古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

動的平衡

2018-08-18 | 読書

「動的平衡」の2,3が面白かったので、最初に出た「動的平衡」を図書館で探してきた。

2009年2月の刊行である。後がきにこうあった。

「マリス博士の本を訳した福岡ハカセですよね。マリス博士も面白いですが、福岡ハカセにも興味があるので一度おあいしませんか。」10年ほど前こんな電話があって、『ソトコト』という不思議な題名の環境雑誌の編集部に出掛けた。「ソトコト」誌上に記事を連載することになった。その連載記事を再編集し成書化したのが本書である。

なるほど面白い記事が多い。

一つ。

何故大人になると時間が早く感じるようになるのか。誰もが感じるこの疑問は、なかなか納得できる説明が見当たらない

例えば、3歳の子供にとっては、1年はこれまで生きてきた人生の3分の1であるのに対し、30歳の大人に対しては30分の1だから・・・・

 良く聞く説明だが、これは答えになっていない。確かに自分の年齢を分母にして1年を考えると年をとるにつれ1年の重みは相対的に小さくなる。

 しかしここで重要なポイントは、私たちが時間の経過を「感じる」そのメカニズムである。自分たちの生きてきた時間を分母にして時間を測っているだろうか。

 私たちは自分の生きてきた時間を実感として把握していない。したがってこれを分母として時間感覚が発生しているとは考え難い。時間経過の謎は私たちの内部にある時間感覚の曖昧さと関連強いるというのが、私に仮説である。

 外部からの時間情報がなく(つまり、体内時計のみで時間を知る場合、30歳の1年と3歳の1年はどちらが長いか。

 

 ほぼ間違いなく30歳の時の21年が長いのである。

 それは「体内時計」のしくみに起因する。細胞分裂のタイミングや、細胞分化プログラムなどの時間経過は。タンパク質の分解と合成のサイクルによってコントロールされている。もう一つの厳然たる事実は、私たちの新陳代謝速度が加齢とともに確実に遅くなること。つまり加齢とともに体内時計はゆっくり回ることになるのだ。

 齢をとると1年が早く過ぎるのは、「分母がおきくなるから」ではなく、実際の時間の経過に自分の生命の回転速度がついて行けていないからある。

 もう一つ。

 たとえば1000キロカロリーの食事を一挙に食べると体脂肪が100グラム身体に付くとしよう。10回に分けて100キロカロリーずつ食べたらどうなるか。同じく100グラム脂肪がつくと思う方が多い。しかし実際はそうならない。

私たちはふだんインプットとアウトプットが比例関係にある現象に慣れている。というより脳は比例関係以外の関係を理解するのが苦手である。

 生命現象を含む自然界の仕組みの多くは比例関係=線形性を保っていない。非線形性をとっている。インプットとアウトポットの関係は多くの場合、Sの字を左右に引き伸ばしたようなシグモイド・カーブをとる。

 たとえば音楽を聴くときにヴォリュームダイヤルの回し具合と音量の関係を考えてみるとよくわかる。ダイヤルをひねっていくと最初音はなかなか聞こえてこない。ところがヴォリュームがある位置を超えると急に音が大きくなる。それ以上になとダイヤルの回転に応じて音が大きくはならない。摂取カロリーと体重増加の関係も、インプットの小さい領域えは、アウトプットの立ち上がりは低く、おそらく2g程度にしかならない。だから10回繰り返しtも体重増加は20gで済むことになる。

 余剰なエネルギーを身に着けない方法の一つは余分な運動をすることです。しかし、一度体内に入ったカロリーを運動で燃やすためには創造お以上の運動量が必用である。500キロカロルー(ショウトケーキ一個分)を燃焼し尽すには、水泳なら平泳ぎで1時間、ジョギングなら10km走らないといけない。

 あなたはショートケーキ一個を食べるために1時間の運動をする気力がありますか?

 


EVと自動運転

2018-07-28 | 読書

「EVと自動運転」(岩波新書、鶴原吉郎著、2018年5月刊)を大学図書館の書棚に見つけて読みました。とても面白い、その一部を紹介します。

 

ブラウン管テレビから液晶テレビへの移行は、エンジン車からEVへの移行に非常に似ている。ブラウン管テレビの時代には、ガラスでできた大きな真空管であるブラウン管を成型する技術や設備が参入障壁となっていたほか、ブラウン管は大きく重く、運ぶのが大変なためテレビ組み立て工場の近くでブラウン管を製造した。このため、テレビメーカーの多くは自社で製造しており、ソニーの「トリニトロン」や日立の「キドカラー」といったブラウン管技術を各社が競った。

 液晶の大型化が進んで「テレビの液晶化」が議論され始めたとき、最初に言われたのは、「解像度が低く、発色が悪く応答速度も遅い。テレビには向かない」という否定的な意見だった。だが、世界の平面テレビの趨勢は液晶一本に絞られ他の多くの方式は駆逐された。

画質で液晶より優れていた様々な方式がなぜ敗れたのか、一番の理由は、多くの企業が液晶を選び、そこに多くの投資がなされたことである。それにより部材のコストが下がり、カラーフィルターや部品材料の進化が進み、色あいの問題や、応答速度の問題が次第に改善された。なぜ多くの企業が液晶を選んだか、最大の理由はチャレンジャーだった韓国企業や中国企業に「ブラウン管技術の蓄積がなかった」から。ブラウン管テレビの経験が生かせる技術で勝負すれば日本企業に負けるのはわかっていた。そこで、蓄積がなくても参入しやすい技術に多くの企業が殺到し、液晶が勝者になったのである。液晶が最も優れた技術だから勝者になったのではなく、「新規参入企業でも勝てる可能性がある技術」と認識されたから液晶が勝者になった。

 ではブラウン管とエンジンのどこが似ているのか。エンジンもブラウン管と同様に加工設備に多くの投資、ノウハウが必要で、それは参入障壁になっており、また遠くに運ぶにはかさばるので、組み立て工場の近くで製造するのが理にかなている。エンジンの強みがそれぞれの企業の強みとなっているのも共通する。

 EVは欠点の多い技術である。HEVやPHEVに比べて航続距離は短く、充電時間は長く、高速での連続走行に現在のバッテリーは耐えられない。

 しかし、新規参入企業からみると、HEVやPHEVそれにFCVは医術の参入障壁が高すぎるのであり、先行企業に追いつく見込みのない技術である。だからこそ、中国は国家戦略としてEV化を推進し、新規参入企業はEVで参入するの

欠点の多い技術でも、それが主流になってしまうと、は不可能を可能とする技術革新が起こる。EVは過去の技術の蓄積を無にするからこそ選ばれるのであって、EVが優れた技術だから選ばれるのではない。

トリニトロンという独自のブラウン管技術を持ったソニーは、自社のブラウン管技術に絶対の自信を持ち液晶への意向にはまだ時間がかかると踏んでいた。液晶パネルの自社生産に失敗したソニーは、「液晶テレビの負け組」とみなされた。

一方、いち早く液晶への切り替えに舵を切り「液晶テレビの勝ち組」の筈だったシャープは経営の悪化で台湾のホンハイ精密工業の傘下に入った。シャープは、技術では勝ったが、ブラウン管から液晶に移行したテレビ事業がビジネスモデルも変わったことを見誤ったのだ。ブラウン管時代には、優れたブラウン管技術を持つことが勝ち残る条件だった。これが液晶テレビの時代にも当てはまると誤認し、液晶医術を高めることが競争力の源泉だと考え巨大投資にめり込んだ。しかも、その最新パネルを他社に供給しなかった。この戦略が裏目に出た。中国企業が続々液晶生産に参入し、液晶の供給能力は急拡大し液晶パネルは急激に値下がりした。

 シャープだけではない。6000億円の巨費尾投じて尼崎にプラズマヂスプレイの巨大工場を建設したパナソニックもコスと競争に敗れ、尼崎工場は閉鎖に追い込まれた。

 つまり、液晶テレビの時代にh勝ち抜くには、、単にブラウン管を液晶に変えるだけでなく、ビジネスモデルも考え直す必要があったが、それに気づくのが遅れたことが、日本の家電メーkザーの敗因だと言える。この教訓はEVにもそのまま当てはまるだろう。


動的平衡とオートファジー

2018-07-24 | サイエンス

猛烈な暑さが続いている。

「いのちに関わる暑さです。適宜に冷房を使い、こまめに水をとってください」とTvニュースが伝えている、さらに「水泳でも気温/プラス水温が65℃を超えると熱中症の危険があります」とまで言う。

左脚の具合が悪くて早くは泳げないのだが、ゆっくりでも泳げばリハビリになるだろうと二日に1回はプールに出掛けるのだが、メチャクチャ咽喉が乾く。プールを出て、自販機で百円のコーラを一気飲みして息をつき帰宅して冷房を入れベッドにひっくり返ると、もう何もする気が起きない。

というわけで、今月に入ってからブログを全くかけない。読んで頂いている方に申し訳ないと、21日、ブログのネタ探しに、県図書館に出掛けた。

福岡伸一ハカセの「動的平衡第三巻」(木楽舎。平成17年12月刊)を見つけた。第二巻は先年丸善で買い求め我が家の書棚に並んでいるが、第三巻はまだ読んでいない。早速借りてきた。以下は同書の記述から。

2016年のノーベル医学・生理学賞は、日本人研究者・大隅良則氏のオートファジー研究に対する貢献に対して授与された。日本人がノーベル賞をとると、テレビは特別番組、新聞は号外が出てお祭り騒ぎになる。そしてお祭り騒ぎの内容はといえば、研究自体はおおざっぱにしか説明されず、むしろ受賞者の人となり家族の支えなど人情話になる。結局大隅先生はお酒が大好き。みたいな印象しか残らない。そこで、ここでオートファジー研究の意義について改めて考えたい。

一言で言えば、「生命は、つくることよりも、壊すことを一生懸命行っている」ということである。

 少し過去を振り返ってみよう。

2004年のノーベル化学賞は、A・チガノーバー、A・ハーシュコ、I・ローズの3人の研究者に与えられた。ユビキチンシステムと呼ばれる細胞内タンパク質分解の仕組みの解明が評価されたのである。受賞講演の冒頭、チカノーバーはルドルフ・シェーンハイマ-について話始めた。私はひそかに快哉を叫んだ。私にとって、シェーンハイマーはヒーローだが、若くして謎の自殺を遂げ、科学史的には半ば忘れ去られた存在だった。ナチス・ドイツから亡命、1930年代から40年代、ニューヨークのコロンビヤ大学で研究を行った。

 彼は同位体をつかって生体物質の動きを可視化し、私たちが食べ物を摂ること事の意味を問い直した。一般に、生物にとって食べ物とは、自動車にとってのガソリンと同じと考えられていた。

しかし、実はそうではない。確かに食べ物はエネルギー源として燃やされる部分もあるが、たんぱく質は違う。私たちが毎日タンパク質を摂取しなければならないのは、自分自身の身体を日々、作り直すためである。

 たとえば、私たちの消化管の細胞はたった、2,3日で作り変えられている。1年も経つと、ⅹ昨年私を形作っていた物質はほとんど入れ替えられ、現在の私は物質的には別人になっている。つまり、生命はたえまない分子と原子の流れの中に。危ういバランスとして存在する。これが「動的平衡」である。

 この動的平衡の流れを作り出すためには、作る以上に壊すことが必要になる。それゆえ細胞は一心不乱に物質を分解している。チカノバーたちは、シェーンハイマーの遺志を継いで、壊すことの重要性を明らかにした。

 生命にとって重要なのは、作ることよりも壊すことである。細胞はどんな環境でも、いかなる状況でも、壊すことを止めない。むしろ進んでエネルギーを使って、積極的に、先回りして、細胞内の構造物をどんどん壊している。なぜか。生命の動的平衡を維持するためである。

 秩序あるものは必ず、秩序が乱れる方向に動く、エントロピー増大の法則である。この世界において、もっとも秩序あるものは、生命体だ。生命体にもエントロピー増大の法則が襲い掛かり、常に酸化、変性、老廃物の発生がある。これをたえまなく排除しなければ、新しい秩序を作り出せない。そのため絶えず、自らを分解しつつ、同時に再構築する流れ「動的平衡」が必要だ。

 細胞には巧妙で大規模な分解システムがあった。これが大隅氏のオートファジー研キュである。

 オートファジーとは自食作用のこと。細胞内には、ミトコンドリヤや輸送小胞などの構造体がある。細胞は特殊な膜によってこれらの構造物を取り囲み、隔離してしまう。隔離した後、構造体を分解してしまう。分解産物はリサイクルされたり、排泄されたりする。つまり、エントロピーが捨てられている。大隅チームは、酵母と言う微生物を使ってオートファジーのメカニズムをあきらかにしたのである。、


株主総会

2018-06-30 | 経済と世相

28日は、株主k総会のピ-クのようでした。今年もD社の株主総会に出掛けました。毎年出席しているので、今年いかないと「あいつ死んじゃった」と思われかねない。市バスで大津橋。バス停を降りて西へ。産業貿易館の西側が会場の名古屋銀行協会です。玄関には例年のゆにD社の社員が案内に立っていました。エレベータで前社長にあって、挨拶、会場の5Fに上がると、受付で出席票を貰う。43番でした。9時40分、開会の20分前です。

今日はむちゃくちゃ蒸し暑い日です。入り口で冷たいジュースを頂き、中に入って開会を待ちました。

 会長が議長席について、「報告事項のビデオの説明後、議案の説明、続いて質問の受付をします・・・」と始めた時、「議長」と一人の株主が手を上げた。Kさんだ。

「議事進行に意見があります」と発声したが、議長は無視した。「「株主様の発言は議案説明尾後に・・・」というが、Kさんはなお発言を求める。「議事進行は議長である私の指示に従ってください。不規則発言は退場をお願いする場合があります」と議長は強気だ。

 質問の時間になって、やはりKさんが最初に手を挙げた。今度は議長もkさんを指名。

「報告事項と議案は分けて審議してください。質問者は質問が終わったら、席に戻ってくださいと言うが、回答内容に合点が行かない場合もあるので、席に踊らず回答後発言しても良いのでは?」と、議事進行に注文を付けたのち、役員選任について意見を述べた。

「会長は20年以上(社長時代を含め)になる。若い人を育てて。新しい役員を出すべきべないか」

 次に小生が手を挙げて質問。

「『自動車の来るべきパラダイムシフト(エンジンからモーターへ)に的確に対応します。』として29年度は飯野ホールデイングとATAキャスチングテジュノロジージャパンの二社を統合し、新しい事業尾柱に育てます。」とあるが、この2社の事業分野は将来メタルに代わりうる事業分野になるのですか。関連して電気二重層キャパシター用電極シートの成長見込みについてご説明ください」。議長は社長の回答を求めた。

「飯野ホールヂングは、エンジン回り、ミッション周りの部品を作り、パイプの曲げ加工に独自の技術を持つ」とのこと。ATAの説明は良くわからなかった。どうやらタイの会社をお吸収合併」したらしいが、細部が聞き取れなかった。分かりにくい所をすぐ再質問できないから、質問後元の席に戻るのは良くないとKさんは言ったのだ。

社長が回答後、さらにもう一問質問した。

「IOT活用し新生産システム導入を歌っているが、具体的にはどのようなシステムを考えているのか。」

これも社長が答えたが、どうもすっきりしない。

すっきりしない回答だったので、別のアブ主から意見が出た。「IOTの取り組みが全くすすんでいないのでは?」

私が期待したのは、「第一ステージは作業者が日報を像作なくとも設備から自動的に日報が得られる。第二ステージはその得られた日報のデータが、生産計画に直ちに反映される。第三ステーjは、それらのデータから最も効果的な改善個所がわかる。現在は(例えば)第一ステージに取組中である。というような回答だったが・・・

 そこでさらにKさんが「役員改選」んいついて発言する。

「海外に積極的に事業展開しているが、監査は実際に現地に行って見聞きしないと実態がわからないのではないか。常任監査1名のみでは無理がある」もっともな発言だ。

 最後に元専務のWさんが発言を求めた。

「会長は高齢になったと言っても人生100歳の時代で、加齢による能力の衰えは個人差があるのだから頑張ってもらいたい」と、本日唯一の応援のメッセージ。会長もほっとしたに違いない。しかし、業績はまあまあで、期末の配当は15円。中間配当と合わせて一株当たり30円だから、最後はしゃんしゃんと拍手で終わった。

もともと日本の株主総会は、事前に大株主の賛同を得て、決議事項は成立することになっている。その意味で、総会は儀式に過ぎない。儀式で終わらせたい経営側と、討議をして実質的な結論を得たいという株主との意見の違いが目立つ総会でした。日本の株主総会も儀式であることが許されない時代がちかずいているのかも?12時10分終了。

 

 

 


セブン銀行

2018-06-22 | 経済と世相

「ダントツ企業」(NHK新書、宮本博史著)に面白い話が載っていました。

セブン銀行という銀行がある。セブンイレブンにATMを置いている銀行である。2017年3月期の業績は、経常収益1216億円、経常利益367億円、経常利益率30・2%です。

 利益の絶対額では、セブニレブン営業利益3132億円)には及ばない(しかし、面積当たりで見ると、ATM1台はおよそ幅45センチ・奥行60センチで、。店の平均床面積は100平方メートルだからATMの床面積の400倍。セブン銀行の利益の40倍と極めて高収益です。

では、セブ銀行はどうやって利益をあげているのか。ATMの使用料で稼ぐのである。その使用料を払うのは利用者ではなく提携金融機関、銀行である。つまり、普通の銀行は、「預金者から金を集めて、「融資先」から「利子」ヲ得ることで成り立っている。ところが、セブン銀行のビジネスモデルは全く違って「融資」をしない。預金者から資金をあつめない。

 銀行業界のノウハウはいかに焦げ付きを無くすかである。銀行の顧客は支店よりセブンイレブンが家の近くにあり、手数料もないのならセブン銀行のATMを使うだろう。しかも、銀行と違って、365日、24時間休みなく開いている。一方、金融機関がお金を払ってまでセブン銀行のATMと提携するのはなぜか。自らATMを設置するより、セブン銀行のATMと提携して顧客の利用した時手数料を払う方が割安なのである。

 セブン銀行のATMは、NECと二人三脚で共同開発して工夫をこらしてきた。紙幣処理速度を向上させ、1時間の処理件数を向上させ、キャッシュカードを挿入すると、、画面が「セブン銀行」の案内画面から利用者の使い慣れた銀行の画面に切り替わる。

ATM導入後の運用コストにも無駄を排除する工夫もある。

 運用コストで大きな部分を占めるのが現金の補充である。コンビニのオーナーが売上げた紙幣をATMから入金できるようにした。警備会社による現金補充は2週間に一度と大幅な削減が可能となった。

 店のオーアーが、近くの銀行支店に入金していた時代、その管理、手間、送金のコストは小さくなかった。銀行口座を管理する手間やコストは圧倒的に削減された。

2003年11月7日、セブン銀行の上期決算が発表された。経常利益2億円、開行2年半で黒字化を達成した。

セブン銀行は、銀行とは言っても、不通の銀行とは全くビジネスモデルが異なる。こうしたビジネスモデルを見出したところにセブン銀行成功のカギがあったという。


続・京都の旅

2018-06-16 | 旅行

2日目の14日、8時20分、チェックアウト。まず、石庭で有名な竜安寺に8時40分ごろつきました。駐車場に車を停め、窓口へ。もしかしたら9時前はあいていないかも?と心配していましたが、8時からオープンしていました。宝徳2年(1450)管領細川勝元が譲り受け寺地とし妙心寺の上人を開山,

創建。1994年世界文化遺産に指定されました。

石庭は東西25m南北10mの地に15個の石を配置している。15個の石を同時に数えられる地点はないとのこと。

 石庭の寺と思っていましたが優雅な池が配置されていました。

9時半、拝観を終え次に向かう。珍しくここは駐車料金無料でした。

今度は近くの仁和寺です。ここでは最初に500円駐車料金を請求されました。

入ってすぐに阿吽の仁王像が目を惹きます。58代光孝天皇が着工され、宇多天皇が完成。宇多天皇は退位後、出家され仁和寺に住まわれ真言密教の修行に励まれた。以来、明治維新まで皇子皇孫が仁和寺の門蹟となられ、仁和寺は御室御所とも呼ばれた。

中に入って左手の建物に入り、白書院、黒書院など見学しました。

仁王門からの正面には金堂があります。その右手に五重の塔です。

見終わり外に出て改めて寺の外観を見ました。

 

外壁には5本の線がはいっています。

それから、大きな樹がありました。2~3本の樹の根が共通になっています。たぶ縁結びの神様になっているのかな?

時刻は11時、次は広隆寺に行こうとなりました。

車で南に右京区太秦町まで行きました。映画村で有名なところです。駐車場に入ると、管理人が寄ってきて駐車券をくれました・受付で拝観の印を貰ってくれば無料になるということでした。

受付で拝観料は800円でした。駐車料金を含むから少し高い?と思いました。国宝第1号の「弥勒菩薩半跏思惟像」があると言う。中に入ると、暗い。仏像がずらっと数十体ならんでいますが、薄暗いので目を凝らさないと良くわからない。

講堂などを見てから駐車場に戻り、今回の京都見学を終えました。

早く帰るため、昼食は高速に上がってからレストランを探そうと、京都南のICを目指しました。12時になっていてどこのSAも満員で、結局多賀大社のSAで休憩。昼食、土産物を手に入れ帰途に就きました。3時半に西岐阜駅に着き、昨日と違って今日は乗り換え順調で5時前帰宅できました。


京都の旅

2018-06-15 | 旅行

40年来の友人との恒例の旅行記です。13日、14日京都に旅しましt。13日、9時過ぎ名古屋駅でJさんと出会い、集合地の西岐阜駅に9時40分過ぎつきました。集合時間は10時の約束でしたので、Sさんは、多分次の9:55着で来るだろうと待っていまいた。お天気は文字通り「梅雨の晴れ間」で快晴になりました。ところがここでトラブル、電車が来ないのです。「10分ほど遅れ」の表示がありましたが、10分過ぎても来ない。

車を運転するHさんが来て一緒に待つが来ない!間もなくjさんのケイタイにSさんのメールが入りました。「一宮・岐阜間でJR事故、不通で代行バスに乗り岐阜に向かいます」。「岐阜駅に向かおう」と車を発車すると、直ぐ再メール。「代行バスでなく、名鉄に乗り変えて新岐阜駅にむかいます」。新岐阜駅に着き、Jさんが車を降り迎えに行きました。間もなく二人がやってきて4名が勢ぞろいできました。直ちに岐阜羽島に向、予定より1時間ほど遅れましたが11時20分にインターを通過できました。

11時45分、伊吹山のSAでトイレ休憩。時間を節約するためここで昼食も済ませました。京都東インターで高速を降り、今日の目的地京都国立近代美術館に2時前に就いたのですが、駐車場探し。結局岡崎公園内の地下大駐車場に車を入れました。

 近代美術館では、「横山大観展」をやっていました。先日まで東京でやっていたのですが、NHKの日曜美術館で報道し、次は京都でやると知らされて今回の訪問になりました。入場料1500円でしたが、Jさんのジェフの割引で1300円で入場できました。生誕150年を詠っての展示会。大観は明治元年の生まれですね。20年代、30年代、40年代と時代を追って彼の作品が展示されていました。いろいろ外国を訪ねての作品もありました。ナイヤガラや万里の長城の絵もありましたが、やはり大観の絵は、富士山。「霊峰飛鶴」が印象的でした。休憩室で休んだ時、目の前に平安神宮の赤い大鳥居が見えました。鳥居のこちら側が国立美術館、向こうが市立美術館でした。

 4時前に見学を終え、宿泊のモントレ京都ホテルに。ホテルは直ぐ近くでしたので、4時過ぎには到着できました。1Fの駐車場に車を入れ、フロントでチェックイン。部屋の鍵(カード)4枚を貰いました。エレベータを上がると、廊下との間にドアが閉まっており、カードをセンサーに読ませないと廊下に入れないのです。一人1枚カードを持っていないと出入りに不便なのです。意外に本格的なホテルでした。

 すぐ入場券を持って、13Fの展望浴場に入りました。京都のど真ん中ですが温泉を楽しむことが出来るのがこのホテルの売り見たいです。残念ながら朝はやっていない、、部屋の浴室をご利用くださいとのことだった。

 入浴後6時から1時間、恒例の勉強会。今回は小生の読書紹介で、「アベノミクスによろしく」(明石順平著、集英社新書)を取り上げました。以下のような話を披露しました。

 経済学の理論は、自然科学の理論と違って、実験でその正しさを証明できない。だから、理論が本当に正しいかどうかわからないのである。

 ところが、アベノミクスは、大胆不敵にも、この経済学の壮大な実験をやってしまいました。

物価は貨幣量をふやせば上げることが出来る。そして、物価が上がる、換言すると、貨幣価値が下がると知らされると、人々が価値が下がらないうちに貨幣を使おうとすると、消費が増える、したがって景気が良くなるというのが、異次元の金融緩和お背景にある理論です。

 実際に、アベノミクスを実行したらどうなったか、物価は黒田総裁の目的とする年率2%には達しませんでした。「貨幣量ののコントロールで物価をコントロールすることは出来なかった」。

 しかい物価ガ上がらなかったわけではありません。日銀のいう年率2%には届きませんでしたが3年間で5%の消費者物価の上昇がありましたが、そのうち2%は消費税の引き上げのため、残りは為替相場の下落で外国から買うものの価格が上がったのです。つまり、物価が上がるのは、通貨価値の下落を信じて消費が増えるのではなく、為替相場の変動を通じて物価が上がったのです。

 為替の低下は、国民の購買力の低下を意味するわけですから、国民にとって損失なのですが、企業には円安で利益を上げることできた企業が多かった。

 多少、国民に不利であっても企業に利益をもたらす政策は評価されます。それが企業社会というものなのでしょう

7時から懇親会の食事です。2Fのレストラン「隨縁亭」で会席料理を楽しみました。

烏丸通りの賑やかな車の往来を見て、京都のど真ん中であることを実感できたレストランでした。

以下、会食中の雑談。

昔、自動車総連の役員であったため自動車の著名な経営者と会話する機会がありました。

本田宗一郎さんとトイレで一緒になり、「君はどこの出身か・」、「広島の東洋工業です」。すると一言「トヨタに負けんなよ」(Hさん)

Sさんの話「本田さんがこう述べたのを記憶しています」

「会社の名前に本田をつけたのは、自分の人生最大の失敗だった」。

Jさん。「スズキがインドに進出する前にインドを旅行したことがあります。

「この国にによく進出する決断ができて、しかもそれを成功させたものだ。鈴木さんと言うのは並みの経営者でないですね」。

9時近くまで論議が盛んでした。

 


心臓のチェック

2018-06-05 | 水泳

4日午後2時、自転車を転がして、西武医療センターに行きました。

心房細動が出た心臓のチェックです。循環器内科に行き2時半-、最初は心臓の超音波撮影です。ジェリーを塗った端子で皮膚のあちこちを接触し、画面を見ています。医師ではなく看護師が操作しています。 医師はあとから記録されたコンピュータ画面を見て診断するらしい。この検査は30年ほど前にやったことがある。会社の健康診断で、「左心室肥大があるから、診断した方がいい」と言われて受診したのです。その時の結果は「問題なし」だった。

10数分で終わり、「運動心電図の準備をしますから、しばらく外でお待ちください」。

4時前始まった。エルゴメータという装置で自転車を漕ぎながら負荷をかけていき、心電図をとるのです。

名古屋市の「スポーツ健康診断」で何回かやったことがあります。

この時は「寝た状態では左心室肥大の症状がみられますが、運動状態ではまったく見られないので大丈夫でしょう」と言われた。

始まる前に看護師が電話して医師を呼び、今回は医師立会いの検査です。

負荷は最初15W。30W,45Wと15Wずつ上げていく。1分に60回転を目途にペダルをこぐ。心電図の画面をンのぞきこみながら。医師が「さすが鍛えていますね」という。90Wになり、肌が汗ばんだ頃「終わります。しばらくそのまま漕いでいてください」。そして、「24時間心電図も、先ほどの超音波も異常なく、今の運動心電図も問題ありません。

「不整脈は多少でていますが、不整脈がまったくでないという人の方が少ないんです。

今の運動を続けても大丈夫です。データは中村先生(若先生)に郵送しておきます。」と言われて終了。

会計に行き清算した。自己負担分で、エルゴメータは1400円、超音波診断は880円だった。

 大会でうまく泳げないのは、心臓の問題ではなく、脚が動かないためだ。どうやれば脚が治るだろう?考えながら、帰宅しました。


伊豆の旅二日目

2018-06-04 | 旅行

2日目も良い天気でした。5時に目覚め朝ぶろを済ませ7時の朝食まで海を見ていました。屋外プールがあります。夏に来てここで泳いだら気分良いだろうなど思いながら相模湾を診ていたのです。

8時半出発。玄関口の『竜神の湯』湧き出し口の前で記念撮影しました。

相模湾沿いに伊東まで走り9時半、海産物の店で土産物購入。金目鯛のひものを買い増した。10時、伊藤を出ると左折して韮山に向かいました。

韮山反射炉見学です。

近づくと大瀬の人が歩いています。ウオーキングかな?と思ったのですが、そうではなく、電車で来る人は伊豆長岡駅から歩くのだそうです。

韮山反射炉は「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産23カ所のうちの1つで、鉄の精錬を行い日本の産業革命を支えてきました。
2015年7月に世界文化遺産に登録された。中に入ると、ボランチアガイドが説明をしてくれました。

 

反射炉の隣には江川太郎左衛門の屋敷があり、5月、11月の連休に来ると無料で見られるそうです。

最も力を入れて説明していたのは「幕末、こうした産業技術を開発したことで、日本は外国の植民地にされることを免れたということでした。当時作製した大砲が一門だけでしたが展示されています。

、江川太郎左衛門の銅像に挨拶してから帰ることにしました。

伊豆の国司は、伊豆長岡、大仁、韮山の3町ががっぺしてできた市です。

見学を終えた後「伊豆の国市の代官屋敷」というレストランで、とろろごはんと蕎麦の昼食。13時前に出発。三島駅に13時15分、東京の仲間と別れて新透明に」乗り愛知県に向かいました。5時半ごろ名古屋市黒川交差点でバスを降り、みなさんと別れました。

その後、地下鉄で上飯田駅に行き、「敬老パス」を受けとりました。

「見つかってよかったね。」窓口の職員の言葉でした。以上、OB会の旅行記です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


D社OB会懇親会

2018-06-04 | 旅行

元勤務先のD社野退職者の会の懇親会で1日2日と伊豆へ旅しました。今回は7時半犬山駅集合でしたので、1日の6時に家を出て地下鉄平安通駅から名鉄小牧線に乗り換え犬山に向かいましたあ、とんでもない失敗をやらかしました。小牧線に乗ってすぐに定期券(敬老パス)ないことに気づきました。上着のポケットにいれておいたのですが、ホームのベンチに腰を下ろしたりあげたりしていて、ポケットから滑り落ちたのだと思います。犬山で下りて窓口で「敬老パス」を落としたこと、および「平安通の駅に問い合わせできないか、と聞くと「平安通駅」、「地下鉄の遺失物センター」の電話番号を記したメモをくれました。バスを待つ間に、Sさんにケイタイを借りて平安通駅に電話しました。

「小牧線のホームに、30分前「敬老パスを落とした」(最後尾の列車辺り)と告げると、「見て来るから15分ぐらい後再度電話しなさい」。

 バスは7時35分出発。出発してから再尾メイタイを借りて電話したが「みつからない」という。もう少し時間をおいてから電話しようと、上郷SAで休憩後、電話してみた。「ない」という。今度は地下鉄の遺失物センターに電話したが「届はありません。もう少し時間をおいてから問い合わせてください」という。気になったが仕方がない次の休憩所、牧の原SAで平安通りに電話する。

「みつかりました」という。「やった!」と思った。

「名鉄の小牧駅があずかっている」という。小牧に下車した人がひろったらしい。小牧駅の電話番号を聞いて電話してみると「お名前は」(敬老パスは名前が記録されている)告げるとおあずかりしています」。しかし、小牧駅までとりにいくのも大変。「平安通駅におくってもらえませんか」、「名鉄の駅でないとおうれません」というので、上飯田駅に明日の夕方6時頃伺いますので転送しておいていただけないか」と言うと快く引き受けてくれた。

これで、一見落着である。

後の座席に座っていたKさんが「日本は良い国だ。外国では落し物は絶対出てこない」という。その通りだと思いました。

 12時過ぎ三島駅に着いた。東京工場の仲間が乗りこんできた。

昼食は12時半、「伊豆フルーツパーク」なるレストランで会食した。13:30出発、下田を目指した。浄蓮の滝を過ぎ道の駅で休憩。

その後、天城トンネル、ループ橋を経て(この辺りはNHKTVでタモリが先日解説していた)。下田市白浜の白浜神社に15:15到着。)

http://shizuoka.mytabi.net/izu/archives/shirahama-jinjya.php

伊豆最古、2400年の歴史をもつ古刹と言うことで、頼朝や北条早雲がおとづれたとの標識がある。比咩命神社(いこなひめのみことじんじゃ)を祀り、

総檜造りの本殿には、縁結びと子授けの神様の伊古奈比咩命を祭っています。主神の女性神、伊古奈比咩命は、三島市にある三嶋大社の三嶋大明神の后神で、女性としての美しさを備え、穏やかで優しい神様とか。

ご神木が見事です。

30分で参詣を終え、宿

 

舎のホテル伊豆急には4時前着きました。(続く)