古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

東山魁夷展と折鶴タワー

2016-10-29 | 旅行
 27日は9時半にホテルを出ました。ホテル前の橋を渡り、広い道を「女学院前」という交叉点に来た。市電が走っているので「この道だろう」と右に折れると、すぐ県立美術館があった。早速¥1300のニュウjチケットを求めて3Fの「東山魁夷展にはいる。
http://www.hpam.jp/special/index.php?mode=detail&id=161
圧巻は、唐招提寺の障壁画です。現在唐招提寺は修理中らしく、この絵は取り外されて各地の東山展に巡行しているようです。
 障壁画が目玉ですが、東山魁夷(1908‒1999)の画業を年代順に多数展示しているので、若い頃から独自の画風であったことが良くわかります。長野県信濃美術館東山魁夷館から作品が多く持ってきたみたいです。小一時間見てから2Fの常設展、所蔵作品ベスト・セレクシヨン展を見ました。その後折鶴タワーまで歩いて行くつもりだったが、絵を見て歩いているうちにくたびれて歩くのが面倒になり、車を拾うことにした。車は縮景園前から八丁堀を通り広い道を原爆ドーム前。折鶴タワーに連れて行ってくれました。入場料¥1700と表示してあったので、「たしか昨日の会では年内無料と聞いたが・・・」と確認したら75歳以上のシニア料金は無料になるという。後期高齢者保険証を見せてチケットを貰った。小生は無料だったから文句はないが、一般の人に¥1700は高いのでは?
エレベータで屋上の展望台に上がる。平成28年9月回収竣工というから、できたばかりだ。地上14F,地下2Fで高さ51.5mという。

展望台まで木造のスロープが出来ていて、四方を眺めながら歩いて上がることもできる。14Fというから私のマンションと同じだから歩いて上がることもできるが、齢を考え、上りはエレベータ、下りは四囲の風景を確認しながらスロープを歩いた。
原爆ドームが直下に見えた。メルパルクも見えた。

10年以上前のことだが、宿泊したことがある。その時もオフ会だったかな?
1Fで土産物を調達。引き上げることにする。

帰りも車でもどろうか、と「タクシー乗り場はどこ?」と聴いたら、スタッフの女性が「車お泊めします」と外に飛び出しタクシーを呼びとめてくれた(広島の女性は老人に親切である)。ホテルに戻って預けた荷物を受けとり駅に行く。駅前の定食屋で「日替わりランチはサンマです」と宣伝していたので、今年は天候不順でさんまの水揚げが少ないらしくまだ食べてなかった、と今秋初めての味覚を味わい12:17の新幹線に乗れました。新大阪で30分の乗り換え時間がありましたが、3時半名古屋、家には4時帰宅できました。



0次会のカラオケ

2016-10-28 | 旅行
 以下広島紀行です。26日、9時半に家を出ました。11時過ぎの新幹線に乗るつもりでしたから、もっとゆっくりでもよかったのですが、電車に乗る前に丸善により本を買おうと思いました。何しろ広島までは3時間半かかりますから往復で7時間ある。読書時間として有効に活用するため本を買おうと思ったのです。丸善で1時間立ち読みしながら2冊の本を購入しました。中公文庫の「金沢の不思議」(村松友視著)と新潮新書の『ブツダと法然』(平岡聡著)です。「金沢・・・」は、娘が嫁入りした地なので金沢に関する本を見るとすぐ手を出したくなります。「正月に孫たちが来たらこの本を上げよう。もう下の子は高校3年だからこれくらいの本は読めるだろう」と思いました。
「ブツダ・・・」は立ち読みしてたら、「ブツダも法然も80歳で世を去った」という一文が目にとまりました。小生も80歳、「二人の先哲は80歳の時何を考えていたか」と読みたくなったのです。
名古屋駅から11時11分の“ひかり岡山行”に乗りました。”ひかり“といっても京都からは各駅停車みたいですから”こだま“とあまり変わらないが、じっくり本が読める、とシートに腰を下ろしました。岡山で”こだま“に乗り換え2時45分広島に着きました。”のぞみ“に乗れば乗り換えなしに広島へ行けるのですが、ジパングの3割引き乗車券は”のぞみ“に乗れません。駅前のアパホテルを予約していたので、改札口を出てすぐ左にあったインフォーメーシヨンで聞くと、駅を出て左にある郵便局に行くと見えると教えてくれ、地図をくれました。確かに郵便局から南を見ると、建物が見える。でも、それは最近できた新しいアパホテルで、私の予約した以前からあるアパホテルはその建物を目ざして歩くと信号前の右手にありました。
 アパホテルの「アパ」は、JAPAN(日本)の左端のJと右端のNをのぞいて、日本の真ん中だという洒落です。何故こんなことを知っているのかというと、20数年前、娘が嫁入りしたので、金沢に行く機会が増えました。金沢にアパホテルが数軒ありましたので利用したことがあったからです。その頃は北陸にしかなかったのですが、商売がうまかったのか、ビジネスホテルのチェーン店としてそれ以後全国に展開するようになりました。
 3時半からカラオケ会に参加することになっていました。3時、ホテルにチェックインを済ませ、部屋に荷物を置いたあとすぐ出かけることにしました。フロントで場所を聞くと、「当ホテルの裏の建物、郵便局のある通りです」。
 今回の旅行は、広島の人が中心になって運営しているパソコン通信の会に17年前から参加しているのですが、数年に一度顔を合わせて懇親するオフ会です。
まぁ懇親会ですから、絶対に出席しなければならないというわけではないのですが、「出てこない!」と声をかけられると、原則として断らない主義ですので、このところ、そうした旅で、結構忙しい。今月最初の東京の旅、今回の広島、来週末は野間大坊、蒲郡と予定が詰んでいます。
今回は懇親会の前にカラオケパーテイをやろうという。忘年会などの懇親会のあとの二次会でカラオケ会に参加したことは度々あるが、二次会でなく、0次会のカラオケというのは初めてです。2階に上がると、ロビーに懐かしい顔が数人。「何年ぶりかな」握手を交わしてからカラオケルームに入りました。はるばる名古屋から広島まで来て参加するカラオケだからと、遠慮なく歌わせてもらいました。6~7人のメンバーでしたが、みなさんいろんな歌を歌われます。以下、画面に映る歌詞を見ていて思ったことです。
演歌の歌詞ってホントに工夫して作られている。ボブ・デイランがノーベル文学賞を得て話題になっていますが、例えば阿久悠やなかにし礼の詩など文学的香りのある詩が多い。
ボブ・デイランがノーベル賞の対象になるなら、日本の演歌歌人も対象にならないだろうか。もっともノーべル賞は生存者でないと受賞できないが・・・
文学は言葉を用いて表現する。言葉を聞いてその言葉から生み出される印象の美しさが文学になる。ところが言葉が惹起する印象は言葉を用いる民族の長い歴史の中から生み出される。だから、文学作品の美しさは、民族のもので、言葉を使う民族のみがその美しさを理解できるのではなかろうか。日本語の詩と英語の詩を比較してどちらがより正しいか美しいかを議論することは出来ない。ノーベル賞の意味が文学と自然科学とでは全然違う、など益体もないことを考えていました。
次々とみなさん謳われます。私も5~6曲うたったかな?うたが歌えるためには、ある程度肺活量がないと謳えない。ですから、歌えるということは健康な証拠です。最後はもちろん広島カープの応援歌!そして「青い山脈」やら「高校3年生」を合唱して5時半、0次会を追えて、次は隣の福屋デパート11Fのレストラン街で懇親会でした。12名出席。
「この前は何年前でした。宮島に行ったのは」、「NOZUEさん、自転車でしまなみ海道を渡ってこられたことあったね」と、みなさんご高齢になっても記憶力はまだ確かです」
どなたかが電卓をはじいたら平均年齢76歳の会でした。私が80歳で最高齢だったようです。
「明日はどこへ」、「午前中に県立美術館で東山魁夷展を見て午後帰ります」。
「折り鶴タワーをみていかれるといいよ」とのアドバイスがあって、明日の予定が決まりました。(続く)

スポーツ医事相談

2016-10-22 | 水泳
21日3時過ぎ、プールから帰ってきたら、電話が鳴る。受話器を取ると「日本ガイシスポーツプラザです。スポーツ医事相談を12月に予約して頂いていますが、キャンセルがあれば早くすると承っています。本日キャンセルが出たのですが、おいでいただけますか。7時からですが」という。
 ひと月前、今年もスポーツ医事相談を受けようと電話したら、「予約が詰まっていて12月16日なら予約できます」。と言うので一応予約し、それ以前にキャンセルがたら早くしますと伝えておいた。今日の分のキャンセルが出たから来られるか?というのだ。
 「では7時に伺います」。5時過ぎに家を出たら6時についてしまった。受診料500円を支払い、問診票などに記入しながら1時間ほど待った。
受け付けてくれたスポーツアドバイザーが、「こんなに沢山受診して頂いています」と私の受診記録の控えの山を見せてくれた。もう10数年毎年受診しているのだ。
 採尿から始まり、身長、体重、体脂肪率などの測定の後、脚力の測定。腰をシートベルトで固定し、両脚で前の板を蹴飛ばしてその時の力をワット数で測定する。
「片脚でのデータも取ってください」と頼んだら「片脚だけでは、比較するデータがありません」。「今年のデータを記録しておいて、来年来たときもう一度測定して比較すればいいでしょう」と言って、左足だけの測定を参考に記録してもらった。
その後、安静心電図を取って、その電極を胸に着けたままバイクに乗って運動心電図を取りながら足にかかる荷重を増やしていく。心拍数が200を超えるまで、7~8分、その後停止して5分程度心電図をとった。
 測定を終えた跡、医師のコメントとスポーツアドバイザーのコメントを聞く。
医師「特に悪いデータはありません。今までのスポーツを続けられて差支えありません」とデータを」くれた。
身長170センチ、体重う62.2kg(少し太った?)、BMI21.5体脂肪率は10.5%です。予測最大酸素摂取量59.2ml/kg/分(この値は前回測定値から全く落ちていない)
スポーツアドバイザーとの対話。
 「運動負荷能力は5/5(5段階評価で5)です。非常に能力が高いですね。脚伸展パワーは2/5(5段階評価で2)ですが、これは80歳代の測定デーヤが少ないので80台でこの測定をする人は相当運動能力の高い人。それとの比較ですから」、気にすることはない。」
小生「毎年この測定に来るときは、体調を整えてくるのですが、今日は3時の電話で来ることを決めました。1時半から1時間プールで25m×40本泳いでへとへとの状態で来ているんです。その割にデータは悪くないのですが、最近、泳いだ後すごく疲れるのです。自分の齢を考えると練習量を落とさないといけないでしょうか。実は、2年半前に大怪我をして、それ以前泳げたバタフライが全然泳げなくなり、2年間練習してやっと25m泳げるようになったのですが、まだ50m、100mは泳げません。元通りになろうと、練習をくりかえしていますが、年齢的にもう無理なのでしょうか?」これが今日一番聞きたかったことだ。
「私もバタフライは泳げませんから25mでも80歳で泳げれば立派ですよ。練習し続ければ長距離も泳げるようになると思いますが、練習間隔をあけるなどの配慮はした方が良いかもしれません。たとえば筋トレで筋肉に力がつくのは、筋トレをやっているときではなく、練習を止めて休んでいるときです」。
 8時前ン終了して、8時45分帰宅しました。

堺市と鋳物師博物館

2016-10-15 | 旅行
「市役所の駐車場が有料なの。さすが大阪だなぁ」堺市役所の駐車場に着いたとき、Hさんが吃驚したように声を上げた。「30分200円の表示がある」。確かに愛知県や岐阜県では考えられないだろう。ただし、表示には「市役所の部局に御用の方は1時間以内無料」の掲示もある。
 なぜ、堺の市役所に来たのか。目的は、仁徳御陵の前方公園墳を見たいと思ったのです、何しろ面積では江界最大の御墓である。そばに行ってみても方なのか円なのか、全体がどうなっているか、全然わからない。高い所から俯瞰すればよいだろう。高い所がどこかにあるか、ネットで調べたら、市役所の21Fに無料の展望室があることが分かった。そこで市役所に立ち寄ったわけだが、大阪の市役所は商売上手である。そういう客も来ることを見越して、展望室の入場は無料でも駐車場で稼ぐわけだ。
21Fに上がると、展望室の窓際に展望風景と何が見えているかを絵で表示している。
「ボランテイアによる無料のガイドがある」との掲示を目ざとく見つけてJさんが依頼する。4人そろってのガイドの説明を聞いた。

名札を示し、「私は唄(ばい)です。北海道美唄市の唄(ばい)です。といっても、「堺市生まれの堺市そだちです」。

「仁徳天皇は16代目の天皇です。今上天皇は何代目かご存じですか」。「125代だったかな」と小生。「正解です」から始まって、朝鮮から多くの帰化人が渡ってきて日本の文化が創造したこと。あそこが仁徳天皇陵、こちらが○○天皇陵とこまごました説明。

「堺市の堺の地名は、摂津、和泉、河内の3国の境にあったことに由来します」。と、雑学も教えてくれた。聞き惚れていて1時間も聞いてしまった。疲れてきたので、礼を述べて帰ることにする。駐車料金は600円だった。
 2時近くになっていたので、次の目的地に向かう。次は「みはら歴史白部位つ刊である。「みはら」とは堺市美原区の意味。この辺りは昔朝鮮から鋳物の技術者が渡ってきて住みついたらしい。いわゆる河内鋳物師(かわちいもじ)と呼ばれる技術史集団です。奈良の大仏の修復にも活躍したことが史料に載っている。梵鐘などの他、鍋釜の日用品もつくったようだ。そこでこの美原区に河内鋳物師の博物館が作られている。65歳以上は無料だった。
 見学後、館内のレストランで腹ごしらえをした。
カレーライスを頼んだら、ご飯は白米ですか。古代米もたきあがっていますが」と古代米を食べさせたいみたいだ。お勧めの古代米でカレーを食べることにした。
 3時雄過ぎたので帰ることにした。
帰りは松原iCから高速に乗り、直ぐJCから西名阪に入る。天理でつなぎの一般道を経由して東名阪に入った。亀山を過ぎて渋滞を避け、一般道を走ったが、暗くなってきて、道に迷って鈴鹿ICにはいるのに手間どったが、再度高速に乗ってからは順調、名古屋西ICから名古屋高速。駅新幹線口に7時前到着し、ここで解散。二日間の旅を終わりました。

和歌山城と美術館

2016-10-14 | 旅行
 和歌山城は、ご存じ紀伊徳川家の本故智です。しかし創建は豊臣秀長による天正13年です。築城の名手と謳われた藤堂高虎が普請奉行を務め、高虎が手掛けた最初の本格的城郭です。関ケ原の戦いののち、浅野幸長が37万6千石の城主となり天守閣を創り城下町を整備した。浅野が広島に移封された後元和5年徳川頼宣(家康の10男)が55万5千石の城主となる。8代将軍徳川吉宗は5代目の城主であった。
 入場料410円。早速天守閣に登り天守からの展望をカメラに収めた。
この天守閣、明治維新の廃藩置県の際100円で売りに出されたそうである。無理やり交わされた金持ちは始末に困ったらしい。兵部小(後の陸軍省)が召し上げてくれて大喜びをしたと、司馬遼太郎さんは語っている。
入り口には見事な白虎の増が飾られていた。

庭に威風堂々の巨木があった。
流石紀(木)の国であると思わせた。


天守閣を降りてから西の丸庭園を見に行く。
池が美しい。

秋は日が短い。城をでたら5時だったが、もう薄暗くなる。車のナビに宿舎の電話番号を入れ、ナビのアナウンスに従い、走り始める。こういう時にはカーナビはまことに便利です。40分ぐらいで突然海岸に出た。紀淡海峡です。今宵の宿、休暇村紀州加太は小高い丘の上にあった。
 5時40分、チェックイン。30分で大急ぎで風呂に入り、その後、恒例の勉強会を済ませ、7時から夕食を採った。従業員の勤務時間の関係で8時に終わってほしいということ。この辺は民間企業と違って融通が利かないようだ。忙しかったが結構おいしい夕食でした。
生ビール2本頼んだが、2本目は最後は少しもてあました。80代になってお酒によわくなった。皆は「卒寿まで元気に生きてくれ。皆でお祝いをしよう」と言ってくれた。
 結局、従業員は姿を消していたが、8時半まで飲んでいた。
 すっかり疲れてしまい、部屋に戻ったらすぐ寝てしまった。

2日目は6時、朝風呂に行くが、目の前に見える淡路島の景色が素晴らしい。8時半、和歌山県立近代美術館に向かう。昨日訪れた和歌山城の隣です。
Jさんが友人に「和歌山へ行く」といったら、「是非県立美術館を見てこい」と言われたという。9時5分についてしまい、地下の駐車場に車を入れた。開館は9時半ということな
ので、ロビーに座り開館を待つ。65歳以上は無料と言うことだった。
美術館は昭和38年「県立美術館」として建てられたが、平成6年、黒川紀章の設計でリニューアル、「県立た代美術館」になったそうだ。
[薔薇色の鏡]と題する銅版画の企画展をやっていた。
「佐伯祐三」(1898-1928)の作品も見た。
この美術館は彼の作品を多く抄有しているそうだ。Jさんが毎日新聞の号外を持ってきた。今日から和歌山県美術展が始まるという号外。テレビノスタッフも入っているらしくざわざわしている。
「一寸はいってみない」と言うので覗いてみた。
絵画部門の最優秀賞「冬」と題する少女の立ち姿を描いた作品が印象的だった。
11時前、美術館を出て境に向かう。(続く)

「根来寺]

2016-10-13 | 旅行
11日は恒例の4人組の旅行。10時JR西岐阜駅に集合することにしました。
9時35分に着きましたが、次の列車でSさん、Jさんも見えてHさんの車に乗り込みました。今回の目的地は和歌山。今日は最初に根来寺、その後和歌山城を訪ねることにしました。
「一度和歌山に行ってみない」とHさんに電話したら「根来寺(ねごろじ)に行きたい」という。
http://www.negoroji.org/
司馬遼太郎街道をゆく32巻で「紀ノ川流域」を読んだらもっぱら「根来寺」と「和歌山城」だった。そこで、今日は根来寺、和歌山城になった。
 岐阜羽島から名神に乗り、1時間あまり草津のパーキングエリヤで休憩し、その後瀬田東から京滋バイパスにはいる。久御山JCTで第二京阪、近畿道。枚方、東大阪を通ってなんかした。この辺りは高速道が錯そうしてどの道を行くのが良いのかさっぱりわからないのでドライバーのHさんに任せる。12時半」岸和田のサービスエリヤで昼食をとることにする。鉄火丼を食べたが、この辺にくると海に近くなる所為かお刺身がおいしい。
 和歌山の手前の泉南ICで高速を降りる。一路、根来寺へ。
根来寺は高野山中興の祖と言われる覚鎫(かくばん)上人は、空海の教えに新解釈をして新義真言宗を説いた。これが高野山の主流派に嫌われ、高野を追われ紀州に根来寺を開いた。覚鑁は康治2年(1142)亡くなった。頼朝の生まれる4年前です。死後根来寺は隆盛になった。僧兵を養い、その武力を謳われたのは戦国時代です。
 秀吉対家康の小牧長久手の合戦の際は家康に味方し秀吉包囲網の結成に努めた。このため秀吉に疎まれ、一時つぶされかかったが、家康の時代になって家康の助力で勢力を持ち直し、70万石余の大名並の威勢をほこったそうだ。

 2時頃根来寺に着く。伊受付の女性に「ここの見どころは?」と聞くと、階段を上がったところに国宝の「大塔」、隣に県文化財指定の大伝法堂があります」
大塔は高野山伝法院にあった大塔を継承して天文16年再建され、「天正の兵禍」を免れた

 大伝法堂は根来寺本尊の三尊像を安置、根来寺を総本山とする新義真言宗の中心的行事の行われる建物という。

1時間度ほ見学し、車に戻り、今度は和歌山城に向かう。4時に着いた。(続く)

医療費問題を考えさせられた

2016-10-12 | 経済と世相
 毎年今頃来る年金機構からの通知が来た。10月以降翌年4月までの年金振込額の通知です。2か月の振込金額は昨年より17590円減少している。支払額は毎年変わらないのだが、控除額、介護保険、医療保険、所得税、住民税の控除額が年々増えているのだ。「月約8千円節約しないといけないな」
 介護保険が一度も使ったことがないのに、年々増えていくことは納得しがたい思いがある(介護保険制度が出来たことは幸せだったのか疑問になる)が、いつか自分も使うことがあるかもしれないので、致し方ない。
医療保険も、年々使用額が増えているので、文句は言えないが、特に今年は「前立腺がん」の治療に高い金額を使っている。
 そういえば、週刊文春(10月13日)に前立腺がんの健診について批判的な記事があった。
以下の要旨です。
『がんの中には早く進行する「スピードがん」もあればゆっくり大きくなる「のんびりがん」もある。前立腺がんはこの「のんびりがん」が多く、命取りにならない。近年、PSA健診のおかげでこの潜在がんをたくさん掘り起こしてしまう。
 命取りにならないがんを発見してしまうことを医学用語で「過剰診療」と呼ぶ。
「どれくらい過剰診断があるのか正確に割り出すことは困難だが、罹患者数と死亡者数の乖離が、過剰診断の一つの証拠になります。英国ではPSA健診が普及した結果、前立せんがん患者が増えて問題になりました。日本でもPSA健診の普及で過剰診断の増えている可能性は否定できません。
 過剰診断が問題をはらむのは、無用な検査や治療につながることだ。現在PSA値が4ナノグラム/ml以上だと「要精密検査」とされる。直腸診や超音波検査で絵前立腺がんの疑いが強いと判断されると「針生検」という前立腺に針を刺して、組織を採取する検査が行われるが、出血や感染を起こす人もいる。
 さらに問題は、前立せんがんと診断された場合、手術や放射線、ホルモン剤、抗がん剤などによる治療を受ける人が出てくる。治療で命拾いする人もいるだろうが、過剰診断だった場合、治療によって体がダメージを受け、かえって命が縮むこともありうる。
 現在の医学ではどの患者が過剰診断にあたるかわからないのだ。
 前立腺がんのPSA健診は「死亡率減少効果を生むか判断する証拠」が不十分なのです。
PSA健診の実施状況を診ると、「70歳以上は無料」としている市町村もある。高齢者には特に医療サーイスを手厚くしたいという意識が働いているのだ。だが、実際には高齢になるほど、過剰診断が増えている。寿命が限られているので、がんを見つけたとしてもそれが命取りになるとは限らないからだ。また、がんの検査や治療に伴う身体のダメージも若く体力のある人より当然大きくなる。』
 年寄りの医療サーイスを増やそうという善意から実施するPSA健診は、医療費増から保険料の値上がりになり、かえって高齢者を苦しめていないだろうか。こうしたケースは、pSA健診に限らないのでは?


前立腺がんのチェック

2016-10-05 | Weblog・人生・その他
10月5日、「前立腺がんのチェックの日だ」と自転車を転がして出掛けました。
雨は降ってないが、今にも泣きだしそうな空模様です。「台風が近づいているらしいから早くかえってこないと」。
 9時半に西部医療センターについて、いつも通り受付、保険証チェック、尿・血液の採取と進む。
採血順は121番だったが、10時には終わり再診の受付をすませた。
これからが長いんだ。今日は「大栗先生の超絃理論入門(ブルーバック)を持参して読み始めた。
この本はなかなか面白い。読み応えのある本ダ。
11時にカフテリヤに行きランチを取る。戻って来てもなかなか順番が来なくて、結局、診察室に入ったのは13時。
3時間待たされた。
「PSAは前回と同じ0.009です」と先生が言う。
「それだけ低くなっても薬を飲み続けないといけないですか」と聞いてみた。
「そうです。」一息ついてこういう。
「薬を止めて良いというためには、放射線でがん細胞を叩いてしまわないといけない。
最初の画像診断でがんの転移かも?というところが肺に見つかった。
他の臓器にすでに転移していたら、前立せんがんをたたいても意味がない。もう一度肺のCTを見て放射線治療の可否をみます。今日、帰りにCTを撮ってください」。「次回は11月16日にしましょう。その時CTの結果もお話しします」
「あれっ、80歳を超えたら放射線はやらないといっていおたが、気分がかわったかな?」と思ったが、異論は唱えないことにした。
「グロブリン注射をやります」。傍らのベドに寝かされ、お腹に筋肉注射して診断を終えた。
 その後、画像診断室に行きCT撮影の指示書を提出したら、「若いですねー」と受付の看護婦が言う。
「若い?もう80歳だよ」。「ですから、若い!そんな年に見えない」
CT撮影は直ぐ終り、会計を済ませたら2時近い。
「雨の降る前に帰ろう」と急いで帰宅したら2時でした。

東京紀行(武相荘に行ってきました)

2016-10-04 | 旅行
  2日は7時にレストランに行きました。
ホテルの朝食に吃驚しました。入り口でトレイを渡されパンかお握りヲ取れという。セルフサービスはいいのだが、お握りを取ったらコンビニの値札がついている。飲み物は珈琲や野菜ジュースが並んでいたが、お湯のポットが置いてあり、傍にインスタントの味噌汁がある。封を切ってお湯を注いで味噌汁にする。味噌汁もお握りも味は悪くないが、ここまで人手を省くものですかね。ウェイトレスの日本語に訛りがあったから外国人らしい。一泊9200円ですから、芝大門近くの東京ど真ん中のホテルでは安い方だと誰かが言ってましたが、びっくりでした。
 8時半にチェックアウトして地下鉄に乗る、神保町で新宿線に乗り換え、新宿へ9時過ぎ。ここで小田急線に乗り換えるのですが、乗り場がわからない。オノボリサンの始まりです。なんとか小田急のホームに辿り着き、9:31の小田原行快速に乗れました。
 今日は町田の“武相荘”を見に行くつもりでした。“武相荘”に行きたいといったら、町田に住む友人のMさんが案内してくれると言うので、鶴川の駅で10時に会いましょうと約束していた。ホテルから1時間半見ておいたら余裕だろうと思っていたのですが、オノボリサンは乗り換えの度にまごつくから、10分ぐらい遅れそう。「まぁ、遅れても待ってていてくれるだろう」。
 経堂とか下北沢とか、馴染みのある地名の駅に停まる。初めて乗った電車だが、停まる駅の名はすべて知っている。何故知っているのだろう。過去に読んだ数々の小説の中で登場する地名だからです。東京は公共投資も莫大だが、知的投資も莫大なんだ。東京は、日本人の100年余りのエネルギーが蓄積された地なんだと思いました。
さて、今日の目的の武相荘“故・白洲次郎、白洲正子夫妻の邸宅を2001年ミュージアムとして公開したものです。
http://www.buaiso.com/
昭和15年、夫妻は旧鶴川村(現町田市)の農家を買い取って住いとした。
武相荘とは、武蔵と相模の境にあるこの地に因んで、また彼独特の一捻りしたいという気持から無愛想をかけて名づけたようです。
新百合丘で鈍行に乗り換え二つ目の役が鶴川でした。10時5分、約束より5分遅れたがいるだろうと駅を出て見回すがいない。
電話で話したとき、「駅のどのあたりでまちあわせますか?」といったら「小さな駅ですからすぐわかりますよ」と言ったので、待ち合わせ場所は決めなかったのだが、駅の周りを一周してみたが、見えない。こういう場合、ケイタイを持っていればいいのだが、私もMさんもケイタイを持たない主義だ。
とりあえずMさんの自宅に電話したら、留守録が出たので「今駅の北口にいます。待っています」と入れて切った。北口のタクシー乗り場の前の広場のベンチに腰を下ろし30分ほど待った。タクシーが次々来るのを見ているうちに、「タクシーに乗れば待っているうちに“武相荘”を見てこれる」と思いつき、タクシーで“武相荘”に向かいました。
2㎞足らず(基本料金)で道路わきにとまり「左の坂道を上がって、あの竹藪の辺りが“武相荘”です」と運転手が言う。
入場料1050円。「中は撮影はご遠慮ください」と言うことでしたので、外部の風景で雰囲気をご想像ください。庭で武相荘をバックに記念撮影しているグループがいました。





1時間ほど見て帰る。帰りは徒歩で駅まで。途中のレストランでランチを取ったが、15分の歩きで鶴川駅に着いた。
Mさんはどうしたかな?と再度Mさん宅に電話した。
今度は奥様が出た。
「NOZUEです」。
「ごめんなさい。主人は車で出たのですが、途中体調が悪くなり、帰ってきて今、寝ています」。
彼ももう82歳になっている筈。80を越すと何が起きても不思議でない年です
「武相荘には一人で行ってきました。お大事にしてください」。
残念だが、彼に会わずに帰ることにした。
帰りは順調で、13:33の“ひかり“に乗車でき15:19名古屋着。新幹線の早くなりました。以前は名古屋・東京2間時間かかりましたが、今は1時間45分ぐらいです。
4時帰宅。2日間のオノボリサンの旅でした。


東京紀行(おのぼりさん)

2016-10-03 | 旅行
 10月1日、10:37の“ひかり”で、上京しました。今回は、部品労連(自動車総連)の元役員の懇親会組織“ぶゆう会”に出席するためです。実は上京は6年ぶりでした。6年前は、当時在学していた放送大学大学院のスクーリングで上京したのですが、それ以来で、すっかりオノボリサンになっていました。
12時10分東京駅に着き、まず山手線の乗り換えに戸惑いました。上野駅に行こうと思ったのです。会の約束は3時でしたが、折角、東京に出たのだからついでに見るべきものを見ようと、このほど世界遺産に指定された国立西洋美術館、まだ見たことないから、見て行こうと上野を目指しました。
上野で下車し、「たしか美術館は公園口だった」と出口をさがしますが、わからない。
駅員に聞いたら「3Fに行ってください」。「えっ3Fが出口!」エスカレータで上がってやっと公園口を見つけでたが、目の前にあっても、どの建物が美術館かわからない。
道行く娘さんに聞きました。「西洋美術館はどれですか」。「Sorry! I cannot  speak Japanese」
「これが西洋美術館」と入場。企画展はやってなく常設展のみでしたが、65歳以上無料でした。場内は歩きながら作品を勧奨しやすくさすがに世界遺産に指定されるだけのものだと感じました。

1時間ほど見て、外に出ました。上野動物園があります。「本日無料開放」の看板が出ていました。
「一寸寄ってみるか」と動物園内を歩き、「もう戻ろう」と元に戻ったつもりが、西郷さんがいる不忍口です。

「とにかく地下鉄へ行こう」。「地下鉄の乗り場はどの辺ですか?」と、これまた歩いていた娘さんに聞くと「Sorry! I don’t know」
東京も国際化されましたね。何とか地下鉄を見つけ改札口の駅員に「芝公園には、いくらの切符を買いどういけばいいか」。聞くと「280円の切符で、日比谷で三田線に乗り換えてください。切符を買い、乗ろうとしたら「ここは銀座線です。日比谷線にいってください」
日比谷線の乗り場を探し目黒行に乗車。日比谷で下車して三田線の乗り場を探したがわからない。改札口の駅員に聞くと「一旦外に出てしばらく歩かないといけない。
 やっと三田線に辿り着いた。オノボリサンは疲れます。それにしても地下鉄が四通八達して便利なのですが、なにしろ通過している地下鉄の下にさらに地下鉄を通したものですから乗り換え地点が複雑です。「このインフラ投資の金額は莫大ですね」。
芝公園についてA1番出口から出ると、直ぐ会場の三田会館に2時40分つきました。
3時からの総会、近況報告で「今日80歳になりました」、「怪我をしてからジョギングとマラソン大会は止めましたが、水泳は月20km程度泳いでいます。プロ野球でも40何歳で登板した等報道されることがありますが、スポーツを高齢まで続けるためには、怪我をしないことが必須です」などと話した。顔ぶれを見渡すと、出席者の中で小生が最高齢らしい。
3時に会議を終え、ホテルのチェックインをすませてから、浜松町の貿易センタービルの「北海道」という店に行き、飲み会でした。7時半終わって車を拾いホテルに帰りました。
、久しぶりの上京で、オノボリサンに疲れた一日でした。(続く)