古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

がんと闘った科学者の記録

2015-10-26 | 読書
2015年のノーベル物理学賞を、素粒子ニュートリノに質量があることを見つけた梶田隆章・東京大宇宙線研究所長(56)ら2人に授与すると発表した。
 ニュートリノの質量については故戸塚洋二氏が中心になって研究を進めたという。だから、戸塚さんが生きていれば、今回梶田さんと並んで戸塚さんも受賞したはず(ノーベル賞は生きている人でないと受賞できない)。
 そこで「戸塚さんががんで亡くなったが、その闘病記録が本になっていたはずと思いだし、図書館で借りてきました。『がんと闘った科学者の記録』(戸塚洋二著、立花隆編、文芸春秋社、2009年5月刊)です。
 立花さんが、序章を書き、最終章に立花さんと戸塚さんの対談が載っている。真ん中は、戸塚さんがブログに掲載した闘病録です。読んでみると、ブログにかかれた内容は、すべて序章に要領よくまとめられている。だから、「御用とお急ぎ」の方は序章と対談を読めば本の内容は理解できます。
最初に序章の紹介です。
 ニュートリノは電気的に中性で、電子顕微鏡でも見えないくらいどころかいかなる観測手段をもってしても見えないほど微小かつ微弱な存在、質量もほとんどゼロであらゆる物質と相互作用しない。すべての物質を突き抜けてしまう。いかなる遮蔽壁を置いても止めることが出来ないし、いかなる検出器でも検出できない。
 たとえば、太陽中心で起きている太陽の熱源になっている核反応でも、太陽ニュートリノが常時大量に発生し、地球にやってきて我々の上に降り注ぐ。太陽ニュートリノは我々の肉体をひっきりなしに貫通している(全身で毎秒1122兆個)。なのに我々は全く気付かない。ニュートリノは我々の肉体に全く痕跡を残さずただすり抜けるだけだ。
 ニュートリノをはじめて目に見える形で検出できるようにしたのがカミオカンデである。
 スーパーカミオカンデが動き出して2年後の98年、またもカミオカから、世界的大発見が飛び出した。ニュートリノに質量があるという発見だった。それまでの物理学の標準理論では、光子に質量がないように、ニュートリノにも質量が無いとされていた。一つでも、明白に標準理論に合わない現象を発見したら、それだけでも、ノーベル賞級の価値があると言われていた。98年6月5日、高山市でニュートリノ物理学・宇宙物理学国際会議でスーパーカミオカンデの日米合同研究チームを代表する梶田教授(今回のノベル賞受賞)から、この事実が発表されると、会場を埋めた世界中の物理学者たちが、みなスタンデイング・オペレーシヨンによってこの大発見がたたえられた。
 戸塚さんとの思い出は、取材したときの戸塚さんとの一問一答そのものにある。この人くらい、わかりにくいことを分かり易く説明してくれることにたけた人はいなかった。
 量子力学の世界は、我々の日常的な感覚世界とは相当違った部分がある。不確定性原理とか、光の波動性と粒子性の重なりとか・・・常人の常識では理解しがたい話がいろいろ出てくる。そのあたりを次から次に質問した。我々常識人にはわけがわからない。その辺、プロの物理学者の頭のなかはどうなっているのだろうとたずねた。驚いたことに
「実をいうと我々にしても完全に納得できていない。実感としてはわからないが、理論の筋道を追っていくと、受け入れざるをえない。実感と切り離して受け入れている部分があるんです。」
それを聞いてはじめて量子力学というものがわかったような気がした。それまで実感的理解が得られないのは自分の頭が悪いせいだと思い込んで、なんとか実感的理解を得ようと七転八倒していたが、この戸塚さんお一言でまるで付き物が落ちたように、量子力学の理解にまつわる不快感が消えた。戸塚さんはこういった。
「光の粒子性を示す実験事実もあれば、光の波動性を示す実験事実もあるんです。実験事実があれば、それを受け入れるということから出発するのが科学」
余談ですが、小生も高校生の物理で、この光の波動性と粒子性の重なりの意味が分からなかった。
この時思ったのは、人間が納得するというのは、自分が生まれてからそれまでに経験したことのアナロギーで、あれと同じか、と納得すること。まったく体験したことがないことを人間は納得できない。我々の感覚器官で感知できる世界では、すべて波は波、粒子は粒子。粒子であって波という存在は無い。だから納得できないのだ。と思うことにしました。戸塚さんの説明はそれと同じみたいです。

 終章の立花さんと戸塚さんの対談に移ります。
――「ご自分のがんの記録・・・読ませて頂き、いや、驚きました。とてつもなく詳細に、そして冷静にご自分の病状を観察していらっしゃる。特に驚いたのが、医者からもらったCD画像の写真をデジタル化して腫瘍サイズの時間的変化をみたり、抗がん剤の投与回数と腫瘍マーカー(血液中に測定できるがんに特徴的な物質)値の関係をグラフ化したり、あそこまで自分で分析する人はなかなかいないでしょう。病気と言うのは、ある意味で、データの世界ですが、データにぶつかるとどうしても科学者の本能が働いて分析してしまうものなんですかね。」
 「自分の肺のがんで、10個ほど、ダブリングタイム(がんの細胞数が2倍になる期間)を計算してみたんです。すると抗がん剤の効き具合がよく分かった。副作用でイレウス(腸閉塞)とか間質性肺炎に罹っているとき、抗がん剤投与をやめてますから、ダブリングタイムが短いのです。結局、抗がん剤をやったことで、半年のダブリングタイムが1年から3年近くに伸びたということは言えると思います。」
―――肺の他、全身の転移というのは具体的にどことどこですか?――
肺、肝臓、脳です。
去年の8月頃から肩に痛みがあった。今年1月、抗がん剤の副作用がひどくなって、服用を中止したんですが、その直後からいっそう肩の痛みがひどくなった。整形外科では「50肩でしょう」と言われたのですが、新しい抗がん剤の点滴を受けると、とたんに肩の痛みが軽減したのです。さっそく骨シンチという検査を受けたら右肩から数か所腫瘍がみつかった。
――肝臓にも――
定期的なCT検査でわかりました。脳は左右に3センチ大の腫瘍があって言語中枢を圧迫するので、ときどき言葉が出なくなる。

―――がんが最初に見つかったのはいつでしたか。――
2000年10月、58歳のときです。ひと月後の11月に手術して、直腸と結腸を30㎝切ったのです。2006年4月まで抗がん剤治療の開始を遅らせました。
戸塚さんはお酒が好きだったそうですがその頃お酒は?
 もう飲めなかったですよ。
――いつごろから― もともとアルコールは強いんですか。--
いや強くない。酒に弱い人間が無理して飲むからこうなるんです。
再々発癌が見つかった2005年からは飲んだらむせる。養命酒で我慢しました。
――がんの記録だけでなく、人生観、世界観、宗教観など書かれていますね」――
死を前にして正岡子規がこういっています。
「悟りということはいかなる場合にも平気で死ねることかと思っていたのは間違いで、悟りと言うのはいかなる場合にも平気で生きていることだった。」
最後に一寸安心できる情報です。
 立花さんから『臨死体験』をいただきましてね、半分読んだんですよ。」
「これを書いていて思ったのは、結局、人間には楽に死ねるような生理的システムがちゃんと備わっているということです。」

23日はウオーキング

2015-10-24 | 旅行
 23日は絶好のウオーキング日和。住宅のシニアクラブのウオーキングに出掛けました。
総勢9名(男2、女7)で、9時半出発。歩き始めたら、コンチャン「足が痛いの?」と私に言う。実は、暫く前から左足の裏が腫れて、歩くと痛いので気づかれないよう気をつけて歩いていたのだが、少し足をひきづっていたらしい。彼女にすぐ見抜かれた。
「ええ、左足を痛めてね」
地下鉄大曽根駅の3番出口を出て、南へ。さわやかなお天気で風も快い。名古屋銀行の角で左折。間もなくルーテル復活協会の前に来た。
建物の前の机にボランテイアのスタッフが2名座って受付をしている。今日は特別公開日で、教会のパンフレットと、アンケート用紙をくれた。ルーテル復活教会は、徳川園のすぐ北側に位置する。戦後のヴォーリズ(アメリカに生まれ、日本で数多くの西洋建築を手懸けた建築家。建築家でありながら、ヴォーリズ合名会社(のちの近江兄弟社)の創立者の一人としてメンソレータム(現メンターム)を広く日本に普及させた実業家)の教会建築に共通した簡素な建物です。この頃の日本経済は高度成長以前で戦後しばらく続いた財政や物資、建築資材の欠乏が反映されているようです。同じ教会建築でも戦前の作品の方が華麗で凝ったものになっているのは、戦前の方がこの頃よりずっと豊かだったことを示している。 しかし、この教会を見てわかるように、こじんまりして質素ですが、可愛く親しみやすい感じを受けます。木造塔屋付。2012年に新たに文化庁の国登録有形文化財に指定されました。登録有形文化財、10月23日のみ公開
靴を抜いて上がらせてもらう。1Fに、礼拝室。

2Fに小さな部屋があり、牧師さんがいた。

吃驚したのは、建屋の芯柱が2Fの天井から顔を出している。2fから上の塔屋をこの芯柱が支えている。


30分ほど見てから教会をでて南隣の徳川園に行く。武家屋敷のような塀沿いに黒門口に回る。入場券(シニア料金100円)を買い、中に入る。
 庭園内は、ここが街の真ん中かと思われる樹々の中に滝があり、小鳥の声が快い。

ここで弁当を広げようかと思ったが、入場券に

「飲食はご遠慮ください」とあるので、外に出て、美術館前の広場のベンチに腰を下ろし、昼食をとる。12時徳川園を出て、南の交差点の南西にある徳源寺に行く。ここも今日は特別公開。ボランテイアが受付にいた。
ここは妙心寺派の禅寺で、修行寺として有名。禅堂には、全国から雲水が集まり座禅の修行をするそうだ。

川合玉堂の龍の天井画も公開していた。ただしレプリカで、本物は県美術館に「保存しているという。
「特別公開ってどうして知っていたの?」と聞くので、「10月の名古屋市の広報に載っていたよ」。
文禄元年(1592)織田信長の次男信雄が、熱田に 徳源寺の前身である「清涼山宝泉寺」を開創したのが始まり。寛文2年(1662)に昭和区石仏へ移り、「蓬莱山徳源寺」と改称した。寛保4年(1744)現在の地に移り、文久2年(1862)京都府八幡市(やわたし)円福寺の蘇山(そざん) 大和尚を請じて雲水修行の専門道場が創建。
禅堂は開単当時の建物で、戦禍から免れ、徳源寺最古の建物。平成10年解体修理ということだ。寺を出てから西へ歩き、赤塚交差点に出た。東北の角に赤塚神明社があった。
ここの特別公開は、古田織部作の織部灯篭、別名キリシタン灯篭。


庭に大楠公の銅像があったが、何故ここにあるのかわからない。湊川神社と関係があるのかな?


 
その後、西へ歩き、文化の道二葉館。
我国代書の女優と言われる川上音奴の邸宅を保存したもの。ステントグラスは当時としてはハイカラであったろう。

見終わってから、白壁のバス停に歩き、基幹バスに市役所に出る。住宅までわずかなのでみなさん歩くという。小生は左足が痛くなったので、みなさんに断わり地下鉄で帰った。5~6㎞歩いたと思う。2時20分帰宅しました。

歌手は副業?

2015-10-14 | 美術館と美術展
14日は雲一つない晴天、家にくすぶっているには勿体ない。出掛けよう。恵那市の中山道広重美術館に行くことにした。
 歌手のジュデイーオングの木版画を展示しているという。
 恵那市は、江戸時代風にいうと、中山道大井の宿です。美術館は、
• (平成13年)9月開館。
• 恵那市の大井町商店街(中山道大井宿)にある。恵那市が中央本線恵那駅南口の再開発事業の一環として計画された郷土資料館が原型である。
• 浮世絵は地元の実業家、田中春雄の浮世絵コレクションの寄贈を受けたものが多い。
ジュデイーオングは歌手として有名だが、(『魅せられて』が有名。https://www.youtube.com/watch?v=tvQpnBo42cQ)木版画をやっているとは知らなかった。是非見に行こう、と大曽根駅から9:37の中津川行行き快速に乗車した。1時間程で恵那に着いた。美術館は駅から南へ歩いて3分ほどで左手にあった。
歌川広重の「名所江戸百景」と並べて彼女の作品が展示されていた。見事な出来栄えで、日展にも十四回入選しているそうだ。棟方志功の孫弟子に相当するという。歌手が副業に版画をやっているのでなく、版画家が歌手を副業でやっているのだ。
https://hiroshige-ena.jp/exhibitions/20151001
2階のロビーで、彼女の版画制作過程のビデオをやっていたので、暫く見とれていた。制作に取り組む期間は3ヶ月、取材を含めると6か月かかるという。歌手、女優の仕事をしながら、これだけの作品群を生み出すのだから凄い。「時間は作るもの」と言い切る彼女は立派だ。
1時間ほど鑑賞したあと、駅に戻り午後は多治見駅に戻った。 来月の住宅のウオーキングで、ミノセラミックパークに行きたいと言うので午後は下見に行ったのです。 4時、帰宅しました。



日本経済黄金期前夜?

2015-10-13 | 経済と世相
本屋で立ち読みをしていて、『日本経済黄金期前夜』(永浜利広著、東洋経済新報、2015年10月刊)なる本を見つけました。 パラパラページをめくっていて、「交易条件」がよくなっているから、1914年~15年の日本経済はバブル直前の1986年と同様恵まれた状態にあり、黄金期前夜だと書いてありました。
「これは面白そうだ」と衝動買いしました。
 というのは、小生の卒論(1911年3月、放送大学修士課程)のテーマが為替政策と国民福祉の関係でしたが、結論は「交易条件を有利にする為替政策がもっとも国民の福祉に貢献する」というものでした。
そこで、「交易条件」から日本経済を見ている、この著者の意見は面白そうだと思ったのです。
 著者は1995早大理工学部卒、2005東大大学院経済学研究科修士課程修了。第一生命経済研究所、主席エコノミスト。著者の主張は楽観的にすぎる感がありますが、原油の値下がりが、日本の「交易条件」を改善し、「交易利得」を増やし、日本経済にとって神風になるという論は、傾聴に値します。
著者による「交易利得」とは、「国際貿易における商品の交換比率が変化して起きる利得,換言すると、貿易で価格の変化で生ずる収入の増加です。
 2014年、約20兆円の日本の所得が、貿易の結果流出しました。
2005年ごろから所得の海外流出が始まったのですが、これはこの頃から新興国の経済発展が加速し、需要が増えた上、投機マネーも加わって原油や穀物の価格が上がってしまったためです。
 リーマンショック後に一度、流出額が減ったのですが、その後拡大し、直近の2014年には20兆円を超える水準に達した。これが2015年は12兆円。つまり海外に流出するお金が8兆円も少なく済む。これは8兆円の減税と同じです。
因みに、2014年の消費税の5%から8%の引き上げは、増税規模が8兆円でした。
原油価格の下落は日本経済にとって、「大減税」と同じく、とてつもなく大きなプラス要因であったことがわかります。
 2014年は、アジヤをはじめとした新興国やヨーロッパ諸国の景気が芳しくなく、原油の需要が伸び悩む傾向にありました。需要が減っているのですから、供給量を落とさなくては価格が下落します。そこで、産油国は需要の動向に合わせて産油量を減らし、価格を維持するのが過去に見られたパターンでした。 しかし、今回サウジアラビヤは減産による「価格維持」ではなく、「市場シェアの確保」を重視し、減産政策をとりませんでした。その背景には。ここ数年、急激に生産量が増えてきたシェールオイルの存在がありました。
サウジアラビヤが「価格維持」から「シェア維持」へと舵を切ったのが、今回の原油安の要因です。
 なぜアメリカは、原油価格の低下を放置しているのか。原油価格とアメリカ経済には負の相関関係がある。つまり、原油かかぅが下がると成長率は確実に上がる。原油価格が下落すると、他の先進国の経済にもプラスに働きますが、アメリカほど顕著ではない。
 アメリカ国民一人当たりのガソリン消費量は年間約350ガロンと世界一、ちなみに、日本は一人当たり年間100ガロン程度、アメリカ人は日本人の3倍以上のガソリンを使う。人口を考えると、アメリカ国民が使うガソリンの量は日本の6倍。 アメリカ人は消費性向が高いので、ガソリン代が安くなると、財布に余裕の出来た分他の消費に回すので、経済が潤うのです。
2014年から2015年にかけての経済を取り巻く環境が、バブル前夜の1986年から1987年に似ている。放っておけば、景気が過熱しかねないほど経済環境が整っている。こういう好環境は、歴史上でも稀です。 好環境の最たるものは原油価格の大幅下落ですが、原油価格も下がり続けるわけではない。そろそろ下げ止まり感もでています。
2014年から2015年の経済の好環境を利用して、成長戦略と財政破たんを避ける施策に成功すれば、日本経済の黄金期が来るだろうと筆者は力説しています。

お金を持たないことの幸せ

2015-10-10 | 経済と世相
9日、証券会社のお姉さんから誘いの電話があった。「当社の50周年記念の講演会がありますから、聴講されませんか」。
午後3時、会場の国際センター1Fホールへ出掛けました。
お姉さんが司会をして始まるところでした。支店長がこんな挨拶をした。
「松坂屋の方に聞いたのですが、最近3000万円ぐらいの絵画がばんばん売れているそうです。
マイナンバー制度が施行されると、預金の有り高がすべて把握されるので、絵画を買っておけば、資産として把握されないという理由だそうです」。
これを聞いて、「お金をもっている人は苦労が多いのだな」と思いました。
 私など、把握されて困るほどのお金は銀行にありませんから、マイナンバーで困ることは全くありません。
 むしろ、マイナバー制になれば、政治家や高級官僚が不透明なカネを入手できなくなるから、大賛成です。
 講演は、シニアステトラジストなる肩書きの方の話でした。
「最近、草食系の若者が増えて、結婚しない若者が増えている。
結婚しないと将来困ることにならないか?と聞くと“大丈夫です。ロボットがあります”」
最近のロボットの進化は素晴らしいですね。こうした製品に使われている電子部品のメーカーは押し目買いすべきです。
村田製作所がお勧めです。進められても、株価5000円以上の株は簡単に買えませんが・・
 「いつの時代も産業に使われる素材を注目すべきですが、これからの素材は、鉄でなく、炭素繊維!
トーレに注目してください。今日は若干値下がりしていますが、ファースト・レテイリングが良いですね。ユニクロはトーレの素材を使っています」等々。
 日銀が何としても2%は物価を上げたいと言っているのですから、カネを、雀の涙ほどの利息で銀行預金のままにしておくと価値が減少します。
だから、カネを持っている人は、貨幣価値を減らさないよう、いろいろ頭を使わないといけない。
お金をもっている人は苦労が多い。
小生には。そんなことに頭を弄する必要はありません。
 お金を持たないことの幸せです。