古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

ポスト資本主義

2015-07-31 | サイエンス
「ポスト資本主義」(岩波新書、広井良典著)なる新刊を図書館の棚に見つけ借りてきました。最近、資本主義の限界を論ずる本、水野和夫「資本主義の終焉と歴史の危機」、ピケテイ「21世紀の資本」(菅さんのブログがありますhttp://blogos.com/article/105763/)などがベストセラーになっている。その系統の最新刊らしいと手に取ったのです。
著者の主張点を要約して以下紹介します。
人類の歴史を大きく俯瞰すると、それを人口や経済規模の「拡大・成長」の時代と(成長が資源の制約に面した結果の)「定常化」の時代の交代として把握できる。
人間の歴史の中での(狩猟採集時代、農耕時代に続く)第三の拡大・成長と定常化のサイクルの全体が、現在の資本主義/ポスト資本主義の展開と重なるのである。
注目したいのは、人間の歴史における拡大・成長から定常への移行期において、それまでには存在しなかったような新しい観念ないし思想、あるいは価値が生まれたという点だ。
人類学や考古学の分野で「文化のビッグバン」と呼ばれている現象がある。加工された装飾品、絵画や彫刻など芸術作品のようなものが今から5万年前の時期に一気に現れたことをさす。
また、(これは私の仮説だが)普遍宗教の群は、農耕と人口増加が進み、森林の枯渇、土壌の浸食などが深刻に進み、農耕文明がある種の資源・環境制約に直面した時、そうした制約の中で「物質的生産の量的拡大から精神的・文化的発展へ」という方向を導く思想として生じたと考えられないか。
「心のビッグバン」も、同様のメカニズムで狩猟・最終文明の拡大・成長から定常化への移行の時期に生じたと考えてみることも可能ではないか。
「定常」という表現からはともすれば“変化の停まった退屈で窮屈な社会”というイメージが伴うかもしれないが、それは物質的な量的成長の概念にとらわれた理解で、定常期とはむしろ豊な文化的創造の時代なのである。
 現在が人類史における第三の定常化の時代だとすれば心のビッグバンにおいて生じた自然信仰や芸術や、普遍宗教が一斉に誕生した時期に匹敵する、根本的に新しい何らかの価値原理や思想が要請される時代の入り口を私たちは迎えようとしているのではないか。
次のような議論もありうる。
「人間はこれまでも常に次なる「拡大・成長」へと突破してきたのだから、」むしろこれからの21世紀は「第四の拡大・成長」の時代となるはずだ」。「超資本主義」というビジョンだ。私はそのような方向へ技術的な突破の可能性があるとしたら以下の三つが主要な候補になると思う。
すなわち、第一は「人工光合成」、第二に宇宙開発ないし地球脱出、そして第三が「ポストhy-マン」(人間改造、例えば人間の体を小さくしてエネルギー使用量を減らす)である。
いずれにしても私たちは21世紀の第四の拡大・成長と定常化の間で、数百年ないし数千年単位の歴史の大きな分岐点の時代に立っている。
そこでの新しく生まれる価値原理や思想があるとしたらそれは何か。
そもそも資本主義とは何か。
資本主義=「市場経済プラス(限りない)拡大・成長」を志向するシステムと言えるが、市場経済と資本主義とは全く異なる概念で、資本主義とは、集中、相対的に高い独占化、つまり「反――市場」を来す。
本川達雄は、生物学的文明論において「時間を環境問題としてとらえる」という印象深い議論を展開している。
ビジネスの本質は、資本主義下では、「エネルギーを大量に使って時間を短縮すること」と言える。
たとえば東京から博多への出張に列車でなく飛行機で行くと、それはエネルギーをより多く使う分、それだけ早い時間で目的地に到着することができる。つまり、「エネルギー―→時間」という変換がなされた。人間は生活のスピードを無際限に速めてきており、現代人の時間の流れは縄文人の40倍ものスピード」(縄文人の40倍のエネルギー消費)になっている。しかしそうした時間の速さに現代人は身体的について言えなくなりつつある。これが「時間環境問題」である。
 かつての時代は、“人手が足りず、自然資源が十分ある“という状況だったので「労働生産性」(=少ない人手で多くの生産を上げる)が重要だった。しかし現在むしろ”人手があまり自然資源が足りない“という状況になっている。そこでは「環境効率性」つまり人はむしろ積極的に使い、逆に自然資源の消費を抑えるという方向が重要で、生産性の概念を転換することが課題となる。
 そうした生産性概念の変更を踏まえると、これまで“生産性が低い”ことの象徴のように言われてきた福祉や教育などの領域がむしろ“生産性が高い”領域として浮上する。
 市場経済においては“時間をめぐる「市場の失敗」”が様々な形で生じているという把握が重要である。すなわち、市場は、きわめて“短期“の時間軸で物事を評価するので―――金融市場などはその典型―――、より長い時間で評価さえるべき財やサービスは、十分にその価値が評価されない。いま「より長い時間軸で評価されるべき財やサービス」といったのは、」たとえば農林水産物や、森林など自然環境委に関するものであり、また場面は異なるが、介護どのサービスもそれに該当する。
 介護と言う営みは、親の介護を子が行い、その子が年取ったらまたその子が介護を行い・・・という具合に世代間継承性の中でのコミュニテイ的な営みとして(長い時間軸で)行われていた。しかし、それが市場において「介護サービス」という商品になるとそうした要素は捨象され、個々の行為が断片化され評価され、「価格」はそれだけ低くなってしまう。
 視点を変えて考え直す必要性を感じさせる本でした。

平均寿命の3σ

2015-07-30 | 経済と世相
 7時のニュースが、昨年の日本人男性の平均じゅみょ王が80.5歳にあったと報じていた。
先日、24日のことです。外出から帰ってくると、プリンターのFAX着信ランプが点いている。プリントしてみたら、堀場さんの訃報でした。堀場さんは元部品労連会長、元日本特殊陶業労組委員長です。
 堀場さんにこの前逢ったのは何時だっけ。日記をチェックしたら、昨年10月19日、部品労連役員のOB会が、新幹線名古屋駅前の名鉄のホテルであって、お会いしている。この時はまだ元気だったのに!享年73という。私より6歳も若い。
 元気だと思った人が1年経たないうちに世を去る。そういう齢なんfだろう。
思ったのは、私もいつなくなっても不思議でない年になっているということ。6年前に5歳年上の長兄が世を去った。つまり、長兄よりもう1歳長生きしていることになる。
 日本人男性の平均寿命は80歳ぐらいだが、プラスマイナス5年ぐらいは、3シグマの範囲内に入るだろう。
 だとすると、小生もいつ世を去っても不思議でない年の筈だ。実際、最近、あちこち体調不良が出てくる。
 人体は沢山の部品から構成される。それらの部品のすべてが一斉に同時に壊れるということはない。あの部品が壊れ、この部品が壊れ、最後に致命的な部品が壊れて死ぬことになる。幸か不幸か、小生は、致命的な部品は持ちがいいらしく、「内科的には完全に健康だ」と、医者には言われているが、あの部品が壊れ、この部品が壊れの齢になっていることは間違いないだろう。
この世を去るのが近いとすると、たった一度の人生、思い残すことはないか考えておく必要があろう。
 人生の最後に「自分は子供を作ったことだけがこの世に残したことだ」と、思うような人生はつまらないと若いころは思ったものだが、
この齢になると、「子供を残すことが出来れば、それで充分ではないか」と思えるようになった。
その意味では、既に孫が4人、ひ孫も2人いるのだから充分だと言えないこともない。
次々と年齢の近い身近な人がなくなっていくと、つい、そんなことを考えます。


ワンポイントレッスン

2015-07-28 | 水泳
水泳のワンポイントレッスンに通っています。北スポーツセンターで月曜は11時から、木曜と、土曜は午後3時から、5人だけ先着順です。コーチが個人別に10分間、手取り足取り指導してくれます。たった10分間ですが、教室で10人1時間の指導より参考になります。人それぞれに下手なところが違いますから、個人別に指導してくれた方が良いのです。実際、此処のレッスンは、コーチが「こうやって見てください」と泳ぎを見せて、その後動作ができるようになるまで繰り返させる。手を取り足を取り、「こういう風に動かすのだ」と言葉と動きを同時に指導する。「やってみせ、言って聞かせて、させてみて。褒めてやらねば人は動かじ」という歌の通りの指導ですから、とても参考になります。
 このレッスンに通うようになったのは、バタフライが泳げなくなったからです。昨年2月の怪我の後、それまでバタフライの100mは平気で泳げたのが全然泳げない。必死で泳いでも25mがやっとです。バタフライってこんなに難しい泳ぎだったかな?と不思議に思っています。
 一般に、「あたまを使って覚えたことはわすれ易いが、身体を使って覚えたことは忘れない」と言われます。たとえば自転車の乗り方は一度覚えれば、決して忘れることはありません。水泳も同じで覚えた泳ぎを忘れるなんて考えられないのですが、どうもバタフライの泳ぎを忘れてしまったみたいです。
身体を使って覚えたといっても、その記憶は神経回路に記録されている筈ですが、その記憶している神経回路が壊れてしまえば、身体を使って覚えたことでも忘れてしまうということらしい。その記憶が頸にあったらしく、頸を怪我したら泳げなくなってしまった。実際は記憶は頸でなく、小脳にあって、その記憶を脚や手に送る神経回路が頸の怪我で損なわれたのだと思います。いずれにしても泳げない。となれば、もう一度練習して泳ぎをマスターしようと、4月ごろから北スポに通うことにしたのです。
月曜日は10時過ぎにプールに入りました。11時開始の30分前から受付ですが、30分前ではすでに5人が受付にならんでいますから、もっと早くいかないといけない。この日は1番でした。10時半に受付して、しばらくプールに入って練習していました。11時前、コーチの先生が見えてプールサイドの椅子に腰かけ、泳ぎを見ていました。11:00~11:05の休憩時間に先生の傍に行き雑談しました。
「泳ぎ見てたが、パーツはいいよ」という。
「パーツ?」、「部品、泳ぎの部品はできている」と言われる。
要するに個々の動作はいいから、「その個々の動作を組みあわせるタイミングが習得できれば楽に泳げるようになる」ということらしい。
私は「去年、今年と名古屋マスターズは休んだので、来年は是非100mバタに出場したいのでご指導ください」と挨拶しておいた。
 この日の練習は、ドルフィンキックに合わせて右腕回し、左腕回し、両手回しの順で手を動かす練習だった。
練習の最後に「うまくなったよ」と「褒めてやらねば人は動かじ」を実践してくれた。
 来年は是非なごやマスターズ100mバタに出場しようと思っています。

角栄を評価

2015-07-22 | 経済と世相
 NHKの「戦後70年、総理大臣」見ていました。第1回が吉田茂が、第2回は田中角栄が大きく取り上げられていました。
確かに戦後の日本を大きく動かした首相は、吉田と角栄だろうと思います。
角栄の業績を特筆すると、一つはガソリン税を定めて全国に道路網を整備し、その公共投資で地方にお金を流したこと、および田中内閣が誕生した昭和47年が、後年「福祉元年」と称されるように、日本の福祉制度を大きくレベルアップしたことです。
 後者について言うと、今日社会保障費は毎年1兆円ほど増加している。
ある意味で、日本の国力以上に社会保障を手厚く行うことにした。
だから、私など今日の高齢者は、角栄さんに足を向けて寝られない、と考えています。
財源は「日本が高度成長すれば心配ない」と、角栄さんは考えていたらしいが、
高度成長が出来ない時代になったので、問題です。
角栄が悪いのではなく、高度成長が不可能な時代になったことを認識し、その時代にあったシステムを構想できなかった角栄以後の首相の責任でしょう。
実際、小泉首相は「自民党をぶっつぶす」と、角栄的な日本の政治をつぶしてしまいましたが、その後、どのような日本にするのかを示すことが出来なかった。
民主党政権も「コンクリートから人へ」のキャッチフレーズの下、角栄的システムからの脱却を図りましたが、完全に失敗しました。
「ガソリン税の撤廃」を唱えましたが、実際にやってみようとすると、全く財源がなくて、最初の公約違反になりました。
「後期高齢者医療制度の廃止」という公約も全く放棄しました。
財源がなかったからです。そもそも後期高齢者医療制度は、財源がないので考え出されたものです。
高齢者の医療費は年々増加します。その度に医療費を上げようとすると、国会でもめます。
そこで、高齢者だけ別の医療制度にしておけば、その制度だけで決算して赤字になれば、自動的に制度の保険料を上げられる。
後期高齢者の方は、制度が発足した時の保険料と今の保険料と比較すれば、法律の改定なしに、どれだけ保険料が上がったか確認できます。
 民主党は、政権を取ってみて、後期高齢者医療制度の廃止には財源がいることに気がついて早々に公約破棄しました。
 要するに小泉政権にしても、民主党政権にしても、田中角栄的しくみを止めようとしたが、やめられなかったか、やめた後のやり方がわからなくて混乱しているわけです。
それだけ、角栄的システムは日本の社会に適合していたというべきでしょう。角栄の構想力はすごかったと評価しています。


路(るう)

2015-07-20 | 読書
 『路(るう)』吉田修一著、文春文庫を読みました。
吉田修一は沢山の小説を著しているようですが(http://yoshidashuichi.com/)私は初めて彼の小説を読んだ。
台湾新幹線の建設にかかわる人々の物語。「路」は、新幹線という路と人々の人生行路」の意味らしい。
「新幹線が開通したら、二人で台湾に行ってみるか?」と勝一郎は言った。
「開通したらって、まだ5年も先の話じゃないですか」と妻は笑った。
「そうか。5年も先か」
「そうですよ」
「5年なんてあっという間かもしれないぞ」
「70過ぎたおじいちゃんが元気溌剌だとみっともないですよ」
台湾出身の夫婦の会話だが、台湾新幹線が出来、夫は妻の遺影とともに新幹線を旅することになる。
しかし夫も、
台湾で幼馴染の、今は台湾で病院を経営する中野に会う。
・・・
中野が、車がやってくる方へ目を向けた。
「すい臓がんらしい」
その背中に勝一郎は言った。言うつもりなどなかった。中野はすぐには振り返らない。
「死ぬのに早いって齢でもないけどな」と勝一郎は笑った。
自分自分でも不思議だったが、病院での診断の後、初めて口にしたにも拘わらず、何の動揺もなかった。やっと振り返った中野が「そうか」とだけ応える。
「ああそうだ」と勝一郎も短くうなずく。
「医者はなんて言ってる?」
「そう長くはないそうだ」
「そうか」
・・・中野は昔、曜子(勝一郎の奥さん)を恋していた。
「曜子もいない。お前と違って子供もいない。天涯孤独ってやつだ。まぁ思い残すこともなし、一人でのんびり死んでくよ」
「だったら、お前、こっちで死ね。・・・俺の病院で、この台湾で死ね」
こっちで死ね。この台湾で死ね。・・・

「冗談で言ってるんじゃないぞ、ちゃんと考えてくれ」
・・・
「ありがとう」
ただ一言、勝一郎はそういった。
 若い人の物語もある。
東京の会社に勤めていた多田春香は台湾のプロジェクトに出向することになる。
台湾への赴任を期に春香は・・・…東京のアパートを引き払っている。・・・実際に暮しているのは台北で、実家は神戸。しかし会社は東京にあり、恋人である繁之もそこにいる。
話は6年前に遡る。春香は気ままな一人旅で台湾を訪れる。偶然、一人の台湾男性に会う・。「電話してください」とメモを貰うのだが、それを紛失する。
神戸の大震災で、春香の安否を心配した彼、劉人豪(ジンチャン)は、ボランテイアとして日本にやってくるが、再会は出来なかった。一方、その後台湾で大地震。彼を心配して春香は台湾に行くが、これまた再会できなかった。
ジンチャンは、台湾の大学を卒業後日本に留学して、日本の建設会社に入社する。
 つまり、彼は日本で働き、彼女は台北で働くことになる。
 こうした若い人々の物語と、人生晩年にさしかかった人々の物語が、台湾新幹線の建設と組み合わされて展開されるのである。
『日本側が提出したスケジュールによれば、いよいよ来月から試運転が始まる予定だったのだが、来月どころか、いつになったら始められるのかさえ予測できないほど工事が遅れている。
「台湾の人たちがスケジュールにたいして呑気なんじゃないんだよ。ヨーロッパだってアメリカだってそう。
結局、世界中で日本だけがスケジュールに対する心構えが違うってことだと考えるしかないんだな」』
こうした苦労を交えた恋愛小説です。

『原発ホワイトアウト』

2015-07-15 | 読書
『原発ホワイトアウト』なる小説を読みました。現役の霞が関の官僚が書いたと言うので、評判になった小説です。
 小説の最後は、再稼働した原発がメルトダウンするところで終わります。どういう経緯でメルトダウンするのか。
 送電塔の鉄塔を北朝鮮のテロが倒壊させる。関東地方の50万世帯が停電する。原発は緊急停止する。原発は膨大なエネルギーを発生させるので、送電線の支障で電気を送り出せないと、外部電源か非常用電源で冷却し続けないと、崩壊熱で炉心がメルトダウンする。
 送電塔は電気事業法による施設基準で建てられているが、原子力規制委員会の新しい基準では何も言ってない。原子力の安全基準は経産省から独立した規制委員会の管轄だが、送電施設は、従来通り経産省の管轄だったのだ。送電塔は、一応、鉄条網で囲まれ「立ち入り禁止、高圧電線、危険」の表示はあるが、誰も監視しているわけではない。
 国土地理院の2万5千分の一地図はインタネットで公開され誰でも送電塔の位置を閲覧できる。もちろん高圧電線は二系統設置され、自然災害であれば二系統とも同時に支障を来す可能性は低い。自然災害以外は起こらないという「性善説」に立っていたのだ。原発を冷却中のバッテリー電源の残量がなくなりかけ、非常用デイーゼルを始動させようとするが、外気温はマイナス9.5℃。エンジンがかからない。外部電源車を呼ぼうとするが、積雪で道路は大渋滞。除雪車は幹線道路の除雪に出払ってしまい、連絡が取れない。
 以下、フクシマと同様なプロセスで原子炉はメルトダウンする。放射能を恐れて避難する住民の車で高速道路も追突や横転事故が起こり、大混乱になる。
 そもそもなぜ原発再稼働を急いだか、原発利権が、官僚や政治家、電力会社に再稼働を急がせる事情が詳しく小説化されています。
 電力料金の設定は、ご承知のように、総括原価方式、つまり、かかった費用に一定の利益率を乗算した金額を費用に載せて決める。これだとコストが増えるほど高い利益が保障されることになるので、コスト低減の誘因がない。外注費を削減しようとしない。それは電力会社の取引先にとって、電力会社への納入はおいしい取引になることを意味するので、取引自体が利権になり、そこに目をつける政治家にとっては政治資金の出所になる。そのあたりの事情が小説であるだけに、生々しく描かれ、脱原発の進まない事情はそうなんだな、と納得させられます。
「脱原発」にご関心の方にはお勧めの小説です。

オバマケア

2015-07-12 | 経済と世相
『沈みゆく大国アメリカ』という堤未果さんの本を読みました。
「逃げ切れ日本の医療」を副題とする同書から面白い話題を紹介します。
 2010年に導入されたオバマケアの実態。
 この法律では、生活保護を受けるほど貧困ではないが、民間保険を買うには所得が少ない国民に、栄府から月々保険料の一部が補助される。
しかし・・・
 大統領が公言した「オバマケアで年間2500ドル下がる」とは裏腹に、保険料は値上がりを続け、中間層を中心に医療費支出の増額に悲鳴を上げている。しかも、これからは保険を持っていなければ罰金だ。2015年は大人一人につき年間325ドル、子供一人につき162.5ドルまたは年収の2%のどちらか大きい額が罰金として踏襲される。
 政府がさまざまな条件を課す民間の<オバマケア保険>は、大量のルールと提出書類の煩雑さ、それに国からの治療費還元率の低さから多くの医師が(オバマケアによる)診療を拒否して、政府補助をもらい、せっかく保険証を手に入れても、肝心の医者が見つからないケースが続出している。月々の保険料が安いプランを政府の補助で手に入れても、いざ治療を受けようとすると免責額が高すぎて払えないという声も各地で拡大してきた。
つまり、オバマケアは、民間の健康保険に、政府が補助金を出すから加入しなさいという制度で、日本の健康保険とは全然違う制度です。日本の健保は社会保障ですが、オバマケアは文字通り保険なのです。
次は「キューバの医療」の話題。
「(日本の医療は)正しい方向で国が進めれば、経済成長もできて医療問題も解決できる。そうなったらキューバのように、世界に胸を張って医師や医療を輸出すればいい。武器や原発を輸出するより、ずっと尊敬されると思いますよ」
 そう、キューバの「医療外交」は世界中から注目されている。
 アメリカの経済制裁で苦しめられているキューバは、後ろ盾だった旧ソ連の崩壊後も、乏しい国家予算を国民の健康を守るための地域医療に投資している。
 革命後、キューバは国内全地域にかかりつけ医を配置し、医師と看護師が各地域住民の健康・予防・治療の3点セットを担当するシステムを整備した。必要があればそこから専門医のいる病院などに紹介される。「国民は治療を受ける権利がある」と書かれた憲法50条にそって、治療はすべて無料。だが担当医が地域住民の生活を丸ごと把握しているため、早期発見、早期治療で医療費は先進国よりずっと低く抑えられている。経済制裁によって輸入が制限されている医薬品の生産は自国内で行い、完全無料の医科大学を設立し、国内外の医学生に開放した。
 こうした政策の結果、キューバは低い国民所得で先進国並みの平均寿命と高い医療水準、なおかつ医療費は先進国よりも低い。
 旧ソ連崩壊前は、経済援助と引き換えに「兵士」を紛争地へ派遣していたキューバだが、「医療外交」に切り替えて以降、世界中の国々や被災地に送られるのは、兵士ではなく、自国で養成した医師たちだ。
 現在5万人のキューバ人医師たちが世界66か国に派遣され、政府はその見返りに、石油を安く輸入したり、さらに年間80億ドルの外貨を稼いでいる。
 2014年12月。
アメリカは半世紀以上断絶していたキューバとの国交正常化宣言。アメイカがこの国交正常化に課した条件の一つである「外資によるキューバ国内への資本投入」には、キューバが今後巻き込まれるであろう、マネーゲームの存在が見え隠れする。
 医療財源がないなかで、医療を持続可能な形で成長産業にしたキューバはこれからどう変わっていくか。それは合わせ鏡のように、日本がこれからどちらの道を選ぶのかを私たちに問いかけてくる。

サイエンスと科学

2015-07-04 | サイエンス
「科学」と「日本語」の関係を『日本語の科学が世界を変える』から拾ってみます。
サイエンスという英語を、いったい誰が「科学」という言葉に移し替えたのか、その資料をずっと探してきた。正直言って、なお、確たる証拠はつかめていない。ただ、科学史の研究者などの聞くと、みな「西周(にしあまね)でしょう」と言う。今日、日本語による学術用語、専門述語がきちんと存在し、日本語と言う自分たちの言葉で学問・学術・科学ができるのは、実は西周をトップ格とする当時の人々の努力のおかげである。調べれば調べるほど、特に西周なくして、日本語の近代学問はありえなかったと思うようになった。
 西周(1829~97)という人は本当にすごい。生まれ育ちは、森鴎外(1862~1922)と同じ津和野藩で、二人は親戚関係にある。
 最初に、日本語をその効率性から見てみよう。
日本人は世界で最も多くの文字種を使う国民ではないだろうか。漢字がJIS第1水準で3000文字、ひらがなとカタカナで100文字、アルファベットもアラビヤ文字、ローマ数字などほぼ日常的に使っている。このような現実を見れば、明治期に欧米文化と直面した先人たちの一部が、日本語をローマ字で表記するよう変えてしまえばよい、と考えても仕方がないだろう。
 ローマ字表記論というのはその後も生き残り、戦後などかなりの勢力を持った。しかし、日本語はローマ字表記にならず、現在のように、さまざまな文字種を使っている。これは本当に幸いだった。もしローマ字表記にしてしまったら、今日、韓国や北朝鮮のハングルが直面している厳しい文化的状況と、似たようなことになったかもしれない。
ハングルにも長所はあるが、欠点は表音文字であるため、元の漢字の読みが同じだとみな同じ表記になってしまう。しかも、漢字文化を捨ててしまったため、あれほど自分たちが大事にし、誇りに思っている李朝朝鮮の歴史書や古文書を読める人がいなくなってしまった。
 これに比べ、つくずく日本語はやまったことをしなくて良かったと思う。
 おそらく、日本語ワープロほど、日本の文字文化に革命を起こした技術はないと思う。
 しかも、この日本語ワープリの技術は、中国はもちろんアジヤの国々の言語の電子化にも役立っている。日本語ワープロは、日本人が世界に誇っていい大発明だ。なぜ、文化勲章やノーベル平和賞とかが贈られないのか不思議なくらいだ。
 (日本語ワープロの開発で)いまや、日本語で科学を進める上で、何の障害もないということだ。

山中博士は、2012年のノーベル生理学・医学賞を受賞されたが、発表の時、私は「受賞は当然だが、それでも受賞は早すぎる!」と思った。
 ノーベル生理学・医学賞には原則のようなものがある。それは、実際に治療に使われた発見に授賞するということだ。Ips細胞はその時点では、治療に使われていなかった。従って山中博士の2012年の受賞は異例中の異例といってよい。
なぜ、これほどに評価されたのか。
 山中博士の記者会見の数日後、突然、ローマ法王庁による発表があった。「難病治療につながる技術を受精卵を破壊することなく行えることになったことを賞賛する」と、山中博士の仕事を絶賛した。従来のES細胞による再生治療は、そのES細胞をヒトの卵子から作る。それは本来一人の人間になりうる可能性を持った細胞なので、治療のためであっても、許されないという深刻な議論があったのだ。この深刻な課題をさけうるということを法王庁が評価したというわけ。
 つまり、科学の研究には、社会の価値観が大きく関与するのだが、欧米の価値観と異なる価値観に基づく日本社会の日本語による科学は、世界を変える可能性があると言う。


日本語で科学する

2015-07-03 | 読書

かねてから疑問におもっていたことがあります。
私たちは、ものを考える時に、日本語で考える。当たり前ですね。
英国人は英語で考える。フランス人はフランス語で考える。逆に言うと、
考える時に使う言語が、その人の母語です。
では、科学研究の際、「科学を研究する」とは、「科学現象を考える」ことですから、
日本人は、日本語で考える、科学する。それは、「英語でサイエンスする」こととは同じなのか、違うのかという疑問です。
これについて、解説する本はないかと探していたら「日本語の科学が世界を変える」(筑摩選書)を見つけました。
その第1章の要約を以下に紹介しますので、ご笑覧ください。
私の問題意識は、ご理解頂けるかと思います。

『日本語の科学が世界を変える』(松尾義之著、筑摩選書、2015年1月刊)の第1章を要約します。
「アイアムソーリー、アイキャンノットスピークイングリッシュ」、ノーベル賞受賞講演会で、益川博士はこう話され、その後日本語で素晴らしい講演を披露された。日本語による受賞講演は、作家の川端康成氏以来・・・
 益川博士のケースは、英語をほとんど話せない科学者が人類最高の仕事をした。という[裏返しの驚きを与えている。
世界の優れた科学者や科学関係者の一部は、」日本人が英語ではなく、日本語で科学や技術を展開していることに、ようやく気がついたようだ。
 日本人は日本語で科学をしている。こういうと、たいがいの人から「何のことですか」と言われてしまう。実際、第一線の科学者に「先生は日本語で科学をされていますよね」と持ちかけてみると、10人が10人、何のことかとキョトンとされてしまう。
日本人だから日本語を話す。だから日本語で科学研究する。あるいは、日本語で技術の研究をして画期的な工業製品を作る。これはあたりまえのことか。
 逆になぜ日本人は英語で科学をしないのだろうか。
 その理由は、日本語の中に、科学を自由自在に理解し創造するための用語・概念・知識・思考法までもが十二分に用意されているからである。
 私は科学ジャーナリストとして翻訳(日本語と英語)という作業が関与する場面で、特に多くの仕事をしてきた。それもあって、この「日本人は日本語で科学をする」という事実が、決して自明でないことを何度も何度も体感してきた。
 益川博士は、2014年11月26日付朝日新聞「耕論」欄で。次のような意見を表明している。
「ノーベル物理学賞を貰ったのち、招かれて旅した中国と韓国で発見がありました。彼らは「どうやったらノーベル賞が取れるか」を真剣に考えていた。国力にそう違いは無い筈の日本が次々に取るのはなぜか。と。その答えが、日本語で最先端のところまで勉強できるからではないか、というのです。自国語で深く考えることができるのはすごいことだ、と。彼らは英語のテキストに頼らざるをえない。日本語で十分に間に合うこの国はアジヤでは珍しい存在なのだ、と知ったのです。」
 このことを、私は本書に書いた。私たち日本人は、日本語で科学することができるのだ。でも、それは自然にそうなったわけではない。
 150年前、江戸末期に、集中的に西欧文明を取り入れた。概念そのものが、それまでの日本文化に存在しないものだった。言葉がなければ新たに言葉を造ったりしながら、あらゆる分野に近代としての日本語体系を作り上げてきた。その新しい日本語を使って、現在の日本人は、創造的な科学を展開している。だから、英語で科学をする必要がなかった。先人に感謝してもしすぎることはないだろう。

2015第二四半期私選10大ニュース

2015-07-01 | 経済と世相

1. 高浜原発の操業認めず。福井地裁
安倍さん、それでも原発推進!
2. 3月貿易収収支黒字に。
原油の価格低下は、やはり神風。黒田発言(さらなる円タスは考えにくい)の背景に貿易黒字がある。IMFも米国も「円が割安」の判断。これを国際派の黒田さんとしては無視できない。
3. トヨタ利益2兆円に
トヨタだけが元気!
4. トヨタ・マツダ技術協定 環境技術、安全技術を柱に業務提供に合意。
マツダの株価は堅調です。
5. トヨタ常務に外国人女性。次いで麻薬事件。
トヨタは、とにかく話題になる企業です。
6. 18歳まで選挙権
政治の核心は、若者に期待するしかない!
7. 電気業界の送発電分離
上手くいくことを祈ります。
8. 労働者派遣法の改定。
労働条件の切り下げで国際化を乗り切る考え?
9. 安保法制審議
自民党推薦学者も違憲判断とは、どうなってんの?
10. 東証時価総額最高、されどギリシャ問題で日経ダウ600円低落。
番外;箱根でも噴火(地震・噴火の当たり年!)、新幹線で火災(自殺らしいが)