古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

万博公園と美術館

2015-09-28 | 旅行
 9月27日は、住宅シニアクラブのウオーキングに出掛けました。25日を予定していたのですが、生憎の雨で27日(日)に延期したのです。日曜はそれぞれに家庭サービスがあるらしく、参加者は私を含め、4名。女性3名の参加でした。
 25日が愛知万博終了10年でしたので、その後の万博跡地を見ようと、万博公園。それと名都美術館を訪れる計画でした。
 9時半、住宅を出て、地下鉄名城公園から栄経由藤が丘駅に。一日乗車券800円を購入し、リニモに乗りました。二つ目の杁ヶ池公園で下車し、右に5分ほど、名都美術館に着きました。
 この美術館は、林テレンプという自動車の内装部品を作る会社が、社会貢献の資金を出して作ったもののようです。
http://www.meito.hayatele.co.jp/
昭和62年(1987)に名古屋市中区で開館しました。来館者に自然にめぐまれた、
よりくつろげる空間で絵画とふれあっていただきたいと、現在の長久手町に移り、庭園のある日本建築の美術館を開館したのは平成4年(1992)のこと。
日本画の作品を主として収蔵、展示しています。あまり有名ではありませんが、一見の価値ある美術館です。入館料は600円。日本の原風景――富士をめぐる旅――という企画展をやっていました。奥村土牛、片岡珠子」、東山魁夷、前田青邨、横山大観、横山操などの富士山を見ることが出来ました。
「絵の富士山と実物の富士山と違うところがわかりますか?」
私は1000円札を出して富士山の写真を見せました。
「実物は稜線の勾配が緩やかでしょう。絵になるとみな勾配がきつくなります。片岡珠子の藤など、極端ですね」
「絵のバランス上、デフォルメするんでしょう」とKさん。
「それもそうでしょうが、誰でも富士山を描けと言われると勾配がきつくなるらしいですよ」
庭の綺麗な美術館でした。

40分ほど見てから外に出て、駅に戻り、再度リニモに乗り、4つ目の万博公園駅に降りました。駅前の総合案内所で、ウオーキングの地図を貰い、歩き出す前に腹ごしらえをしようと、向かいの交流センターに入り、椅子に腰を下ろし、弁当を広げました。
30分ほどで食事を終え、「さぁ歩こう」と地図の3kmコースを目指しましたが、あまり分かり易い地図でない。多分この道でよいだろうと、南に歩き始めました。

1㎞ほど歩くと「サツキとメイの家」という表示がありました。
「本日の入場券売り切れの表示があるから、入れないよ。」、「外観をみるだけでもいいんじゃない」
「行ってみない」とその道に入ってみました。モリコロパークの中の山道を辿る。意外と遠そうだ。
途中の休憩所で、Sさんが「ここで休んでるから行ってきて」という。表示は「サツキとメイの家」まで600mとあった。kさん、Hさんと3人で歩く。林間の道は快いが、「10年前はこんなに歩いたかしら」、「10年前はバスで家の前まで行ったから」
映画『となりのトトロ』に登場する、サツキとメイの家。映画のままを再現した、大人気の施設。
先日、下見の時も、「当日入場券売り切れ」と表示されていたから、入場しようとすると、予約しこないといけない。(コンビニで、予約できるらしい)
また、昭和30年代の暮らしぶりもわかり、懐かしい光景にタイムスリップできる。
「600mばかりではないね」と、話し合っている頃、やっと着いた。
入り口に鍵がかけられ、外観を見ると言っても、遠くからしか見られない。家の位置する環境だけ寫して印き上げることにする。

また林間の道をたどるが、時々分岐点に来て「どちらからきたかな」、「この看板見た記憶があるからこっちだ」と、やっとSさんの待つ休憩所にきた。さっき別れてから30分は立っている。
一休みして広い道に戻る。「もう3㎞以上歩いたね」
「北口駐車場まで1400m、西口駐車場まで400m」の表示があった。
「ここまで来たら西口に行き、リニモの西口駅から乗車して帰ることにしたら、北口の公園駅に行くより近いと思うよ」
西口までは直ぐ来たが、西口駅がわからない。聞くと「あそこの観覧車の左がリニモの西口駅だ」と言うので、観覧車の見える方向に歩いた。
所が途中で、西口駅でなく、公園駅が見えてきた。
「どうなってるの?、公園駅にに行った方が近いじゃない」
まったく、どうなってるんだろう。
実は、下見の時公園内は歩いていなかった。あの時は、長久手古戦場にしようか、万博公園にしようかと最初古戦場に行ったのだが、距離が長い割に行ってみると、「誰だれ最後の地」という石碑が建っているだけなので、古戦場は止めて万博公園にしたのだが、古戦場を歩くのに疲れてしまい、公園は案内所でウオーキングの地図を貰っただけで引き上げてしまったのだ。
手抜きするとこうなると反省したが、みなさん「いい美術館だね」、「サツキとメイの家の林間の道が良かった」と言ってくれたので、うれしかった。
公園駅でリニモに乗り、藤が丘、栄経由で3時半帰宅しました。


第3四半期私撰10大ニュース

2015-09-25 | 経済と世相
終日雨模様でした。気温が下がり、秋を感ずると、なぜか物寂しく感じられます。
9月はまだ5日残っていますが、7~9月の10大ニュースを選んでみました。
メモを見なくても、すぐ10項目がかけました。それだけ事件が多いのですね。
1. 安保法案、無理やり成立。
憲法違反は明白!
2. TPP交渉合意に至らず。
アメリカの指導力も落ちたもの。
3. 普天間、沖縄知事は埋め立て工事の承認取り消しの意向。
知事は国連にまで出かけて基地反対を演説!
4. 鬼怒川決壊。
何故か、異常気象が多いですね。
5. 桜島、阿蘇山噴火。
春には箱根も噴火模様?でした。
6. VWデイーゼル問題東京オリンピック国立競技場白紙還元、エンブレムも撤回。
ドイツ人でもこういうことやるの!日本でも自動車株暴落。
7. 労働者派遣法の改定成立。
労働条件の切り下げ、日本経済を強化する安倍さんの秘策?
8. 東芝粉飾決算。
“不適切な会計処理”って、何故粉飾決算と言わないの?
9. 中国ショックで世界中の株安。
かつて日本の経済政策を笑われたが、他の国の経済政策も、お札の増発しか手がないらしい。
10. 終戦70年の総理談話
 何を言いたいのかわからない?談話でした。
番外;川内原発稼働、埼玉で6人殺害事件、橋下市長代表辞任で維新の党分解。


ひとり出版社

2015-09-24 | 読書
 『“ひとり出版社”という働き方』(西山雅子著、河出書房新社、2015年7月刊)という本を図書館の棚に見つけ、読んでみようと思いました。
御承知のように、近年街なかから小さな本屋が消えていっています。実際、本を買いたいと思っても、自分の探す本が小さな本屋では見つけにくいのです。どうしても、丸善などの大型書店で購入することになります。それにネット販売もありますから、小さな本屋は成り立たなくなっています。本の販売でも小さな本屋はビジネスモデルとして成り立たなくなっています。そうした中、出版社を一人でやれるの?手に取ってみた所以です。
内容は、一人出版社をやっている人にインタヴューして、一人出版にかける思いを取材した本です。
 登場する出版社は、
小さい書房:ひとりで読んでも子供と呼んでも
http://chiisaishobo.com/
土曜社:大杉栄の著作を専門に
http://www.doyosha.com/
里山社:『井田真木子著作撰集』が売りです。
http://satoyamasha.com/
港の人:鎌倉の出版社です。
http://minatonohito.jp/
ミシマ社:京都市城陽市、珈琲と1冊シリーズがあります。
http://www.mishimasha.com/
赤赤舎:京都にて、生を揺るがす写真家たちとの出会い。
http://www.akaaka.com/
サウダージ.ブック :土庄町(演歌はとばしぐれの舞台)の出版社です。
http://saudadebooks.jimdo.com/
サウダージはブラジルの奥地です。代表の浅野さんは文化人類学選好。
宇田智子:「日本一狭い古本屋」。
http://urarabooks.ti-da.net/
田村  実 インドで作られた本を販売しています。
http://www.tamura-do.com/
ゆめある舎:谷川俊太郎家のお嫁さんの始めた出版社。
http://www.yumearusya.com/
ミルブックス:ミルはフランス語の千
http://www.millebooks.net/
タバブックス:おもしろいことを、おもしろいままに本にして、きもちよくお届けする。http://tababooks.com/
人生、好きなことで生活して行くのはたいへんですが、それぞれのページから好きな仕事に取り組む人々の幸せが匂っています。

TPPは決まらない

2015-09-23 | 経済と世相
 新聞報道によると、交渉が停滞している環太平洋連携協定(TPP)について、甘利明TPP担当相は二十八日、「カナダで選挙戦が始まってしまうと、もう厳しい」と述べ、十月十九日のカナダの総選挙までに大筋合意しない場合は、交渉が中断する恐れがあるという認識を示した。交渉関係者が十七日に明らかにしたが、三十日から米南部アトランタで閣僚会合を開く方向で調整に入った。残された難航分野を決着して交渉全体の大筋合意を目指すが、各国の主張には隔たりが残ったままで、合意できる見通しは立っていない。
この問題の論客、中野剛志さんの意見を服してみようと、「TPP黒い条約」(中野剛志著、集英社司書、1913年)を読み直した。
安倍首相は、米国政権の政策は(防衛政策に限らず)常についてゆく意向のようだが、経済政策については、考え物だと中野さんは言う。アメリカの対日経済政策は、冷戦終了以後、それ以前とまるで違ってきたからだ。
『アメリカは、冷戦構造の下で、西側諸国の共産化を防ぎ、ソ連を中心とした共産圏に対抗して、アメリアを中心としたドル経済圏を構築することを最大の外交目標としていた。そのため、アメリカは西ヨーロッパや日本の戦後復興をおおいに支援し、貿易の自由化も、アメリカの国内市場を積極的に開放していく形で進められた。たとえば1950年代、アイゼンハウワー大統領は、日本を京参加させずに西側世界につなぎとめておくためには、日本がアメリカに対して積極的に製品を輸出できるようにしておく必要があると考えていた。こうしたことから、アメリカは関税を広範にわたって引き下げたが、日本は主要な関税をほとんど引き下げないということも認められた。
 1989年に冷戦が終結すると、アメリカは唯一の超大国としてのパワーを背景に、世界秩序を自国に有利につくりかえようとする一極主義へと傾斜し、これに伴い、日米関係も変化した。
 社会主義圏が崩壊したことで、アメリカは資本主義の勝利を確信したが、同時にそれを1980年代以降に台頭した新自由主義に基づいて運営されるべきだという認識が広く共有ようになった(ワシントン・コンセンサス)。
この時期、アメリカ経済は好景気を謳歌し、ヨーロッパと日本の経済は停滞に陥っていた。このためアメリカは、ワシントン・コンセンサスにますます自信を深め、アメリカ型の新自由主義的経済エイドによって各国経済を画一化する世界経済戦略を志向する。
いわば経済におけるアメリカ一極主義である。
たとえば、1995年に設立されたWTOでは、アメリカ主導によって、これまで自由化の対象外とされていた農業関税や、サービスの分野における非関税障壁をも対象とすることになり、従来のGATT体制よりもグローバル化を徹底するものとなった。
 また、IMFや世界銀行は、開発途上国への融資の際に、貿易や投資に自由化、民営化、規制緩和、財政削減といった条件を課し、新自由主義的な構造改革を強いる機関と化した。』
 冷戦終了以後の経済政策はアメリカ追随では、日本の益にならない。TPPが決着しないのは、アメイカの指導力の低下を意味するが日本にとっては、幸いであろう。

グローバル化を論ずる

2015-09-19 | 読書
 『TPP 黒い条約』(中野剛志編、集英社新書)を読んでいたら、施 光恒(せ てるひさ、九州大学准教授、政治学)なる筆者が、TPPに関連して英語教育も論ずる論文を載せているのを見つけました。 一読して、これは勉強になった!と感じました。内容を以下に紹介します。
TPPに賛成の立場をとる人々の見解は、
「ボーダーレス化・グローバル化こそ、時代の流れ(趨勢)である。ボーダーレス化の流れを環太平洋地域において形づくるTPPにも積極的に参加しなければならない」
しかし、実は「ボーダーレス化」=進歩」という見方は必ずしも正しくない。時代の進歩は「土着から普遍」と向かう一方通行的過程であるというのは非常に一面的な見方である。
 西欧の近代化は、「土着から普遍へ」という一方通行的な過程ではなく、逆方向、つまり「普遍から土着へ」とでもいうべき過程が見いだせる。
 たとえば宗教改革、ここでは聖書の翻訳が大きな出来事だった。中世の欧州では、ラテン語が普遍的な言葉だと認識されていた。
ルターら宗教改革者はこれを変えた。聖書を庶民の日常語(土着語)に翻訳した。現在の英語やドイツ語のもとになった言葉に訳した。翻訳により一般市民が、聖職者や教会を介さずに直接神学的知識に触れられるようになった。
 明治日本の近代化の過程にも西欧の近代化と類似の過程が見て取れる。「普遍的文明」と思われていた欧米からの多様な新しい知を、日本語に訳し、土着の文化、つまり日本文化の中に位置づけていった。
 明治初期には、日本の近代化を日本語で行うか、英語で行うかについて論争があった。現在の日本では、TPPに絡む「平成の開国」路線の一環なのか、「社内公用語」を英語にしようという企業の動きや、授業を英語で行おうとする大学の動向が見られるが、140年前にも英語公用化論争はあった。
 森有礼は、近代化を目指す日本の学校教育や、政治制度・社会制度の運用は英語でなすべきと論じた。
 この時、馬場辰猪はこう反論した。
(1) 日本人にとって言語体系がまったく違う英語の学習は骨が折れる。若者は、英語学習に多くの時間、労力を割かねばならず、他の勉強や仕事がおろそかになる。
(2) 英語教育には、時間や労力、お金がかかるため富裕層に有利で、結果的に格差社会化が進む。
(3) 使う言語によって、国民の間に意識の分断が生じてしまう。
翻訳により、日本語の語彙を増やし、欧米産の観念や制度を自分たちの手で選別し変容させながら、うまく既存の社会的・文化的基盤に組み入れていく。いわば翻訳と土着化を通じた国造りの手法をとることこそ、結局は、「格差社会化」を防ぎ庶民まで広く社会参加・政治参加できる社会をつくることになる。 馬場はこう主張したのである。著者は更に述べる。
 「翻訳と土着化」による近代的国造りの成功が端的に表れるものとして、日本の貿易依存度の低さがある。戦後ほぼ一貫して日本の輸出依存度や輸入依存度は、どちらも10~18%程度である。この数値は国際的にみれば極めて低く、たとえば、日本の貿易依存度は、2009年度は
世界189ヶ国中185位。2010年度は184ヶ国中179位。原油などの資源は輸入に頼っているが、それ以外は積極的に国産化し、多くの国民が多種多様な産業を担い、自立性の高い経済をつくりだすことに成功してきた。
 貿易依存度が低さは肯定的に評価すべき点が多い。一つは国内に様々な産業が成立しているため、人々が選べる職業の選択肢が多いという点である。職業の選択肢が多いということは、現代世界では、人生の実質的な選択肢が多いこととほぼ同義である。
 TPP推進派が好んであげる理由に自由貿易がある。その背後にはリカードの比較生産費説がある。各国は、比較優位な製品に生産を特化し、互いに生産物を貿易した方が、効率が高まる筈と言う理論である。だがこれは、机上の経済理論としては正しいとしても、現実世界では望ましくない。各国の産業構造は、少数の産業に偏り、いびつなものとなる。その結果、人々の人生の実質的選択肢は非常に狭くなる。
 理論上では、人間は、国境を越えて自由に移動し、どこでもいきいきと暮すことができる存在だとみることができる。だが現実世界では、人間は特定の文化を担った存在で、言葉の面からも、慣習や制度の面からも、特定の文化の中にいて初めて充分に機能する存在である。
 TPP加入後の世界では、多様な人生の選択肢を享受できる日本人は、ごく少数になってしまうのでは?

「上から目線」の案

2015-09-11 | 経済と世相
一昨日の午後4時ごろ、名古屋ドーム前のイーオンでクレジット(イーオンカード)で買い物をしました。カードはシャツのポケットに入れた(つもり)で、地下鉄で帰ってきましたが、地下鉄に乗った後、ポケットニカードがないことに気づきました。
 これはまずい!
帰宅後ポケットとバッグをすべて点検したがない!
イーオンで落としたのだ。もう一度イーオンに出掛け、カードの落し物はなかったか、インフォーメーシヨンで聞きました。
「なかった」というので、おとしたカードを使われると困ると、電話を借りてカードの顧客センターに電話し、落としたから使用停止にして、新しいカードを送ってもらうよう連絡しました。
 昨日、イーオンから電話がありました。
「名古屋地下鉄の遺失物センターから電話があり、
「ナゴヤドームの駅構内にカードが落ちていて、遺失物センターで預かっているので取りに来るようにとのことですが、使用停止になっているので、貰ってきても使えません。
ご本人から、廃却すると連絡していただけないですか」と先方の電話番号を教えてくれた。
早速電話して廃却を頼み、一件落着になったのですが・・・
 そこで思ったことがあります。
報道によると、再来年4月から消費税が10%に上がることになっている。
食料品などは軽減税率を適用するため、財務省がその具体案を提起しているという。
マイナンバーカードを食料品の購入時に提示すると、ナンバー毎に購入額の2%を記憶させ、
翌年の所得税の申告の際、還付(4000円上限)するというらしい。
 これだと、購入の度にマイナンバーカードを持参する必要がある。落としたりして紛失することもあるだろう。
消費税の還付がなくなるというだけなら、最高4000円の損害だけだが、
マイナンバーの実態がわからないので、どうなるかわからないのだが、どんな不利益が発生するのだろう。
 そもそも買い物するたびにカードを提示するという業務が国民に発生するのだから、事務手数料を(例えば一人1万円)を財務省は本来払うべきです。
それに、カードの読み取り機を設置する必要があるが誰がその費用を負担するのか?
財務省は一部費用を負担すると言っているらしいが、本来は全額政府持ちにすべきだ。
イーオンのような大企業ならいいが、小さな八百屋などは負担できない。
 財務省のお役人は、設備費も手間賃も国民に押し付けて平気らしい。この案はまさに役人の「上から目線」の案だと思いました。



台風、名古屋直撃?

2015-09-09 | 経済と世相
 尾張名古屋のNOZUEです。
お見舞いありがとうございます。被害はゼロでした。
いつも、名古屋の西側を通る台風は、被害がおおきい、東側の場合は、ほとんど被害がありません。
それで、昨日からどちらを通るか、TVの報道を注意していました。
昨日までは、浜松や豊橋が雨風ともひどいとのことでしたから、豊橋辺りに行ってくれると被害はないと思っていました。
今朝になって、ニュースを見ると、台風は動きが遅くで三河湾に近づいているがどこに上陸するかわからない。
10時半ごろになって「知多半島に上陸」と出た。
「知多半島なら、名古屋直撃だ!」と、少々びっくりしたが、窓から外を見ると、全然ひどい状況ではなさそうだ。
もしかしたら、「既に台風の眼の中に入っているのかな?」
「まぁ、大丈夫だろう」と近くの喫茶店に出掛け、珈琲とモーニングを頼み新聞と雑誌を読んで、12時頃外に出たら、もう雨は上がっていました。
というわけで、名古屋直撃だそうですが、被害はありませんでした

STAP細胞論文の査読

2015-09-06 | サイエンス
『捏造の科学者 STAP細胞事件』をGETして読んでみました。
一番興味を惹いたのは、ネイチャーの査読者のコメントでした。

5月のある日、どうしてもほしかったある資料を入手した。STAP論文は、2014年1月にネイチャーに掲載される前、過去3回にわたりネイチャ-を含む一流誌3誌にほぼ同じ内容で投稿され、不採択になっている。資料は掲載時を含む計4回の投稿論文と査読コメント、関連資料の一式だった。
 科学誌に論文が投稿されると、編集部は通常、その論文の研究分野で実績のある研究者2~3人にその論文の査読を依頼する。編集部は、査読者から返ってきたコメントを参考に掲載の可否を決める。査読者の名は明かされず、コメントは不採択の場合も筆者側に送られる。
 一月末の論文発表時の記者会見で、小保方さんはネイチャ-への最初の投稿時エピソードとして、「査読者の一人から『あなたは過去何百年にわたる細胞生物学の歴史を愚弄している』と酷評された」と明かした。一方、当時の論文の内容を知る関係者からは「主要なデータは最初の投稿からほとんど変わらない」と聞いていた。また理科学研究所の調査委員会の報告者などから、不正と認定された画像が過去の投稿論文でも使われていたことがわかっていた。
 ネイチャーはなぜ、一度は却下したずさんな論文を掲載してしまったのか。「研究不正」はどの段階からはじまったのか。それらの謎を解く手がかりが。資料にある筈だ。
小保方氏らは、2014年4月にイーチャー、同年6月米科学誌セル、同年7月に米科学誌サイエンスに相次いで投降した。
 3回の不採択を経て、2012年12月に笹井氏(理研発生・再生科学総合せんたー(CDB)副センタ―長、2014年8月自死)が加わり全面的に書き直し翌年3月ネーチャーに再投稿。12月受理された。
ついでながら、研究者は査読者を自分で選べないが、査読してほしくない人をあらかじめ編集者に伝えることは出来る。関連資料から小保方氏らがセルへの投稿時山中伸也京大教授ルドルフ・イエーニッシュMIT教授(ips細胞や再生医療のトップランナー)を外すことをもとめていたことがわかった。このことからips細胞研究を相当に意識していたと思われる。
 査読コメントを一読して最初に感じたのは、多くのコメントが非常に丁寧に書かれているということだった。
ネイチャー初投稿時の一人目の査読者は、「結論を支えるデータと説明は非常に推論的で予備的だ」など、論文の主張に対して批判し「残念ながらこのまま論文を掲載することはお勧めしない」とのべながらも、その後に、個々の図表類についての問題点や疑問点、改良点を23項目にわたり挙げた。不思議なことに、二人の査読者のコメントのどこにも、小保方氏が紹介した「細胞生物学の歴史を愚弄している」という言葉は見当たらなかった。
「より信頼性が高く正確に検証された追加の実験結果がないままセルで紹介できる自信がない」と結論付けた二人目の査読者は、「研究の妥当性を評価うるために明確にすべき観点」を9項目、細かい指摘を11項目挙げ、後者の中では、「文献は最新のものを参照すべき」というアドバイスとともに文献をいくつも紹介していた。
次に気づいたのは、そうした丁寧な指摘の数々が、次の登校時に生かされた形跡がほとんど見られないということだ。つまり、投稿の回を重ねても、同じような指摘が再びなされているのである。
私たちが最も注目したのは、「新たな万能性細胞」の存在を根本から疑い、別の現象の見間違いである可能性を示唆したり、あるいは根拠となるデータやその分析の不十分さに言及したりするコメントがいくつもあることだ。
 懐疑的な姿勢をあらわにしたのはサイエンスの一人目の査読者だった。――細胞の塊ができたのは、実験室内でES細胞が混入し、生き残って塊を形成したためだろう――と推測した。
ES細胞混入の可能性は、疑義発生後間もない時期からささやかれ、すでに見てきたように、理研の遠藤上級研究員による公開データの解析から、少なくとも遺伝子データを解析したときの「STAP細胞」はES細胞だった可能性が高まっている。すでに2012年の段階で、著者たちが同じ指摘を受けていたことは驚きだった。
それでは、採択に至ったネイチャーの再投稿時はどのように審査されたか。査読者は3人になった。
再投稿の際、論文は主論文の「アーテイクル」と第二論文の「レター」の二本構えになった。アーテイクル論文の主旨はそれまでの投稿論文とほぼ同じ。新たに書き起こされたレター論文は、胎盤にも分化するというSTAP細胞の特性や、いずれもSTAP細胞から樹立した二つの幹細胞――ES細胞に似たSTAP幹細胞と胎盤にも分化するFI幹細胞――についてまとめられていた。

以上を呼んで到達した私の結論。
STAP細胞の存在を結論づけるには、ネイチャー投稿論文にはデータが不十分で、問題があった。結論を確認する追加実験が必要だったが、それはなされなかった。ES細胞の混入ミスは、最初の査読時点に指摘されていた。
 ネイチャーが二度目に掲載を決めたのは、笹井氏や若山市が共著者に加わり、中でも若山氏(クローン羊ドリーをキメラマウスを作ることで確認)ら、この分野で著名な学者が共著者に入ったことから、編集者が掲載の誘惑に勝てなかった。
では、笹井氏らは、なぜ論文のミスに気付かなかったか。「STAP細胞はips細胞を凌駕する」。もし事実なら大発見!国の予算獲得に効果抜群!の錯覚が事実を見誤らせた。
小保方氏は、実験ミスしたのか、それとも意図的にデータを捏造したのか、後者だとしたら、大変な才能の持ち主である。

老人漂流社会

2015-09-02 | 経済と世相
日曜のNHK特集で「老人漂流社会 急増する親子共倒れ」なる放送がありました。ご覧になった方も多いと思います。失業した子供が親と同居し、親子共倒れになるというルポでした。同居する子がいることで、生活保護は打ち切られるというのですから、昔は、子供を育てれば、ひとまず老後は安心でした。それが、かえって子がいることで、生活が成り立たないというのです。
先日読んだ本(『会社本位主義は崩れるか』奥村宏著岩波新書、1992年)にこういう記述がありました。
【(日本は法人資本主義であり)法人資本主義とは、法人である会社に富が集中する。
例えば土地、国土庁が発表した1991年度「土地白書」によると、私有地のうち法人所有地の比率は91年1月1日現在で13.7%、1年間に0.8ポイント上昇した。70年代にはその比率は8%台だった。
土地の法人化現象を生んだ要因の一つとして社宅が挙げられる。社宅の着工件数は88年度から急増し91年度は4万戸に達した。
 住宅を建設することは従業員福祉になると同時に会社の含み資産の蓄積になる。企業はエクイテイ・ファイナンスなどで調達した資金で土地を買いあさった。
 社宅と言う制度は欧米にはあまり見られない。住宅は国や地方など公共機関が整備していくと言う政策があるからだ。ところが日本では従業員の福祉対策として社宅を立て、労働組合もそれを要求する。その結果、社宅に住める人と、そうであい一般の人との事実上の所得格差を拡大していく。
株式については、土地よりもっと早くからもっと激しく法人化が進んだ。個人持ち株比率は戦後間もなくは70%近い比率だったが、1991年度23.2%にまで低下している。
(以上はバブル時代についての記述ですが以下の点は今も同じでしょう)
 日本の社会は、会社に富が集中し、その結果個人も会社人間と、非会社人間という区別ができてくる。会社に属している会社人はハッピーだが、会社からはみ出した人間は誰も面倒をみてくれない。
 われわれの生活はすべて会社で成り立っている。サラリーマンとしての会社人はもちろん、その家族も、子供も老人も、みんななんらかの形で会社と関係を持っている。】
つまり、日本の社会保障は会社が担い、政府の社会保障はそれを補う形でできてきたのだ。
2000年代に入って企業は、契約社員などの制度を利用することで、従業員の非正社員化で人件費を軽減してグローバル化に対応しようとした。
正社員と非正社員の格差は、賃金以外の従業員福祉の格差が大きい。雇用保険、医療保険、年金などの社会保障面が更に大きい。昔の制度は、会社に属している正社員を前提にして作られていたので、会社からはみ出した人の社会保障はまったく不十分なのです。
だから、介護が必要になって息子と同居し、その息子が非正社員で職を失った場合、放送されたような悲劇になる。
会社員の身分を持つ人を対象とするのでなく、国民一人ひとりを対象にする社会保障制度にしなければなあない。安保法制などに血道を上げている時期ではないと思うのですが・・・