2015年のノーベル物理学賞を、素粒子ニュートリノに質量があることを見つけた梶田隆章・東京大宇宙線研究所長(56)ら2人に授与すると発表した。
ニュートリノの質量については故戸塚洋二氏が中心になって研究を進めたという。だから、戸塚さんが生きていれば、今回梶田さんと並んで戸塚さんも受賞したはず(ノーベル賞は生きている人でないと受賞できない)。
そこで「戸塚さんががんで亡くなったが、その闘病記録が本になっていたはずと思いだし、図書館で借りてきました。『がんと闘った科学者の記録』(戸塚洋二著、立花隆編、文芸春秋社、2009年5月刊)です。
立花さんが、序章を書き、最終章に立花さんと戸塚さんの対談が載っている。真ん中は、戸塚さんがブログに掲載した闘病録です。読んでみると、ブログにかかれた内容は、すべて序章に要領よくまとめられている。だから、「御用とお急ぎ」の方は序章と対談を読めば本の内容は理解できます。
最初に序章の紹介です。
ニュートリノは電気的に中性で、電子顕微鏡でも見えないくらいどころかいかなる観測手段をもってしても見えないほど微小かつ微弱な存在、質量もほとんどゼロであらゆる物質と相互作用しない。すべての物質を突き抜けてしまう。いかなる遮蔽壁を置いても止めることが出来ないし、いかなる検出器でも検出できない。
たとえば、太陽中心で起きている太陽の熱源になっている核反応でも、太陽ニュートリノが常時大量に発生し、地球にやってきて我々の上に降り注ぐ。太陽ニュートリノは我々の肉体をひっきりなしに貫通している(全身で毎秒1122兆個)。なのに我々は全く気付かない。ニュートリノは我々の肉体に全く痕跡を残さずただすり抜けるだけだ。
ニュートリノをはじめて目に見える形で検出できるようにしたのがカミオカンデである。
スーパーカミオカンデが動き出して2年後の98年、またもカミオカから、世界的大発見が飛び出した。ニュートリノに質量があるという発見だった。それまでの物理学の標準理論では、光子に質量がないように、ニュートリノにも質量が無いとされていた。一つでも、明白に標準理論に合わない現象を発見したら、それだけでも、ノーベル賞級の価値があると言われていた。98年6月5日、高山市でニュートリノ物理学・宇宙物理学国際会議でスーパーカミオカンデの日米合同研究チームを代表する梶田教授(今回のノベル賞受賞)から、この事実が発表されると、会場を埋めた世界中の物理学者たちが、みなスタンデイング・オペレーシヨンによってこの大発見がたたえられた。
戸塚さんとの思い出は、取材したときの戸塚さんとの一問一答そのものにある。この人くらい、わかりにくいことを分かり易く説明してくれることにたけた人はいなかった。
量子力学の世界は、我々の日常的な感覚世界とは相当違った部分がある。不確定性原理とか、光の波動性と粒子性の重なりとか・・・常人の常識では理解しがたい話がいろいろ出てくる。そのあたりを次から次に質問した。我々常識人にはわけがわからない。その辺、プロの物理学者の頭のなかはどうなっているのだろうとたずねた。驚いたことに
「実をいうと我々にしても完全に納得できていない。実感としてはわからないが、理論の筋道を追っていくと、受け入れざるをえない。実感と切り離して受け入れている部分があるんです。」
それを聞いてはじめて量子力学というものがわかったような気がした。それまで実感的理解が得られないのは自分の頭が悪いせいだと思い込んで、なんとか実感的理解を得ようと七転八倒していたが、この戸塚さんお一言でまるで付き物が落ちたように、量子力学の理解にまつわる不快感が消えた。戸塚さんはこういった。
「光の粒子性を示す実験事実もあれば、光の波動性を示す実験事実もあるんです。実験事実があれば、それを受け入れるということから出発するのが科学」
余談ですが、小生も高校生の物理で、この光の波動性と粒子性の重なりの意味が分からなかった。
この時思ったのは、人間が納得するというのは、自分が生まれてからそれまでに経験したことのアナロギーで、あれと同じか、と納得すること。まったく体験したことがないことを人間は納得できない。我々の感覚器官で感知できる世界では、すべて波は波、粒子は粒子。粒子であって波という存在は無い。だから納得できないのだ。と思うことにしました。戸塚さんの説明はそれと同じみたいです。
終章の立花さんと戸塚さんの対談に移ります。
――「ご自分のがんの記録・・・読ませて頂き、いや、驚きました。とてつもなく詳細に、そして冷静にご自分の病状を観察していらっしゃる。特に驚いたのが、医者からもらったCD画像の写真をデジタル化して腫瘍サイズの時間的変化をみたり、抗がん剤の投与回数と腫瘍マーカー(血液中に測定できるがんに特徴的な物質)値の関係をグラフ化したり、あそこまで自分で分析する人はなかなかいないでしょう。病気と言うのは、ある意味で、データの世界ですが、データにぶつかるとどうしても科学者の本能が働いて分析してしまうものなんですかね。」
「自分の肺のがんで、10個ほど、ダブリングタイム(がんの細胞数が2倍になる期間)を計算してみたんです。すると抗がん剤の効き具合がよく分かった。副作用でイレウス(腸閉塞)とか間質性肺炎に罹っているとき、抗がん剤投与をやめてますから、ダブリングタイムが短いのです。結局、抗がん剤をやったことで、半年のダブリングタイムが1年から3年近くに伸びたということは言えると思います。」
―――肺の他、全身の転移というのは具体的にどことどこですか?――
肺、肝臓、脳です。
去年の8月頃から肩に痛みがあった。今年1月、抗がん剤の副作用がひどくなって、服用を中止したんですが、その直後からいっそう肩の痛みがひどくなった。整形外科では「50肩でしょう」と言われたのですが、新しい抗がん剤の点滴を受けると、とたんに肩の痛みが軽減したのです。さっそく骨シンチという検査を受けたら右肩から数か所腫瘍がみつかった。
――肝臓にも――
定期的なCT検査でわかりました。脳は左右に3センチ大の腫瘍があって言語中枢を圧迫するので、ときどき言葉が出なくなる。
―――がんが最初に見つかったのはいつでしたか。――
2000年10月、58歳のときです。ひと月後の11月に手術して、直腸と結腸を30㎝切ったのです。2006年4月まで抗がん剤治療の開始を遅らせました。
戸塚さんはお酒が好きだったそうですがその頃お酒は?
もう飲めなかったですよ。
――いつごろから― もともとアルコールは強いんですか。--
いや強くない。酒に弱い人間が無理して飲むからこうなるんです。
再々発癌が見つかった2005年からは飲んだらむせる。養命酒で我慢しました。
――がんの記録だけでなく、人生観、世界観、宗教観など書かれていますね」――
死を前にして正岡子規がこういっています。
「悟りということはいかなる場合にも平気で死ねることかと思っていたのは間違いで、悟りと言うのはいかなる場合にも平気で生きていることだった。」
最後に一寸安心できる情報です。
立花さんから『臨死体験』をいただきましてね、半分読んだんですよ。」
「これを書いていて思ったのは、結局、人間には楽に死ねるような生理的システムがちゃんと備わっているということです。」
ニュートリノの質量については故戸塚洋二氏が中心になって研究を進めたという。だから、戸塚さんが生きていれば、今回梶田さんと並んで戸塚さんも受賞したはず(ノーベル賞は生きている人でないと受賞できない)。
そこで「戸塚さんががんで亡くなったが、その闘病記録が本になっていたはずと思いだし、図書館で借りてきました。『がんと闘った科学者の記録』(戸塚洋二著、立花隆編、文芸春秋社、2009年5月刊)です。
立花さんが、序章を書き、最終章に立花さんと戸塚さんの対談が載っている。真ん中は、戸塚さんがブログに掲載した闘病録です。読んでみると、ブログにかかれた内容は、すべて序章に要領よくまとめられている。だから、「御用とお急ぎ」の方は序章と対談を読めば本の内容は理解できます。
最初に序章の紹介です。
ニュートリノは電気的に中性で、電子顕微鏡でも見えないくらいどころかいかなる観測手段をもってしても見えないほど微小かつ微弱な存在、質量もほとんどゼロであらゆる物質と相互作用しない。すべての物質を突き抜けてしまう。いかなる遮蔽壁を置いても止めることが出来ないし、いかなる検出器でも検出できない。
たとえば、太陽中心で起きている太陽の熱源になっている核反応でも、太陽ニュートリノが常時大量に発生し、地球にやってきて我々の上に降り注ぐ。太陽ニュートリノは我々の肉体をひっきりなしに貫通している(全身で毎秒1122兆個)。なのに我々は全く気付かない。ニュートリノは我々の肉体に全く痕跡を残さずただすり抜けるだけだ。
ニュートリノをはじめて目に見える形で検出できるようにしたのがカミオカンデである。
スーパーカミオカンデが動き出して2年後の98年、またもカミオカから、世界的大発見が飛び出した。ニュートリノに質量があるという発見だった。それまでの物理学の標準理論では、光子に質量がないように、ニュートリノにも質量が無いとされていた。一つでも、明白に標準理論に合わない現象を発見したら、それだけでも、ノーベル賞級の価値があると言われていた。98年6月5日、高山市でニュートリノ物理学・宇宙物理学国際会議でスーパーカミオカンデの日米合同研究チームを代表する梶田教授(今回のノベル賞受賞)から、この事実が発表されると、会場を埋めた世界中の物理学者たちが、みなスタンデイング・オペレーシヨンによってこの大発見がたたえられた。
戸塚さんとの思い出は、取材したときの戸塚さんとの一問一答そのものにある。この人くらい、わかりにくいことを分かり易く説明してくれることにたけた人はいなかった。
量子力学の世界は、我々の日常的な感覚世界とは相当違った部分がある。不確定性原理とか、光の波動性と粒子性の重なりとか・・・常人の常識では理解しがたい話がいろいろ出てくる。そのあたりを次から次に質問した。我々常識人にはわけがわからない。その辺、プロの物理学者の頭のなかはどうなっているのだろうとたずねた。驚いたことに
「実をいうと我々にしても完全に納得できていない。実感としてはわからないが、理論の筋道を追っていくと、受け入れざるをえない。実感と切り離して受け入れている部分があるんです。」
それを聞いてはじめて量子力学というものがわかったような気がした。それまで実感的理解が得られないのは自分の頭が悪いせいだと思い込んで、なんとか実感的理解を得ようと七転八倒していたが、この戸塚さんお一言でまるで付き物が落ちたように、量子力学の理解にまつわる不快感が消えた。戸塚さんはこういった。
「光の粒子性を示す実験事実もあれば、光の波動性を示す実験事実もあるんです。実験事実があれば、それを受け入れるということから出発するのが科学」
余談ですが、小生も高校生の物理で、この光の波動性と粒子性の重なりの意味が分からなかった。
この時思ったのは、人間が納得するというのは、自分が生まれてからそれまでに経験したことのアナロギーで、あれと同じか、と納得すること。まったく体験したことがないことを人間は納得できない。我々の感覚器官で感知できる世界では、すべて波は波、粒子は粒子。粒子であって波という存在は無い。だから納得できないのだ。と思うことにしました。戸塚さんの説明はそれと同じみたいです。
終章の立花さんと戸塚さんの対談に移ります。
――「ご自分のがんの記録・・・読ませて頂き、いや、驚きました。とてつもなく詳細に、そして冷静にご自分の病状を観察していらっしゃる。特に驚いたのが、医者からもらったCD画像の写真をデジタル化して腫瘍サイズの時間的変化をみたり、抗がん剤の投与回数と腫瘍マーカー(血液中に測定できるがんに特徴的な物質)値の関係をグラフ化したり、あそこまで自分で分析する人はなかなかいないでしょう。病気と言うのは、ある意味で、データの世界ですが、データにぶつかるとどうしても科学者の本能が働いて分析してしまうものなんですかね。」
「自分の肺のがんで、10個ほど、ダブリングタイム(がんの細胞数が2倍になる期間)を計算してみたんです。すると抗がん剤の効き具合がよく分かった。副作用でイレウス(腸閉塞)とか間質性肺炎に罹っているとき、抗がん剤投与をやめてますから、ダブリングタイムが短いのです。結局、抗がん剤をやったことで、半年のダブリングタイムが1年から3年近くに伸びたということは言えると思います。」
―――肺の他、全身の転移というのは具体的にどことどこですか?――
肺、肝臓、脳です。
去年の8月頃から肩に痛みがあった。今年1月、抗がん剤の副作用がひどくなって、服用を中止したんですが、その直後からいっそう肩の痛みがひどくなった。整形外科では「50肩でしょう」と言われたのですが、新しい抗がん剤の点滴を受けると、とたんに肩の痛みが軽減したのです。さっそく骨シンチという検査を受けたら右肩から数か所腫瘍がみつかった。
――肝臓にも――
定期的なCT検査でわかりました。脳は左右に3センチ大の腫瘍があって言語中枢を圧迫するので、ときどき言葉が出なくなる。
―――がんが最初に見つかったのはいつでしたか。――
2000年10月、58歳のときです。ひと月後の11月に手術して、直腸と結腸を30㎝切ったのです。2006年4月まで抗がん剤治療の開始を遅らせました。
戸塚さんはお酒が好きだったそうですがその頃お酒は?
もう飲めなかったですよ。
――いつごろから― もともとアルコールは強いんですか。--
いや強くない。酒に弱い人間が無理して飲むからこうなるんです。
再々発癌が見つかった2005年からは飲んだらむせる。養命酒で我慢しました。
――がんの記録だけでなく、人生観、世界観、宗教観など書かれていますね」――
死を前にして正岡子規がこういっています。
「悟りということはいかなる場合にも平気で死ねることかと思っていたのは間違いで、悟りと言うのはいかなる場合にも平気で生きていることだった。」
最後に一寸安心できる情報です。
立花さんから『臨死体験』をいただきましてね、半分読んだんですよ。」
「これを書いていて思ったのは、結局、人間には楽に死ねるような生理的システムがちゃんと備わっているということです。」