古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

菅総理の政策に疑問

2011-01-29 | 経済と世相
 菅総理の政策に疑問。以下、小生の愚考です。

 管さんが少々に就任してからの言動から、何を志向しているかを考えてみます。

 最初に、「消費税を上げたい」と言いましたが、参院選に惨敗して、しばらくはトーンダウンしましたが、与謝野さんまで引っ張り込んで、執着しているみたいです。

 次に、「法人実効税率を5%下げる」と言い出しました。

 それから、「TPPに何としても加入しよう。6月までに方向性を打ち出す」と言い出しました。

 これらは、民主党のマニュフェストにもなかったし、党内の議論を尽くしたようにもみえません。唐突に言い出した管さんの真意は何か?(唐突なだけに、首相の本音をうかがわせます。)

 この3項、いずれも輸出企業を元気付ける施策だと思います。

まず消費税。消費税は輸出企業に対する補助金の機能があることを以前紹介しました。

http://d.hatena.ne.jp/snozue/20100806

 輸出企業に補助金を出すことはGATT(現在はWTO協定)に反するので、表向きには出来ません。そこで、消費税を取ることで、輸出企業を助けようと言うのは、実は先進国の常套手段なのです。

 次の法人税率の引き下げ、法人税は利益を出していない企業にはかかりません。利益を出している企業とは、目下は輸出企業です。ですから、法人税の引き下げでもっとも利益を受けるのは輸出企業です。

 それから、「TPP加入」。これも、輸出を伸ばすというのが最大の狙いです。

「平成の開国」とまで首相が言い出したのにはびっくりしました。日本ほど開国している国はあまりない、と思っていたからです。(穀物自給率28%、飼料用穀物全量輸入、大豆94%、小麦86%を輸入に依存、そんな先進国は日本以外にない。)

 更に開国すると言う。そこまでしても、製造業の輸出を伸ばしたいということらしい。

 以上、輸出を伸ばすことが、日本を救うと首相は考えているらしい。しかし・・・

以前、小泉首相と竹中大臣は景気が良くなっていると豪語して(2006)、私たちは違和感を持った。企業(特に輸出企業)所得に関していえば、当時法人所得はバブル時に相当する所得に達していたのです。しかし、輸出企業が稼いでも、そのお金が全部は国内の各層に及んで行かない(例えば、パナソニックの雇用計画では、海外の新規採用は国内の新規採用の数倍だそうです。)ために、景気が良くなったといわれても、違和感を持たざるを得ない。

つまり、「景気がよい」とは、「国民各層にカネが回っていく」状態で、以前は企業が稼げば国内の景気はよくなった。ところが、経済グローバル化の影響で、企業が稼いでも、国内の景気がよくなるとはいえない状況になった。そこで、必要な施策は、企業が稼いだ時にはその稼ぎを国内で使わせる方策を考えるか、企業の所得に関係なく国民にカネが回る仕組みを作るかのいずれか。子供手当てや、農家の所得保障は、本来は後者の施策と考えます。

ところが、管総理は、輸出企業に稼がせれば、国内の経済問題は解決すると考えているらしい。これでは、自民党の政策と何ら変らないと愚考します。

ウィキリークスの衝撃

2011-01-28 | 経済と世相
図書館で週刊誌をチェックしていたら、ポスト(1月28日)に茂木健一郎さんが寄稿していた。「ウィキリークスの衝撃」である。

茂木さんは最近良くTVなどに出演し、売れっ子になっているみたいで、何が本職か分からないようになっているが、確か脳科学者だったと思う。しかし、今ひとつ、私にはピンとこないのだが、この寄稿は私にも『曽野とおりだ!』と納得した。

『2010年はいろいろなことがあった年であった。振り返ってみれば、世界的に見て最大の出来事は、間違いなく「ウィキリークス」だったと思われる。(中略)

 ウィキリークスの衝撃とは、一体なんだったのか?私なりに考えれば、それは「国家」というものが成り立つ極めて危うい基盤を明らかにした点であると思う。ウィキリークスの活動を通して、国家がもともと「疑わしい存在」であることが露呈してしまったのである。

 2010年は、「国家のエゴ」が剥き出しになった年として記憶されるだろう。まずスポットライトが当ったのは、中国だった。「尖閣諸島」の問題を通して、自国の主張を強硬に押し出してくる国というイメージが高まった。・・(中略)・・「国家に対する疑念」が、中国だけに留まるのであれば、問題はむしろ簡単だった。・・(中略)・・ウィキリークスの活動は、より深刻な疑義をもたらした。イギリスやアメリカ、スウェーデンといった「民主主義」の国でさえ、その存在が果たして倫理的と言えるのかどうか、疑いが持たれ始めている。世界の歴史がしびれている。「疑惑」が、インターネットという新しいメデイヤの台頭によってもたらされているのも興味深い。・・(中略)・・

 今日の世界の中で、絶大な権力をもつ国家。その中枢にいる人間たちが善良かといえば、必ずしもそうでもない。日本で言えば、官僚たちをみても、大臣たちにしても、私たちと同じように間違いを犯す、弱い人間である。そのような人間たちが、国家と言う強大な力を組織を動かしている。明らかに間尺に合わない。[1]

 国家がどれほど強大なものであっても、「民主主義」でありさえすれば、十分なコントロールが効く。私たちはそのように考えてきた。しかし、ウィキリークスが明らかにした「公電」の数々は、国家というものが、看過できない「暗部」を持っていることを明らかにしてしまった。・・(中略)・・国家というものを無条件で「善」だと考えてはいけないということを、ウィキリークスは教えてくれた。・・(中略)・・ウィキリークスが切り開いた世界像の全貌が明らかになるのは、ずっと先のことだろう。』

 昨年の「私撰10大ニュース」で、ウィキリークスを取り上げなかったのは、原則日本国内のニュースに限定していたからです。もし、日本政府に関る公電がウィキリークスで明らかになれば、今年の私撰10大ニュースに当確です。



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[1] (個人の能力は限られているので、その個人が運営するには、国家と言う権力は、あまりにも巨大になった。)

今年の確定申告は早く済ませておこう

2011-01-27 | 経済と世相
 今年の確定申告は早く済ませておこう。今朝起きたときそう思ってPCを立ち上げました。昨年と同じ手順で、証明書の類は、すべてファイルを用意して、郵送されてくる都度綴じているから、すぐ終わるだろうと思い、国税局のホームページにアクセスしました。
 最初に、「作成開始」→「書面提出」→OS等の確認欄があって、「テストデータの表示」をクリックしたら、「テストデータ」が出ない。よく見るとAdobe Reader(閲覧ソフト)のヴァージョンが、今年は8以上でないといけないようだ。私のPCはヴァージョン6である。
 ヴァージョンアップしないといけない。ここからややこしくなりました。ヴァージョアップのクリックをしたら、いろいろ画面に指示があって、インストールを始めたが最後に「インストールに失敗しました」!
 あちこちクリックして調べたら結局、わがPCの内臓デイスクメモリーが容量不足だったらしい。
使用頻度の低いソフトを一本削除してやっとインストールに成功。ここまで1時間以上かかった。
その後、国税庁のホームページに戻って、OSなどソフトの確認欄で「プリンター接続」にチェックを入れ、「テストデータの表示」も確認にチェックを入れる。
「入力終了」で、クリックすると、あれあれ、画面が次に行かずに戻ってしまう。
どうなってんの?と、あちことやり直す。もうだめだから諦めようと思ったとき、画面の一番先頭に「このパソコンにおける下記の環境はチェック済み」という箇所にチェックが入れてないことに気づいた。
「自分ともあろうものが何たるミス!」、チェックを入れたら正常に動きました。(ここまでまた1時間!)
後はデータを入力するだけですから、30分ぐらいで提出書類のプリントが終わりました。
来月早々税務署に届けますが、還付金は約4.2万円。意外と多いじゃない。企業年金が7.5%源泉徴収されているからだ。数年前、所得税が一部地方税に変更になっても7.5%源泉徴収してる所為だ。喜んでいると、地方税の通知が来てがっくりするだろう。
今年の提出書類で変わったのは、昨年まで証明書の類は、提出書類の裏に貼り付けることになっていたが、今年から、提出証明書の貼り付け台紙がアウトプットされるようになったこと。
以上、今年の確定申告作業のあらましです。

後期高齢者医療制度の廃止

2011-01-25 | 経済と世相
 10日前、風邪を引いてしまいました。熱はなかったのですが、咽喉が痛い、鼻が詰まるで、ホームドクターの若先生に「咽喉の奥に風邪のウィルスが住み着いたみたいです。抗生物質でウィルスを叩いてください」と薬を貰いに行くと、若先生、赤外線式の体温計で小生の額を照らし「36.7度。熱はないですね。熱が出るようなら教えてください」と注意があったが、5日分の薬を出してくれた。熱がないので、新型インフルエンザではなかったみたいです。以後22日までジョギングも水泳もお休み。メールもご無沙汰していました。

 22日に大学院の期末テストが1科目だけですが、残っていた。体調不良で勉強する気が起きないので、寝たままPCのインターネットで大学院の授業を繰り返し聴いていました。こういう使い方も出来るので、PCは便利です。

 期末テストの終わるのとあわせたように23日は体調回復。朝起きて、TVを入れたら、「政府は後期高齢者医療制度の廃止について、平成25年3月の予定を1年繰り延べ26年3月にする」とNHKが伝えていました。「全国知事会が新制度は政府の負担が少なすぎると批判し、民主党内部にも、新制度で70歳~74歳の負担が増えることに反対の声がある」という理由のようです。

 25年3月なら、小生、1年半だけ現行の後期高齢者に入ると思っていましたが、1年遅れると2年半、後期高齢者になる!しかし、最近、民主党はマニフェストをどんどん変更しているから、どうなるか分からない!

 「後期高齢者医療制度の廃止」はこの前の総選挙で、民主党のマニュフェストの重要案件だった(だから民主党に投票したのだ)が、26年3月なんて、民主党が政権にあるかどうか分からない!

 昨年秋、昔の会社の仲間と下呂温泉に出かけた。懇親会の席で、1年先輩のYさんに聞いたら、後期高齢者に変って保険料が激増したと嘆いていた。

 一体どうしてこんなことになるのか。要するに、「後期高齢者医療」なる制度は、高齢者の医療費を政府は面倒見切れないから、見切れない分を、地方や企業、保険者に押し付けようとしたものだった。

 それが、民主党内閣になって、直ぐ廃止すると思ったら、「良い制度を検討してから」となった。以後、廃止予定は繰り延べが続き(今のところ)3年後になった。良い制度が思いつかないなら前の制度に直ぐ戻せばよかったのだ。と私は思うのだが・・・

 ところが、単純に前の制度に戻すにも、カネの問題が付きまとう。高齢者の医療費が増えているので、前の制度の運営主体が、後期高齢者を受け入れたら運営できないと言うことらしい。国が最大の負担者になるので、まず国が増えた分を引き受けますと言わないと前の制度にもどすことも出来ない。

 これを見ても、国にとって「後期高齢者医療制度」とは、増える高齢者の医療費を、国以外に押し付けようとする制度だった!

 しかし、社会保障制度とは、今までは家族が負担していた「高齢者医療負担」を国が持つことにしたものだ。家族が高齢者の医療を負担していた時に、「オジイチャンは費用の1割を負担できなければ病院に行かないで下さい」と言っただろうか?高齢者の医療は家族の無限責任だった。その家族の保障を国に移したものなら、国は無限責任でなければならない。その覚悟が国に出来ない限り「後期高齢者医療制度問題」は解決できなと思う。

松本清張記念館

2011-01-12 | マラソン
駅のレストラン街で簡単な食事、腹ごしらえをして、インフォーメーシヨンで「松本清張記念館」の場所を聞く。「歩いて15分ぐらいです」と『城下町 小倉散策マップ』なるパンフ(略図)をくれた。

駅前の大通りをまっすぐ、三井・住友銀行の角を回って勝山通り。まもなく、小倉城が見えてくる。昭和34年再建だが、5層が4層より大きく作られた天守閣。細川忠興が関が原後に入城し本格的に築城。勝山城とも言われたようだ。

http://homepage2.nifty.com/kitaqare/mido10.htm

清張記念館はお城の駅と反対側にあった。

清張は、明治42年(1909)、現在の小倉市北区で生まれ、平成4年(1992)没している。この記念館は1998年開館して2008年の開館10周年にあたり菊池寛賞を受賞しているとのこと。

http://www.kid.ne.jp/seicho/html/index.html

「松本清張と東アジヤ」という企画展をやっていました。清張の中国・韓国・東南アジヤを取材したルポルタージュやこれらを舞台にする小説の紹介です。

「統監」(伊藤博文が主人公)、「眩人」(ゾロアスター教が題材)、「密教の水源を見る」(空海論)など、私はまだ読んでないので、機会を見つけて読んでみたいな、と思いました。『日本の黒い霧』ドキュメンタリーの上映(常設らしい)もやっていましたが、時間がなくて見るのは割愛。

休憩室の窓から見る小倉城の石垣は趣のあるものでした。何といっても、この館の最大の“売り”は、東京の清張邸を移築して館の中央にすえたこと。一階の応接室と二階の書庫を歩きながら、眺めることが出来る。ビデオで蔵書の内容を映し出していたので、しばらくソファーに腰掛けて見入りました。

1時間ぐらい見てから帰ることにする。堀端を歩きながら、小笠原藩15万石の城下町小倉の風趣を味わうつもりでしたが少し寒むすぎた。

ホテルに戻り、預けた荷物を受け取り、新幹線の時刻を聞くと5:22にひかりレールスターが出るという。1時間近くあったので、駅のレストラン街で、少し早いが夕食をすませよう。駅弁よりは美味いだろうと、天麩羅の店に入りました。

「今日は良く歩いた!」直方駅から会場まで往復2km、小倉駅から清張記念館往復3kmありますから、20kmのマラソンのほか5kmのウオーキングをやったことになる。

食事と一緒に「キリンクラシック」をオーダーして、ささやかながら一人でマラソンの完走と自分の健脚を祝うことにしました。

食事を終え、時間を見計らって、新幹線のホームへ行きました。

5:22小倉の空はまだ明るかったが、帰りは往きと逆に、夜の地域に疾走しますから、あっという間に暗くなり、新山口ではとっぷり夜!

新大阪で、直ぐこだまの三島行きに乗り換え8:54、名古屋駅に着き、新春2日間の旅を終えました。

直方マラソン

2011-01-11 | マラソン
京都・小倉・直方紀行。続きです。

9日は6時起床。3時半レストランに行った。「朝食サービス無料」の表示がある。

セルフ・サービスで軽食が食べられる。味噌汁と、稲荷すし、巻き寿司、それにサラダ、最後に珈琲を頂く。フロントで、「7時40分前後の直方行き」の電車の時刻を聞く。スタッフがPCにデータを打ち込むと、「第1経路」は7:44の快速で折尾乗り換えで8:32直方着。「第2経路」は7:51の普通電車、乗り換えなしで8:40直方着と時刻がプリントされて出てくる。ずいぶん便利な世の中になった。

 マラソンに関係ない荷物はフロントに預け、7:51の電車に乗る。直方駅で降りると、ランナー・スタイルの人がちらほら見られる。男性1名・女性2名のグループに声をかけた。「マラソンに行かれる方ですね」。うなずくので「私、この大会初めてで場所が分からないので連れて行ってください」。後をついて、アーケード街を抜けると、大きな河のほとりに出た。

 「これは何という河ですか」と聞くと女性が「遠賀川」。

 「どちらから見えました」と、聞かれたので「名古屋市からです」と答えると「わぁ」。しばらく話が弾んだ。

「インターネットで見たけど、コースはまっすぐみたいですネ」

「まっすぐ、まっすぐ。ひたすらまっすぐに10km走って折り返してくるの」

15分ぐらい歩いて河川敷に受付のテントが見えてきた。どうやら河に沿って河川敷の中の道を上流に向かって10km走り折り返すコースらしい。金沢の犀川の河川敷を走るマラソンと同じだが、道幅は犀川より広い。

 「健闘してください」とグループに別れ、受付で、ゼッケンと選手名簿をもらう。最近のマラソン大会はランナーズチップを装着して走りタイムが自動で記録されるのが多いが、それがないから、手動でタイムスウィチを押すのだろう。手作りの大会だ。「記録証は後日郵送します」と、選手名簿に載っている。

 3km、5km、10km、20kmの種目があり、最初に20kmが10時スタート。出場者は男女合わせて611名だ。

 テントのある位置の正面河岸に「遠賀川水辺館」という施設があり、更衣室になっていた。

 10時スタート。一番後ろについていたので、スタート船を踏むのは15秒後だった。大会出場は、昨年3月の福山以来、走れるかな?若干不安があったが、ともかく走り出す。

 コースはまっすぐといっても道なりまっすぐの意味で、直線という意味ではない。遠賀川が蛇行するので道も蛇行しながら、上流飯塚方向に走る。距離表示が1km毎に立っている。6.7kmあたりで先導車(車でなく自転車)が来る。すぐぶっちぎりの先頭ランナーが来た。こちらはコースの3分の1を走ったわけだが先頭は3分の2を走っている。8kmあたりから風が出てきた。ひたすら走って10kmの折り返し。時計を見たら1時間7分。時速9kmぐらいだ。ずいぶん遅くなったものだが歳は争えない。救いは、10km走っても疲れはさほどなく走り続けている(速度が遅いのだから当然だが)こと。

 しかし、気温が思った以上に低い。普通10kmも走ると、汗でシャツがびっしょりぬれてくるのだが、まったくぬれない。後半もたんたんと走って、ゴールした時、腕の時計は2時間14分31秒だった。シャツは少し湿っていた程度でした。

「まだハーフは2時間半かかることはないナ」と思った。

 着替えをして暖かい珈琲を頂いてから、会場を後にしました。また駅まで歩き1:19の電車で小倉には2時過ぎでした。(続く)

京都・小倉・直方紀行

2011-01-10 | マラソン
大相撲で大関魁皇が登場するたび「福岡県直方市」の場内アナウンスが流れます。その直方市のマラソン大会に、9日参加しました。以下、その紀行文です。

 前日の8日は、放送大学院の卒業論文の口頭試問による審査が京都であり、それを済ませてから九州に行こうと、まず京都へ。指定された時間は2時半でしたから、新幹線で行くこともないと、9:40米原行き快速に乗りました。

米原でホーム反対側の姫路行き快速に飛び乗り、京都には11時44分に着きました。京都の駅ビル上部の伊勢丹11階のレストランで腹ごしらえをした後「まだ時間があるな」と、7階の「えき美術館京都」に入場しました。

http://www.wjr-isetan.com/kyoto/floorevent/index_7f.html

「海を渡った古伊万里展 ~セラミックロード~」という展示会をやっていました。

18世紀~19世紀にかけて、佐賀の焼き物がインドネシヤやヨーロッパに大量に輸出されていたようで、ドイツやインドネシヤからの出品も見られました。

1時半ごろ、試験会場の「キャンパスプラザ京都」へ行く。

最初、放送大学本部から、「キャンパスプラザ京都」で行うという手紙を受け取り、「キャンパスプラザ京都」ってどこだろうとインターネットで探したら、すぐ出てきました。「京都駅前 中央郵便局西隣」です。

京都は学生の街。大学が多いので、大学生への情報発信のためか、京都市が設けた施設のようです。

ロビーには、指導教官の同志社大N教授がもう見えていた。N先生が担当時刻がきて会議室に入ると、中からT教授が出てきて、しばらく雑談を楽しんだ。時間ごとに学生と教官が部屋に入って試問を行う仕組みだ。私の試問はN教授とT教授です。予定より10分ぐらい遅れたが試問が始まった。30分で終了。ロビーにみえたS主任教授に新年の挨拶をして引き上げることにする。成績は教授会にかけて後日、大学本部から連絡が行くとのことだが、感触としては、合格はしたみたい。やれやれと思った。これで今月下旬の放送授業、残った一科目の期末試験に合格すれば、3月卒業の運びになる。

こだまで、新大阪に。16:22にひかりに乗り換えた。西へ行くほど日の暮れが遅くなるので、福山まで来ても空が明るかった。「名古屋ならもうすっかり暗くなっている!」日本列島は東西に長いことを実感しました。

小倉には18:44着。改札口を出て南口へ。エントランスのネオンが美しい街だ。徒歩4分ぐらいで、西鉄のホテルに着く。

チェックインして、ルームキーのカードをもらい、エレベータの前に行く。エレベーター室にガラス戸があるので、開こうとしたが開かない。

通りかかったホテルのスタッフが「ルームキーを入れてください」と言う。

ガラス戸の横にルームキーのカードを挿入する口がある。カードを入れたらガラス戸が開く。宿泊客以外は客室へあがるエレベータが使えない仕組みだ。

部屋に荷物を置き、部屋着に着替えて大風呂に行く。部屋にはもちろん風呂は付いているが、ここのホテルは大風呂が“売り”らしい。先客が一人いただけで風呂は空いていた。土曜のビジネスホテルはこんなものだろう。(続く)