結婚40周年の旅をしてきたHさん土産の、焼酎を傾けながら世間話に夜が更けるまで。話題は先日の総選挙、「民主党もだらしないが、
国民は政権交代の価値が分かっていない」というのが、結論のようでした。(続く)

郵政選挙の補足

2005-09-23 | 経済と世相

 今回の選挙について、小生と同意見の方がいました。日本綜合研究所理事長の寺島実郎さんです。16日朝のNHKラジオ(展望)で話していました。
【所得が伸びない時には、分配に対する不満が起きる。今回の選挙で自民VS民社は首都圏(1都2県)の小選挙区で63:5。これほどの差がついた原因は、従来の、中央に税金を集め地方に分配すると言う構造に対する、サラリーマンの不満にある。亀井さんとか、綿貫さんとか、郵政反対派の顔ぶれは、中央の税金を地方に分配する代表たちであった。】
と述べ、更に次の指摘をしていました。
【小泉自民は、言わば従来馴染みの顧客を切り捨て、一見さんを顧客にすることにした。多数を制して安定したかに見えるが、いつ逃げ出すか分からない顧客である。】

 私も前回のメールで触れなかった点を補足します。
 「郵政改革」に焦点を絞って「分かり易い選挙」をした。というのだが、実は、
「郵政改革」の中身については何も説明していない。(その意味では分からない選挙だった。)
 有権者は、「郵政改革」という言葉から、自分がイメージすることを勝手に「郵政改革」と思って小泉さんを支持した。したがって、その実態が明らかになるにつれ、急速に支持が離れることは充分考えられる。


ゴッホ展

2005-09-23 | 美術館と美術展
 9月としては15年ぶりの暑さという13日朝10時、愛知県美術館に押しかけ
た。万博の終了する25日まで、ここでは万博記念ゴッホ展が開催されている。チ
ケットの売り場に行くと、なんと行列が並んでいる。スタッフが「待ち時間5分」の札を立て行列整理のチェインを張っていた。「万博のおかげで行列が流行っている!」
並んでいる間、大型TVに「孤高の創造」なるゴッホのビデオを映して見せてく
れる。
 中に入ると「”ひまわり”の展示は8月28日で終わりました」の掲示があった。

 ゴッホ(1853~1890)は、生涯に2000点余の作品を残したそうだが、ファン・ゴッホ美術館の所蔵品を中心に油彩画30点が、年代順に並んでいた。
「糸杉と星の見える道」とか「馬鈴薯を食べる人々」とか、
色々な本で紹介されている作品もあったが、私の一番印象に残ったのは「花魁」、浮世絵の模写です。
 模写と言えば、ミレーの「種播く人」の模写から出来た作品もありました。

 『自画像を描いても、ひまわりを描いても、ついにじみ出てしまう人間の根源的な感情がある。それは、「悲しみ」である』といったのは司馬遼太郎さんでした。(オランダ紀行)
 ゴッホが生前愛読した書籍、雑誌、それに浮世絵の展示も、
「彼はこんなもの見てたんだ!」と面白かった。
 浮世絵の蒐集や模写に見られるように、ゴッホは日本ファンでした。当然ながら、彼は日本に来たことはなく、したがって、彼の想像の中の日本に憧れていたのですが・・・その日本で彼の絵を見るため行列まで出来るとは、彼にとって想定外だったでしょう。
 日本どころか、ヨーロッパでも、生前、ゴッホの絵は殆ど評価されなかったそうです。
画家を志したのは27歳の時だった(当初牧師になりたかったようだ)。
ベルギーの王立美術学校に入ったそうですが、彼の絵画は理解されず、一ヶ月で落第。初心者クラスに落とされた。今日の不滅の天才も、形無しでした。

人間の評価というものは、時代を経てからでないと定まらないと、書物で見るゴッホの絵に感じましたが、本物の前であらためて、思いました。
 あに芸術に限らず、政治でも経済でも、同じことが言えるのでは?と感じた次第です。

 一時間ほど見てから外に出た。ついでに、所蔵品展も見ていこうと、同じ階の展示室に入って、高橋由一の「不忍池」を改めてじっくり見てみました。


選挙結果に思う

2005-09-14 | 経済と世相
 「経済学」の”経済”は「経国済民」という言葉から来ているそうです。”経国”とは、”国を経営する”、即ち国のマネージメントの意味。そして”済民”とは国民を救う、言い換えると、国民に生活の資を得る職を保障する。平たく言うと、「お金が国民各層に回っていくようにする」ことです。

 ところで、小泉政権以前の自民党は、一言で言うと、都市で集めた税金を地方にばら撒く装置であった。そのことは、そのことなりに国民経済上の意義があった。何故なら、都会の企業やその企業に働くサラリーマンの収める税金を、公共投資などによって、地方に回してやることで、国民各層にお金が回っていくのです。例えば、自動車産業を例にとると、車は今でこそ世界各国に売れるのですが、そうした産業に発展できたのは、最初に、国内に車を購入出来る市場が存在したからです。その市場は、都会の企業から地方にお金を回すシステムがあったからこそ存在したのです。
 ところが、高度成長が続いていた時は良かったのですが、バブルの崩壊以後、サラリーマンや企業から他部門にお金を回すゆとりが失われ、こうしたシステムに対する不満が充満してきた。そうした不満が、企業の稼ぎを回してもらう立場の人、例えば、天下り公務員、公共投資の談合企業など、への怨嗟となった。
 そうした怨嗟の底流に乗っているのが、小泉改革の人気ではないでしょうか!
 小泉首相の唱える”改革”とは、”稼いでいる企業から稼ぎにくい部門へお金を回すシステム”の破壊です。(それも、それらのシステム全部を破壊するのでなく、思いついたところから槍玉に挙げている)

 そこで、冒頭の”経国済民”です。一国の中で、時勢に乗って稼ぐことの出来る業種とそうでない業種がある。稼げない業種の人にもお金を回すシステムは必要なのです(必ずしも、それは従来の公共投資である必要はありませんが)。
 例えば、公務員を減らす!と言う。公務員を減らせば、「稼いでいる部門から回すお金」は少なくなりますが、減らされた公務員は、どこからお金を回してもらえば良いのでしょう。国の経営には、企業の経営とは違うのですから、そうした立場の人々へ職を提供する配慮が必要です。
 私は、小泉・竹中ラインの経済政策にそうした配慮があるとは、どうしても思えません。にも拘わらず、かくも小泉政権への支持が高いのは、前述の”怨嗟”が、いかに大きな底流になっているかを物語る。でなければ、「郵便局を民営化すれば公務員が減る」などという噴飯モノの理屈が堂々と通る(郵便局員の看板を取り替えるだけで公務員の人件費は一銭も減らない)筈はありません。
 経済の国際化が、若し、避けられないものならば、そうした経済の下で、どうやって国民各層にお金を回すシステムを作り上げるか(システムを壊すだけでなく)に、為政者の知恵が要求される。

 以上、想定外の小泉大勝利の報に、思ったことです。


円空さんを見る

2005-09-08 | 美術館と美術展
 台風の過ぎ去った7日、名古屋市博物館に「円空展」を見に行こうと出かけました。窓口でチケットを買おうとしたら、「チケット買いますか?」と背後から声がかかりました。
 「ええ」と振り向くと、中年の女性が立っていて「チケット余っています。差し上げます」と言う。「じゃ、お金払います」というと、「私も貰ったチケットですから、結構です」。
 ありがたくご好意に甘えることにした。
 中に入って、とにかく沢山の木造の仏体が並んでいる。東海三県からが多いが、北海道、秋田などからの出品も見られる。円空は17世紀の上人にして仏像作家。美濃(岐阜県)の生れで、近畿から北海道にいたる日本各地を旅しながら仏像を残している。生涯に12万体の仏像を彫ったという。12万というのはもの凄い!一日一体の彫刻なら、10年で3650、30年で1万体だから、12万体なら1日10体ぐらいだ。現存するものでも5000体あるという。
 展示してあったのは各地から集めた約120躯の円空佛と千体佛と言われる像高5センチ前後の木彫り約100点。いずれも斧の素朴な切痕が味わい深い。
 名古屋城を創建した時の端材というか余った木材で彫ったという作品もあった。
 興味深かったのは、円空自筆の墨蹟、中でも絵入り大般若経。円空と言う人は書も絵も堪能の人だったようだ。

 展示場の売店で、飛騨千光寺の円空観音の絵葉書を、記念に買う。

 一時間ほど見て外に出ると、「日本の女流書展」という看板が目に入った。一寸のぞいて見ようと、三階に上がった。「出品者のリストをどうぞ」と入口でパンフをくれる。
 中に入って驚いた。作品数の多さに圧倒されたのだ。あらためてリストを見ると、1000名余の名前が並んでいる。聞くと、毎年この時期、この博物館で、展示会が行われているそうです。
 書というものは、達筆でよく読めないものも、有名な詩文で、すぐそれと読み取れるものもあるが、いずれも、作者の、みずみずしい情感が、作品上に漂う。一つの作品をものする時間はどれくらいだろうか、膨大なこれら展示作品群を作成するに費やされた時間というものはタイヘンなものだなと思った。
 もしかしたら、これだけの時間を費やす情熱が、文化なのだとも感じた。

 今年は、万博を記念した特別企画展が名古屋周辺の美術館、博物館で行われてい
る。先々週は、市美術館で片岡鞠子展。来週は県美術館でゴッホ展を見る予定です。
 帰宅後、インターネットで「円空佛」を検索すると、飛騨千光寺のHPに、写真がいろいろありました。ご興味ある方は以下のうRLでご覧ください。
http://www.hidanet.ne.jp/~daien/buddha.html

ソフト・バジェット

2005-09-08 | 経済と世相

 1億人が一人100万円づつ借金をしたら、借金合計でいくらになるか?簡単な計算です。100兆円です。ところで、国の借金は、詳らかには知りませんが、700兆円を越すそうです。国民1.2億人として一人当りで600万円借金している計算になる。他人事みたいですが・・・・・
自分の家庭が、600万円×人数分の借金を返せ、と言われたら、ぞっとしないですか?

 借金があっても、それに見合う資産があれば、資産を売り払って借金返済できるわけですから、大丈夫ですが、国の場合、いくらの資産があるのか、財務省は発表しないから分からない。
 私が疑問に思うのは、一体どうやって、そんなに借金を作ることが出来たのか、ということです。というのは、現在、国の予算は年間約80兆円強、税収入が40兆円強ですから、国債を40兆円発行して収入の不足分を補っている。ということは、(利息は別に考える)年40兆円借金が増える。こういう状況が続くと10年で400兆円借金ができる。でも、700兆円には届かない。年40兆円の財源不足は最近のことで、10年間続いているわけではない。

 どうしても、「ソフト・バジェット」問題があると思わざるを得ません。
 「ソフト・バジェット」とは、経済学者の使う言葉でその意味は、こうです。
『通常の経済主体では、個人であれ企業であれ、予算の制約の中で自らの支出計画を考えなければならないが、実は、世の経済には、予算の範囲を越えて支出を続けて平気な顔をしている組織や企業が存在する。この場合、なんらかのかたちで支出の超過分は補填されているので、予算(バジェット)がゆるゆる(ソフト)という意味で「ソフト・バジェット」と言う。』
 かつての社会主義国や市場経済への移行経済にあった東欧諸国で、国営企業や公的企業がいいかげんな経営で赤字に陥っても、国の補助金や国営銀行の融資で救済され、存続してきた現象をさします。そして最近では、ソフト・バジェット問題は、広く市場経済でもみられる現象として認識されつつある・・・特殊法人、地方公共団体、銀行、そして不良業種の大企業など。銀行が不良企業を追加融資や追い貸しで救済する背景は複雑である。(桜川昌哉『金融立国試論』)

 日本政府は、ソフト・バジェットの罠に陥って、ずるずる借金を増やしつづけているのでは?と思うのです。
 円高になった時、ドルを買った資金は、国債で賄ったと思いますが、そのドルと国債はその後どうなったのでしょう。銀行救済に使った何十兆円もの資金は、何処から調達して、現在どうなっているのか?(そう言えば6兆円もの金をつぎ込んで10億円程度の金で外資に売り渡した銀行がありました)自衛隊イラク派遣の軍費は、予算の枠内で収まったとは考えられません。
 政府組織の各所に、ソフト・バジェット志向が住み着いている?
 これだけ政府財政を赤字にした責任者は誰か、明らかにして責任を取らせるべきだ!少なくとも、首相、財務相(蔵相)は責任をとるべきでは? と思うんですが・・・
責任を取らせずに勲章贈るんじゃない?