古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

生き物は円柱形

2018-02-28 | 読書

 

本川達雄さんは、「ゾウの時間ネズミの時間」や「ウニはすごいバッタもすごい」(中公新書)。さらに生物学的文明論(新潮新書)などユニークな著作がある。

 大学図書館の新着本の棚をみていたら、「生き物は円柱形」(NHK新書)があった。今年の1月の新刊本である。本川先生の新刊かな、手に取ってみたら、20年前にNHKライブラリーで出て、久しく絶版であった本を書き直した本とのこと。ならば、「ゾウの時間、ネズミの時間の発想の原点を読むことが出来るだろうと借りて読むことにしました、

 生物宇の分野では、遺伝子、細胞、タンパク質など目に見えない分野は分子生物学のめざましい進歩があり、あっという間に古びていく。ところが目に見える分野は、そう変わっていない分野。。いわば、古典的生物学を、本書では取り扱っています。

そうはいっても本川先生の著作ですから、視点がユニークです。

「生物は円柱形」です。

例えば木の幹は円柱形です。枝も根もそうです。円柱形が組み合わさって木が出来ています。

私たちの身体はどうか。指は円柱形です。腕も円柱形。脚も胴体も首も円柱形です。

身体が円柱形そのものという生き物も沢山います。ミミズ、カイチュウ、ドジョウなど。

 体の内側を見ても、血管も気管も腸も神経も、骨の多くも円柱形です。

 

 この円柱形は球から進化しました。

生命の進化の過程においては、まず身体が細胞一個だけからできている小さな単細胞生物が出現しました。たぶん最初は球形をしていた。細胞膜は油の幕ですから、表面張力によって表面積がもっとも小さい球になった。

 この球形を出発点にしてサイズがだんだん大きくなってきた。

 生物が新しい機能を獲得するには新たなタンパク質や細胞が必要になる。当然それを入れるスペースが必要になる。

 球形のまま生物が大きくなると、都合の悪いことが生じます。球は体積当たりの表面積が一番小さい形です。

そもそも表面積は生物にとって非常に重要。外界と接するのが表面ですから、食べ物や酸素などエネルギーのもとは表面から入ってくる。

 表面積を大きくするには平たくすればいいのですが、平たい形は身体をさえられない。

力が加わってもつぶれることなく体を保つのは骨格系の仕事で、身体の形とは骨格系の形です。

 球から変形して、強さを保ちながら表面積を確保するには、丸い断面のまま細長くなるのが一つの方法です。

 こうして表面積の問題は解決できたのですが、新たな問題が生じました

 球形の膜構造物なら、膜はどの方向にも同じ大きさの力で引っ張られています。ところが円柱形になると、丸い周方向の働く力と軸方向に引っ張る力が同じにならない。(円周方向に引っ張る力は長軸方向の二倍になってしまう。)

この問題は繊維を円筒に巻き付けて補強すれば解決できます。繊維を長軸と54度44分の角度にまくと円周方向と長軸方向にかかる力が等しくなります。

ミミズでもカイチュウでも円柱型の動物の体壁中には、コラーゲンの繊維が交差するように走っています。

 しなやかに体を変形させ運動する必要がある動物では、交叉螺旋の補強法が採用されている。例外があります。ペニスです。直行系です。コラーゲン繊維は周方向と軸方向に直交しています。

 ペニスは働くときには中に水(血)の詰まった円柱です。曲がらずまっすぐでないと用をたしません。変形しないものは、補強繊維が交叉螺旋である必要はないのです。

曲げに対する抵抗は直交系の方が大きいのです。

と、説明していますが・・・・・

 


人工知能

2018-02-27 | 読書

『人工知能の「最適解」と人間の選択』(NHKスペシヤル取材班著、NHK新書、2017年11月刊)を読みました。

「NHkスペシyルで放映された「人工知能」を本にした書です。以前、この筆者グループと羽生善治との共著『人工知能の核心』(NHK新書)を読んで面白かったが、その続編と言うことで、早速読むことにしました。

第1章「最適解」と神の一手

 将棋の佐藤名人が人工知能と闘う電王戦のいきさつです。

第2種 研究室からリアルワーウドへ

人工知能が現場に応用される事例としてAIタクシーを解説しています。

第3章 管理される人間たちでは、

例えば、人工知能が再犯の可能性を判断するに用いられた場合の問題点を記述している。

第4章 人工知能は世界を救うか、では、AIが政治家を代行するとしたら、どういう問題が起こるかを記述している。

「人口知能をつかっている」という意識がないうちに、気づけば、人工知能なしには成り立たない生活を送っているという時代が来ていると本書は説いています。

 

 


『天駈ける』

2018-02-18 | 読書

昨年末急逝された作家の葉室麟さんの小説『天駈ける』を読んだ。亡くなって三日後の12月26日の刊行である。幕末の福井藩主松平春嶽を主人公とする小説だが、「オール読物」の2月号で、筆者の「最後の言葉」が掲載されていた。

 「大獄西郷青嵐賦」と12月刊行の「天駈ける」は「これが歴史小説だ」といえるものを書いたつもりです。

西郷について思っているのは、横井小楠路線。横井小楠は、東洋の哲学――つまり儒教ですが、これを極めれば西洋の哲学に勝るとした人です。

 西郷は東洋の哲学で政権交代をしようとしました。

 幕末、松平春嶽や坂本竜馬とともに大政奉還、ある意味で禅譲路線でいく。江戸城の無血開城でそれを成し遂げるのです。

ところがこの段階で、薩長が権力を独占できると気づいて、最初の段階では王政復古の政府をつくる筈が薩長の官僚の支配する政府が出来上がった。

 東洋哲学的な国家をつくる道もあったのに、むしろ西洋化を急いで、西洋の政治の国家を作り上げ、その外側に天皇制という枠組みを置いた。だからその後、日本は西洋と同じ侵略の道を歩む。

大政奉還の時期に西郷と橋本佐内の路線が成功すれば、日本のありようはずいぶん異なっていた。現実にはそうならないにしても、その可能性というものを書きたい。私なりの『坂の上の雲』を書いてみたい。司馬さんと違う『坂の上の雲』が書けるのではないかな。

『天駈ける』の中で竜馬暗殺についてこう述べています。

慶喜「大政奉還は春嶽殿の持論であった。それを余に行わせるため、福井藩に出入りしている坂本成る浪人を使ったのだ。坂本が薩長の尊攘派の一味であることも都合がよかったのであろう。余に政権を投げ出させ、一介の大名になったところで、薩長に打たせ、みずから新政府の首領に納まろうという春嶽殿の謀だ」

「まさか」永井尚志は息をのんだ。

「決してさようなことは」

「しかし、その坂本なる者は伏見奉行所から追われているのだろう。そなたの役宅は京都所司代のある一角ではないか。さようなところにお尋ね者の浪人が出入りしておるのを京都見回り組は見過ごしておるのか」

慶喜は当惑した永井を見つめて「その坂本成る浪人は邪魔だな」とつぶやくように言った。

「邪魔とは---」永井は慶喜の意向を測りかねた。

「邪魔とは文字通り、邪魔だということだ」

慶喜はわが意を忖度して竜馬を殺せとほのめかせたのだ。

 

数年前、友人ら4名と京都にドライブ旅行した。二条城前の京都国際ホテルに宿泊したが、ホテル内に橋本佐内の墓を見つけて、このホテルが福井藩邸の跡地に造られたことを知ったことを懐かしく思い起こしました。

 


「アベノミクスによろしく」

2018-02-11 | 読書

 

「アベノミクスによろしく」(集英社インターナシヨナル新書。2017年10月)を一月ほど前に読んで、面白いから内容紹介しようと思っていたのですが、文芸春秋3月号に、筆者が内容を要約して載せていた。

 今更要約の必要はないので、読んで私が触発されて思ったことを下記に記します。

第一の疑問は物価について。

日銀は物価を年2%上げようとしているが、目標達成が出来ず、目標年度繰り延べを続けています。

しかし、通貨を大量に増やせば物価が上がらない筈はないと思うのだが、どうしてか、

実態は物価は上がってていたのです。

「13年度~15年度の3年間で見ると、消費者物価指数は5%上昇している。消費税増税(14年4月)の影響を除くと物価は3%上がっている。これは円安の影響とみるべきです。

円安による物価上昇の結果、何が起きたか、実質賃金の下落です。

 実質賃金指数(2010年=100)は94・8(15年度、過去22年度で最低値です。)

 実質賃金が下落すれば、当然、家計の消費支出は冷え込みます。実質家計消費指数、‘2010年=100)は、15年度で92・4.GDPの約6割を占める実質民間消費支出も13年度に319・2兆円が14年度は307・2兆円、15年度は306・7兆円と2年連続の下落は戦後初めてでした。

 日本の実質消費は元来非常に力強く、過去22年度で前年を下回ったのは4回のみ。うち2回がアベノミクス以降の2回、あとの二回は消費増税のあった97年度とリーマンショックのあった08年度です。

 物価の上昇がが望ましいと言えるのは、それ以上に賃金が上がった時だけです。

「景気が良くなれば物価が上がる」というのは成立しても、「物価が上がれば景気がよくなる」は成り立たないということは、アベノミクスという壮大な社会実験によって証明されたと言える。

 確かに企業業績は上がり、株価は上昇しました。円安効果です。つまり、円安によって、企業はプラスの影響を受けましたが、、国民は実施値賃金の低下という犠牲を払っています。

でも、今の世の中、企業がうまく回転していければ、国民に多少ののマイナスがあっても、なんとか世の中回っていくということを、アベノミクスは証明しているのではないでしょうか。

 これが、小生の感想です。

 

 

 


京都の旅二日目

2018-02-06 | 旅行

2日目は9時前、チェックアウトして、銀閣寺に向かうことにした。

銀閣寺は雪景色が見事だときいていたのだが、今日は気温が低いが雪はない。駐車場に車を入れたら、すぐスタッフが来て駐車料金1000円を要求された。

「1000円の駐車料は高い!」とJさん。受け取りを見ると「京都市」とある。市営の駐車場で千円は確かに高い。

入り口に「哲学の路 安楽寺永観堂」の案内が建っている。

銀閣は、本来「観音殿」と呼ばれた二層からなり一層の心空殿は書院風、二層の潮

音閣は唐様仏殿の形式。銀閣上にある聖堂の鳳凰が東面し観音菩薩を守る。

 展望所まで登ってみた。銀閣それ自体より周りの森や庭を含めた景色が素晴らしい。

 駐車場に戻って「千円も払ったのだから、もう少し車は置いておいて 周りを歩こう」と哲学の道を歩いてみることにした。

桜の時期は賑やからしいが、この寒さで歩く人は少ない。

法然院まで歩いた。法然が若年の折修行した寺という。境内には入れたが講堂派未公開で入れないとの掲示があった。「こちらが講堂かな?」とjさんが歩いている女性に聞いてみた。「わかりません」と答えたがアクセントが少しおかしいので「外国の方ですか?」と聞くと「ブラジル」と答えた。

見終わって「安楽寺が近いから行ってみよう」とHさんが言う。少し歩いて安楽寺はすぐ見つかったが公開していない。庭には入れたが、「先日火災があって今公開できません」とのこと。

車に戻り、「次はどこへ行こうか?」、「金福寺(こんぷっくじ)。松尾芭蕉ゆかりの寺」が面白い」と車のナビに金福寺の電話番号を入れ、走り始めた。すぐ到着して「駐車場はないかな?」道端の人に聞くと、「一台だけおける駐車場がむこうにある」、」道の少し広くなった場所に「拝観以外の方は駐車しないでください」とある。ハンドルをぎりぎり切って崖面いっぱいに寄せて駐車した。すぐお寺への登り道があった。

「金福ってなんかお金持ちのためのお寺みたいで、芭蕉にはふさわしくないね」と話ながら坂道を上る。

鉄舟和尚と言う住職が、芭蕉と懇意であって、芭蕉がしばしば訪れ、その関係で与謝蕪村などの俳人が訪れた寺と言う。松尾芭蕉が訪れた草庵(芭蕉庵)があったが、荒廃した為、1776年( 安永5年)芭蕉を敬慕する俳人・与謝蕪村とその一門によって再興されました。なお金福 寺の背後の丘には与謝蕪村や近世の俳人の墓や句碑があった。

京都の寺には珍しく、拝観料無料、駐車料金も無料だった。

見終わり車に戻り、「ここまで来たら直ぐ傍だから詩仙堂に行こう」とナビの案内で詩仙堂に行きました。

詩仙堂は、石川丈山の作った住居で、、詩仙堂の名の由来は、中国の師家三六人の肖像を狩野探幽に書かせ、図上に各詩人の師を丈山が書いて四方の壁に掲げた「詩仙の間」から詩仙堂と呼ばれるようになった。現在は曹洞宗永平寺の末寺になっている。

石川丈山は三河の国(現在の愛知県安城市)出身。徳川家康に仕え大阪夏の陣で功名を立てたが、この役を最後に徳川家をはなれ京都に住まった・

「詩仙堂は「詩仙の間」や庭のさつきや紅葉で有名だが、本来は丈山がスパイをするため創った家です」とは、Jさんの説です。

スパイとは豊臣滅亡後ですから朝廷に対するスパイだったのでしょうか?

見終わって外に出ると「剣豪宮本武蔵の標識が建っている。ここ武蔵一乗寺決闘の場所だった。

「そろそろ帰りましょうか」と京都東インターに戻り、名神に乗りました。大津SAで琵琶尾を一望するレストランにより昼食。

西岐阜駅には三時半でした。ガソリンを満タンにしたら14.56L、15L未満で京都まで往復したことになります。

五時前に帰宅しました。

夕方カメラの写真をパソコンに取り込もうとしたら、そのソフトが動かない。システムデスクからソフトを再インストールしないといけないが、システムデスクが見つからない。修復にはしばらく時間がかかりそうということで、今回は写真未掲載です。

 


京都冬の旅

2018-02-05 | 旅行

 「京都冬の旅」の報告です。かれこれ50年ちかい付き合いの4人。恒例の一泊ドライブ旅行、1月30日、31日京都に出かけました。30日8時半家を出て、9時30分過ぎJR西岐阜駅に着きました。1本あとの電車で浜松のSさんと小牧のJさんが顔を見せました。

 ここ10数日異常な低温が続いている。登山家のJさんは冬山装備姿で現れた。

ことさら寒い季節をえらんだわけではなく、秋の京都の紅葉を見ようと昨年11月に起案したのだが、4人の日程が空いているときに日にちが取れず、1月になったのだが、いまや70代2人、80代2人の高齢になっているのに、みなさんk簡単に日程が取れないほど忙しいのは喜ぶべきかもしれないが、この寒さは想定外だった。

揃ってエレベータを降りて駅正面に降りるとHさんの車がついたところ、挨拶を交わして乗り込みました。

 青空から冬陽が漏れている。「お天気は天気予報より良くなってるね」

でも、関ケ原まで来ると、周りは見事な雪化粧。でも渋滞するほどではなく、順調に走る。11時頃多賀のSAでトイレ休憩、「ついでに早めの昼食をすませよう」とラーメンで、軽い昼を済ませた。

京都に近づくと雪はなくなる。京都南Iで高速を降り京都市街に入る。

今日の泊まりは花園会館。1時到着。ここの駐車場に車を預け妙心寺を見学することにした。

 フロントで、宿泊者サービスの拝観券を貰い、妙心寺に行った。旅館は妙心寺南口の前にあった。

 妙心寺は約10万坪の敷地に46もの塔頭が並んでいる、

南総門の受付に行くと、「拝観料は一人500円です」という。

「これで入れないの?」と旅館でもらった拝観券を示すと「妙心寺三門と東海庵の拝観券で、妙心寺は別です」

そうか46も塔頭があれば、全院すべてで500円ではなりたたない。

宿のパンフにあった。「 「第52回京の冬の旅 非公開文化財特別公開」にあわせて1泊2食+妙心寺特別拝観をセットにしたお得なプランです。当館に隣接する大本山 妙心寺では、今回「三門」と「東海庵」の2ヶ所を特別公開致します。」

 

院という名の塔頭が多い。

「天皇の別荘などを寺院にすると、院という名になるらしい。

妙心寺は花園天皇の別邸を寺院にしたらしい。花園天皇は

禅宗の信仰に傾倒し、建武2年(1335年)11月、出家、法名を遍行と称した。興国3年(1342年)1月には仁和寺の花園御所を寺に改めて妙心寺を開基している。禅宗妙心寺派の総本山になっている。

京都市右京区花園木辻北町1-5が、旅館の住所だから、街の名も旅館の名も花園天皇にちなんでいるかも。

尚、花園天皇は後醍醐天皇の前の天皇である。

妙心寺では、法堂で狩野探幽の筆になる竜の天井画.

国宝妙心寺鐘の紹介、ついで明智光秀の菩提をと弔うために造ったとされる浴室、明智風呂。徒然草に記された妙心寺鐘に案内された。続いて、案内してくれたのは、三門です。

 三門とは、三つの解脱の門の意味らしい。三つの解脱とはなんだったか、聞いたがすぐ忘れてしまった。

 その後は東海庵という趣の異なる三つの庭のある塔頭。以上二つが普段は非公開の、今回のみこう公開のたてものという。

後、自由にみてくれというが、とても見切れないので、通年公開の退蔵院に拝観料500円を払い入ってみた。庭が有名な塔頭でした。

元信の庭

狩野元信の作と伝わる枯山水の優美な庭園で、枯滝・蓬莱山・亀島と石橋など多数の庭石が豪快に組まれている。

余香苑

1963年(昭和38年)から3年の月日を費やして造園家の中根金作が作庭した昭和を代表する名園で、大刈込みの間から三段落ちの滝が流れ落ち,深山の大滝を見るような風情がある。

3時半を過ぎていた。寒くて体が冷えてきたので、宿に戻って温まろうと、宿に戻りチェックインした。

部屋に入ると「この部屋ちょっと小さいじゃない?まちがってない?」

「いや10畳の部屋をいちばんおおきい部屋だとして予約したよ」

数えてみると、畳は確かに10枚。でも京間と言うか、江戸真というか、畳が小さいのだ。」

1時間ほど風呂で温まり、5時から1時間、恒例の勉強会。

私が佐伯啓思の本三冊(従属国家論、さらば資本主義、西田幾多郎)の内容紹介し、彼の発想を紹介した。

 Hさんが、一昨年訪れた新宮市の大逆事件の犠牲者医師大石誠之助が新宮市の名誉市民にに推挙され、朝日新聞1月22日の天声人語に紹介された旨の報告があった。

 6時から夕食。お酒が口当たりが良く、すっかり酔ってしまいすぐ寝込んでしまった。い、


確定申告

2018-02-01 | 経済と世相

新年になると、気掛りなのは税金の確定申告です。

「昨年は1月25日に申告したっけ」。28日の日曜になって源泉控除票を取り出しパソコンに向かいました。

例年、税務署に出向いてパソコンを借りて打ち込むのですが、「2月16日以後、中産連ビルで確定申告作業の出来る会場を設置するので、なるべくそちらを利用してほしい。税務署のパソコン利用は混雑しますから」という手紙が税務署からきた。

税金の通常の申告は2月16日以後だが、還付請求の申告はそれ以前でも出来るが

今年は、そのためには、自分のパソコンでンで申告書を作成する必要がある。

税務署のパソコンを使っているのは、自分のパソコンでは、いつも途中でうまく動かない所が出てくるからです。

税務署のパソコンであれば、必ず動く。動かなけれ税務署のスタッフが治してくれる。それで税務署に出向くわけですが、2月16日以前に申告するためには、今年はどうしても自分のパソコンで作成しないといけない。覚悟を決めて日曜の朝掛かりました。

 やはり引っ掛りました。

国税のホームページにアクセスし、打ち込み始めたら、作成完了まではなんなくできた。ところが、「印刷」をクリックしても、全然動かない。「とりあえずデータ保存をかけよう」としたが、これも動かない。

「やっぱりおかしい」とあきらめた。「どうしてこんなことが出来ない?」と気になっていたが寝てから、気がついた・

「印刷の際、Adobe Readerを使う。Adobe Readerで印刷するときは、画面に書類を読みだして印刷していたはずだ。今日印刷するとき、画面に申告書が表示されていなかった!これでは印刷できない筈だ」

月曜の朝、起きるとすぐパソコンに向い再度申告書作成に取り掛かった。インプットが終わると「画面に表示」というクリックボタンが出た。「これを見落としたんだ!」すぐクリックすると、申告書がに出た。

ところが画面に読みだした後「印刷のクリックボタン」がみつからなくなった!Adobe Readerの印刷は、CTRとPをクリックすればできるはずだ」と

PとCTRをクリックしたら、なんなくプリンターが動き出して、申告書が作成された。

「あぁ簡単じゃん!」」と、プリントした書類と源泉徴収票、住民票の写し(マイナンバーの証明)を持って2月1日朝、北税務署に出掛けました。

 受付に言うと「番号札をとってください」。取ると15番だった。受付していたのは10番の人、待つと言うほど待たなくてすぐ順番がきました。

こうして今年の確定申告は終了しました。