古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

西郷の首

2018-03-29 | 読書

加賀藩の足軽の家に生まれた千田文次郎は戊申、西南、日清、日露の戦役に従軍した。昭和4年4月16日、長町の自宅で眠りながら息を引き取った。翌朝の北陸毎日新聞は「大西郷首切りの千田翁逝く 線香の代わりに徳利をと剣道と酒の83年」という見出しで報じた。

『西郷の首』(伊東潤著、2017年9月刊、KADOKAWA)は千田文次郎とその友島田一郎(大久保利通暗殺の犯人)の伝記である。池田屋事件、長州征伐、天狗党事件、大政奉還、鳥羽伏見の戦い、北越戦争、明治維新に伴う廃藩置県さらには、征韓論、西南戦争、大久保暗殺等々の幕末維新の事件と彼らがどうかかわっていくかを述べた小説です。これらの幕末の諸事件、小説で詳細を知り得ました。

 「幕末から明治を走り抜けた一人の男は、今でも野田山から金沢の街を見守っている」としめくくっている。

著者は早稲田大学卒業。卒業後、日本IBM(株)をはじめとした外資系企業に勤務]。2002年頃から執筆活動を開始。2003年(平成15年)北条氏照の生涯を描いた『戦国関東血風録』でデビューする。2006年に独立し、コンサルティング会社の経営と執筆活動を並行して行う。2007年(平成19年)、武田家の滅亡を多視点の群衆小説として描いた『武田家滅亡』(角川書店)にてメジャーデビューする

21世紀に入ってデヴューした作家だが、着眼点の面白い作家だと感じました。


脳には妙なクセがある

2018-03-20 | 読書

『脳には妙なクセがある』を読みました。もっとも印象に残った記述を要約します。

「心が痛い」、「胸が痛む」という表現があります。物理的な刺激があるわけでもないのに、「痛み」という比喩を使います。心が痛むのは人類共通の症状のようで、この隠喩は多くの言語に存在します。

 米カリフォルニヤ大のアイゼンバーガー博士らの研究が有名です。

 ボールトスのテレビゲームを用いた実験です。3人でバレーボールの練習をする。テレビゲームを通じて他のプレヤーとボールトスをする。相手の二人は実際にはヒトでなく、コンピュータです。

 ゲームの参加者は、はじめは皆でボールを回して楽しんでいるが、相手の二人にボールお回してもらえなくなる。自分以外の二人だけが目の前で遊ぶ。つまり除け者にされる。グループからの孤立、社会からの孤立、心の痛む瞬間です。この時、脳はどう反応するか。13人の実権参加者の脳の活動を検査すると、大脳皮質の一部である「前帯状皮質」が活動することが分かった。前帯状皮質は身体の「傷み」の嫌悪感に関係する脳部位です。手足など、身体が痛む時に活動する脳部位が、心が痛む時にも活動した。

 ヒトは社会的動物です。社会から孤立すると生きていくのがむずかしい。ですから、自分が除け者にされているかかどうか敏感にモニタする必要があり、そのための社会監視システムに痛みの神経回路を使っているのです。

 最近、さらに示唆に富む実験デタが報告された。眼球を右に動かすときと、左に動かすときの「頭頂葉」の

活動を記録した。次に足し算と引き算をしているときの頭頂葉の活動を調べた。

「計算を行うとき、私たちは左右の伸びる数直線をイメージし、足し算の場合には、線上を右にシフトする仮想的な視点移動をおこなっている」と推測されるのです。

 こうした一連の発見を推し進めると、「一見抽象的に見えるヒトの高度な思考は、身体の運動から派生している」という仮説が生まれます。

 進化をさかのぼれば、もともと原始的な動物は物質環境の中で身体運動を行っていた。そして、この運動を統制するための装置として、筋肉と神経系を発明しました。この神経系をさらに効率的に発達させた集積回路が、いわゆる「脳」です。

 ところが、脳がさらに進化したとき、身体を省略するというアクロバットをやってのける。つまりこういうことです。

 脳の構造を眺めると、階層的になっている。この中で、「脳幹」や「小脳、それに「基底核」といった部分は進化的に古く、いずれも身体と深い関係を持っている脳部位です。こうした旧脳のうえに「大脳新皮質」が存在します。大脳新皮質は、しばしば「旧脳の上位にある高等組織」と言われるが、むしろ下部組織と解釈されます。

 進化的に跡から生まれた大脳新櫃皮質は、すでに効率よく働いていた旧脳を、さらに円滑に動かすための「予備回路」あるいは「促進器」でした。ところが、進化とともに脳が大きくなり、脳内の圧倒的多数を大脳新皮質のニューロンが占めるようになると、旧脳よりも大脳新皮質の機能が優位になります。

大脳新皮質は、旧脳と異なり、身体性が希薄です。解剖学的にみても、身体と調節的な連携をほとんど持っていない。ですから、大脳新皮質が主導権を持つヒトの脳は、身体を省略したがるクセが主じます。その結果生まれたのが、計算力、同情心、モラルなどの機能です。

 脳は、身体から感覚を入力して身体運動を出力します。身体運動は再び身体感覚として脳に帰ってくる。

ヒトの脳では、脳の自律性が高くなり、身体を省略して内輪ループを形成できる。この「演算」こそ「考える」という行為です。つまり、ヒトの心は、脳回路を身体性から解放して得られたものです。

 生物は進化の初期の過程で、痛みや眼球運動などの原始的な生理感覚や身体運動の回路を作り出していて、これがきわめて効果的で汎用性の高いシステムであったため、後に身体性を排除してほかの目的に転用したのでしょう。

 ヒトにみられる高度な能力のための脳回路を新たに作るより、すでにあるシステムをリサイクルする方が開発コストは少なくて済みます。痛覚回路を「社会的痛み」の感受に転用したのは、理に適っています。

このように、本来は別の目的で機能していたツールを他の目的に転用することを「コオプト」と呼びます。一見すると高次で複雑に見える脳機能は、意外と単純な神経システムがコオプトされたものと考えてよいでしょう。

 ヒトの脳は、身体の省略という「芸当」を覚えたために「身体性」を軽視しがちです。

しかし脳は、元来は身体とともに機能するように生まれたものです。

手で書く、声に出して読む、砂場で遊ぶ―――生き生きとした実体験が、その後の脳機能に強い影響を与えます。

 脳には入力と出力があります。あえてどちらが重要かと問われるなら「出力」。脳は「出力」することで、記憶します。脳に記憶される情報はその情報をどれだけ使ったかを基準にしているので

身体運動を伴うと脳のニューロンは、伴わないときの10倍活動するのです。

 最後に、脳と言語について。

言語と脳はそれほど長い付き合いではありません。

脳の原型が完成したのは5億年ほど前と推定されます。一方、言語が生まれた時期は諸説あるが、およそ10万年前としましょう。

脳が誕生してから現在までの5億年を1年間に短縮したとすると、脳に言語が生まれたのは、12月31日の夜10時以降です。

 


3月11日

2018-03-13 | 経済と世相

 

3月11日になると、「あれから7年」と新聞。テレビが伝えます。東日本大震災、原爆事故から7年というわけですが、この報道に接すると、私は、放送大学の大学院を卒業してから、もう7年と思いましす。

 2011年3月、大学院の卒業式が、東京渋谷のNHKホールで行われる予定だったのが、震災のため中止になったのです。ですから、「原発事故から何年」という報道を見るたびに「大学院卒業から何年」と思ってしまうのです。

 今年の3月11日は、名古屋女子マラソンがありました。

朝目覚めて窓から外を見ると、真っ青な青空。旗も揺れていないので、風もないようです。絶好のマラソン日和になったみたいです。このところ女子マラソンは良い記録が出ていますから、期待できそうです。

9時10分スタートしてからテレビにかじりつきました。ゼッケン17の関根(日本郵政)が好調で頑張っています。愛知豊川高校の出身で、今日が初マラソンとか、11時前、道路に降りて診に行きました。外国人選手が二人通り過ぎてから、「セキネ!」と周りから応援の声が上がりました。日本人トップは関根で、全体の3位、4位以下をかなり引き離しています(31㎞地点)。

 

 写真を撮った後、家に戻り、ゴールするまでテレビを見ました。関根花観がゴールする数分間「はー、はー!」という息遣いの音声が入り、思わず「がんばれ!」と力が入りました。2時間23分7秒(日本歴代初マラソン4位)でゴールしました。瀬古さんが上機嫌でGC認定証を渡していました。昨年優勝の安藤も豊川高校出身で初マラソンでした。

この日のウィメンズマラソン、参加は2万1千人に上るとか、午後2時頃、東図書館(名古屋ドーム北)に行こうと名城公園駅に向かいました。道路は一般ランナーで黒山。

 

3時頃名古屋ドーム横の道路を見たら、これもゴールするランアーが像族、スタートからもう7時間です。

 

7時間も走ったら脚が上がらなくなると思いますが、日本の女性も元気になったものです。


駅ちかウオーキング2018

2018-03-12 | 旅行

3月10日、今年最初の駅ちかウオーキング(地下鉄主催のウオーキング10周年)でした。。

9時前家を出て市バスで浄心まで行き、地下鉄鶴舞線に乗り丸の内駅に9時25分。受付で地図を貰い1番出口から、9時半歩き始めました。

 最初に名古屋東照宮です。

初代尾張藩主徳川義直公が父家康を祀って1619年創建、今年は創建400年とのこと。

続いて少彦名(すくなひこ)神社。

少彦名命と大国主の命を祀る薬と健康の神様、無病息災と病気快癒を祈る神社です。創建100年の平成27年社殿、鳥居が新設されたとのこと。

 

 大津通りに出て左折、「愛知名古屋戦争に関する資料館に出ました。しょうい爆弾が展示されていました。

その後、市役所の裏(東側)に回って、名古屋市市政資料館に行きました。

大正11年に名古屋地裁庁舎として建てられ、現在は公文書や市政の資料を展示しています。重要文化財です。 ところで、資料館の入り口で「名城公園」という標識を見つけました。

「おかしいいな。ここは名城公園ではない」、と思いました。名城公園は、名古屋城の北側(我が家の南側)です。「何故この標識があるのだろう」

昔はお城の周辺はみな名城公園だったんだ。それが、公共の施設がつくられるたび名城公園を外されていったんだが、ここも昔は名城公園だったのに、標識を外し忘れてそのままになってるのだと推定しました。

 東へ白壁まで歩いて北へ曲がると、長久寺。

家康の4子松平忠吉が武蔵忍城(小田原の役の際、石だ三成が水攻めを試みて酸っぱいした)に徳川祈祷所をつくったのが、長久寺の始まりで、後、名古屋城の東北に移され城の鬼門の鎮護とされたという。東へ片山八幡神社。徳川家の氏神だそうです。神社参拝の後、徳川園に向かいましたが、ここで、大失敗しました。転倒したのです。数年前、階段から落ちて転倒、頸筋を痛めたのですが、その所為か左脚が上がりにくいのです。それ以来、マラソンは走れない。水泳も左脚のキックが出来ない。ウオーキングも長い距離は無理です。大分良くなったので、ウオーキングは大丈夫かと、今日のウオーキングに参加したのでした。道路の凹凸の一寸高くなった箇所に脚がつまずいて転倒してしまいました。気をつけていたつもりだったのに。手を突いたときそこにとがった石があった。左手の親指に孔があき鮮血がふき出た。靴やズボンに血が付き案内の地図も血にまみれました。ウオーキングのスタッフが近くの教会に入って、バンドエイドを貰ってくれましたので、応急手当てをしました。

徳川園を観てから建中寺に行きました。1651年尾張二代藩主光友卿が父義直の菩提のため創建し、以後尾張徳川家の菩提寺になっています。

 

 建中寺を出てから文化のみち二葉館へ寄る予定でしたが、指が痛くなったので、カット、飯田町に出てオオカンザクラを見て(巻頭写真)高丘駅ゴールへ、8,7km歩いて12時半でした。家には13時帰宅しました。家の近くの白木蓮の蕾が膨らんでいました。もう、春ですね。

 

 


再診

2018-03-10 | Weblog・人生・その他

 3月7日、9時過ぎ10分ほど自転車を転がして西部医療センターに行きました。3ヶ月ごとに前立腺がんの検査をすることになっています。受付を済ませ、尿の検体を採り血液を採取して泌尿器科の受付に行ったのは9時半。ここまではいつもの手順です。ここから石の問診までの時間が長い。持参してきた本の「河のほとりで」を待合室で読み始めました。

大いなるかな心や

天の高きや極むばからず しかも心は天の上に出ず

地の厚きや測るべからず

しかも心は地の下に出ず

我国に臨済宗を伝えた栄西の言葉です。

今年は臨済宗の祖、臨済禅師の1150年遠忌だそうです。

ところで、臨済宗の「済」の字には「河の渡し場」なる意味がある。

河北省の「済河」を臨む場所に臨済院を立てて禅を広めたので臨済禅師と呼ばれた

臨済は「河の畔」とも読めると言います。一つ雑学が増えたかな

 

日本の臨済宗の本山は京都の妙心寺です。

そういえば、今年の1月末、京都の妙心寺を訪れました。

旅行初日

http://blog.goo.ne.jp/snozue/d/20180205

2日目

http://blog.goo.ne.jp/snozue/d/20180206

 

12時、再診の時間になりました。

「PSAは0,003です。順調です。この治療を続けましょう。」という

「以前、肺に転移のおそれがあるから画像診断をやりましょうと肺のCTを採りましたが、もう画像診断はやらなくてもいいですか?」と聞くと、

「PSAの値が大きくなれば、そのチェックが必要ですが、これだけ小さければ、その必要性はないと思います」とのことでした。

お腹にいたい皮下注射をして終り。次回は5月30日に再診するとのことでした。


新刊本3冊

2018-03-09 | 読書

3月6日、丸善名古屋店に出掛けました。

翌日の7日、3ヶ月に一度の前立腺がん診断で医療センターにいくものですから、

待ち時間に読む本を見つけようと、文庫・新書の棚を眺めました。

「これは面白そう」という本を3冊見つけました。

新潮文庫池谷裕二著「脳には妙なクセがある」

はじめに(前書き)に「1等賞をとる気分は最高です」とあった。

「一等になったことはない!」って。いや一回はあります。自分がまだ若かった頃。あまりに昔のことで、記憶にないかもしれませ臥、生まれる前、まだ精子だったころ、水泳で1等賞を摂りました。その因果でヒトとしてうまれたんじゃないですか」

文春文庫、葉室凛著「河のほとりで」

昨年末、急逝された時代小説の作家の最新のエッセイ集です。最近出た時代小説の解説が載っていました。

それと合せて司馬遼太郎の小説を解説していました。

講談社現代新書、井上寿一著「戦争調査会」

東京裁判について、戦勝国の一方的な裁判だという批判があります。私が思うに何百万の犠牲者をだし国富を消尽し、

あまつさえ近隣諸国に多大な迷惑をかけて、勝つ見込みのない無謀な戦争に踏み切ったのはのは誰が悪かったか、日本人自体が原因を調べるべきでは、と考えています。ところが既に日本人が調べていたのですね。幣原内閣の折、「戦争調査会」なる組織を立ち上げ、調査してその結果を公刊していたのです。そのいきさつと内容について解説した本書が昨年末刊行されたのです。、、

以上3冊を買い物籠に入れました。読み終えたら感想、概要をブログで紹介しますので、ご笑覧ください。